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ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

夏になれば思い出す方がいます。姜輝鮮先生!53年のお付き合いでした。

2020-08-30 12:05:19 | イベント
訃報が届いた日から既に3年半の月日が流れました。夏になれば思い出されます。

姜輝鮮朝鮮舞踊研究所・舞踊団Narusae(飛鳥)主宰の姜輝鮮先生が高血圧心疾患によりご自宅でお亡くなりになりました。享年72歳。

通 夜: 1月17日〈火〉19時~
告別式: 1月18日(水)10~11時
場 所: 統国寺(天王寺区茶臼山1-31)

高校1年生の時から53年間お付き合いさせていただいた教え子として、今までブログで紹介しました先生に関連した発表会の記事を再掲いたします。

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去る8月25日、午後6時半よりクレオ大阪中央の大ホールで、カンフィソン朝鮮舞踊研究所の第34回目の発表会が行われました。舞台の裏で司会及びナレーションを担当していたのでリハーサルの舞台袖の写真と、最後の挨拶の写真しかありませんが、正面からの写真は藤井幸之助さんのFBの写真をいただきました。雰囲気だけでも味わってくださいね。




フィナーレでのカンフィソンさんの感謝のご挨拶








リハーサルのはじめに戻りますね。






お昼の1時に会場到着、真っ白な雲が迎えてくれました。


2時からリハーサルです。












本番前、子どもたちの緊張を解いてあげようと先生も一生懸命です。


途中から写真を撮りました。ピンぼけですが、、、






























































一部のリハーサルが終わり10分間の休憩です。

2部は舞踊組曲「心の舟歌」全7場です。尼崎の康沈哲先生が1場・7場の作曲をしてくださいました。

1部は演目の紹介が主なのでそんなに神経を使わなくても良いのですが、2部はそういうわけにはいきません、1か月前からずっと考えました。カン先生はこの舞踊組曲を通して何を言いたいのだろうと・・・

リハーサル前にも子どもたちの練習風景を2回も見に行きました。今までのプログラムも全て読み、先生がなんのために舞踊研究所を日本で初めて設立し今日までの36年間頑張ってこられたのかを表現せねばなりません。ただ海外公演をこんなにしましたよ。という宣伝のために2部があるのではありません。

カン先生はいつも仰います。「私は舞台裏のことまで心配せずに舞踊指導に専念したい、だから自分の言いたいことを全て知っていてくれる呉光雨さんに舞台監督をお願いし、司会進行・及びナレーションをあなたにお願いしたいの」と・・・

老体に鞭打ちながら、痛い足に針をうちながらも発表会を成功させるため研究生を叱咤激励されている先生を見ながら、私も頑張らねばと何回お思ったか知れません、書いては消し、消しては書きを何度繰り返したか知れません。先生は何も要求されません。私に全てを任せておられます。

リハーサルを終えたとき、やっとつかめました。先生の想いを・・・リハーサルを終え、又原稿を書き替えました。自分が納得できるまで、そして迎えた本番でした。










































統一の花ーイムスギョン






青い鳥



























リハーサルが終わりました、あと2時間で本番です。緊張が走ります。


楽屋に行くと、カメラマンが待っていました。


映像作家の崔先生です、江原道から来られました。

リハーサルでの私のナレーションを聞いて、オモニ(母)を思い出したと言って楽屋に来られたのです、6.25以前ご両親は元山に住んでおられたそうで越南されたあと崔さんが生まれたそうです。

崔先生は若い頃大阪芸大の影像科に留学されていたこともあり日本語も堪能です。






初対面なのに、高銀先生の詩集をプレゼントしてくださいました。コマッスムニダ。



いよいよ本番です。藤井さんのお写真を戴きました。私は司会進行とナレーションにだけ集中しました。




















第2部の解説  「舞踊組曲”心の舟歌“全7場”」の1部分を掲載いたします。


「10年経てば山河も変わる」というウリナラの諺がありますが,3度も山河が変わるほどの長い歳月が過ぎ去りました。

 思い起こせば1980年5月、「姜輝鮮朝鮮舞踊研所」という小舟が鶴橋という港から出港しました。たった15名の研究生を乗せ、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」という民族統一へのメッセージを掲げ、右にも左にも進んでいく方向がわからず只ひたすら櫓をこぎ出しました。

