昭和62年に中曽根首相が辞任し、その後小泉氏が首相になるまで、中曽根 → 竹下 → 宇野 → 海部 → 宮沢 → 細川 → 羽田 → 村山 → 橋本 → 小渕 → 森と、10人の首相が交代しています。
この間に自由民主党は3人の他党政治家を首相にして、連立政権を作りました。64日の政権だった羽田首相もいますが、多くは短期政権に終わり、激しく揺れ動く政界は党内外が派閥抗争で明け暮れました。「政界の壊し屋」だった小沢氏が、大活躍した時です。
その中で小泉氏が大勝して首相の座に就き、5年の長期政権を維持したことについては前述したとおりです。
氏が30年ぶりに「立党宣言」を見直し、「50年立党宣言」を作ったのは、自由民主党の首相としての覚悟と自信を、内外に公表する判断をしたからだと思います。
宣言文には敗戦の祖国を再建するという悲壮感が消え、堂々とした文章になっています。
それでも文言を検討しますと、アメリカの関与の影響が感じられますので、該当部分を抜書きしてみます。
1. 我々は、先人が明治の改革、戦後の改革に大胆に取り組んできたように、新しい党の理念と綱領に基づき、構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進めていかなければならない。
2. 我々はわが国の歴史と伝統と文化を尊び、その是をとって非を除き、道徳の高揚につとめ、国際社会の責任ある一員として積極的に活動する国家の実現を国民に約束する。
1. 項目目の文言は、中曽根内閣以来歴代の首相が、悪名高い「日米要望書」により執拗に求められた「構造改革」と「行政改革」の引継ぎ宣言です。
2. 項目目の文言は、日の丸を背負った日本の首相として、氏が国民にした約束です。
言葉通りに「日本の歴史と伝統を尊ぶ」としたら、「女系天皇論」が述べられなくなります。同時にアメリカの政策とぶつかり、「新綱領」の第一項目に「新しい憲法の制定をする」とは書けません。
小泉首相はこの相容れない約束を「立党宣言」に書き入れ、国内外に公表しています。「ねこ庭」や他の人々から見ると、矛盾した文言に見えるとしても、氏の中では両立しているのだと考えます。
「ねこ庭」が考えの根拠にしているのは、やはりウイキペディアの解説です。
2. 高い志をもった日本人を 7. 知と技で国際競争力の強化を
3. 小さな政府を 8. 循環型社会の構築を
4. 持続可能な社会保障制度の確立を 9. 男女がともに支え合う社会を
5. 世界一、安心・安全な社会を 10. 生きがいとうるおいのある生活を
「宣言文」と同様に「首相の意思」と「アメリカの影響」で、強いて項目を分けるとしたら次のようになります。
「首相の意思」
1. 新しい憲法の制定を
・「日本国憲法」に変わる、新しい憲法を作る約束
2. 高い志をもった日本人を
・国の歴史と伝統と文化を尊び、国に誇りを持つ国民を育てる約束
「アメリカの影響」
3. 小さな政府を
・構造改革、行財政改革、党改革などの諸改革を進める約束