ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

7月27日、434回目の「火曜日行動」です。

2021-07-27 15:04:00 | 火曜日






すっかり夏です。今日のレポーターはハルモニ会の井上さんと横道さんです。



写真撮影は松尾さん、今日も心一つに発信してまいります。



長崎さんの第一声です。

長崎さん

 府庁でお勤めの皆さま、ご通行中の皆さま、こんにちは。

 子どもたちもいよいよ夏休みに入りました。炎暑の中、公的援助がない朝鮮学校は、エアコンが無く、それぞれの学校が資金を集め、地域の同胞の人たちが協力し、各学校でエアコンをつけて来ました。先日は、北大阪でエアコンがつけられたという報道がありましたが、本来なら教育の権利として、安全に学ぶ権利として、地震の多い日本に於いて耐震工事をすることへの援助も全国の自治体の中でなかなか行われていません。しかし、東京では、朝鮮学校が校舎を建て替える時に耐震工事をする時には補助が出ています。

 全国的に見て、耐震工事に全く援助がされていないのは大阪府です。全国で最も多くの在日韓国、朝鮮の人たちが暮らし、かつては最も早く朝鮮学校への補助金支給を決めて来た大阪が今、全国の中で後れをとっていること、こうしたことを皆さんに知っていただきたくて、毎週火曜日、ここに立っています。

 子どもたちが自分のルーツや、なぜ日本で暮らしてきているのか、そうしたことを誇りをもって学び、日本社会でいきいきと生きていくために学びの場を守っていく、子どもたちの夢と希望を大人が奪わない、今日もたくさんの人たちが参加しています。北大阪と城北のハッキョのソンセンニムがみえています。

 それでは、初めに平石さんの方からアピールをお願いします。



火曜バンドのリーダー古賀さんが病をおして駆けつけてくださいました。ありがとうございます。



平石さんがマイクを持たれました。

平石さん

 皆さん、こんにちは。学校関係者の方々には、私たちには理解できないような苦労をされていることと思います。私たちの力不足を日本人として謝らなければならないという気持ちにいつもなります。ここでは皆さんが差別や国の施策などについては述べられているので、私はそれ以外のことを話します。

 ご存知のように、あのバカげたオリンピックが始まりました。8割近い国民が中止、または延期を求めているのに、その声を無視してオリンピックをしています。8月初めには感染者は一日3,000人出るだろうと、それから1週間で4,000人になるだろうと、そのような状況下で菅政権は、自らの延命のためだけにオリンピックを開いています。呪われたオリンピックだと言われています、同感です。

 今は被災者のひの字も言いません。コロナに打ち勝った証と言ってますが、観客入れずにもう負けてるじゃないですか。選手にも感染者が出ています。コロナに負けているオリンピックです。IOCのバッハが言うように、日本の国民は平気だなどとバカなことを言ってもらっては困ります。私たちは、オリンピックのことよりコロナ感染を少しでも防ぐことを国に求めること、様々な差別政策を改めること、に力を注がねばなりません。

長崎さん

 城北ハッキョよりキム校長先生がおみえになっていますので、お願いします。




城北初級の金校長先生がマイクを持たれました。

金校長

 アンニョンハセヨ。現在、城北朝鮮初級学校の校長をしております金哲と申します。校長であり子どもを朝鮮学校に送る保護者でもあります。一番上の長女が東京小平市にある朝鮮大学校に通っております。長男が大阪朝鮮高級学校、高校の部の2年生です。そして末っ子の次男が大阪朝鮮中高級学校中級部の2年生です。

 この子たちはもちろん私も日本で生まれ日本で育ち、日本の国民と同じような義務をすべて果たしております。にもかかわらず朝鮮学校に通う子供たちには一つも還元されないという状況が長く長く続いております。これに対し私たち当事者は当然に怒りも覚え、是正しなければならないと声も上げるのですが、日本の方々に一番知っていただきたいのは、見えるものを見ない、あるものをあるものとして見ない、こういう姿勢は一番いけないことだと思います。こういうことはすべて自分に還って来るということを常に思わなければいけないと思います。社会の一員として、社会にしっかり目を向け、正しいことは正しいこと、正しくないことは声を上げて正していかないとすべて自分に還って来るのだと、常々思います。

 大学もコロナの困難の中、その支援から朝鮮大学の学生だけが外される、高校無償化から朝鮮学校だけが狙い撃ちのように外される、幼保無償化からも外される、こういったことが長く続いていること自体がいびつな社会になっている証だと思います。

 これを是非みなさんの力で正していきたいと思います。これからも声を上げてまいりますのでよろしくお願いします。


長崎さん

 コマッスムニダ それでは、次に北大阪のソンセンニムからのアピールお願いします。



北大阪の朴先生がマイクを持たれました。

北大阪のソンセンニム

 今日、北大阪初中級学校の教員一同、この府庁前に集まりました。
 教員の中には、学生時代からこの場に立って火曜日行動行なっていた方もいます。何年続くのかと腹立たしいし、一日も早く我々の権利が行使されることを願っております。

 皆さん、闘いは長くなりますが、引き続き一緒にがんばりましょう!





大阪第4初級の高先生もマイクを持たれました。

☆第四初級のソンセンニム

みなさんこんにちは。
私達は夏休みしか参加できないのですが、頑張って参加しています。
先々週の大雨の日、チェーサー(第四初級学校)の講堂が大変なことになりました。雨漏りが酷く水浸しで滝のようになりました。
こども達と一緒に何度も雨水をかい出して掃除しました。大雨が降る度に生徒達は「ソンセンニム講堂を見にいこう!」「チェーサーを守らなあかん」と言って雨水をバケツで何度もかい出して掃除をします。

オリンピックが行われていますが、安昌林選手が銅メダルを獲得する快挙がありました。彼はウリハッキョで育った選手です。
わたし達はこども達に朝鮮人の誇りと自尊心を養ってあげたいと心に固く思っています。
しかし、学校の経営は本当に大変で、こども達の学ぶ権利が揺らいでいます。
みなさんのご協力があれば、もっともっと国際社会に対応していける、こども達がたくさん育っていくことと固く信じています。これからもよろしくお願いします。


☆長崎さん

ありがとうございます。チェーサーの公開授業の時にオモニ会の会長さんが、雨が降ると、先生方は休みの日でもハッキョに駆け付けて、ハッキョを守ってくださっていると仰ってました。
本来の権利として、保障されるべき補助金の再開を求めていきたいと思います。




オモニたちのシュプレヒコールと合唱が始まりました。

☆オモニ

アニョンハシムニカ。毎週ほんとうにお疲れさまです。
今日は東大阪初級学校の幼稚園から6人のオモニが来ました。それから私達の希望、2歳の男の子もオンマにだっこされて来ています(^0^)
この子の持っている夢と未来を守らなければいけません。

府庁のみなさんだけでなく、周りのみなさんも私達の活動をよく見てください。何年も続いているこの活動、もうそろそろ終わりたいです。これを未来のこども達に引き渡す訳にはいきません。
府庁の方々、いまオリンピックで国際化とか多様性とか言っていますが、一番守れてないのは皆さんの方ではないでしょうか。
国内でどれだけ差別を黙認していますか。国際社会を目指すには先ず国内の差別を無くしていくことです。

わたし達オモニはコロナ禍のなかでも、毎土曜日に給食を欠かさず行っています。こども達は「オモニ コマスムニダ」の笑顔で言ってくれます。幼稚園の子でも母国語でしっかり挨拶をしてくれます。この礼儀正しさと人間性を朝鮮学校で学びます。

