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ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

ニョニョの日記詩連載(1~13)「4月18日から~7月25日まで」

2021-04-30 18:15:18 | 詩・コラム
ニョニョの日記詩連載



日記詩1


え?もう日曜?
あれもまだ これもまだ
したいこと
しなければならないこと
山積みなのに
時だけが過ぎて行く
弓矢のように
無情に、、、

일기시 1
시간
뭐?벌써 일요일 ?
이것도 아직 저것도 아직
하곺은 일
해야 할 일
산더미같은데
시간만이 흘러간다
쏜살처럼
덧없이、、、  (4月18日)



日記詩2


春風そよぐ
月曜日の朝
校庭では
一輪車の練習をする
微笑ましい童たちの姿
「オンニ〜待って〜」
上級生に一生懸命習う
一年生の姿が眩しいなぁ

일기시2
아침

봄바람 살랑 부는
월요일 아침
운동장에선
일륜차 몰고가는
아이들의 흐뭇한 모습
「언니〜가다려〜」
상급생들에게 열심히 배우는
신입생들의 모습이 눈부시구나(4月19日)



日記詩3
バタバタな火曜日

いつも火曜日はバタバタだ
6時起床
お弁当8つ
7時15分家族を送り出し
BSで朝ドラ見ながら
やっと朝食
8時15分通学班との
楽しいお喋りと通学路
義姉のホームに届けるお弁当
洗濯機回しながらお片付け
いつのまにか11時15分
さぁ着替えて府庁前に出発
でも今日は府庁前に行かない
コロナ蔓延のため
涙を呑んで火曜日行動中止、自粛、、、
義姉を連れて定期検診に行く

일기시3
정신없는 화요일

언제나 화요일은 정신이 없다
6시기상
도시락 8개 만들기
7시15분에 가족들 보낸후
아침방송 보면서
겨우 아침식사
8시 15분 통학반 출발
수다 떨면서 즐거운 통학길
동서한테 아침밥 드리고 집으로
세탁기 돌리면서 설겆이
어느새 11시15분
자 얼른 갈아입고 부청으로 출발
아니야 오늘은 안가
저놈의 코로나때문에
눈물을 머금고
화요행동 임시 중단 、、、자숙、、、
동서 모시고 정기검진 가야지(4月20日)



日記詩4
ドキドキ

何年振りだろう
あなたに会うのは
笑顔が美しすぎて眩しくて
いつも見とれていた
心は数倍奥ゆかしいあなた
誰に接するときも同じ笑顔
嫌な顔は一度も見たことがない
ドキドキ
今日あなたに会う
つかの間

일기시4
두근두근

몇해만일가
그대를 보는것은
미소가 너무 이뻐서 눈부셔서
언제나 넋을 잃고 보았었다
마음씨는 그보다 더 웅숭깊은 그대
누구라없이 따뜻한 미소로 대하는 그대
싫은 얼굴 한번 못본것 같구나
두근두근
오늘 오랜만의 상봉
아주 잠간     (4月21日)



日記詩5
スファの日

今日は木曜
スファと遊ぶ日
手を繋ぎ歩きながら相談
「今日大きい公園行く?」
「コロナやから近くでええわ」
「ハンバーグ作る?」
「うん、サラダも作って
夜ご飯にしよ」
相談成立
今日もニコニコ学校へ‼️

일기시5
수화의 날

오늘은 목요일
수화와 노는 날
손잡고 학교를 향하면서 의논
「큰 공원 가서 놀가?」
「코로나이니까 가까운 공원에서 놀자」
「함버그 만들래?」
「응、썰러드도 챙겨서
저녁밥 하자꾸나」
의논성립
오늘도 벙글벙글 학교에로‼️(4月22日)



日記詩6
自分史 完読

自分史 完読
「私の名前は
チャンホンスン」
勝気で 負けん気が強く
聡明で おまけに美人
茨城朝高を合唱王国と知らしめた方
張弘順さんの自分史を完読
歯に衣を着せぬ文体
直球の自分史
驚いた 数十年前共に祖国を訪問した
李日夏さんのオモニムとは!

일기시6
자서전 완독

자서전 완독
「나의 이름은 장홍순」
억척하고 지기싫은 성미
총명하다뿐이랴 미인인걸
이바라기조고를 합창왕국으로 꾸린 분
장홍순씨의 자서전을 완독
꾸밈이 없는 솔직한 문체
직구의 자서전
놀랬구나 수십년전 함께 조국방문한
리일하씨의 어머님이실줄이야‼️(4月23日)



日記詩7
少年団入団式

今日は4.24
意義深い日に
中大阪の少年団入団式‼️
我が中本通学班のウォンサ君が
少年団員になります
嬉しいなぁ胸がドックンドックン
赤いネクタイ貰えるかな?
それとも青かな?
63年前私にもそんな日があった
兵庫県尼崎市園田の
小さな小さな初級学校で
初めて赤いネクタイを結び
「明けゆく祖国の朝焼け色の様に
赤く燃えるネクタイを
ひらひらなびかせ、、、」と歌い
祝ってもらった日が昨日のよう

일기시7
소년단입단식

오늘은 사이사(4.24)
뜻깊은 날에
나까오사까의 소년단입단식‼️
우리 나까모또통학반의 원사동무가
소년단에 입단 한대요
정말 기뻐요 가슴은 두근두근
붉은 넥타이를 맬수 있을가
아니면 푸른 넥타이?
63년전 나에게도 그런 날이 있었지
효고현 아마가사키시 소노다의
자그마한 초급학교에서
난생처음 붉은 넥타이를 매고
「밝아오는 조국땅의 노을빛으로
붉게 타는 넥타이를
펄펄 날리며、、、」라 노래부르며
축복받은 날이 어제같은데、、、(4月24日)



日記詩8
「日曜出勤」

急ぎの仕事があるからと
「日曜出勤」初めての事
代休があるからと言っても心配
だって歳が歳なのに、、、
「いつまで働くの?」
「身体が動く限り」
「、、、」
学生時代は新聞配達
卒業後今日まで出勤一直線
私の出来ること弁当作りと
「気をつけてね」の一言だけ、、、

