ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

日記 「姉の70歳のお誕生日祝賀会」 2012・4・30

2012-04-30 21:50:14 | 日記
日記 「姉の70歳のお誕生日祝賀会」

 今日午後5時から兄の家で、姉の生誕70周年を祝うお誕生会をした。お祝いムード一色に包まれた。

 

                     

 

 食事の前に書く家庭ごとの写真撮影、まずは兄弟で

                     

 次は兄の子供たちと私の子供たち

 

孫たちから、みんなのお誕生日プレゼント贈呈 「按摩器」だ。

 おいしい食事をいただきながら昔話に花が咲いた。

 いよいよケーキカットだ!子供たちの目がらんらんと輝き始めた。

 

 みんなで「センイルチュカハムニダ センイルチュカハムニダ サランハヌン 大正ハンメ センイルチュカはムニダ」を合唱した。

  

                       

 待ちに待ったケーキ!子供たちがうれしそうに食べてる。この時だけ静かだった。後は走り回って汗びっしょり!まるで運動会だった。

 

 少し遅れてムンスギが仕事を終えやってきた。 

 ユファがちやっかりやってきた。 

 兄弟の中で一番苦労したのは姉だと思う。その昔、あまりにも家が貧しかったので、姉は優秀だったのに高校に行けず家業を手伝った。それでも勉強がしたかった姉は結婚後、桃谷高校の夜間部に通い高校卒業の学力と卒業証書を手に入れた頑張り屋さんだ。今も週1回の絵画教室に通っている。

 幼いころから病弱だった姉はあまり社会生活の経験がなく、仕事も家の中での仕事なので他の人と接触する機会はあまりなかったが、昔から勤勉で本を読むのが何よりの趣味だったし、絵を書いたり、短い文をつけて自分で漫画を書いたりしていた。

 姉は誰よりも親孝行だったし、兄弟思いで自分の服を一枚買う時でも、必ず兄弟のものを先に買うような人だった。私の持っているまともな服は、ほとんど姉が買ってくれたものだといっても過言ではない。私もずっと働いてきたから自分のものを買うぐらいの小遣いを持っているといっても、姉は時間さえあれば、何かほしいものはないかと私に聞いた。少し体が弱った時には真っ先に薬を購入して家にもって来るような人だ。

 同じ兄弟でも私は自分勝手に気ままに青春時代を過ごしたが姉は長女であったばっかりにある意味、家庭の犠牲になったのかも知れない。

 私が姉にしてあげられることは、ただじっと姉の話や愚痴を聞いてあげることぐらいだ。それでも姉はいつも私の心配ばかりしていた。姉が還暦を迎えた時も兄弟でお誕生会をしたが、その時は孫が一人もいないときだったのでお店の一部屋を借りて誕生会をした。

 私はその時、生まれて初めて、姉に対する感謝の気持ちを歌った詩を作り朗読した。今回は私も老人になったので詩を朗読するのも不自然だと思い、今まで残しておいたデータを引っ張り出し色紙7枚に姉の写真と今まで写してきた花をしっかり載せてお祝いの色紙アルバムを作って姉にプレゼントした。とても喜んでくれた。特に中大阪の民族教育資料室に飾ってあった中学3年生の時の写真にはとても感動したようだ。

 自然な形でみんなで持ち寄り行った、ささやかなお誕生会だったが、姉が喜んでくれたのが何よりもうれしい。プライバシーなので余分なことは書かないが、たとえ一日であっても姉が安らいでくれたなら本当に幸せだ。いつまでも元気で、また80歳90歳のお誕生会ができれば良いなぁと夢のような話をした。本当の気持ちだ。


 
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コラム22.「ロス暴動の真実ーコリアタウンはなぜ襲われたのか」4・28

2012-04-27 22:34:46 | 日記

 コラム22.「ロス暴動の真実―コリアタウンはなぜ襲われたかー講演会&上映会」に行ってまいりました。 (4月28日)


                       

1992年4月、米国ロサンゼルスで「ロス暴動」が発生しました。当時、「黒人がコリアタウンを襲撃した」という報道が世界中を駆け巡りました。しかしメディアが伝えた「事実」は歪曲されていたのです。