わたしの子どもは今、年長です。去年まで公立の保育園に通っていました。31人の大勢の中で育っていましたが、朝鮮学校幼稚園の年長クラスに転入して来ました。クラスはたった3人です。それでも、ものすごく伸び伸び育っています。母国語で色んなことを先生と話したことを楽しそうに話してくれます。人数は少なくても心は大きく育っています。
その様子に朝鮮学校の幼稚園に送って良かったと心から思います。わたしは一切後悔ないです。
幼保無償化の助成金が出ていないから、費用は高いです。
府庁のみなさん! この現実をぜひ、その目でしっかり見てください。

7月31日(土)「オモニキッチン」という催しをします。コロナ禍でこれまでの納涼大会ができません。オモニ達が知恵をしぼって「オモニキッチン」を開いて財政を助けたいと思っています。テイクアウト形式ですが、ぜひおいでください。オモニ達が丹精込めて前日から仕込みをします。みなさん! この思いをぜひ受け取ってください。朝鮮学校は愛があふれています。その愛をぜひ見てください。
わたし達は負けません。最後までたたかいます。コマスミダ。


☆長崎さん

オモニの心からの訴えでした。コマスムニダ。


☆オモニと共に歌とシュプレヒコール

歌♪♫「声よ集まれ 歌となれ」
 
シュプレヒコール     
・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ
・朝鮮学校の子どもたちを差別するな
・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ
・朝鮮幼稚園に幼・保無償化を適用せよ
・朝鮮学校に補助金を復活せよ
・行政が差別するな




最後に大村さんがマイクを持たれました。

☆大村さん

 府庁で働いていらっしゃるみなさん、ご通行中のみなさん こんにちは。

 今日は7月27日。みなさん 何の日かわかりますか?
 ここに参加されてるチョソンサラムはご存知だと思います。
 朝鮮戦争が休戦協定を結んだ日です。1953年7月27日板門店で休戦協定が結ばれました。その休戦協定が今もまだ続いているわけです。戦争状態がずっと続いているということです。

 この朝鮮戦争についてわたし達日本人はあまりにも無責任ではないでしょうか。朝鮮戦争がなぜおこったのか。日本が植民地支配をし、朝鮮半島全域を支配した。
そして日本の敗戦で朝鮮半島は解放されましたが、南北に分断政治がおきる。そして1950年6月朝鮮戦争がおこったのです。そして今も38度線を境に分断されているわけです。

 日本が植民地統治をしなかったら、朝鮮戦争がおこらなかったら。そのように歴史に目を向けていくと、どうして日本に朝鮮学校があるのか、ということを考えなくてはいけないと思います。

 日本人は、あまりにも歴史認識、人権感覚に乏しいと言うことが、今のオリンピックのことで露呈してきましたね。
日本では差別発言をしても、それが許される。そういうことがあるからこそ、今オリンピックで世界から指摘され批判される。

 日本人の歴史認識と歴史教育をもっとしっかりしなくてはいけないと、いつもここに立ちながら考えます。
それでは、 そういう思いをこめて、絶対に諦めないという思いで歌います。




最後の合唱は「勝利のその日まで」‼️



いつものように駐輪場での申し送りです。チョグッスンさんが今日はゼリーを凍らせて持ってきてくださいました。



何時も火曜行動に来てくださって必ずアピールをしてくださった洪貞淑さんがお店を持たれたそうですよ。お近くの方は是非ご購入ください。^_^

東大阪初級学校からのご案内です。


いよいよ435回目は8月に突入します。また来週おめにかかりましょう。^_^

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ニョニョの日記詩(94~100)

2021-07-26 16:42:01 | 詩・コラム
ニョニョの日記詩(94~100)終






日記詩94
ありがとう Lさん!


いつも「火曜日行動」を
遠くから応援して下さっている
埼玉県在住のLさんが
アコーディオンを送って下さるそう
それもエキセルシアーの120ベース
最高級品のアコーディオン‼️
火曜バンドに連絡を取り
有り難く受け取ることになった
全国から激励のメールをいただくが
アコーディオンの贈り物は初めて
全国の友人たちが
朝鮮学校無償化除外に胸を痛め
いろんな形で応援して下さっている
ありがとう Lさん‼️
あなたのご好意を 折角のご厚意を
決して無駄には致しません
「勝利の日」を
あなたのアコーディオンと共に
必ずや迎えることでしょう‼️





일기시94
고맙습니다 L씨‼️


언제나 「화요일행동」을
멀리서 응원해주고 계시는
사이따마현에 거주하시는 L씨께서
손풍금을 선물해주신다는 련락을 주셨다
그것도 에키세르씨아의 120베쓰
최고급품의 손풍금‼️
화요일벤드와 련락을 취하면서
고맙게 받기로 했다
전국에서 격려의 멜을 많이 받지만
손풍금의 선물은 처음이다
전국의 친구들이
조선학교무상화제외에 가슴 아파하고
여러가지 형태로 성원을 보내주신다
고맙습니다 L씨‼️
그대의 호의를 모처럼의 후의를
절대로 헛되이 하지는 않겠습니다
「승리의 날」을
그대의 손풍금과 함께
반드시 맞이하고야 말것입니다 ‼️






日記詩95
依頼


嬉しいなぁ
読み聞かせの依頼がきた
何年振りだろう
テイクアウト提供の依頼もきた
初めてのことだ
嬉しいなぁ
こんなハンメにも
まだまだできることがあると
元気をくれた依頼‼️
どんどんこき使ってください
頭が錆びないように
子どもたち孫たちのためなら
惜しいものは何もないのですよ^_^






일기시95
의뢰


신이 나요
랑독의 의뢰가 왔어요
몇해만일가
포장판매 제공의 의뢰도 왔다
처음 되는 일이다
신이 나요 기뻐요
이런 할머니라도
아직도 할수 있는 일이 있다고
기력을 보태준 의뢰
계속 부려먹어야 해요
머리가 녹쓸지 않도록
아이들 손자들을 위해서라면
아까울건 아무것도 없답니다^_^






日記詩96
大失敗‼️


朝から大失敗!
通学班と学校に向かう途中
帽子を忘れたことに気付き
先に行ってもらって家に取りに帰る
走って追いかけねば追いつかない
だけど走りはこの世で一番難しい
自転車に乗ったまでは良かったけど
前に進まない 充電器が抜けてる
還暦の日から乗っている電動自転車
充電器が抜けていればかなり重い
この10年のあいだ電動自転車に
どれだけ頼りっぱなしだったことか
重さを1まで下げて一生懸命漕ぐ
やっと追いつくももう既に半分過ぎ
通学班の子ども達は理由を知らない
汗だくだけど涼しい顔で一緒に歩く
ああ 情けない情けない
何かに頼るって 結構しんどいなぁ


일기시96
대실패‼️


아침부터 대실패!
통학반과 함께 학교 가는 길에
모자를 잊은것이 생각나서
먼저 가라 해놓고 집으로 되돌아갔다
달려서 안가면 따라잡지 못한다
하지만 달리기는 세상에서 가장 어려워
자전거를 탄것까지는 좋았는데
앞으로 나가지 않는다 충전기가 빠졌다
환갑날부터 타기 시작한 전동자전거
충전기가 빠지면 아주 무겁다
이 10년세월 얼마나 기대여 살았을가
무게조절을 1까지 내려 필사로 몬다
겨우 따라잡았을 땐 반까지 왔다
통학반의 아이들은 리유를 모른다
땀투성이지만 시원한 표정으로 함께간다
아아 한심하다 한심하다
뭔가에 의존한다는건 제법 힘이 들구나






長東日誌415ページ完読!


