ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

クマバチ

2011-06-29 12:25:35 | 徒然の記

 クマバチが、玄関に巣を作り出した。ドアーの横においた植木の葉陰に、いつの間にそんな手仕事を始めていたのか、小さな巣があった。

 庭に咲いたバラの花に、数日前から訪れているクマバチのものだ。スズメバチなら危険きわまりないので、市役所のベテラン職員が即座に撤去してくれるが、クマバチの巣だと相手にされないから、自分で始末するしかない。

 インターネットで調べてみると、巣作りはオスの蜂が単独でやり、子を産み育てるのがメスだという。巣を作るオスはおとなしいが、子育てするメスは、人を攻撃することがあると、注意書きがあった。スズメバチみたいに大きく派手な模様の巣でなく、大人の握り拳大の巣は、素焼きの土器を思わせる素朴さがある。

 半分作りかけで、まるでお椀を伏せたような形で枝から下がっている。
もともとミツバチとは共存する気でいるから、場所が玄関でなければ、このままにしておきたいところだ。しかし毎日出入りするドアーのすぐ横では、メスに刺される可能性が高い。

 手慣れた市役所の職員でもない私に対し、家内は、すぐに取り除いてくれと、無理な懇願をする。我が家の庭は玄関と反対側にあり、一般的に言えば裏庭ということになるのだろうが、妻も私も裏庭なんて、そんな侘しい言葉は使わず、何が何でも「うちの庭」と呼ぶ。

 さてクマバチは、せっせとその「うちの庭」と、玄関とを往復しながら、巣作りに励んでいる。

 もし巣を取るとすれば、ハチが「うちの庭」へ、飛んで行った隙間を狙うしかないのだが、なかなか決心がつかない。
「うちの庭」の害虫なら、市の職員に負けず、手際よく捕まえ、迷うことなく殺せるのに、ミツバチとなるとそうはいかない。何日かけて、巣の半分を作ったのか知らないが、孤独な作業を黙々と続けているオスに、私はなぜか自分を重ねて眺め、見るほどに同情心が高まってきた。

 庭の草むしりをしたり、枯れ葉を集め、ゴミ袋に入れたりしながら、時間が経過し、やっと決心をしたのは、夕方近くだった。

 高切り鋏で、枝ごと一気に巣を切り取り、大きな紙袋に入れ、他のゴミと一緒に物置へ運んだ。

 再び玄関へ戻ると、クマバチのオスが、しきりと巣を探していた。心の痛みを抑え眺めていると、ハチは巣のあった枝ばかりでなく、すべての枝を確かめるように飛んでいる。捜索の範囲を広げつつ、玄関のあたりを何度も旋回し、消えた巣を無心に探している。

 それでもやがてハチは、巣の無くなった事実に得心したのか、暮れ方の空へ飛び去って行った。玄関の窓を上へと飛び、屋根を越え、小さくなるクマバチを見ていると、涙が出そうになった。

 虫には、感情など無いという気でいたが、どうもそうではなかったようだ。
巣を探す懸命さ、見つからなかった時の失意の様子、どうにもできなくなった諦観の風情・・と、ハチの思いが伝わってきた。

 庭いじりの楽しみの合間には、こうした悲しみと言うか、やるせなさとでも言うのか、そんなものもどうしても生じる。だからと言ってこの私が、虫にまで思いやりをする、優しい人間だと、そんな自惚れはしない。

 容赦なく殺しているバッタや、青虫やカナブンだって、同じ虫なのに、ミツバチにだけ思い入れをしているのだから、これこそ、身勝手な人間の見本というものだろう。

 だから今日は、事実だけを記録することとしたい。
既に半月も前のことなのに、今でもハチの姿が、痛みとなり残っているという、この事実だけを。

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これからやるべきこと ( お迎えは、万人平等 )

2011-06-12 09:31:03 | 徒然の記

 小学校、中学校、高校、大学、そして会社勤めを38年、振り返ると、自分の足跡はこんなに呆気ないものだった。

 定年退職後、かっての会社と無関係な場所で職を得、月に何度か都内で働いているが、責任も権限も無い単純作業で、周りから「派遣のおじさん」などと呼ばれ、名前すら不要になってしまった。

 定年を迎えるまでは、休まないこと、遅刻をしないこと、弱音を吐かないこと、仕事に手抜きをしないことと・・・・誰に言われた訳でなく、そういうものと信じ暮らして来た。

 世間の誰もがやっていることだから、大した話ではないのだが、それでもやっぱり張りつめた気持ちで、頑張っていたのだと、「派遣のおじさん」になり初めて知った。

 おじさんの勤務は毎月ランダムで、通勤のラッシュとも無縁な時間帯になり、取ろうと思えば、連続一週間の休みだって取れる。せき立てる上司はもちろんのこと、気配りすべき部下もいない。一抹の淋しさはあるものの、取り立てていうほどの責任もない、気楽な立場。それが今の自分。

 ああ、もう走らなくていいんだと、駆け続けたランナーが、足を止め、安堵する時の気持ちとでも言えば良いのだろうか。新聞でもテレビでも、時間を気にせず安心して見られ、パソコンにだって、こうして何時間でも、自由に向かうことができる。やりたいことがあれば何でもやれ、気が向かなければ何もしなくていい。放縦とも言える、この無制限の自由を律するものがあるとすれば、それは自分の意志だけだ。

 以前と同じ日本で、同じ時代の日常なのに、それはまるで、異次元の世界みたいな新しい発見でもある。

 金のかからない趣味を探し、その時々の時間を有効に使えば、それで充分。健康に留意し無理をせず、知足安分で慎ましくすれば、年金暮らしもまた楽しというところか。肩の力を抜き、せかせかした心を落ち着かせ、自民党とか民主党とか、躍起になり考えることだって、控えて良いのかも知れない。

 そうするともう、あとに残るものと言えば、万人のもとへ訪れる、死への準備ということになる。若い頃は未来が果てしないものに思え、何かしなくてはと、焦燥に駆られることが一度ならずあったが、ここまで来ると、人生の終わりが何となく感じられる。

 いよいよその時がやって来るかと、かすかな不安と奇妙な期待と、そして何かしら厳粛な静謐が生まれてくる。子供たちに負担や迷惑をかけず、長患いせず、痴呆にもならず、せめて辞世の句でも残せたらと、相変わらず欲張りなことを考えてしまうが、これこそが私の「これからやるべきこと」であるに違いない。

 いやいや、「やるべき」などと堅苦しいものでなく、死は季節の移ろいや潮の満ち干と同じ、必然の現象に過ぎない。

 年寄りたちがよく口にしていた、「お迎え」というものなのだろうが、貴賤貧富の区別無く、すべての人間に訪れてくれる「お迎え」は、まさに人間平等の最たるもの。ふんぞり返っていた奴も、贅沢三昧していた輩も、鼻持ちならない性悪の極道も、綺麗サッパリ終わらせられる。

 なんとも、有り難いことではないか。

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