三島由紀夫著『不道徳教育講座』( 角川文庫 ) を読了した。
奥野健男氏の解説によると、次のように紹介されている、
「話はいつも機智に、エスプリに、ユーモアに満ちています。そして単なる冗談に終わらず、人生や社会や文学の本質を鋭く逆説的に言い当てています。」
巻末の解説について、不動産屋の宣伝文句みたいなものと、テンから馬鹿にすることにしている。解説者は恥知らずか、それでなければ頼まれると断れない気弱なインテリか、いずれかに違いないと考えている。
いつからこのような考えになったのか覚えていないが、中学生の頃までは解説者の説明を真面目に読んでいた気がする。おそらくは故人となられたであろう、高名な奥野氏も私の経験と期待を裏切ること無く、不動産屋の宣伝文に負けない解説で巻末を飾っていたということだ。
「教師を内心バカにすべし」「大いにウソをつくべし」「人に迷惑をかけて死ぬべし」「女から金を搾取すべし」などと、30の項目について三島由紀夫の意見が述べられているが、以前読んだ遠藤周作氏の著作に負けない、詰まらない本だった。
昭和42年代の日本では、こんな薄っぺらな意見が本気で読まれていたのだろうかと、不思議でならない。氏の言う機智やエスプリはどこにもなく、退屈ない理屈が語られているに過ぎず、実を言うとこの本は、5月に半分まで読んで中断していたものだ。
近頃の若者なら、この程度の本は鼻先でせせら笑うのでないかと思ったりするが、私は近頃の若者でないから、もったいない気持ちが先に立ち、再挑戦したのだ。けれども残念ながら三島氏の本は、遠藤氏同様、月末の有価物回収日にゴミとして出すしかないものと判明した。
新聞を読んでもパソコンで動画をみても、中国や韓国、アメリカ、沖縄など、ろくな話題がないので、気分転換したいと奥野健男氏の解説に騙されて、半信半疑ながら再読した三島氏の本がこの結果だ。
機智に富む面白い本だって、そうそう巡り会えるものでもないと、分かっているのに読書をやめず、懲りずに期待してるのだから、こんな自分のめげない単純さの方が、考えようによっては面白い。
つまり、面白いものは自分の中にしかなかったということ。まるで、チルチル・ミチルの『青い鳥』みたいな話でないか。