ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『戦没農民兵士の手紙』 - 5 ( 松下八洲雄氏、世津定弘氏 )

2018-03-31 23:36:59 | 徒然の記

  [ 松下 八寿雄氏 ] 

  氏京都府船井郡出身、自作農、

  昭和19年7月 ニューギニア・サルミにて戦死、

  妻と子供五人、45才、軍属

   妻・きさのさん宛の手紙  〉

    ・自分は、応召以来病気しなかったが、現在いる処が、有名な不健康地帯のため、とうとうマラリアに冒されました。
 
   ・今はもう、すっかり治ったから、安心して下さい。

   ・マラリアで休んでいる間に、次のようなことを自分は決心した。

   ・これは決して空想ではない。自分がもし、無事帰還できたらぜひ実行する。

   ・もし万一、帰還できない場合は、子供たちを含めみなでやって下さい。

     一、家庭内から怒りを追放し、日々笑って、家内一同和合する。

     一、めいめいの仕事に、一生懸命魂を打ち込む。

     一、入るを計って、出ずるを制す。何ごとにも無駄の排除。

     一、予算生活の確実実行。主婦の役目として、決心と協力を願う。

     一、父の老後を楽しめるよう、不自由のない程度に家屋の修理をしたい。

   ・右のようなことを、ぜひやり遂げたいと思う。家内揃って、楽しく暮らそうよ。このことは父上にも、申し上げてくれ。

   ・文雄にも、申し聞かせてくれ。今後自分の道は、一大転換するやも知れぬが、どんな時でもこれだけは実行しようね。

   ・今しばらくだ。永いことではないと思う。頑張って留守を頼む。体をくれぐれも大切にね。

  軍属というのは、どういう立場にいて何をしているのか、軍隊で兵士と同様に働く人なのだろうと、そんな認識しかありません。

 戦地でマラリアになり入院した時、松下氏はこんなことを考えたのかと意外な気がします。

 いっぱし分かったような意見を述べる私ですが、自分の家庭に関し、これほど真面目に考えたことが一度もありません。まして妻に語りかけ、父親や長男にまで伝えてくれと頼むなど、照れ臭くてなりません。

 死と隣り合わせの戦地で病気をすると、人は心境に変化を来すのでしょうか。

 笑顔に満ちた家庭、勤労の精神、無駄の排除、計画性のある生活、親孝行と、どれ一つ取っても人間の正しい生き方です。漫然たるこれまでの自分を反省し、氏は軍隊で得た悟りを妻に伝え、楽しみに待っていてくれと言わずにおれなくなったのでしょうか。

   長男・文雄くん宛の手紙  〉

   ・久しくご無沙汰しました。おじいさん始め、お母様や姉さん、弟妹たちも、元気にそれぞれの仕事に、励んでいることと思います。どうぞ、みな体を大切にして下さい。

  ・殊にその許は今最も発育盛り、体を鍛え精神を練るには今をおいてはありません。他日に悔いを残さぬよう、十分心がけて、身体の鍛錬、精神の修養を切望します。

  ・国家未曾有の時局下の青年は、健康な体躯と頑健な日本精神を把握しなければなりません。切に練磨を望みます。

  ・すべては皇国のためです。お互いに頑張りましょう。幸い父は、いたって元気、留守をよろしく頼みます。

 私も日本を愛する国民の一人で、一連の「ねこ庭」のブログにしても、息子たちに残したいと願っています。しかし氏のように真正面から、自分の思いを語れる父親をなんと受け止めれば良いのか。時代が違うせいなのか、やはり照れ臭い思いが消せません。

 しかしこの思いは、氏の戦友の手紙を読んで、一瞬のうちに無くなってしまいました。父として夫として精一杯の遺言であったと分かり、己の不明を恥じました。

 [ 世津 定弘氏  ] 

  滋賀県滋賀郡出身、昭和20年7月5日出し 

  松下氏の戦友

   松下氏の妻・きさのさん宛の手紙  〉

      ・拝啓、初夏の候、貴家ご一同様には、ますますご清祥の御事と存じます。

    ・小生この度、復員を致しまして、ご家族の皆々様に、このお便りを差し上げます心の苦しさをお察し下さいませ。

    ・ご主人様、松下君には、出征以来無二の親友として交わり、お互いに助け合い励ましあって、幾戦線を超えました。
 
    ・昭和19年4月戦況の悪化により、ホーランジャよりサルミへの転進を開始。
    ・死の転進行軍二ヶ月余、無事サルミに到着し、
 
    ・同地にありて作業中、7月1日の大爆撃にて松下君は不幸爆死されました。
 
    ・小生、丁度その日は別の作業にて夕方帰隊、
 
    ・松下君の悲報に、墓前にて思わず男泣きに泣きました。
 
    ・朝の元気な顔が、夕には魂と変わりませしこの姿に、ただただ胸迫り、
 
    ・運命とは言いながら、幾年月苦楽を助け合った二人でしたが、松下君の御魂を抱いて二年余、
 
    ・今自分は故国に帰り来て、ご遺族の皆様にご報告する小生の胸は、張り裂けんばかりです。
 
    ・いっそのこと、公報にてご承知されるまで、お知らせ致すまいとも思いましたけれど、それでは松下君の英霊に申し訳なく、今ここに拙き筆を運びます次第。
 
    ・ご家族様には、さぞさぞ御驚き、御悲しみ、いかんとも御慰めの言葉も、これなく。
 
    ・皆々様も、ご自愛専一にて、新日本建設にご奮闘なされてこそ、地下の松下君も、成仏されることと信じます。
 
    ・いずれ一度は、御墓参りに参上致したく思いますれども、先ずは取り敢えず、書面をもって、ご通知、お悔やみを申し上げます。  敬白
 
 明治38年、日露戦争中に作られた歌があります。軍歌というにはあまりに悲しい「戦友」と名のつく有名な歌です。世津氏の手紙を読んでいますと、この歌が頭に浮かび、軍隊に戦友があるというのは作り事でなかったと教えられました。


  ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
    赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下

  思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
    敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか

  ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
    にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて

  軍律厳しき中なれど これが見捨てておかりょうか
    しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中
 

 自分だけが生還した後ろめたさに、松下氏の家族に訃報をすぐに伝えられず、二年余も迷った挙句、「それでは松下君の英霊に申し訳なく、」と、やっと出した手紙です。

 二人の兵士の心を思いますと、戦争を賛美したり肯定したりしようとは思いませんが、ここに書かれているのは、石川氏が解説するような非道な日本軍ではありません。

 無駄死にとか哀れとか、そういう言い方は非情です。亡くなった方々に対し、世津氏のように「英霊」という言葉を捧げて、どこがおかしいのでしょう。

 反日左翼の人々は何もかもひとまとめに、「軍歌」「右翼」「好戦主義」と攻撃しますが、「戦友」は戦争哀歌であり反戦歌ではないのかと、そんな気がします。

 石川氏は、『戦没農民兵士の手紙』を、反戦平和の書として世に出し、戦前の日本を軍国主義、絶対天皇制、右翼のレッテルを貼りつけ、弾劾したつもりなのでしょうが、その目論見は成功したのでしょうか。「ねこ庭」には疑問だけが残りました。

 今晩も遅くなりました。長く続けたこのシリーズを、予定通り本日で終わりといたします。お休みなさい。

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『戦没農民兵士の手紙 』- 4 ( 八巻 藤一郎氏・河村富治氏 )

2018-03-30 18:54:17 | 徒然の記

 [ 八巻  藤一郎氏 ] 

  山梨県北巨摩郡出身、農業兼大工

  昭和13年8月北支にて戦死、

  妻と子供三人、37才、陸軍曹長

  〈 妻好路さん宛の手紙  〉

    ・前略。私も無事で、青島で軍務についているから、安心してくれ。青島は実に、良い処です。内地には、青島のような景色の良い処はないと思う。

   ・時候も内地より暖かく、最早菜の花でも咲くような気がする。

   ・我々軍人は、また何時寒い処へ行くかも知れぬゆえ、防寒ガイトウもズボンも取って置くが、寒い時期にここへ来て運が良かったと思う。

   ・暑くなる頃、涼しい処へ行くと良いがね。思うようにもいかぬが、そのうち帰れると思う。

   ・それでも長期戦ですから、何時帰れるか不明です。敵と戦うのは軍人の職務ですから、安心しても心配しても、運ですから家に帰るまでは不明です。

   ・私の俸給は、一日一円五十二銭、何時戦死するかと思えば、若干は戦友同士で使うが、三十円、四十円は貯金してあるから、何時でも必要になったら知らせてくれ。

   ・次に三月中に、汀の学校準備金を二十円送る。また美雪の本代も、送る予定です。

 八巻曹長は筆まめな人物らしく、青島の様子や子供の勉強、衣類のことなど細かい内容です。長いので割愛していますが、こんな詳細な手紙が軍の検閲を受けなかったのでしょうか。しかし最後は、軍人らしく締めくくっています。

