ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)

2025-01-04 09:54:15 | 徒然の記

 宮内庁のホームページから、上皇陛下 ( 当時の天皇陛下 ) がNHKを通じて述べられた「お言葉」( 全文 ) を、転記いたします。

 

 ・戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。

 ・私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。

 ・本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 ・即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 ・そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,

 ・また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。

 ・私が天皇の位についてから,ほぼ28年,このかん私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,

 ・同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,

 ・天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。

 ・皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。

 ・天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。

 ・しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 ・天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,

  ・重い殯 ( もがり ) の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀そうぎに関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

 ・始めにも述べましたように,憲法のもと,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,

 ・相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。

  国民の理解を得られることを,切に願っています。

 
 今回は陛下の「お言葉」のみをご紹介し、次回はウィキペディアとBBC  NEWSが、どのように解説していたのかを紹介いたします。
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女性皇族の考え「理解を」- 28 ( 参考としての、高森氏の意見 )

2025-01-03 18:41:20 | 徒然の記

 高森氏の意見について、ウイキペディアの説明がもう少しあります。

 ・その後平成28年に、NHKのいわゆる「生前退位」速報と、その後の「象徴としての務めについてのお言葉」の発表直後、

 ・月刊誌『WiLL』の特集記事で述べられた、「天皇・皇族の政治利用」「2人の天皇が併存する問題点」など、かつて自身も述べていた懸念について、

 ・「無知、理解力の無さ、事実誤認、不遜、不敬の程度が、想像を絶して甚だし過ぎる」と述べている

  ウィキペディアのこの説明もよく理解できませんが、かって自分が言っていたことを『WiLL』が述べると、今度は激しく批判したと言う意味なのでしょうか。

 次がウィキペディアの紹介する氏の最後の意見です。

 ・「選択的夫婦別姓に反対する保守の人間が男系の縛りにこだわるのは、自己矛盾」と述べている

 失礼にあたるのかもしれませんが、氏の意見の全部を読んだ上で、「ねこ庭」は次のように考えました。

 「この人は、本当に皇室研究者と呼べる学者なのだろうか。」

 今はいくら探してもネット上から消えていますが、著名な保守学者の意見がありました。

  ・皇室について、「側室」と言う言葉を使う者がいるが、ものを知らないにも程がある。

  ・「側室」は、将軍や大名のような武家の場合に使う言葉で、皇室には別の用語がある。

  ・正妻は皇后 (こうごう) 、中宮 (ちゅうぐう) 、正妻でない人は后妃 (こうひ) 、妃 (きさき) 、女御 (にょうご )  とあるのだから、使い分けるのが正しい。

 正妻は天皇や将軍と対等の立場ですが、正妻以外の女性は仕える人という違いがあることも、教えてもらいました。

 祖先の祭祀 (さいし) を絶やさぬため、儒教の道徳思想からも公認されていたと言いますから、身分の高い人々にとって正妻以外の女性を身近に置くと言うのは、普通の制度だったようです。

 高森氏は皇室研究家として有名な人のようですが、「天皇の側室」と言う言葉を平気で使っています。「ねこ庭」の頭が硬いのかもしれませんが、著名な保守学者の意見を信じてきましたので、「高森氏は、ものを知らない学者なのか ? 」と思います。

  ・高森は、「側室制度 ( 一夫多妻制 ) が廃止された状況下では、皇統を維持できなくなる」として、女系天皇容認の立場をとる。

 ウィキペディアが紹介した上記説明には、氏の間違いが二つあります。一つは「皇室の側室」という言葉の間違いですが、これについては氏がものを知らない学者という話になるだけで、たいした問題でありません。

 しかし「一夫多妻制」が無くなったので女系天皇を容認すると言う意見は、致命的な間違いです。氏が日本を大切にする保守学者なら、「天皇家の男系」を途絶えさせる女系天皇の容認は論理的にあり得ません。