일기시8
「일요출근」

바쁜 일이 있다고
「일요출근」 처음 되는 일
대휴가 있다지만 걱정이야
나이가 나이인데、、、
「언제까지 일해요?」
「몸이 움직이는 한」
「、、、」
학생시절은 신문배달
졸업후 오늘까지 출근 일직선
내가 할수 있는 일 도시락 장만하여
「조심하세요」의 한마디뿐、、、(4月25日)



日記詩9
おめでとう ウオンサ君

花冷えの月曜日
いつもの公園で記念撮影
ウォンサ君 おめでとう
やっと少年団員になったね
赤ちゃんの時から
オンマに抱っこされハンメも一緒に
何回も来てくれたね 火曜日行動にも
今君の胸に赤いネクタイは無いけど
私には見えるよ 君の赤く燃える心が
ウリハッキョを守るため
長い長い坂道を登られた
ハンメやオンマの意志を継いで
きっと立派なチョソンサラムに
なってくれることを‼️

일기시9
축하해 원사야
꽃샘바람 부는 월요일
여느때처럼 기념사진 찰칵
원사 축하해
이제야 소년단원이 되였구나
애기때부터
엄마품에 안겨 할머니도 함께
자주 왔었지 화요행동에도
너의 가슴에 지금 넥타이는 없어도
나에겐 보인단다 너의 붉게 타는 마음이
우리 학교를 지키기 위해
길고긴 비탈길을 오르셨던
할머니와 부모님의 뜻을 이어
반드시 듬직한 조선사람으로
자라리라는것을‼️  (4月26日)



日記詩10
記憶

記憶が無くなるという事は
コップにお茶を注げなくなること
電気のスイッチを押せなくなること
タンスの中の綺麗な下着を
洗面台の水につけてしまうこと
記憶が無くなるという事は
冷蔵庫に歯ブラシを入れてしまう事
記憶が無くなるという事は
他人の名前を忘れてしまうこと
どんどん赤ちゃん返りする事
あなたも私も人ごとではない
せめて楽しかった日の事だけは
覚えていて欲しいなぁ

일기시10
기억

기억이 없어진다는것은
잔에 차를 따르지 못하게 되는것
전기불을 켜지 못하게 되는것
옷장속에 정돈된 내복들을
세면대물속에 담가버리는것
기억이 없어진다는것은
랭장고에 치솔을 넣는것
기억이 없어진다는것은
남의 이름을 잊어버린다는것
하루가 빠르게 애기로 돌아가는것
당신도 나도
남의 이야기가 아니예요
즐거웠던 날만이라도
기억해주셨으면、、、 (4月27日)



日記詩11
雨の通学路

まだ大降りでは無いけれど
雨の中 通学班 出発‼️
大きな傘さして
ゆっくり歩く
これは珍しい
前を行く3人の高学年生たちが
なぞなぞを始めた
ウォンサ君も6年生に負けていない
どんどん答えて驚かせる
黙って聞きながら歩いていた
スファが言った
「私らもやろか なぞなぞ」
「私ら?!」
ひょっとして
スファと私が私らなん?
ウフフ 嬉しいなぁ
2年生の仲間になれた
雨の通学路

일기시11
비오는 날의 통학길

아직 큰비는 아니지만
비오는속을 통학반 출발‼️
큰 우산 들고
천천히 걷는다
드문 일이네 앞서가는
3명의 고학년생들이
수수께끼놀이를 하기 시작했다
원사도 6학년생들에게 지지 않는다
계속 답맞추어 놀라게 한다
가만히 들으면서 걷던
수화가 갑자기 말했다
「우리도 할가❓수수께끼놀이」
「우리도❓❗️」
혹시
수화와 내가 우리들인거야❓
ㅋㅋㅋ 좋구나
2학년생과 짝이 된
비오는 날의 통학길  (4月28日)




日記詩12
参観日

今学年度初めての参観日
どの教室にも
笑い声が溢れている
子どもたちは自分の考えを
なんのためらいもなく発言する
どんなトンチンカンな答えにも
動じない先生方
決して否定しない
どんな答えにも質問にも
精一杯耳を傾けてくださる
瞳と瞳が見つめあってる
これがウリハッキョなんだ
子どもたちがヒーローなんだ
だから安心して送れるんだ
だから守るんだ‼️ウリハッキョを‼️

일기시12
참관수업날

금학년도 처음 되는 참관수업
어느 교실에서도
웃음소리가 넘쳐흐른다
아이들은 자기 생각을
그 어떤 망설임도 없이 이야기한다
어떤 엉뚱한 대답에도
눈하나 깜짝하지 않는 선생님들
절대로 부정을 안하신다
어떤 대답에도 질문에도
한껏 귀를 기울여주신다
서로를 바라보는 믿음의 눈과 눈
이것이 우리 학교란다
아이들이 주인된 우리 학교
그래서 안심해서 보낸단다
그래서 지킨단다 ‼️우리 학교를‼️(4月29日)



日記詩13
体力測定の日

「ウオンサ 走りは早い方?」
「うん?、、、普通」
「普通かぁ いいなぁ
ハンメは1年から6年まで
ずっーとべべやった」
一瞬に初級部時代に戻った
体力測定の日だという
「シャトルラン 嫌いやねん」
今度はスファの嘆き声
ふふふ みんなこうして
大きくなるんだねぇ
新緑まぶしい爽やかな朝

일기시13
체력측정의 날

「원사야 달리기 빨라?」
「응?、、、보통」
「보통이라구?부럽구나
함맨 1학년부터 6학년때까지
쭉ー꼴찌였어」
순식간에 돌아간 초급부시절
오늘은 체력측정의 날이란다
「왕복달리기가 질색이야 」
이번엔 수화의 한탄소리
ㅋㅋㅋ 모두들 이렇게
커지는구나
신록이 눈부신 상쾌한 아침 (4月30日)


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再掲 2020年10月13日、400回目の火曜日行動です。

2021-04-27 19:31:56 | 火曜日
今日は2021年4月27日火曜日ですが、コロナ禍での感染を極力避けるため、胸を痛めながら自粛しております。400回目の火曜日行動の日を再掲いたします。時間のある方は回想してください。5月18日から再開できることを祈っています。


