ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

戦犯(新聞記者が語り継ぐ戦争)- その3 ( 米国人弁護士の献身 )

2014-03-27 11:45:50 | 徒然の記

 たった一冊の、しかも薄っぺらな文庫本に、何度も感想を書き留めるなど、考えてもみないことだった。

 文字を追うほどに、胸を掻き毟られるような痛みがある。書かずにおれないものがあり、3度目の感想に挑戦する。

 この書の中心となった渡辺軍曹・白倉曹長と、若松軍医が、なぜ刑を減ぜられ存命しているのかを、最後に書き留めておきたかった。それが済めば、今回限りで、本書への思いを述べるのは終わりにしよう。

 フィリピン刑務所で、渡辺軍曹と白倉曹長の弁護人となったのは、共に二十代の米国人民間弁護士だった。主任弁護人はロダン・ダビット、副主任弁護人はハリトン・ダントン。彼らは渡辺氏ら二人の無実を知ると、本気で弁護を引き受けた。

 罪を問われた時期に、渡辺氏は日本の下関にいた事実があったので、主任ダビットは渡辺氏のアリバイを証明しようと、裁判の中断を要求し、日本にまで出向いた。けれども裁判は、ダビットの意向を無視して進められ、渡辺氏の死刑が確定してしまう。戻って来たダビットは、裁判官から解任されるというおまけまでついた。

 ダビット、ダントン両弁護人が、二人揃ってアメリカへ帰国し、渡辺氏は全てを諦める。ところが、刑執行の直前となった日に、無期懲役刑に減刑される。その理由が、渡辺氏には、信じられないことばかりだった。

 副主任弁護人だったダントンが、帰国した後も減刑活動を諦めず、あらゆるツテを使って奮闘していたのだった。彼の書いた嘆願書が、幸運にもトルーマン大統領へ届き、それを読んだ大統領が、直ちにマッカーサーへ、刑の見直しを指示したのだという。

 日本では、とても考えられないようなことが、アメリカでは起こる。不思議の国であると、渡辺氏は感じ入ってしまう。

 即座に指示を出した大統領だけでなく、諦めなかったダントン弁護人の熱意と、それに協力したダビットの献身。敵国の死刑囚に対し、どうして彼らは、そんな苦労を重ねたのか。

 渡辺氏だけでなく、私ですら、弁護人たちの献身には理解を越えるものがある。むしろ私なら、「敵国の人間に、なんでそこまでしてやるか。」と、そんな了見しか持てない気がする。

 シンガポール刑務所の、若松軍医の弁護人は、トムキンソン中尉だった。彼もまた若松氏の人柄に惹かれ、真摯な活動で減刑をもたらしている。生き延びた死刑囚も、奇跡としか言えないが、こうした弁護人がいたという事実も、奇跡ではないかと私は思う。

 山口二等兵曹、小崎海軍上等兵曹、多田二等機関兵曹、水谷少佐、永翁上等兵曹等々、まるでコンベアーに載せられた物体のように、多くの軍人たちが命を奪われて行った。罪人として逝った父や、夫や息子や兄弟のことを、世間にひた隠しし、小さくなって戦後を生きた彼らの家族だった。そんな人々がいたことを、本を読むまで、想像したこともなかった。

 帰還した藤井中尉の部下が、家族のため、事実を刻んだ慰霊碑を建てた様子が、再び目に浮かぶ。文字を読む奥さんや子供たちは、どれほど心強く、嬉しく思ったことだろうか。あるいは、帰らぬ人と諦めていた気持ちが再び甦り、返って悲しみを深めたのか。遺族でない私には分からず、ただ涙を拭うしかない。

 東京裁判で、A級戦犯として処刑された7名の指導者は、世間に名前が知られている。しかしこの他に、獄死したA級戦犯は5名、病死者が2名、後に減刑されたが、無期懲役刑で逝去された方々は、12名にのぼる。

 自決した本庄大将や阿南陸将、大西中将、服毒死した近衛総理などを合わせると、23名となる。

 荒っぽい数字だが、A級 戦犯として亡くなられた方々が30名で、これにBC級の処刑者901名を加えると、総数931名となる。日本の指導者は責任をとっていない、他国を侵略した兵たちも責任をとっていないと、攻撃して止まない反日の人々には、この数字が何の意味も無いと見えるのだろうか。