 途中何度も大きな風波や襲ってくる嵐をまともに受けつつ、それでもめげずに必死の思いで、ひたすら櫓をこぎ続け、数千人の人々を乗せたりおろしたりしながら今日に至りました。 

初海外公演―中国公演〈1990年)・・・

 アメリカ公演〈1993年)・・・

 1995年8月、ついに母なる祖国―平壌での公演が実現しました。・・・


 平壌のあとは何処に‽ そうです。南、済州島での公演が実現しました。〈2006年)
 私たちは済州島公演で統一の花‐リム・スギョンの雄々しい姿を表現した「白頭からハンラまでの想い」を舞台に上げました。・・・



 済州島公演の次の年、私たちは待ちに待ったソウルでの公演を実現しました。

 ソウルでは公演もさることながら、幼き研究生たちと共に38度線の統一閣まで行った際に、わが民族の最大の悲劇で或る分断の現実を目の当たりにする機会がありました。これも、研究生たちにとって、これからの自分たちの進む道しるべの助けになると思います。

 誰に言われたわけでもないのに研究生たちはリムジンガンの前で、2年前に舞台に上げた舞踊組曲「青い鳥よ、私の想いを届けておくれ」で踊ったように両手を広げ、鳥になって涙しながら「リムジンガン」を歌いました。3世、4世達の心に祖国統一の想いは間違いなく伝わっている!感動の瞬間でした。・・・


 たとえ分断されていようとも祖国があったからこそ、両親の慈しみと民族教育があったからこそ、民族意識をしっかり持ち、私たちは小舟での航海を続ける事が出来ました。

 これからも私達を取り巻く状況は厳しいと思いますが、「舞う、舞い上がれ、ひとつになるまで」の初心を忘れず統一祖国に向かって航海を続けていきたいと思います。




発表会が終ったあといろんな方からの感想がパソコンに送られてきていました。おひとりだけ紹介いたしますね。「ハルモニ会」の木村さんです。

「ニョニョさん、こんばんは
とても素敵な舞踊に招待いただき本当にありがとうございました。
ニョニョさんの朗読も迫力があってすばらしかったです。

第一部ではかわいらしい舞踊、勇壮な舞踊、珍しい楽器を使った舞踊などいろいろあってどれも興味が尽きませんでしたが、特に心に残ったのは「折り鶴に願い託して」でした。
少女たちと折り鶴たちがそれぞれに「38」で分断され、それでも折り鶴たちが懸命に飛び回ってついに「38」を壊してしまうところが感動的でした。

第二部はさらにどの踊りもドラマを感じました。踊りはもちろんのこと、演技や表情がとてもすばらしかったと思います。
兄にからかわれてふくれっ面をしていた弟が、兄の演奏につい踊り出してしまう情景にほのぼのしたものを感じました。
かわいらしい春香の首に枷がかぶせられて心配し、ハッピーエンドにほっとしたり、楽しそうな電車ごっこにうきうきしたりしました。
ここも一番心に染みたのは、「白頭からハルラまでの想い」でした。いつも火曜行動で演奏している曲が流れ、せりふがなくてもその想いが聞こえてくるような気がしました

青い鳥は息子から母への手紙を託されていたのですね。そのことがわかったときも、感動的でした。

本当にすばらしい舞台をありがとうございました。
はじめは今度の火曜日にお会いしたときに話そうと思ってたのですが、ついつい書かずにいられなくなってしまいました。」木村


故 姜輝鮮先生のご冥福を心からお祈りいたします。

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再掲 東中としての最後の芸術発表会(第2部)