胸が痛い !でも李哲さんの楽観的思考方式に救われた。
鋼鉄はいかに鍛えられたか
名もなき普通の人を
鋼鉄のような意志を持った鉄人に育てたのは何だったのか
今なお外勢による分断を強いられている我が民族、
1日も早く終止符を打たねば、、、
子どもたちや孫たちに二度と
このような悲しみを残してはならない!
素晴らしく、逞しい人生を歩んでこられた方々が
すぐそばにこんなにも大勢いらっしゃったことに
感謝しかありません。






日記詩97
諦めなければ大丈夫‼️


たった一言
「諦めなければ大丈夫」‼️
大先輩の一言の激励が
奇跡を呼び起こした
体操選手の北村くん18歳
大事故で全治3ヶ月を宣告され
絶望と悲しみの中
大先輩の一言が彼を振るいたたせた
「諦めなければ大丈夫」‼️
その想いで血を吐くように頑張り
1ヶ月で完全復帰した
国家代表選手の切符を手にした
魔法のような一言が人を救う
思想も目指すものも違うけど共感
そう 「諦めなければ大丈夫」‼️
私もこの想いで立ち続けた
9年間 休むことなく大阪府庁前に‼️


일기시97
단념만 안한다면 괜찮아‼️


단 한마디
「단념만 안한다면 괜찮아」‼️
대선배의 한마디의 격려가
기적을 불러냈다
체조선수인 기따무라군 18살
큰 사고로 전치 3개월의 선고에
절망과 슬픔에 몸부림 치던데
대선배의 한마디가
그를 떨쳐일어서게 했다
「단념만 안한다면 괜찮아」‼️
오직 그 한마음으로 피를 토하는 노력
한달로 완전복귀를 해냈다
국가대표선수의 티켓을 얻어내였다
마법과 같은 한마디가 사람을 구한다
사상도 지향도 다르지만 공감!
그래요 「단념만 안한다면 괜찮아」‼️
나도 그 한마음으로 계속 일어섰다
9년간 빠짐없이 오사까부청앞에‼️







日記詩98
同級生


彼女は脚色演出で舞台を作り
彼はその作品を映像化する
なんて素晴らしいチームワークだろ
暗闇の中でカメラ回す彼を見ながら
つくづく思った 同級生って良いなぁ
大学の4年間 同じ教室で机を並べ
社会に出てからも 志 変わらず
作品を作り続ける同級生
50も近いと言うのに君たちは
いつも青春 キラキラ輝いている


일기시98
동급생


그녀는 각색 연출로 무대를 꾸리고
그는 그 작품을 영상화한다
참으로 멋진 팀워크로구나
어둠속에서 촬영기 돌리는 그를 보며
곰곰이 생각했다 동급생이란 좋구나
대학 4년간 한 교실에서 책상 나란히
사회에 나가서도 지향 변함없이
작품창작에 몰두하는 동급생
50이 바로 코앞인데도 그대들은
언제나 청춘 반짝반짝 빛나고있구나
(劇団タルオルムの公演を見て)






日記詩99
明日は100回目


今日は日記詩99の日
一日中用事があって
日記詩を書くの忘れていた
あっという間の99回目の日記詩
初めから100日書こうと
決めてはいなかったけど
こんなに続くとは思っていなかった
自分の周りには書きたいことが一杯
生活の全てが詩だ
99回 即興詩だったけど楽しかった
見る目も食べる口も聞く耳も
心が重なってこそ詩だと思う
少女のような素直さで
赤ちゃんのような無邪気さで
最後の日まで詩を書き続けたい


일기시99
래일은 100번째


오늘은 일기시99의 날
하루종일 바빠서
일기시 쓰는것을 잊었었다
눈깜빡할 사이에 다가온 99번째날
처음부터 100일쓰자 생각한건 아니지만
이렇게 계속 될줄 생각도 안했다
자기 둘레에는 쓰고싶은것이 태산같다
생활의 모든것이 시다
99번 즉흥시였지만 즐거웠다
보는 눈도 먹는 입도 듣는 귀도
마음이 합쳐져야 시라 생각되네요
소녀와 같은 순한 마음으로
애기와 같은 새하얀 마음으로
마지막날까지 계속 시를 짓고싶다






日記詩100
継続は力なり‼️


遂に来た100日目
頭が錆びないように
心が乾かないように
始めた日記詩
いつのまにか100日目
ただの生活の記録だったけど
楽しい日々だった
継続は力なり‼️
若い頃からの座右銘
これからもゆっくり歩いて行こう
周りの風景を楽しみながら


일기시100
지속은 힘이다‼️


드디여 왔다 100일째
머리가 녹쓸지 않도록
마음이 마르지 않도록
시작한 일기시
어느새 100일째
그저 생활의 기록이였지만
즐거운 나날이였다
지속은 힘이다‼️
젊을 때부터의 좌우명
앞으로도 천천히 걸어갈거야
둘레의 풍경을 즐기면서


    (おわり)

(またいつか書きたくなったら応援してくださいね。)







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7月20日、433回目の「火曜日行動」です。

2021-07-20 16:01:42 | お知らせ








真っ青な空が広がる火曜日です。今日も沢山の有志たちが府庁前に立ってくれました。










今日のレポーターはハルモニ会の陶山さん、写真撮影は松尾さんです。今日も心一つに発信してまいりましょう。








長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

 府庁でお勤めの皆さま、ご通行中の皆さま、いよいよ夏本番という日差しの暑さになっております。熱中症に気を付けながら、水分を取りながら、今日も433回目の火曜日行動していきたいと思います。暑い中ハッキョのオモニの皆さんやいろんな立場で朝鮮学校支援しようという思いをもって、火曜日バンドの皆さんは歌や演奏で私たちを元気づけながら行っています。

まずこの大阪で16日から18日まで、表現の不自由展がエルおおさかで開催されました。この不自由展には火曜日行動に参加されている多くの方々が、スタッフとして、実行委員として、参加者として駆けつけました。吉村知事は当初、不自由展が大阪で開催されるとなりました時に、エルおおさかに対して、するなと抗議が来たということを受けて、エルおおさかが中止をすると言ったことに対して、それを支持する発言をしました。愛知県の大村知事は、まず首長がするのは、表現の自由を暴力で奪おうとするときに、立場が違えばそれぞれの意見が違う、違う意見をそれぞれ出すことを、どの立場にも偏らずに認めるということだと言っていましたが、これこそが首長の役割ではないかと思います。

しかし吉村知事は当初これをやめさせろという立場に加担する立場で支持をしました。これに対して毎日新聞が取材をしたときに、一体どこが危険なのか、なぜこれが開催できないのかと質問した時に、そんなにしたいんだったら毎日新聞の会議室を使ったらどうだという発言をなさいました。

しかしこれに対して今回、私たちは司法の良心というと、2018年に全国で唯一、朝鮮学校が高校の無償化を裁判で訴えたときに大阪地裁で勝利をした、あの西田裁判官が下した全面勝訴が思い出されるのですが、今回も大阪地裁・大阪高裁・最高裁と迅速に表現の不自由展の開催を認める、エルおおさか側が危険だからできないという訴えを却下しました。迅速な司法の良心を見せました。

これを受けて、よし頑張ろうと実行委員の皆さんが覚悟を決めて、たくさんのスタッフと共に、コロナの情勢の中で1時間に50人ずつしか入場できない、整列をし、入る人に訴えをし、そしてヘイトスピーチを大きな街宣車でやってくる、そして向かい側に陣取ってヘイトスピーチを繰り返す、これに対してカウンターの人たちが表現の自由を守ろう、差別をやめよう、そんなプラカードを持ってエルおおさかの前に立ち、応援の方々が駆けつける中で、最終日には8時過ぎには300枚の券が売り切れてしまうという大盛況になりました。

