ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

アヒルの水かき

2020-06-30 21:52:52 | 徒然の記

 福田赳夫氏が首相だった頃、米国一辺倒の日本を脱し、アジアに主軸を置く国になろうと、あれこれ努力をしていました。子息の康夫氏の動向を見ますと、どうやらそれは、親中の動きだったのかもしれませんが・・・

 私の本題はそこにあるのでなく、福田氏が、米国に気兼ねしながら、日本独自の外交政策を模索していた時、その動きをやや自嘲気味に、「アヒルの水かき」と表現していたことを、思い出しました。

 去る6月26日の新聞に、小さな二段組の記事がありました。

 「自民党保守系議員 新グループ設立」、という見出しです。それによりますと、自民党の保守系議員が、「保守団結の会」という、新グループを結成したとのことです。稲田幹事長代行が、自民党内に二つの会派を持っていたということを、この記事で初めて知りました。

 1. 「伝統と創造の会」 ・・平成18年結成  当初34人

   ポスト安倍を目指す、稲田氏が中心となり、靖国参拝など、日本の文化と伝統を守ろうと結成

 2.  「女性議員飛躍の会」・・昨年結成  43人

   選択的夫婦別姓の勉強会を開始 女性や弱者に寄り添う政策を発信

 「伝統と創造の会」に属する議員が、「女性飛躍の会」を作った稲田氏に失望し、新たな「保守団結の会」と言う会派を結成した、と言う内容です。代表世話人は、高島秀一筆頭副幹事長です。

 私の驚きは二つでした。

 1. およそ防衛大臣に相応しくない服装で、自衛隊員の前で訓示した、危機意識のない稲田氏が、まだポスト安倍を狙っていた。

 2. 反日野党が議員がくっついたり離れたり、政権狙いで動いているが、自民党にも、負けずに動いている議員がいた。

 自民党の中に、どんな会派があり、どういう動きをしているのか。「護る会」を知るまでは、まったく無知でした。今日の記事を合わせると、私の知る自民党内の新しい会派は、4つになります。

 1. 「日本の尊厳と国益を護る会」    代表 青山繁晴 令和元年発足  43名

 2. 「日本の新しい未来をつくる勉強会」 代表 安藤裕  令和2年発足  30名 ?

 3. 「保守団結の会」                           代表 高島秀一  令和2年発足       名 ?

 4. 「女性議員飛躍の会」              共同代表 稲田朋美  令和2年発足  43名? 

 稲田氏が共同代表を務める、「女性議員飛躍の会」 の会派は、二階氏の支援で作られたと聞きますので、最初から論外ですが、他の3つの会派には、自民党を変える萌芽があります。

 節操のない離合集散でなく、国益を中心とした若手議員の政策集団なら、期待が膨らみます。互いに切磋琢磨し、本来の自民党を再建して欲しいと思います。無節操な妥協ばかりする古参議員を、乗り越えられるか。これが、課題です。

 結果が現れれば、参加する議員が増え、マスコミも無視できなくなります。

 こうした若手議員諸氏の動きを、「アヒルの水かき」と表現しました。親中派の故福田氏の言葉なので、気に入らないかもしれませんが、「水面下での苦労」と言う意味では、適切な表現だと思います。途中で挫折したり、変節したりせず、期待する国民を忘れず、地道に頑張って欲しいと、エールを送ります。

 小さな記事でしたが、千葉日報の二ユースは、日本を照らす希望の灯でした。小さくても、「武漢コロナ」を吹っ飛ばし、政界を走る閃光のように、たまにこんな記事があると、生きている甲斐があります。

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『沈む国 昇る国 』- 2 ( 虐殺記念館 )

2020-06-30 06:04:20 | 徒然の記

 中川氏の意見が、旧ソ連について語る時だけ、正論を述べていると言う具体例を紹介します。77ページです。

  ・ソ連邦の解体は大混乱を招き、それは今も続いている。

  ・しかしこの混乱期は、衰退を続ける社会主義経済の構造的欠陥を解消し、政治的には、一党独裁と党官僚専制性を排除するための産みの苦しみ、と見るべきであろう。

  ・その意味において、ゴルバチョフの主導したペレストロイカ(改革)と、グラスノスチ ( 情報公開 ) は、旧ソ連に明るさと、近い将来の経済発展の夢をもたらす、第一歩であったと言えよう。」

  ・拙速でありすぎたとの批判もあるが、ゴルバチョフが祖国へ果たしたノブレス・オブリージュ ( 高貴なる者の義務 ) であったと、私には思えてならない。

 しかしすぐ後で、訳の分からない意見を述べます。78ページです。

  ・ひるがえって近年の日本はどうか。数年前から政治改革が叫ばれ、衆議院選では、中選挙区制から小選挙区と比例区に改正した。

  ・戦後長らく続いた自民党政権は、一時的に止まったが、野党の離合集散が続く中で、これでまた自民党政権の長期化となろう。

  ・これでもかと明るみに出る、官僚の腐敗行為にもかかわらず、行政改革は抜本的にならぬまま終わろうとしている。

  ・自民党と官僚の関係は、崩壊前の共産党と官僚たちの関係に、あまりに酷似している。

  ・国民は、その民度にあった政府を作るとよく言われる。

  ・もうこの辺で国民は目を覚まし、将来に希望が持てる政治と、それを実現できる政府づくりに意を注がなければならない。

 つまり氏には、社会主義思想そのものの理解ができていません。崩壊したソ連の社会主義を批判するのであれば、発展しようとしている中国も、同じ社会主義を標榜している国だとそこは思いが至りません。

  ・ところが現実のソ連はプロレタリア独裁でなく、党機構と秘密警察が暴力で国民を統制し、テクノラートが支配する国であった。

 そっくり同じことをするのが社会主義国だと、日本国民が知っているから、金権腐敗の自民党に我慢しています。

 目を覚ましているから、恐ろしい反日・左翼議員に投票していないのだと言うのに、国民の苦労も知らず、氏は何をつまらないことを喋っているのでしょう。

 書評を止めてもいいのですが、息子や孫たちのために、辛抱しなくてなりません。どんな意見が愚かなのか、的の外れた主張なのか、滅多にない具体例です。

 第二章は、氏の大好きな中国です。

  ・中国は、面積では日本の26倍、人口では10倍とまさに大国である。

  ・私はこれまで、訪中歴9回、延べ日数にして120日ほどになるが、そのうちの8回はほとんど江蘇省内を動いただけである。

  ・それゆえ、10把ひとからげに中国はとか、中国人はとか、国家や国民性について一般論を展開すべきでないし、私にはその能力もない。

 大国である中国について、一般論で片付けるべきでないと、自分を戒めています。しかし氏は単に、中国が日本の何倍もある大国だから、簡単に喋るなと言いたいだけです。

 氏の論に従えば、日本も10把ひとからげに、「日本は」とか、」「日本人は」など言えないはずですが、日本を批判する時は平気でひとからげにします。

 一億二千万人の日本人にも、多様な意見があるという認識がないから、日本国民は目を覚ませと、乱暴な一般論を述べます。

  ・昭和61年春、南京を訪問した時、虐殺記念館を見学した。

  ・玄関前に到着したバスから降りると、それほど大きくない建物が目につく。

  ・白い壁に貼られた大きな文字を、一字ずつ目で追って、思わずギクッとした。そこには、侵華日軍の四字がある。漢文の素養がない私にも、中国を侵略した日本軍のことだと分かる。