 今更元へ戻せない皇室の「一夫多妻制」に言及し、それが出来なければ「女系天皇容認」という理屈では、神道学者、歴史家、皇室研究者の肩書きが泣きます。

 学者で無い「ねこ庭」でも分かりますが、「一夫多妻制」がなくなった現在、選ぶのは「11宮家の皇籍復帰」しかありません。

 「一夫多妻制」を無くされたのは、大正天皇でした。

 明治天皇の第三皇子(皇男子)として誕生された大正天皇は、ご自分の生母を明治天皇の皇后・昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう) であると信じておられました。

 病弱だった自分を献身的に育ててくれた生母が昭憲皇太后で無く、権典侍・柳原愛子様と知った時大きな衝撃を受けられ、ご自分の代になられた時から「一夫多妻制」を止められたのだそうです。

 大正天皇は貞明皇后(ていめいこうごう ) 以外の女性をそばに置かれず、貞明皇后は天皇家での「一夫一婦制」の最初の皇后と言われています。

 制度として「一夫多妻制」を廃止されたのは昭和天皇でしたから、皇室が元の制度に戻ることは今ではまずあり得ません。高森氏が皇室研究家で神道学者なら、ウィキペディアが紹介する次の意見は、出てきません。

  ・高森は、「側室制度 ( 一夫多妻制 ) が廃止された状況下では、皇統を維持できなくなる」として、女系天皇容認の立場をとる。

 まして次のような意見は、論理破綻としか考えられなくなります。

  ・「選択的夫婦別姓に反対する保守の人間が男系の縛りにこだわるのは、自己矛盾」と述べている

 「ねこ庭」からみますと、自己矛盾しているのは高森氏自身でないかと思えますが、「ねこ庭」を訪問された方々はどのように判断されるのでしょうか。

 上皇陛下がNHKを使って「譲位」の意思を述べられた事件について、氏は「ねこ庭」と同じ意見です。過去記事を読み返すと、「ねこ庭」も矛盾した意見を述べていますから、それも氏であり、これも氏であろうと思い、一方的な批判はしません。

 息子や「ねこ庭」を訪問される方々には、参考になる意見を紹介したということにとどめ、いよいよ本来の課題へ戻ります。

   4.  上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

   5.  秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 次回は、 4.  上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと です。
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女性皇族の考え「理解を」- 27 ( 高森明勅氏の意見 )

2025-01-03 00:03:54 | 徒然記

  高森明勅 ( あきのり ) の名前は耳にしたことがありますが、どのような人物かについてはほとんど知りません。ウィキペディアの経歴を紹介します。

  ・高森は昭和32年生まれ岡山県出身、68才

  ・評論家、神道学者、歴史家、皇室研究者

  ・國學院大学文学部卒業 同大学大学院博士課程前後期単位取得満期退学

  ・拓殖大学日本文化研究所客員教授  「新しい教科書を作る会」副会長

  ・「日本文化総合研究所」代表  麗澤大学外国語学部講師

  ・防衛省統合幕僚学校「国家観・歴史観」部外講師

 肩書きの多い人物ですが、保守か左翼かいまだによく分からない小林よしのり氏と共に、文筆活動や評論活動をしていると書いてあります。そのような氏が、防衛省の幕僚学校で「国家観・歴史観」の部外講師といいます。

