やっと、読み終えた。
読後感は、「しんどかった。」の一言に尽きる。
満鉄も満鉄調査部も、私の頭では、最後まで全容が理解できないままだ。満州に作られた国策会社とは言うものの、関東軍と対等に振る舞おうとしたり、本国の政府にも和して動ぜず、しかもふんだんな資金を無尽蔵に使う。私のこれまでの経験の中に、こんな組織はどこにも記憶されていない。
善悪は別にして、専門家と言われる人々の優秀さについても、学ばせてもらった。
難しい課題への挑戦力や解決へ至る頭脳の閃き、あるいは目前の事象の分析・把握力等々、凡俗とは違う天才がいることも理解した。政治家も軍人も科学者も経済人も超一流と言われる者を集め、国家の進路さえ左右した満鉄調査部という組織。もしかするとそれは、名前は調査部でも、実態は米国のCIAやロシアのKGBに匹敵する体制と陣容を持つ、巨大諜報機関だったのでないかという気もする。
別の本で読んだ知識だが、当時あれだけの軍隊を展開し、巨大艦隊を広範囲に動かせたのは日本だけだったという意見を思い出した。だからある面では、後世に言われるほど無謀な戦争突入でなく、勝てる成算があったのかもしれない。
草柳氏の本で語られる政府や軍部、そして学者や官僚が、自由気ままな対立を止め、国を挙げて一つの道を邁進していたら、あるいは日本が勝利していたのかもしれないと、そんな思いもしてきた。
だから、アメリカを筆頭とする連合国は、二度と日本が立ち上がれないよう、徹底した占領政策を進めずにおれなかった。そうせずにおれないほど、日本が強大で、日本人が強かったとも言える。敗戦後の日本は政治家も経済人も学者や文化人も、こぞって自国の過去を悔い、反省をし、自らを卑下して生きと、侘しい歴史観を身につけているが、そろそろ正気に戻るべきでないのだろうか。
私は頑迷な右翼ではないから、こうした読後の発見をもって「世界に冠たる日本」だとか、「日本人が世界一」だとか、そんなうぬぼれを語る気はない。負けるべくして負けたという事実を謙虚に受け止め、同時に敗戦後の自虐思考の行き過ぎも是正すべしと言いたいだけだ。
満州の経営に反対した伊藤博文公と同じく、日本の拡張主義に反論を唱えた石橋湛山氏の言葉をもう一度噛みしめてみたい。多少長くなっても、引用せずにおれない立派な正論だ。
「青島陥落が吾輩の予想より遥かに早かりしは、戦争の不幸の少なかりし意味において、国民とともに喜ぶことなり。」「しかれども、かくて我が軍の手に帰せる青島は、いかに処分するをもって得策とするか。」「これに対する吾輩の立場は明白なり。」「アジア大陸に領土を拡張すべからず、満州もよろしく早くこれを放棄するべし。」
「戦争中の今こそ、仏人の中には、日本の青島割取を至当なりと説くものあるといえども、」「大戦が終わりを告げ、平和を回復し、人心が落ち着く時に至れば、米国は申すまでもなく、」「我に好意を有する英仏人といえども、必ずや我が国を目して、」「極東の平和に対する最大の危険国となし、互いに結束して、我が国の支那における位地の転覆に努むべきは、」「今より想像して余りあり。」
大正3年の東洋時論の社説で、氏が堂々と述べている。大正11年に、在満日本居留民が守備隊の撤退に反対し、「居留民大会」を開いた折には、更に根本的な疑問を投げかけている。
「要するに、満州は他国の領土、支那の主権に属する土地と知るべきである。」「痩せても枯れても、一国家をなす国に、その知権が信用されない、秩序が認められないとあって、軍隊を備えて居留し、」「営業するとせんに至っては、これほど大きな侮辱はあるまい。」
「親善も、友誼も、理解も生まれようはずがない。」「軍隊を以ってしなければ住めないような、危険な他国へ住もうとすること、商売をしようとすることが飛んだ間違いで、」「軍国主義、侵略主義以外を意味しない。」
