ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 16 ( 「50年立党宣言」の意義 )

2024-11-30 20:35:59 | 徒然の記

 昭和62年に中曽根首相が辞任し、その後小泉氏が首相になるまで、中曽根 → 竹下 → 宇野 → 海部 → 宮沢 → 細川 → 羽田 → 村山 → 橋本 → 小渕 → 森と、10人の首相が交代しています。

 この間に自由民主党は3人の他党政治家を首相にして、連立政権を作りました。64日の政権だった羽田首相もいますが、多くは短期政権に終わり、激しく揺れ動く政界は党内外が派閥抗争で明け暮れました。「政界の壊し屋」だった小沢氏が、大活躍した時です。

 その中で小泉氏が大勝して首相の座に就き、5年の長期政権を維持したことについては前述したとおりです。

 氏が30年ぶりに「立党宣言」を見直し、「50年立党宣言」を作ったのは、自由民主党の首相としての覚悟と自信を、内外に公表する判断をしたからだと思います。

 宣言文には敗戦の祖国を再建するという悲壮感が消え、堂々とした文章になっています。

 それでも文言を検討しますと、アメリカの関与の影響が感じられますので、該当部分を抜書きしてみます。

  1.  我々は、先人が明治の改革、戦後の改革に大胆に取り組んできたように、新しい党の理念と綱領に基づき、構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進めていかなければならない。

  2.  我々はわが国の歴史と伝統と文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚につとめ、国際社会の責任ある一員として積極的に活動する国家の実現を国民に約束する。

  1. 項目目の文言は、中曽根内閣以来歴代の首相が、悪名高い「日米要望書」により執拗に求められた「構造改革」と「行政改革」の引継ぎ宣言です。

  2. 項目目の文言は、日の丸を背負った日本の首相として、氏が国民にした約束です。

 言葉通りに「日本の歴史と伝統を尊ぶ」としたら、「女系天皇論」が述べられなくなります。同時にアメリカの政策とぶつかり、「新綱領」の第一項目に「新しい憲法の制定をする」とは書けません。

 小泉首相はこの相容れない約束を「立党宣言」に書き入れ、国内外に公表しています。「ねこ庭」や他の人々から見ると、矛盾した文言に見えるとしても、氏の中では両立しているのだと考えます。

 「ねこ庭」が考えの根拠にしているのは、やはりウイキペディアの解説です。

 ・小泉外交は、出身派閥である清和政策研究会の伝統的な親米路線に則っている。
 
 氏にはアメリカへの「恨みと憎しみ」がなく、重要な同盟国として接しています。ブッシュ・ジュニア大統領と私邸で歓談するほど親しくなり、自分の意思で積極外交をする姿は不変のままです
 
 「右か左か」「保守か反日か」という二元論が氏の頭になく、「良いものは取り入れ、ふさわしくないものは改める」という思考ですから、矛盾なく両立しているのだと思います。
 
 「立党宣言」に続く「新綱領」は下記10項目です。
 
   1.  新しい憲法の制定を        6.  食糧・エネルギーの安定的確保を

    2.  高い志をもった日本人を       7.  知と技で国際競争力の強化を

   3.  小さな政府を           8.  循環型社会の構築を

   4.  持続可能な社会保障制度の確立を  9.  男女がともに支え合う社会を

   5.  世界一、安心・安全な社会を    10.  生きがいとうるおいのある生活を

 「宣言文」と同様に「首相の意思」と「アメリカの影響」で、強いて項目を分けるとしたら次のようになります。

 「首相の意思」

   1.  新しい憲法の制定を

    ・「日本国憲法」に変わる、新しい憲法を作る約束

   2.  高い志をもった日本人を

    ・国の歴史と伝統と文化を尊び、国に誇りを持つ国民を育てる約束

「アメリカの影響」

   3.  小さな政府を

    ・構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進める約束

   9.  男女がともに支え合う社会を
 
    ・読み方によっては、皇室の男女平等論に繋げられる可能性が出てくる
 
 首相はここでも、この相容れない約束を「立党宣言」に書き入れ、国内外に公表しています。矛盾した文言に見えるとしても、氏の中では両立しているという解釈は前回通りです。
 
 「新綱領」に続くのは「新理念」の7項目ですが、同様に相容れない約束が併記されています。「右か左か」「保守か反日か」という二元論が頭になく、「良いものは取り入れ、ふさわしくないものは改める」という思考ですから、項目の文章を「アメリカの関与」と対比する作業を続けても、あまり意味がないと分かりました。
 
 後世の人間が自分に都合の良い極論を導くため、ひねくれた解釈をしなければ、小泉内閣が出した「50年立党宣言」は立派な文書と言えます。氏を「変人」という気持が、なくなりました。
 
 ここまで検討をしますと、学徒の関心は次へ移ります。平成22 ( 2010) 年1月24日に出された、「55年 立党宣言」です。自由民主党が初めて下野した時に出されています。
 
 次回は「55年 立党宣言」の検討作業をしたいと思いますので、辛抱強い方はおつき合いください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 15 ( アメリカの「関与の内容」)

2024-11-30 14:51:13 | 徒然の記

 〈 アメリカの「関与の内容」と小泉内閣の「立党50年宣言」との内容比較 〉

 本日は表題の検討作業を進めますが、重要なのはやはり〈「第二段階」の関与の内容〉です。

 第一段階の関与では、日本の軍の再建を「日本国憲法」で阻止し、皇室解体のための「11宮家の皇籍離脱」を実行していました。
 
 第二段階でアメリカが急いだのは、世界第2位の経済大国となった日本の、強さの原因となる土台を弱体化させる政策の実行でした。
 
     1 .  「皇室解体」を早めること
 
     2 .  勤勉な国民の働き過ぎを止めさせるため、「ゆとり」や「余暇・レジャー」へと思考を変えること
 
     3 .   日中に敵対関係を作り出し、日本の経済成長を止めること
 
 「立党50年宣言」の検討作業に入る前でも、訪問された方々には既に上記3項目について、アメリカの計画が思惑通りに動いているのが見えていたと思います。
 
作業を丁寧に進め、現時点で分かっていることを項目ごとに整理します。
 
 〈 1 .  「皇室解体」を早めること 〉
 
 マッカーサー統治の時から、天皇を一気に無くすことが日本社会の騒乱を招くと分かっていますので、アメリカは長い時間をかけて崩壊させる政策を取っています。
 
 「11宮家の皇籍離脱」がその一つで、万世一系の皇統維持が50年、80年経てば困難になる政策でした。しかし女性宮家や女系天皇が生まれることになれば、万世一系の皇統維持の崩壊が早まります。
 