   ・家を心配せぬでもないが、生死不明の処に来ていて、一家の長として、金ばかり思っているとこもできぬが、万事承知しているから安心してくれ。

   ・お前が言うように、ともに無事でいれば良いこともあると思う。もし電報が届いても、軍人の妻らしく話せ。着した手紙を、最後と思え。

  〈 三人の子供宛の手紙  〉

    ・美雪さん、汀さん、瑞穂ちゃん。達者ですか。お父ちゃんも達者ですから安心して下さい。

   ・お父ちゃんの今いる処は、少しも寒くありません。もう、梅の花が咲いています。お父さんも、汀さんが学校へ行く頃は帰れると思います。
 
   ・絵ハガキを送ります。みなさんで見なさい。瑞穂さんが欲しがると思って、慰問袋の中にあったものを送りますから、瑞穂さんにやってください。
 
   ・汀さん、取ってはダメよ。破いても良いからやっておきなさい。また、何か送ります。
 
   ・三人のみなさまへ   ちんとうにて 父より
 
 長女の美雪さんの年は分かりませんが、次女の汀ちゃんは小学校入学前なので、5才でしょうか。三女の瑞穂ちゃんは、ハガキをもらっても破ってしまう幼児です。
 
 亭主関白らしく妻には威張っていますが、娘たちにはどこまでも優しい父です。子供の顔を思い浮かべながら、文を考えている八巻曹長の姿が浮かびます。
 
 手紙だけでなく、日記からの抜粋も掲載されています。軍務の間に、こんな詳細な日記を書く兵隊もいたのです。『満州守備隊時代」の日記』と、『満州から南方へ移動中」の日記』と、二種類あります。
 
 厳しい検閲があっても、戦死者の遺品として軍は家族へ返送したのでしょうか。長いので、抜粋をさらに抜粋して紹介しますが、石川氏の説明に疑問を感じるのは、「ねこ庭」だけなのでしょうか。
 
  [ 河村 富治 ]
 
   岩手県和賀郡出身、村の運送屋に勤務
 
   昭和20年5月 東部ニューギニアにて戦病死
 
   妻と二男一女、34才、陸軍伍長

  〈 『満州守備隊時代の日記』  〉

   ・二月二十四日、晴れ 午前六時三十分 起床今日も晴れた良い天気だ。

   ・内地ではもう春、三月。川の水もぬるむ頃だ。懐かしい春の、山川が浮かぶ。

   ・マンサクの花も咲いたろう。裏山で、木切りも始めたか。でかい握り飯、恋しくなる。

   ・二十円送金する。少しでも家の役に立ってくれるよう、祈る。

   ・子どもらも元気か、元気であれと祈る。父も元気でやっていると、大きな声で呼びかけたいような気分に駆り立てられている。

   ・大過なくやっている自分は、皆、神仏、故郷の人たちのおかげでしょう。

   ・少しだけれど、入院した多田君にお見舞いとしてお金をやる。盛岡以来、同じ釜の飯を食った戦友だ。

 兵士たちの手紙を読みますと、月々の俸給を節約しこまめに家族へ送っています。留守家族への金銭補助もあり、そんな国に対し彼らは感謝し、一層の奉公をすると誓っています。

 しかし解説をする石川氏は、兵たちについて別の説明をします。

  ・このようなことですら喜ぶというのは、農村での暮らしがどれだけ悲惨だったかということです。

  ・厳しいい抑圧と過酷な軍務ですら気にならないほど、日本の農民の暮らしは、酷いものだったのです。

 当時の農村の暮らしが貧しかったのは事実と思いますが、兵士たちの感謝の気持ちを、このように曲げてしまう説明が果たして正しいのでしょうか。

 軍隊を悪いものにしたいという意図が、見えます。出版当時の日本なら、氏の説明に騙される読者がいたのでしょうが、今日、何人の者が氏の言葉にうなづくのでしょう。

 石川氏の解説はその愚かしさにおいて、歴史的価値があると確信します。時代の流れと日本の思潮の変化が、見える気がします。

  ・三月二十五日 今朝起きてみると外は雪で真っ白になっている。ようよう乾いたと思えば、また雪だ。嫌になってしまう。風の激しいこと、また大変だ。

  ・中隊に西東安より、石炭が来たので真っ黒になって、三十トンの石炭を線路の側に落とす。昔、自分が運送屋にいた時のことが、思い出されてならなかった。

  ・夜は夢で、横手の柳町の小父さんの娘らに会った。今日頃、何か便りがあるものと思っていたけれど無し。家内よりは来ないけれど、友人より来た。別に変わったことはないようだ。

  ・夕食後、加給品に羊かんとグリコが来る。兵隊は、子供のようになってはしゃぐ。自分はふと、故郷の子供らのことが、思い出される。目に見えて、日は長くなった。子供ら、元気であれ。

 兵士の手紙はまだ沢山ありますが、紹介していると切りがありません。だから、あと一回ブログにして終わろうと思います。

 偶然ですが今日はわが家に、三人の息子が家族を連れて集まりました。孫たちの元気な声が、家中を賑やかにしています。

  「子供ら、元気であれ。」

 河村伍長に、申し訳ない気持ちになります。この穏やかで平凡な一日を、感謝せずにおれません。

 「あなた方のおかげで、今の私たちがあり、日本があります。」

「子供ら、元気であれ。」とつぶやいていると、熱いものがこみ上げて参ります。

 「靖国で会いましょう」と亡くなった貴方たちが言うのなら、私は靖国に参ります。陛下も総理大臣も、今の日本では靖国に参りませんが、私がお参りします。

 「あなた方の尊い犠牲の上に、今の私たちの暮らしがあります。有難うございます。」

 この思いを息子たちに伝えることが、貴方たちを知った私の役目です。

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『戦没農民兵士の手紙』 - 3 ( 多田 安松・藤原重治・八巻藤一郎 氏 )

2018-03-29 10:12:39 | 徒然の記

  本日から、再び『戦没農民兵士の手紙』の紹介へ戻ります。

 いずれの手紙にも胸を突かれ、全部紹介したくなりますが、それでは、本のコピーになります。どの手紙と決められませんので、開いたページの手紙をお届けします。

 両親や妻子や兄弟にまで、沢山の手紙を残している兵士もいますし、 一通しか出していない兵士もいます。編者の石川武雄氏が説明するような、軍の厳しい検閲があったかについても注意しながら読みました。

 [ 多田 安松氏 ]

  岩手県和賀郡出身、農家の長男、

  昭和20年1月 ニューギニアにて、戦死、

  妻と子供一人、27才、陸軍兵長

  〈 妻正子さん宛の手紙 1 〉

   ・皆元気でいることと思います。あの時、安正の頭、蚊に食われたとかで、ずいぶんデコボコになっていたが、良くなったでしょうか。とにかく大事にしてくれ。 

   ・これからは、寒くなる一方、なお大切に。お前も健康に注意するように、バサマにもよく話していてください。自分はあの通り、元気でいる。心配はいらぬ。

  〈 妻正子さん宛の手紙 2 〉

      ・先日も便り出したごとく、元気でいる安心下さい。今日小包を受け取りました。無理して送らぬように、自分たちは何も不自由はない。

   ・菓子等も食える。自分に送るものがあったら、安正にやって下さい。お前も無理して働かぬように、体のみ大切に。

   ・仕事は人夫に頼んで働くように、干し草は◯◯にお願いするように。

 [ 藤原 重治氏 ] 

  岩手県和賀郡出身、農家の戸主、

  昭和19年10月入隊、満州へ渡り、生死、消息不明。

  34才、陸軍一等兵

  〈 愛児サキ子ちゃん宛の手紙 〉

   ・さきこさん、そのご、変わりがありませんか。おじいさんも、元気でおりますか。知らせてください。

   ・みなさん、元気でおって、下さいね。かぜひきせぬように、気をつけてね。毎日、泣かないで、学校へいけよ。さようなら

  当時の子供には、カタカナ書きの方が読みやすかったのか、他の兵士も、子供に宛の手紙はカタカナで綴っています。戦後育ちの私には読みづらいため、かな文字に変えました。

 藤原一等兵は、多田兵長に比較しますと文章が苦手らしく、愛児のサキ子ちゃんに、短い一通を残しただけです。多田兵長のように字が書けたら、父親にも妻にも、きっと手紙を出したでしょうに、農業一筋だった人物の素朴に人柄が浮かんできます。