2020-08-30 11:51:46 | イベント
東中の芸術発表会 第2部をアップいたします。
8.女声大合唱 「輝かしい未来へ」
9.吹奏楽演奏 「我らの願い」
10.ダンス 「開けよう❗️未来の扉」 1.2.3年生選抜
11.演劇 「歩んできた道、そして未来へ」 三年生選抜
12.農楽 舞踊部と三年生男子選抜
校歌と共に芸術発表会が終わった。私が作詞を担当し、尹忠新先生が作曲を担当された校歌!もう二度と聞くことはないかも知れない。でも半世紀近くを共に歩んできた東中は永遠に私の胸の中に生きている❗️
さぁ再出発です❗️60周年を迎える節目の年に大阪朝鮮中高級学校として東中は新しく生まれ変わります。みんなで応援しましょう❗️

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再掲 東中としての最後の芸術発表会(1部)

2020-08-30 11:49:14 | イベント
私の人生の半分を過ごした故郷のような学校ー東大阪朝鮮中級学校としての最後の芸術発表会を見に行きました。
学年代表による始まりのご挨拶
1.プロローグ 「共に」 全校生 舞踊部
2.打楽器合奏 「ウリチャンダンが一番❗️」 1.2年生 選抜
3.パフォーマンス 1.2.3年生選抜 東中ショータイム
4.群舞 「変わることのない蒼い木のように 」舞踊部(金賞)
5.歌謡重唱 「あの旗をはためかせ」1.2.3年生選抜
6.民族器楽重奏 「太鼓の舞」民族楽器部
7、男声大合唱 「ウリハッキョは我が故郷」男子全員
10分間の休憩、続いて2部、、、
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7.8月の花とグルメ日記

2020-08-27 11:14:00 | 日記
蝉の鳴き声がピタッと止まりました。なのに残暑は続いています。しばしお花と素朴なグルメで癒されてくださいね。




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残暑お見舞い申し上げます。
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8月25日、394回目の「火曜日行動」です。

2020-08-25 18:54:00 | 火曜日
残暑お見舞いどころか、真夏そのものの暑い暑い正午、府庁前にはこの夏一番の参加者で盛り上がりました。
今日のレポーターは前半、井上郁子さん、

後半、横道昭子さん、写真撮影は松尾和子さんです。熱中症に気をつけながら発信していきましょう❗️
長崎由美子さんの第一声始まりました。

☆ 長崎さん

府庁にお勤めのみなさん、ご通行中のみなさん 酷暑というべき残暑が続いていますが今日も熱中症に気をつけていただきたいと思います。

朝鮮学校に学ぶ子どもたちが一日も早く夢と希望を取り戻して歩めるよう、大阪府が全国にさきがけて支給をしてきた朝鮮学校への補助金を打ち切ってもう8年を越えます、私たちも2012年4月17日に第1回目この府庁前に立ちました。朝鮮学校を取り巻く状況はこの8年の間にむしろ苛酷になって来ています。

8年前から私たちが訴えていることは一つです。大人が子どもの夢と希望を奪わない、自分が生まれて来てよかった、自分自身をありのままに認めて生きていける、日本社会がかつて言葉や文化を奪ったという歴史をしっかり見据えた上で、この大阪にたくさんの在日韓国・朝鮮の人たちが暮らしている、その子どもたちが育ってきている、共に生きる大阪府としての誇りを取り戻すためにももう一度朝鮮高校の無償化、・幼児教育の無償化の適用を求めて今日も私たちは訴えています。

今日はたくさんのオモニたちが参加していただいています。小・中・高に学ぶ子どもたちのオモニのみなさんが、ダブルワーク、トリプルワークをするような中でオモニのみなさん、アボジのみなさんはこの間朝鮮学校を支えてこられました。我が子をなぜハッキョに送って来ているのか、我が子がハッキョの中で何を取り戻し、なぜ子どもたちが輝いているのか、そんなオモニたち一人ひとりの訴えを是非耳をすませて聞いていただきたいです。



