ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

5月26日、382回目の「火曜日行動」です。

2020-05-26 20:12:59 | 火曜日




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今日は382回目の「火曜日行動」の日ですが、府庁前は始まる前から熱気に包まれました。



奈良在住の金順伊さんが火曜行動参加者へと50枚ものマスクを手作りして送ってくださったのです。



大和高田から来られている森本さんから長崎さんに伝達されました。



家に帰ったあと封筒の中に入っていたお手紙を見ると素晴らしい作品まで入っていました。



本当に本当にコマッスムニダ❗️オモニの分も頑張ります❗️



今日のレポーターは横道さんと平田さんにお願いいたしました。担当だった方が体調不良でお休みだったので、急遽お二人が受けてくださったのです。感謝感謝です。



写真撮影はいつものようにチャーミングな松尾さんです。今日も力を合わせて発信してまいりましょうね

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長崎由美子さんの第一声始まりました。

☆長崎さん

ご通行中のみなさま、府庁で働いておられるみなさま、今日は382回目の火曜行動です。
すべての子どもたちが安心して学ぶことができる。そのことを訴えてこの場に立ってもう8年が過ぎ9年目に入っています。
長く続けることが良い事だとは決して思っておりません。
しかし朝鮮学校への差別は続いており、尚且つ広がり続けていると思います。


8年前に火曜行動を始めた時は「高校無償化」から朝鮮高校のみ除外されたこと、全国に先駆けて実施されてきた大阪府大阪市の朝鮮学校補助金が停止されたことに対して抗議の声をあげました。
そして今回また、昨年実施された「幼児教育の無償化」これからも朝鮮学校幼稚班は除外されました。このように、朝鮮学校に対する差別はダブルパンチ・トリプルパンチなのです。


また、今、コロナインフルエンザ状況の中で大学生や各種学校の学生さんたちはアルバイトが出来なくなっています。学生さんたちの6人に一人がもう大学を続けられない状況になっていると言われています。職を失う親御さんもいます。
そんな中で、大学生、専門学校生や各種学校の学生にコロナ支援をすると国は言っています。
しかし朝鮮大学の学生はこのコロナ支援から、またも除外されました。
幼児から大学生まで学びの場からの差別。こんなに明らかな差別はないと思います。


片方では「心を一つにしてコロナの問題に立ち向かいましょう」と自粛を呼びかけ、
朝鮮学校も自粛休校し呼びかけに協力してきましたが、協力はさせるけれども、本当に苦しい目にあっている子どもたちを切り捨てていく。


そこにさらに朝鮮人だからという差別がある。でも、こんな時だからこそ私たちにはわかったことがあります。こういう時だからこそ手をつなぎ声をあげてくださる良心の人たちがいるのだということを。


みなさんもご存じだと思いますが、女性プロレスラーへのインターネット上誹謗中傷の書き込みが問題になって、菅官房長官もインターネット対策を考えると言っていましたが、私はそれを聞いていて、インターネット上の差別を問題にするのであれば、政府が幼児から大学生まで官製差別をしているのをどう考えるのだと思いました。


今、コロナ休校で給食がない、親御さんは仕事に出られなくて収入が途絶える、生活保護申請しても受給までが大変な家庭が出ています。
そんな状況下で安倍政府は、マスク2枚を466億円かけて各戸配布しました。
それもマスク会社との馴れ合いが問題になっています。
わたしの所にはまだ届いておりませんが、暑い夏にガーゼのマスクは使えません。


黒川検事長の定年延長問題も賭け麻雀をしていたことが明るみに出て、辞職しましたが罰せられることなく、退職金をもっていく。
安倍政権になってから、公平であるべき「法」というものが踏みにじられてきたと思います。




