山尾氏の著書は、基礎知識のない門外漢には難しくて、難渋します。
敗戦後に日本の歴史は、大きく修正されました。その記憶はありませんが、戦前の日本史は、天皇家を中心とする「皇国史観」で、貫かれていたと聞いています。天孫降臨の神話に始まる、大和朝廷の歴史以外の考え方が、認められませんでした。歴史学者が、客観的な史実を求めようとしても政治が許しませんでした。
書評を真面目にやろうと思えば、どうしても、話はここから始めなくてなりません。つまり大東亜戦争の敗北と、GHQによる占領統治です。山尾幸久氏や田中英道氏について語ろうとすれば、この二つを抜きにはできません。私たち国民は戦後73年が経過しても、まだ二つの壁が乗り越えられず、呪縛からの卒業ができません。
戦前は『古事記』と『日本書紀』が、歴史の原典としての地位を占め、異義を唱えることができなかった、と聞いています。GHQが天皇制を否定する方針で統治し、自由な研究を許したので、多くの学者が喜びました。喜んだ学者の中には、純粋な学究精神の人物もいましたし、政治的な歴史観を持つマルキストもいました。
戦後の日本史の見直しは、まず『古事記』と『日本書紀』の否定から出発したと思っています。理由は今でも覚えていますが、次の2点でした。
1. 『古事記』と『日本書紀』は科学的な根拠がなく、全く合理性がない。
2. 神武天皇以来、百代に渡る天皇の名前を、子供の頃から暗記させられたが、百才以上の天皇がいたり、昔の人間の寿命がそんなに長いはずがない。
中学生だったか高校生の頃だったか、正確な記憶がありませんが、こんな話は日常会話でやりせんので、授業で教えられたのだと思っています。私は歴史にも日本にも大した興味がなく、受験勉強に忙しかったため、「そういうことか」と受け止めていました。
息子たちのためには、もっと分かりやすい、戦前と戦後の違いを説明します。建国記念日という祝日がありますが、戦前は「紀元節」と呼んでいました。「紀元節」とは、神武天皇が即位した日を、建国の初めとしたもので、国民の祝日でした。『古事記』や『日本書紀』で、初代の神武天皇が即位した日とされていたからです。
しかし現在、学校ではこのようなことを教えませんし、子供は休みの日は嬉しいと、その程度でしか考えていません。戦後建国記念日を、再び祝日として制定するため、自民党の議員と反日左翼の議員が、どれほどの論戦を国会で重ねたか。「紀元節」という言葉が使えず、自民党は「建国記念の日」という曖昧な表現で妥協しました。私たちは、その事実さえ知りませんし、反日・左翼と、保守の対立は、時の経過とともに深まり、歩み寄る気配がありません。
息子たちに言います。国の歴史を大切にする国民と、国を憎むしかできない反日・左翼・グローバリストが、今も激しく対立しているから、お前たちのために、ブログを書き始めました。敗戦の傷跡が、日本にとってどれほど大きなものであったか、そして現在も、大きなものであり続けているのか。気がついて欲しいと思います。
ここで、山尾氏の話につながります。敗戦以後、日本の歴史学者は、大きく二つのグループに分かれました。保守の学者と、反日・左翼の学者です。反日・左翼学者は、『古事記』と『日本書紀』を否定し、中国や韓国の歴史書に重きを置きます。この学者たちは、日本の歴史を階級闘争の視点で語り、経済という思考からしか日本を語りません。
戦前は保守の学者が学界を支配し、大手を振っていましたが、戦後は立場が逆転しました。GHQの後ろ盾もあり、瞬く間に学界の支配権を奪い取り、今は反日・左翼学者の天下となっています。
私が中庸の学者と思う津田左右吉氏でさえ、『古事記』と『日本書紀』を疑問視し、否定に近い扱いをしています。つい先日私が発見した、保守の学者は田中英道氏です。私の常識を超える主張をしますが、納得出来る理論と根拠があり、心が惹かれています。
山尾氏は、反日・左翼ではありませんが、津田左右吉氏と同じく、『記紀』を軽視し、中・韓の古文書を優先しています。田中氏と山尾氏と、どちらが正論なのか、今は分かりません。しかしこの本を読み終える頃には、庶民の常識が、判断させてくれるはずです。