秋晴れの10月13日.大阪府庁南側前にて400回目の「火曜日行動」が行われました❗️



今日のレポーターは春母(ハルモニ)会の木村さん、写真撮影は松尾さんです。今日も元気に発信してまいりましょう。



20分前に到着しましたが、始まる前から大勢の方々の姿が元気をくれました。



長崎由美子さんの第一声始まりました❗️

☆長崎さん

2012年4月17日に始まった、この火曜行動は今日で400回目となり、8年を超えました。8年前には病院もなく、駐車場でした。

景色は変わりましたが、変わらないのは朝鮮学校に対する変わらない差別です。

大阪府市の補助金打ち切り、国の高校無償化からの排除に加え、育ちを応援する幼保無償化からの排除もそのままになっています。

400回と言えば1年365日毎日毎日立ち続け、それ以上の日数になります。

我が子を通わせている保護者の方々、孫たちを通わせている方々、一世からの思いを引き継いでいる方々、学校でがんばっておられる当事者の教員の方々、日本人の支援者が参加してきました。

今大阪で住民投票がおこなわれようとしていますが、そこからも外国籍が排除されています。

今日は400回なので、この行動に参加されている方々から、その思いを一言ずつ話してください。




アピールのトップバッターはいつも元気な金さんです。

☆オモニ

今日は400回ということで、前々から有休を取って、ここに参加しました。

ここに立つと思い出されるのは、私の長女に対する松井前知事の「学ぶ権利はない」という言葉です。知事の口から「ない」と放たれた光景は今も鮮明に思い返されます。

その時赤ん坊だった私の長女も今は中大阪朝鮮学校幼稚班の年中です。月日の経つ早さを感じてます。

みなさん、私の娘に学ぶ権利はないのですか! 学ぶ権利というのは人間が育つ上で子どもに与えられる当たり前の権利のはずだと今も信じています。

大阪府庁の皆さんは日本の、大阪のために働いていると思いますが、将来を担うのはこの大阪にいる全ての子どもたちではないでしょうか。朝鮮学校に学ぶ権利を与えないのはどういうことでしょうか。まちがいなく日本の将来を守らないということじゃないんですか。

今回、大阪では未就学児一人あたり5万円の給付金が支給されることになりました。これは小中学校で給食の無償が実施されたのに、未就学児には与えられないのでその代わりに給付金を支給するとのことでした。ちょっと待って。朝鮮学校では給食の費用はもらっていません。それはどうなるんですか?

私は子どもたちに朝鮮人だと、自分の名前をしっかりとなのってほしいと思います。それは朝鮮人だからというのではなく、一人の人間として当たり前に堂々としっかりと育ってほしいと思っています。

大阪府の職員の皆さん、子どもたちが育つには皆さんの協力がいります。私も近所の子どもたちにいつも声をかけています。

私たちは400回声を上げてきましたが、皆さんも400回私たちの声を受けてるんです。何人だからではなく、日本にいる全ての子どもたちを当たり前に守ってください。堂々と顔を向けて挨拶してください。私たちも子どもも朝鮮人として堂々と日本の地で生きていきます。




火曜バンドは不滅です❗️❗️



カンファセさんが和歌山から駆けつけてくれました。



ハルモニ会の陶山さんがマイクをもちました。

☆陶山さん

今私たちは「火曜日行動」400回を迎えました。けっして喜ばしい数字ではありません。

私は長崎から50年前に大阪にやってきました。そのとき、「大阪に行くなら差別の問題をちゃんと勉強しなあかん」と言われました。私は大阪で教師となり、大阪の教員は差別をさせない、許さない。教育現場で、黙っていることは差別に加担することだということを学び、それを自分の教育の柱としてきました。

それが今どうでしょう、官制ヘイトがまかり通っています。もう一度、差別を許さない、人情味あふれる元の大阪を取り戻して欲しいのです。どこの国の人間でも特に在日韓国・朝鮮人も、障害があっても、みんな一緒に暮らせるそんな大阪にしてください。




哲也さんも久々のアピールです。

☆キムさん

私は生野区で地域活動をしている在日三世です。生野区は60カ国の方々が市民として暮らしています。昨日から都構想の住民投票告示が始まりました。

この先、在日外国人はどんどん増えていくと思います。この人たちを排除して、良い大阪が作れるのでしょうか。

差別の典型的なのが朝鮮学校を含めた外国人学校の幼稚園を幼保無償化から排除することです。目の前で幼児が倒れたらどこの国の子どもなのかを問題にするのでしょうか。

今一度、人に戻ってこの問題を考えてください、




保護者のエミさんがアピールします。

☆エミさん

私は朝鮮学校に子どもを通わせている保護者の一人です。私の娘がもうすぐ小2になる直前の春休みにこの場に来て手紙を読み上げました。その娘が今はもう中3で、大阪朝鮮高級学校に誇りを持って進もうとしています。

「オンマ、制服のチマチョゴリが着たい」と言ってあつらえようとしています。どんどん体も心も成長しようとしています。それは支援者と学校の先生たちのおかげです。

吉村知事、聞こえていますか? あなたは弁護士として、知事として、父親として自分の何を残しますか? どういった社会を目指しますか?

 サンフランシスコに「慰安婦」像が建てられたのが気に入らないと言って姉妹都市を解除しましたね。世界的には認められませんが。そして朝鮮学校の子どもたちにはずっと差別を繰り返しているのが残念です。

安倍さんが辞任したときも安倍さんを褒めていましたね。人間いつでも考えを変えることができます。
人した親として恥ずかしくないのですか! 心を改めてください!