今回の表現の不自由展が大阪で成功したということは、改めて、この朝鮮学校の勝訴の裁判がなぜ勝訴できたのかというときに、当事者としての想いの声とそれを支え続ける支援の輪、そして弁護団が一体となって勝訴を生んだわけですけども、今回の表現の不自由展にも、この火曜日行動に日頃から参加されているたくさんの方々の姿を見ながら、絆を新しく結びつく、そんな姿を見ることができました。

諦めない、大人が子どもたちにあきらめる姿を見せない、理不尽な形で朝鮮学校の子どもたちが未来に向けて学ぶ権利を奪われていることに対して声をあげ続ける、そんな姿がこの火曜日行動の中に流れているなと思います。リレートークをしていきます。
































大野さんがマイクを持たれました。

大野さん

 アンニョンハシムニカ。熱射病、日射病になりそうな暑さです。朝鮮学校に対する差別をやめさせたい、何としても在日朝鮮人、あるいは多くの困っている人たちに何ら手を差し伸べることなく平気でおれる、大阪の行政が、大阪府民としても情けない、恥ずかしい。

吉村知事、今やるべきは私たちに耳を傾けて、どうしたら少しでも前進するかということを考えてほしいなと思います。電車できたら、橋下徹さんの決断力という本の宣伝が各ドアに張ってある。大阪市の地下鉄に、橋下さんの宣伝やっているというのはおかしいですよ。

宣伝料とるのかどうかわからないけど、決断力、以前は交渉力、行動力という見出しで本を発行されていますが、これを見ると衆議院選に出るのかなと思いました。今菅さんと一番仲良しなのは維新の会です。私は出てほしくない。なぜかと言うと出て議員になるとほんとに日本の闇やなと思います。

思い起こせば橋下さんは、朝鮮高校のラグビー部員に、学校訪問した時、「おう頑張ってくれよ」と声をかけながら、そのあとすぐはしごを外した。私たちは信用できません。2014年だったと思いますが、市長当時に、在特会の桜井誠とテレビ応答して放映されました。見ていた中で威勢はいいです、差別はアカンとヘイトスピーチはアカンと、言いながら目の前で喧嘩になるような場面を創り出した。そこで大変な発言をしているのですよ。

桜井まことに対して味噌もくそも一緒にするなと発言されて、どういう意味かというと、韓国籍と朝鮮籍と一緒にするなと言っているのですね。朝鮮に対する差別を自分もしておきながら、韓国人に対するヘイトスピーチはアカンと言っている。この人の根底にある差別主義はダメだと思います。

コロナについても最近発言が多い。昨年1年ほど前にPCR検査をするべきだという意見があった中で、「PCR検査したら患者が増えて病院がパニクル」というのが政府の考えでもあったしあの人の考えでもありました。今思いますとPCR検査して、万が一、感染爆発しても初期の段階で処置できたと言うのが今までの経過を見て明らかだと思います。今また増えているが一緒です。

デルタ株によって蔓延する。緊急事態宣言またひかなければならないと思っています。オリンピックは2日後に開催となっていますが、アスリートも感染したと。試合するかどうかまだ決断してない。菅政権の決断力のなさ。だから橋下徹は突如衆院選に出ると発表すると勝手に思っています。橋下さんも吉村さんも松井さんも大阪をこんなに不幸にしてきて、日本中を巻き込もうとすることは絶対やめてほしいと思います。

朝鮮学校に対する補助を一刻も早く復活して朝高の授業料無償化、幼保無償化を、私たちの願いをくみ取っていただいて結論を出してほしいと重ねて申し上げて終わります。
































毎日新聞の記者さんのインタビューを受ける長崎さん。









火曜バンドリーダー古賀さんの代わりに頑張ってリーダーを務めて下さっている池辺さん‼️



































朝鮮大学の学生、任さんがアピールしました。

任さん

朝鮮大学校の2年生です。去年コロナで入学式ができず、9月に大学に行くことになりました。今年は4月から行くことができました。この4か月間FBなどで火曜日行動に参加しているトンポたちの姿を見て、毎週火曜日勇気をもらいながら、学校生活を送っていました。

頑張っているトンポたちの姿が変わらなくて、ほんとにすごいなと思いました。先週帰ってきたのですが、私は生野南支部に所属していて、この期間ハギハッキョの準備をしているのですが、子どもたちの姿がかわいらしくて、生野南支部の近くに住んでいて、ウリハッキョに通いたくても通えない、小学生たちのウリマル学びたいという姿勢がほんとにかわいくて、その子たちのためにもウリハッキョの子どもたちのためにもウリハッキョは絶対必要な存在だなとしみじみと感じました。

私はこれからもウリハッキョ守るために勉強頑張って、闘い続けたいと思います。



























朝鮮大学の金さんもアピールです。

金さん

今年度に入ってから九州の裁判が終わって残りは広島の裁判だけになったのですが、九州の裁判について自分たちで学習したり、広島の裁判が残っているので横断幕やメッセージを送ったりしました。

久しぶりに大阪に帰って火曜日行動に参加したのですけど、若い世代があんまりいないのが問題かなと思いました。同級生ももっと帰ってきているので全員が参加していないという問題があるので自分たちの力でもっと、若い世代が自分たちの問題として、ずっと継承していけるように、過去の当事者としてやっていけたらなと思います。

これから夏休み、9月初旬までいるので毎週参加していきたいと思います。
















保護者のオモニもアピールします。

オモニ

私の子どもたちはコリアタウンのど真ん中の第4初級学校に通っています。雨が降ると学校大丈夫かなと心配しています。少し前大阪でも大きな雨が降りました。さすがに私も心配になって学校の状況を見に行きました。あれは雨漏りのレベルではなくて、校舎の中に雨が降っている状態でした。

ほんとに補助金が打ち切られていなかったらもう少しまともなメンテナンスができたかもしれない。命がけで子どもたちが学校に通うこともないかもしれない。そう思うと腹が立つとか悔しいとかそういう気持ちよりも悲しい気持ちになりました。

私は政治のことはよくわかりません。けどわかることは大きな権力を使って弱い人たちを差別している、いじめているということはわかります。政治家の皆さんは自分の子どもたちに、いじめOK,差別OKて言っているのですか。そういう機会があるのならば、一度自分の胸に手を当てて考えてみてください。

自分がほんとにまっとうなことをしているのかどうかもう一度考えてください。

私たちは父の世代も祖父の世代も差別と闘ってきました。もう私たちの世代でおしまいにしたいです。このしんどい思いを次の世代に引き継ぎたくはないです。そういう気持ちでこれからも闘っていきます。少しでも耳を傾けていただいたらうれしいです。



























オモニたちを先頭にシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」‼️

    シュプレヒコール      
・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな

・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ

・朝鮮幼稚園に幼・保無償化を適用せよ

・朝鮮学校に補助金を復活せよ

・行政が差別するな




























大村さんのアピールと最後の歌は「勝利のその日まで」‼️

大村さん

 毎回毎回この暑い中でもみんな来て、あきらめないで頑張ろうと、先ほどオモニの話がありました。補助金が打ち切られてほんとに大変な状況です。暑い中プール指導があったりするけど朝鮮学校にはプールがありません。

