通信社の歴史を概略知りたいと思いましたが、簡単なものではありませんでした。
新聞も似たような歴史を持っていますが、通信社は大きな資金が必要なためか、 最初から政党や財閥が関わっています。
裏金や政略など暗い話が敬遠されたためでしょうか。なぜかこれまで、通信社に関する本を目にしませんでした。
こうした世界を好むものではありませんが、やめる訳にいきません。調べた資料が煩雑なので、できる限り省略しようと思います。
「日本では江戸時代に、米相場の動きを手旗信号によって、遠方に伝える手法が、存在したが、」「近代的通信社が生まれたのは、明治時代のことである。」
通信社の歴史は、こんなところから始まります。
「板垣退助らが中心となって展開した、自由民権運動を契機として、」「国会設立の機運が高揚し、明治23( 1890 )年に、第1回帝国議会が開かれた。」「この動きに乗って続々と新聞が発刊され、同時に、国政の動向や政論を配信する通信社も、数多く設立された。」
日本史の授業と同じで退屈しますが、偏見の記事を溢れさせている共同通信社を知ろうと思えば、続けるしかありません。
「当時は、東京だけで、200を超える通信社が存在したが、草創期の通信社は総じて小規模なものであった。」
ここからは文章でなく、事実だけを抜き書きします。
・明治20年(1877)
六角政太郎が「東京急報社」を創業。大阪・堂島の米市場の情報を、江戸橋電信局
に打電し、東京の顧客に伝達。これが、日本における近代的商業通信の嚆矢。
・明治37年(1904)
同社は、「合資会社商業通信社」として再生。
・大正8年 (1919)
株式会社化され、1937年(昭和12年)に「日本商業通信社」に吸収された。
これが一つの流れで、ここからは別の会社の話です。
・明治21年 (1888)
11月4日、三井物産創業者の益田孝により「時事通信社」(現在の時事通信社とは
無関係)創立。当時の内務省警保局長、清浦奎吾(のち首相)の肝煎りで設立され
た御用機関。激しい内紛のため、3年足らずで休業。
・明治23年 (1890)
郵便報知新聞社(のちの報知新聞社)社長、矢野龍渓が「新聞用達会社」を創業。
郵便報知新聞社と同様に、立憲改進党支持の姿勢。
・明治25年 (1892)
時事通信社と新聞用達会社が合併し、「帝国通信社」(以下「帝通」)誕生。
初代社長は、新聞用達会社主幹だった竹村良貞が就任。同社の記事は、政府方針に
反するとして、度重なる発行停止処分を受けた。帝通は官庁の発表記事に強く、新
聞各社は帝通の記事を欲した。日清・日露戦争を通じ、業務を拡大し、抜きん出た
存在に成長した。
当時生まれた通信社としては、他に、
・明治23年(1890)、清浦奎吾が警保局の機密費を使い設立した、「東京通信社」、
・明治24年(1891)、漆間真学が設立した「日本通信社」、
・明治26年(1893)出版界の雄・博文館の大橋左平が設立した「内外通信社」、
・明治32年(1899)自由党代議士の星亨が設立した「自由通信社」
煩雑ですが、通信社が政治家や財閥よって作られる大金を要する会社と理解できました。
資料ではさらに、政治家とのつながりが語られてます。
「日本通信社は、明治39年(1906)に、庇護者の伊藤博文が、」「自ら初代統監に就任すると、京城に支局を設置した。」「日本の通信社が、海外に拠点を置いたのは、これが最初である。」
「内外通信社は、ロイターとの直接契約に成功し、外電を国内に配信した。」「しかし当時は、外電の需要が低く、売り上げは低迷した。」「結果、明治30年(1897)に、博報堂の瀬木博尚に譲渡され、」「昭和30年(1955)に博報堂に吸収された。」
「自由通信社は、自由党の宣伝機関として機能し、星の死後は、」「西園寺公望がこれを継いだが、関東大震災以後凋落した。」
ここまでで生き残っている通信社は、時事通信社と、新聞用達会社が合併してできた、「帝国通信社」です。そして出現するのが「電通」です。電通は広告代理店と思っていましたが、通信社の業務も行っていました。
現在マスコミ界を牛耳るのは、巨大な共同通信社と電通です。知ることは国民の武器でもありますので、次回は電通の誕生について紹介します。