和歌山から2時間かけて来てくださいました。玄春美さんのアピールです。

☆ オモニ

  私は今日、和歌山から来ました。4人の子どもがいますが朝鮮学校に通わせています。4時間かけて、毎朝4時半に起き、朝練をし、クラブ活動に勉学に励み、帰って来るのは9時半、10時です。それでも子どもたちは、自分の国の言葉、歴史、文化を学ぶために朝鮮学校に通います。何の迷いもありません。日本の方が自分の子を素晴らしい日本人に育てたいという思いと、私たちが朝鮮人として朝鮮の心を育み生きてもらいたいという思いは同じです。

  先日、サッカーのリーグ戦がありました。日本のサッカー選手と子どもたちと一緒に汗を流して体をぶつけ合い、点を取り合い、共に喜び、励まし合う子どもたちを見て、何故私たちの子どもたちには日本の子どもたちと同等の権利が与えてもらえないのか。日本の社会に学び一生懸命がんばっているのにどうして私たちの子どもには同じ権利がもらえないんでしょうか。幼稚園から大学まで給付金や無償化制度から全て除外されていることに対して私は政治的意図を感じずにはいられません。とても胸が痛みます。卒業生たちが日本の社会の中で一生懸命生きています。日本社会に貢献し素晴らしい人材に育っています。それなのに何故私たちの子どもたちに差別をするのでしょうか。

  私たち在日コリアンは70年以上日本に生活の基盤をおき、地域で日本のみなさんと共
に生きています。日本で経済活動をし消費し税金も納め義務を果たしながら生きています。なのに当たり前の権利を行使させないのが日本政府の考えです。ましてや子どもたちから学ぶ権利さえ奪う、マイノリティの存在すら消し去ろうとしているのでしょうか。足元の外国人にこういう扱いをしながら、海外から労働者を呼び込もうとする日本政府に疑念を感じざるをえません。

 私たちオモニ会は、この理不尽に負けるつもりは微塵もありません。良識ある日本の皆さまの協力に感謝しながら、、日本に暮らすすべての子どもたちの尊厳が平等に守られるようにひき続き闘い続けます。この火曜日行動400回を目前にして、今まで皆さんと共有して来た長い時間は決して消し去ることはできません。心を共にして私たちはこれからも闘い続けます。どうか子どもたちに学ぶ権利を与えてください。




火曜バンドは不滅です❗️



続いて和歌山から来られた高民愛さんがマイクを持たれました。

☆ オモニ

みなさん、アンニョン ハシムニカ
私も今日、和歌山からやって来ました。毎週毎週酷暑の中、本当にご苦労様です。いまだ数回しか参加していないにも拘わらず、毎週来られている方々の前でこのようにマイクを持つのは心苦しいですが、せっかく和歌山から来たので、しっかり言いたいことは伝えようと思います。

暑い中、道行くみなさん、そして涼しい府庁にいるみなさん 私たちがこの暑さの中、コロナ禍の中、何故マイクを置かないのか、何故毎週ここへやって来るのか、興味をもってください。今、マスクをするのは当たり前、手の消毒も当たり前となりました。コロナのせいで生活様式も一変し、私たちの今までの当たり前が覆っています。吉村知事はそれを誰より実感しているはずです。それなのにいまだ当たり前のことが当たり前にならず、それどころかもっともっと傷口を広げ塩を塗るような状況が続いています。

朝鮮学校の何が悪いのか、何を見て言っているのか。国際共生都市大阪とは名ばかりで、恥ずかしくないんですか。長い間ここに立ち続けている間にどんなにたくさんの子どもたちが巣立っていったことか。その子どもたちはどんな思いで巣立っていったでしょうか。その子どもたちは私たちの宝物です。私たちの未来です。

朝鮮学校の子どもたちはこの長い闘いを知っているし、この闘いを見て育ってきました。だから、何が正しくて何が間違っているのかを、吉村知事、あなたよりよくわかっているのです。子どもたちが差別はいけないことだという当たり前を理解し、何が差別なのかを考え、何故このようにたくさんの日本の方々が朝鮮学校を支えてくださっているのか討論し、その答えを模索する中で立派に育っています。