 二人に共通しているのは、子を思う親の姿です。シベリアで捕虜になり、ソ連の炭鉱で働かされていた父も、このように私のことを気にかけていたであろうかと、想像いたします。

  [ 八巻 藤一郎氏 ]

   山梨県北巨摩郡出身、農業兼大工、

   昭和13年8月 北支にて戦死、

   妻と子供三人、37才、陸軍曹長

  〈 妻 好路さんからの手紙 〉

   ・前略、書面正に着きました。入隊いたしたとの事、嬉しく思いました。出征後は、家の事等心にかけず、皇国のために尽くして下さいませ。

  ・お父様が、万が一お国に一命を捧げても、三人の子供は、私の手で立派に育てていきます。お父様の顔の立たぬような事は、決していたしません。

  ・電気も医者も、役場への納めも、みんなただです。月末には、毎月役場から補助が出ます。出征兵士の家には、皆下ります。

  ・お父様の置いていったお金は、まだ少しも使いません。心配しないで下さいませ。お父様に言い聞かされた通り、今からお父様は無きものと思って一生懸命働きます。

  ・子供三人と私と母の五人で、一生暮らす覚悟でございます。ただ朝夕、武運長久、皇軍戦勝を祈るのみ。先ずはお身体を、お大切にお願いいたします。草々

 八巻曹長は妻へ5通、子供達へ一通の手紙を出し、妻から二通受け取っています。今回は妻好路さんの一通を紹介しましたが、次回は、八巻曹長から出した妻への一通と、子供たちに出した一通を紹介します。

 子供達への手紙は、藤原一等兵と同様にカタカナ書きとなっていますので、かな書きに変えました。どの手紙を読みましても、当時の世相が伺われ、私の知らない戦前の日本があります。妻好路さんの手紙を読みますと、私には母の姿が重なります。

 父は私が生まれてすぐに召集令状を受け取り、満州で入隊しました。母の話では、ハイラルの社宅に日本人もいたけれど、周りはほとんど満人ばかりだったそうです。詳しく話してくれませんが、好路さんのような覚悟をしていたと思います。

  石川達雄氏は、「あとがき」で次ように述べています。

  ・農民兵士たちは、ひたすら君のため、国のためであることを信じ、戦死して行ったのであった。

  ・学徒兵たちが戦争に疑問を持ち、批判を抱きながら、死出の旅路に出たのに比べ、せめて救われるような感じもあります。

  ・しかし同時に、戦争の持つ意味も知らずに、知りうる機会も与えられずに、それ故に進んで死地に赴いたであろう健気さ。

  ・我が身の哀れさを、哀れとも知らず死んでいったあわれさ、こんな惨めな死に方がどこにあろう。

  ・大東亜共栄圏建設のため、東洋平和のためと、大義名分がついていたにしても、ほとんど全世界から侵略戦としか受け取られない戦争における、戦死であった。

  ・これを、名誉の戦死と言えるのかどうか。

   ・名誉の戦死であるという耳障りの良い、聞きなれた言葉で、自らも他人も納得させてはいけない。戦争が、どのような体制のもとで企てられたものか、その死がどのような意味を持つものであったか、つらいことでも、考えてみる必要があるのではないか。

 氏は兵士や妻たちが国に騙され、虚しい戦争で無駄な死を迎えたと説明し、知的な学徒兵に比べ、彼らは愚かしい死に方をしたと哀れみます。

 けれども私は同じ手紙を読みましても、氏とは違う受け取り方をしています。

 父はシベリアに抑留され、ロシアの炭鉱で働かされましたが、死なずに戻ってきました。母は私を背に負い、親類の者たちと、ソ連との国境に近いハイラルから、体一つで引き揚げてきました。父も母も氏が言う知的な人間でなく、高等小学校しか出ていない庶民です。

 しかし父も母も、国の悪口を言ったり、戦争を呪ったりしませんでした。高等小学校出の両親は、石川氏に言わせれば、「知的劣等国民」の一人になるのでしょう。

 大切な息子たちに、私は父として伝えたいと思います。

  ・お前たちのおじいちゃんや、おばあちゃんを誇りにしても、氏のように、愚かな国民として片付けてはなりません。

  ・おじいちゃんやおばあちゃんを蔑むことは、許しません。

  ・戦争が終わった後で、亡くなった人のことを、自分の持つ思想で切り捨てるのは、思い上がった傲慢な行為です。

  ・反日左翼の目で、戦争で亡くなった人を無神経に批評するのが、戦後の日本を支配した「東京裁判史観」と、「反日・左翼思考」と覚えておいて下さい。

 手紙を書いている兵士同じように、父と母も国の悪口を言いませんでした。戦争を肯定することも言いませんでした。想いが沢山あったはずなのに、日本に帰ってからは、家族や兄弟のためにひたすら働いていました。

 学徒兵のように戦争を批判しなかったからといって、戦後を生き抜いた多くの親たちを、氏のように語ることを「ねこ庭」は許しません。

 むしろ戦争への想いを語らない姿に、庶民の苦しみと知恵を感じます。あの戦争が、批判だけすればすむような簡単なものでないと知る私は、自分の親のためにも、息子たちに言います。

 ・氏の解説にとらわれず、亡くなった兵士の方々の手紙を素直に読みなさい。

 次回はなるべく説明を入れず、貴重な手紙を紹介します。

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世論に倒される内閣 ( 息子たちへ贈る言葉 )

2018-03-27 15:45:06 | 徒然の記

 今日の千葉日報を読みますと、岩波書店どころでなくなりました。

 「首相、昭恵夫人の説明拒否」「私が責任持ち答弁」

 「昭恵夫人含め招致必要 ( 野田前首相 ) 」「佐川氏、今日証人喚問」

 「野党息合わせ、波状攻撃」「焦る自民、長期化を懸念」

 「森友文書改ざん、今日証人喚問」

 「佐川氏指示と認識 (地検特捜部に、財務省職員)」

 「質問はねつけた佐川氏」「強気の答弁、政権が尊重」「発覚以後、評価一転」

 このところ毎日のように、大きな活字が紙面を飾り、安倍総理への批判が続いています。

 国会討論をテレビのニュースで見ると、野党議員が、総理と麻生氏を責めていました。米国と北朝鮮が直接対話をするのか、あるいは、韓国の文大統領が言うように、日本抜きの「米・朝・韓」の会談になるのか。

 軍事力行使を含む、危険な情勢です。

 中国では、習近平氏が終身主席の体制を作り、これまで以上の強権政策を続けようとしています。ロシアでは、プーチン氏が、これもまた圧倒的得票で、長期政権を手にしました。

 トランプ氏もプーチン氏も、習近平氏も、彼らは皆、軍事力を背景に、自国の利益のため政治を行います。三人の指導者に共通しているのは、彼らが愛国心を前面に出し、国民の支持を集めているところです。

 さらに共通点を言いますと、彼らには「弱い日本」がいてくれることが、好都合なのです。しかも彼らは、安倍首相よりはるかに独裁的で危険な指導者です。

 私が記憶している限りでは、去年の3月以来、安倍内閣を攻撃するマスコミの報道が、続いています。

 憲法改正を掲げる安倍氏が、圧倒的国民の支持を得て衆議院選挙に勝利して以来、マスコミが安倍氏を叩き始めました。全国のテレビ、新聞、週刊誌、雑誌と、全てが同じ調子で、安倍政権の不都合さを突き始めました。

 犯罪でもなければ、事件でもないものを、あたかも不正な闇であるように、悪意のごまかしがあるかのように連日報道しました。

 世界情勢が日本にとって危険な状態である時に、狙ったようになされるのですから、「外国のさしがね」があるのではないかと、そんな疑いを持つ保守の言動も出てくるのでしょう。

 もしかしたらNHKや朝日新聞など、反日・売国のマスコミや、反日・左翼の野党議員は、外国のために働いているのかもしれません。

 しかし「ねこ庭」にしてみれば、現在は、そのようなことはどうでも良いことと思えてなりません。試されているのは、国民自身、私たち自身です。

 息子たちのために、今日は、民主主義のイロハから、復習してみましょう。

 民主主義の国では、国民の多数の支持を得た政党が政権を担います。ですから、民主主義の国で、一番大切なのは「選挙」です。議員たちが最も恐れるのは、選挙民の反対と、強い批判です。選挙民にそっぽを向かれると、落選してしますから、議員の泣き所がここにあります。

