ねこ庭の独り言

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歴史的書籍の発見 ( 唐澤富太郎氏とは何者か ? )

2013-08-03 05:06:20 | 徒然の記

 唐沢富太郎氏著『明日の日本人』( 日経新書 ) を、読了した。

 図書館が廃棄処分する本の中から貰って来たので、著者のことも知らず、予備知識もないのは何時ものことだ。内容に呆れて、いつ頃の出版かと確認しようとしたら、最後のページが何枚か破られていた。

 腹を立てた読者が破ってしまったのかと、残されたページの破れ具合が、語っている。

 「戦後の教育は、戦前の軍国主義的超国家主義的教育を、批判・否定するところから発足したため、戦前の理想的人間像も雲散霧消してしまったのである。」「新教育の基盤となる民主主義は、アメリカや西欧諸国において発達してきた、西欧的民主主義を模範としたものであったから、日本の社会にはその基盤が無く、日本の内から必然的に生み出されたものでなかった。」

 「そのため、民主主義精神を如実に示す理想的人間像を、日本の歴史的、文化的、伝統の中から見つけることは、困難であって、多くはアメリカや西欧諸国から、求めなければならなかったのである。」

 本の書き出しは事実であるし、そうであろうと納得しつつ読んだ。

 「社会における縦の人間関係が、上位者には盲従し、下位者には威を振るうという、いわゆる権威主義的性格をつくりあげていったわけで、こうした日本社会はその帰結として、個人の自主独立も社会的連帯感も、否定するものとなったのである。」

 阪神淡路大震災や、東日本大震災での日本人の連帯感や絆、あるいは戦後に増えた個性のある国民、強くなった女性たちなどが頭に浮かび、この本は、いつ頃書かれたのものだろうか知りたくなった。

 「われわれが、アメリカやヨーロッパの教育を見て感じさせられることは、これらの国の生き方が、いずれも子供を大切にし、子供の幸福を願って行われているということである。」

 「日本人は子供を愛することにおいて、他の文明諸国人に比較し、劣るものでないと考えて来たが、真の意味において、西欧でいう愛の心をもって、子供を育てて来たかという疑問を、提出せざるを得ないのである。」

 「ルース・ベネディクトによれば、日本の子供たちは、家族制度の維持のために必要と考えられていることが、明らかにされている。」

 「換言すれば、両親やその他周囲の者が自己の将来の、生活保障の手段として、子供を考えていることである。」

 こういう説明になると、チョット待って欲しいと言いたくなる。

 「日本では、自分の職業を卑下して隠したり、親の職業を恥じて、劣等感を持つという場合も多く見られる。ところがアメリカでは、天職観念が徹底しているから、線路工夫が自己の職業の重要さを自覚し、誇りと愛を持っている。」

 「またソビエトでは、職業を通して社会に貢献するという観念が、国民一人一人にしみこんでおり、誰もが自己の職業を、いかにして最高に勤めあげるかということに努力している。」

 「ヨーロッパや、アメリカにおいては、キリスト教によってうらづけられた、天職感が職業倫理の基礎をなしている。日本では、職業は生計の道、つまり生きる手段、食う手段以外のなにものでもないと、言って良いくらいである。」

 次第に、唐沢氏への疑問が生じてくる。氏は本当に日本人を知っているのかと、人間性にも疑問符がつき出す。

 「中国の教科書には、至る所で労働に対して、感謝・尊敬の念を持つようにと教えられている。社会主義社会では、社会そのものが労働を尊ぶから、児童も張り合いをもって労働することができる。」

 「労働は皆でするもの、楽しくできるものであるということを理解させるような、集団的労働の意義を教える教材が与えられている。そこには日本の明治以降の、労働蔑視の思想や、自分だけよければ他人はどうでもよいとする、立身出世主義は、みじんもその影をとどめていない。」

 「こうした人間形成の方法について、我々は、多く学ばなければならないものを、感じる。」

 何だこれはと、仰天せずにおれない意見だ。どの時代の中国の話なのか、いったい何処を見て、氏は騙されたのかと調べたくなる。

 「日本人は、国際人としての教養や社交性において欠けるところがあり、それが、国際社会で活躍するさいの、大きな障害となっていることは周知の通りである。」

 「元来日本人は、国内においても社交的な習慣をもたないため、社会人として必要な、礼儀作法にも熟達していない。会議の運営、参加の仕方、討論の仕方、各種の公衆道徳、集会におけるエチケットなどは、外国人に比較するとかなり未熟なものである。」

 「風俗習慣の違いから、ある程度はやむを得ないものであるが、今後の日本人の使命を考えた場合、ただ止むを得ないと言って、すませてはいられない問題である。」

 どう読んでもこの指摘は、中国人や韓国・北朝鮮人に突いて言っているとしか、私には思えない。

 長い紹介になったが、「歴史的書籍」と呼ぶに相応しい本だと確信する。

これなら少々長くても、退屈しない内容だ。読後は当然のこととして、新聞雑誌とひとまとめにし、小学校のゴミ出しの日に「有価物」として処分することになる。

 朝日新聞だけでなく、こんな自虐教の養書もあったのだと知り、今更ながら日本のいい加減さを知らされた。

 ところで朝日新聞の購読は、7月末で目出たく終了した。念のため、これも記録に残したおこう。

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