  ・次に、南京大の 文字が目に入る。」

  ・次に続く文字は虐殺だと思って読むと、屠殺とある。

  ・無数の中国人捕虜をはじめとして、老若幼の女性を含む幾多の一般人を、惨たらしい手段で殺したことを本や記録映画で知っている私は、南京大虐殺の言葉に、慣らされていた。

  ・屠殺といえば、鶏や牛や豚などの家畜を殺すことと思っていた私は、そばにいた通訳の魏鴻文さんに尋ねた。

  ・彼はべらぼうに流暢な日本語を話す。

  ・私の驚いた様子をみて、中国では大虐殺と言わず大屠殺というのだと、教えてくれた。

  ・帰国した私は、勤務先の短大図書館で、諸橋轍次の漢和大辞典という初めての大著に挑戦した。

  ・さすがに諸橋の大辞典、「皆殺しにする、敵をせめて城を毀ち、衆人を殺す」と書いてあり、魏鴻文さんが説明してくれた通りである。

 反日の氏は、こんなことに感激するらしく、しきりに強調しています。

 平成30年6月に、福田康夫元首相が、江蘇省南京市にある「南京大虐殺記念館」を、訪問しています。

 ここを訪れた首相経験者は、村山富市、海部俊樹、鳩山由紀夫各氏に続き、福田氏で4人目となります。

 福田氏氏は犠牲者に花輪を手向け、黙とうを捧げた後、記者団に

 「日本人は、もっと過去の事実を、正確に理解しなければならない。」

 「多くの日本人が、記念館を参観すべきだ。」

 「より多くの日本の政治家が記念館を訪れ、この歴史に触れてほしい」、と語っています。

 総理経験者でさえ南京事件についての知識がなく、中国政府に騙されるのですから、中川氏が読者に捏造話を語っても不思議はありません。

 しかしここは大事なところですから、改めて次回に、氏の間違いを説明します。

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『沈む国 昇る国』

2020-06-29 14:46:58 | 徒然の記

  中川博氏著『沈む国 昇る国』( 平成10年刊 明石書店 ) を、読んでいます。

 只今108ページで、約半分のところです。中丸薫氏の著作も平成10 年でしたから、この年は、禄でもない本の当たり年だったのかとつい思います。

 著者は、私より二つ年上の昭和17年生まれで、反日・左翼思考の持ち主です。「日本だけが悪かった。」「日本だけが間違った戦争をした」と、本気で考えています。

 大して違わない年齢なのにどうしてこのような人物が生まれるのか、考えさせられます。

 中国と韓国に対して贖罪意識を持ち、その反動で日本を全て否定します。同じ頃の日本で育ち、同じ教育を受けていながら、私と氏はどうしてこうも違うのか。

 確かに歴史の授業では、先生たちが日本の侵略戦争について教えました。中国と朝鮮にどれだけ酷いことをしたかと、軍の悪口を聞かされました。

 一方的な批判だったため私は反発し、逆に日本贔屓になってしまいましたが、氏は、素直な少年だったのでしょうか。

 先生の話を正しいと受け止め、日本軍に怒りを感じたのでしょうか。そうだとするなら、当時の生徒たちの中で私が変わり者だったかと、氏の著書を読んでいますと錯覚に陥ります。

 どう言う経歴の人物なのか検索しましたが、著名人でないらしく、情報がありませんので、本の裏表紙に書かれた略歴を紹介します。

 「昭和17年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業、」

 「同志社大学大学院を経て、現在四条畷 ( なわて ) 学園女子短期大学教員」

 これ以上知る必要も感じない、内容のお粗末さです。「温故知新」の読書を始めた頃は、偏見の本に出会うと怒りに燃えましたが、もう慣れました。

 いい年をしていつまでも自分の国が愛せないのかと、返って哀れみを感じます。本が出版された平成10 年が、どう言う年だったのか調べてみました。

 ・ 内閣総理大臣・橋本龍太郎 7月30日より、小渕恵三内閣

 ・ 内閣官房長官・村岡兼造 7月30日より、 野中広務

 ・ 新進党の6分裂と民主党の躍進 公明党の再発足

 ・ 自社さ政権の終焉により、政界勢力図が大きく変動

 ・ 前年に続き、日本長期信用銀行や日本債権信用銀行など、銀行や大手企業の倒産が相次ぐ

 今は「武漢コロナ」で騒々しいのですが、平成10年は、バブル崩壊後の激動が続いていました。こう言う時に氏は、京都の女子短大で教師をしながら各国を訪問し、その見聞をもとに反日・左翼本を出版していたのです。

  1. ソ連  2. 中国  3. 韓国  4. インド  5. イギリス

 訪問した順に、それぞれの国のことが述べられています。今韓国まで読み、これからインドにかかるのですが、反日・左翼と言っても、氏はソ連については客観的な見方をしています。崩壊したソ連なので遠慮するのを、忘れたのかもしれません。

 「旧ソ連は、プロレタリア独裁を標榜してきた。」

 「そのことが戦前、唯一の社会主義国であったソ連へ、搾取に苦しむ資本主義国の労働者階級を引きつけ、社会主義を理想と仰がせた。」

 「この標榜は、戦後も長く、資本主義国の民主化運動、労働運動にとって、魅力あるものであった。」

 「ところが現実のソ連は、プロレタリア独裁でなく、党機構と秘密警察が暴力で国民を統制し、テクノラートが支配する国であった。」

 氏は、支配層である党幹部の腐敗と横暴について述べ、犠牲となった庶民の姿を詳しく語ります。

 同じことが中国で行われているのに、氏の思考はソ連で止まったままです。中国は良いところばかりが語られ、素晴らしい国と強調され、その反動で日本が悪者になります。

 私も単純な人間ですが、氏には及ばないようです。

 保守自民党を応援し、自民党以外に「憲法改正」を期待できる党はないと考える私です。「皇室護持」についても、自民党以外にできる党はありません。

 「男女平等」と言い、「女性宮家」や「女系天皇」を認めるような党は、日本の歴史を知らない「亡国の党」と信じています。と言って、盲目的に自民党を支持しているのでなく、反対は反対と言います。

 氏の意見には、中国への批判が皆無です。韓国についても、彼らの日本攻撃は全て妥当とし、反論する日本を批判します。

 中国と韓国について、氏には是々非々の思考がなく、「日本だけが絶対に悪い」です。氏のような人物が、女子短期大学の教員として通用し、氏の著書を出版する書店があり読者がいると言う事実は、笑って済ませることでありません。