 小泉首相が、「女系天皇容認論」で「皇位継承・有識者会議」を進めているのは、アメリカの思惑通りだったことになります。悠仁様の誕生で「女系天皇」の話が中断したとしても、一度でも政府が取り上げた実績が残れば、必ずまた話が復活させられます。
 
 首相になった時氏は既に離婚しており、家庭には子供だけがいて、別の女性と交際していました。その女性との間にも子供がいましたから、氏は家庭より政治を優先する首相だったと言えます。
 
 家族の絆や家庭に重きを置かない合理主義者の氏は、「男子がいないのなら、途中で女性の天皇がおられても良いではないか。」と、おそらくその程度の理解だろうと思われます。
 
〈 2 .  勤勉な国民の働き過ぎを止めさせるため、「ゆとり」や「余暇・レジャー」へと思考を変えること 〉
 
 これについては既に昭和62 ( 1987 ) 年6月に中曽根首相が 「総合保養地域振興法(リゾート法)」を制定し、日本人の働き過ぎ改革を始めています。
 
   以来、民間活力の導入によるリゾート産業の振興と余暇活動の促進を、政府と民間とマスコミが一体となり推進しています。眠っていた年金の積立資金を活用し、全国各地に立派な保養所が作られたのは、この時からではなかったでしょうか。
 
 レジャー産業、観光産業がやがて国策となり、「観光立国」が実行に移され、外国人観光客の誘致ブームが現在に繋がっています。
 
〈 3 .   日中に敵対関係を作り出し、日本の経済成長を止めること 〉
 
 きっかけは中曽根総理の靖国参拝を、朝日新聞が大きく報道し、中国政府が記事に反応して激しく批判を始めた事件でした。
 
 確か中曽根氏は参拝を取りやめ、それ以来日本の首相は中国政府に気兼ねして、公式参拝をやめることになったと記憶しています。
 
 日本の首相が、戦没者に哀悼と感謝の念を捧げるのが何が悪いか。中国は余計な干渉をするなと、義侠心に燃える小泉氏が靖国参拝を始め、日中は敵対関係となりました。
 
 国民は当然首相に喝采を送りますが、巨大市場を求める経済界は中国に進出しました。政府のトップ同士の往来が途絶え、「政冷経熱」という言葉が言われるようになったのは、このから頃だったと思います。
 
 結果としてアメリカの政策が半分実現しました。
 
 4、5日前ネットで田母神氏が、小泉氏はアメリカのスパイだったと言っている情報を目にしました。内容を読んでいませんので確かなことは言えませんが、「ねこ庭」はスパイ説を取りません。
 
 田母神氏は、何かの情報源で意見を述べているのでしょうが、義理を重んじる小泉氏が義憤に駆られ押し進めた政策が、偶然アメリカの「日本弱体化計画」に合致したのではないかと、今はそのように考えています。
 
 慎重に検討を進めているため、なかなか予定通りに進めませんが、次回は具体的な内容の比較作業に入ります。
 
  〈 アメリカの「関与の内容」と小泉内閣の「立党50年宣言」との内容比較 〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 14 (「日航機墜落事故」以後の、日米間の出来事 )

2024-11-29 21:20:12 | 徒然の記

 小泉首相の力に満ちた外交が展開されていましたが、日本の置かれた位置を正しく知るには、やはり「戦後日本史の大河」の流れに戻る必要があります。

 いまだに解明されない「日航機123便墜落事故」をきっかけに始まった、アメリカによる関与の「第二段階」の検討が重要になります。つまり、〈 第二段階・プラザ合意による「日本弱体化計画」の実行 〉の検討です

 アメリカが「第二段階」の関与をした理由と、関与の内容については前回確認しましたので、今回は日航機の墜落事故以後、日米間にどのように出来事があったかについての確認作業です。

 すでに説明済みなので、今回は過酷だった出来事だけの再確認です。過去記事を忘れている方には、退屈な内容になります。

 2.  〈「日航機123便墜落事故」以後の、日米間出来事の一覧 〉

 ・昭和60 ( 1985 ) 年 8月12日  日航機123便墜落事故

                               9月22日  「プラザ合意」(  先進5ヶ国蔵相・中央銀行総裁会議  )   
 
 ・昭和61 ( 1986 ) 年  9月 2日 「日米半導体協定」
 
      ・半導体に関する日米貿易摩擦を解決する目的で締結された条約
 
      ・第一次協定 ( 1986年~1991年 )と第二次協定 ( 1991年~1996年 ) 10年間有効
 
        ・協定の締結で日本は、世界の半導体市場の70%のシェアが大幅縮小、国際競争力を失う

  ・昭和62 ( 1987 ) 年  4月1日 中曽根首相国鉄を分割民営化、JR6社発足

                                同年6月      総合保養地域振興法(リゾート法)制定 日本人の働き過ぎ改革
 
                                                (  民間活力の導入によるリゾート産業の振興と余暇活動の促進 )
 
 ・昭和63 ( 1988 ) 年   5月25日 スーパー 301条 ・・竹下内閣
   
      ・アメリカ議会が、日本を一方的に不公正貿易国と認定

 ・昭和64 ( 1989 )年から平成2 ( 199 )年 「日米構造会議」

      ・ 日米間の貿易不均衡の是正を目的とし、計5回開催された2国間協議

               ・「日米構造会議」は「日米半導体協議」と並行して開催

     ・平成5 ( 1993 ) 年  7月「日米包括経済協議」( 「日米構造会議」名称変更 )

