大高末貴氏著「韓国 "円満" 断交はいかが?」(平成14年刊 (株)ワニブックス)を、読了。
慰安婦問題の続きとして、先日読み終えた本と重ねて読んだ。大統領まで加わり、日本を誹謗する韓国を訪ね、現地でインタビューするという内容だ。
欧米で展開される韓国の反日活動と、慰安婦像の設置、靖国を参拝した安倍総理への攻撃、慰安婦たちの恨デモなど、腹の立つ話ばかりに、私はうんざりしてしいる。
「あんたたちは、教科書で教わっていないだろうけど、」「日本軍は、多くの若い朝鮮人の娘を、慰安所に強制連行して、散々ひどいことをした。」「それなのに日本政府は、韓国政府に謝罪もしない。いったいどうなっているんだ。」
男にいきなり言われ、大高氏は面食らってしまう。
それはそうだろう。いったいどうなっているのかと、こっちの方が問いたい話を、相手が先に言うのだから・・。
説明しても聞く耳を持たず、彼は聞き流しているだけだ。氏の説明も反論も、てんから受け付けない精神構造に、なっている。
在日韓国人として生まれ、朝鮮総連の帰国事業で北朝鮮へ戻り、スパイとなって中国へ渡り、その後韓国へ亡命して来たと言う、キム氏の言葉もついでに書いておこう。
「38度線は休戦ラインで、この国はまだ戦時体制下にあるのです。」「その枠組みから見れば、拉致など微々たる問題です。」「それに日本は、大騒ぎし過ぎます。」「日本帝国主義時代に、朝鮮人を強制連行したことを思えば、」「数十人の拉致なんか、目くじらを立てるほどのものでないでしょう。」
「だいたい私は、日本政府が謝罪しないことも、気に入りません。」「謝るべきことは謝ればいいのに、いつも曖昧だ。」「一方で首相が、靖国神社へ参拝するし、石原慎太郎みたいな、国粋主義者が登場してくる。」「韓国人の私は、理解に苦しむことばかりです。」
こうした経歴を持つ人間なら、過去の事実を多少知っていて良いはずなのに、この程度の認識だ。
反日朝日新聞と売国議員、売国インテリたちが、日本国内で喋っていることと、そっくり同じ間違った事実を語る。韓国が、戦後復興するのに十分な賠償金を支払い、必要もない詫び状まで書いているのに、韓国政府は、日本政府のやったことを、正しく国民に知らせていない。
もしかすると、自国の歴史を知らされていない、韓国政府の人間も始め、議員たちも、一般国民も、みんな、日本発ねつ造記事と、反日の主張を、本気で信じているのかも知れない。そうとでも考えなくては、韓国のウソ八百の誹謗が、理解不可能となる。これでは、いくら年月を重ねても、韓国の恨と憎しみが消えるはずはない。
忘れかけている者がいるのかも知れないが、朝日新聞の犯した罪の深さを、改めて噛みしめさせる本だった。
ねつ造のウソを事実として語り、韓国の反日活動に迎合した、日本の国会議員、学者、評論家たちが、どれほどの裏切りをして来たのかを、嫌と言うほど知らされる。大高氏の相手になった韓国人の、偏った日本観の形成に力を貸したのは、間違いなく日本人中の彼らであり、許せない売国行為だ。
私が一番興味を惹かされたのは、彼女の現地ガイドになった、女子大生の言葉だった。高麗大学の大学院生で、日本文学専攻という才媛らしい。
「韓国女性の北朝鮮に対する意識 ? そんなものあるかしら。」「政治に関心を持つ女性は、少ないですよ。」「韓国の女子大生の興味は、就職、ボーイフレンド、化粧やファッションに向いています。」「日本の若い女性も、そうでしょう。」
「昔の人は、なにかあれば、ウリナラ(我々の国)という言葉を、好んで使いましたが、」「私たちはウリナラより、ウリ(私)なのです。」「それに私たちは、心のどこかで冷めてしまっているのです。」「どんなに北朝鮮や、韓国の政治について議論したところで、何も変わりませんから。」
「私の世代は、歴史には興味がありません。」「私たちは、民主主義世代です。」「歴史よりも、社会での出世だとか、良い生活とか、」「自分の人生をどう開くか、ということで頭がいっぱいなのです。」「それに、過去は過去。そんなものにいつまでも拘っていたら、四面楚歌になってしまいます。」
「そうじゃないですか。反北朝鮮、反共産主義、反日、反米だったら、」「地理的に見て、友好国になるのは、中国とロシアだけなんて、冗談じゃありません。」「ロシアは得体が知れないし、中国なんて、汚くて行きたくもありません。」
こんなことが言えるのだから、韓国は、やはり言論の自由な国なのだ。
少数者の意見なら、いくら勇気があっても、女学生が、ためらいもなく主張できるはずがない。彼女の話が、多数の意見だとしても、日本のマスコミは報道しないのだろう。ノンポリの一般人の意見では、センセーショナルな記事にならないため、無視しているのだろうか。
大高氏の功績は、期せずして、韓国と日本のマスコミのねつ造姿勢を、教えてくれた所にもある。
昨年の6月に、青樹明子氏の、「北京で学生生活をもう一度」という本の感想を、ブログに書いたことがある。。何が何でも中国が好きと言う、不思議な女性の書いた本で、いわば彼女は、この女子大生と同じ仲間だ。
政治に無関心で、自分の興味のあるものにだけ、邁進していく。他人の意見なんか気にかけず、自分の思っていることを実行する。世間知らずなのか、大胆なのか、純真なのか、私にはよく分からない。
日本でも韓国でも、マスコミの報道には、彼女らのような人物は登場しない。こうした個人主義に徹し、冷めた目で、国や社会を見ている人間が、本当は多数いて、騒ぎ立てている者の方が少数ではないのかと、ふとそんな気にもさせられた。
保守と左翼が、意地になって攻撃し合っているが、多数の国民は、あんがい我関せずと生きているのではあるまいか。
重苦しい日々から開放され、ふっと息が抜けるような、気にさせられた。保守を任ずる大高氏の著作を、本意でない読み方をする私に、彼女は眉をひそめるか、あるいは馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすのか。知りたい気もするが、彼女は、私のブログの存在など知りもしない。
いつものように、知らないことを教えてくれた氏に、私は感謝の意を表する。この本は本棚に入れることとし、資源ゴミ回収の日に廃棄するなんて、しない。