 22年前の本の話ですが、先日のニュースで、文科省が、教科書に「従軍慰安婦」という言葉を復活させたと聞きました。

 捏造記事が発端となり、あれほど日本人の心を傷つけた韓国の言いがかりだと言うのに、文科省の大臣と役人は、なにを考えているのでしょう。

 氏に似たうつけ者が自民党政府内にいるのですから、息子や孫たちのことを思うと、ブログが止められなくなります。

 萩生田氏は、常識のある自民党の政治家と思っていましたが、中川氏と似たり寄ったりでした。総理もこう言う人物を文科大臣にするようでは、「憲法改正」の本気度が国民に疑われます。

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『闇の世界とユダヤ』 - 5 ( 最後までペテン師 )

2020-06-27 18:04:33 | 徒然の記

 平成10 年と言えば、小泉総理が訪朝し金正日が「拉致」を認めた年です。

 最初の頃はマスコミが取り上げず、野党の政治家が否定していましたが、非道な北朝鮮の拉致が明らかになり、世間が騒がしくなっていました。

 13才の横田めぐみさんが、下校の途中で北の工作員に襲われ、麻袋に詰め込まれ、拉致されました。中学1年生の娘が、いつまでも帰宅しないため、横田夫妻は心当たりの場所を懸命に探し回ったそうです。

 私には三人の息子がいるので、そんな年頃で突然行方不明になったらと、考えるだけで胸が潰れます。理由もないのに北朝鮮に拉致されたと分かった時、横田夫妻は誰に相談したのか。誰が協力してくれたのかと、思うたびに、胸が痛みます。

 中丸氏の著書は、世間が拉致問題で騒いでいる年に出版されています。太陽のように暖かい心を持つ氏が、どのように語っているのかを読みます。

 140ページです。

 「このところの私は、韓国を訪れる機会が多い。」

 「朝鮮半島は現在、地球上でただ一つの分断国家である。」

 「38度線を境にして、同じ民族でありながら、互いに憎しみ合い、いがみ合い、スパイ活動をして相手国の内情を探り合っている。」

 「これら政治的にも、非常に難しい国に、私は南北双方から、国賓待遇で招かれた。」

 「片方だけなら、珍しいことではないかもしれない。」

 「しかし、双方から迎え入れられたということは、それ自体、世界平和を目指すという使命を与えられていることに、なるのではなかろうか。」

 どこかで、不幸な拉致被害者のことや、その家族の悲しみが語られるかと、期待しつつ読みました。

 「今回は韓国を訪問した後で、北朝鮮に入ることになった。」

 「外国人は、10月18日以降にしか入れないという通達が、事前にその筋にあったようである。」

 「関係者の方が、入国できる外国人の筆頭に、中丸先生の名前が記されていますと、わざわざ電話で知らせてくれた。」

 「私もひょっとしたら、金総書記との独占会見が叶うかもしれないと期待して、出発の日を待っていた。」

 「ところが一本の、不審な電話が私のもとにかかってきた。」

 「( 金総書記に ) お会いになるそうですね。」

 「ええ、もし会えることになれば、世界中の人が知りたいことを代わりに聞くことができます。私も、楽しみにしています。」

 「会って話をしてくるということ自体、相手国の利益になりませんか。それでも実行するというのなら、身辺に気をつけてくださいと、ある人が言っています。」

 氏が、想像もしていない電話だったそうです。

 脅しなのかと一瞬考え、ある人の名前を聞くと、表面に出て仕事をしていない人物だから名前は答えられないと言われます。

 「次の瞬間、私は思い当たった。そうか彼は、闇の政権からの回し者なのだ。」

 「余計なことをするな、俺たちはいつでも、どこでも、見張っているのだぞと私に脅しをかけてたのだ。」

 期待する拉致家族への言及はなく、闇の世界の人間の説明が続きます。

 「彼らが情報をキャッチする速さと言ったら、それは天才的である。」

 「何しろ日本においても、新聞社、テレビ局、大学を始め、あらゆるところに情報網を張り巡らせ、アンテナを立てているのである。」

 「すでに大手の新聞社や、テレビ局の買収にかかっているというニュースも、私のところには入ってきている。」

 「私はとっさに、今まで王道を歩いてきましたから、これからも世界の元首にあって王道を歩んで行きますと、伝えた。」

 自分のインタビューが王道であると、氏は読者に宣伝しているのでしょうか。

 反日・左翼勢力が、新聞社やテレビ局や大学に、情報網を張り巡らせていることも、大した話でありません。年金生活者の私でもその程度のことは、「温故知新」の読書で知っています。

 「今回私が北朝鮮に行って、金総書記にお目にかかることができ、独占会見にでもなったら、さすがに彼らも慌てるだろう。」

 「自分たちが作り上げたイメージと違って、北朝鮮が平和的な国家であり、金総書記の人柄なども、少しも悪くないことが明らかになったらどうなるのか。」

 「それこそ沖縄の基地も、日米ガイドラインも、一兆円もするパトリオット・ミサイルも、皆違った形にならざるを得ないだろう。」

 氏の頭には、拉致被害者のことがどこにもありません。それどころか、反日・左翼政治家と同じ、北の礼賛です。どこに日本人の魂があり、どこに太陽のような心があるのでしょう。

 「とにかく北朝鮮は、日本だけでなく、世界中の平和を乱す危険な国であり、その元首である金総書記は、クレイジーな独裁者だというプロパガンダを、彼らは何がなんでも引っ込めるわけにはいかないのだ。」

 「そこで、彼らの意図を覆そうとする者に対しては、あらゆる手段を使って妨害しようとするのである。」

 「私はこの一件からも、闇の権力の手が世界のあらゆるところに伸びてきていることを、改めてひしひしと実感させられたたのであった。」

 これが結びの言葉です。こんなおかしな話するより、どうして北朝鮮行きがダメになったのか、読者に説明するのが先でしょう。

 大風呂敷を広げる氏に、悪意の誰かがいたずら電話をしただけでないのか。闇の政権の脅しとか、回し者の仕業だなどと、氏の誇大妄想狂かと思ってしまいます。

 こう言う人物が、堂々と暮らしている能天気な日本です。新聞やテレビが誉めていても簡単に騙されてはいけませんと、息子たちに伝えたくなりました。

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『闇の世界とユダヤ』 - 4 ( 「太陽の会」の教祖 )