 声を出さない日本の犠牲者に、人道主義者たちは、なぜ心を寄せないのか。戦勝国による裁判の、残酷で、痛ましい事実から目をそらし、他国の犠牲者ばかりを語る彼らを、私はやはり軽蔑せずにおれない。

 もしかすると、彼ら活動家たちも、敗戦後の事実や歴史を知らないのではないかと、自分のことも含め、過去を知る大切さを痛感した今日だ。定価380円の文庫本だけれど、大切に本棚にしまって置くこととしよう。

 いつか息子たちが、この本を読んでくれることを願いつつ、所感を終わることにする。

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戦犯(新聞記者が語り継ぐ戦争) - その2 ( 尊い犠牲 )

2014-03-26 09:14:57 | 徒然の記

 若松斉軍医はシンガポールのチャンギー刑務所で、戦犯として死刑判決を受けた。

 いよいよ絞首台へという前々日に、終身刑に減刑されて日本へ送られ、昭和31年に巣鴨プリズンを出所した。その彼が、死刑判決を受けた夜は一睡もしなかったと、チャンギーでの記憶を語る。

 「目を覚まし、コンクリートのベットで横になったまま、何気なく壁に目をやって、初めて落書きに気づきました。」「鉛筆書きのもあったし、釘らしいもので彫りつけたのもありました。」「一死報国、南無阿弥陀仏。」

 「ああこれは、この独房にいた、死刑囚が書いたのものに違いないと、思った時の気持ちといったらね。」と言い、彼がさらに別の落書きについて語る。内藤貞男海軍軍属が残したものだった。

 「わしが死ななきゃ誰か死ぬ。どうせ憂き世じゃ、ままならぬ。」「思い切ったよこの辺で。やってみましょか綱渡り。」「アリャサコリャサの命芸。どんと落つれば地獄ゆき。」

 この兵は、江戸っ子のカラ元気を出したのか。悲しいまでの開き直りだ。刑場に臨み、カラ元気を出せるというのだから、脱帽する。私はこの時、十返舎一九の辞世の句を思い出した。

 「この世をば、どりゃおいとまに線香の、煙とともにハイさようなら。」

 チャンギー刑務所では、夜になると、看守の英兵が独房を襲い、囚人たちに激しいリンチを加えた。緒戦に負けた彼らの復讐だったから、日本兵は情け容赦なく痛めつけられた。

 若松軍医によれば、戦犯裁判は戦勝国による報復であり、見せしめであるというのが、大方の見方だったとのことだ。松岡上等兵曹、野口大尉、豊田准尉、久川大尉と、氏は多くの囚人を見送り、22年の9月に、129名の処刑をしたところで、チャンギー刑務所が役目を終えた。

 このあたり 君がむくろの土ならむ 手にかき寄せて袋にをさむ

    チャンギーを去る時、若松氏が詠んだ歌だ。

 尾家大佐が刑に赴く時の状況を、同房の渡辺氏からの聞き語りで、記者が次のように綴っている。尾家大佐は、固い表情のまま言ったとのこと。

 「家内には、いさぎよく死んで行ったと、言うてくれ。」「余は戦闘間部下が戦死するとき、あるいは病死するとき、天皇陛下万歳を唱えることを、命じた。」「多くの部下は、新しい日本建設の礎石として、若くして死んだ。」

 「余も遅ればせながら今日その仲間に入る。しかし、3人の我が子の心中を考えると、たまらない。」

 大佐は千葉県習志野の練兵場跡で、銃殺された。55才だった。

 教誨師の田中氏が、馬杉一雄中佐について語っている。

「馬杉さんは、屈託の無い顔で、いつも笑っていた。」「この人は、この世への未練を全て断ち切って、仏のような心境にあるに違いないと、私はそう思っていました。」

 「ところが亡くなったあと、筆写した日記に、こういう歌を残されていたんです。先立たれた奥さんと、残された子供さんへの歌でした。」

  便り来ぬ 愛しの妻はみまかりて 子供ら四人父待つといふ

  笑ふなよ 焼野の雉子(きぎす)夜の鶴 わが子思えば落つる涙を

 この歌を読み返すたび、込み上げてくるものがあり、私は頭を垂れる。先人たちのこうした犠牲の上にある、私たちの現在と、私の幸せを知る。

 亡くなられた方々に、どうして感謝せずにおれよう。靖国に祭られた彼らが、「英霊」と呼ばれることに何の疑問があるのだろう。

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戦犯 ( 新聞記者が語り継ぐ戦争 ) -( BC級戦犯 5,700人 )