『古事記』と『日本書紀』の否定は、戦前が過激な皇国史観であったための、反動だと理解できます。極端なものには必ず反動が生じますから、戦後はまた極端な反動が生じ、『古事記』と『日本書紀』の否定となりました。73年が経過し、過激な・反日・左翼の歴史観に、今度は、庶民の中から反動が出てきたのが現在であると、そう考えています。
二回目の書評ですが、まだ中身には触れていません。明日から、少しずつ勉強させてもらいながら、意見が述べられるようになりたいと考えています。
山尾幸久氏著『日本国家の形成』(昭和52年刊 岩波新書)を、手にしています。やっと28ページです。
もともと情報は、そういう役割を持っているのかもしれませんが、テレビや新聞やネットを見ていますと、今にも日本がダメになりそうな気持ちにさせられます。
のんびり、楽しく暮らしている人間に、そんなことでは今に後悔するぞと、戒めたり、諭したり、お節介をしたりします。それはそれで意味があり、大事なのでしょうが、常時反応しているとろくなことはありません。適度に耳を傾け、時には知らぬ顔をしたり、うまくつき合わないと失敗します。
これが書評なのかと、息子たちは首をかしげるのかもしれません。これが書評だと、父は言います。書評とは、その本を手にしたことにより誘発されるもろもろの感想、あるいは意見であると、世間と違い、父はとても大きな概念で捉えています。
昨日までは、沖縄の住民投票に始まる憲法改正問題、女性宮家や女系天皇のこと、あるいは初心を忘れた自民党の劣化ぶりなど、末法思想に絡め取られていました。もうすぐ日本がダメになると、矢も楯もおれなくなり、かといって何をすべきか妙案もなく、あるはずもなく、庭の水やりで雑念を払っておりました。
巻末に印刷された氏の略歴は、次のように書かれています。
「昭和10年に、中国の撫順市に生まれる。」「昭和41年、立命館大学文学部史学科卒業」「専攻、日本古代史。」「現在、立命館大学助教授。」「著書、『魏志倭人伝』」
私より9才年上の氏は、中国生まれです。ちょうど手元に私の戸籍謄本がありますので、紹介します。昔の文字で印刷されていますが、現在の漢数字にします。
「昭和19年1月1日、満州国興安北省ハイラル市腰芦子無号地で出生。」「同月14日、父届け出。」「同年4月8日、満州国駐在特命全権大使梅津美治郎から送付入籍。」
しかし本当は、昭和18年12月9日生まれなのです。戦前は、12月8日の真珠湾攻撃の日が「戦勝記念日」と呼ばれる目出度い日で、私の出産予定日でした。熊本の郷里に住む祖父が楽しみにしていたのに、1日遅れで生まれたため、次に目出度い日である正月を、私の誕生日を決めたと聞いています。
12月の誕生日からひと月も経って、父が出生届をし、それから4ヶ月後の4月に、特命全権大使が受け付け、本籍地に送付したというのですから、ずいぶんのんびりした事務処理です。こんないい加減な戸籍を持つ私ですから、いい加減な人間になっても不思議でありません。
同じ中国に生まれても、山尾氏は大学の先生ですから、立派なものです。しかし反日・左翼系の岩波書店から著作を出しているので、立派と言えるのかどうか、それはこれからの楽しみです。
著書の中で氏が扱っているのは、5世紀の半ばから、7世紀の終わりまでの日本です。朝鮮に「任那 ( みまな ) の日本府」が出来た頃の話です。私の知らない時代ですから、煩雑さに頭が混乱します。先日発見した国史学者、田中英道氏は、「日本が朝鮮を通じて、大陸の文化を教えられたというのは、間違いで、」「縄文・弥生時代の日本人は、朝鮮に進出しており、逆に朝鮮が日本から文化を伝えられたのだ」と、威勢の良い意見を言っていました。
山尾史の本は、田中氏ほどでないとしても、かなりの日本人が朝鮮の王朝と関わりを持ち、彼らと手を組み、朝鮮の支配をしていたことが書かれています。帰化したり、子供を持ったりしていますから、民族の同化や混在が語られています。現在の韓国人学者の中には、天皇家が朝鮮王朝とつながりを持っているとか、祖先は自分たちであるとか、そんな意見をいう者がいます。