     ・ 宮沢首相とクリントン大統領との会談で決定

     ・その時の文書名は、「日米の新たなパートナーシップのための枠組みに関する共同声明」

 ・平成6 ( 1994 ) 年           「日米間の規制緩和に関する対話に基づく双方の要望書」・・細川内閣

 ・平成8 ( 1996 ) 年         11月 「行財政改革」 ・・・橋本内閣

     ・まさにアメリカが求めていた「構造改革」
 
     ・日本の省庁を1府22省庁から1府12省庁に再編し、独立行政法人を設置
 
     ・「聖域」の郵政事業にも手をつけた。 総仕上げは「郵貯改革」を断行した小泉首相

 ・平成13 ( 2001 ) 年         「年次改革要望書」・・森内閣

     ・日米の経済発展のため、改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書

              ・当初は「提案書」であったアメリカからの要望書が、より強い「勧告書」に変更

      ・米国側からの要望が施策として実現した項目

       建築基準法の改正、 法科大学院の設置の実現、 著作権の保護期間の延長、

       著作権の強化、 裁判員制度をはじめとする司法制度改革、

       独占禁止法の強化と運用の厳密化、 労働者派遣法改正(労働者派遣事業の規制緩和)、郵政民営化

     ・米国政府からの要望で実現していない項目は、

       再販制度・特殊指定の廃止、 ホワイトカラー・エクゼンプション、

     ・一方、日本側からアメリカ側への要望の一切は実現されていない。

 以上の出来事を見ますと、敗戦後の日本がGHQに変革を強制された時と同様に、アメリカが日本の政治・経済の仕組みを力づくで変革させた状況が見えてきます。

 つまり、平成13(2001) 年4月に森内閣から引き継いで小泉内閣が設立した時は、過酷なアメリカの要求がほとんど受け入れられた後でした。

 もともと親米派路線の森内閣でしたから、小泉氏は大国アメリカの威光を強く意識せず首相になったのではないかと推察します。推察の根拠にしているのは、前回紹介したウィキペディアの解説文です

 ・小泉外交は、出身派閥である清和政策研究会の伝統的な親米路線に則っている。
 
 氏が首相を引き継ぐ直前の「清和政策研究会」は森派になっていましたから、義理を大切にする小泉氏は「親米路線」も大切に継承したと思われます。
 
 もう一つの推察の裏付けが、橋本内閣での出来事の3行目の説明文です。
 
  ・橋本は「聖域」の郵政事業にも手をつけた。 総仕上げは「郵貯改革」を断行した小泉首相
 
 小泉首相は強く自覚しないまま、「郵貯改革」の総仕上げをしたことになるのではないでしょうか。次回はメインテーマである、アメリカの「関与の内容」と小泉内閣が出した「立党50年宣言」の内容比較をします。
 
 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々の疑問が、おそらく消えるのではないかと考えています。次回のお越しを、お待ちしています。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 13 ( 積極的な小泉外交 )

2024-11-29 18:06:20 | 徒然の記

  本日は、「新しい発見」でなく「いつもの発見」についての説明と、検討作業をします。

 小泉首相だけに注目して検討する限り、小泉政権の位置づけは掴めません。「戦後日本史の大河」の流れを凝視すると、別の姿が見えてきます。

 GHQの統治以来徹底的に日本は作り替えられ、アメリカの属国になり、現在も属国状態が続いているというのが、「ねこ庭」の変わらない認識です。「ねこ庭」の過去記事で、アメリカが日本を属国にするために関与した流れを下記の三段階で検討してきました。

    ・第一段階・・GHQ統治による「日本弱体化政策」の実行
 
    ・第二段階・・プラザ合意による「日本弱体化計画」の実行

    ・第三段階・・安倍内閣への危機感による「日本弱体化計画」の実行

 現在の石破内閣は、アメリカの関与の「第三段階」で作られた政権ですが、小泉内閣は「第二段階」の関与で生まれた内閣です。

 アメリカの副大統領を正論で黙らせたり、海千山千の北朝鮮に拉致への関与を認めさせたり、中国の威嚇を無視して靖国に参拝したり、我が道をいく小泉首相なのでアメリカの関与を何も受けていないと、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々は思うのかもしれません。

 しかし上記「三段階」の「戦後日本史の大河」の流れを仔細に検討しますと、小泉内閣の別の姿が見えてきます。それを「いつもの発見」という言葉で表現しました。

 「いつもの発見」を確認するには、面倒でも過去記事で検討した下記二項目を思い出す必要があります。

  1.  〈「第二段階」の関与の理由と、関与の内容 〉

  2.  〈「日航機123便墜落事故」以後の、日米間出来事の一覧 〉

 1. 2. の検討内容を、過去記事から転記しますのでもう一度一緒に読んで頂きたいと思います。

  1.  〈「第二段階」の関与の理由と、関与の内容 〉

   「関与の理由」
 
    ・敗戦後の日本経済の回復は、世界が驚嘆する速さだった。
 
    ・昭和天皇と国民が一体となり、寝食を忘れて国の再建に尽くした成果だった。
 
    ・隣国の大国・中国と良好な関係を作り、広大な市場を得て、日本の経済発展はやがてアメリカを凌駕する気配が見えた。
 
   「関与の内容」・・軍の再建を「日本国憲法」で阻止したアメリカが、やるべき目標は次の3つだった。
 
     1 .  「皇室解体」を早めること
 
     2 .   勤勉な国民の働き過ぎを止めさせるため、「ゆとり」や「余暇・レジャー」へと思考を変えること
 
     3 .    日中に敵対関係を作り出し、日本の経済成長を止めること
 
 「ねこ庭」がこれから試みようとしている検討は、アメリカの「関与の内容」と小泉内閣が出した「立党50年宣言」の内容比較です。
 
 氏は日本の首相として国益を第一に考え、中国、北朝鮮、アメリカと対等に向き合っていました。氏の外交に関して「ねこ庭」は、「中国」と「北朝鮮」しか記憶していませんでしたが、「日本の顔」として世界中を駆け回っていたことを今回の検討で知りました。
 
 話が脇道へ逸れますが、氏の評価が公平にされるためにも紹介しておきたいウイキペディアの解説です。
 
 ・小泉外交は、出身派閥である清和政策研究会の伝統的な親米路線に則っている。
 
 ・小泉は、従来の事務協議の積み重ねの延長である外交から、首相が自らの意見を積極的に主張し、首脳間の信頼関係の下で国家間の合意を取り付ける、首脳外交に転換した
 
 ・訪問先の決定も外務省を始め、関係省庁が作ったシナリオに従うのではなく、官邸が積極的に関与した。
 
 ・さらに多数の電話での首脳会談も行い積極的な官邸外交、首脳外交を展開した。
 
 ・首相自身が、アジアやアフリカなどの国々にも積極的に訪問し、サミットをはじめ、ASEAN、APEC、ASEM、日・EU定期協議、アジア・アフリカ首脳会議などの多国間協議へも25回参加した。
 
