上下二册を一気に読んだが、これほど引き込まれるとは予想しなかった。
上巻は、戦争をした軍人への悪口雑言、政治家への侮蔑と不信。下巻では、変節した学者、教授、宗教家、そして一般国民への軽蔑。氏は口を極めてこきおろす。
「いったいなぜ、本来は優秀な頭脳を持っているはずの彼ら軍人が、こうなってしまったのであろうか。」「彼らは日夜 、" おそれ多くも畏くも、万邦無比のわが国体 " 、」「 " 八紘一宇の肇国の精神 " " 畏れ多き現人神 " 、といったことを、」「繰り返し教え込まれ、」
「年中そういう言葉を発し、そういう訓示を聞き、」「批判や、疑問の言葉さえ聞いたことも無く、」「何十年かを過ごしているうちに、ほんとうにそういう気持ち、」「要するに無知、無教養、偏見の固まりになったのであろう。」と、こういう調子である。
そうなってくると、さきに覚えた、東條首相への敬意の念や同情が、どうしたって薄れて来る。渡部氏の本を読んだばかりだというのに、早速逆の考えに傾くのだから、己の愚かさを、これでもかと知らされる辛さがある。
「先進国との文明の差は、日露戦争当時も同じだが、」「この時代は、日本自らが、西欧諸国より野蛮な国であることを、自認しており、」「それが今次大戦では、わが国は万邦無比、すなわち、世界一優れた民族だと狂信していたところが、決定的に異なっている。」
かって司馬遼太郎は、何かの本の対談の中で、「日本の歴史は、ずっと一つの流れがあり、強い興味を覚えるが、 」「" 戦前の昭和 " という時代だけは、訳が分からない。」「突然生じた、特異な現象としか言いようがない。」
正確ではないが、そんな意味のことを述べていたような気がする。つまり、若槻氏の言う「狂信」の昭和だ。さらに氏は言う。
「元首相若槻礼次郎は、終戦の頃陸軍は半狂乱だったと書いているが、」「終戦時に限らず、陸軍は、そして海軍も、半狂乱どころか、」「いつも全狂乱、すなわち、正気ではなかったのである。」「そう認めるよりほか、この貧弱な工業国が、世界を相手に戦争をしかけるなどという、」「ありうべからざる現象を、説明しようがないと思われる。」
「そして正気でない内容は、 天皇は神であり、日本は神国である。」「普通の国とは、訳が違うのであって、負けるなどということはあり得ない、」「という信念、信仰、 要するに迷信である。」
私などと比べようも無いほど、博識な氏は、使う言葉も遥かに辛辣で、さすがの私も及ばない。これ以上氏の書を引用していると、自分のブログでなくるので止めるが、歯に衣着せぬ、激しい言葉の中にある煌めきが私を虜にする。
右左の極論を述べる書と異なり、手前勝手なこじつけがなく、常識家の熱い思いが、伝わって来るような不思議さがある。亡くなった父は、シベリアで捕虜になり、戦後に帰還して来たが、戦争についても軍隊についても、何も語らなかった。思い出を辿り、探し出してみると、何かの拍子に、ポツンとつぶやいた言葉があった。
「日本は、戦争に負けて良かったんだ。」「勝ったりしていたら、今頃はもっと大変だっただろ。」
中学生の頃に聞かされたもので、当時は何のことか、サッパリ分からなかったが、今は何となく分かる。確かめるすべはないが、冗談が好きだった父は、おそらく「狂信の昭和」に辟易していたに違いない。冗談ならまだしも、生きている人間が神だなんて、父はきっと納得できなかったのだと思う。
自衛隊員と呼ばれ、今はなりを潜めている軍人たちが、再び天皇を利用しようとする時が来ないようにと、そこだけは細心の注意が必要だ。現在のような「象徴天皇」であれば、存続してもいいと私は思っているが、若槻氏の結論は天皇制の廃止である。戦後の教育を受けて育った私は、力点を置かないけれど、氏は諸悪の根源を天皇制の中に見ているから、私のブログなど目にしたら、罵詈罵倒の集中砲火だろう。
どうかこのブログが、彼の目に留まりませんようにと願いつつ、今日を終えるとしよう。