(01)
「先ほど(令和02年02月13日)」の「記事」でも書いた通り、
(ⅰ)
1(1)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} A
1(2)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 1量化子の関係
1(3)∀x∀y~{(Fx&Fy)&x≠y} 2量化子の関係
1(4) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 3UE
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4UE
1(6) ~(Fa&Fb)∨a=b 5ド・モルガンの法則
1(7) (Fa&Fb)→a=b 6含意の定義
1(8) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 7UI
1(9) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} 8UI
(ⅱ)
1(1) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} A
1(2) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 1UE
1(3) Fa&Fb →a=b 2UE
1(4) ~(Fa&Fb)∨a=b 3含意の定義
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4ド・モルガンの法則
1(6) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 5UI
1(7) ~∃y{(Fa&Fy)&a≠y} 6量化子の関係
1(8)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 7UI
1(9)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 8量化子の関係
従って、
(01)により、
(02)
① ~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}≡2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}≡xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
① ∃xFx&~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}≡1個以上のxがFであって、2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∃xFx& ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}≡1個以上のxがFであって、xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1 (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃xFx 1&E
3 (3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fb→a=b 5UE
7(7) Fb A
37(8) Fa&Fb 37&I
137(9) a=b 68MPP
13 (ア) Fb→a=b 79CP
13 (イ) ∀y(Fy→a=y) アUI
13 (ウ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3イ&I
13 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ウEI
1 (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13エEE
(ⅲ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
6(6) Fb&Fb A
6(7) Fb 6&E
26(8) a=b 57MPP
26(9) a=b&a=b 88&I
26(ア) a=b 9&E
26(イ) b=b 8ア=E
2 (ウ) Fb&Fb→b=b 5イCP
2 (エ) ∀y(Fb&Fy→b=y) ウUI
2 (オ) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) エUI
2 (カ) ∃xFx 3EI
2 (キ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) オカ&I
1 (ク)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 12クEE
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ∃xFx&~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} ≡1個以上のxがFであって、2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∃xFx& ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y } ≡1個以上のxがFであって、xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ≡あるxはFであり、すべてのyについて、 yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(06)
① 2個以上のxがFである。といふことはない。
といふことは、
① 1個以下のxがFである。
といふことであある。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 1個以上のxがFであって、1個以下のxがFである。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}≡あるxはFであり、すべてのyについて、yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=③ である。
然るに、
(08)
① 1個以上のxがFであって、1個以下のxがFである。
といふことは、
② 正確に1個のxがFである。
といふことである。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 正確に1個のxがFである。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}≡あるxはFであり、すべてのyについて、yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(09)により、
(10)
② 正確に1個のxがFである≡∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(11)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
といふ「論理式」を使って、
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」を書くことが出来る。
然るに、
(12)
① ∀x{Fx→P}
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、そのときに限って、
P=∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]
である。
従って、
(12)により、
(13)
① ∀x{Fx→P}≡すべてのxについて、xがFならば、Pである。
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、
② は、① に対する、「代入例(Substitution instance)」である。