火曜バンドは不滅です❗️



伊関さんのアピールです。

☆伊関さん

火曜行動に参加のみなさん、ご苦労さまです。
「1%の底力で朝鮮学校の民族教育を支える会」の伊関です。

毎年朝鮮学校の子どもたちと田植が楽しい行事なんですが、今年はコロナの関係で有志の大人で田植えをしました。秋にはみんなで収穫できると思います。

わたしたちは日本人として、日本社会に責任を持たないといかんと思い、在日のみなさんと力を合わせて、声を上げさせてもらっています。

吉村知事、聞こえていますか?
コロナで忙しいでしょうが、やはり大阪の発展を願うなら、アジアの中の玄関口と言われる大阪の経済を、発展を、在日の方々も支えてきました。在日の方も税金を納めています。

今回の大変なコロナ状況に政府も行政も支援を行っていますが、結局これは詰まるところ税金です。税金は在日の方であろうが日本人であろうが納めているわけです。
公平な権利である教育にかかわる行政サービスを、在日の方は受けることができない。
これは非常に問題です。
同じように納税の義務を果たしていながら、なぜ朝鮮学校だけが排除されるのか。

やはりね、「差別と切り捨ての先に活力ある社会は生まれない」と思います。
知事や行政はそのことをもう一度考えていただきたい。

大阪の発展、日本の発展を願う立場から、社会の発展を願うのであれば、朝鮮学校への高校無償化適用、補助金の再開は急務であり、行政の責務であると思います。

知事!メデイアの前でカッコ良く振舞うのもいいのですが、足元からのこういう声に耳を傾けていただきたい。

平等で活力ある社会が実現するまで私たちは頑張ろうと思っています。
火曜行動のみなさん 共にがんばりましょう!





長崎さんが繋がれます。

☆長崎さん

伊関さんありがとうございました。

今日はうれしいプレゼントが届いています。
奈良のハッキョで活動されていたキムスリンさんが、手づくりの素敵なマスクを火曜行動の皆さんにとプレゼントしてくださいました。
後でお配りしたいと思います。

もう一つうれしいニュースですが、先日、生野初級ハッキョに布マスクが届きました。
新潟のこども食堂をされている方からでした。
なぜ新潟から生野初級にマスクが届いたのかというと、こども食堂をされている方に埼玉で子どもさんをハッキョに送っておられるお友達がおられて、埼玉でマスク配布差別があったことを知って、非常に怒りを感じ、自分も何かしたいと思い生野ハッキョに手づくりマスクを送ってくださいました。

広島でも香川でも心ある方々から、ハッキョの子どもたちに手づくりマスクのプレゼントが送られてきています。

行政が一番してはならない子どもたちへの差別に対して声をあげる。大人が諦めない姿を子どもたちに見せる。これからもたたかっていきましょう。


朝日新聞の声の欄に神戸の朝鮮高級学校3年の生徒さんからの投稿がありました。
「高校無償化」の署名を集めている時に、君たちに「頑張ってね」という人がいるけれど、君たちはこれ以上頑張れないくらい頑張っている。安直に「頑張ってね」という人の気持ちがわからない、という意味のことを、一緒に立っている日本の支援者の方が云われた。でも自分は諦めないで、みんなと手を繋いで頑張っていきたい、と書いておられました。

それでは又、マイクを回していきたいと思います。





パクリョンヒさんがマイクを持たれました。

☆リョンヒさん

私も朝日新聞声欄の神戸朝高生の投稿に胸がつまりました。

わたしは小・中・高と日本の学校に通いました。
実は私の母親はイルボンサラム日本人で、アボジは朝鮮半島出身の一世でした。
アボジは母親に遠慮して朝鮮学校の存在をあまり話さなかったようです。

私は色々な人から朝鮮学校の話をきいて、とても悔しい思いをしました。
私は生野区のある小学校に通っていたのですが、クラスに数人、多い時は10人くらい朝鮮人の生徒がいました。
学校では差別する先生もいました。差別する生徒がいても先生から何の指導もありませんでした。
私は決意しました。大人になったら差別しない先生になろう。と決意しました。

私が大人になれば、きっとこの世の中は差別のない平等でお互いに理解しあえる時代になっていると、心底思っていました。でも甘かった。

自分の子どもは朝鮮学校卒業生、孫は朝鮮学校に通っていますが、朝鮮学校への差別が蔓延しています。本当に悔しい。悔しくてなりません。
いつになれば私たちの存在が認められるのでしょうか。