先日やっと北大阪初級学校にエアコンが付きました。全く公的な援助がなくて、全国の皆さんに寄付を呼びかけて、やっとエアコンが設置されたのです。今年からやっと涼しい教室で北大阪の子どもたち、また広島の初中高級学校の子どもたちもクラウドファンデイングでやっとクーラーが付いた。そういう報告が先日ありました。

今また山口県で朝鮮学校のクーラー設置をクラウドファンデイングでやると、全国にたくさん朝鮮学校がありながら、公的な援助が全くないから、自助で共助で、子どもたちの教育環境を守ってきているわけです。

私学に比べるとほんとに少ない補助金でしたが、それでも補助金の打ち切りによって朝鮮学校は経済的にも危機な状況を迎え、子どもたちの数も減少していく、本当は子どもを朝鮮学校に行かせたいけど高校無償化からも除外され幼保無償化からも除外され補助金も除外される。朝鮮学校に関して、ずーっとこういった状況が続く中で保護者の皆さんは大変な思いをされている。

私たち日本人は、どうしても歴史的なことを顧みて、共に隣人として、友人として、一緒に暮らす朝鮮人の子どもたちの仲間のためにも補助金をどうかお願いしたいと、お願いとか言いたくないけど、吉村知事、万博よりも子どもたちの教育の権利をどうかよろしくお願いします。

歌 「勝利のその日まで」
































駐輪場での申し送りです。











朝鮮大学の学生たち。任さん、金さん、宋さん!
























河住さんも高賛侑監督が今新しく行なっているドキュメンタリー映画撮影への協力を呼びかけました。











来週も頑張りましょう‼️


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ニョニョの日記詩(86~93)

2021-07-18 20:20:31 | 詩・コラム
ニョニョの日記詩(86~93)






日記詩86
やっと271ページ


コロナワクチン接種後
安静にと医師に言われ
長東日誌を読み続けて
やっと271ページ
驚愕と怒りと悲しみが
胸を疼かせる
同じ時代を生きたはずなのに
私より1ヶ月前に生を受けた著者が
歩んできた波乱万丈の人生
殴られ蹴られ家畜以下の扱いを受け
それでもなお人間の尊厳を守るため
たたかい続けた人々
暗闇の中でも助け合い分かち合い
たたかい続けた人々
命を賭けて愛する人たちを守った
綺麗事ではない 武勇伝でもない
二度と繰り返してはならない
民族の痛みをどれほど深く
胸に刻んで生きてきただろうか
読み続けよう 今 私にできること






일기시86
겨우 271페지


코로나백신 접종후
안정을 취하라는 의사의 말에
장동일지를 읽기 시작하여
겨우 271페지
경악과 분노와 슬픔이
가슴을 쑤신다
같은 시대를 살아왔을것인데
나보다 한달 앞서 태여난 저자가
걸어온 파란만장의 인생길
얻어맞고 차이고 짐승이하의 대접 받고
그래도 계속 인간의 존엄을 되찾기 위해
싸우고 또 싸운 사람들
어둠속에서도 서로 도우며 격려하며
싸우고 또 싸운 사람들
목숨걸고 사랑하는 사람들을 지켰다
겉치레만의 이야기가 아니다
무용전은 더우기 아니다
두번다시 되풀이 될수 없는 이야기
민족의 아픔을 얼마나 깊이 감수하며
내 오늘까지 살아왔을가
끝까지 읽자 오늘 내가 할수 있는 일






문선기씨에게


2017年8月14日
4년전 이날
오사까에 오신 문선기씨를
玉造의 風の街에서 만났습니다
화요일이 아니라서
「화요일행동」에는 참가 못하지만
꼭 오사까부청앞에 가고싶었다고
태양빛 쨍쨍 내리쪼이던 대낮에
찾아오신 문선기씨
어떤 일이 있어도 우리 학교를 지키자고
굳은 악수 나누던 일이 어제같은데
그 젊은 나이에 어디로 떠났단 말입니까
믿지 못합니다 절대로 믿지 못합니다
코로나가 안착되면 그쪽으로 꼭 가겠다
약속한 날이 어제 같은데
어찌하여 그렇게도 서둘러 가버렸습니까
문선기씨
부디 부디 모든 시름 잊으시고
고이고이 잠드십시오
부인이며 자제분、가족분들에게
심심한 애도의 뜻을 표합니다






文善記さんへ


4年前の2017年8月14日
大阪に来られたムンソンギさんに
玉造の風の街でお会いしました
火曜日でないので
「火曜日行動」は参加できないけど
大阪府庁前に必ず行きたかったと
太陽がカンカン照りつける真昼に
訪ねて来られたムンソンギさん
どんなことがあっても
必ずウリハッキョを守りましょうと
固く握手をしたのが昨日の様なのに
その若さでどこに行かれたのですか
信じられませんどうしても
コロナが落ち着けば
必ず九州地方を訪ねると
約束したのが昨日の様なのに
どうしてそんなに早く
旅立たれたのですか
ムンソンギさん
どうかすべての苦しみを忘れ
安らかにお休みください
ご婦人とご家族の皆様方に
心から哀悼の意を表します






日記詩87
ユニが帰ってきた!


4月に2回生になり
武蔵野に戻っていたユニが
昨日帰ってきた 夜行バスに乗って
早い夏休みだ
コロナのせいで海外演習にも行けず
残念なことが続いているが
めげることなく頑張っているユニ
みんなに祝福され生まれた私の初孫
奈良の順伊さんが送ってくださった
みずみずしい茄子やピーマンや
ジャガイモもスライスし鉄板焼きだ
歓迎パーティーだ!焼肉だ!
ややふっくらしてユニが帰ってきた


일기시87
윤이가 돌아왔어요!


4월에 2학년생이 되여
무사시노에 되돌아갔던 윤이가
어제 돌아왔다 야행뻐스를 타고
이른 여름방학이다
코로나때문에 해외연습에도 못가고
아쉬운 일이 계속되여도
기가 꺾이지 않고 버티고있는 윤이
온 가족의 축복속에 태여난 나의 첫손녀
나라에 거주하는 순이할머니가 보내주신
싱싱한 가지며 피망
감자도 설어서 철판구이야
환영모임이야!불고기야!
약간 두두룩해져서 윤이가 돌아왔다






日記詩88
蝉の鳴き声


今朝、通学班と別れて
公園の横道を歩いていたら
蝉が一斉に鳴き出した
ミンミンミンミーン
まだ梅雨明け宣言も無いのに
蝉が鳴き出した 一斉に
夏だ!夏が来たんだ‼️
草花の色や虫の鳴き声で
季節を感じることは幸せなことだ
都会の中でも季節の変化は
いくらでも感じることができる
暑い夏は苦手だけど
カキ氷が頭に浮かんだ
単純明解な自分が笑える ふふふ


일기시88
매미의 울음소리


오늘 아침 통학반과 헤여져
공원옆길을 걷더니
매미가 일제히 울기 시작했다
맴맴맴맴맴맴 매 ㅁ 맴
아직 장마가 끝났다는 선언도 없는데
매미가 울기 시작했다 일제히
여름이야!여름이 온거야 ‼️
화초의 색갈이나 벌레의 울음소리로
계절을 느낄수 있는건 행복한 일이야
도회지안에서도 계절의 변화는
얼마든지 느낄수 있어요
여름더위는 질색이지만
팥빙수가 머리에 떠올랐다
단순명쾌한 자기가 웃긴다 ㅋㅋㅋ






