昨日、田母神氏の著作の読後感として以下の4つを挙げました。
1. 日本への思いは90%、氏の意見と同じ。極右だと氏が言われるのなら、私も同じことになる。
2. 氏は、来栖参謀総長以来二人目の政治的犠牲となった自衛官だった。
3. 国の安全保障、防衛省の組織に関する意見は正論であり、いずれ見直される時が来る。
4. 歴史に関する意見もまた正論だが、「何が何でも日本が正しい」と主張する頑固さは真面目な保守は違和感を覚える。
昨日、田母神氏の著作の読後感として以下の4つを挙げました。
1. 日本への思いは90%、氏の意見と同じ。極右だと氏が言われるのなら、私も同じことになる。
2. 氏は、来栖参謀総長以来二人目の政治的犠牲となった自衛官だった。
3. 国の安全保障、防衛省の組織に関する意見は正論であり、いずれ見直される時が来る。
4. 歴史に関する意見もまた正論だが、「何が何でも日本が正しい」と主張する頑固さは真面目な保守は違和感を覚える。
田母神俊雄氏著』『自らの身は顧みず』( 平成20年刊 ワック株式会社 ) を読了。
氏は昭和23年に福島県で生まれ、今年69才ですから、私より4才年下です。昭和46年に防衛大学を卒業して自衛隊に入り、平成19年に航空自衛隊のトップである、航空幕僚長に就任します。
平成20年に、氏はアパグループ主催の懸賞論文に応募し、最優秀賞を受賞します。題名が、「日本は侵略国家であったのか」でしたが、同論文が政府見解と異なる主張であるとして問題視され、航空幕僚長の職を解かれます。
辞職を迫られますが拒否したため定年退職という扱いで、自衛隊を追われるように退官させられます。
平成26年、氏はチャンネル桜の水島社長と意気投合し、東京都知事選に立候補します。61万票を得て、立候補者16名中の4 位となりますが、自・公の押す舛添氏に敗れたのは、多くの人の知る通りです。私は覚えていませんが、同年12月の衆議院議員選挙に次世代の党から出馬し落選してもいます。
翌27年の4月、都知事選における選挙運動で、公職選挙法違反があったとして逮捕されます。訴えたのは、確か、チャンネル桜の水島氏でなかったかと記憶しています。都知事選で、千葉県民の私は選挙権がなかったのですが、田母神氏の主張に共鳴し、応援いたしました。年金暮らしなので多くはできませんでしたが、スズメの涙ほどの寄付をしました。
日本を思う保守二人が、都知事選で集めた資金の使途で仲違いし、裁判で争うとは、思ってもみないことでした。全国の支援者から集まった金が、一億余円だと聞きましたが、そんなはした金で名のある保守が合い争うことに、失望と幻滅を覚えたのは、つい先日のような気がしております。
そういう事情があるため、氏の著作を前に、複雑な気持ちになりました。どんな意見を述べているのか、確かめてみたい好奇心と、金銭トラブルへの不信感が交じり合い、素直な気持ちで、本に向き合うことができませんでした。
そして、読後の感想はどうだったか。詳しい説明は後にしまして、思いつくままの印象を並べてみます。
1. 日本への思いは90%、氏の意見と同じ。極右だと氏が言われるのなら、私も同じことになる。
2. 氏は、来栖参謀総長以来二人目の、政治的犠牲となった自衛官だった。
3. 国の安全保障、防衛省の組織に関する意見は正論であり、いずれ見直される時が来る。
4. 歴史に関する意見も正論だが、「何が何でも日本が正しい」と主張する頑固さに、真面目な保守は違和感を覚える。
同名の『私の昭和史』を出した、白石正義氏は、士官学校を中退した特務機関要員でしかありませんでした。けれども私は、将軍である田母神氏の著作より、末松氏や白石氏の本に敬意と感謝の念を捧げました。人柄の違いがそうさせた、と思えてなりません。
この感想は、著書だけでなく、他のことも知っているため、氏に厳しくなっているのかも知れません。
「誰にでも分かりやすく、ユーモアを交えて語る。」と氏は言いますが、氏の「ユーモア」は、いわゆる「駄洒落」の類で、知的な風刺や警句の味がありません。「誰にでも分かりやすく」というのも大事ですが、物ごとを単純化してしまうのでは、事実が間違って伝わる危惧を覚えさせられます。
「私は、日本の国をいい国だといってクビになりました。」「そんなら、自衛隊のトップには、日本の国は悪い国だという人間がふさわしいのか。」
講演会でも、氏は聴衆の笑いを誘っていましたが、こうした単純化や極論は、愚かな者を笑わせても、真面目な人間は眉をしかめます。
「国防の基本には、愛国心がある。」「日本はいい国だと自衛隊員が誇れなくて、どうして国が守れるのか。」
氏の意見に反対しませんが、「日本はいい国」という表現の中には、氏独特のレトリックがあり、素直に肯定できない夾雑物が含まれます。
巻末に挿入された例の「論文」も、戒改めて読み直しましたが、同じ印象でした。以前は読み過ごしたのですが、今度はじっくり読みました。簡単に言いますと、このレベルの内容なら若い自衛官の正論であり、将官である氏の立場なら、別の表現方法があったのではないか・・という印象でした。
反日・左翼のマスコミと、反日の野党が跋扈している日本で、自衛隊のトップがこうした論文を書けば、どういう騒動になるか予測がつきます。戦後70余年が経過したのに、今も隊員たちの誇りを踏みにじるのかと、自衛隊のトップである氏の怒りを理解しますが、それでも、「論文」の文章表現には疑問が残る私です。
氏の論文は、政府とマスコミと世論に対する反撃で、反日左翼に言わせれば、「敵対的攻撃」と受け取られる言葉です。氏は承知の上で論文提出を決断し、問題提起する意義も考えていますから、一つの覚悟と評したい気持ちもあります。
いずれにしましても、氏への正しい評価は、ずっと後になるはずです。安全保障法が成立した今、来栖氏が再評価されているように、憲法改正後に、田母神氏が見直される日が来るのかもしれません。政界で69才といえば、まだ活躍できる年ですから何がどうなるのか、一寸先は闇の世界でもあります。氏の活躍を見守ります。
明日から、4項目の感想を述べたいと思います。
今月の臨時国会の冒頭で、衆議院が解散となり、総選挙が行われます。9月19日の千葉日報の一面に、トップ記事で掲載されました。
「10月衆院選」「首相、消費税で教育財源」
「民進、争点隠し批判」という見出しです。
産経新聞を見ましたら、
「内閣支持率が5割回復」「解散・総選挙決断の後押しに」