然るに、
(14)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① ∀x{Fx→P}≡すべてのxについて、xがFならば、Pである。
の「主語」は、
① Fx であって、
① P=∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]。
の「主語」は、
① Gx である。
従って、
(15)により、
(16)
① ∀x{Fx→P}。
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、そのときに限って、
② は、① に対する、「代入例(Substitution instance)」であるが故に、
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」には、少なくとも、
① Fx といふ「主語」と、
② Gx といふ「主語」が、有ることになる。
従って、
(16)により、
(17)
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」は、「二重主語文」である。
然るに、
(17)により、
(18)
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
F=T会の会員
G=私
H=理事長
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理式」、すなはち、
② すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「論理式」になって、もちろん、この場合も、「二重主語文」である。
然るに、
(19)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3ス&I
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(19)により、
(20)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(21)
いづれにせよ、
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② である。
従って、
(18)(22)により、
(23)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② は、「二重主語文」である。
然るに、
(24)
日本文には主語という用語適用すべき対象がてんで存在しないのである。「甲ガ」も「乙ニ」も「丙ヲ」と並んで同じ補語の仲間に踏みとどまっているのである(三上1953b:78)。
(淺山友貴、現代日本語における「は」と「が」の意味と機能、2004年、33頁)
従って、
(23)(24)により、
(25)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② といふ「述語論理式」は、「二重主語文」である。
従って、
(25)により、
(26)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
ろいふ「日本語」は、私が見る所としては、「二重主語文」である。
然るに、
(27)
一、總主トハ如何ナル者ゾ
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「象は體大なり」ノ「象」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲魚皆性あり」ノ「鳥獸蟲魚」、「仁者は命長し」ノ「仁者」、「賣藥は效能薄し」ノ「賣藥」、「慾は限無し」ノ「慾」、「酒は養生に害あり」ノ「酒」、「支那は人口多し」ノ「支那」ノ如キハ、皆、「體大なり」「力強し」等ノ一説話ニ對シテ更ニソノ主語タル性格ヲ有ス。『帝国文学』五巻、五號(帝國文學會明治三十二年)
従って、
(26)(27)により、
(28)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」は、私が見る所としては、「二重主語文」であって、
① タゴール記念会は
は、草野淸民先生が所謂、「總主」である。
(01)
① 1個以上のxがFであって、尚且つ、
② 1個以下のxがFである。
といふことは、
③ 正確に1個のxがFである。
といふことである。
然るに、
(02)
① 1個以上のxがFである。
といふことを、記号で書くと、
① ∃x(Fx)
である。
然るに、
(03)
② 1個以下のxがFである。
③ 2個以上のxがFである。
に於いて、
② と ③ は、「矛盾」する。
従って、
(04)
② 1個以下のxがFである。
③ 2個以上のxがFである。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(05)
③ 2個以上のxがFである。といふことはない。
といふことを、記号で書くと、
③ ~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}
である。
然るに、
(06)
(ⅲ)
1(1)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} A
1(2)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 1量化子の関係
1(3)∀x∀y~{(Fx&Fy)&x≠y} 2量化子の関係
1(4) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 3UE
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4UE
1(6) ~(Fa&Fb)∨a=b 5ド・モルガンの法則
1(7) (Fa&Fb)→a=b 6含意の定義
1(8) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 7UI
1(9) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} 8UI
(ⅳ)
1(1) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} A
1(2) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 1UE
1(3) Fa&Fb →a=b 2UE
1(4) ~(Fa&Fb)∨a=b 3含意の定義
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4ド・モルガンの法則
1(6) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 5UI
1(7) ~∃y{(Fa&Fy)&a≠y} 6量化子の関係
1(8)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 7UI
1(9)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 8量化子の関係
従って、
(06)により、
(07)
③ ~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}
④ ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
に於いて、
③=④ である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
③ 2個以上のxがFである。といふことはない。
といふことを、記号で書くと、
③ ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
である。
従って、
(01)(02)(08)により、
(09)
「番号」を付け直すと、
① ∃x(Fx)であって、尚且つ、
② ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}であるならば、そのときに限って、