日記詩89
運の悪い日


体操を終え
帰宅しようと表にでたら
雨がザアザア降ってきた
(洗濯物が濡れる、、、)
自転車に乗り一目散に走る
もう少しで緑橋だというのに
右横から突っ走ってきた自転車に
激突され吹っ飛んだ私
運悪く左膝から地上に落ちた
自転車のハンドルはひん曲がった
(帰らなければ、、、)
ごめんなさいと何回も謝る相手さん
(もしも私が逆の立場だったら)
考えたら文句も言えず
「スピード出したらあかんよ」
一言だけ残して帰宅した
保冷剤を何回も替え冷やし続ける
階段降りる時が大変だ 痛い痛い
運の悪い日 こんな日は憂鬱だ


일기시89
운수 사나운 날


체조를 끝내고
집으로 가자고 밖에 나가보니
비가 쫙쫙 내리기 시작했다
(빨래물이 젖겠다、、、)
자전거를 몰고 한달음에 달렸다
미도리바시가 코앞인데
오른쪽 골목에서 냅다 달려온 자전거가
모질게 격돌하여 휙 날아가버린 나
운수사납게 왼쪽무릎이 먼저 떨어졌다
자전거의 손잡이는 망가졌다
(집으로 가야 하는데、、、)
미안하다고 몇번이나 사과하는 상대
(내가 만약 그의 립장이라면、、、)
생각해보니 잔소리도 못하고
「속도를 내면 안되요」
한마디만 남기고 그 자리를 떠났다
보령제를 몇번이나 갈아 계속 식힌다
계단 오르내리기가 야단이다 아프다
운수 사나운 날 이런 날은 우울하다






日記詩90
雷 怖い‼️


大雨と 鳴り続ける雷の音
ドドドドドッカン ピカピカピカ
ゴロゴロゴロゴロ ドッカン
私が雷の音で目が覚めたのは
5時ごろだったけど
神経質な連れ合いは
4時頃から眠れなかったという
ゴロゴロゴロゴロ ドッカン
屋根に雷が落ちたような大きな音
孫たちは怖がっていないかなぁ
毎年梅雨明け前はこうだけど
今年は特に雷の音が大きい
テレビをつけるとマンホールから
溢れた水が噴水の様に吹き出ている
怖い怖い 怖い
側だったら一緒に吹っ飛んだだろう
地球が悲鳴をあげている


일기시90
우뢰소리 겁나요


큰비와 계속 울려퍼지는 우뢰소리
우르르르르르 우르르 쾅쾅
내가 천둥소리에 깨여난것은
5시쯤이였지만
신경이 예민한 남편은
4시경부터 잠이 안왔다고 한다
우르르르르르 우르르 쾅쾅
지붕우에 우뢰가 떨어진것 같은 큰소리
손자들은 겁을 먹지 않았을가
해마다 장마철이 그칠무렵은 이렇지만
올해는 특별이 우뢰소리가 요란하다
텔레비죤을 틀어보니 맨홀뚜껑을 뚫고
넘쳐난 물이 분수처럼 솟구친다
무서워 무서워 무서워
곁에 있었다면 함께 휙 날아갔을거야
지구가 비명을 지르고있다






日記詩91
素敵なご夫婦


通学班を送ったあと
帰宅途中のガレージ前で
いつも見る光景がある
帽子をかぶった旦那さまが
うしろ耳鼻科の横の停止線で
必ずうしろを振り返り手を振る
奥さんも玄関の横でそれに答える
道路をまたぐともう一度振り返える
そして又手を振る旦那さん
奥さんも見えなくなるまで手を振る
ただそれだけ それだけ
なのに胸がいっぱいになる
多分還暦過ぎてそうだけど
こんなご夫婦 素敵だなぁ


일기시91
멋진 부부


통학반을 보낸후
집으로 향하는 길에
언제나 보는 광경이 있다
모자를 쓴 남편님이
우시로의원 옆의 정지선에서
반드시 뒤돌아보며 손을 흔든다
부인도 현관옆에서 그것에 답례한다
건늠길을 건너서면 다시한번 뒤돌아본다
그리고 다시 손을 크게 흔드는 남편님
부인도 안 보이게 될 때까지 손을 흔든다
그저 그것뿐 그것뿐
헌데 가슴이 꽉차는데 어찌한담
아마 환갑은 지났을거지만
이런 부부 멋지지 않아요?






日記詩92
同じ場所を何回も撮る‼️


20年近い歳月
新報社のカメラマンとして
写真を撮り続けできた盧琴順記者
38度線を陸路で空路で越えながら
仁川アジア大会、平昌五輪も取材し
私達に祖国の今を見せてくれた方
驚いた ゾクゾクした 何という変貌
最後に訪問したのが2009年の夏
初めて見る様な写真ばかり
同じ場所を何回も撮った彼女の写真
対比の方法は驚くほど効果があった
説得力があった 真実味があった
妨害や弾圧や制裁なるものが
朝鮮人の魂を根性を奪えるものか‼️
ある若者が感想を述べた
「お金持ちの家ばかりでなく
貧乏な家の写真はないのですか?」
笑ってしまった 可哀想に
何を期待して集いに来たのかなぁ
でも盧記者 心配無用です
そのぐらい全ての写真が
「朝鮮の今」を語ってくれたのです
コロナが明ければもう一度行きたい
生きているうちに 希望の国に‼️






일기시92
같은 장소를 여러번 찍는다‼️


20년 가까운 세월
신보사의 사진가로서
사진을 계속 찍어온 로금순기자
38선을 륙로로 공로로 넘나들며
인천아세아대회 평창올림픽도취재하여
우리에게 조선의 오늘을 보여준 분
놀랐다 오싹오싹 했다 얼마나 변했는가
마지막으로 방문한게 2009년의 여름
처음 본것 같은 사진뿐
같은 장소를 여러번 찍은 그녀의 사진
대비의 방법은 놀랄만큼 효력을 보였다
설득력이 있었다 진실미가 있었다
방해와 탄압과 제재따위가
조선사람의 넋과 근성 뺏을수 있겠어?!
어느 젊은이가 감상을 말했다
「부자집만 아니라 가난한 사람의 집은
찍지 않습니까?」
웃어버렸다 불쌍하구나
무얼 기대해서 이 모임에 왔을가
하지만 로기자님 걱정 없어요
그만큼 모든 사진이
「조선의 지금」을 보여주었으니까
코로나가 물러서면 다시한번 가고싶구나
살아있을 때 희망의 나라로‼️






日記詩93
日曜日の朝は、、、


毎日が日曜日のような私でも
やはり日曜日の朝は
散歩に出たい
自宅から徒歩15分
こちらに引っ越してから早8年
いつも日曜日の朝は歩きたい
緑の中で過ごしたい
嫌なこと辛いことがあっても
森のような公園内を歩けば
いつのまにか癒され
清々しい気分で
新しい明日を迎えられます





일기시93
일요일 아침은、、、


하루하루가 일요일같은 나이지만
역시 일요일 아침은
걷고싶다
집에서 걸어서 15분
여기에 이사온지 어느새 8년
언제나 일요일 아침은 걷고싶다
록색속에서 지내고싶다
싫은일 고된일 있다고 해도
숲속 같은 공원안을 거닐면
어느새 충전되여
상쾌한 기분으로
래일을 맞이할수 있어요





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ニョニョの日記詩(76~85)

2021-07-14 11:12:31 | 詩・コラム


6月の終わりに


「6月も今日で終わり
何が1番楽しかった?」
「キャンプ!」
全員声を揃える
スファにとっては初めてのキャンプ
昨年までは高学年だけだった
「何が1番良かった?」
「キャンプファイヤー」
またまた合唱のような返事
わかるわかる ハンメにだって
楽しかったのはキャンプの思い出
阪神初級で行われた連合キャンプ
ジャカルタで
帰国への調印式が行われたと
一晩中運動場で喜び踊った感動の日
1959年8月 62年前のこと^_^