2020-06-26 20:17:50 | 徒然の記

 「この際ハッキリさせておきたいのだが、私は、闇の権力がイコール、ユダヤ人と言っているのではない。」

 「あえて言うのなら闇の権力とは、少数のユダヤ人をも含んだ邪悪なグループの総称だと、捉えている。」

 「残念ながら、日本で出回っているユダヤ陰謀論の類はこの点を見誤っているとしか、言いようがない。」

 ここまで断言するのなら、氏は著作の題名も、変えるべきでしょう。

 『闇の世界とユダヤ』と勿体ぶらず、『闇の世界とユダヤ説を正す』とか、『闇の世界とユダヤ説の間違い』とするのが、誠実な学者の姿勢でしょう。

 曖昧な題名をつければ、世間の注目を引き、本が売れるとでも思ったのでしょうかと、一旦不信感を持つと疑いは晴れません。この本の特徴は、どちらとも取れる曖昧な意見で終始し、結局自分の意見を語らないところにあります。

 「宇宙と波動を合わせ、真の使命に目覚めよう」

 「初めて明かす、私自身の輪廻転生体験」

 「一人一人が、光の天使として立ち上がろう」

 宗教なのか、政治活動なのか、それとも文化活動なのか、氏は自ら「太陽の会」と言う団体を立ち上げ、会長になっています。

 氏は学者というより、新興宗教の教祖のように見えてきます。「太陽の会」の賛同者には、これまで対談してきた世界の王様や貴族、大統領や首相などの名前が並んでいます。

 氏の意見をまともに考えるより、ネットの情報の方が、彼女の姿を正しく伝えている気がいます。

 「中丸氏は昭和60年に、国際問題研究所をニューヨークで、また平成3年には、平和を願う人々の会 " 太陽の会 " を設立。」

 「その際、各国国王や大統領、文化人から、あなたのあらゆる活動に賛同いたします、との直筆サインをもらい、これら要人を顧問および特別会員として迎えている。」

 「会の立ち上げにより、氏は武力と緊張を礎とする " 力の道 " による、ワンワールドではなく、相互理解と信頼を礎とした "  命の道 " による、ワンワールドの実現を啓蒙する活動を、」「本格的に開始した。」

 「インタビュアーとして活躍していた頃から、これまでに訪問した国は186カ国。」

 現実的考察をする国際政治学者なら、果たしてこのような団体を設立し、世界の平和が達成されると考えるでしょうか。沢山のことが書かれていますが、結局この本の目的は、氏が主催する「太陽の会」の宣伝です。

 ネットの情報を提供した人物は、中丸氏を肯定しているのか、批判しているのか読み取れません。事実だけを述べ、あとは読者に、判断しろと言っているのでしょうか。

 氏は有名人で明治天皇の孫とも言われていますから、迂闊なことが言えないのかもしれません。

 「中丸は著書において、人間復興を通した世界平和を、目指しているとし、富や名声、権力が人間を幸せにするのではなく、」

 「本当の幸せは、愛、調和、安らぎに満たされた心から生まれる。市民からVIPまで、一人一人の心の内側を平和にすることが、世界平和を実現すると訴えている。」

 「『太陽の会』という名称も、イソップ物語の『北風と太陽』にちなんで命名。」

 「中丸は著書の中で、太陽はどんな人をも温かい光で包み込む。私たちも、そのような心で生きなければいけない、という主旨のことを度々書いている。」

 太陽のような温かい心で、人は生きなければならないと言われたら、反対する人間はいません。これを私は、「朝日新聞的人道主義」と呼びます。

 個人の生き方として、氏が実践する分には反対しません。しかしこれで、世界の平和が達成され、全ての問題が解決されると主張するのなら話が別になります。

 氏の著書は、平成10 年に出版され、22年が経過しています。その間に氏は北朝鮮訪問も、計画していました。

 太陽政策が正しいものであるなら、拉致された国民はとうの昔に日本へ帰っていなければなりません。これに関する氏の意見は、次回に紹介することとし、ネットの情報」を紹介します。

 「両親がともに、日中友好のために力を尽くしたことから、中国とは、日中国交正常化以前から太いパイプがあり、当時の田中角栄首相、大平外相ら政府要人や、外務省職員に、中国情勢をレクチャーしたとしている。」

 「昭和45代から昭和55代には、三木武夫、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三らと、親交を深めたと述べている。」

 氏の話の伝聞ですから断定せず、「・・としている。」「・・と述べている。」と、注意深く書かれています。

 「昭和50年、20世紀後半で世界に名を残している著名人200人を、自分でアポイントをとりインタビューした 〈 中丸薫 世界の主役 〉 TVシリーズを、終えたころ、文藝春秋社から、自伝を出版してください、と云われた。」

 「そしてその中に、明治天皇の孫であるということも入れてください、と云われた。」

 「こうした経緯で、中丸薫半生記『太陽を追って』が、文藝春秋から出版され、初めて明治天皇の孫中丸薫にふれた本が出版された。」

 『太陽を追って』の出版は昭和50年ですから、今から45年前の本です。

 氏を有名にしたのは、文芸春秋社だったことが分かりました。氏の話が事実なのか、捏造なのか、検証した者はいないようです。検証するより、不明のままにしていた方が、センセーショナルですから、文芸春秋社にはその方が好都合だったのでしょう。

 氏の著書は、これまでに読んできた反日・左翼学者の著書に似ています。

 「90パーセントは事実が書かれているが、10パーセントの捏造が混じっている。」

 無知だった昔は、これに騙されてきました。氏の著書は書評に値せず、読むにも値しない本と思いますが、北朝鮮について、「太陽のような心を持った氏」が、どのように語っているのか、息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に、紹介せずにおれません。

 次回が最終回となります。

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『闇の世界とユダヤ』 -3 ( 巧妙な捏造 )

2020-06-26 14:23:44 | 徒然の記

 148ページで、氏は次のように述べています。

 「世界を陰で動かしている、闇の権力構造。」

 「その中心は、ほんの一握りの人々である。」

 「周知の通り勤勉で優秀なユダヤ人たちは、世界各地のあらゆる分野で活躍している。」

 「ほとんどのユダヤ人たちは、私たちと同じように家族を愛し、平和を愛し、世界の人々と調和しながら生きることを望んでいる、平和な人たちである。」

 そして氏は、ロンドンで対面した、ロスチャイルド家の8代目の当主エドモンド・ロスチャイルド氏について語ります。

 当時彼はシェル石油の会長を辞め、イギリスのヒース首相のもとで、経済顧問のような仕事をしていました。経済の専門家を13人ほど引き連れ、政府の一室に、自分の机を置いていたと言います。