「安倍晋三首相不信の払拭は " ? " 」・・でした。
毎日新聞の見出しは、
「消費税・北朝鮮問う」「28日に解散」
「来月22日投票」「国難突破と強調」と、意外に大人しい書きぶりです。
他に朝日、読売、日経もあるのですが、面倒なので省略します。どうせ「大義なき解散」とか、「党利党略」とか、安倍氏批判の見出しに決まっていると、最近は偏見が先行します。
民進党は、「内政に課題を抱えた首脳が、対外危機対応で、」「国民の目をそらすもの」だと言い、「北朝鮮対応や、消費税問題が、」「国民の審判を受けるのに、なじむのか。」と疑問を呈しています。
安倍総理がどういう思惑で解散を決断したのか、事実は知りませんが、総理にとっても、野党にとっても、大きな節目の選挙となるのは間違いありません。
総理は「消費税の使途」につき国民の審判を受けると、説明しているようですが、今回の選挙の争点は、「憲法改正」だと、勝手に推測しています。
離党者が相次ぐ民進党が、沈みかけた泥舟のようになっているのが、総理の決断の大きな要因だとそこは否定しません。しかし昭恵夫人のことや、加計問題を考えますと、安倍政権にも厳しい目があります。とくに「お花畑の住民」たちは、国際情勢などお構い無しですから解散は大きな賭けです。
反安倍マスコミが言うように、「争点隠しの解散」でなく、「争点審判のため解散」でもあると見ています。「大義なき解散」でなく、大義のある解散だと、また独り合点しています。
解散の大義は、「憲法改正」と「争点審判」の二つです。
これを堂々と出せない、安倍自民党を不甲斐ないと思います。相変わらず、「国民には知らしめず、依らしむべし」の高慢さと。曖昧さです。いつまでも、国民の意識の変化に気づかない、奢れる自民党の悪しき体質を見ます。
マスコミも同じです。実態を知りながら、「憲法改正」と「争点審判」を、真正面から伝えない姑息さです。こちらは、自民党の高慢さを真似ているのでなく、ただ自民党が敗れればいいと、国民に事実を伝えない、いつもの反日の立場です。
事実を言わない自民党と、事実を伝えない野党と反日マスコミを前に、せめて自分だけでも立場をハッキリさせたくなりました。世のことには、常に優先順位があります。安倍総理のグローバリズムと、野党の反日・売国と、いずれの愚策が優先するかです。
そうなればやはり、反日・売国の野党の消滅が先です。
グローバリズムも反日も、いずれ日本を崩壊させますから、油断はなりません。喫緊の課題として、「憲法改正」と「女系天皇反対」がありますので、安倍総理がこの旗を降ろさない限り一票を入れます。
新聞の報道を見ましても、自民党の議員ですら国民の悲願を無視し、「憲法改正」に及び腰です。憲法改正で、総理以外に憲法問題を取り組もうとする議員が、他にいないという不甲斐なさ。これでは、安倍氏以外の選択肢がなく、幻滅しても総理しかいません。
野党や、野党支持のマスコミのように、「自民党政権は、総理への消極的支援が支えているにすぎない。」とは言いません。「不毛の選択」であっても私の一票は「積極的支援」です。
昨日私は、李恢成氏への書評の中で、韓国の政情を批判しましたが、日本にしてもたいして誇れるものではありません。
しかし理想は高く手は低く、一歩ずつ進むしかないと、静かに考える今夜です。外はスッカリ秋の気配で、ねこ庭にすだく虫の音と心地よい涼風が、日頃の短気を忘れさせます。
これから風呂へ行き、少しばかり本を読み、眠りにつきます。愛する息子と、孫たちよ、お休みなさい。
李恢成という作家を通して、在日と呼ばれる人々の苦悩を再認識しました。
再認識したというのは、納得し、肯定したという意味ではありません。彼らが沈んでいる心の穴の深さを、知ったということです。慰安婦問題以来、韓国人と日本人の思考回路の違いを痛感した自分も、内面が変わったような気がします。
人種偏見を知らずに過ごしてきた過去が、嘘のようです。
かって私には、朴、閔という名の、在日の友が二人いました。若いは国や民族を意識せず、個人を第一として人とつき合ってきました。世間が何を言おうと、個人が立派ならそれで十分というのが、ぼんやりとした、しかし頑固な友人の基準でした。
慰安婦問題が騒がしくなり、国と国が敵対すると、個人同士も敵対するという事実に向き合いました。
「君は、何にも知らない。お人好しの日本人の一人だ。」
「知らないということは、免罪符にならない。知らないというのは、結果として差別の協力者になっているということだ。」
一方的に言われ、友と疎遠になりました。今李氏の著作を読み、彼らの言葉の意味を理解しました。かっては何も知らない自分でしたが、だからと言って、今の私が彼らの主張に賛同するかと言えば、そういうことはありません。彼らの意見の中には、事実でない嘘が混じっているからです。
言い争って別々になり、再び会うことはなくなりましたが、思い出を懐かしむ心は消せないまま残っています。過去を懐かしむ気持のまま、「ねこ庭」のブログに向かっています。
氏の経歴を辿る作業が、別れた友の心の跡を見つけることにつながるのでないかと、そんな気もしています。
昭和10年に樺太で生まれた氏は、存命なら今年82才です。最初は、この作品を氏の自伝だと思っていましたが、ネットで調べ勘違いに気づきました。以下が、ネットで得た情報です。
・昭和20年の敗戦後、家族で日本人引揚者とともに樺太より脱出
・長崎県大村市の収容所まで行き、朝鮮への帰還を図ったが果たせず、札幌市に住む
・北海道札幌西高等学校から、早稲田大学文学部に進学
・大学時代は、学生運動で活動していた。
・卒業後、朝鮮語による創作をめざしたが果たせず、日本語での活動を志す
・朝鮮新報社などに勤めたがその後朝鮮総連から離れ、昭和44年の群像新人文学賞受賞を機に作家生活に入る。
・昭和47年に『砧をうつ女』で芥川賞」「代表作に『見果てぬ夢』『百年の旅人たち』など
・昭和45年にひそかに訪韓した後、芥川賞受賞後の昭和47年に再び訪韓
・このときは朝鮮籍であったため、長期にわたって韓国政府当局から入国を拒否される
・ふたたび韓国入国ができたのは、平成7年11月のことであったが、その後も国籍問題を理由に何度も韓国当局との間で、入国をめぐるトラブルがあった
以上が氏の経歴ですが、拉致問題についてのコメントは、冷淡なものです。
不法入国者でしかない在日を、拉致された、強制連行されたと、そんな視点で捉えているのですから、北朝鮮にいる日本人への同情はありません。歴史の事実を見ないと言えば良いのか、自己中心的朝鮮民族の強弁と言うべきか、やはり怒りを覚えます。
