今回は、氏が経験した「金銭に関する痛い経験」の検討作業です。
ウィキペディアが書いた〈 共同通信記者時代 〉の経歴の中に、実例がありました。
・平成28年7月、青山の参議院選挙出馬に合わせて『週刊文春』が次の様な記事を書いた。
「青山が共同通信記者時代、ペルー大使館人質事件取材で、経費を私的に流用したとして退社に追い込まれた」
・青山は文春の取材に反論を行い、「虚偽の内容で選挙妨害に当たる」として、週刊文春の記者と文春を東京地検特捜部に刑事告発した
・青山は翌平成29年1月に特捜部から、告発受理の解答が来た事を明かした。
裁判の結果がどうなったのか書かれていませんが、月刊『Hanada』の編集長花田紀凱 ( かずよし ) 氏の意見が紹介されています。
「取材費の退職金からの相殺については、自身の取材経験として、高額の取材費が計上される場合は理解出来る範疇である。」
「記事を掲載した文藝春秋社の松井清人社長が、安倍政権を「極右の塊」と認識しているので、中傷記事が掲載される事は時間の問題であり、特段問題が無いことである。」
朝日新聞、NHK、共同通信社に比べると、文藝春秋社は保守中道の会社と思っていましたが、故安倍氏を「極右の塊」考える人物が社長だったとは知りませんでした。
「坊主憎けりゃ、袈裟までにくい」という言葉通り、安倍首相に支援されていた青山氏にも我慢がならなくなったということなのでしょうか。お陰で青山氏の退社原因となった金銭トラブルを知ることができました。
平成8年12月、丁度祝賀パーティーの開かれていたペルーの日本大使館に突如武装ゲリラが侵入し、622人を人質にするという大事件が起きました。ゲリラ犯との交渉で女性、子供、老人が解放され、最終的には男性のみとなり、日本人24人を含む72人となりました。
時の首相は橋本龍太郎氏で、交渉による平和的解決をフジモリ大統領に求めたと言われています。青山氏の説明によりますと、人質が72人になった時点で日本人の安全が優先するとして、記者たちを含む日本人が全員帰国したそうです。しかし青山氏は、本社と交渉してペルーでの取材許可を得ています。
貴重な情報が得られる利点もあるとして、本社が氏の希望を受け入れた結果、氏はペルーに残った一人だけの日本人記者になりました。
翌平成9年4月に、ペルーの特殊部隊が突入して人質の解放をするまでの4ヶ月に問題となった経費が発生します。
・取材費として、青山氏が共同通信社へ要求した金額 ・・1,500万円
・この内、共同通信社が取材費として認めなかった金額 ・・ 450万円
・青山氏は450万円を、退職金で支払うこととした。
厚生労働省のデータで平成8年当時の「日本人の平均給与」を調べますと、およそ年額472万円でした。
「橋本総理から、青山の情報は誰からどのようにして得ているのかと聞かれましたが、私は言いませんでした。」
記者として情報源を守ったと説明していましたが、緊張した状況下での情報収集には命の危険が伴い、金もかかっただろうと想像できます。しかし4ヶ月間で当時の日本人の平均年収のおよそ3年分を使っています。
もし言えるとしたら、アフガニスタンやイラクなどの紛争地域で取材している日本のフリー記者の記事の相場が、一件150から200万円と読んだ記憶があります。
彼や彼女らが危険地域で取材した命懸けの記事を、大手マスコミが買う場合の相場ですから、これが参考になるのだとしますと、4ヶ月の1,500万円もあり得ない金額でないと思えてきます。
月刊『Hanada』の編集長花田氏が言うように、「特段問題のない」金額なのかどうか、「ねこ庭」には明確な判断材料がありません。
共同通信社が認めなかった450万円の中には、乗馬クラブに通った費用が含まれていたと、ネットの情報で分かるのはそこまででした。
「金銭問題で、大事な会社を辞めることになったのが一番つらかった。」
今でも氏は「取材費の私的流用」について納得していないようですが、【ぼくらの国会】で説明する時のように、丁寧な説明もしていません。したがって「ねこ庭」は次の様に考えることにしました。
・金銭問題でのトラブルで痛い思いをした氏は、これ以後金銭について他人に頼ることの恐ろしさを知った。
・他人からの献金を受け取らなくても活動できるだけの収入を得る手段を確保し、「なしなしの公言」を必要以上に語るようになったのではないか。
善意の解釈だと自覚していますので、息子たちや「ねこ庭」を訪問された方々がどう判断されるかは、各人にお任せします。
次回は〈 参議院議員当選以降 〉で、最後の経歴紹介となります。