私はこの火曜行動に148回目からの参加ですが、当初から参加されている方々に本当に頭が下がる思いです。

知事と府の職員の皆さんに、本当に真剣に考えていただきたいと思います。
8年の時を重ねたこの闘いを皆さんはどう考えているのですか。
自分の問題として、真摯に耳を傾けてください。



☆長崎さん

リョンヒさんは自分自身も日本学校の民族学級の先生として、子どもたちと接してこられました。ありがとうございました。




大村和子さんもマイクを持たれました。

*大村さん

今日も「3密」をさけ集会をもっていますが、心のつながりは8年余で密接になってきています。ここに来ている人だけでなく、他の人とも繋がりが出てきたと思います。今日も2人ずれの方が声をかけてくれました。

こうやって8年余が経っても政府、府庁に届いていないのかと、時に心が折れそうになります。しかし、もっと悔しい思いをしているのは朝高生です。朝日新聞の投稿のことです。その記事を読んでいろいろ考えさせられました。ここで読ませてもらいます。

投稿記事=「朝鮮高生 私が「頑張る」理由」。





この学生の言葉に、本当に私達日本人が何をしないといけないか考えさせられました。差別を容認しているそのことを私達が変えて行かないといけない。それが私達の「頑張る」ということだと思いました。


コロナ問題の中で、様々な差別が浮き上がってきています。今日の新聞に、「全留学生に」給付求め声明 外国人支援5団体、という小さい記事が出ていました。外国人留学生に成績要件を設けたことを批判、朝鮮大学校なども支援の対象にすべきと述べています。本当に様々な差別が起こっています。私達が敏感にならないといけないと思います。


昨日、緊急事態宣言を解除すると安倍が記者会見をしていました。日本モデルと賛美し、政権の力で、自分達の力で解除出来たかのように述べていました。2派が予想されているとはいえ、今の状況をのりきったのは医療現場で、スーパーで、物流の場で働く人達が私達を支えてくれてのりきれたのではないでしょうか。これからいろいろ問題が出てくると思うが、この社会から差別をなくしていくためにともに頑張りたいです。

*長崎さん

オンライン授業が言われています。お金がないとか、パソコンなどそうした環境を整えられない子ども達もいます。困っている人、立場に寄り添っていきたい。

介護現場では雨合羽を着て、働いたりしています。人手やお金をこういうところに使ってほしい。アベノマスクにお金を使うような政府に怒りの声を上げていきたいと思います。




今日の火曜バンドは移動しながらの演奏です。楽しくたたかわねば❗️



秦勝元さん!毎週お疲れ様です❗️



方清子さんが久々にマイクを持たれました。

*方さん

色々ありましたけど・・この間、韓国であった事で御心配を頂いてますけど、そのことで少しお話したいと思います。イヨンスハルモニが昨日も記者会見を開いてお話をする様子が報道されていました。92歳ですから、体調が悪そうで倒れそうで心配で胸が痛みました。


ゆっくりと休んで頂きたいのに、つらい思いをしてマイクの前に立たれる・・涙が止まりません。


ハッキョを訪ねて、学生達に会いに行ったキムボクトンハルモニ、キルウォノクハルモニを思い出します。本当に幸せだったんじゃないかと思います。

橋下の暴言、歴史否定の暴言で、つらい思いで日本に来られたと思います。朝鮮学校の子ども達に会うと本当に心から嬉しそうで、うらやましいぐらいでした。子ども達を励ましながら、子ども達から励まされ希望をもらっていました。キンボクトンハルモニは最後まで、”あの子たち”のことばかり気にしていました。


イヨンスハルモニも30年闘ってきたことの成果があがらない、再び被害者を侮辱するような発言が出てくる中で、30年間何だったんだろう、身体も弱くなる、そんなつらい気持ちでいらっしゃる時、様々な言動に心が動かされるとかがあるんだと思います。


そうであっても、植民地支配時、徴用工、「慰安婦」という事実があり、いまだ解決していない、日本政府が向き合わないといけない問題なのです。亡くなって終わりではないと思います。