 高賛侑さんは、史実に基づき丹念に取材をし続けた人だけが、確信をもっていえる事実を淡々と私たちに伝えてくれました。

 その時黒人は、コリアンは、ロス市警は、メディアは何をし、何をしなかったのか?衝撃的な映像と多様な人々の証言により、事件の全貌が明らかにされていきました。そして行政当局、警察、マスコミ等が犯した罪が赤裸々に暴かれていきました。

 到底一言、二言で表すことはできません。ぜひドキュメンタリーをご覧になってください。

 私は今日、ロスで起きた事件の真相をこの目で確認しながら現在、在日がおかれている状況と根本的に同じものが流れていると感じました。外国に住む他民族がどのように自分たちの権利を守って行かなければならないかを改めて感じずにはいられませんでした。

 本来、白人と黒人との対立構造がいつの間にか黒人対コリアンにすり替えられていったのです。アメリカ政府は経済対策の失敗のはけ口をコリアンに向けたのです。

 二日間の間、黒人のプロギャング団2組がコリアタウンを破壊しつくしましたが、助けてくれたものは誰もいませんでした。しかし一人のコリアン女性がこのままやられっぱなしになるのではなく立ち上がろう、真実を訴えようと呼びかけ、それにラジオコリアが賛同し、自ら「作戦司令部」になり、共に呼び掛けることによって10万人もの群衆が次から次へと平和大行進に参列したのです。感動的でした。

 首相が先頭切って差別を行っているこの国の異常な現状を、しっかり見定めなければならないと感じました。またロスでもそうでしたが、マスコミやメディアがどれほど悪質な扇動を行っているかを、決して見逃してはならないと思いました。

 高さんも言ってましたが中に中に入るのではなくもっと世界的な見地から外国に住む我々がいかに自主権を守り尚且つ豊かで活性化された生活を営んでいくかは人任せにできない問題であり、また自分たちだけで解決できる問題でもないと思いました。今こそ日朝、アジアが手を携え共に前進すべきだと思いました。

 

 5月9日にクレオ大阪中央で19時からの追加上映が決定されました。皆さん是非お出かけください。対岸の火事ではありません。まさに私たち自身の問題、今日の問題だと思いました。高賛侑さん、ご苦労様でした。日本語字幕まで作り上映会にまでこぎつけた高さんの熱意に感謝します。
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孫日記詩7. 「愛しい ヒジョンよ」 バイリンガル (2012・4・27 訳)

2012-04-27 21:55:12 | 日記
孫日記詩7. 「愛しいヒジョンへ」


こいねがう「希」と 柱の「桯」!

希桯(ヒジョン)よ
お前の名前には
私たちみんなの 夢を込めたんだよ

異国の地に激しい風が吹こうとも
心に「希望」を抱き 生きていくならば
どんな困難も乗り越えられる

この世が いかに目まぐるしくとも
心の「柱」をしっかり持つならば
不安など知らずに生きていけるはず

国を奪われしころ この地に渡ってきた
お前の曾お爺さんと、曾お婆さんは
いくら困っても正々堂々と生き
私たちを皆 朝鮮人に育ててくれた

お前の祖父母も 母方の祖父母も
先代たちの志を受け継ぎ
民族の心を余すところなく守り
力強く 気丈に 生きてきた

お前の父や母も いとこたちも
民族教育の花園で育ち
朝鮮人として堂々と暮らしていることが
どんなに心強いことか

希桯(ヒジョン)よ
家族みんなの祝福のもと 生まれた赤子よ
黄金よりも大切なうちの坊や
待ちに待った跡継ぎよ

どうか 元気に育っておくれ
どうか 笑いながら暮らしておくれ

家族みんなが 願っているよ
お前の顔にいつも 笑顔の花が咲くことを
お前の胸が 希望でいっぱいになることを!

   2012・4・27 訳

                               

사랑하는 희정에게

바랄 ≪희≫자에 기둥 ≪정≫자!