 皇位継承問題に関する氏の意見を、ウィキペディアが紹介していますが、何度読み返しましても、氏の意見が理解できません。

  ・高森は、「側室制度 ( 一夫多妻制 ) が廃止された状況下では、皇統を維持できなくなる」として、女系天皇容認の立場をとる。

  ・同年6月に開催された皇室典範に関する有識者会議記者会議では「直系を優先し、兄弟間では男子を優先すべき」旨の提言を行っている。

  ・その理由として「女性天皇」が即位した場合、女性は生理や妊娠・出産を伴うため、宮中祭祀を含む公務の遂行が困難になること」を挙げている。

  ・同年、同有識者会議が「男女にかかわりなく直系・長子を優先する」との最終報告を提出した際には、

  ・「日本文化チャンネル桜」の座談会で、「有識者会議の結論には8割方賛成だが、長子優先論は全く問題外」だと断じている。

  ・また、前述の小林よしのりは高森の影響から、女系・直系天皇論に立場を転じている。

  ・一方、男系天皇護持派の小堀圭一郎は、自著『皇位の正統性について』の中で高森の論を「多重の安全装置が必要との主張」で「厳しくも親切な警告」としている

 女系天皇を容認すると言う高森氏の意見は、天皇家の祖先を辿れなくすることですから、神話時代から続く天皇家の血統を絶やすことになります。天皇家であっても将軍家であっても、何代も続く名家は「男系の血筋」を守っているから、名家なのです。ご先祖の苦労は、ひとえにここにありました。

 次にウィキペディアがびっくりすることを、教えてくれました。大手メディアは書かないのに、週刊誌は「開かれた皇室」報道まっしぐらです。

  ・『週刊新潮』平成25年6月20日号の「宮内庁が皇太子妃の長期療養問題を解決すべく、皇太子は即位後短期間で退位し、

      ・弟の秋篠宮文仁親王は即位を辞退し、その長男の悠仁が即位するよう安倍内閣に申し入れた」とする記事について

  ・「天皇を秩序の基軸とする日本社会の伝統的な在り方自体が、たったお1人の皇族のご意思によって決定的に左右される事態になる」

  ・「ご本人のご意思で退位や即位辞退が可能になると、無責任かつ悪質な週刊誌の記事などを鵜呑みにした人々が、ご本人に働きかけて天皇の退位や即位辞退を実現させようと、

  ・不敬不埒な署名活動やデモを活発に繰り広げないとも限らない」「自分たちが『支持』する皇族を何とか即位させようと、国民の間に激しい対立が生まれることもあり得る」

  ・「退位した天皇は歴史的には太上天皇(上皇)という地位を与えられて来たが、太上天皇にはどのようなご公務を考えているのか」と延べ、天皇のいわゆる「生前退位(譲位)」や「即位の辞退」には否定的と取れる発言をしていた。

 高森氏の女系天皇容認論には反対ですが、現上皇陛下がされた「天皇時代の譲位」については氏と同じ意見を持っています。二つ残っている検討項目の一つが下記4番ですから、テーマを外れた検討をしていないと言う安心感があります。

  4.  上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

  5.  秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 右でもなく左でもない高森氏について、「ねこ庭」が感じたことを次回にもう少し述べ、4.  5. の項目へ戻ります。問題の解決からは遠ざかっていますが、今回のシリーズは先が見えてきました。
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女性皇族の考え「理解を」- 26 ( 昭和天皇のご挨拶 )

2025-01-01 23:32:37 | 徒然の記

 新しい年が来ました。静かな元旦の一日が終わり、机に向かっています。

 昨年は、皇籍離脱した元皇族との晩さん会で昭和天皇がされた挨拶を紹介いたしました。この時陛下がどのようなお気持だったのかを、斉藤勝久氏が間接的に述べています。

 〈 終戦直後の皇族の方々 〉

  ・昭和20年8月15日、終戦の玉音放送の後、鈴木貫太郎内閣は総辞職したが、日本の難局は続いた。

  ・不穏な動きを見せる軍部、特に陸軍を抑え、終戦を成し遂げるため、昭和天皇はかねてから、後継の内閣総理大臣を決めていた。

  ・陸軍大将にして、皇族の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)王である。前編で述べたように、明治天皇の第9皇女と結婚し、また2年前には昭和天皇の長女が嫁いだ東久邇宮家の当主になっている。

