青山氏以下5人の経歴を並べますと、皆が意外と若いのに驚かされました。政治の世界では、まだこれからという年齢です。青山氏も疲れたとか、寝不足だとかぼやいてはおれません。まして、議員を一期で辞めると公言するなど、とんでもない話です。集った同士だけでなく、「護る会」に期待する国民を裏切ることになります。
・ 令和元年11月 首相官邸を訪れ、旧宮家の皇籍復帰を求める提言書を提出
・ 令和2年 2月 自民党の役員会が決めた、議員歳費からの一律5,000円の中国への支援方針に反対。二階幹事長に提出し、「協力しない人はしなくていい」と方針転換させた
・ 令和2年 2月 下記内容の声明文を政府に提出
「中国の武漢熱で、世界が多大な困難に直面しているのに、中国の情報開示には問題がある。」
「この時期にも関わらず、尖閣への公船、軍用機による中国の挑発行為が続いている。」
「邦人拘束事案、香港・チベット・ウイグル・南モンゴルにおける人権弾圧についても、何ら解決の兆しがない。」
「習近平氏の来日は、世界に対し、 "武漢熱 " の終息を日本が認めるかのような、誤ったメッセージの発信につながりかねない。」
「この観点からも、国賓としての来日のみならず、習氏の来日そのものに、断固反対である。」
・ 令和2年 5月 「武漢熱」の感染拡大への対策として、消費税減税法案とりまとめると述べた。
私は、氏の動画、【ぼくらの国会】をほとんど見ていますので、ブログを綴りながら、熱く語る氏を思い出します。発起人である5氏の経歴を知り、同時に今まで抱いていた「護る会」 への期待と不信感の原因も分かりました。
安倍氏は在任中、まるでヌエのように、捉え所のない政策を実行し、私を悩ませました。「憲法改正」と「皇室護持」を言いながら、「移民法」、「カジノ法」、「アイヌ新法」など、日本を崩壊させる法律に力を注ぎました。今でも私の中では、氏に対する賛同と怒りの火が燃えています。
「護る会」の5氏は、あたかも安倍氏の保守政治家としての面だけを受け継いだ、隠れ安部派に見えてきました。「強権発動の独裁者」、「数に驕った長期政権」とマスコミに叩かれましたが、実態は党内の反日左翼、反日リベラル勢力との、せめぎ合いだったのかもしれません。
そういう政争の中から、「護る会」が生まれたのだとしたら、反対する理由はありません。安倍氏が言えなかった正論を、青山氏らが代弁しているのなら、支援しようかという気にもなります。懸念があるとするれば、中心人物である青山氏が、「疲れるから、一期で議員を辞める」と無責任な発言をしているところと、長尾議員のように、風だけ読んで動いている、信念の疑わしい人物の存在です。表題につけた「護る会 への期待と不信感」は、こういうところから生じています。
5人の経歴を知り、「護る会」の活動を再確認し、やっと気持ちの整理がつきそうになりました。次回は、それについてご報告しますので、都合のつく方は「ねこ庭」へ足をお運びください。待っております。