申さん、東京から駆けつけてくれました。



城北初級のオモニ会の方がアピールされました。

☆オモニ

朝鮮学校に通っている子どもの保護者です。

400回という数字はとても大きく、わたしたちには意味のある数字です。私たちの力だけでなく、こうやって日本人の方々の力も合わせてできたものです。

最近、「多様性」という言葉をよく目にしますが、「多様性」をうたっているのに、朝鮮学校を排除する姿勢は理解できません。

すべての子どもたちに学ぶ権利があると思うのですが、なぜ朝鮮学校の子どもたちだけが悩まなければならないのですか。

朝鮮学校を一度見に来てください。

火曜行動はやめません。ずっと続けます。

私たちは朝鮮学校にも自分のルーツにも誇りを持っています。

「いつになったらやめるのか」と思っておられるかもしれませんが、補助金再開まで続けます。あなたたちも考えを改め、私たちと向き合ってください。




若者代表の梁さんもマイクをもちました❗️

☆若者

アンニョンハシムニカ。東成地域で青年活動をしています。

400回は記念すべきではありません。400回訴えても是正できない現状があります。

多様性、平等という言葉が法にはうたわれています。私は大学で法律を学んできましたが、法を扱う者がこのままだと、法自体が腐ってしまいます。

国際化・多様性・平等の実現のためには幼保無償化は必要です。これからもいっしょにがんばっていきましょう。




長崎さんが繋がれます。

☆長崎さん

昨日、滋賀県の三日月知事が初めて滋賀朝鮮初中級学校を訪問し、近江牛米を贈呈し、朝鮮語で挨拶を行いました。

一方、松井市長は住民投票の権利がほしければ日本国籍を取れと言っています。




火曜バンドの代表ー古賀さんも今日はマイクを持たれました。

☆火曜バンド(古賀さん)

日本人の一人として参加しています。私が子どもの学校のPTA会長をしていたとき、近くの朝鮮学校との交流を行っていました。チマチョゴリを持ってきてもらって、それを着た子どもたちと写真を撮るといった他愛ないものでしたが。

また、私の息子は当時サッカー部に入っていて、朝鮮学校と練習試合をしていました。どうだったと聞くと、「ボロ負け」と、尊敬の念を込めて言っていました。こんな交流は自然におこなわれていました。

朝鮮学校に対する補助金を増額してほしいと要求したこともありました。
ところが、それが現在ではまったく無くなってしまいました。

一日も早く補助金を復活させてほしいものです。差別があると日本人も幸せになれません。




いつも火曜バンドで活躍している原戸さんもアピールです。

☆火曜バンド(原戸さん)

火曜バンドで太鼓を叩いています。

私は行政側と同じ“日本人”という立場に自分を置きたくないので、こうして活動しています。

個人の感覚を感じる感受性で、この問題を考えて欲しい。世界にも恥ずかしい。行政は差別を自覚するべきです。




河住さんもアピールされました。

☆河住さん

まだ活動は浅いのですが、滋賀県の三日月知事のニュースには嬉しくなりました。

都市村知事も朝鮮学校に来て、自分の子どものことも重ね合わせながら思い直してほしい。一日も早くこの活動が終わるようにと思います。

私も保育士として、一日も早く差別をなくしたいと思います。




横道さんも久々にアピールです。

☆横道さん

私も日本人ですが、腹が立つのは橋下氏が朝鮮学校を訪問し、「私もラガーマンだ」と言って笑顔で朝鮮高校のラグビー部の部員と写真を撮っていました。ところがそのあくる日に補助金カットです。悔しくて仕方がありません。

子どもたちはしっかりしていてこんなことでくじけはしないとは思います。でも、写真の子どもたちの笑顔を返せ!
私は子どもたちが朝鮮学校で大事にされているから、応援しています。

差別はいけません。すぐ、やめてください。




イケメン三人衆の中山さんもマイクを持たれました。

☆中山さん

東成区に住んでいる日本人です。近所の朝鮮学校を支援しています。

火曜行動には1回目から参加しました。

今着ているTシャツは愛知県の朝鮮学校支援団体が作られたもので、ローマ字で「ウリハッキョ」とあります。朝鮮学校では自分たちの学校を「ウリハッキョ(わたしたちの学校)」と呼び、誇りにしているのです。

東成区は生野区に次いで在日の多いところです。

行政の無茶な差別を打ち破ろう!




毎週大和高田から通われている森本さん!短歌もこの間にどれだけ作られたか知れません。

☆森本さん

はんさべつ 五つのひらがな胸に刻み 四百回目の街宣に立つ(ちゅうき)

400回の火曜行動は在日朝鮮人が刻んできた歴史です。それはどんな歴史でしょうか?

学校では近現代史を教わっていないとよく言われますが、現代史は教わる物ではなく学び取り、自ら作るものです。

窓窓窓 大阪府庁の壁見れば 歪んだ日本の姿が映る(ちゅうき)

多くの人が見えていません。大阪府庁の窓を見てどんな姿が映るか見てほしい。




クッスンさんが配ってくれるキャンディは愛の味がします。



長崎さんと共に第1回目からずっと参加されている大村さんもマイクを持たれました。

☆大村さん

私は一回目からこの火曜行動に参加しています。今は病院になっていますが当時は駐車場でした。知事も三人替わりましたが、考え方を変えようとはしません。

最初はチラシを受け取らない人もいました。そのうち、質問をしてくる人もいましたが、一方で誹謗中傷を投げかけてくる人もいました。子どもが配ったチラシをくしゃくしゃにして捨てるのを見たときは胸が痛みました。

韓国の中でも支援の運動が広がっています。

亡きキムポットンハルモニが、この場で「日本に暮らす私たちの同胞をいじめないで」と言いました。その言葉が今もよみがえります。

オモニたちは自分たちの思いを一言ずつ述べています。先ほどもオモニが涙ながらに述べていました。そのようにして400回がおこなわれてきました。

まだまだ補助金が支給されるまで、朝鮮学校の権利が認められるまでがんばりたいと思います。

早く差別が打ち切られることを望みます。




オモニ会の方々のアピールとシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が始まりました。

*高さん

みなさんのおかげで400回の行動がおこなわれましたが、これは輝かしい数字ではありません。500回にならないようにしたいと思います。

『声よ集まれ 歌となれ』

・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ!

・行政が差別するな!

・朝鮮高校に高校無償化を適用せよ!

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ!

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな!