そういう意味で、朝鮮学校のこともそうだと思います。日本に置き去りにされて生活してきた子ども達に配慮し解決するのが当然だとハルモニが発言されていたのを思い出します。私達も共に頑張っていきたいと思います。


*長崎さん

この問題は日本がハルモニにこたえてこなかったことが問題の本質だと思います。




*大村さん

イヨンスハルモニも日本政府、安倍に謝罪をしてほしいと今も言われています。正義連の問題は韓国内の問題です。

無かったことにしようとしているのは、日本政府と右翼メディアです。ごまかされない様に正しい歴史認識をもって進んでいきたいと思います。連帯のおもいを込めて歌を歌いましょう。


最後の歌は大村さんの音頭で「勝利のその日まで」❗️



駐輪場での申し送りです。皆さんに金順伊さん手作りのマスクを貰っていただきました。本当に真心のこもったマスクばかりです。今日は少人数だったので、なかったのはまた来週新たになられた方にお渡しいたしますね


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中山さんが火曜行動中にある府議の方がとても元気の出る激励をくださったこと報告されました。私も私もと色んな方々がこの頃「お疲れ様」「頑張ってくださいね」という激励の言葉を通行中の人だけではなく市議や府議の議員バッジをつけた方からいただいているとお話しされていました^_^



来週も頑張ろうと話し合いながら帰路につきました。私は久々に大阪城公園内を通って一人で帰りました。新緑の5月を感じたくて、、、



家に帰ってから娘に写真を撮ってもらい金順伊さんに送りました。コマッスムニダ❗️


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尹東柱の詩 ⑪新しい道 ⑫帰って見る夜(バイリンガル)

2020-05-25 17:46:08 | 詩・コラム



⑪「새로운 길」

윤 동 주

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

어제도 가고 오늘도 갈
나의 길 새로운 길

문들레가 피고 까치가 날고 *문들레=민들레의 평북,함남 방언
아가씨가 지나고 바람이 일고

나의 길은 언제나 새로운 길
오늘도┅┅ 내일도┅┅

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

(1938.5.10)




「新しい道」

          ユン・ドンジュ

川を渡って森へ
峠を越えて村に

昨日もゆき 今日もゆく
私の道 新しい道

たんぽぽが咲き かささぎが翔び
娘が通り 風がそよぎ

わたしの道は つねに新しい道
今日も┅┅ 明日も┅┅

川を渡って森へ
峠を越えて村に



⑫「돌아와 보는 밤」

                 윤 동 주

세상으로부터 돌아오듯이 이제 내 좁은 방에 돌아와 불을 끄옵니다. 불을 켜 두는것은 너무나 피로롭은 일이옵니다. 그것은 낮의 연장이옵기에┅

이제 창을 열어 공기를 바꾸어들여야 할텐데 밖을 가만히 내다보아야 방안과 같이 어두워 꼭 세상같은데 비를 맞고 오던 길이 그대로 비속에 젖어있사옵니다.

하루의 울분을 씻을바 없어 가만히 눈을 감으면 마음속으로 흐르는 소리, 이제 사상이 능금처럼 저절로 익어가옵니다.

                      (1941.6)





「帰って見る夜」

                    ユン・ドンジュ

世間から戻るようにやっと私の狭い部屋に帰って明かりを消します。明りをつけておくのは あまりにも疲れることです。それは昼の延長ですから―

いま窓を開けて空気を入れ換えねばならないのに 外をそっと覗いてみても部屋の中のように暗く ちょうど世間と同じで 雨に打たれて帰ってきた道が そのまま雨に濡れています。