いよいよ、氏に関し私の意見を表明する時が来ました。
・氏の日本憎悪の原点が、日韓併合の36年間にあることを知りました。
・氏というより、韓国・北朝鮮人に共通する「日本憎悪の原点」だと理解しました。
・北朝鮮のことは知りませんが、韓国社会では、統治時代に日本に協力した「知日派」の人間と、彼らを憎む「反日派」がいて、現在でも深刻な対立があると聞きます。
・それは丁度、今の日本で「反日・左翼の人間」と「国を大切にする保守の人間」が、対立している構図に似ています。
戦後の韓国の国民的課題は、「日帝統治の克服」であり、日本のそれは「憲法改正」です。日帝統治を韓国にもたらしたのは日本であり、憲法を日本にもたらしたのはアメリカです。
戦後の10年、20年の話なら、日本が悪い、アメリカが悪いと悪態をついても良いのでしょうが、70年余が経過した現在で、他国の所為にしているのはおかしな話です。
同じことを私は日本人にも言い、氏に対しても言います。
「日帝」も「日本国憲法」も、すべて自分たちの不甲斐なさが原因です。問題解決の邪魔をしているのは、日本でもアメリカでもなく国民自身の決断の無さです。
いつまでも他国に責任をなすりつけ、他国の所為にするのは、自国民の信念の無さを世界に晒しているようなものです。こんなみっともない真似は、お互いにそろそろ止めにする時です。
これが、読後に得た氏への意見です。
氏が私の意見を聞き入れる柔軟さがあるかについては、自信がありません。日本人と韓国人の思考に、大きな相いを見るからです。
私たちは、「日本国憲法」を押し付けた、当時の米国に怒りを覚えますが、いつまでも恨みや憎悪を燃やしません。戦勝国が不条理なことをしても、それは致し方なしと敗戦の事実を認めるしかありません。賀屋興宣氏の言葉を紹介します。
・日本が勝っていれば、似たようなことを米国にしただろう。
・敗戦国になるということは、敵に何をされても我慢するしかない。
アメリカを恨むのでなく、戦いに負けた自分が駄目だったのだと日本人の指導者たちは覚悟しました。
武士道における「潔さ」とでも言うのか、前向きの思考に切り替える大胆さが、日本人にはあります。しかし、韓国にあるのは、恨みと憎悪という感情だけです。
冷静になり、自国の無力が認められないのですから、恨みと憎悪のが「千年たっても」消えません。韓国では、国民が火のように燃え、目前の人間を激しく叩く思考に熱中します。自分たちが選んだ大統領でさえ、刑務所へ送り、追い詰めて自殺させたり、何年たっても自国の政治の安定を確立できません。
だから、李氏に言います。
「私たちは別々の道を歩きましよう。」
「自責の念のない韓国人との交渉は、平行線を走るだけで、ゴールもなく実りもありません。」
「国交断絶まではいかなくとも、互いに最小限のかかわりで過ごし、せめて内政干渉だけは止めましょう。」
「私たちは弱かったから、連合国に負けた。」「日本人が間違っていたのでなく、弱かったという事実があるだけです。」
「そして貴方たちも、弱かったから日本に併合された。」
「この事実を認めるところから、両国は出発すべきです。」「国も人間も、一度はどこかで現実を認めなければ、未来への光は見えません。」
李氏と別れた韓国の友へ、自戒と共にこの言葉を送り、ブログの終わりといたします。
今回は氏の著作から、日本人への恨みと憎しみの部分を集めて紹介します。
・私は異様な父の遺言を、一生忘れることがないだろう。
・心臓が止まる前の日、父はいくらか持ち直したかにみえた。三人の息子を枕元に座らせ、ぎらぎら光る目で、俺たちを見つめた。
・空が落ちても、忘れるなよ。いいか、倭奴( ウエノム ) に、魂までは渡さなかったんだぞ。祖父 ( ハラボジ ) や、我々のように、騙されるなよ。
・そもそも父は、何を騙されたのだろう。漠然と想像できるのは、拉致されてきた事情である。
・強制連行さながら、三角兵舎にやってきた。母はその後を追っかけて、日本に渡った。」
親たちは、拉致され、強制連行されて日本へ来たと、氏はこのように書いています。それなら主人公の母は、そんな父になぜ簡単に再会できたのか、割り切れない作為を感じました。
その母が主人公に、日本人の妻との仲を聞いてくる場面がありました。
・どう、嫁さんとはうまくいってるの。何もかもうまくいっていると、答えながら、主人公が独白します。
・親は経験の恵みを、子供に分けてくれる。しかし私たちがぶつかつた問題は、彼女のどんな経験にもない、新しい次元のものだった。
・日本に渡ってきた親たちは、貧困や抑圧に苦しんだが、私たちはむしろ、存在の意味に苦しんでいる。
今度は主人公が、兄と交わす会話の場面です。
・いったん帰化したからには、日本人以上に、日本人らしく生きることによって、確固とした市民権を獲得すべきだというのが兄の持論だった。
・こういう考え方には、いつも虫酸が走った。私は情けなくなった。兄貴は、父親の悲しみを忘れてしまっている。
・兄貴が日本人以上に、日本人らしく生きようと思っているのは、単なる処世術にすぎないのである。
・会社経営の現実の困難に日々直面していると、自然とあのような考え方に、落ち着いていくのであろうか。
・朝鮮人よりも日本人が有利であり、日本人の方が信用がある。こうした現実の不条理は、無視できない。
・しかしいくら裸になれと要求されたからといって、パンツまで脱ぐことはないじゃないかと思う。
そして今度は、唯一の友と言える男との対話です。その友は、朝鮮の統一を願い、民族の祖国を取り戻そうと活動しています。
・君はこの日本の社会構造、差別と偏見に満ちた世界に向かって、憎しみを吐き出した。それが僕に、一つの魅力を感じさせた。
・憎しみを、君が持っているという素晴らしさだよ。僕は、われわれ青年の憎悪とか敵意は、健康な青春の証拠だと考えている。
敵意や憎悪が青春の証拠だと、私は一度も考えたことがありません。このような思考は、日本人にはないもので、違和感を覚えました。けれども、次のような思考の穴でもがく主人公には、同情とかすかな共感を覚えました。
・もし日本人をすべからく復讐の対象とすれば、私は自らを憎まなくてならない矛盾に陥る。
・なぜなら私も、日本人という外装をつけた人間だからだ。罪のない大津増蔵も、小坂好子も憎むべき対象となる。そして誰よりも、妻と息子を !
