藤沢周平氏著「三屋清左衛門残日録」(平成27年刊 文芸春秋社)を、読み終えました。退屈な本を沢山手にしていましたから、このような作品に出会うと、気持ちがほっとします。
氏は昭和2年に山形県に生まれ、平成9年に63才で亡くなっていますが、作品が世に多く出回り、テレビでも放映されていたため、私は氏が存命だとばかり思っていました。味のある小説を書く人なので、どのような経歴の人物なのか知りたくなり、いつものようにネットの情報を探してみました。
農家に生まれた氏は、農作業を手伝いながら少年時代を過ごし、敗戦の時は18才でした。私より17才の年長です。山形師範学校を卒業した後中学校の教師となりますが、25才の時結核のためやむなく休職します。退院後は一念発起して東京へ出て、業界新聞の記者となり、32才で結婚し、その2年後に急性の癌のため愛する妻を亡くしています。
直木賞を受賞したのは46才の時ですから、作家としての自立は遅い方だったと言えます。彼がいかに妻を愛していたかというのは、ペンネームが語っています。藤沢とは妻の実家のある地名ですし、周平の周は、妻の親族の名前から持ってきているという話です。少年時代から作家を志していた氏は、仕事の傍らずっと習作に励み、苦労を重ねた経歴を持っていました。
山本周五郎氏もそうでしたが、「三屋清左衛門残日録」も、市井に生きる人々を見つめる暖かい目があり、人間の情がいつも底に流れていました。NHKの朝ドラのような、わざとらしい会話や筋の展開がなく、江戸時代の武家の話なのに、自分のことが語られているような錯覚と親しみを覚えました。
家督を惣領の又四郎へ譲り、隠居した清左衛門の立場は、定年退職した私のかっての姿でもありました。会社の仕事を第一とし、時間に縛られ、人間関係に心を砕き、ひたすら頑張った日々が、突然目の前からなくなった時の、あの開放感と嬉しさと、ついで襲ってきた不思議な寂しさなど、そっくり清左衛門の思いと重なるものがありました。
朝田派と遠藤派の二つの勢力に別れた藩内で、繰り広げられる武家の暗闘が全編のテーマとして流れ、この中で、清左衛門と接する武士たちが人間模様として語られる。簡単に言えばそんな内容ですが、どの人物との関わり合いも、味わいのある一編として書かれております。ハッピーエンドで終わるとか、読者を笑わせるとか、そんな明るさはありませんが、節度のある、渋い叙述が、苦労人としての氏を彷彿とさせました。
平易な言葉を使いながら、冗長にもならず、退屈もさせず、人物でも自然の描写でも、巧みに読者を引き込むというのは、凡庸の作家の技ではありません。「本当の芸術は、積み重ねられた職人技の上に開花するのです。」大学生の時、親しかったドイツ語の教授がそう言われました。あまり意味を理解せず今日まで来ましたが、氏の作品を読んでおりますと、何となく理解できる気がいたしました。単なる才能だけで世に出た作家が、短命に終わるというのも、職人としての基礎的な積み重ねがないためだと、こういうことだったのでしょう。
「日差しはまだ十分に暑いのだが、川には裸で水にたわむれる子供の姿は見えなかった。」「真夏に比べて、水はずっと冷たくなっており、水かさもいくらか増えていた。」「その水かさの変化は、数日前から小樽川の上流の山地一帯を襲っている、雷雨のせいだろうと思われたが、同時に季節の変化を現してもいた。」
清左衛門が釣りから帰る道の描写ですが、使われている言葉の一つひとつはありふれた日常語です。それなのに情景が、鮮明な映像となって読者の前に広がります。たくさんの修飾語や凝った文章を書かなくても、的確な表現ができるというところが、先生の言われた職人技だと思いました。対象を見つめる訓練をした目だけができる描写は、作家の技量と言っても同じなのかもしれません。
こうした目を持つには才能だけでは叶わず、絶え間ない研鑽がなくてはなりません。小説家だけでなく、画家も彫刻家も、あるいは思想家でも政治家でも、一流と称される人物に共通する目なのだと言って良い気がいたします。一つに秀でた者は、万物に秀でると言われるのはこういう理屈なのでしょう。
本題と離れてしまいますが、氏の作品を読んでおりますと、そのようなことが思い浮かんで参りました。「大衆小説作家」などと、世間では今もそんな呼び方が生きておりますが、そして自分も、昔はそのような目で直木賞作家を捉えておりましたが、ほんとうに愚かな思考でありました。
逆境にあっても卑屈にならず、他に責任を転嫁せず、自分をまっすぐに見つめられる作家こそが一流なのだと、私は思っています。最終章である「早春の光」の中で、氏は、清左衛門の若き日の友であった老武士の姿を描きます。
中風で倒れた大塚平八は、無気力な老人と成り果て、家人の心配を他所に床に伏せたままとなっています。それではなるまいと見舞いに尋ねた清左衛門は、通りの向こうに人影を見つけます。
「こちらに背を向けて、杖をつきながらゆっくりゆっくり動いているのは平八だった。「ひと足ごとに、平八の体はいまにもころびそうに傾く。」「身体が傾くと、平八は全身の力を太い杖に込める。」清左衛門は路地を引き返し、後ろを振り向かずにその場を離れます。
「そうか、平八。
いよいよ歩く練習を始めたか、と清左衛門は思った。」
「人間はそうあるべきなのだろう。」「衰えて死が訪れるその時は、おのれをそれまで生かしめた、すべてのものに感謝を捧げて生を終われば良い。」「しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間は与えられた命を惜しみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ。」「そのことを平八に教えてもらったと、清左衛門は思っていた。」
私はこれを、氏から与えられた珠玉の言葉として受け止め、座右の銘のひとつに加え、大切にしていくつもりです。本を送ってくれた友にも、感謝いたします。