私も今日は最後に400回目の「火曜日行動」を迎えながらの想いを込めた自作詩を朗読しました。

「写真」

          ニョニョ

2万枚を超える写真を
1枚1枚食い入るように見る

笑っている若者の顔
怒っているおばさんの顔

空高くかざした拳と拳
ペンを走らせるレポーターの汗
 
鳴り響くアコーディオンの演奏
シュプレヒコールとどろく大阪府庁前

痛みを堪えながら立ち続けるハルモニ
横断幕を持ちアピールするハラボジ

赤ちゃん抱えながらマイクを持つオンマ
大雨の中 高らかに合唱する人々

初めて見る顔
毎週見ている顔

1枚1枚の写真には
8年半のドラマが詰まっている

決して消すことのできない
熱い連帯の情が詰まっている

尊厳を守り抜かんとする
鋼鉄のような意志が詰まっている

―「火曜日行動」400回目を迎えてー

「사진」

녀 녀


2만장을 넘는 사진을
한장한장 뚫어지게 본다

웃고있는 젊은이의 얼굴
성이 잔뜩 난 아줌마의 얼굴

하늘높이 번쩍 올린 주먹들
펜을 달리는 리포터의 구슬땀

울려퍼지는 손풍금소리
구호소리 우렁찬 오사까부청앞

아픔을 참으면서 일어선 할머니
횡단막을 든채 호소하는 할아버지

젖먹이 달래며 마이크 손에 든 엄마
큰비도 아랑곳없이 합창하는 사람들

처음 보는 얼굴들
매주 보는 얼굴들

한장한장의 사진에는
8년반의 드라마가 들어차있다

결코 지울수 없는
뜨거운 련대의 정이 꽉차있다

존엄을 지켜내겠다는
강철같은 의지가 깃들어있다

-400번째의 <화요일행동> -




最後の歌はやはりこの方でしょう。和美さんの音頭で「勝利のその日まで」❗️❗️



いつものように駐輪場に集まりました。



久々に集まった東大阪地域の熟女美女軍団が早速記念撮影です。



コロナ禍でもみんな頭をひねって色んなことを考えています。学校のために、子どもたちのために!

参加者全員に 【勝利のその日まで! 400回目の「火曜日行動」の日を迎えて】とタイトルが付けられた記念誌が贈呈されました。

記念誌という言葉を誤解しないでくださいね。400回目を迎えざるを得なかった無念さを胸に秘め、それでも勝利の日まで頑張ろうという決意を新たにするための記念誌です。



このスローガンの通りです。勝利の日まで頑張り続けましょう。継続は力なり❗️❗️

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春の花さようなら

2021-04-27 19:05:00 | 花たち
春の花さようなら














































































































































































































































































































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詩 故郷―済州島を訪ねて (バイリンガル)

2021-04-19 09:48:42 | 詩・コラム
兄が亡くなり早や3年の月日が流れました。




「기념시」 고향-제주도를 찾아서

           

1.나의 고향집 

           

비행기에 몸을 맡기면 
두시간이면 가닿을 고향땅을
예순해를 넘겨서야
간신히 밟았구나 

여기서 태여나신 할아버지와 아버지
큰오빠와 조카들이 나서자란 곳
대대로 지켜온 서귀포의 
꿈결에도 찾던 나의 고향집

밀감밭에 둘러싸인 내 고향집엔 
대문이 없었어라 쇠도 없었어라
그 언제건 돌아오라고
량팔 벌려 기다려준 정다운 집

앞마당에 들어서니
무르익은 밀감이 나무마다 주렁주렁
달콤세큼한 향기 날리며
어서 오라 반기며 맞아주는듯

등뼈가 휘도록 일하여 번 돈으로
수십번을 보내신 모나무며 농기구들 
부모님의 정성과 큰오빠의 피땀이 
밀감풍년 이루어 우릴 맞아주었구나

한쪼각 입에 넣어 씹어보았더니
삽시에 입안에 퍼지는 달달한 맛
난생처음 먹어본 고향집의 감귤맛에
코허리가 찡하여 목이 메였네

이 집에서 식구가 오순도순 모여 살 
그날만을 꿈꾸다 운명하신 우리 아버지 
반백년이 지나도록 풀수 없던 그 소원 
어이하여 우린 갈라져 살아야만 했던가

터질듯한 아픔과 상봉의 기쁨으로
눈물 젖은 큰오빠의 손 덥석 잡으니
파아란 고향하늘은 푸근한 빛 뿌리며
내 가슴 후련히 녹여주는구나




2.바다가 보이는 언덕에서
               

아버지,옥녀가 왔어요 서른해만에
어머니,저예요 알아보시겠나요?
못난 이 딸의 큰절을 받아주세요

불효자식이라 욕해주세요
못된 딸이라 꾸짖어주세요

그래도 이 딸은 
부모님의 부끄럽지 않은 딸이고싶어
이를 악물고 오늘에야 왔습니다

아버지,어머니
서귀포 앞바다가 보이네요
수평선 저멀리 고기배가 서서히 가네요

죽어서도 고향땅에 묻어달라 당부하신
부모님의 소원대로 여기에 모셨대요
바다가 보이는 풍치좋은 공동묘지에

생전에 그토록 큰오빠를 찾으시더니
돌아간 후에야 큰오빠를 독점하셨네요
꼭꼭 벌초도 하고 술도 올린다지요

저는요 어느새 손자가 다섯이예요
정년의 그날까지 열심히 일했어요
부모님앞에 가슴펴고 서고싶어

남들이 부모님의 묘지 찾을 때면
내 신세가 왜 이 꼴이냐고 
한탄도 하고 남들 부러워만 했어요

하지만 이젠 마음이 푹 놓입니다
이야기로만 듣던 그리운 고장에서
고향바다 바라보니 속이 시원하네요

아버지,어머니 저희 걱정은 마세요
이제는 하나로 이어진 우리 식구
만시름 놓으시고 편히 잠드십시오


3.개민들레꽃

          

