田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

人間もどきの終焉8 麻屋与志夫

2019-10-31 09:21:53 | 純文学
18 いかなる暗黒がおまえを追うか

 そして、ふたたび日課となっている労役がはじまる。肩に背負うようにして、糸を引いているぼくのミミにタクシーの急停車音がつきささる。ドァが閉じる音。母の足音が迫る。

 ――お帰りなさい。病院は混んでましたか。返事はない。

 ぼくは糸を12メートル引き、端の腕木に丸く輪にしてある耳糸を掛ける。ふりかえる。石塀に片手をかけて肥満した体を支えて、息を切らしている。母は饒舌になる。

 ――肉を食べないから疲れてしまった。医者はわたしの話すことなんかきいてくれない。不満があるのなら、他の病院にいってください……だってよ。てんで、相手にしてくれない。ちかごろの医者は、忙しすぎて患者のいいぶんなんか、きいちゃくれないんだから。でも、わたしにゃ、わかるんだよ。じぶんの体だもの。じぶんのことは、じぶんに一番よくわかるんだよ。肉を食べなかったから、栄養がとれなかつたから、それで、こんなにクタビレタのさ。ねぇ、おまえ、ミチコによくいっおいてよ。肉がたべたいよ。

 沈黙。
 石塀にへばりついていた肉体は、ぼくの目前でふくれあがる。
 ぼくはあわてて言葉をさがす。
 ぼくの声は母にはとどかない。
 とどいたところで、理解されないだろう。
 激流に突き出たつるつる滑る岩の上に立つ二匹の動物のように、母とぼくは敵意をむき出しにした視線を交わす。
 母の顔に凶暴な表情があらわれる。
 黙って正面に進んでいく。
 母が怯えたようなしぐさをみせた。
 柔らかな、ぶよぶよ肥った肉の塊を背負うために、ぼくは母に背中をむけて前かがみになる。
 ころぶまいとして、脚がもつれた。
 ぼくの体にぼくではないものの、肉体の重圧。
 ……これはまだ夢だ。ぼくは夢のつづきをみているのだ。
 叫び声がきこえる。
 しかし、妻はこんどは、起こしてくれなかった。
 そして……ぼくはこのときはっきりと悟った。
 病気なのは、母や父ではない。
 疲れきったぼくらなのだ。
 
 妻はやせ細り、ぼくは大地に倒れそうだ。
 
 母の顔に、青ざめた妻の顔が重なり、その妻の顔によびかけようと、ぼくは背後からの重みに耐えて夢の中で歩きつづけていた。
                           

                                           完了


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