 ・在任中合計51回、実数では49ヶ国延べ数81ヶ国を訪問した。

 ・また、多くの国を訪問し多くの国際会議の常連メンバーであったため、当時のアジア各国首脳、フィリピンのアロヨ大統領や、マレーシアのマハティール首相、シンガポールのゴー・チョク・トン首相などとも非常に親しかった。

 ・サミットにも6回出席の常連メンバーであり、そのつど各国首脳と多国間・二国間の会談を重ねている。

 ・そのため、アメリカのブッシュ大統領だけではなく、フランスのシラク大統領、ドイツのシュレーダー首相、ロシアのプーチン大統領、イギリスのブレア首相とも「率直に話のできる顔見知りの仲」だった。

 ・重要な案件でも、首脳同士が直接電話で話をして決めることもあった

 世界中を飛び回ったのは、「地球儀を俯瞰する外交」と言った安倍首相だけかと思っていましたが、その先輩は小泉首相でした。

 首脳会議に出席しても、スマートフォンを見ている孤独な石破首相と違い、小泉氏は積極的に動いていました。忙しいからとトランプ大統領に会談を断られる首相とは、やはり違いがあります。

 このような小泉首相が、どうしてアメリカの関与を受けているのかと、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々は疑問が消えないと思います。たとえウイキペディアが氏を評価する解説を書いていても、それでも「アメリカの関与の事実」はあるのです。

 疑問を解く鍵は、過去記事の二項目目にあります。

  2.  〈「日航機123便墜落事故」以後の、日米間出来事の一覧 〉

 首相の外交の紹介にスペースを使いましたので、申し訳ありませんが、二項目目の検討作業は次回となります。ご容赦ください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 12 ( 小泉首相の再評価 ? )

2024-11-28 18:59:47 | 徒然の記

 小泉首相が残した誰にも真似のできなかった功績として、「ねこ庭」が記憶しているのは、次の三つです。

  「郵貯改革」の断行    「拉致被害者」の奪還    「靖国参拝」を首相としての実行

 〈「郵貯改革」断行の理由 〉

  ・300兆円を超える郵貯・簡保の資金の 流れを「官」から「民」へと移行させることにより、経済の活性化に利用する。

  ・ 現業の常勤職員(約26万人)を非公務員化するとともに、従来免除されていた法人税 等の納税等により、財政再建や「小さな政府」の実現に寄与する。

 〈「「拉致被害者」の奪還 〉

  ・拉致の事実を認めなかった金正日に、北朝鮮政府の関与を認めさせた。

  ・平成14年10月拉致被害者5名を奪還した。(地村保志さん・富貴惠さん、蓮池薫さん・祐木子さん、曽我ひとみさん)

  ・その後曽我ひとみさんの夫ジェンキンス氏と二人の子供も、連れ戻した。

 〈「靖国参拝」を首相として実行 〉

  ・中国政府が反対しても、在任中の参拝を欠かさなかった

 テレビも新聞も「ポピュリズム政治」「劇場型政治」と批判していましたが、その割に寛大であったという気がしています。連日トップニュースで扱っていましたけれど、いつもの反自民、反政府、反小泉の厳しい批判攻撃が少なかった記憶があります。

 小泉政権の支持率は87.1%の高さで推移し、田中真紀子外相を更迭した時大幅ダウンと騒がれましたが、それでも48.9%でした。

 現在の石破政権がやっと48%台の支持率で推移しているのと比べますと、小泉氏の人気の高さが分かります。

 保守か左翼か、右か左か、白か黒かと、「ねこ庭」も世間も政治家を批評する時、「二元論」で判断してきました。しかし小泉首相が在任5年間で実行した政策を検討しますと、残した数々の施策は「右であり左であり」「保守でもあり左翼でもあり」と、二元論では片付けられないものが多くなっています。

 氏の政策が常識に反するのなら大ブーイングとなり、マスコミが輪をかけて騒いだはずですが、氏はむしろ国民の支持を得ていました。

 「新しい発見」と言ったのは、小泉氏のような政治家が首相になったという事実と、国民が支持していたという不思議な事実です。

 「皇位継承問題有識者会議」で女性宮家と女系天皇を認める寸前まで進めながら、悠仁様が誕生された途端、議論を封印してしまう変わり身の早さはこれまでの首相になかったものでした。

 「拉致被害者」の奪還も「靖国参拝」の強行も、小泉首相以外ではできなかったことです。だから氏は愛国保守の政治家かと考えますと、国民の悲願である「憲法改正」を進めなかったところに疑問が残ります。

 党内の激しい抵抗に目もくれず、「郵政民営化」と「靖国参拝」を強行したのであれば、その強権で「憲法改正」へ何故歩を進めなかったのかという疑問が出ます。それはそのまま岸田首相が「憲法改正」を最優先課題と言いながら、優先順位の低い「LGBT法」を強引に成立させた動きと似ています。

 もしかすると自由民主党が保守政党の看板を、「右でもなく左でもない」曖昧なものにした起点は、小泉氏だったのかもしれないと思えてきました。

 ブログのタイトルの「小泉首相の再評価 」に、? マークをつけた理由がここにあります。

 例えば次の説明は、ウィキペディアが提供している氏の逸話です。

  ・1991 ( 平成3 ) 年、当時のアメリカ副大統領であったダン・クエールと談笑した際、クエールに在日米軍の駐留費を引き上げないと撤退させるぞと脅された時、

  ・その場に居合わせた小泉のみが明確にノーと発言した上で、「撤退するなら日本には真の独立心が芽生えるだろう。」と言い残してクエールを黙らせている。

 勇気と信念がなければ言えない言葉です。こんな逸話を知ると、氏を立派な愛国の政治家と思います。中国政府にあからさまな嫌がらせと批判を受けながら、靖国参拝を続けた氏につていも、私たちはそう考えます。

 然し氏は退任する時、周囲が大反対する中で後継首相に福田康夫氏を指名しました。理由は、「私が首相になる時、協力してくれた人だ。」というものでした。

 その福田氏は父の赳夫氏と同じく親中派の議員でしたから、「南京虐殺記念館」を首相として訪問し、「多くの日本人がここを訪れ、戦前の行為を反省すべきだ。」と談話を発表して中国政府を喜ばせています。

 ウィキペディアの解説だけでなく、当時の新聞記事等を併せて検討した結果、小泉氏をどのように判断すれば良いのかに迷いました。

 ブログのタイトルの「小泉首相の再評価 」につけた ? マークが、ここでも生きてきます。

 氏が出した「立党50年宣言」を検討した結果として、このような新しい発見をしましたが、学徒の喜びはありません。迷いつつ、ためらいながらの、いつもの「ねこ庭」のブログです。