・しかし、こんなことは可能だろうか。
・復讐の観念を単純化するのは、危険だ。しかしもしと、私は考える。
・この日本に巣食っている偏見と、差別に反対する日本人がいれば、私は喜んで、兄弟の血盟をするだろう。
・日本人だって、ジャップとか、黄色い猿と、外国人から軽蔑されているではないか。私は日本人の少数者と手を組んで、偏見退治の同盟軍を結成してもいい。
日本人は大東亜戦争時に、米国で蔑まれ疑われ、過酷な荒野の収容所へ強制移住させられました。人格も財産も奪われ、ただ日本人という理由だけで、戦争の間中辱められました。
そんな日本人を知り、自分の憎しみを和らげるというのでなく、差別された日本人の憎しみと、手を取り合おうと言います。朝鮮人である彼は、赦しという気持ちを知らず、憎しみでしか結びつこうとしません。
作者は、主人公の唯一の友である男に、驚くようなことを喋らせます。朝鮮人が、このような思考を持っていると知るのは初めてでした。
・僕らが反日的だということは、避けられないことだ。
・日本の大国主義的な、政治と経済侵略が祖国の政治と経済を支配し、ふたたび36年間の悪夢を蘇らせようとしているのに、どうして親日的になれるだろう。
・僕は日本人に向かって、はっきりそう言うだろう。」
昭和50年代の日本人が、そのように思われていたとは、本を読むまで知りませんでした。彼らの憎しみは再生され、新しい理由が生まれていました。日本人が意識しないことですから、横たわる溝の深さは見えません。韓国人との和解は、未来に渡ってあり得ないという思いがしました。
主人公は長野へ行き、大本営壕の工事跡を訪ね、その付近に残り住んでいたわずかな朝鮮人たちと出会います。荒れ果てたあばら屋に住む夫婦が、彼の眼の前で小声の会話をします。
夫婦は、主人公の亡くなった父親の過去を知っている様子でしたが、訊ねても、言葉を濁し答えません。二人きりになった時、彼はその妻に、再度話しかけました。
・どうして、ここに残っているんですか。
・行くとこ、ありゃせん。、と金歯を覗かせて彼女が笑い、顔を曇らせます。
・北へ帰った人からは、やれ何送れ、かに送れって、手紙が来るって言うじゃないの。
・韓国に戻った人は、財産はたいて乞食していると言うし、もの言えば捕まるって、いうじゃないの。
・だから、何だかんだ言っても、日本が暮らしいいのと違いますか。
そしてついに彼は、その女から父親の当時のことを聞き出します。
・死んだから悪くは言えんけど、あんたのトーサンも、朝鮮人から恨まれた組だよ。
・日本人と組んで、どのくらい私らをこき使ったか。天皇のためだとか、大東亜のためだとか言ってな。
・あんたのトーサンは、朝鮮人の親方の一人で・
主人公はそこまで聞き、めまいを感じてうずくまり、女が心配顔になります。休んで行けという申し出を断り、彼は大本営地下壕へ行き、暗い穴倉の中で自殺を決行します。兄の家から盗んできた、工事用のダイナマイトに火をつけ放り投げます。
しかし彼は、傷を負いながら奇跡的に発見され、意識が戻ったのは病院のベッドの中でした。
傍らには、妻と息子がいました。そして彼は日本への帰化をやめ、もう一度朝鮮国籍に戻ろうと決意します。己を隠したトンネルから抜け出し、地上の人間になると、彼は決めました。妻の信頼を回復するためにも努力しようと、心に言い聞かせます。
・私は自由なのだ。とにかくトンネルから出てきたのだ。
・明日からの生活、日々のたたかい。私は身震いを覚えた。
・その生活が、どんなに親しく、また重々しく感じられることだろう。
妻子のため、ふたたび生きようとする彼の決意に、私は尊いものを感じました。日本への恨みや憎しみを乗り越え、愛する家族のため生きようとする姿には、反日と偏見を超える普遍のものが示されているような気がします。
北朝鮮と韓国への帰国者たちが、不幸な目に遭っている事実や、父親が裏切り者だったことなど、都合の悪い話も隠さずに書いています。作者の悲しみと、絶望に、敬意の念が湧きました。
というところで、本の紹介は終わりです。楽しい読後でありませんが、意義深かったと満足しています。こういう作品を書いた李恢成とは、どんな人物なのか。次回はそれを述べ、不思議な本との出会いの記念にする予定です。
李恢成氏著「追放と自由」( 昭和50年刊 新潮社 ) を読了。
氏は昭和10年に、当時日本領だった 樺太で生まれたということです。名前だけ知っていましたが、今回初めて著作を読みました。本を手にして、先ず奇妙に感じたのが、「目次がない。」ということでした。目次のない本というだけでも珍しいのに、さらに珍しい経験をいたしました。
最初の12、3ページは、巧みな叙述に引き込まれ、夢中で読みましたが、帰化した朝鮮人である主人公が自分の人生を呪い、日本を憎悪しだすと強い嫌悪にかられました。細かな文字で、ほとんど改行なしの文章ですから、根性がないと読めない本です。
退屈はしませんでしたから、芥川賞を受賞しただけの作家だと思わされました。
日本人である私は、国の悪口をここまで語られますとさすがにいい気はしません。それほど憎い日本なら自国へ帰ればいいでないかと、ずっと反感を抱きながら、読み続けました。こんな人間に芥川賞をやるなど、日本人の馬鹿も極まれりと悪態もつきました。
しかし、最後のページの、20行で、私は感動しました。
つまり、書き出しの文章で夢中になり、途中は全て嫌悪し、最後の最後の数行で感動したのですからめったにない読書体験です。そこでハタと困りました。この稀有な経験をどうすれば、息子や孫たちに伝えることができるか。気負ったり、大げさになったりせず、事実を伝えるにはどうすればいいのか。
芥川賞をもらうほどの文才はなの、自分はどうせ普通の小父さん ( お爺さん? ) なのだから、思いつくとおり語ればいいのだと、下手の考え休むに似たりと、母がよく言いましたがそういうことでした。
主人公の石田は帰化した朝鮮人で、アフリカのある国の駐日大使館で運転手をしています。日本人の女性と結婚し、一才の男の子がいます。妻には朝鮮人であることを話ししていますが、周囲の誰にも言わず日本人として暮らしています。彼の父はすでに亡くなっていますが、母は健在で、兄弟夫婦や叔父や叔母やなどが年に一度先祖の供養をするため集まります。
全員が帰化しているのでなく、朝鮮籍をもったままの者もいます。帰化した者は引け目を感じ、帰化しない者はそれとなく非難の目で眺めたりしますが、彼らに共通しているのは、日本への恨みと憎しみです。彼の妻は日本人であるため、その場で除け者にされ冷たくあしらわれます。
親戚の集まりから帰った日に、妻は、自分を守ってくれなかった夫の不甲斐なさに失望し、幼児を連れ実家に帰ってしまいます。この辺りが物語の始めで、心に秘めてきた主人公の葛藤が、急速に怪物のごとく暴れ出します。
繁華街で集団暴行されている朝鮮人の学生が目に留まると、衝動的に、ヤクザな不良学生たちと闘い結局病院へ搬送されます。
天皇陛下の園遊会に招かれた大使を送ることになった彼は、天皇の暗殺を決意しますが、これに失敗し、生まれ故郷の長野に向かいます・・。こうしてあら筋を追っていると、ブログのスペースがとられ本題を外れますから、止めましょう。
最近、在日について考えるようになりましたが、この作品のお陰で、考えていた以上に複雑な問題であることが、分かりました。これが在日の人々の心情であるとするなら、彼らの救いようのない心の状況を知りました。
デニムのジーパンを履いた若い女が、朝鮮語の語学学校の講習会で喋りました。