어머님 산소를 벌초하더니 
봉분우에 애기꽃 피여있었네
새노랗고 어여쁜 서너치 잡초

꽃이름이 뭐냐고 물어봤더니
마을사람 다정하게 말해주었지 
외국에서 들어온 개민들레꽃이래요

바람타고 날아왔나
구름타고 날아왔나
너무너무 이뻐서 뚫어지게 봤지요

내 고향 제주도 어딜 보나 절경인데 
엄마의 봉분이 그리 좋아 여기 왔나
개민들레 개민들레 고마운 꽃이여

동백이며 코스모스 피는 꽃도 많지만
울 엄마 섭섭찮게 함께 해준 개민들레
조심조심 따고서 책갈피에 끼웠네

내 비록 또다시 이 땅을 떠나지만
개민들레 너와 함께 고향땅 안고 가리
그리울 땐 널 보며 엄마모습 떠올리리
      

4.헐어진 남비 하나
       

고향집 여기저기 들여다보다 
널찍한 부엌에도 들어갔더니
가스콘로우에 남비 하나 놓여있었네

몇십년을 쓰고쓴 남비일가
이제는 다 헐어진 남비 하나
뚜껑을 살짝 열어보았더니
먹다남은 된장국이 들어있었지

이 남비로 할머니가 국을 끓이셨고
식구 위해 큰올캐는 거친 손으로 
몇십년을 국 끓이고 반찬 장만했겠지 

큰딸은 미국에서 교수가 되고
아들은 서울에서 교편 잡고
기자 된 막내는 부산으로 갔으니
하나 가고 둘 가고 올캐마저 영영 떠나 

홀로 된 큰오빠는 이 부엌에서
아침저녁 어떤 심정으로 밥을 짓고
이 남비와 함께 날과 달을 보내였을가

넓은 부엌의 가스콘로우에 
쓸쓸하게 놓인 헐어진 남비 하나
먹다 남은 된장국이 들어있었네


5.겨울을 이겨내면
          

고향집 옥상에 올라 
사방을 둘러다보니
오붓한 마을이 한눈에 안겨오네

천천히 흐르는 고요한 고향시간
어린애마냥 큰오빠의 팔에 매달려 
그저 앉아있기만 해도 기쁘기만 하네 

술 좋아하는것도 큰소리 좋아하는것도
머리숱 적은것마저 아버지를 하도 닮아
은근히 생각했네 피줄은 속일수 없다고 

이 이야기 저 이야기에 꽃이 피니
몇십년의 공백이 삽시에 매워지는데
큰 항아리 가리키며 돌연히 하는 말

오빠가 일곱살적 할머니와 둘이 살 때
내가 태여난 바로 그 해의 <4.3사건>
토벌대놈들 우리 집에도 쳐들어왔다는데

위기일발의 순간 큰 항아리로 푹 덮어
오빠를 숨겨 살리신 기지에 찬 할머님
그 이야기 처음 들으니 가슴이 섬찍했네

할머니가 아니였으면 이 세상에 없다고
호탕하게 웃는 오빠가 더 가엾어서
그만 눈물 떨구고만 이 못난 동생 

얼마나 겁이 났을가 얼마나 두려웠을가
일곱살 어린 나이에 피바다를 보았다니 
오빠가 걸어온 파란만장한 인생의 1페지

이제 떠나면 또 언제 만나게 될지
밥은 어떻게 해먹고 빨래는 언제 하려나
점점 추워질텐데 온돌은 누가 피우나

이 걱정 저 걱정에 가슴 쓰린데
태연한 큰오빠는 오히려 날 웃기려
우스개소리 찾으며 하고 또 하네 

칼바람 부는 이 겨울을 이겨내면 
우리 다시 꼭 만나게 될거죠?
화창한 새봄을 함께 맞아야지요 오빠!