 ここからが重要な話になります。

 「選挙民の支持」や「国民の支持」は、どこで分かるのでしょう。それは、私たちがよく知っている、「内閣支持率」と「政党支持率」の数字です。議員たちが最も気にしている数字です。彼らは、この数字で一喜一憂し、政治家としての人生を判断します。

 誰もが知っていることですが、「支持率」を調査し、発表するのは、マスコミです。全国規模での世論調査を好きな時にやれるのは、巨大組織のマスコミにしか出来ません。

 国民が賢くなり、マスコミをさほど信じなくなりますと、今までのようにはいきませんが、マスコミはまだ「内閣支持率」や「政党支持率」を作り出す力を持っているということです。

 公共放送のNHKを除けば、マスコミは全て営利会社ですから、利益のために動きます。1人でも多くの人が買ってくれる新聞、多くの人が見てくれる番組を、作ろうと頑張ります。

 マスコミ業界の常識は、、国民が一番喜ぶものがスキャンダルであるということです。学者でもスポーツマンでも芸能人でも、スキャンダルが大きければ大きいほど記事が売れ、番組の視聴率が上がります。

 政治家についても同じことで、派手なスキャンダルほど、マスコミの金儲けになります。

 「国民ために、真実を報道をする。」

 「健全な民主主義のため、社会の木鐸となる。」

 気高い社是を掲げている会社でさえ、スキャンダルでの金儲けに走っています。スキャンダルがなければ、作ってでも報道する会社もあります。これが、時々表に出る「やらせ事件」で、朝日新聞もNHKもこれまで何度か、これで失敗しています。

 スキャンダルという言葉を使うと、エロ・グロ・ナンセンスの話と思われがちですが、真実らしく、正義らしく、礼儀正しく語られるスキャンダルが無数にあります。

 大手マスコミが提供するスキャンダルは、国民の意識に影響し、時間が経てば世論となり、「内閣支持率」や「政党支持率」を動かします。だからこそマスコミは、「第四の権力」と言われたりします。

 息子たちには、世界のどこの国にも似た状況があることを、常識として欲しいのです。

  今、安倍内閣が倒れることは、日本には大きなマイナスです。憲法改正と女系天皇反対を公言する、後継総理がいないからです。絶大な権力を持つアメリカ、中国、ロシアの指導者と、臆せずに向き合える総理が残念ながら育っていません。

 それだから反日のマスコミと野党が、総理を倒そうと頑張るのでしょう。

 息子たちに本音で語るとすれば、安倍氏の弱点は「昭恵夫人」です。この自由奔放な女性を放任していた、無責任さと無能です。彼女を国会に呼べば、どんなことを言い出すのか。それこそ国がひっくり返るような話を、悪びれることなく喋るの可能性もあります。

 法律的に夫人の行為が無罪だとしても、総理が夫人をかばう限り、マスコミは「説明責任を果たしていない」と、スキャンダル報道が永久にできます。

 それを知っているから、野党の議員も執拗に国会で追及します。これを続けながら、そのうちマスコミが得意の世論調査をまたやるでしょう。

 「内閣支持率ダウン ! 」

 「自民党支持率 大幅低下」

 こういう文字が踊り出すと、自民党の議員の安倍総理離れが始まります。

 「こんな総理の下では、とうてい選挙が戦えない。」

 人気のない総理が解散をしたら、選挙での当選がおぼつかなくなるから、議員たちの言葉はいつも同じです。強いはずの総理もこうした内部の離反で、足元から崩れます。

 反日野党の議員と、マスコミが狙っているのは、ここです。

 果たしてそうなるのか、どうか。「ねこ庭」は今、自民党にも野党にも、マスコミにも、言いようのない嫌悪感を覚えますが、もし今、腐れマスコミの世論調査を受けたら、安倍氏への怒りがあっても次のように答えます。

    安倍内閣を支持しますか ?          支持する  ( しかない  )

       野党を支持しますか ?      支持しない ( 未来永劫  )

       支持する政党はどこですか。  保守・自民党  ( しかない  )

 今の日本は「内乱」状態だと、そう言った人がいます。気持ちは同じなのですが、負けず嫌いなので、日本が再建されるための「混乱」だと、答えました。

 長い歴史の中では、こんなことが幾らもあるはずです。「内乱」でも「混乱」でも、幕末の騒乱を思えばたじろぐ必要があるでしょうか。

 楽天的で、おめでたいと笑われても、「ねこ庭」はご先祖さまを信じています。ですから息子たちに贈るのは、先日読んだ本の著者である富田健治氏の言葉です。

 「日本の歴史、伝統、そして祖先を忘れて、何処に自分があるか。」

 「私はこの夏、欧米を回遊して、一層その感を深くしたのである。」

 すでに故人となっている氏は、信じられるご先祖さまの一人です。

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『戦没農民兵士の手紙 』-2 ( 石川武雄氏 )

2018-03-26 16:29:07 | 徒然の記

 戦死した兵士が書き残した手紙は、どれを読んでも涙を誘われます。

 「あとがき」の説明によりますと、それぞれの家庭で、息子を失った母や夫を亡くした妻たちが、折に触れては読み、涙を流していたものだと言います。

  ・この手紙を集める運動は、それは生易しいものではありませんでした。仏壇の抽き出しや、あるいはタンスの奥深く、帰らない人の形見として遺された手紙でしたから、簡単に借り出せるものではなかったのです。

  ・それは先ず、遺族の方々に手紙を集める意図を理解していただくことから、始まりました。

  ・それ以上に大事だったことは、この仕事をするのはその遺族の方々に、日頃から、信頼を得ている者でなければならなかった、ということです。」

 「岩手県農民文化懇談会」の会員たちは、1年半をかけ、728名分の手紙、2873通を集めました。石川武雄氏ら会の責任者たちは、先の『わだつみのこえ』の時と似た基準で、手紙の篩い分けをしています。

 昭和24年の時は、GHQの命令で実施したのですが、昭和36年には、自分たちが自主的に行いました。

  ・軍隊には防諜と言う理由から、手紙の検閲制度というものがあります。戦争が苛烈になるにつれ、一層厳しくなり、地名や気候のことすらろくろく書けず、妻子に愛情を訴える手紙すら、女々しい振る舞いとして、私的制裁の材料ともなり得ました。

  ・結局筆にし得たものは、滅私奉公軍務に精励、粉骨砕身尽忠報国などという、幾つかの決まり文句に限られていたかの感がありました。

  ・したがって大部分の手紙、いわゆる紋切り型の手紙、それらは書いた手紙というより書かされた手紙であると考え、あえて割愛した訳であります。

 「あとがき」を読みますと、いろいろなことを教えられます。また、「はじめに」の中では、氏が本書に協力した人たちに、お礼を述べている箇所があります。

  ・岩波書店の岩崎勝海氏には、盛岡での編集会議の都度ご出席をお願いした。

  ・本書の編集にあたっては、阿部知二氏のご教示を得た。これら沢山の方々に、厚く謝意を表する。

 予測していた通り、岩波書店が編集に関与していました。ブログを書きながら気づいたのですが、この本が作られていた時は、戦没学徒の遺族と岩波書店が裁判で争っていた時期と重なっていたのではないでしょうか。

 GHQがいなくなったので、学徒の手紙を元の文章に戻し、割愛した手紙も掲載して欲しいと、岩波書店が訴えられていた時です。

 良心的左翼、人道的平和主義を標榜する岩波書店は、東京で争いながら、『きけわだつみのこえ』に次ぐベストセラーを狙い、岩手県で営業活動をしていたのかも知れません。

 「ねこ庭」が突然思いついたことなので、訪問された方は聞き流してください。

 何気なく手に取る本一つにも、いろいろな要素が絡んでいるものです。前回は省略したのですが、編集を教示した阿部知二氏も問題のある人物です。ネットで得た情報を、参考までに紹介します。