一日の鬱憤(いかり)を晴らすすべもなく そっと瞼を閉じれば 心の裡(うち)へ流れる音、いま、思想がりんごのようにおのずから熟れていきます。

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詩 故郷(バイリンガル)総連結成65周年をお祝いして

2020-05-25 15:33:37 | 詩・コラム





総連が結成された1955年に私は兵庫県尼崎市の小さな小さな朝鮮学校である園田朝鮮初級学校(当時は尼崎市立園田小学校分校と呼ばれていました)に入学いたしました。そのウリハッキョで朝鮮語を学び朝鮮の歴史や地理、歌や踊りも習い民族心を養うことができました。私の人生はまさに総連組織と共に歩んできた人生といえるかもしれません。65周年を迎えた今、世界中がコロナ問題で揺れていますが、こんな時だからこそ忘れてはならないものをしっかり心に刻もうと、35年も前に書いた詩を対訳してみました。

    故郷

           ニョニョ

生まれて初めて
「故郷」という二文字を習った日
胸の中に芽生えたひとつの想い
「私の故郷はどこ?!」

年老いた父と母が
涙ながらに故郷を懐かしむ時
むしょうにうらやましくて
下唇を噛みながら探し求めた場所
「私の故郷はどこ?!」

生まれ育った地だけが故郷であろうか
先祖の骨が埋まった地は踏めなくても
あなたが教えてくれたウリマルと文字で
民族の心をはぐくんだ

あなたが諭してくれた祖国の大切さ
あなたがくれたやりがいのある職場で
祖国と同胞のために 働き生きてゆく
永遠なる青春を 私にくれたあなた

悲しみと絶望に身もだえた日
黙って抱いてくれたのもあなた
喜びも苦しみも共に分かち合う
命のような同志をくれたのもあなた

命の果てまで祖国をあおぎ
報いの花として永遠に生きよと
代をつないでいく幼子たちの胸にも
明るい笑顔と未来をくれたあなた

ああ、あなた
あなたの懐なくして
わたしがどうして故郷を歌えようか
わたしがどうして生を歌えようか

あなたはまさに私の故郷
私の心に根をおろした総連よ

あなたの懐がなかったなら
どれほど惨めだったろう私の青春は
どれほどやるせなかっただろう
私の今日、私の行く末は

あなたの懐がなかったとしたら
私の体に流れる朝鮮の血は
慟哭で干し上がり
私の眼は光を失い
暗闇の世をさまよっていただろう

ああ、総連!
私の真の人生が始まった故郷よ
必ずや守り抜き 花咲かせていく
祖国がくれた私の故郷よ
   
     創作 1986年5月
   (対訳 2020年5月25日)






「 고향 」

난생처음
≪고향≫이란 두 글자 익힌 날
가슴속에 움터난 하나의 생각
≪나의 고향은 어디?!≫

늙으신 부모님
눈물속에 고향 그리실 때
못견디게 부러워
입술 깨물며 찾던 곳
≪나의 고향은 어디?!≫

나서자란 땅만이 어찌 고향이랴
조상님 뼈 묻힌 땅은 못밟았어도
그대 배워준 우리 말과 글로
민족의 넋을 나는 찾았다

그대 깨우쳐준 조국의 소중함
그대 차려준 보람찬 애국초소
수령님의 전사로 살며 일하는
영원한 청춘을 안겨준 그대

슬픔과 절망으로 몸부림치던 날
말없이 깨우쳐준것도 그대
기쁨도 괴로움도 함께 안고갈
목숨같은 동지들 안겨준것도 그대

생의 끝까지 해와 별 우러러
보답의 꽃으로 영생하라고
대를 이어갈 어린것들의 가슴에도
환한 웃음과 미래를 펼쳐준 그대

아, 그대
그대의 품을 떠나서
내 무슨 고향을 노래하리
내 무슨 삶을 노래하리

그대는 정녕 나의 고향
내 마음에 뿌리내린 총련이여

그대 품이 없었더라면
얼마나 억울했으랴 나의 청춘은
얼마나 막막했으랴
나의 오늘, 나의 앞날은

그대 품이 없었더라면
내 몸에 흐르는 조선의 피는
통곡으로 말라터지고
내 눈동자는 빛을 잃어
암흑천지를 헤매였으리

아, 총련!
내 참삶이 시작된 고향이여
내 기어이 지키며 꽃피워갈
수령님 마련해주신 나의 고향이여

1986년5월

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詩 白いチマチョゴリ(バイリンガル)朴容吉女史を偲んで

2020-05-24 11:02:19 | 詩・コラム


この本は文益煥牧師の夫人である朴容吉女史が私に贈ってくださった本です。

2000・6・15南北共同宣言が発表されたあと、ウリハッキョにも沢山の南の人士が訪れたのですが、朴容吉女史も家族と共にウリハッキョを訪問されました。私はその日、僭越ながら朴女史の前で下記の自作詩を朗読させていただきました。