        끝




「記念詩」故郷―済州島を訪ねて


1.故郷の我が家  
           
飛行機に身をまかせれば
2時間で辿り着く故郷の大地を
60数年の歳月をかけて
やっと 踏みしめた

この家で生まれた 祖父と父
長兄と甥たちが生まれ育った処
代々守ってくれた 西帰浦の
夢にも捜し求めた ふるさとの家

密柑畑に囲まれた故郷の我が家には 
門がなかった 鍵もなかった
いつでも帰っておいでと
両腕ひろげて待っていてくれた

庭先に足を踏み入れれば
たわわに 実った 密柑が
甘酢っぱい香りを漂わせ
うれしそうに 迎えてくれた

背中が曲がるほど はたらき続け
数知れず送り続けた 苗木や農機具
両親の深い思いやりと 長兄の汗と涙が
密柑畑に豊作をもたらしたのか

密柑をひと粒 噛みしめると
またたくまに広がる 蜜のような甘さ
生まれて初めて食べた我が家のみかん
なぜだか 胸がつまり 涙が溢れた

家族がいつも集い 笑い 泣き 助け合う
唯 それだけを夢見て生きた 父と母
その夢叶わず 異国の地で果てた悔しさ
ひとり佇む長兄はすでに70を越えたのに

張り裂けそうな痛みと 再会の喜びが交差し
涙でくしゃくしゃになった兄の手を取れば
真っ青な故郷の空は 暖かいまなざしで
私の胸を やさしく 溶かしてくれた


2.海の見える丘で

            
アボジ、オンニョが来ました 30年ぶりに
オモニ、あなたの娘ですよ 分かりますか?
愚かなこの娘の 参拝を受けてください

親不孝者と叱ってください
馬鹿者と罵ってください

でもこの娘は
あなた方の恥ずかしくない娘でいたくて
歯を食い縛り 今日やっと海を渡りました

アボジ、オモニ
西帰浦の海が見えます
水平線の彼方に漁船が浮かんでいます

必ず故郷の地に埋めてと願われた
あなた方の想い通りこの地に祭りました
海の見える 風致麗しき 共同墓地に

生前あれほど長兄に会いたがっていたのに
今は長兄を独り占めしているんですね
雑草取りやお酒も欠かさないそうですね

私、いつのまにか 孫が5人ですよ
定年のその日までがむしゃらに働きました
あなた方の前で 胸を張りたくて

友人たちが両親の墓参りに行くたび
なぜ私は行けないのかと嘆きもし
他人を羨んでばかりいました

でも やっと 安堵しました
子守唄のように聞いていた懐かしい故郷で
美しい海を見ていたら心が和みました

私たちの心配はもうしないで下さいね
やっとひとつに繋がりました 家族が
全ての憂いを忘れ安らかにお眠り下さい


3.鬼タンポポ
            

オモニのお墓で 雑草を刈っていたら
墓地のてっぺんに愛らしい花が咲いていた
黄色くて ちっちゃな 10cmほどの花

花の名前を尋ねてみたら
村の人が親切に教えてくれたっけ
外国から飛んできた鬼タンポポだそうな

風に運ばれてきたのか
雲に乗ってきたのか
あまにりにも愛らしくてじっと見つめた

ふるさと済州島は 何処を見ても絶景なのに
母のお墓がそんなに気に入り舞い降りたのか
鬼タンポポ 鬼タンポポ 愛しい花よ

椿に コスモス この地に花は多々咲けど
母と共に過ごしてくれた 優しい花
鬼タンポポ そおっと摘んで押し花にした

たとえ ふたたび この地を離れても
鬼タンポポと共に 故郷を胸に抱いて帰ろう
恋しい時 おまえを見つめ 母を思い出そう


4.古びた鍋ひとつ
           
故郷の家の いくつもの部屋を覗き
広々とした台所にも 入ってみたら
ガスコンロの上に ぽつんと鍋ひとつ

何十年使い続けた鍋だろうか
今はすっかり古くなってしまった鍋
蓋をそっと開けてみると
食べ残しの味噌汁が入っていた

この鍋で祖母は 兄のためおつゆを作り
畑仕事で荒れた手で兄嫁は 数十年の間
家族のため 食事の支度をした事だろう

長女は留学したアメリカで教授になり
教師になった息子はソウルに赴任し
記者になった末娘は釜山に行ってしまった
ひとり去りふたり去り 愛妻まで先立ち

また一人ぼっちになった長兄は
朝晩どんな気持ちで食事を作り
この鍋と共に月日を過ごしたのだろうか

広すぎる台所の ガスコンロの上に
寂しそうに置かれた 鍋ひとつ
食べ残しの味噌汁が入っていた


5.この冬に打ち勝てば
       

ふるさとの家の 屋上にあがり
周りを見渡せば
こじんまりとした村が眼下にひろがる

ゆったりと流れる静かなふるさとの時間
子供のように兄の腕にしがみつき
ただ座っているだけでもこみ上げる喜び

お酒が好きで 怒鳴ることが好きなのも
髪の薄いのまでアボジにあまりにも似て
ひそかに思った 血筋には逆らえないと

あの話この話に 花が咲き
何十年の空白が瞬時に埋め尽くされたとき
大きなかめを指差し兄が突然話してくれた

七歳の時 ハルモニと二人暮らしだった時
私が生まれた まさにその年の<4・3事件>
討伐隊が我が家にも襲ってきたそうだ

危機一髪の瞬間 大きなかめをスッポリかぶせ
兄を匿い助けた 機知に溢れたハルモニの話
初めて聞いたその話に 胸は どきどき

祖母の助けがなかったらこの世にいなかったと
豪快に笑う兄が なお 痛ましくて
おもわず涙をこぼしてしまった 馬鹿な私

どれほど 恐かっただろう 心細かっただろう
七歳で すでに 血の海を見てしまったなんて
長兄が歩んできた 波乱万丈な人生の1ページ

今日 去れば また いつ会えるだろうか
食事はどうするのだろう 洗濯はいつするの?
寒さは段々増すのに オンドルは誰が焚くの?

あの心配この心配で胸は痛むばかりなのに
何食わぬ顔で 兄は 妹を笑わせようと
笑い話を懸命にしつづける

木枯らし舞う この冬を打ち勝てば
私たち またきっと 会えるよね?
暖かい新春を一緒に迎えねばね 兄さん!



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4月13日、423回目の「火曜日行動」です。

2021-04-13 18:10:00 | 火曜日
今にも雨が降りそうな空でしたが、なんとか持ちこたえてくれた423回目の「火曜日」です。


今日のレポーターはハルモニ会の平田さん、写真撮影は松尾さんです。今日も心を一つに合わせ発信してまいります。



火曜バンドは不滅です‼️



長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

府庁で働いている皆さん、ご通行中の皆さん、こんにちわ

子ども達の笑顔を奪わない、その一心で2012年から続けている火曜行動です。コロナ禍の中で、火曜行動も時間を30分に短縮、ビラは配らないなど悩みながら続けています。子ども達が、自分が何ものかを知り、自分のルーツに誇りをもって当り前に大きくなる、これは国連の子どもの権利条約にもあることです。

在日朝鮮人が朝鮮人として当り前に生きている場所が政府・府の政策で奪われつつあります。それに抗して支援しようと沢山の仲間が集まってきています。私達の社会の根本、民主主義の問題です。植民地支配をし、侵略戦争をしてきた、そのことと向き合わずにこれからの日本社会を作ることはできません。

この火曜行動にはいろいろの人が参加しています。厳しい中で朝鮮学校を守っている保護者の方、教員の方、支援のため集まっている様々な立場で活動している日本人の方たちです。社会は大きく揺らいでいます。

森友・加計問題などまるで過去のようにされていますが結着していません。沖縄は基地造設の見込みもないのに土砂が投入されています。こうした中、この火曜行動に集まって手をつなぎ、人間が人間としてお互いを認め、お互いの輝きを増しています。今日もマイクを渡し、リレートークをしていきます。




陶山さんがマイクを持たれました。

陶山さん

私は約50年前に大阪にやってきて教員として働いていました。大阪に就職するんだったら差別の問題を勉強しないといけないと言われました。そうの問題ですね。それからいろいろな差別、あらゆる差別を知り、全部の差別をしない、させない、許さないことが教育の方針としてありました。そしてそれを頑張って実践してきたつもりです。