  有名な作家なので、ご存知の方も多いのでしょうが、氏は明治36年に生まれ、昭和48年に71才で亡くなっています。肩書きは、小説家、英文学者、翻訳家です。

 「ねこ庭」が懸念を覚えるのは、次の部分です。

 ・彼は戦後、「 新日本文学会」 に所属し、世界ペンクラブ大会日本代表として、各地の平和運動に感銘を受けるなど、進歩的文化人として活躍した。

 ・しかし戦時中の氏は、次のように語っていた。

   「無限の発展の可能性を包蔵する、新世界創造の時機が来た。」

   「わが民族に与えられたこの使命は、元より歴史の始原のときから明らかになっていたことであるが、今更にこの偉大な自己発見の感動に打たれている。」

 ・昭和17年7月、『婦人公論』誌掲載の 『 闇を追う光明の戦』での戦争讃美や、陸軍宣伝班員として敵性図書の検査・没収を行っていた。

 ・戦後イギリスの新聞記者に、彼はイギリスの捕虜を殺す間接の手伝いをしたのかもしれないと書かれたことがある。

 ・昭和32年出版の、暴露本『進歩的文化人 ・学者先生・戦前戦後言質集』には、阿部についてつぎの副題が付けられている。

  「阿部知二(作家・日本文学学校長)戦争謳歌で浮かれ狂う、便乗作家 」

 過日の「ねこ庭」でも書きましたが、氏は戦後の日本に星の数ほどいた「変節漢」の一人です。戦前は軍部に迎合し、戦後はGHQに迎合した著名人です。

 今更驚くには当たらないのですが、こうした無節操な進歩的文化人が、戦没兵士の手紙へ口を出し、日本の過去を歪めているとなりますと許せない思いがします。

 息子たちが平和を愛し、戦争を憎むのなら、それはそれで良しとします。しかし岩波書店の本が、こうした状況で世に出されていることは知っておいて欲しいと、父は願います。

 父として、息子たちに次の言葉を贈ります。

 「書物は頭から信じるものでなく、まず読むものである。」

 新聞でも本でも、本来は信じるものを求めて読むものですが、反日左翼の強風が、日本の過去や歴史を破壊している現在においては注意が必要です。

 二回も「ねこ庭」を書いたのに今日も本題に入れず、周辺の説明で終わりました。こんな読み方があるのかと自分でも疑問を抱きますが、意識しているのでなく、気がついたらこうなっています。

 どんな読み方をしても、優れた本は人の心を打ち、つまらない本は、それだけのものでしかありません。石川氏と岩波書店が、どれほど過去の日本を打ち消そうとしても、手紙を残した兵士たちは私たちに語りかけます。

 いくら制約があっても人は伝える力を失わず、読む者も書き手の心を理解すると、明日からはその実例を紹介します。

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『戦没農民兵士の手紙』 ( 岩手県農民文化懇談会編 )

2018-03-25 22:22:31 | 徒然の記

 岩手県農民文化懇談会編『戦没農民兵士の手紙』( 昭和36年刊 岩波新書 ) を読み終えました。

 読みながら頭に浮かんだのは、昭和24年に、東京大学協同組合出版部が世に出した、『きけわだつみのこえ』でした。空前のベストセラーとなり、戦後日本の、反戦平和運動の先頭に立つ本としても有名になりました。

 この本の読者の声が、ネットに掲載されていましたので、その一つを紹介します。

 ・高い知性を持ちながら時代の波に呑み込まれ、希望を絶たれた若者の無念が、悲痛な叫びとなっている。
 
 ・死を前にした兵士の胸にこみ上げるのは、父母への感謝、残される家族への気遣い、幼き日々への郷愁である。
 
 ・彼らの尊い犠牲に報いるためにも、日本は二度と戦争をしてはいけない、その思いをさらに強くした。

  学生時代に私もこの本を読み、強く心を動かされた一人でした。この読者と同じく、戦没学生の尊い犠牲に感謝しましたが、「日本は二度と戦争をしてはいけない」と考えず、「彼らのように、自分の国を守ろう」と心に誓いました。

 当時も、そしておそらく現在も、私のような読後感を抱く者は少数で、多くの人がこの読者のような反戦・平和志向となったのだと思います。

 昔なら黙っているのですが、ここまで反日思想が吹き荒れ、日本の過去が踏みにじられるのを見ていますと、果たしてこれでいいのかという疑問が自然と湧いてきます。

 本日もテーマに入る前段階として、自分が得ている情報を整理してみたいと思います。

 朝日新聞だけでなく岩波書店にも、長い間騙されてきたという思いがあります。反戦平和、人道主義、自由と平等など、これらはみな学生だった私の心を強くとらえた言葉でした。

 しかし調べてみますと、岩波書店も朝日新聞に負けない偏向の会社でした。

 昭和24年に、『きけわだつみのこえ』が出版された時、日本はまだGHQの統治下にありました。

 このため戦没学徒の手記は、厳しい検閲を受け、戦争を賛美したり、肯定するような文言がすべて削除されました。米国を批判するような言葉は、もちろん削除です。それだけでなくGHQが認めない内容の手記は、取り上げられなかったと言います。

 昭和26年に、サンフランシスコ講和条約を批准し日本が独立した後、戦没学徒の遺族から、岩波書店に要望が出されました。しかし話がまとまらず、結局裁判沙汰になりました。

 昨年7月の「ねこ庭」で取り上げ、同じ内容になりますが、大切なことですから何度でも紹介します。

 遺族の要望は次の二点でした。

   1.  GHQの検閲で削除等修正された箇所を、元の文章に戻してもらいたい。

   2.  GHQの検閲のため取り上げられなかった、戦争肯定の手記も取り上げて欲しい。

  岩波書店は『わだつみのこえ』を、何度も自社で出版していますが、両論併記をした『戦没学生の手記に見る15年戦争』の出版を、断りました。

 良心的、人道的平和主義を標榜する岩波書店は、一度決めたら反日・亡国の主張を捨てない、朝日新聞と同じ体質でした。結局、昭和38年に、『戦没学生の手記に見る15年戦争』は、光文社がカッパブックとして出版しました。

 こうした出来事は報道されませんので、国民は知りません。知っていれば、「報道しない自由」を武器に、戦後のマスコミが、日本の歴史や過去をどんなに思い通りにしてきたかが見えて来ます。

 岩手県農民文化懇談会とは、いったい何であるのか。

 「ねこ庭」は、ここからひっかかりました。

 個人でなく、団体が編集者になる本は、幾らでもあります。「憲法問題研究会」、「平和を考える市民団体」など、一見最もらしい団体名が、本の出版者となる例は沢山あります。

 しかし戦没農民兵士の手紙を集め、全国へ出版するのに、どうして「岩手県」でなくてならないのか。戦没農民兵士の出身者が、岩手県に集中しているという訳でもありません。岩手県だけに、なぜこうした「農民文化懇談会」が発足したのか。

 本の裏扉にいつもは著者略歴が掲載されていますが、今回は「岩手県農村文化懇談会」について紹介されていました。

 ・1957(昭和32年)9月、岩手県下の農民、改良普及員、教師、保健婦、農協職員など百余名によって作られ、農村の文化運動を推進している団体

 ・事務局・・ 岩手大学農学部石川研究所気付 連絡責任者・石川武雄  

 石川武雄氏については、情報が少しだけ見つかりました。

 ・大正10年島根県で生まれ。昭和39年に岩手大教授

 ・昭和29年に、農民教育の場として岩手農民大学を設立

 ・平成14年9月、81才で逝去  肩書きは、 農業土木学者

 これが岩手農村文化懇談会の、前身なのかもしれません。氏は何か事情があってそうしているのか、それとも控えめな人間だからかなのか。著者と特定できる人物がハッキリいたしません。

 間違っていましたら申し訳ないのですが、「まえがき」と「あとがき」を書いたのは、同名なので石川武雄氏と推測しておきたいと思います

 どうして根気強く調べるのかと言いますと、「集められた農民兵士」の手紙の内容と、「それを読んでいる解説者」の説明の中身が、とてもズレているからです。

 手紙を書いた兵士は、花が白いと語っているのに、読んだ解説者は、花が赤いと説明しています。読者を間違った方向へ誘導する、反日マスコミの方法に似ています。

  今朝方、大濱徹也氏著『天皇の軍隊』の紹介を止めたのは、捏造に近い偏見があったからでした。

 今回「ねこ庭」を警戒させたのは、「まえがき」の叙述でした。

 ・本書の編集にあたっては、阿部知二氏のご教示を得た。さらに、国民教育研究所の方々から、多大なご協力をいただいた。」

 国民教育研究所をネット調べてみますと、次のような説明がありました。

 ・昭和32年(1957年)に、日教組が設立した教育研究所

 ・教育に関する、調査・研究を行うもので、本部は東京都にある

 ・1960年 ( 昭和35年 ) 代後半には,各都道府県の教職組合で、研究所設立の動きが高まった。

 ・これらの研究所が加盟する「全国教育研究所連盟」からは、研究年報が発行されている。

 石川氏が、岩手大学内に「岩手県農村文化懇談会」の事務局を置いた年と、教育研究所設立年が、すっかり重なります。単なる、偶然なのでしょうか
 
 大濱氏の著作が、朝日新聞の慰安婦問題と歩調を揃える形で出版されたように、石川氏の著作には、日教組と岩波書店という反日・左翼勢力との連携があるのではないかと、思えてきます。
 
