江畑謙介氏著『日本が軍事大国になる日』( 平成6年刊 (株)徳間書店 ) を、読んでいます。
氏は昭和24年千葉県に生まれ、上智大学を卒業して、拓殖大学・海外事情研究所の客員教授をし、軍事評論家として知られています。肩書きの多い人物なので、その一部を紹介します。
・イギリスの防衛専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員
・通商産業省産業構造審議会「安全保障貿易管理部」臨時委員
・スェーデン・ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)客員研究員
・防衛庁・防衛調達適正化会議・議員
・内閣官房・情報セキュリティ専門調査会・委員
・経済産業省・産業構造審議会・安全保障貿易管理小委員会・委員
・外務省「対外情報機能強化に関する懇談会」委員
NHKの番組で解説をする氏を、以前何度か見たことがあり、顔だけは知っていました。存命だと思っていましたが、平成21年に難病のため、60才の若さで亡くなっています。
物騒な書名なので、長らく本棚に置いていましたが、巻末の「おわりに」を読み、執筆に際しての氏の考えを知りますと、ごく普通の本でした。今から17年前の出版ですが、むしろ現在の私たちに、様々なことを教えてくれる、有用な本であることが分かりました。
台湾と中国という「二つの中国」をめぐり、欧米諸国と赤い中国がどのような外交・軍事作戦を展開しているのか、ベトナム、フィリピン、マレーシアなど、東南アジア諸国の軍備と装備はどうなっているのか。
インド、パキスタン、イランなど、インド洋の軍事環境はどうなっているのかなどが、詳細に説明されています。269ページの内、240ページは他国の軍事情勢の叙述で、日本については、最後の29ページで書かれています。全体の11%ですから、『日本が軍事大国になる日』という書名は、少し大袈裟で、刺激的すぎる気がします。
出版社は、往々にして著者の思いを無視し、人目を引く、過激な書名をつけると言いますから、もしかすると、この本もそうなのかもしれません。
今は遺言となった氏の言葉を、「おわりに」の叙述から紹介します。
「本書を執筆しながら、常に頭にあったのは、」「アジアに紛争が起こらないようにする、何か方法はあるのだろうか、」「という、自分自身への問いかけであった。」
「その問いかけは、あくまでも自分自身のものであったが、」「筆者の〈成果〉を報告させいただくなら、〈これという名案は、得られなかった。〉」
専門家と言われる人物は、こういう本音を言いませんので、その謙虚さに惹かされました。軍事オタクといわれている、ある総裁候補の政治家とは、大きな違いを感じます。
「たとえば兵器を悪とするには、世界はあまりに複雑である。」「安全保障上の価値観だけでなく、政治的、経済的な価値と役割があり、」「それらを無視して考えることはできない。」
「〈敵〉の存在というが、何をもって〈敵〉とするのか。」「いったい、世界に共通する〈民主主義〉や〈人権〉が、存在するのか。」「自国の生存のためだけでなく、自国に有利となるように外交を進めるのが、」「果たして、悪であろうか ? 」
「自衛に必要な〈限度〉を超えるとは、何の基準を持っていうことができるのか。」「国際貢献というが、その行為が、全ての国から、」「〈貢献している〉と、みなされるものなのか ? 」
「完全というものがない以上、ある程度で見切りをつけなければならないが、」「〈程度〉とは、いったいどこに設定すれば良いのか。」「全ては、絶対的判断基準が存在しないために、起こっている。」
私の「ねこ庭」で悪態をつく、若者たちの言葉なら注意を払いませんが、軍事評論家としての氏の言葉だと思えば、重みが違います。
「アジアに紛争が起こらないようにする、何か方法はあるのだろうか。」と、氏がこうした基本に立ち返えり、思考しているのだとすれば、耳を傾ける意見だと思います。
「国家間の不信感が、軍拡を生むのは、歴史が証明している。」「軍備の増強は、不信感が大きいほど、不安定性を高める。」
17年前といえば、日本は村山富市氏が総理だった時です。当時の中国は、鄧小平以来の「経済優先政策」により、「政治の集団指導体制化」が引き継がれていました。しかし中共内部は一枚岩でなく、市場経済や国際協調に反対する、左派・保守派を懐に抱え込んでいました。
1994年の時期は、「経済優先」 のため、左派・保守派が押し込められていた時でもあり、「内憂外患」の最中でした。1989年の天安門での虐殺事件で、西側諸国が厳しい制裁をし、中国もまた不信感を募らせ、「愛国主義教育」に起死回生をかけていました。
こういう時期の著作だと思いますと、氏はやはり、軍事の専門家だったと言わずにおれなくなります。国内に多くの矛盾を抱えながら、経済大国として台頭しつつある中国は、当時はまだ、現在のように、世界の軍事バランスを破壊する存在ではありませんでした。
今日の米中対立を見越している、氏の意見ですから、真面目に読むべしという気がします。
「相手が何を考え、どんな軍備をし、どの程度の軍事力を備えているのかが、」「明らかにされれば、少なくとも不安定な軍備拡張を防ぐことができる。」
「ただどの国も、それを明らかにすれば、同時に脆弱箇所も明らかにすることになる。」「それゆえ、自国の装備をどこまで明らかにするのかは、」「非常、難しい問題である。」
「長い時間と、多くの努力が必要とされるかもしれないが、」「各国の地域の状況を、なるべく正確に、客観的に把握せねばならない。」「先にイデオロギーを出してしまうと、いかなる結果になるかは、」「冷戦時代に、如実に示されている。」
「日本はこれまで、あまりに軍事面を、」「無視してきたのではなかろうか。」「日本は今後、現実を直視せねばならないだろう。」
「熱ものに懲りて、生酢を吹く」の言葉にある通り、敗戦後の日本は、極論から極論に振れました。軍と名がつけば軍国主義と、大騒ぎし、国の安全保障も軽視する国となってしまいました。
自衛隊ばかりでなく、軍事評論家としての氏も、戦後の日本で、肩身の狭い思いをしてきたのだと思います。「平和憲法を守れ」と主張している共産党が、政権をとれば赤軍を作ると言っているのに、その支援者と愚かな若者たちは関心を払いません。
「日本はこれまで、あまりに軍事面を、」「無視してきたのではなかろうか。」「日本は今後、現実を直視せねばならないだろう。」
謙虚な軍事評論家である氏の言葉に、今は謙虚に耳を傾ける時でしょう。