 昔ならここで失望し、元気をなくしますが、賀屋興宣氏を知って以来、「戦後日本史の大河」を眺めることを教えてもらいました。大河の流れをじっと眺めていますと、「新しい発見」でなく「いつもの発見」をしました。

 次回は「いつもの発見」について、紹介と検討作業をいたします。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 11 ( 「新綱領」「新理念」)

2024-11-27 12:29:13 | 徒然の記

  昭和30年11月に鳩山一郎首相が出した「立党宣言と」、50年後の平成17年11月小泉首相が出した「立党50年宣言」の項目を比較すると下記のようになります。

 1.  「 立党宣言 」  「 綱領 」「 党の性格 」「 党の使命 」「 党の政綱 」  

    2.     「立党50年宣言」「新綱領」「新理念」

 昭和30年当時は保守合同をしたばかりなので、「党の性格」や「党の使命」を国民に説明することが不可欠でしたが、平成17年はその必要がありません。小泉氏は「 党の性格 」「 党の使命 」「 党の政綱 」の3つをひとまとめにして、「新理念」に集約しています。

 保守合同当時の状況を、ウィキペディアが下記のように説明していたのを考えるとと、感無量の思いがします。
 
 ・結党当初の自民党は吉田派・反吉田派、党人派・官僚派、戦前派・戦後派など複雑な人間関係、思想対立の要素が絡んでおり、決して磐石であるとはいえなかった。

 ・保守合同した当時、三木武吉は自民党について「10年持てば」と言い、松村謙三は「30年後には崩壊する」と予想した。

 激しい党内抗争を続けながらも自由民主党は存続し、「立党50年宣言」を出しています。「戦後日本史の大河」として眺めれば、党内構想の激しさも一つの風景なのかもしれません。

 岸田、菅、麻生の3長老と石破首相の対立を、日本の危機の真っ只中と思い詰めず、「戦後日本史の大河」の流れとして見る冷静さがいるのかもしれません。

 「立党50年宣言」の「新理念」は、ワンフレーズの小泉首相らしく、コンパクトになってますから先に紹介します。

〈 新理念 〉

  • わが党は、すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である。
  • わが党は、自国の安全はみずからが守るという、気概と使命感をもち、正義と秩序を基に世界平和を希求し、その実現に貢献する政党である。
  • わが党は、貧困・疾病・環境など人類が直面する課題の改善に貢献し、地球規模の共生をめざす政党である。
  • わが党は、常に長期的・国際的視点に立ち、日本の方向を定め、改革を断行し、また、直面する課題に対しても安易な迎合に堕することなく、強い責任感と実行力をもって対処する責任政党である。
  • わが党は、先人達が築き上げてきた日本の伝統と文化を尊び、これらを大切にし、その発展をめざす政党である。
  • わが党は、政治は国民のものとの信念のもとに、都市・地方の幅広い支持のうえに立つ国民政党である。

 「新理念」も知恵を絞って考えたのだと思いますが、ここでは「憲法改正」が、「自国の安全はみずからが守るという、気概と使命感をもち、」という表現に変わっています。

 そして次の二つの文章は、「日本国憲法」の思想を引き継いでいます。

 「すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である。」

 「正義と秩序を基に世界平和を希求し、その実現に貢献する政党である。」

 もし「皇室護持」の思想の気配があるとしたら、次の文章でしょうか。

 「わが党は、先人達が築き上げてきた日本の伝統と文化を尊び、これらを大切にし、その発展をめざす政党である。」

 以上で、変人と言われる小泉首相が先導して作った「立党50年宣言」の全文を紹介しました。現在の自由民主党がこの宣言に基づいて動いている訳ですから、検討作業は欠かせません。

 予定が伸び申し訳ありませんが、新しい発見を求める検討作業は次回からとなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 10 ( 小泉氏と石破氏の違い )

2024-11-27 08:59:56 | 徒然の記

   〈 平成13年 4月、小泉内閣設立の経緯 〉の続きです。ウィキペディアの説明を中心とした検討作業です。

 「加藤の乱」は何とか収まりましたが、マスコミの激しい批判報道と野党の攻撃は日を増すごとに高まりました。平成13年4月18日に退陣を決意した森首相が、記者会見をしました。

 「政治不信を招き、国民に要らないと言われたのですから、この際辞任を決意しました。」

 どんな理由で政治不信を招いたのかと、記者の意地悪な質問をはぐらかしながら、氏は落ち着いた様子でした。石破首相と違うところは、国民から突きつけられたNOに対し、正面から応えたところでしょうか。

 ウィキペディアが、小泉氏の動きを伝えています。

  ・森の退陣を受けた平成13年4月の自由民主党「総裁選」に、小泉は橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香と共に出馬。

  ・敗れれば政治生命に関わるとも言われたが、清新なイメージで人気があった小泉への待望論もあった。

  ・今回は森派・加藤派・山崎派の支持を固めて出馬した。

 森派は分かりますが、加藤、山崎両派の支持は不思議な気がします。「政界の一寸先は闇」と言いますが、逆の現象もあるようです。

  ・小泉は主婦層を中心に大衆に人気のあった田中真紀子( 田中角栄の長女)の協力を受けた。

  ・最大派閥の橋本の勝利が有力視されたが、小泉が一般の党員・党友組織等を対象とした予備選で、眞紀子とともに派手な選挙戦を展開した。

  ・小泉は「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と熱弁を振るい、街頭演説では数万の観衆が押し寄せた。

  ・閉塞した状況に変化を渇望していた大衆の圧倒的な支持を得て、「小泉旋風」と呼ばれる現象を引き起こす。

  ・こうした中で、次第に平成13年7月のに参院選の「選挙の顔」としての期待が高まる。

 総裁選挙の後に来る参議院選挙で、「選挙の顔」なれるかどうかが、総裁候補者の必須条件になるのは、昔も今も同じようです。違うのは、「選挙の顔」にならないと多数の議員に言われても、石破氏が居座っているところでしょうか。

 劇場型の政治家を強調したいのか、ウィキペディアの説明は集まった人々を「聴衆」と言わず、「観衆」と書いています。次の行で国民を「大衆」と書いているのは、頂けない言葉づかいです。