 息子たちに伝えたいのは、国内の反日・左翼勢力が、どんなに広範囲に連携しているのかという事実です。自分の知識や経験を過信し、相手を侮ってはいけないということでしょう。
 
 これだけの予備知識、反日の人々に言わせれば「偏見」を頭に入れ、明日から具体的な中身の紹介をします。
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『天皇の軍隊』 ( 大濱徹也氏の著書 )

2018-03-25 00:07:03 | 徒然の記

 大濱徹也氏著『天皇の軍隊』(  昭和53年刊 教育社 ) を、読了。

 三潴(みつま)氏の著書の後に、この本を読みますと、両極端の思想に接することになります。天皇崇拝の三潴氏から、左翼系教授の話ですから、興味深い経験をさせられます。

 昭和12年生まれの大濱氏は、存命ならば81才です。東京教育大(現筑波大)卒業後、同大の歴史人類学系教授、名誉教授を経た後、国立公文書館フェロー、淑徳大学客員教授をしています。肩書きは、日本の歴史学者です。

 簡単に言いますと、東京裁判史観に立った、「天皇の軍隊」の歴史的解説書です。

 東京裁判史観に立っていますから、「極悪非道な日本軍」はどのようにして作られたかを、明治初期から資料を基に説明しています。

 明治時代の日本は農民が80パーセントでしたから、無知蒙昧な彼らが、どのようにして皇軍の兵として鍛え上げられたかを、批判的な視線で叙述しています。

 でも私は、今ではこうした左翼教授の著書を手にしても、さほど驚かなくなりました。敗戦以来つい2、3年前まで、学者と言われる人物の出す書物は、ほとんど全て、東京裁判史観の上に立って書かれていると知ったからです。

 「日本だけが間違った戦争をした」「日本軍だけが、他国を侵略し、暴虐の限りを尽くした。」・・とこれが出発点で、何が何でも日本は間違いを犯した、悪い国として語られます。

 本論に入る前に、著者が使っている「15年戦争」という言葉を、説明しなくてはなりません。

 15年戦争とは、昭和6年(1931年)の満州事変から、昭和20年(1945年)にポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争が終結するまでの戦争を、総称した呼称です。日本の先の戦争を、原因から結果まで論じることができるとして、反日学者・ 有識者などに利用されているのだそうです。

 保守系の人物や学者は、幕末から敗戦までの全ての戦争を「東亜百年戦争」と言いますので、「15年戦争」という用語を使うのは、反日・左翼学者と公言するのと同じことになる、と「ねこ庭」は理解しております。

 ・日清戦争が戦死者977人、傷病兵28万4526人であったのに対し、日露戦争は、戦死者4万6423人、傷病兵166万8076人となるほど、苛烈な戦争であった。

 ここで氏が言いたいのは、日露戦争時の傷病兵166万8076人のうちに、性病にかかった兵士が1000人あたり、2、30人いたという事実です。

 211ページの中の、139ページの部分の叙述ですが、なぜ最初から紹介せず途中からやるのかと言いますと、氏が反日・左翼教授ということを示す言葉を発見したためです。

 日本だけの特殊事情であるように氏は語っていますが、世界のどこ国の軍隊も、兵の疾病対策には苦心しています。精神的、身体的病気から、兵の健康を守ることが、軍の士気を大きく左右するからです。

 そうであるのに氏は、兵の花柳病 ( 性病 ) に関する話を、大正元年から昭和2年までの資料に基づき、次のように説明します。

 ・これほど花柳病が、兵を侵す病毒となった原因は、兵士の個人的な理由である以上に、非人間的兵営生活が彼らを抑圧し、安い私娼の世界へ走らせたためであった。

 ・それは、兵士個人の自覚の欠如からきた病気であるというよりも、兵士を物として扱った軍隊が、必然的に負わねばならなかった社会病理の典型だったのである。

 性病の浸透は、軍隊生活の非道な圧迫と、理不尽な日々から生ずるもので、全ては軍に責任があると氏は主張します。そして次のように続け、韓国を喜ばせる慰安婦問題につないでいきます。

 ・ここに帝国軍隊は、兵士の頭脳のみならず人体の下部にいたるまで、兵士の心身を監視統轄する必要に迫られた。

 ・それは15年戦争下において、軍の督励指導のもとに、従軍慰安婦の名で女たちを戦地に送り込む、遠因となっていたと、言えよう。

  ネットで調べますと、憎むべき売国詐欺師だったあの吉田清治が、『朝鮮人慰安婦と日本人』という本を出したのが、氏の著作が出版される1年前の、昭和52年でした。

 朝日新聞だけでなく大濱氏も、吉田清治の大嘘を活用し、「日本軍罪悪説」を世間に広めていたことが分かりました。

 朝日新聞は吉田清治の本の出版以後、約40年間もの長い間、慰安婦の捏造記事を世界に発信してきました。朝日新聞だけでなく、氏のような反日・左翼の教授や学者たちと、反日野党の政治家が騒ぎ立てたのですから、日本の歴史が台無しにされるはずです。

 どんな内閣もマスコミが一斉に、3ヶ月間ネガティブ・キャンペーンをすれば倒される、というのが常識らしいのですが、振り返りますと確かにそうでした。

 日本中の新聞が大見出しで攻撃し、テレビが毎日悪口を報道すれば、誰でもその気にさせられてしまいます。かっての「ねこ庭」は、マスコミが攻撃すれば、叩かれる人間が悪いのだと考えていました。

 マスコミを信じていたからですが、慰安婦問題以来、彼らの捏造の悪どさを知り、信頼するのを止めました。

 氏の著書が出版された昭和50年代なら、まだ「ねこ庭」がなかった時なので、私も「お花畑の住民」になっていたかもしれません。

 氏の本は、反日・左翼の活動がいかに広範囲に、しかも巧みに行われていたのを、教えてくれる材料でもあります。これだけ日本中が、東京裁判史観で染められていたら、自民党の議員諸氏を「国会で眠っていたのか」と攻め立てるのも、一方的かと思ったりします。

 いやそんなことではなく、自民党の議員の中に、朝日新聞や反日学者と同じ意見を持つ者がいるのですから、「憲法改正」の困難さが一層分かります。

 今回も話が横道へ外れましたが、ついでにもう一つ、横道へ進みます。

 ネットで私が調べたところでは、日清戦争時の日本軍の総数は、約24万人で、日露戦争時は、約30万人となっていました。

 そうだとすれば、氏の言う日清戦争時の「傷病兵28万4526人」と、日露戦争時の「傷病兵166万8076人」とは、いったいどこから持ってきた数字なのでしょう。

 軍人の数より傷病者が多い多いのですから、おかしなデータです。「ねこ庭」のように、いろいろ調べる人間が少ないせいで、氏のでたらめな数字が見過ごされていたのでしょうか。そうなると、氏の本自体が朝日新聞に負けない捏造の悪書となります。

   1. 「国民皆兵の虚実」 2. 兵営への道   3. 兵営生活の虚実

   4. 天皇と「股肱の臣」 5. 兵士たちの素顔 6. 出征兵士と留守家族

   7.  「皇軍」哀歌

 以上7章に分かれ、氏の意見が述べられていますが、続ける気持が無くなりました。読者が疑わないのを良いことに、おかしな数字を使う心根の卑しさが私を失望させます。

 期待する人はいないと思いますが、本日で氏の本の紹介を終わりにします。

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『統帥権について』 - 7 ( 昭和天皇の「お言葉」 )