これだけ歴史を捏造し、これだけ日本人への憎しみを撒き散らす彼らに、天皇家が繋がっていると言われるのは、感情的には収まりがつかず、拒絶反応が出ます。さて、ここでやっと、本日の書評とのつながりが出てきます。
「テレビや新聞や、ネットの動画を、あまり本気で見ていますと、今にも日本がダメになりそうな気持ちにさせられます。」
「それはそれで意味があり、大事なのでしょうが、常時反応すると、ろくなことはありません。適度に耳を傾け、時には知らぬ顔をしたり、うまくつき合わないと、失敗します。」
簡単に信じられるものが、右にも左にもなく、信じられるのは、自分で手に入れたものの中にしかないと、自覚しました。年75才にして、やっと心の自立を得ました。本日からしばらくの間、山尾氏との対話を続けますが、今日のところはお終いです。
「こんなものが、書評なの。」息子たちの問う姿が、浮かんできます。私は、自信をもって答えます、「書評です」と。
3月1日付け、我那覇真子さんの「おおきなわ」を見ました。
投票日前の、沖縄県民への街頭インタビューと、講演会の状況、そして投票結果の発表と、大きく三つの内容でした。
「沖縄は日本の縮図」と、かって私は、そのような表題でブログを書いたことがありますが、動画を見ながら今回も同じ思いを噛みしめました。県民投票の内容は、三つでした。
1. 辺野古の埋め立てについて、反対
2. 辺野古の埋め立てについて、賛成
3. 辺野古の埋め立てについて、どちらでもない
投票日前のインタビューと、講演会での県民の意見を、私は一番重視いたしました。沖縄の言論状況の不自由さが、よく分かるからです。
1. 埋め立てに賛成する市民は、顔を隠して、意見を言う。
2. 埋め立てに反対する市民は、顔を隠さずに意見をいう。
新聞が左翼と、過激派を大きく支援していますから、賛成意見を述べるには、勇気が必要だと伝わってきます。意外だったのは、関心がありながら、「棄権」をするという人が多数いた、事実です。
1. 投票そのものに意味がないから、投票率を下げれば、無意味さがはっきりする。
棄権する理由が、住民投票への抗議だと言いますが、どのような投票でも、棄権は、賛成にカウントされますので、私はこういう意見の県民には、その勘違いを無念に思います。
もう一つ大きな特徴は、埋め立てに反対する県民があげる、理由でした。
1. 政府は、沖縄県民の気持ちを無視して、基地建設を進めている。
2. 沖縄の綺麗な海を破壊している。
3. 沖縄だけに、基地負担を押し付けている。
我那覇さんたちが、琉球新報と沖縄タイムズの偏向記事を、日頃から訴えているにもかかわらず、新聞の意見をそのまま受け入れている県民が、いかに多いか・・、私が知ったのは、この事実でした。そして、投票の結果が、これです。
投票率 52.98% 棄権 47.02%
基地移転反対 43万4273票(72.1%) 基地移転賛成 11万4933票(19%)
どちらでもない 5万2682票(8.7%)
反日・左翼の新聞は、県民の70%が、基地建設に反対していると、大きく報道します。保守の産経は、棄権が47%だから、県民の半分強が基地移転を容認していると、強弁します。しかし投票は、結果の数字がものをいうですから、左翼新聞の方が、妥当な報道でしょう。棄権をした人間は、間違った選択をした県民だと言えます。
沖縄県民投票で、共同通信社が実施した出口調査で、支持政党別の興味深いデータがあります。
[ 自民党の支持層 ]
反対 48.0% 賛成40.6% どちらでもない11.4%。
[ 立件民主党・共産党 ] [ 国民民主党] [ 社民党 ] [ 沖縄大衆党 ]
反対 100% 反対 90% 反対 97.6% 反対 96%
我那覇さんが、動画で強く抗議していたのは、自民党の沖縄県連でした。基地移転を進める、与党の支持者であるにもかかわらず、約半数の者が、反対しています。どちらでもないが、11.4%もいます。賛成は、たったの40.6%です。
