12月12日、故 高仁鳳さんの1周忌の日に自宅を訪ねました。
このたこ焼き屋さんは昨年の9月、仁鳳さんが仮退院されたときデートをしたたこ焼き屋さんです。
5月に病院にお見舞いに行った時、退院したら一緒にたこ焼きを食べに行く約束をしていたのですが、それが実現したのでした。
食道癌であることを公表し、闘病生活をされていた仁鳳さんを励ますために「早く治してたこ焼き一緒に食べに行きましょう」と云い続けていたのが本当になったのです。
仁鳳さんとは思想も所属団体も違いますが、民族を愛しハングルを愛し、祖国の統一を心から願うという点ではとても意見があっていました。
初デートの日も、どうしてもウリハッキョは敷居が高くて入りにくいと仰っていたのを、決してそうではないこと、11月23日の大阪朝高の記念祝典には一緒に行って思い存分ウリハッキョの写真を撮り、ビデオにも収めてくださいとお話しました。その日に向かって闘病生活をする約束をしていたのに、そのころはもう衰弱しきっていて、病院を一歩も離れられない状態になっていたのでした。
この思い出のたこ焼き屋の前で奥様のパンジャさんと待ち合わせをしてご自宅にお伺いしました。
誰もいない広すぎる自宅の2階の仁鳳さんのお部屋がそのまま残されていました。公開ビデオで何回も見ていたお部屋でした。
仁鳳さんがビデオの編集などをしていた机の上で仁鳳さんはにこやかにほほ笑んでいました。
私が病院のお見舞いに持って行った折り紙のチマチョゴリが本箱に貼ってありました。
お部屋には愛するご家族の写真が真ん中に掲げられていました。病室にも飾ってありました。
ご両親のお写真です。
これは奥様と一緒の最後の旅行ハワイで過ごした時の遺品です。
すべての写真は奥様のパンジャさんの許可を得て掲載しております。
この朝鮮地図は仁鳳さんが故国を自転車巡礼する時必ず持って行かれたものです。
地図の真ん中に38度線が描かれた地図が嫌でこの地図、一つの祖国の3千里を描いた地図を大事に大事にしておられたそうです。
見ての通り祖国の全土を自転車巡礼する夢は儚く消えてしまいました。
しかし朴正泰さんはじめ志を共にした親友たちが必ずその夢をかなえてくれることでしょう。
分骨された遺骨の前にも横にも魯信夫さんが送られた絵が飾ってありました。仁鳳さんは魯先生の漫画の大ファンだったそうです。
昨年、お別れ会の日、教会で金さんと李さんがパンジャさんにお渡ししていたときのことを良く覚えています。
来年2月、梅が満開になるころパンジャさんと一緒に大阪城公園の梅林に行く約束をして家を出ました。
奥様はいつも笑みを絶やさない温和な素敵な方でした、
故 高仁鳳さま。安らかにお眠り下さいね。時々土曜日にはパンジャさんとデートしますからね。