2018-03-21 14:07:47 | 徒然の記

 三潴 ( みつま ) 氏の著作には、多くの貴重な意見がありますが、今日で終わりにしたいと思います。

 はじめに申しました通り、「ねこ庭」は「統帥権」で苦労した富田氏の意見に賛成しています。軍部の独走を誘発する「統帥権」には、賛成しません。

 氏の意見のうち、前回までは「ねこ庭」と違わない部分を紹介しきましたが、最後の今日は、大きく乖離する部分を紹介したいと思います。

 ・大日本帝國憲法第三条の、「天皇ハ、神聖ニシテ、侵スベカラズ」ということは、何もプロシャの独裁君主の真似をしたのではありません。

 ・そうでなくて、わが国古来の伝統にのっとって、天皇は日本の生命の大黒柱である、一切の生命の中心者であられると、そう意味における、神聖不可侵を言っております。

 ここで氏は、大日本帝國憲法のゲルマン法的解釈を述べています。念のため、氏のゲルマン法的解釈もう一度紹介します。

 ・ゲルマンの思想は全体主義でなく、本来みんな一心同体だといういわば生命の原理というか、そういうところから出発しているのです。

 ・だから人間同士の間でも、決して利害損得とか権力の対立関係などを、互いの秩序の基礎とは考えず、本来みんな一心同体だと、そこから出発しているのです。

  これ以後氏の説明は、次第に宗教と同じになりますが、統帥権はあくまで現実政治の論理であり、法律上の問題です。
 
 ・さてそこで、軍隊というものは何を守るのかということです。どこの国においてもそうでしょうが、国防の本義は自分の国を守るということであります。
 
 ・つまり、国体を守るということです。国の大黒柱である、中心をお守りすることが一番大切なことになるのでありまして、万世一系の天皇様をお守りするということです。
 
 ・これが、建軍の本義であらねばならないのです。
 
 氏の論理を推し進めていけば、このような結論になります。しかし昭和天皇は、最後の御前会議でポツダム宣言を受け入れる時、次のように述べられています。
 
 「皇土と国民がある限り、将来の国家生成の根幹は十分であるが、この上望みのない戦争を続けるのは、全部を失う惧れが多い。」
 
 「事ここに至っては、国家を救う道は、ただこれしかないと考えるから、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、この決心をしたのである。」
 
 「今まで何も聞いていない国民が、突然この決定を聞いたら、さぞかし動揺するであろうから、詔勅でも何でも用意してもらいたい。あらゆる手を尽くす。」
 
 「ラジオ放送もやる。」
 
 ここまで天皇を崇める氏が、陛下の大切な「お言葉」を知らなかったのでしょうか。皇土と国民を失っては全部を失うと語られ、ご自身の安全さえ守れば良いとは語っておられません。
 
 これを知る者には、以下の氏の説明の空疎さが目立ちます。
 
 ・そこで軍人勅諭においては、一番はじめにわが国の軍隊は、万世一系の天皇の統率したまうところにあるとなるのです。
 
 ・ただ天皇統治とか、天皇主権とかいうことでなく、万世一系のという言葉がつくのです。
 
 ・天照大神の御霊を受け継がれて、何代にもわたり変わらず御一柱であられるということです。
 
 ・あくまで万世一系の天皇さまが、いつでも御祖先の大御心を抱かれて、いろいろの時代いろいろの事情によりまして、ある場合には大きく花がひらき、ある時は冷たい風に当たる時もあるわけです。
 
 ・個々の天皇さまがお立ちになっていることを、西洋の君主制のように解釈しては間違いだと思います。
 
 平成15年に氏は87才で亡くなっていますから、今回上皇陛下がNHKを使い、国民に述べられた『お言葉』については知らないままです。
 
 たとえ知っていたとしても、氏は敬い伏すだけだったのかもしれません。氏のように、陛下が国民・国土を超越した絶対の存在という意見に、「ねこ庭」は合点がいきません。

 上皇陛下の退位の『お言葉』について、「ねこ庭」では次のように述べました。

 ・私を責める保守の人々は、いったいどこに目を向けているのだろうか。

 ・彼らは、本当に日本を思う保守なのだろうか。それとも単に天皇陛下万歳と、叫びたいだけの愚かな右翼なのだろうか。

  同じ疑問を、氏に向けたくなってきます。「ねこ庭」は無批判に天皇を崇拝する頑迷保守の人々を、嫌悪します。
 
 論理が整っていても、狂信と紙一重の理屈には賛同しません。右でも左でも、極論は日本に害をなします。大事なのは庶民の常識だと、いつも考えています。
 
 「ねこ庭」では、三潴 ( みつま ) 氏のゲルマン法の説明より、統帥権と戦った富田氏の意見を昰とします。
 結論を紹介して、このシリーズの終わりといたします。
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『統帥権について』 - 6 ( マスコミの「報道しない自由」 )

2018-03-20 19:41:48 | 徒然の記

 本日はいよいよ「統帥権」について、氏の著作の本題に取り組みます。

 何度か読みましたが、今ひとつ理解に至りません。長くなりますが、根気強く紹介し、紹介しながら考えます。

 ・統帥権の独立、という言葉があります。・これ軍隊の統帥が、法律事項でないことを意味しているわけです。

 ・統帥権は、何からの独立かということを、ハッキリさせなくてなりません。

 ・これは戦前においてもしばしば曖昧であって、東大や陸海軍の部内においても、憲法からの独立という解釈すら出ておったのです。

 ・それから、政府からの独立である、という解釈もあった。

 ・そういう混乱が、軍を誤らせた点につながったと思います。

 ・統帥権の独立とは、国会からの独立ということなのです。つまりこれは、法律事項ではないということで、これが統帥権独立の根本義です。

 ・こういう考えが出てくるまで、ヨーロッパにおいても、幾変遷がありました。

 ・第一次大戦の頃、フランスでも、こういうことを国会で論戦したのです。

 ・ところが国会で、ああだこうだと議論しておったら、作戦も間に合わないし、秘密保持も何もあったものではない。これでは大変だと、考え直したわけです。

 天皇と直結した統帥権が問題なのですから、天皇のおられないヨーロッパの話が、なぜ出てくるのか。「ねこ庭」の疑問が始まります。

  ・したがって統帥権は、法律に基づく、行政作用の下に立つものではありません。

 ・今の自衛隊と違って、本来の軍隊は行政官庁ではありません。そうでなく、国家の統制作用の下に立つものである、ということです。

 ・以前は、統帥権の独立などと言って軍部が独走し、勝手に戦争をやったから、いけないのだ。

 ・だから今度は、シビリアン・コントロールでいくのだ、という議論が、自衛隊の中でも内閣でも、今平気で行われているけれど、これは意味をなさぬのです。

 ・シビリアン・コントロールであると同時に、それでいて、統帥権の独立なのです。ここが非常に重要な点ですから、ひとつ、よく吟味していただきたいと思います。

  この辺りから、分かったような、分からないような、それでいて、日本人なら、簡単に否定できない氏の意見が出てきます。

 ・統帥権の独立があったから、軍が独走したのだというのは、実に卑怯な、泣き言だと思います。

 ・今は軍隊が無くなっているものだから、責任を全部転嫁し、軍隊のせいにしていますけれど、あれだけの戦争をやるのに、いったい軍隊が独走なんかできるものですか。

 ・内閣も産業界も国民も、みんながそっぽを向いても、軍が独力でボンボン突っ走る。そんなことは、できっこありません。

 ・そうではなくて、やはりみんなが、欣喜雀躍といっていいくらいに、今までアジアの有色人種を侵略してきた白人優越の世界史の間違いを、打破するのだ。そして東亜永遠の平和を、築き上げるのだと、そういう理想に燃えて、立ち上がったことは、確かに間違いないのです。

 昭和48年に、氏が述べた意見です。

 「軍国主義の日本の間違い」「絶対的天皇制のアジア侵略」と、東京裁判史観が日本に浸透していた時の意見です。

 先日の、長尾たかし氏の言葉を思い出してみましょう。

  ・20年くらい前までは、憲法改正という問題は、タブーでした。
 
 ・口に出した政治家は右翼だと攻撃されますし、特に九条には触れるな、と言われていましたね。

 20年前といえば、たかだか平成10年代です。その時でさえ憲法問題を語ることがタブーだったのなら、昭和48年にこんな意見を公表すれば、東大を追放され、冷遇されるわけです。氏の勇気と無鉄砲さと、信念の強さを感じさせられます。愚かな政治家長尾氏の無知な説明と比較しながら、氏の意見を読むことにします。