2014-03-25 12:51:01 | 徒然の記

 知らないことを教えてくれる本は素晴らしいと、いつもは言うが、知らないことを教えてくれる書物は、有り難く尊いと、こんな言葉でしか表現できない本に今回出会った。

 昭和61年の角川書店刊『戦犯』だ。著者は読売新聞社会部記者たちで、佐藤崇雄、塩雅晴、中徹の三氏だ。新聞記者には碌な奴がいないと、先日口走った言葉を、恥じて取り消したい。

 BC級戦犯の被告数は5,700人で、フィリピンなど、50ケ所の軍事法廷で密かに裁かれ、901人が処刑された。多くは絞首刑だが、山下大将のように、銃殺刑になった者もいる。フィリピンで死刑宣告を受け、後に巣鴨プリズンへ移された被告の中で、刑が減じられ奇跡的に生き延びた兵がいた。憲兵隊の渡辺軍曹と白倉曹長の二人である。

 本では、彼らへのインタビューが別々に進められ、証言に出てくる帰還兵や、刑死した留守家族への訪問談として、語られていく。

 A級戦犯を裁いた東京裁判は、おぼろげに知っているが、BC級戦犯の裁判については、知らないことばかりだった。取材した記者の印象では、東京裁判に劣らないむごいものであったらしい。

 「個人の自由も無いまま、異常な心理状態に追い込まれ、戦争が終わったとたん、まるで平和な時代に、個人が犯した殺人事件を裁くような方法で、彼らは訴追を受けている。」「よほどの物証がないかぎりアリバイも認められず、事件にかかわった人間の特定も、杜撰なものであった。」と、記者たちが述べている。

 「戦争はまだ終わっていない。大切なことは、犠牲者をできるだけ少なくすることだ。」「米軍は日本軍の上官が、非戦闘員の殺害を命令したとしたいのだ。日本陸軍のため、お前たちは、いやしくも、上官が殺害を命令したなどと、言ってはならぬ。」

 大和村と呼ばれた、フィリピンのカンルパン収容所で、参謀から将校になされた訓示だった。このため上官は部下を弁護せず、濡れ衣のまま処刑された下士官や、兵が多数いたと言う。

 「上官が責任を取ってくれれば、あんなにまで、罪をかぶることもなかったんです。」「他の部隊の中には部隊長が責任を取って、下級将校や下士官が助かったこともあるんです。」

 戦後の長い沈黙を破り、やっと記者に語り出した渡辺氏の話は、控えめな言葉だが、軍人がすべて潔い武人でなかったという事実を私に伝える。

 重い口で、彼は収容所での日々を語る。

 「朝と夕に行われていた死刑執行が、22年の暮れからは、深夜にも行われるようになりました。」「お世話になりました。一足お先に失礼します、という声が闇に響いて、その度に全員が跳ね起きて正座し、手を合わせるのです。」

 渡辺氏と白倉氏が、収容所で初めて送った処刑者が藤井中尉だった。守備隊長だった彼は捕虜を処刑した罪に問われ、絞首刑が確定していた。上役の命令で、部下に命じたものだった。

 彼は、可愛がっていたフィリピン人の若者の告げ口で、法廷に引き出された。若者の辛い立場を理解していた彼は、告げ口を許し、上役や同朋の名前も言わず、一人で罪を被って刑に服した。中尉の処刑の日に、渡辺氏と白倉氏は、他の受刑者と共に「海ゆかば」を歌って送った。

 中尉の細君が住む家の庭には、帰還した彼の部下が立てたという、御影石の碑がある。固く辞退する細君に、三拝四拝し、部下が私費で立てさせて貰ったものだった。

 「昭和20年、日本国第二次世界大戦に破るるや、戦勝国は、一方的に我が軍将兵を裁き、重きはこれを死罪と為す。」

 こういう文字で記された碑文は、藤井中尉の無罪を訴え、氏の人柄の潔さを語っていた。高さ2メートルもある御影石の碑は、高価なもので、建てた部下には、大変な出費だったろうが、彼らも、中尉のお陰で生き延びた一人だったのかも知れない。残された中尉の妻子に、残虐な罪で刑死したのでなく、軍人として正しく死んで行ったのだ、と伝えずにおれないものがあったのか。詳しく語られてないが、そうせずにおれなかった部下の気持ちが、私を泣かせた。

