「性非行と薬物中毒」というタイトルで、仮名・神山公一氏が語っています。氏は45才の商業高校教師で、生徒の9割が女子、3年間で生徒の2~3割が退学するという学校に勤務しています。
「高校生の非行が、新聞やテレビで報道されていますが、」「現実は、もっと凄まじい。」「新聞に出ない、警察が発表しない、警察沙汰になっていないことは、」「いっぱいあるでしょう。」「その中で教師が知りうるのは、ごく一部です。」
「警察は事件があっても、基本的には学校には連絡しませんし、」「最近の親は学校に隠します。」「例えば、青少年健全育成機関に行っていたとしても、」「長期欠席の扱いになっていて、」「担任以外は知らない、ということもあるわけです。」
警察が学校へ連絡しないのが基本だと、私は今まで知りませんでした。警察が隠し、親が隠し、学校も担任も隠しという実情を、氏が教えてくれました。
「ただし非行をする子は、昔も今も数的には多くないのです。」「いつの時代でも、する子はする。」「最近低年齢化し、高三でしたことを、今は高一や中学生がやっている状況がありますが、」「大方の子は影響されない。」「例えば援助交際、セックスが介在しないとしても、8~9割の子は否定的です。」
「性非行に関しては、もう概念自体がなくなりつつある、」「と言っていいですね。」「昔なら、ボーイフレンドとセックスして、」「妊娠したかもしれないと、本人が悩むわけです。」「擁護の先生に本人が相談し、学校に分かり、相談や指導ができました。」「今の子は、そんなことに悩みもしないし、相談もしないし、」「学校が手を出そうとしたら、たぶん、」「親も子も、拒否するでしょう。」
こうなりますと、息子三人の親だった私には、別世界の話になります。また自分の学校時代には、経験したことのない話です。本当の話なのかと、疑ってしまいます。
「彼女たちにとって、セックスは隠すものでなく、自慢したいこと、」「教員にも、ボーイフレンドと肩を組んでいる旅行先の写真を見せてくれるし、」「それを親は、どう思っているのか ? 」「心配しているのか、いないのか、私にも分かりません。」「でも、娘が外泊して、親がおろおろして、」「学校に連絡することは、まずないと言っていい。」
原田瑠美子氏のように、教室で性教育をする教師がいるから、そういう生徒が育つのか。それともこんな時代になったから、性教育が大切なのか。私の経験からでは、判断が難しくなります。
「性非行でも薬物問題でも、今は退学処分というのは、極めて稀で、」「話し合いのもとで、退学届を出し、」「自主退学してもらいます。」「こうすれば、本人にその気があれば、」「一年遅れになるけど、別の学校へ編入することができます。」「退学理由は公表しないし、問い合わせがあっても、言いません。」「学校が合わなくて、やめて行った子と同じ扱いです。」
沢山こういう生徒を扱っている経験がそうさせるのか、氏の説明には、感情のたかぶりがありません。それでも私の心に響くものがあります。
「自主退学させるのは、教員としては寂しいものです。」「退学してしまえば、教員として関わることはもうありません。」「でも、退学という歯止めをなくし、」「生徒が何をやってもいられるようでは、他の子たちへの抑止力になりません。」「公立の学校としては、けじめをつけないといけないのです。」
私は自分でも時々思いますが、単純な人間です。氏の話を読んでいますと、編者である森口氏への印象が変わります。こんな教師の話なら、多くの人に伝えて欲しいと、感謝の気持ちが湧いてきます。私は、謙虚になり、氏の話を転記します。
「事件が起きた時、警察への届けは保護者次第で、」「未成年の人権問題なので、学校からは届けられません。」「しかし保護者には、是非届けて欲しいと思います。」「なぜなら警察の関連機関は、色々有効なアドバイスをしてくれるし、」「対処マニュアルも、持っているからです。」
「私は、警察も、青少年の非行を扱う専門機関の一つだ、と思っています。」「さらに医療機関、行政や民間の機関、」「学校同士との協力と連携は、これから是非とも必要です。」「今起きている問題は、登校拒否でも非行でも、」「社会的な広がりを持っていますから、」「個々の学校、教師のわずかな経験と知識で対応するのでは、」「限界があります。」
氏の意見には、心から賛成します。私は小学生の登下校の見守りをする、ボランティア活動に参加していますが、たったこれだけの経験からでも、関係する組織の連携の重要性を感じています。3年生以下の低学年の児童が、交通事故に遭わないよう、不審者に襲われないよう、黄色い旗を持って誘導する活動です。
孫と同じ年代の子供たちは、みんな可愛い生徒ばかりですが、注意しても道いっぱいに広がり、私たちの言うことをなかなか聞きません。挨拶をする子がいたり、憎まれ口を叩く子がいたりで、先生や親たちはどんな教育をしているのかと、話し合ってみたくなる時があります。
小さな小学校のスクールガードですが、関係する組織は色々あります。学校の先生だけでなく、社会福祉協議会、町内会、父母会、町づくり有志会などです。年に何回かでも、関係者が一緒に話ができたら、もっと子供たちのためにできることがあると、私は考えています。しかし、それぞれの人々は、それぞれに忙しく、自分の役目が終わると解散です。この本でも分かりましたが、先生たちには、さらに時間がありません。
それだけに、私は氏の最後の言葉を、息子たちや、「ねこ庭」を訪問される方々にも、日本中の方々にも、伝えたくなりました。
「問題を表沙汰にしないことで、子供を守り、平穏無事に過ごせる。」「しかし、平穏に済ませられないと分かっていながら抱え込むのは、」「返って、子供ためにならないのではないでしょうか。」「確かに学校は、教育の専門機関ですが、」「全てを担う必要はない。」
「子供は国の宝」ですから、学校や先生にばかり頼らず、協力する気持ちを持たなくてなりません。私たち親も、変わらなくてなりません。
「できないと突き放すのではなく、学校が問題点を明らかにして、」「解決への、問いかけをしてもいいと思います。」
学校から、こんな問いかけがあれば、親として、あるいはかっての親として、私は協力しようと思います。