   ・日本は戦闘には負けたけれど、戦争に勝ったか負けたかは、まだ分からない。

 ・むしろ、戦争目的を達したかどうかが、大事な点です。身を殺して仁を為す、という言葉もあります。

 ・とにかくあの戦争から戦後にかけて、有色民族の国がアジアどころか、アフリカその他の方面でも、独立したではないですか。

 日本はこれからも国際社会で、有色民族のため新しい国際秩序の形成に努めなくてならないと、氏は結びます。

 日本は戦闘には敗れたが、アジアの解放には成功したと意気軒昂です。頑固な保守の独りよがりだと、先日まで「ねこ庭」ではそう思ってきました。

 「温故知新」の読書で、タイの元首相ククリット・プラモート氏が、昭和50年に語った言葉を知りましたので、氏の意見を頑迷保守の思い込みと、簡単に片づけられなくなりました。 

 タイの元首相ククリット・プラモート氏の言葉を紹介します。

 「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。」
 
 「日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。」
 
 「今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。」
 
 「それは身を殺して仁をなした、日本というお母さんがあったためである。
 
 「12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。」
 
 「さらに8月15日は、我々の大切なお母さんが、病の床に伏した日である。」
 
 「われわれは、この二つの日を忘れてはならない。」
 
 こんな談話が出されていましたのに、NHKと朝日新聞が国民に伝えることをせず、敗戦後72年間、毎年毎年
 
 「日本は間違った戦争をした。」
 
 「アジア諸国を侵略した。」と、悪口ばかりを報道しました。
 
 調べてみますと平成6年には、ククリット氏のだけでなく、マレーシアの首相だったマハティール氏が次のように語っていました。
 
 「日本が、50年前に起きたことを謝り続けるのは、理解できない。」
 
 「過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。」
 
 「日本は、これからのアジアの平和と安定のため、国連の安保常任理事国となり、すべての責任を果たしてほしい。」
 
 「過去の反省のため、日本がPKOの派遣もできないのは、残念なことだ。」
 
 いい気になってはいけませんが、三潴 (みつま ) 氏の意見を冷笑するのを止め、日本の現状を再検討する必要があります。
 
 氏が全部正しいというのでなく、アジアの指導者たちの中に、こういう見方をする人物がいる事実を知ることが大切なのです。
 
 NHKや朝日新聞が日本を貶め、国民を萎縮させる偏った報道をしてきた事実が、こんなところで明らかにされました。
 
 ククリット氏やマハティール氏の言葉が国民に伝わらないのは、「報道しない自由」を、腐れマスコミが駆使してきた証拠です。
 
 息子たちに言います。昔の本をバカにしてはいけません。三潴氏の著作に感激したり感動したり、父はそのようなことを望んでいるのではありません。自分の住む国を大切にし、ご先祖を尊敬する心を失わず、正しい知識を求めてください。
 
 自分に言い聞かせながら、息子たちに贈る言葉です。スペースが無くなりましたので、続きは次回とします。
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『統帥権について』 - 5 ( 日本の神話と聖書の神話 )

2018-03-19 19:44:59 | 徒然の記

 三潴(みつま)氏の著作でうなづかされたのは、次の叙述でした。

 ・日本での革命や、日本の転覆を図ろうとする人たちは、日本国民が、西洋史にあまり慣れていないことを奇貨として、非常に勝手なことを流します。」

 ・いかにも西洋においては、こういう原理が立っておるぞと、いうようなことを流布するのであります。

 ・真に国を憂える方々は、こういうことに惑わされないで、ヨーロッパのことも、本当はどうなんだと、しっかりつかまえておく必要があります。

 これは一般論としても、そのまま通用します。

 明治の文明開化以来、西洋を崇拝する気風が強いわが国では、フランスやイギリスやドイツなど、ヨーロッパの思想や芸術を、学者や文化人たちが紹介してきました。お陰で、日本の近代化が進んだのですが、中にはいい加減なものもありました。

 トインビーだ、サルトルだ、トフラーだと、西洋人の名前が氾濫し、われもわれもと飛びついた風潮がありました。これからも続く日本の国民性なので、氏の警告は傾聴に値します。 

 ・もしも祭政一致ということが、近代国家に合わないというのならば、なぜ英国において、英国教会というものが国教になっておるのか。

 ・国教を持っている国は、沢山あります。

 ・中南米の国々もそうだし、東南アジアの仏教国もそうであります。アメリカの大統領が就任する時だって、バイブルに手を置いて宣誓いたします。

 ・英国のように、真正面から国教を制度化していなくとも、何らかの意味合いにおいて、国民生活の根本に、国家の道としての、心としての、主たる宗教があるということは、そんなに珍しいことでは、ないわけです。

 ・むしろ、その方が多いわけです。

 常々そう思っていましたので、身を入れて読みます。

 ・戦後の日本は極端で、学校において、日本の精神的伝統である神道について、神の道について、触れることもできないでいる。

 ・こういうようなことは、唯物史観からくるものでしょうが、とんでもない話だと思うのです。

 ・国全体の公の行事としては、いかなる場合においても、神宮、神社へのお参りをしてはならないと、そういうことになっております。

 ・天皇陛下がご参拝になる時ですら、天皇としてではなく、裕仁さま個人としてやって頂きたいということで、誠におかしな話です。

 ・戦前には、一番大切だった陛下の神事が、国家の行事でなくなりました。

 ・国の機関も、国民も、あっちを向いていてくれ、勝手に陛下がなさりたければ、なさるのだと、こういうことになっております。

 ・しかしこれは重大な問題で、国体の根本的破壊であるということを、つけ加えておきます。

 ・国家というものが大きな人格体であり、自主的普遍我である以上は、そこで一番大事なものはやはり精神生活であり、祭りであるということです。

  このあたりから本論へ入り、難しい言葉が出てきますが、3日前に紹介した、氏の言葉を思い出すと、何となく思いが伝わってきます。

 ・ところがゲルマン法というのは、もともとが農本国家、農業民族です。

 ・だから自然を征服するとか、自然との戦いとかいうのではないのです。

 ・農業民族というのは、自分は、もともと天地から生まれたもので、天地自然と一つになっていくと、こういう道(意識)を持っておるのです。

 ・だから人間同士の間でも、決して利害損得とか、権力の対立関係などを、互いの秩序の基礎とは、考えていないのです。

 ・本来みんな一心同体だと、そこから出発しているのです。

 ・ゲルマンの思想は、全体主義でなく、本来みんな一心同体だという、いわば生命の原理というか、そういうところから、出発しているのです。

 その一心同体の中心にあるのが、「天皇である」という認識です。息子たちに言います。日本には左翼の反日学者だけでなく、こういう考え方をする学者もいるのです。

 ・神武天皇の御即位の時というのが、日本の国の一番初めではありません。

 ・これを建国の日といって、この日に日本が始まったと考えたらおかしいのです。

 ・日本書紀の中には、天孫降臨から神武天皇の御即位までが、百七十九万何千年と書いてあるくらいで、いつの頃かわからないがとにかくずっと昔から、権力主義や利益主義によらず、おのずからなる一心同体として、だんだんだんだんに、日本の国が、無理なく生成、発展してきたということなのです。

 氏の説明は、戦後に生まれ、民主主義教育で育った私には、そのまま伝わってきません。

 敗戦後左翼系の学者たちが、氏のような考え方を「非科学的」「作りごと」と批判攻撃しました。ついに政府が排斥し、日本の片隅へ押し込んでしまいました。

 左翼系の学者ばかりでなく、理知を売り物にする文化人などが、「非科学的」という言葉を武器に、日本古来の思想を冷笑し排斥しています。氏の意見に従えば、キリスト教の経典の「非科学性」はなんと説明するのかと、こういういう話になります。

 処女懐胎やキリストの死後の蘇り、あるいは海が避けたり、天が割れたり、荒唐無稽としか思えないことが信じられ、語り継がれています。

 西洋の神話と肯定するのなら、日本の神話もどうして同じことにならないのでしょう。天孫降臨も、天の岩戸も、日本武の東征も、日本の神話です。

 そうなると日本人の学者として、氏が神話を研究し肯定しても、不都合はありません。「ねこ庭」が注意するのは、天皇を絶対的な存在とする氏が、「統帥権の確立」なくして国軍は成立しない、という意見の持ち主だというところだけです。

 初回のブログで述べましたが、「ねこ庭」では富田氏の意見が正しいと考えています。国民を惑わせる一途な天皇賛美には、与しません。

 富田氏の著書を指針としながら、明日も、「ねこ庭」に向かいます。日本の過去を知るため、迷いつつ、ためらいつつ読書をしている父を、いつか息子たちが理解してくれる日が来ることを楽しみにして、本日はここまでといたします。

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