 読後の感想は長くなっても、自分の気持ちを、書き残しておきたいから、続きは改めて書くこととしよう。

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総理の忍耐

2014-03-18 13:04:14 | 徒然の記

 昨夜、ニコニコ動画を見ていたら、国会討論の画面が出た。

 参議院議員小西裕之氏が、NHK経営委員の任命に関し、総理に質問というより、罵声を浴びせていた。

 なんでも彼は元総務省の役人で、自己宣伝によると、法律の専門家とらしい。明治憲法が米国憲法より優れており、現憲法も又及ばないと、そうした意見を持つ長谷川氏を、任命した、総理の責任を問うというものだった。

 国民のものであるべきNHKを、総理が私物化したと追求する彼だった。威丈高で挑戦的な、総理を見下す物言いの非礼さに、聞いている私の方が傷ついた。  

 「テレビでこの中継を観ている、国民の皆さんにも、」「総理の誠意の無い姿が、よく分かったことと思います。」

 独り合点の得意顔が、見るに耐えない醜さだった。総理の不誠実さより、国民の多くは、議員小西の横柄さに辟易したことであろう。

 民主党の議員らしく、氏は、総理を右傾化した人間と決めつけ、言葉尻を捉え、議論のための議論をする愚かしさだった。饒舌な己の言葉に酔い、聞く者を不快にさせるしか能のない彼に、嫌悪がつのった。あまり不愉快だったので、どんな人間なのか、インターネットで調べてみた。

 氏は、昭和47年徳島県の生まれで、現在は千葉市に住んでいる。東大卒の、総務省元官僚だ。鼻っ柱だけ強く、自己主張が激しく、他人の意見に耳を傾けないという、稀にいる東大卒専門バカ典型だった。平成22年の参院選で当選したばかりの、新人議員なのに、先輩に対する口の聞き方も知らない。さすが落ち目の民主党らしく、こんな議員しか、質問に立たされない、人材不足の現状なのか。

 頭は良いのだろうが、人を惹き付ける人間性が、カケラも無いというのでは、どうして国政を託す気になれるか。こうした人品卑しい議員が、国のために何をするというのだろう。千葉県民である私は、彼に投票しないし、多くの県民もこの動画で見限ったことであろう。次の選挙で落選し、二度と国会の絨毯は踏めないはずだ。

 こんなチンピラ議員対しても、丁寧に応対している総理を見て、私は改めて尊敬し直した。度量が狭く、短気な自分には、とても勤まらない政治家の仕事だ。バカな中国や韓国が、眠っていた私の愛国心を、呼び覚ましたのと丁度同じように、小西氏は、眠っていた総理への敬意を、復活させた。
 但しと、やはり続けなくてはならない。ただし、「河野談話の見直しはしない。」という言葉は、国民を欺くもの。

 なぜそうなるのかにつき、安倍氏は語るべきだ。年間20万人の移民受け入れ計画も、日本崩壊の道である。敬意を表する面はあっても、受け入れられない安倍氏の変わり身だ。
  これだけは、追加しておくこととする。

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首相、韓国に誠意示す

2014-03-15 11:08:37 | 徒然の記

 今日の毎日新聞だ。信じられない安倍総理の、変身である。

 国民の気持ちを犠牲にし、彼は韓国に誠意とやらを示した。
彼ですら、戦後レジュームの壁はこじ開けられないのかと、無念の思いをかみしめる。安倍氏の信奉者でないから、どこまでも彼を弁護しようと言う気はない。かと言って、彼のみを責め、気晴らしをする気にもなれない。

 慰安婦問題のみならず、集団的自衛権にしろ、憲法改正にしろ、結局の所、本物の壁はアメリカだったという事実。かまびすしく吠え立てる、中・韓の背後で、黙認の援護をしていたアメリカが、やっと国民の前に姿を見せた。NHKどころではない。アメリカこそが本物の、腐っても鯛だ。

 現在の日本が、太刀打ちできる相手であろうはずがない。国内にいる親米派には、政財官のみならず、学界・マスコミにも、第一級と言われるような人物が無数にいる。その数と影響力は、親中派、親韓派などは比べ物にならない。アメリカの力の巨大さと、恐ろしさに気づいていない国民は、恐らくいないはずだ。

