「日本の驕慢 韓国の傲慢」( 渡部昇一 呉善花著 徳間書店刊)、
「反日 親北 韓国の暴走」(呉善花著 小学館刊)、
「やっかいな隣人」(井沢元彦 呉善花著 祥伝社刊)、
「大韓民国の物語」(李栄薫著 文芸春秋社刊)、
「反日の構造」(西村幸祐著 PHP社刊)、を読んだ。
いくら本を読んだって、隣国の反日感情がどうなるものでないが、それでも、彼らの言う「歴史認識」の中身が知りたくて、本を読む。
呉善花という韓国人も、今回初めて知ったが、彼女には不思議な違和感を覚えた。日本の良き理解者として意見を述べる彼女は、わが国にとって有り難いのだろうが、自分の国の欠点や短所を指摘してやまない人物は、その存在自体が私の理解を越える。
中国は親で韓国は息子、日本は韓国の弟、という認識が韓国人にあるため、儒教の教えからして、親がやることはどんなことでも、例え間違っていても許せるが、弟が兄を越えることは、何であれ許せないのだと言う。
彼女の話で初めて知ったが、こういう認識から出発しているのなら、今後とも韓国や中国との関係は、容易に修復しないだろうと実感した。頑迷な中華思想と、偏狭な儒教が、両班と平民という厳しい身分制度を作り、どれだけ韓国の近代化を妨げていたか。
両班は、中央では高級官僚として国を統治し、地方では、地主あるいは官吏として、庶民を支配する権利を持ち、一般国民を牛馬のごとく使っていた歴史がある。日本が過酷な植民地支配をしたと言うのは、間違いで、日本が韓国民を解放したのだと彼女は言う。
貧しい農奴だった庶民に、土地を分配して自作農にし、両班・平民という厳しい身分制度を廃止したのは、日本の統治だった。しかし韓国ではむろんのこと、北朝鮮でも、このような事実は国民に知らされず、日本への憎しみと反発だけが、教えられているなどなど・・。
私にすれば、こんなことは日本でなく、韓国で語って欲しいと思う。そうすれば、居丈高に、「日本人には歴史認識がない」という非難が、如何に恥ずべき、無知の産物であるか分かるだろうに。
一方で渡部氏のように、何でも日本が正しいと言う主張には、排外的愛国心の臭いを嗅ぎ、頷けないものがあった。私が感銘を受けたのは、李栄薫氏の本だった。経済学者である氏は、数字や統計の資料から、日本の統治時代が「韓国収奪」でなく、韓国の近代化と前進のため、大きく役立ったと分析し、自国の教育の間違いを指摘していた。
詳しいことは忘れてしまったが、ようするに彼は是々非々主義者で、こんな人物が韓国にもいるのかと、安堵を覚えた。氏は韓国内で知日派として非難されているが、呉善花氏のように日本を誉めるだけでなく、反日の立場を貫いているところに、強い関心を抱かされた。
だが、中国も韓国も、暫くこれで休憩としよう。まったくのところ、厄介な隣人たちには、疲れさせられるばかりだった。日々一喜一憂していては、身がもたない。
「なに、そのうち。反日なんて収まりますよ。国民が豊かになったら、自分の暮らしを楽しむ方に向いていきますから。」と、邱永漢氏が楽観視していたが、百年河清を待てる国に育つと、そんな悠長なことが言えるのだろうか。
見上げる空はいつの間にか、秋だ。さてさて久しぶりに、庭の手入れでもするか。