「だって、そうでしょうよ。」「日本人はなんでも、フリだけじゃない。」
「一億総懺悔したけど、それでいてまだ南朝鮮に侵略してるでしょ。」「どうして、私らの親たちは強制連行されて来たのさ。」
「そりゃ、ここにいる人たちがやったんじゃないけどさ。」「でもやっぱり、責任はあるよ。」
「あんたらは、私らが今もどれだけ差別されてんのか、心情的に知っててもね、絶対に本当の苦しみなんか、分かんないんだ、絶対に。」
昭和50年代の著作ですから、まだ「強制連行された朝鮮人」という話が、誰からも異論を唱えられていない時代です。無理もないと思いましたが、昭和50年代の日本は韓国を侵略していません。
講習会から自宅へ戻り、主人公が妻に語ります。
「朝鮮人は、それでもまだいいさ。やつらは団体があるし、自分の旗を振っていられるんだから。」
「ところが帰化した者は、そうはいかんぞ。もちろん、生きられはするだろう。過去を隠して分相応に小さくなっていりゃな。」
「ところが俺には、そいつが堪んないんだ。股の下をくぐって、生きなきゃならんのが。頭を抑えられりゃ、血がのぼるってのは決まっているのさ。」
好き合って結婚した妻なのに、家ではいつもこのような諍いをします。彼のトラウマというのか、原体験とでも言うのか、それは長野県の松代にある「三角兵舎」です。
大東亜戦争の末期に、天皇の御座所を松代に移そうとする計画があり、「大本営地下壕」と呼ばれていたことを知りました。
完成すれば天皇陛下が移られると言うものでしたが、ネットで調べると、次のような事実が分かりました。
・昭和19年11月に、最初の発破が行われ、工事が開始された。
・ダイナマイトで爆破し、崩した石屑をトロッコを使って運び出すという、人海戦術で行われた。
・建設作業には徴用された日本人労働者と、国内および朝鮮半島から動員された朝鮮人労務者が中心となった。
・総計で朝鮮人約7,000人と日本人約3,000人が、当初8時間三交代、のち12時間二交替で工事に当たった。」
長野市の現代史研究家大日向氏によりますと、
・一日12時間の厳しい労働と粗食のため、栄養失調が多発した。
・発破などの主要作業を担った朝鮮人労働者は、建設に決定的な役割を果たし、犠牲者数も日本人より圧倒的に多かったが、正確な犠牲者数はっきりしていない。
・地下壕掘削のために働いていた朝鮮人労働者には1日に白米7合で、壕外での資材運搬で働く朝鮮人労働者には、白米3合が配給、他に麦やトウモロコシなどが配られるという、破格の待遇であった。
・朝鮮人労務者は規則正しく礼儀正しく、家族ぐるみで働きに来ている者もおり、子弟は日本人と一緒に学校に通った。
・松代住民と朝鮮人との仲は比較的良く、朝鮮人が農業を手伝ったり、西条地区の強制立ち退きも手伝った。
・また日本人と朝鮮人の恋愛結婚もあった。朝鮮人労務者の食事事情は、国内での炭鉱や土木工事などに徴用された朝鮮人労務者と比較し、待遇面では悪くはなかったようで、日本人よりも良好だった。
・終戦後、朝鮮半島出身の帰国希望者には列車、帰還船を用意し、一人当たり、250円の帰国支度金が支払われ、昭和20年の秋にはほとんど富山港から帰国させることができた。
現場のすぐ近くに、作業員用の「三角兵舎」と呼ばれる長屋が並び立ち、主人公はそこで生まれました。とてつもない粗末な建物で畜舎だと書いていますが、ネットで調べますと、朝鮮人用に建てたひどい建物ではありませんでした。
もともとは特攻隊員の宿舎として作られ、鹿児島の知覧には、現物が残っているそうです。敵の目を欺くため松林の中に半地下壕をつくり、地上には三角の屋根しか見えない兵舎で、各地から集まった隊員たちがニ・三日後には、雲のかなたの沖縄の空に 飛んで行ったといいます。
世間に流れる情報というのは、こんなものです。在日の著者に言わせると、作業現場は地獄のように悲惨な場所で、朝鮮人たちが酷使され、ひどい仕打ちを受けたという話になります。
日本の情報では、朝鮮人も日本人も一緒に働き、むしろ危険作業をした彼らの方が、賃金も食べ物も特別扱いだったとなります。互いに仲良く働き、日本人との恋愛結婚もあったと言います。
おそらくはどちらも事実で、渾然としていたのが実態でないかと思います。慰安婦問題と同じで、後世の人間たちが、自分の偏見を語るため、事実の一部を針小棒大に作り変えているのでしょう。
沖縄の辺野古で、日本政府を罵っている芥川賞の受賞作家もいますから、李氏の作品に同調せず、むしろ冷たい視線で文字を追いました。
氏のおかげで、長野県の大本営地下壕や、三角兵舎について知ったことは、感謝せします。最後の数行で氏の作品に感動したかにつきましては、スペースが無くなりましたので、次のブログといたします。
9月14日の千葉日報の記事でした。「ドイツ 反難民政党、国政進出へ」という見出しで、下院総選挙における、ドイツ社会の亀裂を心配する報道がありました。
ドイツは人口 8,200万人のうち、22.5%にあたる1,800万人が移民系の国民となっています。これ以上の難民受け入れを反対する政党、「ドイツのための選択肢( A f D )」が支持を広げ、今回初めて、国政進出が確実視されるとのことです。
マスコミでAfDは、「極右」と呼ばれています。
隣国のフランスでも、同じ動きがあります。日本では、国民戦線という党名で知られていますが、マリーヌ・ル・ペン氏を党首とし、やはり移民排斥を掲げています。平成17年に起きた移民暴動以来、フランスでは移民への反感が高まり、急速に支持を伸ばしています。
AfDの筆頭候補である、アリス・ワイデル氏は、「ドイツでは、魚が水の中を泳ぐように、イスラム過激派が動き回っている。」と述べています。
「イスラム教の大学口座の廃止」、「二重国籍は、例外だけに限定」などを選挙公約に掲げ、こうした主張が極右主義者だけでなく、保守層にも受け入れられているといいます。
千葉日報の記事を読まなければ、「ドイツのための選択肢 ( AfD )」という政党を知らないままでした。ネットの情報i、次のような記述がありました。
・AfDの特徴は、反ユーロ、反難民、そして反イスラムだ。」
・ドイツらしさやドイツ文化を尊重しましょう、伝統や家庭を大切にし、あまり中絶をせず、もう少し子供を産みましょう、というようなことを主張している。
・党大会で国歌を斉唱する、ドイツでは珍しい党だ。
・ただ、この党は、誕生以来今まで、他のすべての政党とメディアから、ひどい扱いを受けている。
・ニュースでは、必ず党名の前に 「右派ポピュリストの」という枕詞が付くし、全方向からの攻撃と、ネガティブキャンペーンにさらされ続けているのである。
・しかしそんな不遇にもめげず、着実に支持者を増やしてきたのが、特長といえば特長である。
少数なら問題はありませんが、異なる宗教を信じ、異なる文化と生活習慣を持つ人間が秩序もなく多数住めば、やがて地域との摩擦や衝突が生じます。暴力沙汰となり、治安が乱れ、社会的騒擾となります。
ドイツでもイギリスでも、フランスでも、同様の問題が発生し、人々の不安が高まっています。
過激派政党と言われていても、ドイツのAfDにしても、フランスのフロント・ナショナル ( FN )にしても、特に過激な主張ではありません。ドイツの文化を大切にしましょうとか、伝統や家庭を大切にし、中絶を止めましょうというのは、当たり前の意見です。
フランスのFNの政治スローガンも、過激ではありません。144項目ありますが、その中の一部が次のものです。
・移民制限・不法移民の排除(合法的な移民の数は年間1万人から下げる)