原因は、自民党県連が、自主投票という方針を出したところにあります。しかし、県連だけが問題ではありません。こんな方針を認めた、自民党の本部に責任があります。肝心の自民党が、国の安全保障に対し、いかに危機感のない対応をしているのかが、よく見えます。
私が沖縄を「日本の縮図」だという意味が、ここにあります。基地移転への住民投票を、憲法改正への国民投票と置き換えて考えると、さらに理解が進むはずです。憲法改正についても、自民党は、政権与党でありながら、口先ばかりの議員が多数で、国の行く末を考えていません。反日・左翼マスコミの論調を恐れ、自分の意見をきちんと言わず、曖昧にしている議員が、改憲の議論を邪魔しています。
彼らは、国を思う有権者の願いを無下にし、粗末に扱っています。それはちょうど、自民党沖縄県連が、保守の活動をする我那覇さんたちを、見捨てた行動と似ています。自民党の議員は、頭数だけいても、保守らしい活動をしないのなら、反日・野党と同じです。
じつを言いますと、ブログでは語りたくないのですが・・、ここにもう一つ、加えなくてならないのは、私のような勇気のない庶民の存在が、沖縄とよく似ていることです。
地域の人々とのトラブルを避け、国の祝祭日に国旗すら上げられない、卑怯な私がいます。我那覇さんに、県民投票の結果を訴えられても、自分の不甲斐なさを知る私は、沖縄の人々が批判できません。
「近所の人に、変な目で見られるから、国旗を上げるのは止めて。」
家内の反対を押し切り、国旗を掲げる決断を、私はしていません。ただ、私が沖縄の人々と違うのは、決して棄権せず、保守政党と、保守政治家に投票するところです。それだけに、自民党の政治家には、支持する国民の期待を裏切らないよう、切望する私です。
(なんとも、情けないブログになりましたが、今夜はこれで終わりです。)
小川栄太郎氏著『約束の日 ( 安倍晋三試論 )』( 平成24年刊 株・幻冬舎 )を、読了。
氏は保守論客の一人で、安倍総理の強い支持者と聞いています。どのような内容かと期待を抱き、ページをめくりましたが、失望と幻滅と、最後は軽蔑で終わりました。
ひいきの引き倒し、という言葉がありますが、まさにその通りで、この調子で褒められたら、総理の支持率が下がるのでないかと心配が先に立ちました。
つい先日、チャンネル桜の動画、「日本の自死」を見て、保守論客のレベル低下を、嘆息したばかりですが、氏の著作も、私の嘆きを深めました。215ページある、立派な単行本で、表紙を飾っているのは安倍総理の横顔です。
本には、崩壊した第一次安倍内閣が、朝日新聞を始めとするマスコミにより、いかに叩かれたかが語られています。第二次安倍内閣の成立が、平成24年の12月で、その直前の8月に、この書が出版されていますから、意地悪く考えれば、返り咲く安倍氏への追従本であるという気もいたします。
首相になった氏が、第一次安倍内閣で、「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、国民の期待を担い、華々しく出発しました。しかしこのスローガンが、マスコミと官僚に総スカンを食らい、彼らを敵に回す結果を招きました。朝日新聞の論説主幹だった若宮啓文氏が、「安倍の葬儀は、うちが出す。」と語り、「それが、朝日新聞の社是だ」と言い切ったのはこの時でした。
利敵行為者としか思えない若宮氏は、新聞を駆使し、傍系誌のアエラを使い、執拗な安倍氏への個人攻撃を続けました。韓国の肩を持ち、中国に味方し、安倍外交を散々批判した氏のことを、私は何度か「ねこ庭」で取り上げた記憶があります。
日本に敵対する韓国と中国を偏愛する若宮氏が、定年となり、朝日を退社した時の喜びの気持ちを、ブログにしたこともあります。彼は定年後、韓国の大学に教授として招かれ、最後は中国で病を得て生涯を終えました。朝日新聞社が、どんな腐れ縁を、韓国や中国と結んでいるのか知りませんが、日本人の魂を失った、反日・左翼マスコミ人にふさわしい氏の奇妙な最後でした。