 ただ、これほどの早さで、アメリカが姿を見せたというのが、私には意外だった。安倍氏はもっと慎重な政治家で、長期展望に立ち、ことを進めていると思っていたが、どうやらそうでなかったらしい。 

 小松長官の任命、籾井会長や百田氏の推挙、竹崎長官の退任など、着実な歩を進めていると思えたのに、推挙任命された人々の、脇の甘さと軽率さでつまづいている。当人たちの自覚が足りないのだと思っていたが、総理も案外、軽率さを共有する人物でないのかと、考えざるを得なくなった。

 日清戦争後に、「臥薪嘗胆」という言葉が、国民を一つにしたが、あの当時は、国民の中心になる指導者たちがいた。今は安倍氏以外に、中心となる指導者が見えない。ヘソの欠けた「臥薪嘗胆」なら、それこそ「みみずの戯言」でないか。

 安倍氏にはまだ、百歩退いて百一歩進む、秘策があるのか。市井の凡人に、分かろうはずがない。やっぱり、長生きはしてみるものだ。底の浅い毎日新聞の人道主義も、吹っ飛んでしまうような、総理の変身だ。

 くそ面白くもないが、これからだって、いろいろあるに違いない。

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底の浅い人道主義

2014-03-13 13:42:50 | 徒然の記

 「最愛の友よ 家族よ」、「津波で決死の誘導 胸を張れ」、「生きる重み 考え続ける」、「涙をぬぐって 語り継ぐ」、「ファイト聞こえる この場所で」、

「見てね、娘が守ったこの場所で」、「悔しい でも前に」、「お父さん 私は大丈夫だよ」

 3月11日と、12日の毎日新聞だった。黒々と大きな活字で、一面と三面のトップを飾った見出しを書き抜いてみた。大地震の3年目だからと、感動的な記事を届けようとする、新聞社の思いが伝わってくる。マスコミは、右に倣えで紙面を作るから、他社も似たような文字が踊っているのだろうと推察する。

 しかし私は、感動の見出しの、わざとらしさに嫌悪を覚える。こうした表面だけの人道記事が、佐村河内の詐欺事件を生む温床となっている、と考えるからだ。マスコミの「感動物語」は、見出しと同じ底の浅い、人道主義からねつ造される。

 国民を欺いた詐欺師だというのに、一社も彼の罪を責めず、訴追の素振りも無い。曲の売り上げ代金、各種イベントへの出演料、テレビ出演料等々、彼が手にした金額はいったいどのくらいになるのか。

 一方で、国交省の役人が犯した、1700円の万引きについては、マスコミは実名報道で厳しく糾弾した。1700円だって罪は罪だが、何百万円にもなるだろう佐村河内の罪には、なぜひと言も責めが無いのか。比較でみれば、マスコミの不公平な報道姿勢には、疑問符がつものがある。

 慰安婦問題にしても、南京事件にしても、記者たちの安っぽい人道主義から、記事が生まれた。作り上げた虚がふくらみ、撤回できなくなり、結局は、思考停止してしまったマスコミどもだ。

 左村河内の詐欺事件への対応と同じで、ウソにウソを上塗りし、大事な国益すら失っている。見え透いた「感動記事」に、国民はとっくに飽きているのだから、そろそろこんなやり方を、卒業してもらいたいものだ。

 今月限りの毎日新聞だが、届くからには読むというのが、私のやり方だ。その代わり、まやかし記事を満載するこんな新聞は、月末の資源ゴミに出すと決めている。

 無論のこと、図書館で貰った本を処分する時のような、心の痛みは何処にも無い。

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百田氏よ、これ以上総理の足をひっぱるな

2014-03-07 15:20:48 | 徒然の記

 「アメリカが、私のことをおかしいと言ったが、おかしいのはアメリカの方だ。」と、訪問先のイランで、百田氏が語ったらしい。

 都知事選での、百田氏の応援演説については、大騒ぎするマスコミに異を唱えたが、2度目となると、私も首をかしげる。どういう経緯でイランを訪問したのか、どんな場所で語ったのか、、詳しくは分からない。分からない中で批判するのは、早合点かも知れないが、同じ批判を再び受けるというところに、私は百田氏の軽率さを見る。

