わだつみ会編「戦没学生の遺書にみる15年戦争」(昭和38年刊 光文社)を、読了しました。
私は以前に、昭和24年出版の「きけわだつみのこえ」を読んでいましたので、頭を整理するため、戦没学生の手記を集めた本が、これまでどのように出版されてきたのかを、調べてみました。
1. 「はるかなる山河に」 昭和22年 東京大学協同組合出版部 東大生のみの遺書
2. 「きけわだつみのこえ」 昭和24年 東京大学協同組合出版部
3. 「戦没学生の手記に見る15年戦争」昭和38年 光文社
この本は、後に「第2集きけわだつみのこえ」と改題されました。
今私は、3の「戦没学生の手記に見る15年戦争」を読み終えた訳ですが、調べてみますと、興味深い事実が分かりました。1の「はるかなる山河に」は非常な反響を呼び、当時のベストセラーになっています。昭和22年に初版本が出ますが、昭和24年には第5版が印刷されています。
しかしこの本に対し、東大だけが大学ではあるまいとの批判が巷からあったため、東大協同組合出版部は、全国の大学生を対象として遺書を広く募集し、昭和24年の「きけわだつみのこえ」として編纂しました。書名の由来につきましては、ネットの説明をそのままに転記します。
「学徒兵の遺稿を出版する際に、全国から書名も公募し、」「応募のあった約2千通の中から、京都府在住の藤谷多喜雄のものが採用された。」「藤谷応募作は、 " はてしなきわだつみ" であったが、」「それに添えた応募用紙に、」「なげけるか いかれるか はたもだせるか きけ はてしなきわだつみのこえ」という短歌を添付した。」
ということで、短歌から、「わだつみのこえ」が取られたと言います。「 わだつみ 」が、今では戦没学生をあらわす言葉のように使われていますけれど、元々の意味は海神を意味する日本の古語だとのことです。
こうした学徒の遺書を扱った本の過去を、わざわざ調べる気になりましたのは、上記2.と3.の内容が、微妙に違っていると感じたためです。簡単に述べますと、2の「わだつみのこえ」には、日本精神主義的な学生の遺書や、戦争謳歌に近いような遺書がほとんどなかったのに、3の「戦没学生の手記に見る15年戦争」には、日本賛美や肯定の遺書が混じっていたからです。
ネットの情報によりますと、東大協同組合出版部は、戦没者遺族が編集に携わっていたこともあり、昭和24年の編集方針として「平和への訴え」を掲げ、遺書の言葉が、戦後の反戦平和運動のスローガンに利用されたと、述べています。
日本がサンフランシスコ条約に調印し、独立するのが昭和26年ですから、「きけわだつみのこえ」が出版された昭和24年当時は、GHQが日本を統治していた時です。出版物には当然GHQの検閲が入り、戦争を肯定する言葉や米軍の批判は削除されました。従って、すべての遺書が「反戦、平和」「軍国主義の否定」で編集されても、致し方なかった事情があります。
けれども、昭和38年「戦没学生の手記に見る15年戦争」の編集に際しては、右翼的表現や日本主義的言辞が含まれた手記も、事実として採録されることとなりました。つまりマスコミの良心であるべき、両論併記です。死を前にして、学生たちがどのように考え、何をしていたのか。右も左も区別せずそのまま掲載し、考え判断するのは読者だとしました。
平和への訴えを編集方針とした「きけわだつみのこえ」は、軍国主義的潮流のあった当時、戦陣訓世代と呼ばれていた人々に大きな衝撃を与え、世代の評価を覆すという働きをしました。
テレビでも新聞でも、出版でも同じですが、一方に偏した方針で情報が発信されると、どれだけ世間を惑わせるのか、昨今の森友・加計問題ばかりでないことを再認識させられます。
これは私が直近のネット情報で拾った、「きけわだつみのこえ」だけを読んだ、読者の感想文です。参考のため、なるべく省略せずに転記します。
「最近は、想像力の乏しい若者が多い。」「戦争がいかなる悲劇かをよく考えないで、」「日本に集団的自衛権の行使を認めるべきだとか、交戦権を認めるべきだとか、」「核武装するべきだとか、、好戦的な主張をする人がいる」「それ自体は、今の日本では思想の自由を侵してはならないから、」「許されることなのだ。残念ながら。」
「日本を戦争が出来る国に逆戻りさせたいと考える、思想の自由は認める。」「しかし、そう主張する前に、" きけわだつみのこえ " は読むべきである。」「故・上原良司氏の文章を読めば、戦争になると、国家は個人に対して、」「どんなにやりたいことがあっても、どんなに大切な家族がいても、」「死ぬことを強要する、と言うことが分かる筈である。」
「22歳にしてこれほど、思想を錬磨した優秀な人材が、」「何千人も無駄に死なされたのである。」「それが戦争である。かかる悲惨が繰り返されて良いとは私には思えない。」「上原氏の文章を読んで、なお、「戦争をしたい」という人は、」「気の毒だが知能が低いか、」「人間の悲しみを理解する感受性が。欠落しているのではないかと思う。」
「上原氏の遺書は、何百ページにもわたる「きけわだつみのこえ」の、」「最初のたった一文だけである。」「このあと、延々と、涙なくしては読めない文章が続く。」「それでも、戦争をしたいのなら、」「戦争になったら、まず自分から志願して下さい。と申し上げる。」
この意見をネットに載せた人が、どのような人物なのか、年令も職業も知りません。「きけわだつみのこえ」を学生時代に読んだ私は、反戦・平和を願う気持ちに駆られ、亡くなった学生に深く同情いたしました。確かに、涙無くしては読めない遺書でした。
この人が、両論併記の「戦没学生の手記に見る15年戦争」を読んでも、なおこうした意見を述べられるのかどうか。この人が「お花畑の住民」の一人なら、変わらない主張だと思いますが、もしも自分の国を大切にする人間なら、こんな一面的主張はしないはずです。どうもこの人は、戦前までの日本の歴史を、あまり知らない人物のようです。安全保障の重要性が理解できない己の無知に気づこうともせず、保守の人々を「戦争をしたがる者」と決めつけ、低脳とまで断定するのですから、その粗末な脳を憐れみます。
歴史の知識がないため、偏向した書に心を奪われ、恥ずかしい意見とも知らず述べています。マスコミの捏造情報の恐ろしさが、こんな人物の書評でも証明されているということでしょうか。
蛇足ながら付け加えますと、岩波書店は「わだつみのこえ」を文庫本等で、何度も自社出版していますが、両論併記の「戦没学生の手記に見る15年戦争」の出版は断りました。良心的左翼、人道的平和主義を標榜する岩波は、一度決めたら、反日・亡国の主張を捨てません。朝日新聞と同じ体質なのです。結局、光文社のカッパブックが引き受けました。
当初の出版では、GHQの検閲が厳しかったため、戦没学徒の遺書も米国非難や、日本賛美の言葉が削除されたり、書き改めたりされました。日本が独立した後、戦没学生の遺族が、遺書を修復し、原文に直して欲しいと岩波に訴え、裁判まで起こしました。このような事実は、ほとんど報道されませんでしたから、国民の多くは知りません。「報道しない自由」を含め、戦後の腐れマスコミの歴史が、どんなに長く続いているかが分かります。
今回のブログは、中身に言及せず、出版された時代と背景について述べ、書評としては例外になりました。両論併記の「戦没学生の手記に見る15年戦争」に興味のある方は、図書館でお借り下さい。
そろそろ庭の水撒きの時間です。飽きもせず、暑い日が続きます。マスコミの捏造の歴史の長さが、私をいっそう暑苦しくいたします。