亡くなった人物は、なるべく批判しないようにしていますが、若宮氏は例外です。安倍氏だけでく、私のように、日本を大切にする庶民を、散々なぶりものにしましたので、敢えて小川氏の暴露文を紹介いたします。
「平成20年8月、当時論説主幹だった若宮氏が中国出張に際し、女性秘書を個人的に同行させ、」「しかも会社の経費で、ビジネスクラスに乗せ、高級ホテルに宿泊しました。」「後日、社の内部監査室の調査で、不正が発覚し、全額を会社に返済しました。」
「更に問題なのは、不正経費で出張した理由である。」「その出張は、中国人民外交会が主催する、若宮の著書の、出版記念パーティーに出席するためだったが、」「その学会は、事実上、中国外務省の別働部隊だという。」
「中国に言論の自由はなく、政府の諜報活動は極めて活発だ。」「若宮は、露骨な親中・親韓の論陣を張ることで有名な人物である。」「良く知られているのは、竹島を韓国に譲れという、平成17年のエッセーだろう。」
きっと若宮氏は、自身の出版記念パーティーで、中国外務省から、多額のお祝い金を受け取っているはずです。小川氏の暴露が続きます。
「その後若宮は、朝日新聞の主筆という、頂点に上り詰めています。」「その人物が、言論統制と、諜報活動の国、そして反日策謀の中心である、中国政府に記念パーティーを開いてもらい、のこのこと出かけたのである。」「日本を代表する新聞の主筆の不祥事として、これに勝るものは考えにくい。」
知らないことを教えてくれる著者には、立場の左右を問わず、感謝をしていますが、それでも私は、氏に感謝する気持ちになれませんでした。保守論客といわれる氏に、もっと高い見識を期待していたからです。有意義な情報でも、この程度の暴露なら、週刊誌でも書きます。
1. 教育基本法の改正
2. 公務員制度改革
3. アジアゲートウェイ構想
4. 農林水産業の戦略産業化
5. 憲法改正
安倍氏が第一次内閣で手をつけた政策は、どれも戦後レジームからの脱却の道でした。中曽根元総理に「これは安倍革命だ」と言わせ、「まさに本格政権だ」と驚かせもしました。しかし教育基本法の改正を除けば、すべては志半ばで終わり、若宮氏が率いる朝日新聞を先頭にしたマスコミの総攻撃と、同調する官僚の叛旗のため、病を持つ安倍氏はついに辞任いたしました。
こうした経緯については私も知っており、教えられる事実よりも、切れ目のない安倍氏賛辞の軽薄さに閉口致しました。
「松陰と三島・・、二人は日本を誰よりも激しく危惧し、日本の明日が、本来の美しい健やかさに戻ることを誰よりも、激しく希望した。」「死の瞬間まで、それぞれの、果たし得ていない約束への感覚が彼らを突き動かし続けた。」
「彼らの魂の重量は、同時代の誰よりも豊富で、彼らの生命力は、溢れるように尽きなかった。彼らは本質的に詩人であり、非政治的人間だったのである。」
吉田松陰と三島由紀夫に関する氏の評価ですが、饒舌過ぎます。三島氏は確かに、詩人であり、非政治的人間だったかもしれませんが、松陰は現実主義者でした。二人について、違う意見を持っていますが、それは言わないで先を続けます。
「安倍は政治家である。政治家は、絶対に詩人であってはならない。」「松陰や三島を気取ることは許されない。」「むろん安倍には、そんな軽薄さは微塵もない。」
「安倍政治の挫折は、安倍晋三個人の敗北ではない。日本国民の敗北だったのだ。」「私は、切望している。安倍晋三が、果たし得ていない約束を果たすために、今こそ、執念の炎を燃やし、政権を再度奪還してくれることを。」
著作の最後は、このように綴られていますが、同じような言葉が繰り返され、読者である私は、退屈しました。評論家である氏こそが、言葉に酔う詩人であってはならず、冷静な意見を言うべきだろうにと苦々しい思いでした。
意に反して、長いブログとなりましたが、本当は、次の二、三行で済ませたい書評でした。
「中身のない駄作を世に出すとは、日本の保守論客も、すっかりレベルが落ちました。」「もしこれが安倍氏へのエールだとすれば、諺どおり、醜女 ( しこめ ) の深情け、と言うしかありません。」