③ 正確に1個のxがFである。
従って、
(09)により、
(10)
「番号」を付け直すと、
① 正確に1個のxがFである。
② ∃x(Fx)&∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃xFx 1&E
3 (3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fb→a=b 5UE
7(7) Fb A
37(8) Fa&Fb 37&I
137(9) a=b 68MPP
13 (ア) Fb→a=b 79CP
13 (イ) ∀y(Fy→a=y) アUI
13 (ウ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3イ&I
13 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ウEI
1 (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13エEE
(ⅱ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
6(6) Fb&Fb A
6(7) Fb 6&E
26(8) a=b 57MPP
26(9) a=b&a=b 88&I
26(ア) a=b 9&E
26(イ) b=b 8ア=E
2 (ウ) Fb&Fb→b=b 5イCP
2 (エ) ∀y(Fb&Fy→b=y) ウUI
2 (オ) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) エUI
2 (カ) ∃xFx 3EI
2 (キ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) オカ&I
1 (ク)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 12クEE
従って、
(11)により、
(12)
① ∃x(Fx)&∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 正確に1個のxがFである。
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(14)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
といふ「論理式」を使って、
③ ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}
といふ「論理式」を書くことが出来る。
従って、
(14)により、
(15)
「番号」を付け直すと、
① ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}
といふ「論理式」、すなはち、
① すべてのxについて、xがFであるならば、あるyは、Gであって、その上、xのHであって、すべてのzについて、zがxのHであるならば、yとzは「同一」である。
といふ「論理式」を書くことが出来る。
従って、
(15)により、
(16)
① ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}
に於いて、
F=T会の会員
G=私
H=理事長
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ「論理式」、すなはち、
① すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「論理式」を書くことが出来る。
然るに、
(17)
(ⅰ)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3ス&I
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(17)により、
(18)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(19)
いづれにせよ、
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
然るに、
(20)
(1)タゴール記念会は、私の他にも、理事はゐる。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事ではない。
といふ「推論」は、もちろん、「妥当」ではない。
然るに、
(21)
(ⅰ)
1(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
ではなく、
1(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事zx→y=z)]} A
から、
1(1) ∀z(理長zx→y=z)
を取り出して、「否定」すると、
(ⅱ)
1 (1)~∀z(理事zx→y=z) A
1 (2)∃z~(理事zx→y=z) 1量化子の関係
3 (3) ~(理事cx→y=c) A
4(4) ~理事cx∨y=c A
4(5) 理事cx→y=c 4含意の定義
34(6) ~(理事cx→y=c)&
(理事cx→y=c) 35&I
3 (7) ~(~理事cx∨y=c) 46RAA
3 (8) 理事cx&y≠c 7ド・モルガンの法則
3 (9) ∃z(理事zx&y≠z) 8EI
1 (ア) ∃z(理事zx&y≠z) 139EE
(ⅲ)
1 (1) ∃z(理事zx&y≠z) A
2 (2) 理事cx&y≠c A
3(3) 理事cx→y=c A
2 (4) 理事cx 2&E
23(5) y=c 34MPP
3(6) y≠c 2&E
23(7) y=c&y≠c 56&I
2 (8) ~(理事cx→y=c) 37RAA
2 (9)∃z~(理事zx→y=z) 8EI
1 (ア)∃z~(理事zx→y=z) 129EE
1 (イ)~∀z(理事zx→y=z)
従って、
(21)により、
(22)
② ~∀z(理事zx→y=z)
③ ∃z(理事zx&y≠z)
に於いて、
②=③ である。
従って、
(21)(22)により、
(23)
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∀z(理事zx→y=z)]}
③ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx& ∃z(理事zx&y≠z)]}
に於いて、すなはち、
② すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事であって、すべてのzについて、zがxの理事であるならば、yとzは「同一」である。といふわけではない。
③ すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事であって、あるzも、xの理事であって、yとzは「同一」ではない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(24)
(ⅰ)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事yx&∃z(理事zx&y≠z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事ya&∃z(理事za&y≠z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事ya&∃z(理事za&y≠z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事ba&∃z(理事za&b≠z) A
5 (6) 私b&理事ba 5&E
5 (7) ∃z(理事za&b≠z) 5&E
8 (8) 理事ca&b≠c A
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事ca 8クMTT
に於いて、「最後の行」である、
5 ア (ケ) ~理事ca 8クMTT
は、「デタラメ」である。
従って、
(20)~(24)により、
(25)