 「あなたにとって、人生で最も感動的だった瞬間はどんな時でしたか。」

 氏の質問に彼は急に目を光らせ、身を乗り出して語ったそうです。

 人生で最も感動的な瞬間は、ヒトラー自殺のニュースを耳にした時で、彼は思わずトイレに駆け込み、服毒用に持ち歩いていたモルヒネのカプセルを流したと語りました。

 その様子を見て、氏は考えたそうです。

 「ユダヤとは一体何なのだろう。民族なのか、それとも宗教なのか。」

 この経験をもとに、氏はユダヤ人とナチスドイツの関係にスポットを当て、ユダヤ人とは何かを、追求することになったと語ります。

 異質なもの同士がいかに共存しているかという、人類の平和を考える上で、根源的な問題が潜んでいると考察したそうです。

 「そもそもヒトラーは、極端な民族的差別主義者であった。」

 「アーリア人種を、他の全ての人種より優れていると考え、人類の歴史に、動物界の自然淘汰説を導入した。」

 ヒトラーは、人類を次の三つに分類したと、氏が説明します。

   1. 文化の創造者としての人種・・・アーリア人

   2. 文化の担い手としての人種・・・日本人に代表される

   3. 文化の破壊者としての人種・・・ユダヤ人に代表される

 私もヒトラーの「我が闘争」を読みましたが、ここまでハッキリとは書かれていませんでした。

 アーリア人が一番優れた民族だと、ヒトラーは言っていましたが、2.と3. は別の言い方をしていたように記憶しています。中丸氏が、民族の優秀度に合わせて番号を振っているのだとしたら、間違いでないかと思います。

 ヒトラーにとってアーリア人以外は、全て劣等民族で、2.も3.も区別していませんでした。特に日本人については、先進文明を模倣するだけの黄色い猿と、蔑視していたはずです。

 人によって本の読み方が違いますし、この書評にしても、思い込みや独断で書いていますから、偉そうなことは言えません。

 氏の意見をあれこれいうより、先へ進む方が時間の節約になります。

 「人間の世界でも、自然界と同じように弱者が滅び、強者が生き延びるのは自然の摂理である。」

 「強者であり文化の創造者たる人種は、その優秀な種と血統を、純粋に保持しなければならない。」

 「ヒトラーは、劣等民族であるユダヤ人が、世界中にはびこり、寄生虫のように、他民族の国家や文化を借り物にしつつ、自分の文化を維持し、結束して世界を制覇しようとしていると考えていた。」

 「ヒトラーによれば、ユダヤ人は劣等腫としての一つの種であり、それは変えようがないのだと言う。」

 「その著『わが闘争』の下巻では、ユダヤ人がドイツ民族と国家を破壊し、支配下に置こうとしていると言ったことが、長々と書かれている。」

 「ヒトラーの説によれば、劣等民族たるユダヤ人の生存は自然の法則に反するものであり、抹殺されなればならないと言う結論に達するのだ。」

 ヒトラーを弁護する気はありませんが、氏の読み方に疑問を感じます。

 「自然の法則に反するものであり、抹殺されなればならない」と、ヒトラーは書いていませんでした。ヒトラーの著作を読めば、結論としてユダヤ人抹殺論が出てくると、氏が推論しているに過ぎません。

 ナチスドイツとユダヤ人の関係の中に、「異質なもの同士が共存していくための障害となる、根源的な問題が潜んでいる」と言うのなら、まず最初に、ヒトラーの乱暴なアーリア民族優位説を批判し分析すべきと思います。

 しかし氏はそれをせず、旧約聖書の時代に遡り、ユダヤ民族放浪の歴史を語りだします。国際政治学者だけあり、氏は私の知らないことを沢山教えてくれます。

 しかし博学であることが、正しい意見につながるとは限りません。自分の国を大切にし、ご先祖の苦労に感謝する心のない人は、どれほどの知識があっても私には無縁の人間です。

 「世界を陰で動かしている、闇の権力構造。」

 「その中心は、ほんの一握りの人々である。」

 「周知の通り勤勉で優秀なユダヤ人たちは、世界各地のあらゆる分野で活躍している。」

 148ページに、氏はこう書いています。素直に読めば、「ほんの一握りの人々とはユダヤ人である」と受け取れます。この文章のすぐ後に、ロスチャイルド氏のと対談が語られますから、流れとして読者はそう思います。

 しかし氏は、別のところで別の意見を述べています。そんな考えがあるのなら、最初から曖昧な文章を書くべきではないのです。

 次回を読めば私の意見が適切なのかどうか、息子たちにも、「ねこ庭」を訪問される方々にも分かって頂けるのではないでしょうか。

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『闇の世界とユダヤ 』-2 ( 庶民の弱点を知る天才詐欺師 ? )

2020-06-25 12:25:12 | 徒然の記

 中丸氏の父君については、前回紹介しました通り色々な情報が見つかりますが、母である中島成子氏には、断片情報しかありません。

 寄せ集めのデータを転記すると、次のようになります。

 「中島成子は、赤十字の看護婦として大陸に渡り、日中戦争時に抗日兵士の帰順工作を行なった。」「夫は、明治天皇の御烙印を自称する、堀川辰吉郎である。」

 「娘薫の生後45日で盧溝橋事件が起こり、関東軍の依頼により、日中間の交渉を担うこととなった。」「娘薫は、北京大学教授松村正之夫妻に預けた。」 

 これだけしか、ありません。母成子は、誰の子供で、両親は何をしている人物なのか。あるいは、赤十字の看護婦がどうして関東軍に依頼され、日中間の交渉をすることになるのか。どんな交渉なのか・・・全て曖昧なままです。

 氏の著書は、『闇の世界とユダヤ』とタイトルがついていますが、読者である私から見れば、氏自身が「闇の世界」の住人に見えます。

 ネットの情報を、もう少し紹介します。

 「著書によれば、薫は6歳の誕生日を迎えてまもなく、松村夫妻の故郷である山梨県甲府市に移住。」

 「昭和25年に、山梨英和女学院中等部へ進んだという。そこで外国人教師から英語を学んだことがきっかけとなり、東京へ行くことを決意。」

 「親戚が住んでいた、文京区の都立小石川高校へ進学した。」

 「薫は2年生の時に生徒会長に選ばれ、卒業するまで務めたという。」「バーナード大学を経て、コロンビア大学に入学、国際政治学を専攻し卒業。」

 「昭和45年代より、各国国王や大統領、首相、財界人やVIP、映画監督や芸術家などを、インタビューするジャーナリストとなる。」

 「国際政治評論家として、講演、執筆、テレビで活動。」

 「昭和48年には、ニューズウィーク誌で、インタビュアー世界NO1、またワシントン・ポスト紙で、国際感覚にすぐれた世界でも稀有な女性、との評価を得る。」

 目覚ましい才能があるから、こうしたVIPと面談ができたというより、明治天皇の孫という稀有な肩書がそれをさせたのだろうと、思いました。

 「その後も、自らがプロデューサー、ディレクター、インタビュアーを務める対談番組を、日米両国で持つと同時に、」

 「世界の紛争、戦争地帯に足を運び、当事国の国家元首たちと積極的に会談。」

 「その中にはリビアのカダフィ大佐や、イラクのサダム・フセインなど、西側諸国から敵視されていた人物もいた。」

 物怖じしない積極性と財力があったから、こうした仕事ができたのでしょうが、才能がなければ、やはり無理です。アメリカで高く評価されたのなら、実力があったのは事実でしょう。