・フランス市民権を得るための条件を厳しくする
・フランス市民に対する無償教育
・輸入や外国人雇用に関する課税
・警察官の数を二倍にする
・中小企業へ減税をする
・EU離脱の是非を問う国民投票の実施
暴力革命で実現するというのならともかく、 選挙を通じて訴えているのですから、国民が支持しなければ、議席が得られないだけの話です。
極右のレッテルを張る必要が、どこにあるのでしょう。こうしたレッテルを貼り、自分たちと違う意見の者を排斥するやり方は、日本のマスコミだけでなく、欧州も同じだったようです。
ここで言いたかった本題は、同じ日の千葉日報の記事です。大見出しの活字が躍っていました。
「朝鮮学校側の請求棄却」
「東京地裁 教育無償化訴訟」
「真の解決に国民的議論を」
東京の朝鮮学校の卒業生62名が、国が朝鮮学校を高校無償化の対象から外したのは違法だとして、国に620万円の損害倍賞を求めた裁判です。
同種の裁判が全国5カ所で起こされ、最初の広島地裁では、原告側が敗訴しています。次の大阪地裁では原告側が勝訴し、今回は3度目の判決で、あとは名古屋と福岡で争われています。
「朝鮮総連や北朝鮮との密接な関係が疑われ、学校側に支払われている、就学支援金が、授業料に当てられない懸念がある。」
というのが、国の主張です。朝鮮学校が、日本政府から得た金を、本国へ送っているという話はずっと以前からあります。拉致した日本人を40年以上も拘束して返さず、核兵器の開発を続けミサイルを飛ばし、日本を敵視する北朝鮮です。
国の主張を当然と思い、裁判を起こした在日に対し、強い嫌悪を感じました。
本日の新聞を手にし、ドイツやフランスの状況をわが事のように痛感したのは、この裁判記事を同時に読んだからです。ドイツにしてもフランスにしても、移民を大量に入れたのは自国の都合でした。
安い労働力を入れ製品価格を下げ、国際競争に勝つという目的がありました。国策として移民を受け入れ、受け入れすぎて今は難渋しています。
ところが日本はどうでしよう。60万人いると言われる在日たちは、日本が国策で受け入れたのでなく、99%が不法入国者とその子孫です。
母国である韓国と、北朝鮮が受け入れを拒否し、行くあてのない人間たちというのが現実です。それなのに彼らは、自分たちは強制連行で連れてこられたと主張し、常に被害者として賠償を要求します。
また日本には反日左翼の政党があり、「お花畑の住民」がいて、彼らの屁理屈に賛同しています。戦後70年以上も続いていますが、ドイツやフランスを見ていると、そろそろ本気で国のいく末を考える時でないかと、そう言いたいのです。
安部政権の移民受け入れ政策に、強く反対する理由がここにあります。
不法入国者とその子孫の在日でさえ、キチンと対応できない政府が、大量の移民を受け入れたらいったい日本はどうなるのか。
彼らが礼拝所や寺院を作り、自分たちの街を作り、自治を要求したら、政府は対応できるのでしょうか。不法入国の在日に、無体な裁判を各地で起こさせ、野放しにしているのが、自民党と反日の野党です。
農業の競争力強化とは、移民受け入れ政策のことです。経済特区の裏にあるのは、移民受け入れ策です。産業活性化の背後にあるのは、移民受け入れ策です。そして竹中平蔵氏のグループ会社が、利益を得ます。
ドイツの記事を読み、在日の裁判記事を読み、岐路に立つ日本を理解していただけたらと、心から願う今日です。自分は先が短いのですが、子供や孫たちのためには、ましな日本を残してやりたいと、「ねこ庭」雑草を引きながら考えています。
それでも今回の衆議院選挙では、反日・左翼政党には一票を投じません。不毛の選択として、安部自民党です。自民党しかないという政治の貧困が、いつになったら解消されるのか。苦渋の選択が続きます。
国を大切にする野党があれば、自民党にばかり選挙の一票を入れないと思います。
「対立軸を明確にしない野党」では、有権者にアピールしないと、共産党や民進党が考え、「戦争反対」「平和」「人権」というスローガンを掲げ、「憲法改正反対」の旗が下ろせないというのですから、思考の貧困さを笑わずにおれません。
「外国人労働者の大量受入れ推進」「農業の法人化」「モンサント法 ( 種子法廃止法 )」「TPP」「カジノ法案」 等々、これらは間違いなく日本の伝統や文化を破壊し、国の崩壊につながる政策です。
野党が政府に異を唱え国会で論戦をするのなら、国民の票は間違いなく割れ、自民一強は崩れます。そのための条件は、野党が反日の左翼思想と決別しなくてなりません。決別なしで戦をしても、国民に信じられませんので、無理と分かっている野党は、こうした法案に力点を置きません。
少しでも物ごとを真面目に考える人間なら、森友や加計問題より、日本にとって数倍も危機をはらむ政策だと理解しています。「友だちに便宜を図った」と言うのなら、こちらの方がもっとハッキリしています。
以前から注目しているのは、竹中平蔵氏です。ネットで検索しますと、「経済学者、政治家、実業家」「東洋大学教授、慶応大学名誉教授、東京財団理事長」「参議議員議員、内閣特命担当大臣( 経済財政政策 )、内閣特命担当大臣( 金融 )、総務大臣、郵政民有化担当大臣」・・と、沢山の肩書きが出てきます。
氏は米国の巨大金融資本グループ、つまり米政府関係者との結びつきが強いらしく、日本で有名になる前は、主として米国で活躍していた人物です。
日本の閉鎖的な金融市場を開かせるため、米国から送り込まれた人間という噂もあります。実際に氏は、小泉内閣で郵政の民営化に辣腕を振るい、米国のため大きな働きをしました。
「民営化された日本郵政は、アメリカに出資せよ」
サブプライムローン危機の最中に、氏はこのように発言していました。発言するだけでなく実行し、日本の資金を米国のために使わせました。
氏はまた「日本の正規社員は、過剰に法律で保護され、企業の足を引っ張っている。」と批判し、労働市場をオープン化するためには、非正規社員を増やすべきだと主張しました。
正規社員と非正規社員の垣根をなくし、働く者が自由に仕事を移動し、活躍の場を探せるようにしなくては、外国との競争に負けると断言しました。結果として、終身雇用という日本の制度が崩壊し、まともに結婚ができない貧しい非正規雇用の若者が増え、今の日本があります。
氏が米国の要請で政府内にいるため、安倍総理も無下にできないという噂があります。徹底的な市場主義者でグローバリストの氏は、現在安倍内閣で何をしているか。
報道されないのであまり知られていませんが、内閣にいて、日本経済再生本部・産業競争力会議の民間議員となっています。さらに、内閣府国家戦略特別区域会議の、有識者議員となっています。
安倍政権の目玉政策である、「経済再生」の中枢にいて、「外国人労働者の受け入れ策」「農業の法人化」「モンサント法(種子法廃止法)」などの推進に加わり、相変わらず日本崩壊の作業をしています。
経済特区も氏の手にかかると、米国と自分のための利益を追求する政策に変じます。
国が外国人労働者の受入れを実行すれば、膨大な数の外国人労働者が入国して来ます。農業が大規模化し、法人化されると、これも外国人労働者の大規模な需要が発生します。受け入れ窓口となるのが、人材派遣会社です。国民は知りませんが、氏は派遣会社の役員をしています。
パソナグループ取締役会長、オリックス社外取締役、オリックス農業、一般社団法人外国人雇用協議会顧問等々です。つまり、外国人労働者が大規模に受け入れされると、氏の関係する会社は、大きな利益を上げるようになります。