吉村知事はこのように差別をいつまで続けるつもりでしょうか。この闘いがいつまで続こうと私たちは朝鮮学校のために、ひるむどころかなお一層団結し、正義を勝ち取るまで叫び続けることでしょう。




城北地域のオモニのマイクアピールです。

☆ オモニ

 府庁にお勤めのみなさん、お疲れ様です。
 高校生と小学生の娘をもつ保護者です。依然として続く火曜日行動ですが、恥ずかしながら私自身、両手で数えても余るくらいの回数しか参加できておらず、今回のような機会を得てマイクを握らせてもらっています。

 コロナ禍でいろんなことに制限がかかる日々ですが、娘たちは暑さに負けず元気に学校に通っています。どんな決定にもくじけることなくいろんなことに頑張っている子どもたちを見ていると、当たり前のように与えられないといけない権利さえ確保できていない現状に親として胸が痛みます。報道で、幼保無償化からも私たち幼稚班が対象から外された時、6年生の娘は、「いじわるやな」とだけつぶやき、複雑な表情を浮かべていました。私は、なんともやりきれない気持ちと悔しさと怒りが湧きました。朝鮮学校に通う子とそうでない子の差とはいったい何なのでしょうか。見える差別、見えない差別、いろいろありますが、子どもたちは、日本の学校に通う子どもたちと同じように夢に向かい勉学に励み、クラブ活動にがんばっています。大人の知らない所で子どもたちはSNSを通して国籍や環境が違えども交流をはかり、スポーツや芸術活動を通じてもお互いのいい所を認め合っています。どうぞ子どもたちにまっとうな権利を与えてください。

 今日、酷暑の中、課外活動の一環として、娘が通う城北朝鮮初級学校の児童たちが参加しています。今朝、娘は私に「オンマ、がんばってな。初参加で火曜日行動がどれくらいのものか全然わかれへんけど、できる限りのことは精一杯がんばるわ」と力強いエールをくれました。本音を言えば、児童たちがこういう場に来なくていいようにしたいのですが、毎週のようにここに立ち続けてくださる支援者の方々やオンマたちの闘う背中を見て娘なりにいろいろ感じ取ってくれたなら、私のこの叫びも無駄な時間にはならないと思っています。まっとうな権利が与えられるまで、どんな困難にもくじけず私たちは闘い続けます。




城北初級の6年生の皆さんがオンマたちの応援に駆けつけてくれました。



オモニたちのマイクアピールです。

☆ オモニ
 暑い中、お勤めご苦労様です。

 私は、中学2年の女の子と高校1年の女の子を通わせる保護者です。在日朝鮮人として生きる困難さは30年前から何も変わっていないことを、朝鮮学校関連の裁判を傍聴し、差別に抗議する火曜日行動の場で思い知らされて来ました。

 朝鮮学校を等しく扱ってほしいだけで特別扱いを要求している訳でもありません。私たちの子どもに学ぶ権利はないんですか。日本の学校に通う子どもたちと何が違うのですか。私も他の父母たちも怒りを感じつつも、がんばろうと励まし合っています。日本の学校と朝鮮学校の教育、知識、教養の場に変わりはなく、民族として朝鮮語を体得し、同じ民族の先生に教えを受け、同じ民族の友達に囲まれ愛を育む、民族教育を受けることが当たり前で素晴らしいことだと私は子どもを通じて体感しております。





日本の支持者もアピールされました。

☆ 長崎さん
 それでは次に、解放運動をがんばっておられる仲間、東谷さんからもひとことお願いします。

☆ 東谷さん

 私は、日本人としてここに立っております。朝鮮学校に無償化適用をしない、子どもたちの教育への補助をしない、それは差別であります。日本人として本当に恥ずかしい。

 私の住んでいる所には多くの在日の方々がおられます。みんな仕事をし、税金を払い、消費税を払い、生活をしている。消費税によって補助している幼保無償化がなぜ朝鮮学校幼稚園に適用とならないのか。本当に恥ずかしく思っています。

