いじめに対する「マスコミの批判」への、氏の反論の5番目です。
5. いじめが確認できないのは、教師が信頼されていないからだ。
「担任教師が、自分のクラスで、生徒がいじめられているというサインを、」「見落とすことは、まず無いと言っていい。」「教師はそれほど鈍感ではない。」「問題は、ここから先である。」
「問題を確認するため、いじめられている子供を呼んで、話を聞いたとしても、」「別になんでもありません、という答えが返ってくるのがオチである。」
ここで氏は、理由を4つ挙げます。
「 1. 子供の世界のことは、そう簡単に教師 ( 大人 ) に喋らない。
2. いじめを訴えるのは、本人のプライドをひどく傷つけることでもある。
3. 教師が介入すれば、自分が子供の世界からはじき出される恐れが大きい。
4. 最近の教師の力に対する不信 ( 本当に抑えられるだろうか )も、あるだろう。」
「ことは単純に、信頼のあるなしの問題では無いのだ。」「いじめは、そう簡単に確認できることでは無いのである。」
氏はこう言って、4.番目を締め括りますが、1.3.4.の理由は、私から見れば、「教師への信頼」が、生徒から得られていない事実そのものです。二人で話をしても聞き出せないというのなら、教師の力量がないのか、信頼されていないのか、そのいずれかでしょう。納得できませんが、先へ進みます。
6. いじめは、はじめから事実として存在する。
私はこの項目の説明が、何度読み返しても、ピンときません。マスコミの批判が、こういう言葉でされていたという記憶もありませんし、意味不明の文章です。理解しておられる人がいれば、説明してもらいたいくらいです。
「いじめは最初から、事実として、そこに存在しているわけではない。」「それぞれの生徒、教師、親が、それがいじめであると認定した時、」「初めて姿を表すものである。」
え ! いじめは、そんな次元の話なのですか。氏の説明に、私は目を丸くします。
我思う、故に我ありと、デカルトは言いました。つまり認識しないものは存在しないと、確かそういう意味だったと思います。いじめも、当事者や教師や親が認識しないと、見えないものなのでしょうか。三者が同時に認識しないと、存在しないのか。三者のうちの一人でも認識すれば、存在するのか。なんとも奇妙な意見です。
「しかもそれは、それぞれの立場で、」「全く違った様相をしており、多数決で、」「民主的に、どれかに決めることなどあり得ない。」
氏は一体、何を言っているのでしょう。こんな思考は、どこから発生するのでしょうか。自殺する子供がいて、その命を救うための検討をしているときに、「多数決」とか「民主的」とか、どこからそんな発想が生まれるのでしょう。
「いじめた生徒が、いじめを認めないことなど、普通のことだし、」「周りの生徒も、他人に関心が薄いから、」「気が付かないことの方が多い。」
ここまでくると、氏の意見は支離滅裂となります。ならば氏が、前項で述べた意見はなんだったのか。
「担任教師が、自分のクラスで、生徒がいじめられているというサインを、」「見落とすことは、まず無いと言っていい。」「教師はそれほど鈍感ではない。」
みんなが無自覚でしているいじめは、認識できないというのなら、教師は鈍感ということになります。この書き方では、いじめられているサインを常に見落としていることになると、私には受け取れます。転記する気になれませんが、締めの言葉を紹介します。息子たちも、「ねこ庭」を訪問される方々も、それぞれで判断してくださいと言うしかなくなりました。
「とすると、誰かが " いじめの物語 " を作って、」「それを、関係者に押しつけることが、必要になってくるわけだ。」「学校では、教師がその役割を担うことになるだろう。」「教師がいじめを確認しようとするとき、」「ある種の力が必要なのは、そのためである。」
現在、221ページの本の、50ページです。いわばまだほんの一部ですから、氏の力作を無碍に否定するのもためらわれます。多様な意見があるのですから、短慮に走らず、平常心を持たなくてはいけません。これまでだって、どれだけの悪書と、どれだけの反日・左翼学者に出会ったのかを、振り返ることで気を落ち着けます。
本の裏扉に、出版社の推薦の言葉が印刷されています。長いので、その一部を紹介いたします。
「これは、30年間現場の教師として、生徒と格闘し、」「10年前から、学校の危機に警告を発してきた著者が、」「今学校で起こっていることを、つぶさに報告し、」「なぜ現在のような状態に、立ち至ってしまったのかを示すとともに、」「再生への道を探った、衝撃的な本である。」
氏の意見がどうであれ、日本の学校教育の現状を知るのは、重要なことです。出版社も、ここまで読者に推奨していますから、気を取り直し、ブログを進めます。次回は、最後の項目です。
7. 校則・体罰・管理教育が、いじめを生み出すのだ。