現在でも正規社員を減らした企業に対し、非正規社員を送り込んで利益を上げているのは、人材派遣会社です。
昨年7月神奈川県の特区で、規制緩和された家事支援外国人受入事業には、大手人材派遣会社のパソナが、事業者として認定されました。竹中氏は、パソナグループの会長です。
農業分野で特区に指定された兵庫県養父(やぶ)市では、氏が社外取締役を務めるオリックスの子会社「オリックス農業」が、参入しました。さすが、自民党議員からも、「学者の肩書を使って特区でビジネスをしている」と、批判の声が上がりました。
民進党の宮崎議員は、農林水産委員会において、竹中氏が主張する外国人労働者の受け入れは、人材派遣業界の利益につながりかねないと指摘しています。
しかしこのような批判がされるようになったのは、ほんの最近です。遡れば、氏は平成10年に、小渕内閣で経営戦略会議の委員に就任して以来、森内閣、小泉内閣、安部内閣と、政府内で活動しています。途中で大臣になったり、議員になったり、大変なやり手てす。
安倍氏個人のお友達のことに大騒ぎする野党も、米国の影を持つ竹中氏には、声を潜めています。竹中氏こそが戦後最大の「獅子身中の虫」であり、「駆除すべき害虫」だと思っていますが、マスコミはまったく報道しません。
マスコミの使命感とか、国民へ知らせる義務とか大口を叩くマスコミを軽蔑する理由がここにあります。彼らは、本当に強いものには逆らわないのです。
竹中氏について、マスコミや政治家が知らないはずはなく、彼らが表立って言えないのは、アメリカの影があるからです。
竹中氏が関与している問題は、森友や加計の規模ではありません。反日野党が、政府と戦い、権力に屈しないというのなら、竹中氏こそ追求すべきでしょう。
米国の虎の威を借り、日本を崩壊させようとしている氏こそ、野党が戦うべき権力の一角ではないかと、つねづね思っています。野党が不甲斐ないので、氏は国会堂々と答弁しています。
「民間でできることは民間でやることが、国民や国全体のためになるという思いでやっている」
「アメリカのためにやるなどと、考えたこともない」
誰かが問題提起するのかと期待していましたが、気配がありませんので、せめて息子たちだけにでも事実を知ってもらいたいと、本日ブログにしました。この事実から私たちは、重い教訓を汲み取ることができます。
・敗戦後72年が経過しても、日本は独立国家となれず、未だに米国の桎梏から逃れられない。」 ・・という教訓です。
竹中氏問題は、憲法改正問題にもつながっていますし、今上陛下の「お言葉」問題とも無縁でありません。
米国にとって日本が世界戦略の上でいかに重要な国であるか、いかに手放せない便利な国であるか。そして米国は、どんなに日本支配に力を発揮しているのか、もっと知らなくてはなりません。
自民党も野党も情けない政党ですが、現実を見れば我慢するしかありません。氏は優秀な人物ですが、自己顕示欲が強過ぎます。頭脳明晰な雄弁家で、押しの強いやり手ですが、日本人らしい誠がありません
「竹中ごときに、そんな力があるものか。」と嘯いた自民党の議員がいましたが、気ぐらいだけ高くて無能な人間が多いのでしょうか。
「国を大切にする野党があれば・・・」と、「ねこ庭」で今日も独り言を呟きます。毎日ブログを書いていて、めげそうになることがあります。しかしそのような時、いつも自分の性急さを戒めます。
「ノルウェーは、独立を手にするまで500年以上をかけた。」
「子や孫たちへ引き継ぎ、粘り強く頑張るしか方法はない。」
「戦争に負けるというのは、こんなことである。」
江畑謙介氏著「軍事力とは何か」( 平成6年刊 光文社 )、を読了。
氏は、昭和24年に生まれ、現在68才です。上智大学大学院を卒業後、英国防衛雑誌や海軍情報誌など、各種雑誌の特派員として執筆し、かたわら、通商産業省、外務省、防衛省、内閣官房における、各種委員会委員や講師、参考人などを務めています。
NHKの番組に軍事評論家として、時々出演していたので、顔だけは知っていました。どういう人物なのか、ほとんど知りませんが、何となく好きになれないという印象をもっていました。意見をまともに聞かないのに、印象だけで語るのですから、これこそ「偏見」というものなのでしょう。
しかし著書を読み、偏見が外れていないことに気づき安心いたしました。陸海空の兵器や、軍の組織などにはとても詳しいのに、専門家としての主張は何もしていませんでした。
軍事評論家として政府の委員会に顔を出し、外国誌の特派員もしていたというのなら、日本の現状はこのままで良いのか。憲法は改正しなくて良いのか。明確に意見を述べるのが、専門家でないのかと失望しました。
氏の著書を読んでいますと、敗戦後の諸事情から、現憲法を持つことになった日本の歴史も語らず、憲法の矛盾点にも触れず、自衛隊や政府が国民に対し、軍事力の説明をごまかし続けてきたような印象だけを受けます。
「例えば現在、日本は既に、世界でもトップクラスの国防費を支出し、世界でも一、二を競う兵器輸入国である。とくに後者の現実を、ほとんどの国民は認識していない。」
氏の言う現在とは、平成6年のことです。中国が、爆発的に軍事費を増大させてきたのは、平成22年以降ですから、無理もない叙述と分かってもなんとなく気に入りません。
平成29年の中国は、公式発表の数字だけでも、日本の3.6倍の軍事費を使おうとしています。中国は平成22年以降、毎年、前年比二桁で軍事費を増額しており、偶然氏が著作を出した平成6年は日本とぼぼ同額でした。
公式数字以外にも、沢山の軍事費を隠している中国が、年々それを増大させている危険性を、なぜ平成6年の時点で指摘しないのか。日本の軍事費の額だけを強調するのか。合点がいきませんでした。
氏の話によりますと、世間で言われている通り、日本は核兵器でも、大陸間弾道弾でも、アメリカ並みの地球監視衛星ネットワークでも、すぐに作れる技術力を持っています。「やるか、やらないか」は日本の意思次第だといいながら、もし日本がそれをすれば、国際社会で孤立するから「やれない」のだと言います。
過去を知っているから、日本がそうした兵器を手にすると、近隣諸国が警戒し、紛争の種になるから、やるべきでないと言います。何のことはありません。政府の委員会の委員をやっていましても、氏の思考は、「東京裁判史観」と「自虐史観」でした。日本の過去を否定し、現行憲法を良しとし、日本の自主独立を是としない考えの持ち主でした。
重火器、戦車、戦闘機、空母、潜水艦、ハイテク機器等々、詳しい知識を持っていますが、何も感心しません。戦後の国際情勢の中で、アメリカの保護国というより、属国としての日本がこのままで良いのか。政治的判断は避けたと氏は述べていますが、政治と直結した軍事を語る専門家が、自分の国の実情に言及しない卑怯さを感じました。
どうしても好きになれない石破氏は、軍事オタクと揶揄されていますが、江畑氏も似たようなものでした。「日本は、本気で核について検討すべきでないか。」と、正論を言った石破氏の方が、江畑氏より専門家らしいでないかと思ったりします。
「民主主義の基本が、国民主権で、国民は知る権利があり、政府は国民に対して報告の義務がある以上、秘密保護法の制定に関しては、その内容に慎重であらねばならないだろう。」
「情報を保護することを目的とした、法制でなく、基本的に情報は公開するという、民主主義の根源に立った法制でなければならない。」
「秘密保持の強化は結局民主主義の否定であり、国民を信じられない、民主主義国家は存在し得ない。」