  ・小泉は予備選で地滑り的大勝をし、立候補していた亀井静香と途中で政策協定を結んだ。

  ・亀井が本選を辞退、小泉の支援に回り、中曽根康弘元首相からも支援を得た。

  ・結果として、4月24日の議員による本選挙でも圧勝して、森喜朗の後任として自由民主党総裁に選出された。

  ・平成13年4月に内閣総理大臣に就任した。

 説明を読みますと、どこまでも自分の意思を通し、率先して総裁選挙を戦った小泉氏の姿が浮かびます。高市氏に予備選挙で敗れながら、高市潰しを狙う岸田・菅両氏に担がれ、言われるまま総裁選挙で勝たせてもらった石破氏は、この点でも違っています。

 石破氏が総裁選で約束したことは、首相になった途端、岸田・菅両長老と森幹事長に封印され、どれも実行できませんでした。自分の力で総裁選挙を勝ち抜いた小泉氏は、自分の意思で「新綱領」を作りましたが、石破氏にそのような力はありませんでした。

 何と小泉氏は10項目ある「新綱領」の第一番目で、「新憲法の制定」を謳っています。「憲法改正」という言葉を使っていませんが、同じ意味です。

 「ねこ庭」で編集せず、以下「新綱領」をそのまま紹介します。

 1.  新しい憲法の制定を

 私たちは近い将来、自立した国民意識のもとで新しい憲法が制定されるよう、国民合意の形成に努めます。そのため、党内外の実質的論議が進展するよう努めます。

    2.  高い志をもった日本人を

 私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。
 
 そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします。

 3.  小さな政府を

 私たちは、国、地方を通じて行財政改革を政治の責任で徹底的に進め、簡省を旨とし、行政の肥大化を防ぎ、効率的な、透明性の高い、信頼される行政をめざします。また、国、地方の適切な責任分担のもとで、地方の特色を活かす地方分権を推進します。

 4.  持続可能な社会保障制度の確立を

 私たちは、思い切った少子化対策を進め、出生率の向上を図り、国民が安心できる、持続可能な社会保障制度を確立します。

 5.  世界一、安心・安全な社会を

 私たちは、近年の犯罪の急増やテロの危険性の高まりに対し、断固たる決意をもって闘うとともに、災害に強い国づくりを進めることにより、日本を世界一、安心・安全な社会にします。

 6.  食糧・エネルギーの安定的確保を

 私たちは、世界の急速な変化に対応するため、食糧とエネルギー資源を確保し、経済や国民生活の安定に努めます。特に、食糧の自給率の向上に努めるとともに、食の安全を確保します。

 7.  知と技で国際競争力の強化を

 私たちは、わが国の質の高い人的資源と技術力を基礎に、新しい産業の育成にも力を注ぎ、国際競争を勝ち抜くことのできる、活力と創造力あふれる経済の建設をめざします。
 
 特に、日本の中小企業の活力を重視し、また、最先端技術の基礎的、独創的な研究開発を推進し、知と技によって支えられる科学技術立国をめざします。

 8.  循環型社会の構築を

 私たちは、自然も人も一体という思いから、地球規模の自然環境を大切にし、世界の中で最も進んだ持続可能な循環型社会の構築をめざします。

 9.  男女がともに支え合う社会を

 私たちは、女性があらゆる分野に積極的に参画し、男女がお互いの特性を認めつつ、責任を共有する「男女がともに支え合う社会」をめざします。

  10.  生きがいとうるおいのある生活を

 私たちは、ボランティア活動や身近なスポーツ・芸術の振興、高齢者や障害者の社会参加を促進し、生きがいとうるおいのある生活をめざします。
 
 そのため、NGO・NPO諸団体をはじめ、あらゆる団体との交流を深め、また、まじめに働く人たちの声を大切にします。
 
 スペースの都合で「新綱領」の紹介にとどめ、内容の検討は次回といたします。新しい発見もありますので、ぜひ次回もご訪問ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 9 ( 「立党50年宣言」 )

2024-11-26 20:55:23 | 徒然の記
    1.   昭和30 ( 1955 )年11月15日・・・結党時作成 ( 鳩山内閣  )

    2.  平成17 ( 2005 ) 年11月22日・・・結党50年時改訂 ( 小泉内閣  )

    3.  平成22 ( 2010 ) 年  1月24日・・・結党55年時改訂 ( 谷垣総裁・民主党鳩山内閣  )

 今回から、上記 2. と 3. を順番に検討します。小泉内閣が出した「立党宣言・綱領」の中身は、「立党50年宣言」「新綱領」「新理念」の3項目です。

 先ず。「立党50年宣言」の紹介と検討をします。

 〈 「立党50年宣言」 〉

  ・わが党は民主主義のもとに、平和と自由を愛する国民政党として立党以来、ここに50年の歳月を刻んだ。

  ・この50年間、我々は国民の負託に応え、情理を尽くして幾多の問題を克服し、国家の安全と経済的豊かさを実現すべく、つねに主導的役割を果たしてきた。

  ・この半世紀は、わが国が国際化の道を歩んできた時代でもある。また、冷戦が終焉し、世界が大きく変動した時代でもある。

  ・わが国は、いまや少子高齢化、国際テロリズムの激化への対応など多くの課題をかかえている。

 自社さ連立政権だった村山内閣が退陣し、橋本、小渕、森内閣と続いた後、世間を驚かせた小泉内閣の成立でした。先の内閣は 1、2 年の短期政権でしたが、小泉内閣は5年の長期政権でした。

 ウイキペディアが小泉内閣の5年間を詳細に整理していますが、最初と最後の行だけを紹介します。

    ・第一次小泉内閣: 2001年(平成13年)4月26日 - 2002年(平成14年)9月30日

  ・第三次小泉内閣: ( 改造 ) : 2005年(平成17年)10月31日 - 2006年(平成18年)9月26日

 「立党50年宣言」は、小泉政権の最後の5年目に出されています。長期政権から来る自信なのでしょうか、敗戦の痛手を克服し祖国を再建するという悲壮感がなくなり、続く「宣言文」も堂々としています。

  ・我々は、先人が明治の改革、戦後の改革に大胆に取り組んできたように、新しい党の理念と綱領に基づき、構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進めていかなければならない。

  ・我々はわが国の歴史と伝統と文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚につとめ、国際社会の責任ある一員として積極的に活動する国家の実現を国民に約束する。