 「中丸は、イラン・イラク戦争の最前線でも取材を行い、そのVTRをフセイン大統領に見せ、戦争をただちにやめるよう進言している。」

 「フセイン大統領に、なぜ戦争を続けるのかと詰め寄る様子や、カダフィ大佐に、あなたは本当にテロリストかと問いただす姿は、テレビで放映された。」

 「それらの経験を通じて、私費を投じて紛争国の仲介役を務めるなど、民間外交に尽力するようになる。」

 氏はどこかのテレビ局に勤め、会社の金で世界のVIPと対談しているのでなく、個人の金でそれをしているようです。

 「明治天皇の孫」という肩書は日本だけでなく、世界にも通じるという証明でないかと、そのように理解して本を読みました。

 それはまた私たち庶民が、活字と電波にいかに弱いか、もっと率直に言えば、「活字と電波」にいかに騙されやすいかという証明に繋がります。

 立派な装丁の外観も心を奪いますが、胡散臭いと思いつつ、それでも何分の 1 かを信じたのは、活字の魔力です。人は誰でも幼い頃から、意識せずして活字への信頼があり、頭から疑ってかかることをしません。

 あれだけ岩波書店の反日書を批判していながら、出版社がそんなバカな本を出すはずがないと、それでも出版社への信頼が残っています。文芸社について、ネットでは次のように説明しています。

 「文芸社は、商業出版、流通出版、自費出版を行う日本の出版社」

 つまり文芸社は、著者が自費出版をするのなら、いくらでも協力する会社です。印刷、製本、書店への配送、代金の回収までしてくれるのですから、金に糸目をつけない著者には、都合の良い出版社です。

 中丸氏は知恵のある人物で、愚昧な庶民の弱点を知っています。テレビ局も文芸社と同じで、自費制作と分かっていても、視聴者が喜びそうなテーマなら、飛びつきます。出版社と違うのは、その作品を高く買い取るところでしょう。

 「テレビにも出ているし、ちゃんとした本も出ているから、彼女の言うことに間違いはない。大したものだ。」

 こうして感心するのが、私たち庶民です。これは、マスコミや出版社に対する、国民の盲点を教えてくれる「生きた授業」です。

 手品の種が分かりましたので、書評はここで止めて良いのですが、『闇の世界とユダヤ』と、おどろおどろしい本の名前になっているユダヤについて、もう少し、氏の意見を紹介したいと思います。

 田中秀道氏や馬渕睦夫氏のように、真面目にユダヤ人を語る人がいますので、比較するのにちょうど良い機会かもしれません。

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『闇の世界とユダヤ』 ( 自称明治天皇の孫 )

2020-06-24 18:16:17 | 徒然の記

 中丸薫氏著『闇の世界とユダヤ』( 平成10年刊 (株)文芸社) を読了。

 本の表題の横に、「明治天皇の孫が語る」と書かれていますから、著者は明治天皇の孫なのでしょうか。

 これも、図書館でもらった廃棄図書の一冊ですが、この世にはまだ私の知らない種類の人間が沢山いるのだと、今更ながら感心させられました。

 高校時代に、アグネス・スメドレー氏の『女一人大地をいく』という本を、読んだことがあります。左翼と右翼の違いはありますが、女一人で世界を飛び回る中丸氏の姿には共通する大胆さがありました。

 スメドレー氏の著作に嘘は感じませんでしたが、中丸氏の本には、読み始めから終わりまで胡散臭い雰囲気が漂っていました。

 本来なら、息子たちに伝える気になれない悪書ですが、我那覇さんのブログを書いたばかりなので、比較のつもりで取り上げました。我那覇さんは、依田氏の嘘や捏造に激しく憤慨していましたが、もっと大きな嘘をつく人間がいると、世間の広さを伝えたくなりました。

 著者の経歴、両親の略歴、あるいはこの書を出した出版社のことなど、それだけでも一冊の本になります。依田氏の嘘くらいで自分を見失っていたら、世間は渡れませんよと、我那覇さんに教えたくなります。

 著者の言によりますと、父君は明治天皇の隠し子だという話です。本の最初に、8枚の写真が挿入され、高松宮様と写っている父君の写真が混じっています。

 まず明治天皇のご一家について、ネットの情報を探しました。

 「皇后との間に子女なし。」

 「5人の側室との間に、5男10女の15人をもうける。」

 「うち成人したのは、1男4女の5人。唯一男子で成人したのが、大正天皇。」

 「4人の女子は、それぞれ子女をもうける。」

 明治天皇には、15人のお子様がおられたが、10人が夭折されています。成人した男子はお一人で、のちの大正天皇です。

 側室制度を無くされたのは昭和天皇ですが、それ以前は男系皇統維持のため、誰もがそれを当然としていました。したがってネットの情報でも、側室との間のお子様について何も隠しておりません。

 氏の言う通り父君がお子様なら、よほどの事情がない限りネットの情報に記載されないはずがありません。

 「私は、昭和12年5月23日、北京で生まれた。」

 「思えばそれから45日目の、7月7日の夜、北京からさして遠くない盧溝橋で、日中両軍の衝突事件が起こり、それが以後8年間にわたる、日中戦争の発端となった。」

 「この不幸な、戦争拡大を未然に防ごうと、命がけで奔走した人たちもいる。」

 「それは日本を知り中国を深く理解し、愛していた一部の人たちだ。私の産みの母中島成子も、父である堀川辰吉郎も、その中の主要人物と言っていいだろう。」

 65ページに、氏がこのように書いていますから、堀川辰吉郎氏について、調べてみました。

 「堀川辰吉郎は、明治24年に生まれ、昭和41年75才で没。」

 「彼は、昭和天一坊と呼ばれた詐欺師、大アジア主義者と称する怪シナ浪人」

 「明治天皇の落とし子、井上馨の手で臣籍降下され、頭山満の玄洋社に入れられる、と伝える資料もある一方、」

 「福岡の鉱山王・井上重蒼の妾腹の子として生まれ、学習院に入学したという話もある。」

 氏自身も、著作の中で父君につき同様の話をしていますが、悪評の部分は省略しています。この親にしてこの子ありです。もう少し、ネットの情報を紹介いたします。

 「世界救世教、元最高顧問」「善隣会最高顧問でもあり、出口和仁三郎の黒幕とも呼ばれた。」

 「松本清張の『深層海流』に登場する、M資金をめぐるフィクサー桜尾良明のモデルと目されている。」

 「25才の時満洲に渡り、上海、支那を数年来放浪し、内地へ戻り、活動の弁士等をやっている内に、写真の撮影を覚え、」

 「写真撮影の仕事を通じ、児玉秀雄などの名士たちに取り入り、資産を蓄え、これを資金として詐欺を繰り返した。」

 「西園寺公望の落胤と称し、帝国ホテルに泊まりこみ、豪遊しているところを、警視庁に連行されたとする新聞報道もある。」

 「この報道によると、堀川は、斎藤実首相や古山松吉法相など、名士の名を利用し、内地や朝鮮半島や満州で詐欺を働いていた昭和の天一坊である、という。」

 中丸氏は、裏扉の略歴によりますと、コロンビア大学を卒業した国際政治学者となっています。

 学者の端くれなら、父君に対するこのような情報があることを知らないはずがありません。それなのに、氏はどうして平然としていられるのか。氏のような人物が、どうして堂々と著作を出版できるのか。

