赤い花なら 曼珠沙華
オランダ屋敷に雨が降る
ネットを見ていたら、こんな歌に遭遇した。昭和13年の歌というのだから、女性歌手の名前も、顔も知らない訳だ。知らないけれど、無性に懐かしく、切ない思いがした。説明書きによると、満州から引き揚げる人々が口ずさんでいた歌だと言う。
復員輸送船「萩の船」の歌のように、誰に教わった訳でなく、周囲の大人たちの歌っていたものが、幼い心に刻まれた・・・と、そうなのかも知れない。
ソ連との国境にある、ハイラルから日本まで、ソ連兵たちに目を付けられないよう、顔に泥を塗り、男のように頭髪を短く切り、母は、私を背に負って引き揚げて来た。どうせ自分たちは生きて帰れないのだと、子どもを欲しがる現地人(母は満人と言った)に、自分の子を渡している人が沢山いたと、母に聞いた。
そうした子どもたちが、いわゆる「中国残留孤児」だ。今では報道も無くなったが、ひと頃は、テレビでも新聞でも、親捜しの番組が世間を賑わせていた。
父がシベリアから復員して来たのは、私が4才のときだった。
戦争の恐ろしさや悲惨さは、何も知らないが、それでもあの貧しかった戦後を、懸命に生きていた両親や、周囲の大人たちの姿が、おぼろな記憶に残っている。この歌の哀愁を帯びたメロディーは、そっくり当時の情景と重なる。
「長崎物語」という題名の歌だと、本日初めて知った。
しっとり、心に響く歌を歌うこの人は、とっくに亡くなっているような気がする。
父も既に世を去り、94才の母が、いつまで生きていてくれることか・・、そんなことを考えていたら、70過ぎの自分だって、どこまで生きられるのか、命の儚さが妙に、胸に迫る。
戦争そのものは知らないが、私の中には「日本の戦後」が息づいている。
あと何年かしたら、この世とおさらばするのだから、あとは野となれ山となれで、良いはずなのに、考えずにおれないのは、廃墟から立ち上がった日本が、大切なものとして生きているからだ。
子や孫たちが生きて行く国と思えば、なんで打ち捨てておけよう。
さてそこで、北岡学長殿へお聞きしたい。
前置きが長くなったけれど、本題はここからだ。3月10日の千葉日報に、氏の記事が載っていた。言うまでもなく、氏は安倍総理の「戦後70年の談話」を検討する、有識者懇談会の座長でもある。
「安倍首相に、" 日本は侵略した" とぜひ言わせたい。」「日本が侵略戦争をして、とてもひどいことをしたのは、明らかだ。」
氏が講演の中で、こう述べている。
ネットで調べてみたら、氏の専門は政治・外交史だった。東大法学部教授から、国連の日本次席大使となり、小泉・安倍・福田・鳩山という歴代総理の、外交問題の私的諮問会議の委員をしたり、座長をしたり、とても華やかな経歴の持ち主だった。
昭和51年の大学院卒業時に、「日本陸軍と大陸政策」という論文を書き、これで博士号を取得したということだから、自分なりの信念で語っているのだろう。
そんな氏へ、愚鈍な一国民として、私は素朴な質問がしたい。
「政権の中枢の場所に居ながら、貴方はなぜ、総理にそんなことを言わせたいのですか。」「村山氏が謝罪し、細川氏が反省しているのに、」「これでも誠意が無いと、中国に言わせるのは、いったい何が足りないのですか。」
「ここでさらに、安倍総理が反省して、いったい何が変わるのですか。」「中国の難癖には、反論しないのですか。」
「植民地獲得に邁進した、欧米列強のやったことは、侵略ではなかったのですか。」「200年にも300年にもわたる、侵略について、欧米の列強が、一度でも謝りましたか。」
「それなのに、なぜ日本だけに、反省させたいのですか。」「国際政治学者だというのに、貴方はどうして、日本のことだけしか言及しないのですか。」
激怒する中国人みたいな詰問でなく、この切ない歌を聴いた気持ちの延長で、心静かに問うてみたい。
昭和51年に書いたという、氏の論文を知らないが、その頃には、マッカーサーの議会での証言が、まだなされていなかったのだろう。だとすれば、「資源の無い日本は、侵略のため戦争をしたのでなく、自衛のために戦争した。」という、彼の言葉を無視したままで良いのだろうか。
あるいは、米英ソ中が一つになり、日本を戦争へ追い込んで行ったと、新しい事実が出て来ていても、貴方の意見には影響が無いのかと、聞きたいことが山ほどある。
他国に心を売り渡した者の言葉は、聞く耳を持たない私だが、日本礼賛一筋ではない。「日本の過去の事実」が、知りたいだけの人間だ。何より大切な日本でも、正しくないことは認めず、間違っているのなら考えを訂正したい。(他人にはどう見えているか知らないが、自分では、そういう人間だと思っている。)
私が惹かされているのは、「日本は普通の国を目指すべし」、という氏の意見だ。国際平和への積極的貢献を言い、日本が再浮上するためには、「グローバルプレイヤーとしての国際挑戦である。」という主張だ。
疑問が残るとしても、そこには、私の思いに重なる部分がある。
興味深いのは、「中国が重視しているのは、謝罪や反省でなく、歴史をゆがめないかどうかということだ。」「謝罪が中心にあるという、マスコミの伝え方に違和感がある。」という氏の意見だ。
「70年談話」がどんなものになるのか、期待したくもなる。
「安倍総理は、グッド・アベと、バッド・アベの時がある。」と、米政府の中で、総理の二面性に戸惑う声が、囁かれているというが、私の中では、「北岡氏の二面性」に戸惑う心がある。
「憲法改正などしなくても、解釈の変更で、自衛隊は、東アジアでも西アジアでも、地球の裏側にだって行ける。」と、頼もしいというのか、乱暴というのか。先日読んだ小沢氏の著作を思い出させる意見なので、どうしても信頼の気持ちが生まれない。
こうして氏の言動を検討して見ると、似たような人物として、竹中平蔵氏が思い浮かぶ。自信に満ち、どんな質問にでも即答し、常に自己主張する学者、というより政治家・・。安倍総理は、なぜかこんな人間をブレーンとして重用する。共通項は、「アメリカナイズされた、思考方式の学者」であるということだ。
ここまでくると、もう私手にはおえない、現実政治の領分となる。
今の自民党で、正面から憲法に取り組む政治家は、安倍氏以外にいない。戦後の東大は、左翼学者の巣窟みたいなもので、そこで取った博士号など、信頼できるのだろうか。曇りガラスの眼鏡をかけ、日本の歴史を修正した総長、や教授たちが沢山いたではないか。
長い時間をかけて綴ったが、最後には悪口だらけで、このブログこそが、まさに「みみずの戯言」だ。ここでもう一度「長崎物語」を聴き、今日のバソコンは終わりだ。
明日から当分雨になるという予報だから、庭で草むしりでもするとしよう。鵺のような北岡学長殿とも、さようならだ。