この詩は1995年の夏、祖国での創作講習会に参加した時、書いた詩です。私たちが講習会に参加したころ、朴女史が 故 金日成主席の1周忌に際しピョンヤンを訪問され、白いチマチョゴリを着て弔意を表されている姿を労働新聞やテレビニュースで毎日のように見ていました。その雄々しい朴女史の姿を書き残したい一心で綴った詩でした。

その拙い詩をご本人の前で朗読したのですから今思い起せばなんとふてぶてしいことか、恥ずかしくて・・・でも後悔はしておりません。
朴女史がお礼にと送ってくださった[文益煥」という本を読むことによって文牧師の幼い頃から逝去されるまでの素晴らしい人生に触れることができたのですから・・・特に私の大好きな詩人尹東柱と幼馴染であるばかりか志を共にした永遠の同士であったことに触れた瞬間、ウルっと来たことが昨日のように思い出されます。

今回コロナ騒動で2か月余り家にいたため、断捨離するつもりで過去の写真や手紙などを整理する中で手に取った、思い出を書き残してみました。


    白いチマチョゴリ
 -尊敬する朴容吉女史に捧げますー

              ニョニョ

祖国の地に足を踏み入れた瞬間
私の心の中に
懐かしくせまりくるその姿

数千万 人々の胸に
白衣民族の素朴な姿で刻まれた
朴容吉女史よ

ソウルを発つその時からあなたは
水晶のような清いまごころで
真っ白なチマチョゴリを着ていました

地球を回りまわって
ピョンヤンに到着した歴史的瞬間にも
真っ白い雪のようなまごころで
白いチマチョゴリを着ていました

革命の聖地
錦繍山太陽宮殿を訪ね
お慕いしていた父なる主席に
謹んで弔意を示された時も

文益換牧師の願いも合わせ
敬愛する将軍にお会いする
大きな栄誉を受けられた時も

着ていましたね 白いチマチョゴリを
天池の水のように 白鹿潭の水のように
清く美しいまごころで

悲しみの分断線を両足で踏みにじり
祖国の青い空を両手で押し上げながら
統一祖国万々歳を 高らかに叫ばれた時も

年が暮れる前に 統一を成し遂げようと
統一の鳩のように チマをなびかせながら
肉弾となり 分断線を越えられた時も

ああ、あなたは
真っ白いチマチョゴリを着ておられました

その真っ白なチマチョゴリは
銃剣にも怯むことなく統一への春の道を
力の限り切り開いていく者だけが着れるもの

あなたがお召しになった白いチマチョゴリは
南の同胞たちの折れることのない志操!
統一を成し遂げんとする7千万の誓い!

誰も汚すことはできない
誰も傷つけることはできない

寒風吹きすさぶ鉄格子のなかでも
純潔な民族の魂を抱き
今日もあなたは遽然と立っておられます
あの日の真っ白なチマチョゴリ姿のままで

     1995年ピョンヤンにて

( 対訳 2020・5・24)