 次回は母君の略歴と共にその辺りを、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にご報告いたします。

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公開討論 ( 我那覇真子さん ) - 2

2020-06-21 18:04:09 | 徒然の記

 依田氏について、ネットで調べた事実を転記いたします。

 1. 平成28年 東村高江・暴力事件

   辺野古埋め立て反対派の活動家、男女二人に怪我をさせたとして、依田氏が訴えられた事件。

 2. 令和2年 5月3日 近所に住む70代老人に大怪我をさせたとして、警察に訴えられ、警察が捜査中。

 3. 令和2年 5月5日 我那覇真子さんと公開討論

 4. 令和2年 5月7日 立候補していた沖縄県議選に落選 

 5. 令和2年 5月9日 70代老人傷害容疑で、逮捕

 1. の暴力事件で、依田氏は終始暴力は振るっていないと主張し、相手が怪我をしたのは、揉み合っていた際、偶発的に生じたと抗弁しました。観光に来ていた外国人を車で案内していた時、私的検問をした過激派活動家に車の進路を塞がれ、争った事件です。

 依田氏の主張に同情した我那覇さんが、父隆裕氏や仲間たちと共に、依田氏を全面的に応援しました。県内各地で報告会を開き、不当な活動家たちと警察の無謀を、依田氏に説明させ、資金カンパをし、裁判の傍聴も支援しました。依田氏は、過激派左翼と戦った勇気のある市民として有名になり、多くの県民に支援されました。謙虚な姿勢で、しかし過激派に屈しないと語る氏を、私は当時何本かの動画で見ています。

 それから、今回の公開討論まで、私は彼女たちのことを、何も知らず過ごしてきました。どうしてこのような対立関係になったのか、不思議でなりませんでした。2. 以降の事実は、急遽調べて分かったことですが、いずれも依田氏の不誠実さを示すものです。

 警察が氏を逮捕したのは、県議選の落選が判明した翌々日です。沖縄の警察は、左翼に弱いだけでなく、保守の活動家にも弱腰です。依田氏が当選していると厄介なので、落選を待って逮捕したのかと、私は想像しています。裁判で有名人になったから、政界に出ようとしたのか、最初から政治に野心を持っていたのか。そこは分かりませんが、計算高い人物という印象が、どうしても拭えません。

 氏を不誠実だと考えるのは、警察から捜査を受けている身でありながら、何事もない顔で、我那覇さんと論争する大胆さというか、恥知らずというか、私の理解を超えます。今回の傷害事件でも、やっていないと主張しているようです。前回の傷害事件で、警察の厳しい尋問に対し、やっていないと主張し続けたと言いますから、氏には、その場その場を言い逃れる、天才的能弁がある気がします。

 自分の利益しか考えず、周りの人間を、何とも思わない人間が、時としています。朝日新聞を手玉に取り、一時期有名人となった、吉田清治を思い出します。誠意や良心がなく、自分を守ることと相手を言い負かすことに、生まれつきの才能を持っている人間です。関連する動画を別に6本見た、と言いましたのは、依田氏のことを調べるためでした。

 だから私は、公開討論の動画を見る途中から、依田氏がどのような人間であるのか、知っていました。我那覇さんが、まともに相手をする人間でないことを、分かった上で見ていました。彼女が、依田氏のような悪意の人間と、本気で論争する気になったのが、間違いでした。言葉尻を捉え、奇妙な理屈で押し返されると、彼女の人格は崩れてしまいます。

 懸命に相手の良心に訴えようと、哀願しても、依田氏には通じません。すくんでしまった蛙を、料理する蛇のように、邪悪な喜びを与えるだけです。立会人として司会を務めたのは、チャンネル桜の水島社長でしたが、果たしてこの人が、適任者だったのかも、疑問があります。水島氏は、依田氏の身辺に警察の捜査が及んでいることを、知っていたと聞きます。逮捕されるような犯罪人と、どうして公開討論をさせたのでしょう。

 我那覇さんも依田氏も、「チャンネル桜沖縄」に出演していた仲間です。水島氏と彼らの関係を、上司と部下というのか、社長と契約社員と言うのか知りませんが、私なら公開討論をさせていません。正義一筋で、猪突猛進する彼女と、天才詐欺師のような依田氏が、中身のある議論ができるかどうか、水島氏には分かっていたと思います。

 関連する6本の動画で知ったのですが、水島氏と我那覇さんの間には、引き返せない溝ができていました。水島氏は、我那覇さんを育て、相方の江崎孝氏も重用していたのに、意見の対立から、江崎氏が退職しました。遠慮のない江崎氏が、水島氏のことを批判しますから、コンビだった彼女にも、いい気がしていなかったはずです。

 我那覇さんと、依田氏の意見がこんがらがり、彼女が錯乱状態になっても、何も仲介しませんでした。おそらく彼女は、今回の討論で、依田氏だけでなく、水島氏についても失望しただろうと、そう思います。

 「理想だけ言って、それが世の中で通じますか。」「妥協したり、相手の意見を聞いたり、たまにはそんなこともしたらどうです。」「自分の意見に賛成しなかったら、みんな敵だと、」「それは、狭い考え方です。」「それでは、人がついてきませんよ。」

 依田氏がそれを、我那覇さんにいう資格があると思えませんが、盗人にも三分の理です。私も実は、同じ言葉を彼女に贈りたいと考えていました。自分に厳しい彼女は、他人にも同じ要求をし、それが、周囲の人々を遠ざける結果となっていたのかと、一連の動画で教えられました。

 「山川の 清きに魚も住みかねて

    昔の田沼 今ぞ恋しき」

 江戸の狂歌にありましたように、多少の汚れや矛盾には、目を瞑る寛容さが要ります。正義一筋、真実一辺倒で進み、それ以外を全て敵とするのでは、凡人はついていけません。翻って思えば、私のブログも、彼女に似て、反日・左翼嫌悪一辺倒で、狭い主張の繰り返しでないかと、反省させられます。依田氏に言われたくありませんが、頑なな反日・左翼では、中庸の国民、というより、私の大事な息子たちにも受け入れられないのではないかと、心配になりました。

 私のことは別途、自分で思案することとし、我那覇さんへ送る言葉を優先しようと思います。

 「我那覇さん、今回の辛い経験が、貴方を大きく成長させる糧となることを、祈ります。」「貴方は、離れた場所にいる敵とは、果敢に戦える人ですが、」「身近にいる敵とは、戦えない人でした。」「身近にいる敵と戦えなくては、本物のリーダーになれません。」