先日、新聞記事にこんなのがありました。文科省が、今教員になりてが少ないので、学校現場に希望をもって就職できるようにと”教師ハッシュタグ”というのを作ったそうです。ところが届いたメールは、学校現場のしんどさを訴えるものがほとんどでした。もうほとんどブラック企業です。朝早くから夜遅くまで、そしてこのコロナ禍では子ども達が来る前に教室を消毒し、帰った後もまた消毒です。給食も食べられない状況です。ほとんど土日がなく、もう過労死寸前だ。やっと就職したけれど思い描いた教師生活がない。現場はこんなに厳しいのか。ハッシュタグにはそういうことが沢山つづられていました。

それに対し文科省がいった言葉は、それでは教員の働き方改革をするというのですよね。
教員の現場の声を今まで全然聞いてこなかったわけですよね。この40年、ずっと少人数学級を言ってきた。人数を減らしたら子ども達ともっと対面して話、学べる。そのための教員を増やすこと、周りの環境を整備せよと言い続けてきた。一切無視して、強制することばかりを押し付けてきた。

日本政府の中に子ども達がどうとらえられているのか。教員、子供を支配し、そういうことを通じて、戦争の方向に向けられるのではと思わざるをえません。

本当にいい政治とはなにか。子ども達、住んでいる人たちが安心して生きていける、学んでいけることが行政の仕事だと思います。

朝鮮学校への差別を止め、一人でも多くの人が大阪に住んで良かったそう思えるしごとをしてください。




南大阪の1パーセントの底力の伊関さんがアピールされました。

伊関さん

1%の底力で朝鮮学校を支える会の伊関と申します。私達は日本人の会なんですよ。給与の1%を出し合って朝鮮学校の民族教育を支えようと頑張っています。

具体的には南大阪のアプロハムケに所属して、南大阪初級学校の子ども達と一緒に活動しています。5月は田植えをし、秋には刈り取って出来た米を朝鮮学校の給食に使ってもらったり、学校行事の中で使ってもらったりしています。

なぜ私がこういうことをするのかと言うとですね、これは同情とか、差別とか、差別は嫌ですけどね、そういうだけの問題じゃないんです。大阪の未来、活力のある共生社会をつくっていきたいと思っています。

発展の原動力だと思っています。大阪のやり方は間違っていると思います。2025年日本大阪万博・・命輝く未来社会のデザイン・・こういうことを書いています。

今、コロナが流行っていて、吉村知事、よく聞いてほしいんですけど、大阪が感染者数トップなんですよね、万博にお金をかけているのか、大型開発にお金をかけているだけなのか、コロナにかける対策費がものすごく小さい。

朝鮮学校の補助金をカットし、無償化で差別し、大型開発にかけているのかなになのか。コロナ禍で大阪でも多くの人が亡くなっている。”命輝く未来社会のデザイン”これ、ブラックジョークに思えてしまいます。差別を止る。活力ある大阪の未来のため決断してほしいです。火曜行動に参加されている皆さん、今後とも手を取り合って頑張っていきましょう。




アピールをされる南野さん!
南野さん

No Base!沖縄とつながる京都の会の南野です。

一度参加したいと思っていて、参加させてもらいました。大阪府・市が維新になってから様々な社会的弱者をいじめていくことが見られます。

私は東大阪で街角ディハウスというのを2000年にから運営してきました。街角ディハウスを本当に市民、高齢者が自分たち自身でお互い支え合う社会を作っていくためにつくったんですけどつぶされました。それが潰されて、3年前大阪府の監督事業にされそれ自身も潰されました。大阪府・市はこの庶民の生活を破壊し、権利を奪い取るということを進めてきたと思います。

4月から京都の火曜行動がコロナ禍でお休みなので今日はこちらに参加させてもらいました。






最近ずっと参加されている大野さんもマイクを持たれました。

大野さん

ごくろうさんです。昨年秋から参加していますが、一度参加すると行かずにおれません。
コロナ禍で何をするねんとお思いかもしれませんが、それだけ切実な声なんです。朝鮮学校を差別するな、在日朝鮮人を差別するな、この一言であります。

大阪では感染者が1000人を突破すると思っています。吉村知事の決断力はすばらしいけど、内容が判断力にとぼしい。早くに緊急事態宣言を解除し、今度は来週にも緊急事態宣言をと言っている。一日も早く具体的な手を打って、大阪府民の命を救ってほしい。働いている皆さんにお願いします。



大村さんもマイクを持たれましたよ。

大村さん

423回目となりました。
今私が一番言いたいのは、最初に補助金を止めた橋下前知事の発言について思うんですね。

テレビなんかでよく取り上げられている、アメリカでのヘイトクライムの問題ですね。これがいっぱい出てきています。差別を受けていたアフリカ系への差別が、コロナ禍のなかでアジア系に向けられています。

いっぱい報道されていますが、日本の差別はどうなのか、もっと出してもらえないのかと思うんです。その番組で橋下前知事が言っていました。日本にも差別はある。それを克服するのは幼児教育、教育で差別をなくするようにしていくことが大事と言っていました。10年前、どんなことを言って朝鮮学校の補助金を切ったか、よく言うと思いました。日本ではヘイトクライムがスルーされてしまいます。

DHCの会長の発言問題もありました。国が地方行政が差別をするから、感覚がマヒしていくんです。これだけは言いたいと思います。



オモニたちが先頭に立ってみんなでシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が始まりました。



最後は歌舞団のチョさんの音頭で「勝利のその日まで」をみんなで合唱しました。



なんとか雨に当たらず済みました。


駐輪場での申し送りです。


歌舞団の皆さんが4月29日に統國寺で11時から、14時から、17時からと3回行われる「春のコンサート」の案内をしました。チラシを見て予約してくださいね。



南大阪地域の伊関さんからもアピールがありました。チラシを見てくださいね。



コロナ感染者が急激に増えて大阪で千人を超えたことを含め、まじかでも感染者が増えつつあることを懸念し、5月の連休が終わるまで「火曜日行動」を中断することが伝えられました、残念ですが、、、



4月20日、27日、5月4日の3回です。



このブログを読まれた方はお近くのお友達にも知らせてあげてくださいね。よろしくお願いいたします。


火曜バンドの古賀さんと井上さんが4月9日文科省前で行われた「金曜行動」に参加されて、アピールや演奏もされ連帯の思いを伝えられました。



それでは連休明けにまたおめにかかります。
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