この言葉を読んだとき、私はある発見をしました。秘密保護法が国会で審議されていたとき、腐れマスコミの報道のがまったく氏と同じ論調でした。反日左翼議員が、政府案を攻撃する理由が、氏の言葉とそっくりでした。偶然そうなったというより、もともと氏は、反日左翼思想の政府委員だったのです。
国の安全保障のための、「秘密保護法」の実態が、他国ではどうなっているのか。他国のそれを知る氏が、なぜこんな愚論を展開するのでしょう。国の軍事機密を、国民に公開する基本で整備している国はありません。氏を、軽蔑するしかできなくなりました。
この本の目的は政治的意見を述べるのでなく、軍事力を客観的に伝えることなので、政治的発言は控えましたと氏は初めのページで書いていました。最後になってこのような意見を出すのは、おかしな話です。これこそ政治的発言であり、「お花畑の住民」を喜ばせる意見です。
だからNHKが、氏を番組に登場させたのかと理解しました。今でも、政府の各種委員会の委員をしているのかどうか 知りませんが、そうだとしたらとんでもない話です。この本も野菜くずや魚の骨と一緒にゴミ袋に入れ、ゴミステーションに捨てます。
台風18号の影響で今夜半から天候が崩れ、日、月と大荒れの天気になります。「ねこ庭」の花木も私の心も、嵐となりそうです。
朝日新聞の大嘘が判明して以来、「売春婦問題 ( 慰安婦 )」が下火になりました。
ところが、反日日本人と在日と韓国が新たに協力し、次の「難癖」を考え出しました。千葉日報の記事を紹介します。8月31日の記事の見出しです。
・朝鮮人虐殺で、遺族会を結成」・・。
・韓国の釜山で、遺族6人と市民団体が参加した追悼会が開かれ、初めて参加した遺族は日韓両政府に対し、関東大震災時の真相究明を求めると表明しています。
・東京都内にある慰霊碑には、朝鮮人の被害者数を六千余名としていますが、実態はまだ不明とのことです。
・「虐殺の歴史 否定するのか」、「小池氏の追悼文中止が波紋」・・。
続く9月1日の記事です。今度は前日の記事より広いスペースを使い、見出しの活字も大文字です。
毎年9月1日に墨田区の公園で、関東大震災の朝鮮人被害者を追悼する式典が行われ、歴代の知事が追悼文を送付していました。
小池知事が、今年その追悼文の送付を中止したことについての、批判記事です。知事はその理由を、被災者への慰霊を都は例年大法会で行っており、すべての犠牲者の追悼をしているので、これからは、別途特別な対応をしないことにしたと説明しています。
韓国や朝鮮が絡むと、必ず顔を出す反日日本人がいます。今回は作家の加藤直樹氏でした。
・都知事が追悼文を出さないということは、今後、東京という多民族都市で震災が起きた時、少数者は守りませんというメッセージを出すことになる。」
どのような作品を書いている作家なのか、名前を聞いたことがありませんが、こんなことでもしないと名前が売れないのでしょうか。
これを受け、また聞いたこともない在日の団体が顔を出します。東京朝鮮人強制連行真相調査団の、李事務局長です。俄か作りの団体なのでしょうが、新聞が活字にすると、公式な組織の印象が生まれます。
・惨劇の事実、記憶は生々しい。過去をごまかしては、未来を築けない。
委員長の言葉です。捏造の「売春婦問題」の時も、彼らの主張はこんな具合でした。「売春婦問題」で日本を攻撃できなくなり、金が取とれなくなると、今度はまた捏造の「大震災虐殺」を考え出しました。
千葉日報が記事を連続して掲載しているということは、朝日、毎日は無論のこと、反日の腐れマスコミが、一斉に全国報道をしているのでしょう。それにしても、許せないのがNHKです。
昨年何気なく見たNHKの番組が、反日の先陣を切るテレビの証明になるとは、思ってもいませんでした。平成28年9月3日土曜日に放映された、「関東大震災と朝鮮人」という番組です。
同じく昨年の11月にチャンネル桜が、この番組への疑問を述べていました。たまたまパソコンに残していましたので、NHKの番組冒頭の説明を紹介します。
・混乱の中、流言が広がり、多くの朝鮮人が殺害された悲劇はなぜ起きたのか。
・中央防災会議が2009年に国の機関として、初めてこの事件を分析し、報告書にまとめました。
・これによると軍と警察、新聞も一時は、流言の伝達に関与していた。
・また裁判記録の研究が進み、自警団などが殺害に至った経緯なども明らかになった。
・番組では司法省の一次資料と、民間の聞き取り調査などをもとに事件の社会的経緯を探っていく。
東大の歴史学者である鈴木教授が中心となり調査したと、NHKらしい説明です。番組を見て疑問を抱いた梶谷洋一氏が、鈴木教授の分析・検討したという一次資料を保管場所である防衛省で調べた結果、「NHKの捏造」が発見されたという動画です。
当時の司法省刑事局が震災関連をまとめた報告書は、三百ページ以上の冊子になっています。
その中にある「第3章 鮮人の犯罪」の部分が、番組で使われていないことが、梶谷氏の調査で分かりました。NHKと鈴木教授は、司法省がまとめた「震災時の朝鮮人犯罪」をそっくり省略し番組を作っていたのです。
ここを飛ばして報道しますと、「何の理由もないのに、日本人が朝鮮人を虐殺した。ひどい差別ではないか。」という内容になります。
同時にNHKは、大正12年という年がどのような状況にあったのか、時代背景という大切な説明も省略しました。
3年前の大正9年に世界恐慌が起き、株価が暴落し、世間に不景気の風が吹き荒れていました。大正11年には堺利彦らによって日本共産党が結成され、これに呼応する朝鮮人たちの不穏な動きが生じていました。
当時の日本人が朝鮮人を蔑視し、差別していたのは事実でしょうが、彼らの過激な組織的動きがあったことも、省略できない時代背景です。自分の都合の良いように、資料を切り貼りし番組を作るというのなら、「捏造」になります。
公共放送の名において、国民から受信料を徴収するNHKが、どんな資料を省略したのか。少々長くなりますが紹介します。
「第3章 鮮人の犯罪」・・司法省刑事局資料
殺 人 2件 殺人未遂 2件 殺人予備 2件
放 火 3件 強 盗 4件 強盗殺人 1件
強盗強姦 1件 強 姦 2件 傷 害 2件
脅 迫 2件 公務執行妨害 1件 橋梁破壊 1件
窃 盗 17件 横 領 3件 流言浮説 2件
爆発物取締罰則違反 3件 鉄砲火器取締法違反 1件
上記49件のうち起訴した者が13名で、他は逃亡したと説明されています。震災の発生時にこれだけの犯罪が、朝鮮人により行われているのですから、地区住民が組織した自警団や警官が、朝鮮人を殺害する要因はありました。
災害時の興奮と殺伐とした 世相、共産主義者や共鳴する朝鮮人が犠牲になった裏には、何も原因がなかったのではありません。それを説明しないNHKは、公共放送の名に価するテレビ局なのでしょうか。
ここで私がブログで取り上げた別の意味は、「反日の先頭に立つNHK」への糾弾です。
冒頭に紹介した千葉日報の二日連続の記事と、NHKの捏造報道は連動しています。「売春婦問題」の火付け役は朝日新聞でしたが、「関東大震災の朝鮮人被害者」の火付け役は、NHKがしました。
関東大震災による死亡者数は、全体で約十万五千人と言われています。そのうち、朝鮮人は約六千名で虐殺されたと言われているのは、233名です。彼らは正確な数字を言わず、まるで六千余名が殺されたような伝え方をします。
ブログを訪問される方々に、「こんなNHKを、このまま存続させていいのでしようか。」と、問いかけます。
自民党の政治家に対しては、「NHKを解体せよ。」といいます。