 差別はよくない。私の友達は私がここに来ることに“ありがとう”と言ってくれます。在日の友達がありがとうと言うのはよくない、私は日本人が悪い、こういう差別を行っていることが悪いと思っています。早く無償化適用される日が来ることを願っています。早く無償化適用されるよう声をあげていきます。




若いオモニの熱い熱いアピールです。

☆ オモニ
 東大阪地域からひとこと言わせてもらいます。

 たくさんの父兄たち、日本の方々、そして今日は城北地域から小学校6年の生徒が参加してくれています。よく考えてください。子どもにこんな姿見せていいんでしょうか。この状況いつまで続くんでしょうか。

 今に始まったことではありません。私の小さい時から、JR定期券問題をはじめ、インターハイ出場の件も、1世2世のおじいちゃんおばあちゃんたちがこうやって暑い中、寒い中アピールを続けて権利を勝ち取りました。私たちはその遺志を引き継ぐつもりです。差別を受ける度、団結は強くなっていきます。この闘いは一生終わりません。

 大阪だけではなく全国各地で権利を勝ち取るその瞬間まで私たちは闘い続けます。この状況を是非みなさん、立ち止まって考えてください。不思議に思ったら、違うな、と思ったら是非調べてみてください。今、あなたたちが何をやっているのか、どんな差別をしているのか、その目で確かめて考えてみてください。どんなにおかしいことなのかきっとすぐわかるはずです。

 ビラも配れません。この声しかアピールできる術がありません。私たちは最後まであきらめません。団結して権利を勝ち取っていきます。みんなでがんばりましょう!




朝鮮大学の学生もアピールしました。

☆朝大生

僕は朝鮮大学に通う学生です。

民族教育を学ぶことは、真っ当なことだと思うし、日本の学校と同じように朝鮮学校が扱われるべきだと思います。

それなのに高校無償化、補助金、その上何も知らない幼稚園児まで差別するのはどういうことでしょうか。
コロナ禍に対する大学生への緊急給付金も朝鮮大学だけ除外されています。

今、日本のみんなが団結してこの苦境を乗り越えるべき時なのに、差別があるのはおかしいと思います。これは日本のみならず世界中から非難される問題です。

僕たちは朝鮮学校差別の全ての差別が無くなるまで、一致団結して、これからもずっと闘い続けます。






大村さんもマイクを持たれました。
☆大村さん

みなさん こんにちは。
今日もたいへん暑いですね。
この暑さの中、たくさんの皆さんがここに集まっています。これは差別を無くしてほしい、差別を無くさねばならないという気持ちだと思います。

なぜ差別が無くならないのか。それは日本人が歴史を忘れようとしている、あるいはねじ曲げようとしている、そういう結果ではないでしょうか。

昨日8月24日がどんな日か、みなさんご存じですか。
浮島丸事件というのをご存じの方は少ないと思います。特に日本人は知らない人が多いと思います。
日本が敗戦し、それから数日後の1945年8月22日、浮島丸は強制連行などで働いていた約4000人の朝鮮人労働者とその家族を乗せ、朝鮮半島に帰らせようという日本政府の意図によって、青森県大湊港を出て釜山に向かったのです。

それが、なぜか途中で進路を変更して、舞鶴の沖合で撃沈され、549人もの朝鮮の人が亡くなりました。日本人乗組員も25人亡くなったそうですが549人もの朝鮮の人々が犠牲になったのです。

事件があったことは最初、明らかにされていなかったのです。韓国から知らされてはじめて明らかになった。日本はずっと隠していたわけです。
嘗て日本がやったことを隠そうとしている、そういう歴史を引きずってきていることが、今の朝鮮学校の差別にも繋がっていると思います。
私たちはしっかりと歴史を学び直さなければいけない。正しい歴史を学び直さなければならないと思います。




