田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

野ざらしを 麻屋与志夫

2009-11-09 16:55:39 | Weblog
11月9日 月曜日

野ざらしを心に風のしむ身かな  芭蕉

●お寺の近くに住んでいた。

むかしは土葬だった。

長雨で墓地のやわらかな土が穿たれてしゃれこうべ(髑髏)や骨があらわれることが

あった。

腕や、大腿骨、胸部の骨をみてもさほど怖くはなかった。

髑髏だけはぽっかりと空いた眼窩が恐ろしかった。

なにか恨まれているようだった。

ふたつの目玉のあなが怨嗟を込めてわたしをにらんでいるようで、ふるえながら墓

地をあとにしたものだった。

●後年文学を志した。

小説家になりたくて上京するとき上記の芭蕉の句を知った。

野ざらしだ……野ざらしだ、うまく作家になれなかったら野ざらしだ。

新鹿沼の駅から浅草に向かう東武電車の中で独白していた。

野垂れ死に覚悟の離郷だった。

古いですよね。

●幸い久保書店刊行の「灯」「抒情文芸」で拾ってもらって原稿料がぼつぼつはい

るようなった。

好事魔多しというが、故郷の両親を病魔がおそった。

文学をとるか両親の看病をとるか。

心を鬼にして東京にいつづけることはできなかった。

●そして看病にあけくれ、結婚、子どもが生まれて。

すべての夢は消えはてた。

●そして、半世紀。

また25歳のむかしにもどって小説を書きだしている。

中途挫折をした年からの再挑戦とおもっている。

●小説を書くことがこんなに厳しいとはおもわなかった。

もちろん浅学非才。

すべての責任はわたしにあるのだが、いゃあ、厳しい世界ですね。

作品を書きあげても、おもしろくなかったら一顧だにしてもらえません。

まるで路傍の石ころを見る目で原稿の束をみつめられると老いの目に涙です。

●いろいろあって国民年金にも加入していない。

いまだに野ざらし覚悟でいる。

まあここまで生きてこられたのだから、わたしだけならなんの憂いもない。

ただ、むかし恋人いまカミサンには、生涯ボディガードを誓っているのでナントカ

食っていかなければならない。

●小説家の道を開拓しょうと旅立つわたしには厳しい月日がまっているようだ。

旅立つというのはむろん修辞上のことで、ホリゴタツ毎日毎晩パソコンのキーを叩

いている。



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