日常観察隊おにみみ君

「おにみみコーラ」いかがでしょう。
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◎本日のお話「ノルマからの華麗なる脱出」

2016年08月07日 | ◎これまでの「OM君」
今日も仕事が始まる。
本当にいやだ。
会社に入る前に玄関の喫煙所でタバコに火をつける。
一息深く煙を吸う。
とりたててうまいわけでもない。
ただニコチンの血中濃度が増える安心感を体が感じるだけだ。
のども痛いし、体はだるい。
買ってきた缶コーヒーを鞄から取り出し封を開ける。
パカンと間抜けな音を立てた。
毎朝の習慣。
特に意味はない。
営業職について5年目の夏。
向いているも向いていないもない。
口に糊するため、砂を噛む思いで働いている。
最近思うのだ。
はたして俺の仕事は世の中に必要なのだろうかと。
建築資材を売り込む事が俺の仕事。
売り手も買い手も口を開けば自分の都合しか言わない。
すみません。申し訳ございません。
あやまる言い回しのバリエーションだけが日々増えていく。
はたして俺の仕事は必要なのだろうか。

「おはよう」
「あ、おはようございます」
上司の上田部長が玄関から外に出てきた。
タバコの火をあわてて消す。
「今から出勤か?月末近いけど売り上げの算段ついてるんだろうな。お前、先月も、先々月もノルマ達成してないな。どうなんだ」
胃がきゅーっとしてくる。
「はいエスピオさんの注文が月末までに入る予定になってます」
エスピオとはゼネコン大手。
歴々の担当者の売り上げ維持の為の最後の砦。
困ったときのエスピオさん。
上田部長は、伝票だけでも上げさせてもらえるはずなのにノルマを達成出来ない俺に怒りがあるのだ。
しかし運の悪いことに先方の担当者が毛嫌いしているようなのだ。
針のむしろとはまさにこの事。
売り上げは右肩下がりに下がる一方なのだ。

先方の担当者が変わる。
そう聞いたのは昨日だった。
しかも都合のいいことに小、中の同級生が資材発注部署にやってくるらしい。
安井君。
エスピオに再就職したとは風の噂で聞いていたが、このタイミングで俺の前に現れるとは…。
運が向いてきた。

もう一本火を点けた吸っていたタバコの火を灰皿に押し当て消す。
憂鬱な気分を消し去り、気合いを入れるつもりで念入りに火種の赤色を灰に変える。
ミントタブレットを2粒口に放り込む。
鼻の通りがよくなり、2回続けざまにくしゃみをする。

「おはようございま~す」
オフィスにいる同僚に声をかける。
営業の同僚はノルマ不達成の場合でも言い訳が出来るようにもう出かけて誰もいない。
(俺には安井君という秘策があるのだ)

受話器をとりあげ、いつもの短縮番号を押す。
「資材発注部の安井様はいらっしゃいますでしょうか」
「少々おまちください」
電話口にでたエスピオの女性従業員はこちらの気も知らず、軽やかに、すずやかに電話を回してくれた。
「はいお電話変わりました。安井です」
「あ、いつもお世話になっております。私、東方商事の安藤と申します。本日はH鋼とアルミフレームの件でお電話さしあげました」
「え~っと、私、こちらにの担当に配属になりまして日が浅いもので、何かお話ございましたでしょうか」
おいっ安井君。
用事なんかないんですよ。
それで正解なのです。
打ち合わせが必要なほど緊急の案件は御社と弊社の間には現在ございません。
それよりも何よりもうっすらとでも俺のこと気づく気配はない。
え~いい、もう言っちゃおう。
殿下の宝刀抜いちゃおう。
「え~っと、お話というか、何というか…。あっ、実は私、安井様と小、中と同級生だった安藤です」
しばしの沈黙。そしてうれしそうな声で安井君は言った。
「ああ、安藤君、なつかしいね。転職してここにお世話になってるんだけど、心細くて。またいろいろ教えてよ」
「ああ、オーケー、オーケー」
電話で話ながら、中学時代に、兄のスクーターを2人乗りで乗り回した記憶がよみがえった。

あれは真冬。
俺は偽物の合皮の皮ジャン。安井君は安物のスカジャンを着ていた。
点滅信号を原チャリで走り抜けた瞬間、パトカーが赤色灯をつけた。
「はいそこの原チャリ止まりなさい」
いや~安井君は早かった。
瞬間だった。
角をまがった瞬間、飛び降りたね。
え~って思ったよ。
振り返ったらそのまま川まで降りていって消えていくんだもん…
その夜は何とかパトカーをかわしたんだ。
次の日、学校で普通に俺に言うんだもんな~
「おはよう」ニコッだって。


安井君との再会により、エスピオとの蜜月の
日々が始まった。
安井君は何でもお願いを聞いてくれた。
売り上げが厳しいと相談すると、伝票をすんなり上げてくれた。

それ以降、俺の上司である上田部長の態度もだんだん変わってきた。
突然、後ろから肩をもんできて、「安藤ちゃ~ん、調子はどう?」猫なで声で言ってくる。
ぞっとした。
サブイボが出る。
ぶんなぐってやろうかとも思うが、「いや~ぼちぼちです」
なんて返答する。
天下太平。
安泰安泰。


ピンポン♪ピンポン♪ピンポン♪
ある日の朝、玄関の呼び出しベルが鳴った。
音色のやさしさとは別物の悪意のある連打でたたき起こされた。
「だれだ、こんな平日の早朝にベルを鳴らす奴は…」
のろのろと体を起こして玄関ドアを不機嫌に開ける。
チェーンはかけたままだ。
そこには何人もの見慣れない男たちが立っていた。
「安藤さん?」
「はいそうですが。何か」
「警察のものです。ここに私たちが来た心当たりは無いですか」
「えっ」
時が止まる。
頭がぐるぐるする。そして考えた。
1週間前に500円を道で拾ったことか?
それとも散歩中に赤信号を無視したことか。
まったく心当たりが無い。
かばんから一枚の紙を取り出して男は言った。
「横領の罪で逮捕状が出てるから。わかってるだろう」
「横領って…まったく分からないんですが」
「君も往生際が悪いな。株式会社エスピオの
安井と共謀して6億円の架空取引を行っただろう。調べはついてるんだ」
「ええ!まったく身に覚えがありません。安井君は何て言ってるんですか」
「安井は現在、全国指名手配中だ」
「身柄を押さえてないんですか?逃げてるって事ですか」
「そうだ」

やられた。
あの時と同じだ。
せめて奴が手に入れた半分の分け前は欲しいと思った。
コメント
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