 「信じている者に裏切られても、愁傷狼狽してはなりません。」「悪意の敵は、それを喜び、歓声を挙げます。」

 最後に、テドコンさんの言葉を送りましょう。

 「私は、依田さんにも迷惑しています。」「言ってもいないことを、膨らませて話していますから。」「私が我那覇さんに言いたいのは、一言でいいから、」「迷惑をかけて済みませんと、言って欲しかった、」「ということです。」「その一言があれば、私はもう、何も言いません。」

 我那覇さんが苦しい裁判をしていると聞いた人たちが、どうして彼女を支援しないのかと、怒りの電話を沢山してくるのだそうです。

 「それは、私の責任ではありません。」「ブログを見た全国の方が、勝手に解釈して、テドコンさんに電話をしているのですから、」「貴方の方で説明してください。」

 公開討論の中でも、そういう言い方をしていましたが、テドコンさんが言っているのは、このことです。「迷惑をかけてすみません」と、どうして言えないのでしょう。仲間内なら、分かって当然でないかと、もしもそのような考え方をしているのでしたら、改めて欲しいと思います。日本の未来のためと、崇高な目的で戦っているとしても、周囲の仲間への思いやりを忘れてはいけません。

 我那覇さんは、これから先も、沖縄のため、日本のため、大切な人物です。このブログが、彼女の目に触れることはありませんが、同じ時代に生きる国民の一人として、「ねこ庭」の片隅からエールを贈ります。

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公開討論 ( 我那覇真子さん )

2020-06-21 12:10:39 | 徒然の記

 我那覇真子さんと、依田啓治氏の公開討論を、チャンネル桜の動画で見ました。1と2に分かれ、1本が3時間ですから、2本で6時間になります。そのほかに、関連する動画を別に6本見ましたので、土日の二日間を使いました。

 かって、同じ仲間として活動していた二人が、今は憎みあい、論争しているのですから、意外でした。中国資本に侵食されている北海道に劣らず、極左とも言える新聞二紙に支配された沖縄にも、病原菌が巣食っています。沖縄タイムズ、琉球新報を相手に、敢然と闘う我那覇さんを、私はずっと応援してきました。

 過去のブログを探しますと、平成30年の1月以来、2月、4月、7月と四回彼女について述べています。私が彼女をどの様な目で見ていたのか、1月のブログから、その一部を転記いたします。

 「我那覇さんは、沖縄二紙の偏向報道に異議を唱え、」「左翼活動家たちの脅しに屈せず、自ら声を上げた市民の一人でした。」「明るい笑顔が愛らしくさえ見えるのに、ひるまない彼女の勇気に、私は脱帽しています。」
 
 「反日の女性政治家は、誰もが激しく相手を攻撃し、醜い挑発をします。」「けれども我那覇さんは、いつも静かで、話している内容も、難しい理屈ではありません。」
 
 「自分の家族に伝わらないことは、」「どんなにマイクで、大声でしゃべっても、」「他人に伝わりません。」「家族の絆を取り戻してこそ、」「社会が良くなっていきます。」「保守運動は、自分の家族の立て直しからです。」
 
 自分のブログを、息子や孫たちへの贈りものとする気になったのは、彼女の影響かもしれません。同年7月のブログで、私は次の様に述べています。
 
 「平成元年生まれの彼女は、今年満29才です。」「私の息子たちより、ずっと若いのですが、その姿勢には、敬服せずにおれないものがあります。」「何より、私を虜にするのは、彼女のひたむきさと、謙虚さと、朗らかさです。」「分からないことは、分からないと正直に言い、」「知った振りをして、ごまかさない誠実さが、爽やかな沖縄の風のようです。」
 
 ところが、2年ぶりに見た動画の我那覇さんは、別人でした。
 
 「反日の女性政治家は、誰もが激しく相手を攻撃し、醜い挑発をします。」「けれども我那覇さんは、いつも静かで、話している内容も、難しい理屈ではありません。」
 
 今回の彼女は、反日の女性議員と同じ姿で、討論相手の依田氏に拳を上げ、涙を浮かべながら、激しく反論していました。討論では、感情的になった方が負けです。簡単に言いますと、依田氏は、ずっと「役者が上」で、感情の高ぶる彼女を眺めながら、終始冷静でした。
 
 関連する動画を6本見ていますから、私は彼女が怒りに震える理由を、知っています。依田氏は、暴力事件の被告人だった自分の裁判を、我那覇さん一家に支えられ、戦った人物です。我那覇さんと支援者たちが、氏のために資金カンパをしたり、店の売り上げに協力したりしていた、当時の動画を覚えています。
 
 今回、沖縄の放送局を相手に、我那覇さんが裁判で争っている最中に、依田氏は、放送局側を弁護し、彼女への反対意見を自分の動画で発信しています。我那覇さんから見れば、かっての仲間の、というより支援した相手からの、悲しい裏切りだったはずです
 
 けれども、公開討論の場では、感情を抑えられなくなり、取り乱した方が負けです。動画を見る人間は、私のように過去の経緯を知る者ばかりではありません。その場のやりとりを見て、どちらの意見に妥当性があるかと判断します。
 
 「依田さんの言っていることは、嘘です ! 」「どこに証拠がありますか、見せてください。」「そんな事実は、まったくありません ! 」「ありもしない事実を、どうしてそんなに平気な顔で、言えるのですか、嘘つき。」
 
 反論というより、我那覇さんの主張は、単なる絶叫でしかなく、第三者には何も伝わりません。それどころか、冷静さを失った姿に、嫌悪すら感じてしまいました。討論には討論の形があり、いわばそれは劇場での演技にも似ています。見ている第三者に、悪印象を持たれない工夫が要ります。正しいことを話せば必ず通じるという、正義感だけでは、どうにもならない世界です。
 
 「盗人 ( ぬすっと ) にも、三分の理」と、昔の言葉があります。泥棒の屁理屈にも、耳を傾ければ、幾ばくかの道理があるという意味です。依田氏は盗人でありませんから、穏やかに語る話を聞けば、第三者はうなづきます。
 
 「討論に来たのに、証拠を出せとか、出せないなら嘘つきとか、」「そんなことを言われたら、何も話ができなくなりますよ。」「自分に都合の悪い話には耳をかさず、一方的に攻撃するのなら、」「貴方がやっていることも、言論封殺です。」
 
 残念ながら、動画の公開放送で、彼女は依田氏に負けていました。長く運動をしてきた彼女が、こんなに脆く崩れ、自分を失ってしまうとは、信じられませんでした。リーダーとして、強い心を持っていると思っていましたが、どうやらそうではなかったようです。公開討論を言い出したのは、彼女の方だと聞きますが、世間を知らない、子供のような一面があったのかと、辛い発見をいたしました。
 
 息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々に、私の思いがどこまで伝えられるのか、自信はありませんが、大切なことなので続けようと思います。スペースの都合で、ここで一区切りとし、次回は、依田氏に関する、過去の事実の紹介から始めようと思います。
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