私はこれまで韓国に関する本を、何冊くらい読んだでしょう。
今回の本を含め100冊まではいかないとしても、50冊は軽く超えています。最初は目新しかったため真剣に読んでいましたが、どの本も日本への恨みと憎しみに満ち、軽蔑の言葉が並んでいましたので、次第に不愉快になりました。
途中から怒る気が無くなり、どうしてこのような国があるのかと、研究せずにおれなくなりました。茶道、日本刀、サムライ、歌舞伎、生け花など日本の伝統文化を、韓国が発祥地だとそんな主張をしますから、不思議な国としか言えません。
秀吉が朝鮮出兵した時、陶工を沢山日本へ連れ帰り、朝鮮のおかげで日本の陶芸が発展したというのなら、それは事実ですから異論はありません。しかし日本人の誰もが日本独特の文化と思っているものまで、ルーツが韓国と言い張るのでは尋常の神経でありません。一部の学者が主張するだけでなく政府までが言い、日本攻撃の材料にしているのでは、呆れるしかありません。
今回は、韓国・朝鮮人の思考回路につき、私なりの考察を述べ、息子たちと、訪問される方々への報告とします。人生の貴重な時間を、大切に使いたいから、今後は余程のことがない限り、朝鮮関係の書は敬遠しようと思います。
これまでの読書を通じ、彼らの反日 ( 恨日 )思考の源泉が、「中華思想」と「儒教」にあると、推察しました。中華思想について調べますと、次のように説明されています。
「中華思想は儒教に裏付けられた、漢民族の文化優越主義から始まり、地理的世界観、政治的世界観を併せ持つ。」
「中国王朝は周辺諸民族を区別し、夷狄(文明化しない野蛮人)、禽獣(獣に等しい存在)と蔑む一方、冊封体制によってその世界観を具体化し、同時に、夷狄の教化に当たった。」
「自らを小中華と見なすことは、周辺諸国を野蛮な夷狄、禽獣として区分することも意味していた。」「この姿勢は文化的優越主義に止まらず、政治的、地理的世界観にも表れ、現実はどうであれ、朝鮮は、中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させていると、解釈しようとする。」
知るほどに、中華思想の独善ぶりが鼻につきます。最近のマスコミが何かというと、「差別」と言い日本の保守を批判しますが、中華思想が「差別」の元祖でした。
「この世界観は明と李朝が中華であり、それ以外の地域は、夷であるとするものであった。」「こうした論理は国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は、同じ朝鮮人でも、差別されることに繋がった。」
「李朝後期の両班たちは、自身を礼儀を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者と捉え、一方庶民を夷狄禽獣の類いとして、階層的差別意識を露にしていた。」
彼らはなんと、孔子まで発祥が朝鮮だといい、明と並び、朝鮮は中華に位置すると言うのですから、中国人の顰蹙をかっています。強国に身を低くし、属国として生きるしかなかった国が、ここまで尊大になれるというのですから、日本人には真似ができません。
私が発見した、というより、日本人なら誰でも知っていたことなのでしょうが、朝鮮人は、「日本人を最初から、夷狄の国として考え、対等な相手と扱っていない。」という事実です。
明治の元勲が、西欧列強の侵略の危機を説き、共に戦おうと礼を尽くし申し入れても、鼻先であしらった無礼もこれで理解できます。「征韓論」という激しい怒りも、分かってきます。
呉善花 ( オ・ソンファ) という、韓国系学者がいます。彼女は韓国生まれの評論家で、日本研究者で、 大東文化大学を卒業後、 拓殖大学国際学部教授をしています。日本に帰化し、日本の理解者として貴重な意見を述べています。その彼女の言葉を知った時、私は韓国・朝鮮との、現在から未来へ至る関係を理解しました。
「中国は親で、韓国は息子、日本は韓国の弟、という認識が韓国人にあるため、儒教の教えからして、親がやることは、どんなことでも例え間違っていても許せるが、弟が兄を越えることは、何であれ許せないのだ。」
と説明しますが、こういう考えから出発しているのなら、今後とも韓国との関係は、修復しないと実感しました。中華思想と儒教が、今だけでなく、将来も彼らを支配します。
韓国・朝鮮人は、他国から間違いを指摘されないので、中華思想から解き放されることはありません。私の「愛国」は定年退職後の、独学の成果です。彼らの方は、国ぐるみで千年以上の積み重ねがあります。
彼らにとって、日本は弟でなく、いまでも夷狄か禽獣でしかないとしたら、国同士の約束を無視し、決め事を破っても、痛くも痒くもないはずです。彼らが身を低くし、すり寄っていくのは、未来永劫漢民族の中国だけでしょう。こうなると、結論は単純です。
「こうしたおかしな国とは、関わり合いにならないのが一番です。」
偏見とか差別とか、そんな次元の話でなく、歴史を踏まえた事実です。