死んだ後のことを、何かに書きつけておいて欲しいと、子供に言われた。
定年退職はしたが,自分が死ぬなど,まだ本気で考えたことが無かったので、いささか面食らった。
人生わずか五十年、下天のうちに比ぶれば、夢幻のごとくなりと、信長の謡に誘われ、一般的な死は、考えたことがあるが・・・。
そうなると、今親に死なれ、子供が一番頭を悩ますのは、墓のことだろうか。何代も続く土地の名士か、そこそこの金持ちなら、墓の費用など心配する必要もなく、好きにやれば良いのだし、助言する世話好きも、沢山いるに違いない。しかし、われわれは、そうはいかない。
詳しく書くとややこしいが、簡単に言うと、わが家の墓は無い。必要ということになれば、これから手当てをしなくてはならない。私の受けた戦後の教育では,夫婦とその子が構成する家族が、社会の構成単位で、家などという封建の残滓は、民主主義の世から消え去ったと,確かそういうふうに習った。そういう意味で、わが家の墓は無い。
暮らしを立てるため、都会に職を得て、ふるさとを後にした多くの人々が、敗戦後の日本を立て直した。私の両親も、そうした庶民の一人だった。空腹を友とする日々は、ひもじさとの闘いであった。荒廃した国には、貧しさと混乱があった。それでいて、どこか明るかった暮らしでは、なかったかと、幼い日の記憶には、そんな印象が残っている。
(こんなことを書いていると、また墓の話を忘れ、横道に行きそうだから、要注意だ)
親が作った墓があるが、遠い田舎のため、訪れるのもままならず、親類縁者も絶え、墓が荒れ放題になっていると、そんな話を何度が耳にした。
ならばいっそのこと、高い金をかけ墓など作らず、自分たちの生活設計をする方が、賢明でないかと、そんな意見もある。先祖代々の墓と言う風習が、一般庶民の間で始まったのは、たかだか明治以降だと知って以来、なじみの無い土地に作られた墓になど、子供たちだって参る気はしないはずと、ついつい、自分に都合の良い方に考えてしまう。
人間なんて、死んだらそれでお終いだよ。魂だってあるもんかね。そんなこといったら、戦争で死んだ何万人もの人は、ほったらかされた土地で、迷ったままじゃないか。
死ねば恨みも悲しみも、消えてしまうから、だからいいんだよ。お母さんの骨は、海にでも山にでも、捨ててくれればいいよ。と、八十八の母は、こんな私をけしかけるように、しかも本気で、電話をかけてくる。
結論から言うと、家内とも相談の上であるが、夫婦のどちらが先に死んでも、無駄な葬儀はせず、家族だけでお別れ会をし,骨は小さな壷に少しだけもらい、二人が死んだ後で、いつか子供たちの都合のいい時に、どこかの海に散骨してもらう、ということに決めた。
最近は、海を汚さないよう、骨を粉末にしてくれる業者がいるらしいから、便利になっている。できれば、私のお別れ会の時には、秋川雅史の「千の風になって」を、かけてもらえたら最高だ。
参考のため書き記すが、十数年前に亡くなった父については、葬式もしたし,納骨もした。というのも、まだ会社勤めだったから、世間並みのことをしないと、無用の波風を立てそうだったからだ。
それはそれで良かったと思っているが、残る課題は、田舎の墓に入れた父の遺骨を、今後どうすべきかということだ。生前父が何も言わなかったので,息子である私は、母と相談し,父が兄弟たちと作った田舎の墓に入れるのがいいだろうと、軽く考えた。今ではその叔父たちが、すべて亡くなり、その家族は皆、土地を離れて暮らしている。
母は、遺骨に思い入れがなく、海でも山でも、散骨してくれと言うし、私も今後訪ねることもない田舎だ。まして子供たちとは、何の思い出もない、見知らぬ土地で、無縁の墓となってしまう。いったい、あの墓はどうなってしまうのか・・。
これはこれで、いつか書く日が来るのだろうから、本日はこれまでだ。