    하얀 치마저고리
-박용일녀사에게 삼가 드립니다-


내 조국땅을 밟으니
더더욱 마음속에
정겹게 안겨오는 그 모습

천만사람들의 가슴에
백의민족의 소박한 모습으로 새겨진
박용길녀사이시여

서울을 떠날 때부터 당신은
수정같이 맑은 한마음 안고
하얀 치마저고리를 입으셨습니다

지구를 돌고돌아
평양에 도착한 력사적인 순간에도
흰눈처럼 깨끗한 한마음 안고
하얀 치마저고리를 입으셨습니다

혁명의 최고성지
금수산태양궁전을 찾아
오매에도 흠모하던 어버이수령님께
큰절을 삼가 올리셨을 때도

문익환목사님의 소망까지 합쳐
경애하는 장군님을 만나뵙는
크나큰 영광을 지니셨을 때도

당신은 입으셨습니다 하얀 치마저고리를
천지의 물처럼 백록담의 물처럼
티없이 맑고 깨끗한 한마음 안고

원한의 분단선을 두발로 짓밟으며
조국의 푸른 하늘을 량손으로 떠받들고
통일조국 만만세를 소리높이 부르실 때도

이 해가 가기전에 통일을 이루자고
통일의 비둘기처럼 옷자락 날리며
육탄이 되여 분단선을 넘어설 때도

아, 당신은
하얀 치마저고리를 입으셨습니다

그 하얀 치마저고리는
총칼도 두렴없이 통일맞이 봄길을
한껏 열어갈 사람만이 입을수 있는것

당신이 입으신 하얀 치마저고리는
남녘땅 인민들의 꺾이지 않는 지조!
통일을 이루고야말 7천만의 맹세!

그 누구도 더럽히지 못하리니
그 누구도 다치지 못하리니

파쑈의 살풍이 불어치는 철창가에서도
순결한 민족의 얼을 안고
오늘도 당신은 거연히 서계십니다
그날의 하얀 치마저고리를 입으시고

1995년 여름 평양에서

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尹東柱の詩 ⑨もう一つの故郷 ⑩怖しい時間 (バイリンガル)

2020-05-21 21:27:52 | 詩・コラム


「또 다른 고향」

윤 동 주

고향에 돌아온 날 밤에
내 백골이 함께 돌아와 한방에 누워ㅆ다.

어둔 방은 우주로 통하고
하늘에선가 소리처럼 바람이 불어온다

어둠속에 곱게 풍화작용하는
백골을 들여다보며
눈물짓는것이 내가 우는것이냐
백골이 우는것이냐
아름다운 혼이 우는것이냐

지조 높은 개는
밤을 새워 어둠을 짖는다.

어둠을 짖는 개는
나를 쫓는것일게다.

가자 가자
쫓기우는 사람처럼 가자

백골 몰래
아름다운 또 다른 고향에 가자.


(1941・9)


「もう一つの故郷」

          ユン・ドンジュ

ふるさとへ帰ってきた夜
おれの白骨がついて来て 同じ部屋に寝転んだ。

暗い部屋は宇宙へ通じ
天空からか 音のように風が吹いてくる。

闇の中で きれいに風化する
白骨を覗きながら
涙ぐむのは おれなのか
白骨なのか
美しい魂なのか

志操高い犬は
夜を徹して闇に吠えたてる。

闇に吠える犬は
おれを逐っているのだろう。

ゆこう ゆこう
逐われる人のようにゆこう
白骨にこっそり
美しいもう一つのふるさとへゆこう。

  

「무서운 시간」

윤 동 주

저 나를 부르는것이 누구요

가랑잎 이파리 푸르러 나오는 그늘인데
나 아직 여기 호흡이 남아있소

한번도 손들어보지 못한 나를
손들어 표할 하늘도 없는 나를

어리여 내 한몸 둘 하늘이 있어
나를 부르는것이요

일을 마치고 내 죽는 날 아침에는
서럽지도 않은 가랑잎이 떨어질텐데┅

나를 부르지 마오

(1941.2.7)




「怖しい時間」

          ユン・ドンジュ

そら おれを呼ぶのは誰か、

カランイプの緑でできた木陰だが、   *柏の葉
おれはまだここに呼吸が残っている。
       (いき)
一度も手をあげてみられなかったおれを
手をあげて指し示す空もないおれを

どこにこの身を置く空があって
おれを呼ぶのか。

しごとを終え おれが死ぬ日の朝は
悲しみもなくカランイプが散るだろうに  *ここでは 枯葉

おれを呼んでくれるな。

 **カランイプ=枯葉、柏の葉の両義がある。

     伊吹 郷 訳


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