(1)タゴール記念会は、私の他にも、理事はゐる。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事ではない。
といふ「推論」は、もちろん、「妥当」ではなく、尚且つ、
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事yx&∃z(理事zx&y≠z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事であって、あるzも、xの理事であって、yとzは「同一」ではない。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」も、「妥当」ではない。
従って、
(18)~(25)により、
(26)
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」に、他ならない。
然るに、
(27)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(28)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ は、対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(29)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
といふことは、
④ 私と理事長は、同一人物である。
といふ、ことである。
従って、
(27)(28)(29)により、
(30)
① 私が理事長です。
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
④ 私と理事長は、同一人物である。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(31)
(1)「タゴール記念会は、私と、その理事長が、同一人物である。」が、
(9)「小倉氏は、私ではない。」とするならば、そのときに限って、
(シ)「タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。」
従って、
(26)(30)(31)により、
(32)
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会は、理事長は私です。⇔
① タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。⇔
① タゴール記念会は、私と理事長は同一である。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(33)
また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
と書いたとしても、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」の、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理的な構造」を、明らかにした。
といふことには、ならない。
従って、
(32)(33)により、
(34)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
とは言ふものの、三上先生は、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」には、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理的な構造」が有る。
といふことを、知らないまま、「三上章、日本語の論理、1963年」を、上梓したことになる。
然るに、
(35)
更に言へば、
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」には、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「論理的な構造」が有る。
といふことを、知らないまま、「三上章、象は鼻が長い、1960年」を、上梓したことになる。
然るに、
(36)
② 象は鼻が長い ≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
① タゴール記念会は、私が理事長です≡∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「等式」の、「右辺」を「無視」したまま、「左辺」を論じることは、「正しい」とは、言へないはずである。
従って、
(37)
私としては、「三上章、日本語の論理、1963年」に於ける、そうした点が、不満である。
然るに、
(32)により、
(38)
③ 私はこれがいいです。⇔
③ 私はこれは良く、これ以外は良くない。
③ ∀x{私x→∃y(これy&良いyx)&∀z(良いzx→z=y)}。
といふ「等式」が成立する。
然るに、
(39)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとガで意味が反対になることがある。
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型異議になっている。不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう(三上章、日本語の論理、1963年、156・7頁)。
然るに、
(40)
③ 商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
③ 私はこれは良く、これ以外は良くない。
といふのであれば、
③ 私は、これを買います。
と言ってゐるのと、「同じ」である。
従って、
(38)(39)(40)により、
(41)
③ 私はこれがいいです。⇔
③ 私はこれは良く、これ以外は良くない。⇔
③ 私は、これを買います。
といふことなのであって、
④ つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう。
といふ「言ひ方」は、「説明」には、なってゐない。
加へて、
(27)により、
(42)
また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
といふ「言ひ方」も、「説明」には、なってゐない。
然るに、
(43)
新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
とは言ふものの、「三上章、日本語の論理、1963年」、並びに、「三上章、象は鼻が長い、1960年」他を、読む限り、三上章先生自身が、「記号論理学」を学んでゐた、「形跡」は無い。
(44)
論理学とは何であるかを知る最善の方法は、実際に幾らくやってみることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、3頁)。
といふのは、「論理学とは何であるかを知る最善の方法」は「練習問題を、自分で解いてみる」ことである。
といふ風に、考へたい。
然るに、
(45)
『沢田允茂、現代論理学入門(1962年)』は「現代論理学」の「教科書」ではなく、「解説書」であるため、「練習問題」は、一切、載ってゐない。
従って、
(44)(45)により、
(46)
沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照しただけでは、「現代論理学とは何であるかを知る」ことは、ほとんど、出来ない。
従って、
(45)(46)により。
(47)
三上章先生は、1963年に、「論理学」を学ばないまま、「日本語の論理」といふタイトルの書籍を、上梓したことになる。
(48)
① 象は鼻が長い ≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 私はこれがいいです ≡∀x{私x→∃y(これy&良いyx)&∀z(良いzx→z=y)}。
③ タゴール記念会は、私が理事です≡∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「等式」が成り立つことを、出来るだけ、多く方に、知ってもらいたい。