 右、宣言する。

 「結党50年時改訂」を実行した小泉氏が、どのような人物なのかウィキぺディアが率直な解説をしています。
 
  ・昭和54年、大平内閣で大蔵政務次官に就任した頃の小泉氏は、

  ・ポストに執着せず、もっぱら政策の習熟に徹していたが、子分を作らない一匹狼的な行動をとり言いたいことを直言していた。

  ・与野党政治家の既得権益を害する郵政民営化論を主張することもあって、永田町では「変人」と評されるようになる。

  ・自由民主党では清和会(福田派 → 安倍派 → 三塚派 → 森派)に所属していた。( 「ねこ庭」注 : 安部派は、安倍晋太郎派  )

  ・山崎拓や加藤紘一氏と「YKK」を結成し、経世会支配からの脱却や党の世代交代を訴え、「グループ・新世紀」を旗揚げした。

 
 〈 平成13年4月、小泉内閣設立の経緯 〉
 
 22年後の氏は、「ポストに執着しない政治家」でなく、総理・総裁の座を目指す議員になっています。所属する清和会は三塚派から森派へ変わり、森氏に重用された氏が派閥の仕事を任されるまでになりました。
 
 平成12年に発足した森内閣は、当初から「5人組による密室人事」が党内外で批判され、政治不信を招いていました。KSD事件の発生や首相自身の「神の国」発言などが重なり、マスコミが大きく報道し国民の怒りを煽りました。
 
 小渕総理の後継者と目されていた加藤紘一氏は、「5人組による密室人事」のため首相の座を外され、森氏打倒の急先鋒となり山崎氏も同調しました。これがいわゆる「加藤の乱」となります。
 
 しかし「YKK」の同志であった小泉氏は森氏側につき、加藤、山崎氏の動きを封じる行動に出て、「加藤の乱」を不発に終わらせました。
 
 忘れていた記憶が蘇りますと、当時の激しい政争は、今回石破内閣を成立させた党内対立を超えるものがあった気がします。こうして過去を検討しますと、昔も今も変わらない自由民主党の党内派閥対立を知ります。
 
 マスコミの過熱した報道と便乗して騒ぐ与野党の政治家の姿も、「100年一日が如し」です。石破内閣にだけぶつけていた怒りを、冷静に見る余裕が出てきました。
 
 次回もウィキペディアの説明を元に、〈平成13年4月、小泉内閣設立の経緯〉の検討を続け、新しい発見をしたいと考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 8 ( 「平成の改訂」への期待 )

2024-11-25 08:30:57 | 徒然の記

 今回は最後の項目、〈 党の政綱 〉になります。

 〈 党の政綱 〉

 この項目はシリーズの3回目で述べましたように、 党の公約をさらに具体化したものです。ここでは6項目の政綱が述べられていて、最後の6項目に婉曲ではありますが、軍の再建と米軍基地撤退への言及があります。

 「腐っても鯛」という表現が適切なのか議論があると思いますが、GHQ統治下の公職追放と追放解除、あるいはその後の保守政党間のせめぎ合いなど、激しい混乱の中でよく書き上げられたと驚かされます。

 同じ激しい政争をしていても、反日政権を成立させた現在の自民党幹部の不甲斐なさが、やはり目立ちます。議員諸氏は、本当に「立党宣言・綱領」を読んでいるのだろうかと、疑問が生じます。

 抑えても出てくる怒りをなだめつつ、転記作業に入ります。

 一、 国民道義の確立と教育の改革

 正しい民主主義と祖国愛を高揚する国民道義を確立するため、現行教育制度を改革するとともに教育の政治的中立を徹底し、また育英制度を拡充し、青年教育を強化する。
 
 体育を奨励し、芸術を育成し、娯楽の健全化をはかって、国民情操の純化向上につとめる。

 ニ、 政官界の刷新

 国会及び政党の運営を刷新し、選挙制度、公務員制度の改正を断行して、官紀綱紀の粛正をはかり、政官界の積弊を一掃する。
 
 中央、地方を通じ、責任行政体制を確立して過度の責任分散の弊を改めるとともに、行財政の簡素能率化をはかり、地方自治制度の改革を行う。

 三、 経済自立の達成

 通貨価値の安定と国際収支の均衡の上に立つ経済の自立繁栄と完全雇用の達成をはかる。
 
 これがため、年次計画による経済自立総合政策を樹立し、資金の調整、生産の合理化、貿易の増進、失業対策、労働生産性の向上等に亘り必要な措置を講じ、また資本の蓄積を画期的に増強するとともに、これら施策の実行につき、特に国民の理解と協力を求める。
 
 農林漁業の経営安定、中小企業の振興を強力に推進し、北海道その他未開発地域の開発に積極的な対策を講じる。
 
 国際労働憲章、国際労働規約の原則に従い健全な労働組合運動を育成強化して労使協力体制を確立するとともに、一部労働運動の破壊的政治偏向はこれを是正する。
 
 原子力の平和利用を中軸とする産業構造の変革に備え、科学技術の振興に特段の措置を講じる。

 四、 福祉社会の建設

 医療制度、年金制度、救貧制度、母子福祉制度を刷新して社会保障施策を総合整備するとともに、家族計画の助長、家庭生活の近代化、住宅問題の解決等生活環境を改善向上し、もって社会正義に立脚した福祉社会を建設する。

 五、 平和外交の積極的展開

 外交の基調を自由民主主義諸国との協力提携に置いて、国際連合への加入を促進するとともに、未締約国との国交回復、特にアジア諸国との善隣友好と賠償問題の早期解決をはかる。
 
 固有領土の返還及び抑留者の釈放を要求し、また海外移住の自由、公海漁業の自由、原水爆の禁止を世界に訴える。

 六、 独立体制の整備

 平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
 
 世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。
 
 「現行憲法の自主的改正をはかり、」・・・これが世に言われている、「自主憲法制定」の党是なのでしょうか。婉曲な表現ですが、軍備が整えば米軍の撤退だと、ここは具体的に踏み込んでいます。
 
 昭和30年の「立党宣言・綱領」はここまでの表現しかできなかったのかもしれませんが、平成時代になってから2回改定されています。もしかすると、この中に「憲法改正」と「皇室護持」の文字が書かれているのかもしれません。
 
    1.   昭和30 ( 1955 )年11月15日・・・結党時作成 ( 鳩山内閣  )