 NHKの偏向報道を正したいという国民の願いを察知し、安倍総理が、氏を経営委員に加えたことは、世間周知の事実である。だがここまで不用意に騒ぎを起こし、それでも良しとしているのなら、彼には大人の分別があるのだろうか。自分の言動への反響が、そのまま総理を直撃するのだと、前回で学習していないのかと問いたい。

 右でも左でも、外国で喋る著名な日本人は、国益というものが、分かっていなくてはならない。鳩山、村山という元総理に比べれば、氏は政治的には小人物だが、背後に安倍氏がいるため、鵜の目鷹の目の人間たちに、格好の標的となる。

 そんな自覚も無しに、NHKの経営委員の看板を背負っているのなら、今後の氏には期待できない。正論だからと、周囲にぶちまけるだけでは、何の改革もできない。そんな拙速では、危なっかしくて、人がついて来ない。NHKは、腐っても鯛である。立派な人間だっているだろうし、素晴らしい番組も作っている。

 百田氏よ、これ以上総理の足をひっぱるなと、私は衷心より怒る。男気のある関西人なら、自ら委員を辞任したらどうだろう。

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すきま風吹く日米関係

2014-03-05 18:05:43 | 徒然の記
 2月17日の毎日新聞、社説の表題だ。朝鮮半島情勢や中国の海洋進出を見れば、日米韓の3ヶ国が結束しなければならないと説く。

 書き出しだけなら賛成なのに、次の行から始まるのが、恒例の安倍批判だ。日米、日韓の関係を悪化させた原因は総理の靖国参拝にあると、強い調子で断定する。次に百田氏の発言と、籾井会長の発言が米国の批判を浴びていると述べ、欧米メディアが、次のように警戒を始めたと注意を喚起する。

 「安倍政権が米国主導の戦後秩序を否定し、歴史を修正しようという意図がある。」と、さも異常事態のように述べる。だがそれは、安倍総理というより、私たち国民の思いなのだ。アメリカが作った戦後秩序に疑問を抱き、自分たちの歴史を再検討したいと願うようになったのは、一般庶民なのだ。自分の国を軽蔑する国民を育てた戦後の風土が、どこから始まり、どこへ行こうとしているのか、本気で心配し初めたからであり、必要なら、修正だってしなくてはならない。

 安倍政権という前に、国民が望み、国民が総理に委託したのが今回の選挙だ。衆議院、参議院と、多数の民意を得た背後にあるのは、国民の意思だ。憎しみでもなく過激でもない静かな国民の意思が、どうして警戒すべきナショナリズムとなるのか。ごく当たり前の国民感情であり、むしろ世界が共有する自国への愛と誇りだ。

 安倍氏を批判することが、もの言わぬ国民の多数を敵に回すことだと、気づきもしない低レベルの論説委員。誰が書く社説か無記名なので分からないが、彼もまた山田孝男氏と同様、日本にとって獅子身中の虫、駆除すべき害虫である。

「 四月のオバマ大統領の訪問をめぐり、日本と韓国が日程を取りあったやり方は誉められたものではない。」決まった日程に横やりを入れ、混乱させた韓国には何も言わず、日本批判を繰り返す。最後がまた、反日売国新聞の決まり文句だ。

 「安倍政権は韓国、中国に対して、成熟した民主主義国家として関係改善に積極的に動き、アジアに貢献する姿を示すべきでないか。世界がみている。」
ここで私は堪忍袋の緒が切れ、その場で新聞店に電話を入れた。

 「毎日新聞の販売店さんですか。3月いっぱいで、毎日新聞をやめます。」「なにか、不都合がありましたでしょうか。」「配達する方には、感謝しております。」「では、どうして。」「新聞が、日本の悪口ばかり書くので読むのがいやになりました。」

 スムーズにことが運んだのは、朝日新聞の経験で懲りて、年間契約をしなかったからだ。3ヶ月毎の更新にして、正解だった。
・・・・・・・、だから、今月一杯で、毎日もやめる。




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山田孝男氏の風知草(毎日新聞)

2014-03-04 11:50:19 | 徒然の記

 山田氏の意見は、NHK経営委員の発言に関する国会審議が、もっと深くなされるべしという内容だ。

 百田、長谷川両氏の適性につき、否定する立場からの意見である。任命した政権が一向に恐縮しないので、実に寒々とした風景だと嘆く。

 ならば、氏に問いたい。君はこれまで、NHKの国を貶める番組や、中国に肩入れした偏向報道に、国民の多くが怒り、受信料を払いたくないと言っている事実を、何と考えているのか。尖閣の航空写真を中国に提供したり、尖閣は自国の領土だという、中国のプロパガンダを、そのまま国内に流したり、国の安全を何も考慮しない、NHKの報道姿勢を是とするのか。