일기시75
6월의 마지막날에


「6월도 오늘로 끝
무엇이 가장 즐거웠니?」
「야영!」
전원 소리를 맞춘다
수화에겐 처음 되는 야영
지난해까지는 고학년만이 참가했다
「무엇이 가장 인상에 남았니?」
「우등불모임!」
또다시 합창하는듯한 대답
알아 알아 함매한테도
즐거웠던 야영의 추억이 있어
항싱초급에서 진행된 련합단의 야영
쟈칼타에서
귀국에 관한 조인식이 있었다고
밤새도록 우등불 피워 춤추며 노래한
감격의 8월 1959년 62년전 일이다^_^



日記詩76
グーパー30回


最近朝目覚めた時
指先がカチカチで痛い
なんだ これは!
これが老化の証か?!
初めのうちはショックだったけど
悩んでも仕方がない
グーパーグーパー30回繰り返す
指の感覚が戻り 1日が始まる
こうしてどんどん歳とっていくんだ
素直に受け止め グーパーグーパー


일기시76
돌 보 돌 보 30번


요사이 아침 깨여나면
손가락끝이 딱딱해서 아프다
뭐야 이건!
이게 로화의 증건가?!
처음은 충격이 컸지만
고민한들 어떠랴
돌 보 돌 보 30번 되풀이
손가락의 감각이 돌아와 하루의 시작
이렇게 조금씩 늙어가는구나
순하게 받아드려 돌 보 돌 보



日記詩77
北海道からのメール


昨夜遅くに
北海道のSさんから
メールがきた
北海道ウリハッキョの
創立60周年記念号へ掲載する
メッセージを寄せてと
瞬間 脳裏を駆け巡った思い出
2013年3月 大雪降る日
北海道のウリハッキョを訪問し
寄宿舎の一室で宿泊しながら
遂に来たとワクワクしたあの日
大雪警報のため講演会は中止
でも先生方との交流会で
沢山のお話をし聞かせていただいた
学びの日々に出会った方々
生涯忘れることは無いだろう


일기시77
혹가이도에서 날아온 멜


어제밤 늦은 시간에
혹가이도에 거주하는 S씨한테서
멜이 날아왔다
혹가이도 우리 학교의
창립60돐기념호에 게재하는
멧시지를 보내달라고
순간 뇌리에 번쩍 떠오른 추억들
2013년 3월 폭설이 퍼붓던 날
혹가이도 우리 학교를 방문하여
기숙사의 한방에서 숙박하면서
드디여 왔다는 기쁨과 흥분으로
잠못이루던 감격의 날
폭설경보로 강연회는 중지되였지만
선생님들과의 교류모임에서
많이 얘기하고 많이 들었던 날
배움의 나날에 만나뵌분들을
평생 잊지는 못할것이야




日記詩78
「行こう!白頭山に」


幼稚園児から低学年の児童たち
本当に愛らしく元気一杯
参加者の方々への感謝の気持ち込め
一生懸命歌ってくれた
高学年全員で歌ってくれた
「行こう!白頭山に」‼️
なんと力強いんだろう
行こう 行こう 白頭山に!
生徒たちの歌声が胸を打つ
生徒たちの眼差しが勇気をくれる
そうだ 差別なんかに負けてたまるか
全ては子どもたちのために‼️
いいえ 子どもたちが 私たちに
勇気と元気をくれた
子どもたちに恥ずかしく無いように
生きていかねば 頑張らなければ‼️


일기시78
「가리라!백두산으로」


원아들로부터 저학년의 아동들
정말정말 사랑스럽고 힘있구나
참가자여러분들에 대한 감사의 마음담아
열심히 정성껏 노래하였구나
고학년생들 전원이 마음모아 불렀어라
「가리라 백두산으로」‼️
어쩌면 이렇게 힘이 있느냐
가리라 가리라 백두산으로!
아이들의 노래소리가 가슴을 친다
아이들의 눈빛이 용기를 주는구나
그렇다 어찌 차별에 질수 있느냐
모든것은 아이들을 위하여‼️
아니여라 아이들이 우리에게
용기와 힘을 주지 않았느냐
아이들앞에 부끄럽지 않는 삶을 살자
아이들앞에 떳떳이 설수 있게 살아야지




日記詩79
1972年7月4日‼️


あの日私は
町田のウリハッキョにいた
1972年7月4日 運命の日
文学創作通信教育の出張講義が
町田のウリハッキョで行われていた
金学烈先生が興奮冷めやらぬ表情で
教室に入ってきて伝えてくださった
「ビッグニュースです‼️
7.4南北共同声明が発表されました」
「わぁー‼️」
悲鳴の様な歓声が湧き上がった
1972年7月4日 参加者一同
誰一人寝る者がいなかった
教室の電気が消えることは無かった
一晩中全員が書き続けた
今日の喜び今日の感動を忘れまいと
夢にまで見た統一の日が
目の前までやって来た様に思った
あれから49年‼️
夢は近づいたり遠のいたり、、、


일기시79
1972년7월4일‼️


그날 나는
마찌다에 있는 우리 학교에 있었다
1972년7월4일 운명의 날
문학창작통신교육의 출장강의가
마찌다에 있는 학교에서 진행중이였다
김학렬선생님이 흥분하시면서
교실에 달려와 전해주셨다
「여러분 중대뉴스입니다‼️
7.4남북공동성명이 발표되였습니다」
「와ー‼️」
비명과 같은 환성이 터져올랐다
1972년7월4일 강습참가자일동
어느 누구도 이부자리에 들지 않았다
교실의 전등불이 꺼지지 않았다
밤새도록 전원이 시를 지었다
오늘의 기쁨 오늘의 감동을 잊지 말자고
꿈결에도 바라던 통일의 날이
눈앞까지 다가온줄 알았다
그때로부터 49년‼️
꿈은 가까이 왔다가는 멀리 가고
멀리 갔다가는 가까이 오고、、、




日記詩80
次女のお誕生日


家族6人だったけど
A型は次女と私の二人だけ
なのにしょっちゅうぶつかり合う
私がブツブツ言ってると
夫が苦笑いしながらいつも言う
「ムンはあんたにそっくりやで」
「はぁ?どこが?」
「全部」
信じられない どこが似てるの?
幼い頃は本当におとなしい子だった
保育園に入る前
文化教室の講師をしていた時
いつも連れて行ってたけど
教卓の下にオモチャ持って潜り込み
1時間でも2時間でも
一人遊びしていた子だった
大病を患った弟の面倒を
いつも見てくれた優しい子
「チャンくん甘やかしたらあかん、
大きなってからどうするの?」と
いつも私を戒めてくれていた
弟がお空に行ってしまってから
急に遅まきの反抗期がやってきた
長い長い反抗期 でも
それでよかったのかも知れない
A型同士、どちらも似てへんと
言い張ってるけど
本当は似てるのかなぁ


일기시80
둘째딸의 생일날


가족은 여섯이였지만
A형은 둘째딸과 나의 둘이뿐
근데 만날 부딪친다
내가 투덜투덜 투덜거릴 때면
할배가 쓴웃음 지우면서 언제나 하는 말
「문숙이는 함매 그대로야」
「뭐?어디가요?」
「몽땅」
믿지 못해 어디가 닮았니?
어릴적엔 정말 온순한 아이였다
보육원에 들어가기전
문화교실의 강사를 맡았을 때
맡길 때가 없어 늘 데리고 다녔지만
교탁아래 장난감 들고 들어가
한시간이건 두시간이건
혼자놀이 하던 아이였다
큰병을 앓은 동생을
언제나 돌보아준 기특한 아이
「창훈이한테 언제나 오냐오냐하면
커서 어찌되나요。」라고
늘 나한테 훈계해주던 둘째딸
동생이 하늘나라로 떠난후
갑자기 때늦은 반항기에 들어섰다
길고긴 반항기 하지만
그걸로 좋았을지 몰라
A형끼리 서로 안 닮았다고 우기지만
참말은 비슷한가???