희정아
너의 이름엔
우리모두의 꿈을 담았단다

이역땅에 모진 바람이 분다 해도
마음에 ≪희망≫만 안고 산다면
그 어떤 어려움도 이겨낼수 있고

이 세상 아무리 어지러워도
마음의 ≪기둥≫ 만 똑똑히 세운다면
두려움 모르고 살수 있을거야

나라 없던 시절 이땅에 끌려온
너의 증조할아버지,할머니들
아무리 어려워도 깨끗하게 사시여
자식들을 다 조선사람으로 키워주셨고

너의 조부모도 외조부모도
선대들의 뜻을 이어
민족의 마음 고스란히 지키며
꿋꿋하게 꿋꿋하게 살아왔거니


너의 아버지도 어머니도 일가친척모두가
민족교육의 화원에서 자라
떳떳한 조선사람으로 살아가고있으니
얼마나 마음 든든하겠니

희정아
온 가족의 축복속에 태여난 아가야
금싸라기보다 귀한 우리 아가야
기다리고 기다리던 우리 후손아

부디부디 건강하게 자라거라
부디부디 웃으며 살아가거라

온 식구가 바라고있단다
너의 얼굴에 언제나 웃음꽃이 만발하기를
너의 가슴에 언제나 희망이 가득차기를!


2009년 12월 좋은 날에










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日記詩9. 「ウリハッキョの藤」  バイリンガル (2012・4・26)

2012-04-26 11:03:43 | 日記
日記詩9. 「ウリハッキョの藤」   (4・26)

 


 「ウリハッキョの藤」

         

下ばかり見ないで
ほら わたしを見て!

嵐のように雨風が吹き荒れたけど
凍るような冬にも耐えて
わたしは今年も咲きましたよ

ほら わたしを見て!
空がこんなにも近い

負けないで!
あなたも頑張れる きっと!

いくら冬が無慈悲でも
春を止めることはできなかったでしょう?

子供たちの元気な歌声が
エネルギーをくれました わたしにも

薄紫の小粒の花をいっぱいつけて
そよそよ 春風に揺れながら

運動場を走り回る子供たちを
見守っていますよ 今日も!

  2012・4・26


  「우리 학교의 등나무」



아래만 보지 말아요
자 나를 보라요!

광풍같은 비바람이 몰아쳐도
얼어붙을것만 같은 겨울도 이겨내여
올봄도 피였어요 난

자 나를 보라요!
하늘이 너무너무 가깝네요

지지말아요!
당신도 할수 있어요 반드시!

아무리 겨울이 무자비해도
봄을 막을수는 없었지 않아요

아이들의 힘있는 노래소리가
새힘을 주었어요 나에게도

연보라색 작은 꽃잎을 알알이 달고서
살랑살랑 봄바람에 설레이면서

운동장을 뛰여다니는 아이들을
지켜볼게요 오늘도!

2012년 4월26일
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日記詩 「芽が出ましたよ!」

2012-04-25 20:45:43 | 日記
日記詩

 「芽が出ましたよ!」

          
寒い朝 植木鉢を覗くと
ついに出ていました 桔梗の新芽が!

水やりするたび
まだかまだかと待ちに待った日です

つくしんぼうのような頭は
紫と緑がまざり とても可愛い
良く見ると三つも見えます

6月ごろからはきっと
蕾が風船のように膨らんで
清楚で愛らしい薄紫の星の様な花を
鉢一杯に咲かせてくれる事でしょう

7年前ピョンヤンから持ち帰った根を
鉢植えにして大事に大事に育てました
異国の地でも咲くだろうかと
楽しみでもあり不安でもあった日々

初めて芽が出た日
ジーンとして嬉し涙がでました
異国でも根付いた 祖国の花が!
まるで私たちの様にと

怠け者の私の代わり
いつも肥料をまいてくれる田中さん
この花は近所の田中さんとの合作です

私の国ではトラジと呼ぶ花
民謡にも良く出てくる花
風にも雨にも負けない
朝鮮女性の芯の強さを表す花

昔 母達が山や野で摘んでは
花はかざり 根は生薬に
コチュウジャンで味付けて
キムチにも炒め物にもした根っこ

私はすきです
トラジが 桔梗が
日朝友好の花になりそうです

  
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