  ・東久邇宮は、皇族が政治に関与することに反対で首相就任を固辞したが、終戦を決意した昭和天皇のやつれた様子を見て、決断する。日記にこう記した。

  ・「この未曾有の危機を突破するため、死力をつくすことは日本国民の一人として、また、つねに優遇を受けてきた皇族として、最高の責任であると考えた」

  ・昭和天皇は、終戦を前例のない「皇族内閣」で乗り切るしかない、というお考えだったと言われる。

  ・昭和天皇は玉音放送の翌日に軍人皇族を呼び、天皇の特使として外地の日本軍に終戦を伝達するため、

  ・朝香宮(あさかのみや)を支那派遣軍に、竹田宮(たけだのみや)は関東軍と朝鮮軍に、閑院宮は南方総軍に派遣した。

  ・首相になった東久邇宮は「全国民が総懺悔(ざんげ)するのが我が国再建の第一歩」と「一億総懺悔」を訴えた。

  ・しかし、連合国軍総司令部(GHQ)が内務大臣、内務省の警察部門(警保局)幹部の罷免などを命じてきた。

  ・「総理大臣宮」は突然の “ 内政干渉 ” に抵抗の意地を示し、在任わずか54日間で総辞職した。

 不穏な動きを見せる外地の陸軍が、平穏裡に武装解除をしたのは、天皇の特使として宮家の方々が行かれたからだったということは、別の書物にも書かれていました。国内でも外地でも陸軍の中には敗戦を認めず、「徹底抗戦」を主張する軍人がいましたから、天皇の「お言葉」を宮家の方々が直接伝え、説得された功績には大なものがありました。

 国内の陸軍に対しては、東久邇宮様を昭和天皇は首相に指名され、騒乱の抑えとされました。

 皇族が政治に関与することに反対されていた東久邇宮様が、首相の任を受けられたのは、

  「昭和天皇のやつれた様子を見て、決断する。日記にこう記した。」

 と、斉藤氏が宮様のお気持を説明しています。敗戦、占領軍の進駐、GHQによる統治と、経験したことのない事態に陥った日本を内戦の危機から救ったのは、昭和天皇のご判断と、皇族の責任を果たそうと協力された宮家の方々の献身があったからと「ねこ庭」は考えます。

 天皇家の存続のため、数の増減はありながら、複数の宮家が常に作られる仕組みが何時の時代から始まったのか正確に知りませんが、昔からあったのは確実だろうと思っています。

 その大切な宮家を、GHQの強制を受け11家も一度に「皇籍離脱」を伝えるのですから、昭和天皇が心穏やかにご挨拶されたと考える方が不自然ではないでしょうか。

  「従来の縁故は、今後においても何ら変わるところはないのであって、将来ますますお互いに親しくご交際をいたしたいというのが、私の念願であります。」

  「皆さんも私の気持ちをご了解になって、機会あるごとに遠慮なく、親しい気持ちでお話にお出でなさるように希望いたします」

 斉藤氏が紹介する晩餐会での昭和天皇の「ご挨拶」には、様々な想いが込められていたと推察します。

 氏は昭和天皇のお気持と、敗戦後の宮家のお働きを知っているから、次のような説明になるのだと考えます。
 
  ・11宮家51人が戦後に皇籍離脱してから今年で75年。
 
  ・敗戦の混乱の中で一般国民となった旧宮家の人々と、その子孫は、
 
  ・戦後も皇室の親族らが集まって「菊栄(きくえい)親睦会」を開いたり、
 
  ・皇室行事や宮中祭祀(さいし)などに参列したりして、皇室とのつながりを保っている。
 
  ・現皇族が減り続ける中で、「旧宮家の男系男子の皇族復帰」の日は来るのか・・。
 
 氏の説明を読み、「11宮家の皇籍復帰」の必要性と重要度への理解を深めましたが、違った意見を言う専門家もいます。神道学者・皇室研究家として知られる高森明勅 ( あきのり ) 氏がその人です。
 
 新年早々脇道を更に進みますが、「戦後日本史の大河」を語るには、高森氏の意見も紹介しない訳にいかなくなりました。時間のある方は、次回の「ねこ庭」へ足をお運びください。
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