日記詩81
モネが好き!


空や海や山や
全て好きだけど
モネがもっと好き!
とびきりの美人って訳でもないし
特別目立つ演技をする訳でもない
でも
山を見つめる
海を見つめる
空を見つめる
人を見つめる
モネの表情 目の動き 優しい微笑
全てが好き ボーッとした感じが好き


일기시81
모네가 좋아!


하늘도 바다도 산도
다 좋지만 모네가 더 좋아!
뛰여난 미인도 아니고
특별한 연기를 하는것도 아니다
하지만
산을 바라보는
바다를 바라보는
하늘을 바라보는
사람을 바라보는
모네의 표정 눈의 움직임 상냥한 미소
모든것이 좋아
멍하니 앞을 보는 모네가 좋아



日記詩82
チラシ


朝、7時15分
家族を送った後 必ずする事がある
新聞の大見出しを確認した後
チラシを見比べる
コノミヤ、ライフ、タコ一、業ス
同じ品物もスーパーごと値段が違う
少しでも安いものを探し
チェックしたものに赤丸をつける
時々安いからと買いすぎて
腐らせ捨てる時もある
全く無駄遣いなのに治らない
仕事をしてた時は考えもしなかった
節約の大切さ 無駄遣いの罪深さ
70過ぎてやっと大人になったようだ


일기시82
전단지


아침 7시15분
가족들을 보낸후 꼭 할 일이 있다
신문의 큰 표제를 확인한 다음
전단지를 비교해본다
코노미야、라이흐、따꼬 1, 업무쓔퍼
같은 물품이지만 쓔퍼마다 값이 다르다
조금이라도 싼것을 찾아
체크한것에 빨간 동그라미를 친다
가끔 싸다고 너무 많이 사서
썩게 하여 버릴 때가 있다
참으로 랑비인데 고쳐지지가 않다
직장 다닐 땐 생각할 겨를도 없었다
절약의 소중함 랑비의 깊은 죄
70이 지나서야 겨우 어른이 되였나?



日記詩83
10年前の7月8日


夜行バスに乗って13時間
揺られ揺られて遂に到着!
10年前の今日 仲間たちと共に
東北のウリハッキョを訪ねた
想像を絶する東日本大震災の爪痕
東北のウリハッキョは崩壊し
私たちは学校の食堂で
復旧支援コンサートを行った
ある人は歌を歌い
ある人は楽器を吹き
ある人は詩を朗読し
ある人は焼肉100kを準備した
私は 当時 初級部3年生だった
チャンス、ファボン、ウリョンと
「金の斧 銀の斧」を舞台にあげた
初めてあった子どもたち
本当に愛らしく素直だった彼ら
もう大学1年生になった
生涯忘れることのないコンサート‼️


일기시83
10년전의 7뤌8일


야행뻐스를 타고 13시간
흔들려 흔들려서 드디여 도착!
10년전 오늘 친구들과 함께
도호꾸의 우리 학교를 찾아갔다
상상을 초월하는 대진재의 생생한 자국
도호꾸의 학교건물은 무참히 붕괴되여
우리들은 학교의 식당에서
복구지원콘사트를 진행했다
어떤 이는 노래를 부르고
어떤 이는 악기를 불고
어떤 이는 시를 읊고
어떤 이는 불고기 100k를 준비했다
당시 초급부 3학년생이였던
창수、화봉、우련과 함께 나는
「금도끼와 은도끼」를 무대에 올렸다
처음 만난 아이들
참말로 사랑스럽고 소박한 아이들
벌써 대학 1학년생이 되였다
평생 잊을수 없는 콘사트‼️




日記詩84
台風の思い出


中学2年生ごろだったと思う
大阪に大きな台風がやってきた
私の家は淀川から徒歩5分ほど
避難勧告が出て全員小学校へ避難
怖いもの知らずの私は家に残った
床上浸水をこの目で確認したいと
待っている間にうたたねしてしまい
背中が冷たいので目が覚めたら
なんと床上浸水していたのだ
びっくりして外に出てみると
長屋の路地はまるで川だった
避難所までは2分とかからないのに
前に進めずいろんな物が流れてくる
スリッパや座布団やオモチャまで
路地の出口付近では竜巻までも
まるで龍が天に昇るように
川の様な水が目の前でグルグル回り
勢い良く空に向かって昇っていった
生まれて初めて見た驚くべき光景
その日から私は怖がりになった


일기시84
태풍이 온 날


중급부 2학년이였을가
오사까에 큰 태풍이 일었다
우리 집은 요도가와에서 5분쯤
피난권고가 나와서 모두 피난을 했다
겁을 모르는 나는 혼자 집에 남았다
집안에 물이 들어오는것을 확인하겠다고
기다리는 사이에 쪽잠이 들어
등때기가 차거워서 잠이 깼더니
어머 방안에까지 큰 물이 들어왔었다
깜짝 놀라 밖에 나가보니
골목길은 마치나 강으로 변한듯
피난처까진 2분도 안걸릴텐데
앞으로 못가고 별의별것이 흘러온다
웃신이랑 방석이랑 장난감까지
골목 출구부근에선 회오리가 일어
마치나 룡이 하늘로 올라갈듯
강물같은 물이 눈앞에서 빙빙 돌면서
기세차게 하늘을 향해 높이 올라갔다
난생처음 본 놀라운 광경
그날부터 나는 겁쟁이가 되였다




日記詩85
生まれ故郷ー青森訪問


10年前の7月9.10日
生まれ故郷ー青森県平川市
碇ヶ関を初めて訪ねました
夢にまでみた 生まれ故郷 碇ヶ関
共に故郷の家を探してくださった
花岡さん、黒滝さん、チエさん
生涯忘れることのない恩人です
お元気ですか?風邪ひいてませんか
10年もの間変わりなく
毎年毎年 林檎を送って下さいました
大阪のキムチや手編みのマフラー
ある時はダウンチョッキを送り
皆さまの健康を祈ってきました
また行きたい、またお会いしたい
500円玉貯金箱が一杯になりました
コロナが落ち着けば必ず参ります
ふるさとは逢いたい方がいるから
もっと恋しい 夢の中でも一緒です


일기시85
태여난 고향 아오모리 방문


10년전 7월9,10일
태여난 고향ー아오모리현 히라까와시
이까리가세끼를 난생처음 찾았습니다
꿈결에도 찾고싶던 내고향 이까리가세끼
함께 고향집을 찾아주신
하나오까씨 、꾸로따끼씨、찌에할머니
평생 잊지 못할 은인이십니다
잘 계십니까?감기는 걸리지 않으셨나요
10년세월 빠짐없이 보내주신 고향사과
오사까의 김치랑 털목도리랑
뜨뜻한 다운쬿키도 보내여
여러분들의 건강을 바라군했습니다
다시 가고싶습니다 다시 보고싶습니다
500엔조금통이 꽉 찼어요
코로나만 물러나면 반드시 가겠습니다
고향은 보고싶은 사람이 있으니
더 그리운곳이 아닙니까
꿈속에서도 늘 함께 계시는 분들입니다

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