私が民主党を支持した理由の一つとして、小沢一郎の存在を擧げたことがある。
「日本を普通の国にする」という彼の考えに共鳴したからだった。ポツダム宣言の受諾以来、米国の軍隊が駐留するようになり、日本は西側陣営の一員として位置づけられるようになった。
敗戦国となった結果だから、これについて、日本がとやかく言える立場になかったのは、事実である。そして遂に、世界第二位の経済力を持つまでに国を再建し、大国の一員らしく自信に満ちて振る舞う者も出てきた。しかし、現実はそうでなく、戦後66年が経過した現在でも、米国に国を守ってもらっている日本は、国際社会では、アメリカの属国として見られ、半人前としてしか扱われていない。
認めたくないし、癪にも触るからだろうが、マスコミも政治家も、そんなことは国民に言わない。しかし私は、何時からか、日本の置かれたこのいびつな状況を元へ戻し、自分の国を、もう一度普通の国にしたいと強く願うようになった。
つまり、自分の国は自分で守るという、普通の国だ。そうなって、初めて日本は独立国になると、今では信じている。憲法の問題もあるし、根付いてしまった一国平和主義という幻想もあるし、再び普通の国になる困難さが見えていただけに、小沢一郎氏に期待したのだ。
しかし、今はもう、幻想に過ぎなかったと諦めの境地にある。結局小沢氏は、国を背負う政治家にはなれず、中途半端な魅力で、周りに議員を引き寄せ、その小さな自分の集団のためにだけしか、身を処せない政治屋の一人でしかなかった。政党を作っては壊し、壊しては作り、側近を育てては切り捨てるという、それだけの人物でしかなかった。
大事な予算の審議を前に、党内で反旗を翻した16人を止めもせず、返って煽動しているらしい新聞記事もあり、ますます私の評価を下げる。
それを、いまだに支援する鳩山さんも、恥知らずな人物である。自分のせいで、米国と沖縄の関係が悪化したというのに、現実の分からない元総理だ。小沢氏にしろ、鳩山元総理にしろ、類は類を呼ぶということなのだろうか。日本という国より,国民より,身の周りにいる仲間の方が、大事というのだから呆れてしまう。
けれども彼らのお陰で、野党というものが、如何に無責任なことを言い、無責任に政治を行うものか、よく勉強させてもらった。
新進党や魁同様に,民主党も、やがて消滅する党なのだろうが、それでも私はまだ、日本と日本人に絶望しているのでないから、時間がかかるとしても、明日を背負ってくれる政治家と、政党を発見するため生きて行く。
誰に頼まれている訳でもないが、国民の一人として、それこそ、ごく普通のことだ。