 ここから発生している問題だから、国民はNHK会長や経営委員の人選につき、総理を責めるどころか、内心で喝采を送っていることを察知していないのか。前提となる事実を語らず、事実の片隅だけを切り取り、記事を書く、氏の偏向した態度にこそ、私は不快感を覚える。寒々とした風景を広げているのは、君の方ではないか。

 原爆投下や無差別攻撃が、アメリカの非人道的殺りくであったという、百田氏の言葉を否定するのなら、氏は何と思っているのか。東京裁判がどういう性格の裁判であったか、百田氏の見解は一つの見識であり、NHKの委員として、不適格な主張であるはずがない。

 アメリカが問題にするからと、氏の言動にブレーキをかけるのなら、君のやっていることこそが、「言論の自由の封殺」ではないのか。

 国会審議に深い議論をというのなら、私は氏に忠告したい。こんな薄っぺらな記事で、何も知らない読者を煽動するような、へ理屈を述べるのでなく、一冊の本でも書き、己の意見の深いところを、世間に披瀝したらどうかと。

 君こそは、日本に巣食う獅子身中の虫、駆除すべき害虫の一匹であると、断じたい。毎日新聞も、朝日に劣らず、日本社会に害毒を垂れ流す新聞だったか。沖縄も、北海道も、日本のアチコチの新聞が、同じ状況だと知れば、寒々とした風景などでなく、これは国家破滅の風景である。

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他人のブログ

2014-03-01 09:48:58 | 徒然の記

 時おり、ブログにコメントをもらう。同じ意見の人に出会うと、楽しく愉快になる。

 多様な意見が知りたいので、自分の対極にいる人々のブログも読んでいる。穏やかな左系の人の意見は、個別の事象で気持ちが重なる部分がある。思い込みの強い人の主張は、読むだけで忍耐がいる。中国や韓国、北朝鮮のプロパガンダを読む時と同じような、悲しみと嫌悪を覚える。

 朝日新聞や毎日など、反日のマスコミの論調そのもので、自分の国への愛や思いが微塵もない。戦後教育の成果と称するのか、あるいはマッカーサーの、日本弱体化政策の成功例とでも言うのか、やり切れない思いがする。

 彼らの論調は、判で押したように同じだ。安倍総理が、個人的な我がままで靖国に参拝するから、中国や韓国が反対する。安倍氏が余計な波風を立て、挑発し、隣国の怒りや憎しみを掻き立てていると、何もかも総理の責任にする。もともとは中国や韓国が、余計な挑発と攻撃をしかけてきたのに、そこには言及せず、注意も向けない。

 日本海を友愛の海にしたい、沖縄の基地を外国へ持って行きたいと、愚かな鳩山氏が言い出した時から、全ての歯車が狂い出し、尖閣への中国の侵犯が始まったのではなかったか。

 韓国による慰安婦問題への、執拗な攻撃が、繰り返され出したのではないか。これがどうして、安倍総理のせいになるのか、かと思えば、一足飛びに、安倍氏が軍国主義者だとか、独裁者だとか、的外れな攻撃の賑わしさ。

 私にすれば、総理は国民の意思を受け、戦後の見直しを試みているのだから、靖国参拝など、、当然のことだ。同じ国に住んでいても、こんなに違う考えで生きている人間がいること。こうした不思議な人々と、マスコミの存在が、私には理解できない。

 彼らがあまりに正々堂々としているので、自分が間違っているのかと、思わず周囲を見回すこともある。彼らから見れば、こんな私が、理解できない存在なのだろうなと、奇妙な錯覚に陥る。何とも説明のしようがない、泥沼の思考だ。

 多数の国民の信任を受け、多数の議席を獲得したことの意味は何か。それを無視し、「総理の我がまま」などという戯言が、どこを押せば出てくるのか。民意民意と呪文のように唱える政党や政治家が、民意を得た総理に、何をあれこれ難癖をつけるのか。

 することがないから、彼らはゴマメの歯ぎしりをしているのか。それならば納得できる、いくらでもやればいい。日本は言論の自由な国だ。

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