満州の領有は日露戦争で得た当然の成果であるという意見が、有力だった時の氏の主張だ。戦後に幅を利かせている人道主義政治家が、氏と似たような意見を言うとしても、混同してはならない。戦前はだんまりを決め込み、日本破壊をたくらんだマッカーサーの統治下で、にわかに平和主義者になった反日・売国の政治屋などと、氏を同列に論じてはならない。
当時の世情を、草柳氏が語ってくれる。
「 " 全満日本人連盟 " が、 " 全満日本人自主同盟 " と名称を変えたのは、幣原外交を不満として、」「満州問題を自主的に解決しようとの意思からだが、このような問題意識は満鉄社員の中にもあった。」「 " 満州事変は軍部の独走 " とするのが、現代史の定説となっているが、 いかに軍部が独走しようとしても、」「軍部以外の社会が、軍部の選択を心情的にせよ支持しなければ、独走の距離は短いはずである。」
「満州青年議会のみならず、全満に渡って、青年たちの政党が幾つも結成されていた。」「青年自由党、民衆党、独立青年党、青年同志会、この他政党の形は取っていないが、同志的な結合は幾つかあった。」「弥美会、満州青年団、大雄峰会、三木会、これらは、大同団結して満州青年連盟となった。」
「満州青年連盟の中は、大きく二派に分かれ、権益派と協和派がいた。」「権益派は、満州の権益は明治大帝の御遺産であり、日本が守るべき当然の歴史的果実と主張し、」「これを認めようとしない排日運動には、積極的に立ち向かっていくべきだという態度をとった。」
「協和派は、中国革命を援助して統一を進め、暴力主義を排して、精神的融和を図るべしと主張した。」「青年の中には、満州解放論に近い左翼的考えの持ち主もいたので、」「彼らは、協和派を生ぬるいと論難し、権益派は、協和派を赤に通じる思想だと攻撃した。」
日露戦争後に満州への権益を得て以来、軍部どころか、日本の朝野は沸騰したヤカンみたいに熱くなり、議論も沸騰していたのだ。だからこそ、冷静な正論を述べた伊藤公と石橋氏の勇気が光る。
考えてみれば、歴史は100年200年の単位で動いていくのだから、たかだか敗戦後の70年で日本の思潮が大きく変じるはずがない。反日・売国の国民が多いと嘆くより、国を大切に思う国民が増えて行く今後の方が楽しみなのだ。
中国共産党政府が、南京事件などでなく、満州国の経営について文句をつけるのなら私は同意する。
軍国主義とか、侵略とか言われても、歴史の事実として受け入れる。しかし中国政府は、肝心の満州国について何も言わず、取るに足りない南京の一戦闘での死者の数で日本を攻撃する。余りにも情けない子供騙しの言いがかりなのだが、この本を読んで目から鱗が落ちた。
当時の共産党は、日本と正面から戦う力がなく、日本も戦争の相手としていたのは蒋介石の国民党軍だった。共産党は中国内部で、蒋介石と戦い、しかも満足な武器がないため、それは人海戦術のゲリラ戦だった。敗戦後の日本が大人しくなったのを好機と捉え、「抗日戦争を戦い抜いた人民解放軍」などと大嘘を国民に教え始めた。朝日新聞の慰安婦問題に負けない捏造の歴史だが、今では嘘が事実として信じられつつある。
まともに満州を持ち出せば、共産党も支配されていた清朝を語らずにおれなくなり、主役が孫文や蒋介石、袁世凱や張作霖や張学良たちになり、抗日の手柄話など何処にもない。要するに、現在の中国共産党は、たかだか南京事件くらいでしか日本を責められないほどの歴史しか持たない政府なのだ。
そうなると私は、益々親中派の政治家たちに疑問符をつけたくなる。朝日新聞を筆頭にNHKやその他のマスコミだって、軽蔑せずにおれなくなる。
もっと述べたいことがあるけれど、もう時間がなくなった。
ノルウエーへ行く前に、この本を図書館へ返却しなければならないし、荷物の準備も急がなくてならない。
とうとう12時を過ぎてしまった。心残りでならないが、この本とは今夜限りでお別れだ。私の知識を深めてくれた草柳氏に、深い感謝を捧げ、そして氏のご冥福を祈ろう。