イケメン三人衆健在です❗️



オモニのアピール続いています。

☆オモニ

生野在住の息子3人のオンマです。
息子3人ですが、兄たちは卒業し、いまは末っ子が朝高2年生です。

本当に長い長い長い闘争で、子ども達も何が本当なのか、と不満をいっぱい溜めています。
日本の子ども達にも仲のいい子がたくさんいるのですが、日本の子ども達も「なんで? なんで? 意味わからん」と言っている子がたくさんいます。

共生、共に生きようという時代の流れの中で、先進国と言われている日本の社会の中で、なぜ、このような差別が行われているのか。
このことを、もう一度大人が考えなければいけないことだと思っています。

今、私の子ども達は自分のアイデンティティと朝鮮にルーツを持つ在日として朝鮮学校に通っているということに誇りを持っています。僕たちは「世界遺産」並みだと頑張って生きて行こうとしております。
私たちは要求ばかり言っているのではありません。人として当たり前のことを言っています。ここに立っているオンマ達の思い日本の方々の思いを受け止めていただきたいと思います。


長崎さん

オモニありがとうございました。
一人一人の言葉を聞いていただき「何であんな暑い中、立っていたんだろう。何でこんな理不尽な目にあっているのだろう」と関心を持っていただきたいと思います。
大阪府庁の中で、クーラーの効いた中で過ごしておられる皆さん!
今、炎天下の中でオモニ一人一人が訴えられたことを、ぜひ受け止めてください。
そして、誇りある大阪府の行政を取り戻すために声をあげてください。




大村さん

今日はこの暑さの中を、城北朝鮮初級学校の6年生の14人がこの場に来てくれました。
子ども達はこのような場に参加して、みんなで訴えたいと来てくれました。
今日は歌をうたってくれます。6年生は歌が大好きです。
「ウリハッキョは心のふるさと」を歌ってくれます。どうぞ聴いてください。

城北初級の生徒たちが♪♫『ウリハッキョ ヌン ウリエコヒャンイダ』、♫『オンマ トゥロジュセヨ』(オンマ聞いてください)
を熱唱してくれました。

☆城北ハッキョ6年生 合唱

☆長崎さん
コマスムニダ! 暑い中、本当にありがとうございました。
リクエストに応えてくださった「オンマ 聞いてください」も素敵でした。
素晴らしい歌声でした。


☆大村さん
どうもありがとう。カムサハムニダ。
聴いていただいた様に、この子たちは幼稚園の時からウリマルで、このように歌ってきました。
幼稚教育というのは、言葉を学ぶということは、本当に大切なことだと思います。
その幼児無償化から除外することは、本当に許されないことです。
子ども達にもう一度拍手をお願い致します。



オモニたちのシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が始まりました。

☆オモニ

アンニョンハシムニカ
城北ハッキョの学生達が歌っている時、多分職員さんと思うのですが、マスクをした若い方が、ここまで出てこられて拍手をして、また入っていかれました。
子ども達の歌は心を打つものなのだなと思いました。

酷暑の中、皆さん本当にご苦労さまです。
私たちは権利を勝ちとるまで決して諦めることはありません。
皆で声をあげて歌いましょう!

オモニ達の歌とシュプレヒホール

歌「声よ集まれ 歌となれ」

シュプレヒホール
 
・子どもたちの学ぶ権利を保障しろ
・朝鮮学校の子どもたちを差別するな
・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ
・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ
・行政が差別するな




最後は作者自らの音頭で「勝利のその日まで」の大合唱❗️



朝鮮大学の新入生たち、コロナ感染予防のためまだ登校はできていません。



大阪中高の頼もしいオモニたちの記念撮影、先週も21人、今週も21人です。



駐輪場での申し送りです、まずは城北の生徒たちにあたたかい拍手が送られました。



河住さんが「アイたちの学校」の上映会について詳しい説明とアピールをしてくださいました。



大阪中高オモニ会からも応援グッズ購入のアピールがありました。



今日も暑さ対策で40分で終了です。来週も頑張ろうと声掛け合いながら解散しました。

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