産經新聞の朝刊の一面に、毎日詩が掲載される。これも、その一つだ。
震災の日から いなくなった人よ
崩れた家は 片付けました
庭の桜は折れながらも 満開の花でした
今は待宵草の 咲きはじめです
放射線量は 少し下がりました
眉月の下で つゆ草が
涙をためています
たよりを下さい
福島県の阿部正栄さんの作品だ。震災の傷跡から、回復しつつある福島の状況が綴られている。大変だったんだろうなと、作者の思いに近づいて行く。そして、最後の一行。
「たよりを下さい」・・・
突然こみあげるものに、抗し切れなくなった。こぼれる涙を、あわててふいた。
この最後の一行は、詩的叙述に混じった日常語である。この日常語のため、作者の願いが、読む人のこころにこれ程切なく響くのかと、ブログに残さずにおれなくなった。最後の一行がなかったら、良く出来た普通の詩だったが、これを無技巧の技巧というのだろうか。
8月8日の朝に、私と同じように涙を拭った人はきっと沢山いたに違いない。「朝の詩」を読みながら、朝日新聞の記事は今でも安倍総理への批判と、反日の合唱であることだろうと考える。朝日を読んでいる人には、もちろんこんな感動は届かない。
可哀相なことではないか。