ウォルフレン氏の母国オランダを知れば、氏の分析の偏向が分かります。
私が今ひとつ、息子たちに伝えなくてならないのは、「ナチス・ドイツと日本の比較論」です。
「ドイツに比べると、日本は反省が足りない。」氏だけでなく、欧米の知識人がよく比較をします。日本の反日左翼学者も、似た意見を述べます。今回は、これに関する氏の意見を紹介します。
「全ての戦争は悪だとする平和主義を推し進めることは、日本人が、過去の自分たちの戦争を歴史として受け入れることを、いつまでも妨げることになる。」
「日本人にはあまり知られていないだろうが、日本人とドイツ人は、欧米の知識人の間で、常に比較されており、ドイツ人が道徳と知性の面で、今なお大戦にこだわり続けているのに対し、日本人はそうしていないと考えられている。」
日本とナチスドイツの相違点を正しく整理せず、検討無しに並べるという悪意の主張をしています。しかも氏は道徳と知性の面で、日本人がドイツ人に劣ると思い込んでいます。
「ドイツ人は、国を挙げて詳細な記録を残そうとしているから、若者も過去に何があったかを知ることができる。」「知的な討論がずっと続けられ、何がナチズムを可能にしたかを、解明しようと努力している。」
ドイツ人たちが努力し続けているのは、戦争についてでなく、ナチズムについてです。ドイツ人は、ユダヤ民族を600万人も地上から抹殺しようとした、「民族浄化」の原因を解明しようとしているのです。一番肝心なことを欧米の学者がスルーしている事実について、氏もまた言及しません。
「まるで対照的なのは、日本の若者たちにとって、過去が現在に生かされていないことだ。」「どこで歯車が狂ったのかにつき、本音の討論がない。記録は選別されつつあるし、日本の行為が正当化されすぎたため、相当数の日本人が、戦争の最大の犠牲者は日本人だと信じ始めている。」
ここから氏の説明が「反日左翼」へ傾き、私たちを苦しめる理屈を準備します。何をもって本音の討論がないというのか。どのような日本人が、戦争の犠牲者は自分たちだけと主張しているのか。具体的に語って欲しいではありませんか。読者の注目を引きたい時、氏はいつもこのように具体性のない曖昧な言い方をします。
「日本とドイツ国民の態度がこうも違うのは、ドイツ人がヒトラーを投票により政権につかせたのに対し、日本人は天皇の名で行われたことがらに、国民が影響力を及ぼさなかったと、そう感じているためではないかと思われる。」
彼ら欧米人たちは、頭の中でヒトラーと天皇陛下を同列に並べ、双方に「独裁者」のレッテルを貼り、「戦争責任者」にしたいと考えています。しかしそれを言えば日本国民の怒りが爆発し、激しい攻撃が自分に向けられると知っているから書きません。ヒトラーと陛下を比べて語るところから、間違いが生じていますが、氏は気づいていません。
その原因は、氏が外国記者クラブの会長だった過去にあります。マッカーサーが作ったこの組織は、もともと日本を批判否定するもので、集まる日本人も反日左翼ばかりです。そんな日本人と談笑し、食事をし、親睦を深めているのですから、国を大切にする日本人の意見が伝わる訳がありません。共産党本部の食堂で懇親会を重ね、「これが日本人の意見だ」と喋っているようなものです。
「日本国民は確かに、満洲の軍部に対し、いかなる統制力も持たなかった。」「初めから権威主義的な勢力に導かれている人々に、責任を持てとは言えないだろう。」
「その結果としてかなり教育程度の高い日本人も、20世紀日本の最も重大な事件の、原因と結果を理解することが難しいといった事態が、生じてきているのである。」
氏のいう「かなり教育程度の高い日本人」とは、反日左翼で天皇制を否定する学者たちを指しています。216ページで、氏は自分の立場を誇示します。
「私は世界中に友人を持っている。ニューヨークタイムズ、ロンドンタイムズ、」「ロサンゼルスタイムズ、ワシントンポスト、そいういところに友人が多いということで、彼らも多少恐れをなしたのだと思いますけれど・・」
どれも反日の新聞社ですから、氏の意見は彼らの代弁でもあります。白人に弱い反日左翼の記者たちは、氏が他社の名前を並べると、それだけで氏の意見を持ち上げます。そして氏は、私の次の意見を認めません。
・ ドイツは世界中から、「ユダヤ人虐殺」「民族浄化」を非難攻撃されている。
・ 日本は大東亜戦争中一度も「民族浄化」をしていない。
・ 日本がしたのは「戦争」だから、謝罪したり反省したりするものではない。
・ 大東亜戦争は幕末以来、列強の侵略から国を守るための自衛戦争である。
・ 文明の遅れた国々を侵略し簒奪、虐殺した欧米諸国に、日本を批判する資格はない。
前回紹介した、『オランダの340年に及ぶ過酷な植民地支配』の資料を思い出してください。インドネシア人を抑圧し、人格を無視したオランダ人を見れば分かる通り、氏の中にあるのは「アジア人蔑視」の思考です。自分の意見を述べても、氏はアジア人である私たちの意見に耳を貸しません。
本日で氏書評を終わりとし、明日は今年最後のゴミ取集日ですから、本棚の悪書をまとめてゴミ袋へ入れ、焼却処分します。
《 追 記 》 12月30日 月曜日
「相当数の日本人が、戦争の最大の犠牲者は日本人だと信じ始めている。」
氏の説明を読み、誰がこんなことを言っているのかと反論しましたが、一晩置いて考えたら、新聞のスクラップ帳に答えがありました。
「私たちは、あの無謀な戦争の犠牲者だった。軍国主義の犠牲者だった。」
毎年8月15日になると、日本中のマスコミが大合唱します。忌々しいあの反日マスコミ報道が、ウォルフレン氏には日本人「犠牲者論」の根拠でした。お情け頂戴の追悼記事の氾濫は、氏でなくとも、私からみても異常です。
「戦争の記憶を無くしてはならない、」と、老人の思い出話や人形劇を全国で展開しているのが、氏には「日本人の犠牲者論」と見えていたのでしょう。日本を知る学者だと自認するのなら、氏は同業者として日本のマスコミに異議を申し立てれば済むことです。
愚かな報道を定例行事にしているのは、彼らですから、氏が正面から指摘すれば、日本のためにもなります。それとも捏造記事を書く者同士として、遠慮があるのでしょうか。「同病、相哀れむ」ということなら、氏の名前に傷がつきます。