豪雨による破損や流失など安全面での心配が大であるため、環境省は、せめて各県内での分散管理を止め、県毎に堅固なコンクリート製の処分場を新設し、集約する方針を決定した。5年前の話だ。
ところが候補地となった場所の住民の反対で、国は土地調査に入れないまま、計画が一歩も進んでいない。
現在保管場所となっているところでは、「あくまで仮置き場だったはずだから、長期保管は認められない。」「国は最終的な処分先や期限を明示すべきだ。」と、国を責めている。住民、市町村長、県知事が一体となり、国の対応の遅さを批判している。
他方集約保管場所として候補地に挙げられた町村では、住民、市町村長、県知事までが一つになって反対している。「建設絶対反対」「国は土地に立ち入るな。測量だけでも許さない。」鉢巻姿の住民が、拳を上げて反対し、「安全な施設だというのなら、東京のど真ん中に作れ。」などという暴言まで飛び出す。
現在仮置き場になってる土地の住民の訴えや苦情も、候補地になった住民の反対も、心情としては理解できる。
しかし双方が絶対反対を主張し、「何もかも国が悪い」と非難の応酬をしていたら、何か解決策が生まれるのだろうか。確かに原子力発電所を作ったのは国の方針だ、だからと言って目の前に積みあがっている有害廃棄物を、小田原評定のまま放置しておいて良いのか。
国が国がと、成り行きに任せ、5年の歳月を空費した。こんな有様を見ていると、地方自治を標榜している県知事や市長村長に、政治家として、どれほどの当事者意識があるのかと首をかしげたくなる。絶対反対の住民が対立するに任せ、国へ無理な注文をつけているが、国だって魔法の杖があるわけでなし、打つ手がなくて当然だろう。大事な問題になると、国へ責任を押しつけ、住民の説得に汗をかかない知事や市町村長の無気力と無責任が、私には理解できない。こういう人たちに地方自治を任せたら、どんな地方が生まれるのか、空恐ろしくなる。
前にも述べたが、私は自分の住む土地に処分場が作られても、無下に反対はしない。
その代わり、国との折衝過程を逐一マスコミが報道し、役人による一方的な計画の推進がされないようにする。住民にはバカな人間も沢山いるが、道理が通れば納得する賢明な人間も沢山いる。むしろ賢明な者の方が多いのだから、民主主義の原則に従い、最終的には多数決で決めれば良い。
話をどんと飛ばして、自分が体験している住民の実情を述べてみたい。
私は現在、自治会の副会長をしている。三月末に新しく決まる役員へ引き継ぎをし、それで無事役目が終わる。四月以降は、元の一般住民に戻れると思うと、ホッとするものがある。
私が所属する自治会は約400所帯だが、600所帯とか、500所帯とか、近隣の自治会も似たような人口で、いずれも高齢化が進んでいる。自治会の役員は、隣から隣へと順送りが原則となっており、約15所帯に一軒の割合で役員が出される。当番になった役員の中から、くじ引きで会長、副会長、会計、総務が選出され、彼らが三役と呼ばれる。奇特な人は別として、自治会の役員になりたがる者はいないので、近所付き合いの一環として、誰もが役目を引き受けている。
12年前に副会長をしているので、二度目の三役だった。
会議の話題に以前と違うものがあり、こんな地方の片隅にも、時代の波が及ぶのかとつくづく感じさせられる。
「次の役員にならないという人がいるんですが、どうしたらいいんでしょう。」
「役員になるため、住んでるじゃないと言われました。」
「自治会費も払わないという人がいます。」
「ゴミステーションの掃除当番を、絶対しないという人がいます。」
「住んでる人が、お互い利用するのだからと言っても、自分は利用しないと言うんです。この人、どこにゴミを捨ててるんでしょうね。」
嫌だからという理由で、自治会の仕事を拒否する住民や、苦情を言い募る住民が増えているのである。
新らしく越してきた者もいるし、以前から住んでいたが、突然性格が変わり文句を言い始めた人間もいる。そして、こんな人物に限って、引き受けた仕事を休んだり、すっぽかしたり、見え透いた言い訳を並べて周囲を辟易させる。彼や彼女らに共通しているのは、「自己主張だけ」という醜く浅ましい姿だ。
さてここで、偏見だと眉をしかめられても、臆せず述べたい事実がある。
こうした「我儘な自己主張」をする人は、たいてい左翼の活動にかかわっており、自称平和主義者であったり、社会貢献論者だったりする。市民とか、平和とか、人権とか、そんな名前のネットワークに繋がり、小さな自治会の範囲を超えた、大きな組織の一員として誇りを持ち、一家言を持ち、自治会の役員を頭から見下してモノを言う。
ここで、「廃棄物処理場の建設反対」、「政府は住民を無視するな」と活動する、初めの話とつながる。徒党を組んで叫んでいるのは、たいていこんな手前勝手な住民たちだと、自分の経験から言いたい。
狭い経験で全体を語るなと、批判を承知で言っているのだが、自治会の役員は他の自治会と年に何度か交流する。最初は他人行儀でも、慣れてくると本音で語れる間柄になる。
若い人には分からないだろうが、高齢者が増加一方の現在では、自治会の集会場がとても重要な役目をしている。
自治会館と呼ばれる建物には、会議室だけでなく、談話室や和室があり、調理場がある。子供会、老人会、踊りの会、歌声の会など、沢山のサークルが活用している。
増えていく高齢者が自宅に引きこもっていると、ボケ老人となったり、孤独死したり、碌なことはない。だから地方自治体は、増大する医療費を抑制するためにも、高齢者の自宅外活動を奨励している。自治会館の建設にも以前より資金援助を大きくするようになった。
私たちの自治会も、一丁目、二丁目、三丁目の3自治会で協力し、共同の会館を持っている。老朽化してきたから建て替えをしようと、10年前の役員が計画を立て、三つの自治会で費用の積み立てをしてきた。会館の建て替え費用を三千万と見積もり、自治会の積み立て目標額が二千万円だった。
市の規定による会館建設への支援は、「建設費用の三分の一で、一千万円以下」となっている。
そろそろ目標額が達成されるので、来年には、3自治会で会館建設委員会を発足させることとなった。ところが、昨年の末から三丁目の自治会で難題が持ち上がった。共同の会館は、三丁目からは遠すぎる、車で行こうとしても、駐車場がない。不便で遠すぎる会館の建設に、なぜ協力する必要があるのか。
三丁目は、この際独自に会館を建設すべし。それでなければ、反対だと、強硬な意見が現れ、自治会の役員が立ち往生し、他の二つの自治会も立ち往生することとなった。
三丁目が抜ければ、市の規定による建設支援がなくなり、老朽化した会館の建替えが出来なくなる。というより、更に積立金を増やし、建設時期が遅れるとなれば、自分たちの自治会でも騒ぎが起きる。昨年の12月から一月の末まで、大荒れの三丁目自治会を、眺めているしかできなかった。
騒ぎの原因となったのが、住民の中にいる左翼活動家たちだ。
その中心には、かの有名な国立大学の左翼教授もいた。彼らの主張は、威勢が良くて、偉そうで、とても自治会の役員には太刀打ちできなかった。「今後の高齢化社会を見据えるなら、自治会ごとの会館は当然の施設だ。」「国だって高齢化対策に力を入れているのだから、市役所だけを当てにするな。」「足りない金は、国から貰うべし。」「土地がなければ、国と市が探すべし。」
危険な国際情勢に目もくれず「平和憲法を守れ」と、現実無視の暴論を吐く左翼活動家らしく、自治会での意見も高邁で力強い。彼らが固まって出席し大声を出すと、自治会役員はもちろんのこと、他の住民も黙り込んでしまう。同じ役員の話なので、私は心から同情した。支援したいと思っても、他地区の役員が何を妨害するのかと、かえって火に油を注ぐことになる。
結局三丁目の役員は、どうしたか。たったこれだけのことのために、最後の手段として、住民投票を実施したのだ。結果は、こうだった。
住民総数 550世帯 建設賛成 500世帯
建設反対 25世帯 棄権 25世帯
たった25人の左翼活動家たちのため、善意の住民が翻弄されたという見本だ。だから、私は反日・左翼の人間たちを嫌悪し、軽蔑する。こんな人間たちを育て、支援する共産党や民主党、社民党、その諸々の反日野党を病原菌みたいなものとして、唾棄する。
国政においても、自分の身近でも、こんな獅子身中の虫がいるというのに、それでも騙される国民に驚くしかない。オレオレ詐欺と同じなのに、巧妙な嘘が見抜けないというのでは、左翼思想の若者たちは、詐欺にかかる年寄りを笑っておれまいに。