    2.  平成17 ( 2005 ) 年11月22日・・・結党50年時改訂 ( 小泉内閣  )

    3.  平成22 ( 2010 ) 年  1月24日・・・結党55年時改訂 (  谷垣総裁・民主党鳩山内閣  )

 次回からの検討作業は、上記 2. と 3. を順番に取り上げることになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由民主党の「立党宣言・綱領」- 7 ( かすかに顔を出した保守の本音 )

2024-11-24 14:27:40 | 徒然の記

  〈 立党宣言 〉〈 綱領 〉〈 党の性格 〉〈 党の使命 〉〈 党の政綱 〉  

 今回からは、青色表示の項目について検討作業に入ります。

 〈 党の性格 〉

 この項目はシリーズの3回目で述べましたように、保守合同して出来立ての党なので「党のPR」です。おおきな活字で強調していますが、そのまま紹介します。

 広いスペースを使っていますけれど、「憲法改正」と「皇室護持」を暗示する言葉はありません。共産主義政党に対する拒絶の意思が、強く主張されているだけです。

 一、 わが党は、国民政党である

 わが党は、特定の階級、階層のみの利益を代表し、国内分裂を招く階級政党ではなく、信義と同胞愛に立って、国民全般の利益と幸福のために奉仕し、国民大衆とともに民族の繁栄をもたらそうとする政党である。

 ニ、 わが党は、平和主義政党である

 わが党は、国際連合憲章の精神に則り、国民の熱願である世界の平和と正義の確保及び人類の進歩発展に最善の努力を傾けようとする政党である。

 三、 わが党は、真の民主主義政党である

 わが党は、個人の自由、人格の尊厳及び基本的人権の確保が人類進歩の原動力たることを確信して、これをあくまでも尊重擁護し、階級独裁により国民の自由を奪い、人権を抑圧する共産主義、階級社会主義勢力を排撃する。

 四、 わが党は、議会主義政党である

 わが党は、主権者たる国民の自由な意思の表明による議会政治を身をもって堅持し発展せしめ、反対党の存在を否定して一国一党の永久政治体制を目ざす極左、極右の全体主義と対決する。

 五、 わが党は、進歩的政党である

 わが党は、闘争や破壊を事とする政治理念を排し、協同と建設の精神に基づき、正しい伝統と秩序はこれを保持しつつ常に時代の要求に即応して前進し、現状を改革して悪を除去するに積極的な進歩的政党である。

 六、 わが党は、福祉国家の実現をはかる政党である

 わが党は、土地及び生産手段の国有国営と官僚統制を主体とする社会主義経済を否定するとともに、独占資本主義をも排し、自由企業の基本として、個人の創意と責任を重んじ、これに総合計画性を付与して生産を増強するとともに、社会保障政策を強力に実施し、完全雇用と福祉国家の実現をはかる。
 
 敗戦後の「日本史の大河」の流れの中で、ご先祖が何を語ろうとしていたのか、考えなくても読めば分かります。ここに書かれているのは、「東京裁判史観」を下敷きにし本音を傍に置いた民主主義国家宣言です。
 
 〈 党の使命 〉
 
 この項目についてはシリーズの3回目に、「敗戦の初期の占領政策の過誤と、社会主義勢力台頭の危機感への言及」であると説明しました。
 
 息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、項目の最後に書かれている2行に注目されることをお勧めします。ご先祖が心血を注がれた一文であると理解しました。
 
 ・世界の情勢を考え、国民の現状を省み、静かに祖国の前途を思うに、まことに憂慮にたえぬものがあり、今こそ、強力な政治による国政一新の急務を痛感する。
 
 ・原子科学の急速な進歩は、一面において戦争回避の努力に拍車を加え、この大勢は、国際共産勢力の戦術転換を余儀なくさせたが、その終局の目標たる世界制圧政策には毫も後退なく、特にわが国に対する浸透工作は、社会主義勢力をも含めた広範な反米統一戦線の結成を目ざし、いよいよ巧妙となりつつある。
 
 ・国内の現状を見るに、祖国愛と自主独立の精神は失われ、政治は昏迷を続け、経済は自立になお遠く、民生は不安の域を脱せず、独立体制は未だ十分整わず、加えて独裁を目ざす階級闘争は益々熾烈となりつつある。
 
 ・思うに、ここに至った一半の原因は、敗戦の初期の占領政策の過誤にある。
 
 ・占領下強調された民主主義、自由主義は新しい日本の指導理念として尊重し擁護すべきであるが、初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない。
 
 ・この間隙が新たなる国際情勢の変化と相まち、共産主義及び階級社会主義勢力の乗ずるところとなり、その急激な台頭を許すに至ったのである。
 
 ・他面、政党及び政治家の感情的対立抗争、党略と迎合と集団圧力による政治、綱紀紊乱等の諸弊が国家の大計遂行を困難ならしめ、経済の自立繁栄を阻害したこともまた反省されねばならぬ。

 ・この国運の危機を克服し、祖国の自由と独立と繁栄を永遠に保障するためには、正しい民主主義と自由を擁護し、真に祖国の復興を祈願する各政党、政治家が、深く自らの過去を反省し、小異を捨てて大同につき、国民の信頼と協力の基盤の上に、強力な新党を結成して政局を安定させ、国家百年の大計を周密に画策して、これを果断に実行する以外に途はない。
 
 ・わが党は、自由、人権、民主主義、議会政治の擁護を根本の理念とし、独裁を企図する共産主義勢力、階級社会主義勢力と徹底的に闘うとともに、秩序と伝統の中につねに進歩を求め、反省を怠らず、公明なる責任政治を確立し、内には国家の興隆と国民の福祉を増進し、外にはアジアの繁栄と世界の平和に貢献し、もって国民の信頼を繋ぎ得る道義的な国民政党たることを信念とする。
 
 ・而して、現下政治の通弊たる陳情や集団圧力に迎合する政治、官僚の政治支配、政治倫理の低下の傾向等を果敢に是正し、国家と国民全体の利益のために、庶政を一新する革新的な実行力ある政党たることを念願するものである。

 ・わが党は右の理念と立場に立って、国民大衆と相携え、第一、国民道義の確立と教育の改革 第二、政官界の刷新 第三、経済自立の達成 第四、福祉社会の建設 第五、平和外交の積極的展開 第六、現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行し、もって、国民の負託に応えんとするものである。
 
 次回は最後の項目、〈 党の政綱 〉になります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする