― 今回は、長文ですし、「述語論理」を知らない方は、「結論(01)」だけを読んで、「そんなものなのかなぁ」と思って下さい。―
(01)
「結論」から先に言ふと、
① 象は動物である。
② 象が動物である。
③ 象も動物である。
といふ「日本語」は、
① ∀x(象x→動物x)。
② ∀x{象x→動物x&~象x→~動物x)}。
③ ∀x{象x→動物x&∃y(~象y&動物y)}。
といふ「述語論理(Predicate logic)」に翻訳でき、
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
③ 象は鼻も長い。
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
⑥ 象が鼻も長い。
⑦ 象も鼻は長い。
⑧ 象も鼻が長い。
⑨ 象も鼻も長い。
といふ「日本語」は、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)]}。
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)]}。
⑦ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x& ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x& ∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)}。
といふ「述語論理(Predicate logic)」に翻訳できます。
(02)
①{象、#、#}
②{象、机、車}
③{象、兎、馬}
に於いて、
①{象、#、#}
であれば、
① 少なくとも、象は動物である。
然るに、
(03)
②{象、机、車}
③{象、兎、馬}
に於いて、
② であれば、「象以外(机、車)は動物ではなく」、
③ であれば、「象以外(兎、馬)も動物ではある」。
然るに、
(04)
②{象、机、車}であれば、
② 象が動物であり、
③{象、兎、馬}であれば、
③ 象も動物である。
従って、
(02)(03)(04)により、
(05)
① 象は動物である=象は動物である。
② 象が動物である=象は動物であり、象以外(机、車)は動物でない。
③ 象も動物である=象は動物であり、象以外(兎、馬)も動物である。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(06)
① 象は動物である。⇔
① ∀x(象x→動物x)⇔
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
然るに、
(07)
(ⅱ)
1 (1)∀x{象x⇔動物x} A
1 (2)∀x{象x→動物x&動物x→象x} 1Df.⇔
1 (3) 象a→動物a&動物a→象a 1UE
1 (4) 象a→動物a 3&E
1 (5) 動物a→象a 3&E
6 (6) ~象a A
7(7) 動物a A
1 7(8) 象a 57MPP
167(9) ~象a&象a 68&I
16 (ア) ~動物a 79RAA
1 (イ) ~象a→~動物a 6アCP
1 (ウ) 象a→動物a&~象a→~動物a 4イ&I
1 (エ)∀x{象x→動物x&~象x→~動物x} ウUI
(ⅲ)
1 (1)∀x{象x→動物x&~象x→~動物x} A
1 (2) 象a→動物a&~象a→~動物a} 1UE
1 (3) 象a→動物a 2&E
1 (4) ~象a→~動物a 2&E
5 (5) 動物a A
6(6) ~象a A
1 6(7) ~動物a 46MPP
156(8) 動物a&~動物a 57&I
15 (9) ~~象a 68RAA
15 (ア) 象a 9DN
1 (イ) 動物a →象a 5アCP
1 (ウ) 象a→動物a&動物a→象a イ&I
1 (エ) ∀x{象a→動物a&動物a→象a} ウUI
従って、
(07)により、
(08)
① ∀x{象x⇔動物x}
② ∀x{象x→動物x& 動物x→ 象x}
③ ∀x{象x→動物x&~象x→~動物x}
に於いて、すなはち、
① すべてのxについて{xが象であるならば、そのときに限って、xは動物である}。
② すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であり、xが動物であるならば、xは象である}。
③ すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であり、xが象でないならば、xは動物でない}。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(09)
③ すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であり、xが象でないならば、xは動物でない}。
といふことは、
② 象が動物である=象は動物であり、象以外(机、車)は動物でない。
といふ、ことである。
従って、
(05)(08)(09)により、
(10)
② 象が動物である。⇔
② ∀x{象x→動物x&~象x→~動物x}⇔
② すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であり、xが象でないならば、xは動物でない}。
従って、
(08)(10)により、
(11)
② 象が動物である。⇔
② ∀x{象x⇔動物x}⇔
② ∀x{象x→動物x& 動物x→ 象x}⇔
② ∀x{象x→動物x&~象x→~動物x}⇔
② すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であり、xが象でないならば、xは動物でない}。
然るに、
(12)
(ⅲ)
1 (1) ∀x{象x→動物x&~(~象x→~動物x)} A
1 (2) 象a→動物a&~(~象a→~動物a) 1UE
1 (3) 象a→動物a 2&E
1 (4) ~(~象a→~動物a) 2&E
5 (5) ~(~象a& 動物a) A
6 (6) ~象a A
7(7) 動物a A
67(8) ~象a& 動物a 67&I
567(9) ~(~象a& 動物a)&
(~象a& 動物a) 58&I
56 (ア) ~動物a 79RAA
5 (イ) ~象a→~動物a 6アCP
15 (ウ) ~(~象a→~動物a)
(~象a→~動物a) 4イ&I
1 (エ) ~~(~象a& 動物a) 5ウRAA
1 (オ) ~象a& 動物a エDN
1 (カ) ∃y(~象y& 動物y) オEI
1 (キ) 象a→動物a&∃y(~象y& 動物y) 3カ&I
1 (ク)∀x{象x→動物x&∃y(~象y& 動物y)} キUI
(ⅳ)
1 (1)∀x{象x→動物x&∃y(~象y& 動物y)} A
1 (2) 象a→動物a&∃y(~象y& 動物y) 1UR
1 (3) 象a→動物a 2&E
1 (4) ∃y(~象y& 動物y) 2&E
5 (5) ~象a& 動物a A
6 (6) ~象a→~動物a A
5 (7) ~象a 5&E
6 (8) 動物a 5&E
56 (9) ~動物a 67MPP
56 (ア) 動物a&~動物a 89&I
5 (イ) ~(~象a→~動物a) 6アRAA
1 (ウ) ~(~象a→~動物a) 45イEE
1 (エ) 象a→動物a&~(~象a→~動物a) 3ウ&I
1 (オ) ∀x{象x→動物x&~(~象x→~動物x)} エUI
従って、
(12)により、
(13)
(ⅲ)
② ∀x{象x→動物x& ~(~象x→~動物x)}
③ ∀x{象x→動物x&∃y(~象y& 動物y)}
に於いて、すなはち、
② すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であるが(xが象でないならばxは動物ではない)といふことはない}。
③ すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であるが、あるyは(象ではないが、動物である)}。
に於いて、
②=③ ではなく、
②⇒③ である。
然るに、
(14)
③ すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であるが、あるyは(象ではないが、動物である)}。
といふことは、
③ 象も動物である=象は動物であり、象以外(兎、馬)も動物である。
といふ、ことである。
従って、
(05)(13)(14)により、
(15)
③ 象も動物である。⇔
③ ∀x{象x→動物x& ~(~象x→~動物x)}⇔
③ ∀x{象x→動物x&∃y(~象y& 動物y)}⇔
③ すべてのxについて{xが象であるならば、xは動物であるが、あるyは(象ではないが、動物である)}。
従って、
(06)(11)(15)により、
(16)
① 象は動物である。
② 象が動物である。
③ 象も動物である。
といふ「日本語」は、
① ∀x(象x→動物x)。
② ∀x{象x→動物x& ~象x→~動物x }。
③ ∀x{象x→動物x&~(~象x→~動物x)}。
といふ「述語論理」に翻訳できる。
然るに、
(17)
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ は、対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(18)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(07)(18)により、
(19)
① 私が理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(19)により、
(20)
① 私が理事長です。
② 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(20)により、
(21)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(21)により、
(22)
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(23)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
2 6 (ア) ∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 58MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
1 6 (エ) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
1 6 (オ) ~鼻ba→~長b エUE
2 6 (カ) ∃y(耳ya&長y) ア&E
キ(キ) 耳ba&長b A
2 6 (ク) ∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ケ) ~耳ba→~長b&耳ba→~鼻ba クUE
2 6 (コ) 耳ba→~鼻ba ケ&E
キ(サ) 耳ba キ&E
2 6 キ(シ) ~鼻ba コサMPP
12 6 キ(ス) ~長b オシMPP
ウ (セ) 長b ウ&E
12 6ウキ(ソ) 長b&~長b シス&I
12 6ウ (タ) 長b&~長b カキソEE
12 6 (チ) 長b&~長b イウタEE
123 (ツ) 長b&~長b 36チEE
12 (テ)~∃x(象x&兎x) 3ツRAA
12 (ト)∀x~(象x&兎x) テ量化子の関係
12 (ナ) ~(象a&兎a) トUE
12 (ニ) ~象a∨~兎a ナ、ド・モルガンの法則
12 (ヌ) ~兎a∨~象a ニ交換法則
12 (ネ) 兎a→~象a ヌ含意の定義
12 (ノ)∀x(兎x→~象x) ネUI
12 (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 ネUI
12 (〃)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。 ネUI
従って、
(23)により、
(24)
(1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
(2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ノ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。然るに、
(2)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの耳であって、長く、すべてのzについて、zがxの耳でないならば、zは長くなく、zがxの耳ならば、zはxの鼻ではない}。従って、
(ノ)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。
といふ「推論」、すなはち、
(1)象は、鼻が長い。然るに、
(2)兎には長い耳があるが、耳以外は長くなく、兎の耳は鼻ではない。従って、
(ノ)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(06)(23)(24)により、
(25)
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
に関しては、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
である。
然るに、
(26)
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
であるため、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)といふことはない}。
然るに、
(27)
(ⅲ)
1 (1)~∀z(~鼻zx→~長z) A
1 (2)∃z~(~鼻zx→~長z) 1量化子の関係
3 (3) ~(~鼻cx→~長c) A
4(4) 鼻cx∨~長c A
4(5) ~鼻cx→~長c 4含意の定義
34(6) ~(~鼻cx→~長c)&
(~鼻cx→~長c) 35&I
3 (7) ~(鼻cx∨~長c) 46RAA
3 (8) ~鼻cx& 長c 7ド・モルガンの法則
3 (9) ∃z(~鼻zx& 長z) 8EI
1 (ア) ∃z(~鼻zx& 長z) 239EE
(ⅳ)
1 (1) ∃z(~鼻zx& 長z) A
2 (2) ∀z(~鼻zx→~長z) A
3(3) ~鼻cx& 長c A
2 (4) ~鼻cx→~長c 2UE
3(5) ~鼻cx 3&E
23(6) ~長c 45MPP
3(7) 長c 3&E
23(8) ~長c&長c 67&I
3(9)~∀z(~鼻zx→~長z) 28RAA
1 (ア)~∀z(~鼻zx→~長z) 139EE
従って、
(27)により、
(28)
③ ~∀z(~鼻zx→~長z)
④ ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(26)(28)により、
(29)
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
に於いて、すなはち、
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)といふことはない}。
④ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、あるzは(xの鼻ではないが、長い)}。
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(30)
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて(zがxの鼻でないならば、zは長くない)といふことはない}。
④ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、あるzは(xの鼻ではないが、長い)}。
といふことは、
③ 象は鼻も長い。
といふことである。
従って、
(29)(30)により、
(31)
③ 象は鼻も長い。
といふ「日本語」は、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)}
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(25)(31)により、
(32)
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
③ 象は鼻も長い。
に関しては、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「述語論理」に翻訳できる。
然るに、
(11)(16)により、
(33)
② 象が動物である。
であれば、
② ∀x{象x→動物x&~象x→~動物x)}。
である。
従って、
(32)(33)により、
(34)
② 象が動物である。
であれば、
② ∀x{象x→動物x&~象x→~動物x)}。
であるため、
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
⑥ 象が鼻も長い。
に関しては、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→~[∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)]}。
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→~[∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)]}。
でなければ、ならない。
然るに、
(35)
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「式」は、
④ 象には、長い鼻が有るが、象以外には、長い鼻が無い。
といふ「意味」である。
然るに、
(36)
④ 象には、長い鼻が有るが、象以外には、長い鼻が無い。
といふことは、
④ 象が鼻は長い。
といふことである。
然るに、
(34)により、
(37)
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→~[∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)]}。
といふ「式」の、
⑤ ~[∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)]
であれば、
(ⅴ)
1 (1)~[∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)] A
1 (2) ~∃y(鼻yx&長y)∨~∀z(~鼻zx→~長z) 1ド・モルガンの法則
1 (3) ∃y(鼻yx&長y)→~∀z(~鼻zx→~長z) 2含意の定義
4(4) ∃y(鼻yx&長y) A
14(5) ~∀z(~鼻zx→~長z) 34MPP
であるものの、(28)により、
③ ~∀z(~鼻zx→~長z)
④ ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
③=④ は、「計算済み」である。
従って、
(37)により、
(38)
1 (1)~[∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)] A
1 (2) ~∃y(鼻yx&長y)∨~∀z(~鼻zx→~長z) 1ド・モルガンの法則
1 (3) ∃y(鼻yx&長y)→~∀z(~鼻zx→~長z) 2含意の定義
4(4) ∃y(鼻yx&長y) A
14(5) ~∀z(~鼻zx→~長z) 34MPP
14(6) ∃z(~鼻zx& 長z) は「計算済み」。
1 (7) ∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx& 長z) 46CP
従って、
(28)(37)(38)により、
(39)
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→~[∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)]}。
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→~[∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)]}。
といふ「式」は、それぞれ、
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)]}。
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)]}。
といふ「式」に、「等しい」。
然るに、
(40)
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx&長z)]}。
といふ「式」は。
⑤ 象は、鼻は長く、鼻以外は長くないが、象以外は、鼻が長いとしたら、鼻以外も長い。
然るに、
(41)
⑤ 象は、鼻は長く、鼻以外は長くないが、象以外は、鼻が長いとしたら、鼻以外も長い。
といふことは、
⑤ 鼻は長く、鼻以外は長くない動物は、象だけである。
といふことであって、
⑤ 鼻は長く、鼻以外は長くない動物は、象だけである。
といふことは、
⑤ 象が鼻が長い。
といふことである。
従って、
(35)(36)(40)(41)により、
(42)
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
に関しては、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx&長z)]}。
といふ「述語論理」に、「等しい」。
然るに、
(39)により、
(43)
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→~[∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)]}。
といふ「式」は、
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)&~象x→ [∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx& 長z)]}。
といふ「式」に、「等しい」。
然るに、
(44)
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∃z(~鼻zx& 長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)]}。
といふ「式」は、
⑥ 象は、鼻と、鼻以外が長く、象以外の動物は、鼻が長いならば、鼻以外に、長い部分は無い。
といふ「意味」である。
然るに、
(45)
⑥ 象は、鼻と、鼻以外が長く、象以外の動物は、鼻が長いならば、鼻以外に、長い部分は無い。
といふことは、
⑥ 象が鼻も長い。
といふことである。
従って、
(34)(42)~(45)により、
(46)
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
⑥ 象が鼻も長い。
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)]}。
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)]}。
といふ「述語論理」に翻訳できる。
然るに、
(16)により、
(47)
② 象が動物である。
③ 象も動物である。
であれば、
② ∀x{象x→動物x& ~象x→~動物x }。
③ ∀x{象x→動物x&~(~象x→~動物x)}。
である。
従って、
(46)(47)により、
(48)
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
⑥ 象が鼻も長い。
⑦ 象も鼻は長い。
⑧ 象も鼻が長い。
⑨ 象も鼻も長い。
であれば、
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)]}。
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)]}。
に対して、
⑦ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
でなければ、ならない。
然るに、
(49)
⑦ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
といふ「式」は、
⑦ 象には長い鼻があるが、象以外の動物の鼻が長くない、といふわけではない。
といふ「意味」である。
然るに、
(50)
⑦ 象には長い鼻があるが、象以外の動物の鼻が長くない、といふわけではない。
といふことは、
⑦ 象も鼻は長い。
といふことである。
従って、
(49)(50)により、
(51)
⑦ 象も鼻は長い。
といふ「日本語」は、
⑦ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
といふ「述語論理」に翻訳できる。
然るに、
(52)
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
といふ「式」の、
⑧ ~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx&長z)〕]
といふ「式」であれば、
(ⅷ)
1 (1)~[~P→(Q→R)] A
2 (2) P∨(Q→R) A
2 (3) ~P→(Q→R) 2含意の定義
12 (4)~[~P→(Q→R)]&
[~P→(Q→R)] 13&I
1 (5) ~[P∨(Q→R)] 24RAA
1 (6) ~P&~(Q→R) 5ド・モルガンの法則
1 (7) ~P 6&E
1 (8) ~(Q→R) 6&E
9(9) ~Q∨R A
9(ア) Q→R 9含意の定義
1 9(イ) ~(Q→R)&
(Q→R) 8ア&I
1 (ウ) ~(~Q∨R) 9イRAA
1 (エ) Q&~R ウ、ド・モルガンの法則
1 (オ) ~P&(Q&~R) 7エ&I
(ⅸ)
1 (1) ~P&(Q&~R) A
1 (2) ~P 1&E
1 (3) (Q&~R) 1&E
4 (4) Q→ R A
1 (5) Q 3&E
14 (6) R 45MPP
1 (7) ~R 3&E
14 (8) R&~R 67&I
1 (9) ~(Q→ R) 48RAA
1 (ア) ~P&~(Q→R) 29&I
イ(イ) ~P→ (Q→R) A
1 (ウ) ~P ア&E
1 イ(エ) (Q→P) イウMPP
1 イ(オ) ~(Q→P)&
(Q→P) 9エ&I
1 (カ)~[~P→(Q→R)] イオRAA
従って、
(52)により、
(53)
⑧ ~[~P→(Q→ R)]
⑨ ~P&(Q&~R)
に於いて、
⑧=⑨ である。
従って、
(52)(53)により、
(54)
⑧ ~[~P→(Q→ R)]
⑨ ~P&(Q&~R)
に於いて、
P=象x
Q=∃y( 鼻yx&長y)
R=∃z(~鼻zx&長z)
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
⑧ ~[~象x→∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)]
⑨ ~象x&∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)
に於いて、
⑧=⑨ である。
従って、
(52)(53)(54)により、
(55)
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
といふ「式」は、
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)& ~象x& ∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}。
といふ「式」に「等しい」。
然るに、
(28)により、
(56)
もう一度、確認すると、
③ ~∀z(~鼻zx→~長z)
④ ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(56)により、
(57)
③ ~∀z(~鼻zx→~長z)
④ ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
③=④ であるため、
③ ~~∀z(~鼻zx→~長z)
④ ~∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
③=④ であって、それ故、「二重否定(DN)」により、
③ ∀z(~鼻zx→~長z)
④ ~∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(55)(56)(57)により、
(58)
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)& ~象x& ∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}。
といふ「式」は、
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)& ~象x& ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「式」に、「等しい」。
然るに、
(59)
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑧ 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)&~象a&∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)}。
といふ「式」は、
⑧ 象は、鼻は長く、鼻以外は長くないが、象以外にも、鼻は長く、鼻以外は長くない鼻が在る。
といふ「意味」である
然るに、
(60)
⑧ 象は、鼻は長く、鼻以外は長くないが、象以外にも、長くて、鼻以外は長くない鼻が在る。
といふことは、
⑧ 象も鼻が長い。
といふことである。
従って、
(58)(59)(60)により、
(61)
⑧ 象も鼻が長い。
といふ「日本語」は、
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「述語論理」に翻訳できる。
cf.
⑧ ~[~P→(Q→ R)]
⑧ ~P&(Q&~R)
然るに、
(48)により、
(62)
もう一度、確認すると、
⑧ 象も鼻が長い。
⑨ 象も鼻も長い。
であれば、
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~[~象x→〔∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)〕]}。
でなければ、ならない。
従って、
(61)(62)により、
(63)
⑧ 象も鼻が長い。
⑨ 象も鼻も長い。
であれば、
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
でなければ、ならない。
然るに、
(28)により、
(64)
もう一度、確認すると、
③ ~∀z(~鼻zx→~長z)
④ ∃z(~鼻zx& 長z)
に於いて、
③=④ である
従って、
(54)(63)(64)により、
(65)
⑧ 象も鼻が長い。
⑨ 象も鼻も長い。
であれば、
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)}。
でなければ、ならない。
然るに、
(66)
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx&長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx&長z)}。
といふ「式」は、
⑨ 象は、鼻は長く、鼻以外も長いが、象以外にも、長くて、鼻以外も長い鼻が在る。
といふ「意味」である。
然るに、
(67)
⑨ 象は、鼻は長く、鼻以外も長いが、象以外にも、長くて、鼻以外も長い鼻が在る。
といふことは、
⑨ 象も鼻も長い。
といふことである。
従って、
(66)(67)により、
(68)
⑨ 象も鼻も長い。
といふ「日本語」は、
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx&長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx&長z)}。
といふ「述語論理」に翻訳できる。
従って、
(32)(46)(51)(61)(68)により、
(69)
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
③ 象は鼻も長い。
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
⑥ 象が鼻も長い。
⑦ 象も鼻は長い。
⑧ 象も鼻が長い。
⑨ 象も鼻も長い。
といふ「日本語」は、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∀z(~鼻zx→~長z)}。
④ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~象x→~∃y(鼻yx&長y)}。
⑤ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx&長z)]}。
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x→[∃y(鼻yx&長y)→~∃z(~鼻zx&長z)]}。
⑦ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~[~象x→~∃y(鼻yx&長y)]}。
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x& ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x& ∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)}。
といふ「述語論理」に翻訳できる。
然るに、
(70)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた述語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかもたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
従って、
(71)
① 象は鼻は長い。
② 象は鼻が長い。
③ 象は鼻も長い。
④ 象が鼻は長い。
⑤ 象が鼻が長い。
⑥ 象が鼻も長い。
⑦ 象も鼻は長い。
⑧ 象も鼻が長い。
⑨ 象も鼻も長い。
といふ「日本語」を、「述語論理」に翻訳できるようになるためには、「練習」を積む必要があるし、例へば、
⑧ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)}。
の場合は、初学者であれば、「読む」だけであっても、「なかなか、大変である」。
従って、
(72)
例へば、
⑧ 象も鼻が長い。⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
⑨ 象も鼻も長い。⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)&~象x&∃y(鼻yx&長y)&∃z(~鼻zx& 長z)}。
といふ「述語論理式」が、「日本語」の先生方々に、受け入れられることは、恐らくは、絶対に、無い。
(01)
118 ∀x(Fx→P)┤├ ∃xFx→P
(a)
1 (1)∀x(Fx→P) A
2 (2) ∃xFx A
3(3) Fa A
1 (4) Fa→P 1UE
1 3(5) P 34MPP
12 (6) P 235EE
1 (7) ∃xFx→P 26CP
(b)
1 (1) ∃xFx→P A
2 (2) Fa A
2 (3) ∃xFx 2EI
12 (4) P 13MPP
1 (5) Fa→P 24CP
1 (6)∀x(Fx→P) 5UI
任意の対象に対して、それがFをもつならばP。
という普遍命題と、
あるものがFをもつならばP。
といふ条件法とは、
相互に導出可能である。ここで、
∀x(Fx→P)における、
∀x は、
(Fx→P)の全表現に作用を及ぼす(governs the whole expression)。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、161頁改)
従って、
(01)により、
(02)
① ∀x(象x→P)
に於いて、
① P=動物x
② P=∃y(鼻yx&長y)
③ P=∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)
であるとき、
① ∀x は、
① の文の全表現に作用を及ぼす。
② の文の全表現に作用を及ぼす。
③ の文の全表現に作用を及ぼす。
従って、
(03)
① ∀x(象x→Predicate)
に於いて、
① Predicate=動物x
② Predicate=∃y(鼻yx&長y)
③ Predicate=∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)
であるとき、
① ∀x は、
① の文の全表現に作用を及ぼす。
② の文の全表現に作用を及ぼす。
② の文の全表現に作用を及ぼす。
然るに、
(04)
① Predicate とは、すなはち、
① 述語 である。
然るに、
(05)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① ∀x(象x→動物x)。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
① ∀x(象x→
② ∀x(象x→
③ ∀x(象x→
は、「全体(the whole expressions)の主語」であって、
① 動物x)
② ∃y(鼻yx&長y)}。
③ ∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
は、その、「述語(Predicates)」である。
従って、
(07)
① すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
② すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長い)}。
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く)、すべてのzについて(zがxの鼻でないならばzは長くない)}。
に於いて、
① すべてのxについて(xが象であるならば、
② すべてのxについて{xが象であるならば、
③ すべてのxについて{xが象であるならば、
は、「全体(the whole expressions)の主語」である。
然るに、
(08)
③ すべてのxについて{xが象であるならば、
といふことは、
③ これから象についてのことを述べますよ、
といふことである。
然るに、
(09)
括弧は、論理演算子のスコープ(scope)を明示する働きを持つ。スコープは、論理演算子の働きが及ぶ範囲のことをいう。
(産業図書、数理言語学辞典、2013年、四七頁:命題論理、今仁生美)
従って、
(06)(07)(09)により、
(10)
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く)、すべてのzについて(zがxの鼻でないならばzは長くない)}。
に於いて、
③ ∀x
③ すべてのxについて
のスコープは、
③ {象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ {xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く)、すべてのzについて(zがxの鼻でないならばzは長くない)}。
である。
従って、
(01)(08)(10)により、
(11)
③ 象は{鼻が長い}。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。⇔
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く)、すべてのzについて(zがxの鼻でないならばzは長くない)}。
に於いて、
③ 象は
③ ∀x{象x→
③ すべてのxについて{xが象であるならば、
といふ「それ」は、
③ これから象についてのことを述べますよ、
といふ「意味」であって、その「スコープ」は、
③ {鼻が長い}。
③ {象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ {xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長く)、すべてのzについて(zがxの鼻でないならばzは長くない)}。
といふ「全表現(the whole expression)」である。
然るに、
(12)
学校文法は単純な英語文法からの輸入で、主語・述語関係を単純に当てはめたものだ。そのため、「象は、鼻が長い」という単純な文でさえ、どれが主語だか指摘できず、複数主語だとか、主語の入れ子だとか、奇矯な技を使う。これに対して三上は、日本語には主語はない、とする。「象は」は、テーマを提示する主題であり、これから象についてのことを述べますよというメンタルスペースのセットアップであり、そのメンタルスペースのスコープを形成する働きをもつと主張する(この場合は「長い」までをスコープとする)。また、「鼻が」は主格の補語にすぎなく、数ある補語と同じ格であるとする。基本文は述語である「長い」だけだ(三上文法! : wrong, rogue and log)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
「三上文法!」で言ふ「主題、スコープ」とは、要するに、「述語論理」で言ふ「主語、スコープ」に、他ならない。
然るに、
(05)により、
(14)
① 象は動物である=∀x(象x→動物x)。
ではなく、
② 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
③ 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
の場合は、「複数主語であって、主語の入れ子」である。
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
「述語論理」を知ってゐる人間からすれば、
「学校文法は単純な英語文法からの輸入で、主語・述語関係を単純に当てはめたものだ。そのため、「象は、鼻が長い」という単純な文でさえ、どれが主語だか指摘できず、複数主語だとか、主語の入れ子だとか、奇矯な技を使う。」といふことには、ならない。
(01)
「先ほど(令和02年02月16日)の記事」でも書いた通り、
① 象は、鼻が長い。 ⇔ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 象は、鼻以外は長くない。⇔ ~∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx& 長z)}。
に於いても、
①=② である。
然るに、
(02)
「文語」の場合は、
③ 象は、鼻長し。
③ 孔子は聖人なり。
といふ「言ひ方」はあり得ても、
③ 象は、鼻が長い。
③ 孔子が聖人なり。
といふ「言ひ方」はあり得ない。
然るに、
(03)
118 ∀x(Fx→P)┤├ ∃xFx→P
(a)
1 (1)∀x(Fx→P) A
2 (2) ∃xFx A
3(3) Fa A
1 (4) Fa→P 1UE
1 3(5) P 34MPP
12 (6) P 235EE
1 (7) ∃xFx→P 26CP
(b)
1 (1) ∃xFx→P A
2 (2) Fa A
2 (3) ∃xFx 2EI
12 (4) P 13MPP
1 (5) Fa→P 24CP
1 (6)∀x(Fx→P) 5UI
任意の対象に対して、それがFをもつならばP。
という普遍命題と、
あるものがFをもつならばP。
といふ条件法とは、
相互に導出可能である。ここで、
∀x(Fx→P)における、
∀x は、
(Fx→P)の全表現に作用を及ぼす。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、161頁改)
然るに、
(03)により、
(04)
∀x(Fx→P)における、
∀x は、
(Fx→P)の全表現に作用を及ぼす。
といふことは、例へば、
① ∀x(象x→P)。
に於いて、
② P=動物x
③ P=∃y(鼻yx&長y)
といふ「代入(Substitution)」を行ふことが、出来る。
といふことである。
然るに、
(05)
① ∀x(象x→P)。
に於いて、
② P=動物x
③ P=∃y(鼻yx&長y)
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
② ∀x(象x→動物x)。
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
となって、それぞれの「読み方」は、
② すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長い)}。
然るに、
(06)
② すべてのxについて(xが象であるならば、xは動物である)。
③ すべてのxについて{xが象であるならば、あるyは(xの鼻であって、長い)}。
といふことは、「文語」で言ふと、
② 象は動物なり。
③ 象は鼻長し。
といふ、ことである。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 述語論理。
といふ「観点」からすれば、
② 象は動物なり。
③ 象は鼻長し。
といふ「訓読」は、両方とも、
① ∀x(象x→P)。
といふ「形」をしていて、
② であれば、
② P=動物x
であって、
③ であれば、
③ P=∃y(鼻yx&長y)
である。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(05)08)により、
(09)
① 述語論理。
といふ「観点」からすれば、
① ∀x(象x→P)。
であれば、
① 象x は、主語であり、Pは述語であり、
② ∀x(象x→動物x)。
であれば、
② 象x は、主語であり、動物xは述語であり、、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
であれば、
③ 象x は、主語であり、∃y(鼻yx&長y) は述語であり、尚且つ、
③ の場合は、
③ ∃y(鼻yx&長y) に於いて、鼻yx は、主語であり、長y は述語である。
従って、
(09)により、
(10)
① ∀x(象x→P)。
といふ「観点」からすれば、
③ 象は鼻長し=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「文語」は、
③ 述語 の中に、「主語・述語」が、「組み込まれてゐる」。
然るに、
(11)
一、總主トハ如何ナル者ゾ
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「象は體大なり」ノ「象」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲魚皆性あり」ノ「鳥獸蟲魚」、「仁者は命長し」ノ「仁者」、「賣藥は效能薄し」ノ「賣藥」、「慾は限無し」ノ「慾」、「酒は養生に害あり」ノ「酒」、「支那は人口多し」ノ「支那」ノ如キハ、皆、「體大なり」「力強し」等ノ一説話ニ對シテ更ニソノ主語タル性格ヲ有ス。何トナレバ「象は體大なり」「熊は力強し」等ヨリ「象」「熊」等ノ再度ノ主語ヲ取去ル時ハ、殘餘ハ「體大なり」「力強し」等トナリテ、文法上ノ文ノ形ハ完全ニ之ヲ具フルニモ拘ラズ、意義ニ不足ヲ生ジ、其事ノ主トアルベキ「象」「熊」等ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ意義ノ完全ナル一圓ノ説話ヲ成サントスル傾アルコト、ナホ普通ノ動詞、形容詞ノ名詞ヲ竢ッテ始メテ一ノ完全ナル説話ヲ成サントスル傾アルト同趣味ノモノアレバナリ。殊ニ「性有り」「限無し」等ノ一種ノ説話ニ對シテハ、實用ノ際ニ再度ノ主語ノ必要アル事ハ頗ル顯著ナルニアラズヤ。コレハ「うら(心)やまし(疚)」「て(質)がたし(堅)」ナドノ一説話ノ轉シテ一ノ形容詞トナリ、然ル上ハ實用ノ際ニ更ニソノ主語ヲ取ルト一般ナリ。サレバ「富貴は羨し」ノ「うらやまし」ニ對シテ「富貴」ヲ主語トイフヲ至當トセバ、「體大なり」「力強し」ニ對シテ「象」「熊」ヲソノ主語トイフモ亦不當ニハアラジ。斯カレバコノ類ノ再度ノ主ヲ予ハ別ニ「總主」ト名ヅケントス。總主ハ斯ク頗ル簡單ニ説明セラルベク、亦容易ニ會得セラルベキ者ナリ。
(草野淸民、國語の特有セル語法 ― 總主、『帝國文學』五卷五號、明治三十二年:大修館書店、日本の言語学 第3巻 文法Ⅰ、1978年、533頁)
然るに、
(12)
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。
動詞・形容詞に「主語」があるように、「主語と述語」からなる「文」に対して、更に「主語」があることは、日本語には、よくあることである。
といふことは、
③ 象は鼻長し。
に於いて、
③「象は」は「鼻長し(主語・述語)」。
の「主語」である。
といふ、ことである。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
草野淸民先生が、所謂、「総主」とは、
① ∀x(象x→P)。
といふ「観点」からすれば、
③ 象は鼻長し=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
であるものの、そのことを、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ、「右辺」を見ずに、
③ 象は鼻長し。
といふ、「左辺」だけから、断定してゐる。
加へて、
(14)
總主ハ斯ク頗ル簡單ニ説明セラルベク、亦容易ニ會得セラルベキ者ナリ。
総主はこのように極めて簡単に説明できるし、また、容易に理解できるものである。
とも、述べてゐる。
従って、
(13)(14)により、
(15)
草野淸民先生は、
③ 象は鼻長し。
といふ「日本語」には、
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「構造」がある。
といふことを、そんなことをは、「当り前」である。
と、言ってゐる。
従って、
(16)
草野淸民先生の、所謂、「総主」からすれば、
③ 象は鼻長し。⇔
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。⇔
③ すべてのxについて{xが象であるなるならば(あるyはxの鼻であってyは長い)}。
といふ「等式」は、「日本語話者の直観」としても、「述語論理(Predicate logic)」としても、「正しい」。
従って、
(01)(16)により、
(17)
草野淸民先生の、所謂、「総主」からすれば、
① 象は鼻が長い。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。⇔
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
といふ「等式」も、「特別にユニーク」であるとは、言へないはずである。
(01)
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ は、対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(02)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 私が理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(03)により、
(04)
① 私が理事長です。
② 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(04)により、
(05)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(05)により、
(06)
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(07)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 象a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
2 6 (ア) ∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 58MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
1 6 (エ) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
1 6 (オ) ~鼻ba→~長b エUE
2 6 (カ) ∃y(耳ya&長y) ア&E
キ(キ) 耳ba&長b A
2 6 (ク) ∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ケ) ~耳ba→~長b&耳ba→~鼻ba クUE
2 6 (コ) 耳ba→~鼻ba ケ&E
キ(サ) 耳ba キ&E
2 6 キ(シ) ~鼻ba コサMPP
12 6 キ(ス) ~長b オシMPP
ウ (セ) 長b ウ&E
12 6ウキ(ソ) 長b&~長b シス&I
12 6ウ (タ) 長b&~長b カキソEE
12 6 (チ) 長b&~長b イウタEE
123 (ツ) 長b&~長b 36チEE
12 (テ)~∃x(象x&兎x) 3ツRAA
12 (ト)∀x~(象x&兎x) テ量化子の関係
12 (ナ) ~(象a&兎a) トUE
12 (ニ) ~象a∨~兎a ナ、ド・モルガンの法則
12 (ヌ) ~兎a∨~象a ニ交換法則
12 (ネ) 兎a→~象a ヌ含意の定義
12 (ノ)∀x(兎x→~象x) ネUI
12 (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 ネUI
12 (〃)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。 ネUI
従って、
(07)により、
(08)
(1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。然るに、
(2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)}。従って、
(ノ)∀x(兎x→~象x)。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。然るに、
(2)すべてのxについて{xが兎であるならば、あるyはxの耳であって、長く、すべてのzについて、zがxの耳でないならば、zは長くなく、zがxの耳ならば、zはxの鼻ではない}。従って、
(ノ)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。
といふ「推論」、すなはち、
(1)象は、鼻が長い。然るに、
(2)兎には長い耳があるが、耳以外は長くなく、兎の耳は鼻ではない。従って、
(ノ)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(09)
(ⅰ)
1 (1) ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)} A
2 (2) ∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)} A
3(3) 象a&~∃y(鼻ya&長y) A
3(4) 象a 3&E
3(5) ~∃y(鼻ya&長y) 3&E
1 (6) 象a→ ∃y(鼻ya&長y) 1UE
1 3(7) ∃y(鼻ya&長y) 46MPP
1 3(8) ~∃y(鼻ya&長y)&
∃y(鼻ya&長y) 57&I
12 (9) ~∃y(鼻ya&長y)&
∃y(鼻ya&長y) 238EE
1 (ア)~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)} 29RAA
(ⅱ)
1 (1) ~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)} A
2 (2) ~∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)} A
2 (3) ∃x~{象x→ ∃y(鼻yx&長y)} 2量化子の関係
4 (4) ~(象a→ ∃y(鼻ya&長y)} A
5(5) ~象a∨ ∃y(鼻ya&長y) A
5(6) 象a→ ∃y(鼻ya&長y) 6含意の定義
45(7) ~{象a→ ∃y(鼻ya&長y)}&
{象a→ ∃y(鼻ya&長y)} 46&I
4 (8) ~{~象a∨ ∃y(鼻ya&長y)} 57RAA
4 (9) 象a&~∃y(鼻ya&長y) 8ド・モルガンの法則
4 (ア) ∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)} 9EI
2 (イ) ∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)} 34アEE
12 (ウ) ~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)}&
∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)} 1イ&I
1 (エ)~~∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)} 2ウRAA
1 (オ) ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)} エDN
従って、
(09)により、
(10)
① ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)}
② ~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(08)(10)により、
(11)
① ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)}
② ~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)}
に於ける、
② ~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)}
に相当する「式」が、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
にも、無ければ、ならない。
然るに、
(12)
(ⅰ)
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
3 (3) ∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx& 長z)} A
4 (4) 象a&∃y(鼻ya&長y)→∃z(~鼻za& 長z) A
4 (5) 象a A
4 (6) ∃y(鼻ya&長y)→∃z(~鼻za& 長z) A
7 (7) ∃y(鼻ya&長y) A
47 (8) ∃z(~鼻za& 長z) 67MPP
47 (9) ~鼻ca& 長c A
ア(ア) ~鼻ca→~長c A
47 (イ) ~鼻ca 9&E
47ア(ウ) ~長c アイMPP
47 (エ) 長c 9&E
47ア(オ) ~長c&長c ウエ&I
47 (カ) ~(~鼻ca→~長c) アオRAA
47 (キ) ∃z~(~鼻za→~長z) カEI
47 (ク) ∃z~(~鼻za→~長z) 89キEE
47 (ケ) ~∀z(~鼻za→~長z) ク量化子の関係
4 (コ) ∃y(鼻ya&長y)→~∀z(~鼻za→~長z) 7ケCP
4 (サ) ~∃y(鼻ya&長y)∨~∀z(~鼻za→~長z) コ含意の定義
4 (シ) ~{∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z)} サ、ド・モルガンの法則
1 4 (セ) ~象a 2シMTT
1 4 (ソ) 象a&~象a 5セ&I
13 (タ) 象a&~象a 34ソEE
1 (チ)~∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx& 長z)} 3タRAA
(ⅱ)
1 (1) ~∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx& 長z)} A
1 (2) ∀x~{象x&∃y(鼻yx&長y)→ ∃z(~鼻zx& 長z)} 1量化子の関係
1 (3) ~{象a&∃y(鼻ya&長y)→ ∃z(~鼻za& 長z)} 1UE
4 (4) ~[象a&∃y(鼻ya&長y)]∨ ∃z(~鼻za& 長z) A
4 (5) 象a&∃y(鼻ya&長y)→ ∃z(~鼻za& 長z) 4含意の定義
14 (6) ~{象a&∃y(鼻ya&長y)→ ∃z(~鼻za& 長z)}&
{象a&∃y(鼻ya&長y)→ ∃z(~鼻za& 長z)} 35&I
1 (7) ~{~[象a&∃y(鼻ya&長y)]∨ ∃z(~鼻za& 長z)} 46RAA
1 (8) [象a&∃y(鼻ya&長y)]&~∃z(~鼻za& 長z) 7ド・モルガンの法則
9 (9) ~∀x{象x→∃y(鼻yx&長y) & ∀z(~鼻zx→~長z)} A
9 (ア) ∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y) & ∀z(~鼻zx→~長z)} 9量化子の関係
イ (イ) ~{象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z)} A
ウ (ウ) ~象a∨[∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z)] A
ウ (エ) 象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z) ウ含意の定義
イウ (オ) ~{象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z)}&
{象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z)} イエ&I
イ (カ) ~{~象a∨[∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z)]} ウオRAA
イ (キ) 象a&~[∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z)] カ、ド・モルガンの法則
イ (ケ) ~[∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻za→~長z)] キ&E
イ (コ) ~∃y(鼻ya&長y) ∨~∀z(~鼻za→~長z) ケ、ド・モルガンの法則
イ (サ) ∃y(鼻ya&長y) →~∀z(~鼻za→~長z) コ含意の定義
1 (シ) ∃y(鼻ya&長y) 8&E
1 イ (ス) ~∀z(~鼻za→~長z) サシMPP
1 イ (セ) ∃z~(~鼻za→~長z) ス量化子の関係
ソ (ソ) ~(~鼻ca→~長c) A
タ(タ) 鼻ca∨~長c A
タ(チ) ~鼻ca→~長c タ含意の定義
ソタ(ツ) ~(~鼻ca→~長c)&
(~鼻ca→~長c) ソチ&I
ソ (テ) ~(鼻ca∨~長c) タツRAA
ソ (ト) ~鼻ca& 長c テ、ド・モルガンの法則
ソ (ナ) ∃z(~鼻za& 長c) トEI
1 イ (ニ) ∃z(~鼻za& 長c) セソナEE
1 イ (ヌ) ~∃z(~鼻za& 長z) 8&E
1 イ (ネ) ~∃z(~鼻za& 長z)&∃z(~鼻za& 長c) ニヌ&I
1 9 (ノ) ~∃z(~鼻za& 長z)&∃z(~鼻za& 長c) アイネEE
1 (ハ)~~∀x{象x→∃y(鼻yx&長y) & ∀z(~鼻zx→~長z)} 9ノRAA
1 (マ) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y) & ∀z(~鼻zx→~長z)} ハDN
従って、
(11)(12)により、
(13)
① ∀x{象x→ ∃y(鼻yx&長y)}
② ~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)}
に於ける、
② ~∃x{象x&~∃y(鼻yx&長y)}
に相当する「式」は、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
に対する、
② ~∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx& 長z)}
である。
従って、
(13)により、
(14)
① すべてのxについて{xが象であるならば、あるyはxの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない}。
② {xが象であって、あるyがxの鼻であって、yが長いならば、あるzはxの鼻ではなく、尚且つ、長い}といふ、そのやうなxは存在しない。
といふ「意味」である所の、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
② ~∃x{象x&∃y(鼻yx&長y)→∃z(~鼻zx& 長z)}
といふ「式」に於いて、
①=② である。
(01)
①「Only A is B.」
①「AはBであり、A以外はBでない。」
といふ「命題」を、
①「排他的命題(Exclusive proposition)」といふ。
従って、
(01)により、
(02)
①「商王は、婦言だけを用ひる。」
②「商王は、婦言を用ひ、婦言以外を用ひない。」
に於いて、
①=② は、「排他的命題」である。
然るに、
(03)
(3)今商王受、惟婦言是用。(書経、牧誓)
〔いま商王受は、これ婦言をこれ用ふ。〕
〔「受」は、商の紂王の名、この「惟」は、その次の「婦言」を強調しているのである。〕
「惟」と「唯」
「惟」は、《書経》の〈商周書〉にきわめて多く用いられており、総字数に対して、二.五%強の高い使用率のものであったのであるが、春秋以降には、次第に用いられなくなっている。しかし、この強調する語気の「惟」は、次第に、専一・単独などの意味を表わす副詞として用いられるようになり、多く「唯」と書かれるようになっている。それで右の例(3)の「惟」は「タダ」と読んでいる人もある。
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、309・310頁)
然るに、
(04)
【唯】[二]ヰ、ユイ
[二]① ただ。ひとり。限定の助辞、惟・維に通ず。② これ。發語の助辭、惟・維に通ず。
(参照、大修館、漢和大辞典デジタル版)
従って、
(01)~(04)により、
(05)
③ 今商王受、惟婦言是用。
といふ漢文に於ける「惟(強調の語気詞)」は、「唯(only)」といふ「副詞」と、「区別」が付かない。
然るに、
(01)(05)により、
(06)
③ 今商王受、惟婦言是用。
といふ漢文に於ける「惟(強調の語気詞)」は、「唯(only)」といふ「副詞」と、「区別」が付かない。
といふことは、
③ 今商王受、惟婦言是用。
に於いて、
③「婦言」を「強く発音」すると、「排他的命題」になる。
といふ、ことである。
然るに、
(07)
④ これを下さい。
といふ場合に、
④ 敢へて、「これを」を「強く発音」すれば、するほど、
④ これが欲しいのであって、これ以外は要らない。
といふ「意味(排他的命題)」になる。
従って、
(06)(07)により、
(08)
「漢文」であっても、「日本語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
然るに、
(09)
清音の方は、小さくきれいで速い感じで、コロコロと言うと、ハスの上を水玉がころがるような時の形容である。ゴロゴロと言うと、大きく荒い感じで、力士が土俵でころがる感じである(金田一春彦、日本語(上)、1988年、131頁)。もし濁音を発音するときの物理的・身体的な口腔の膨張によって「濁音=大きい」とイメージがつくられているのだとしたら、面白いですね。この仮説が正しいとすると、なぜ英語話者や中国語話者も濁音に対して「大きい」というイメージを持っているか説明がつきます(川原繁人、音とことばの不思議な世界、2015年、13頁)。
従って、
(09)により、
(10)
① 私が(濁音)
② 私は(清音)
に於いて、
① の「心理的な音量」の方が、
② の「心理的な音量」よりも「大きい」。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」を「主張」し得るのは、
①「心理的な音量」が「大きい(強い)」所の、
① 私が(濁音)理事長です。
である。
といふ、ことになる。
然るに、
(12)
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」の、「対偶(Contraposition)」は、
② 理事長は私です。
である。
従って、
(11)(12)により、
(13)
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」が、実際に、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」であるならば、
② 理事長は私です。
といふ「逆命題」も、「真」でなければ、ならない。
然るに、
(14)
「逆は必ずしも真ならず(the reverse is not always true)。」
である。
従って、
(13)(14)により、
(15)
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」が、実際に、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」であるならば、そのときに限って、
② 理事長は私です。
といふ「逆命題」も、「真」である。
然るに、
(16)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(15)(16)により、
(17)
いづれにせよ、
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」は、実際に、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「意味」である所の、「排他的命題」である。
然るに、
(18)
私が理事長です。(理事長は私です)
のように、ガの文がいわばハを内蔵していることがあるから、その説明が必要である。このような「私が」強声的になっていると言うことにする。そこに発音上のストレスを与えたのと似た効果を持っているからである(三上章、日本語の論理、1963年、106頁)。
従って、
(11)(18)により、
(19)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」を「主張」し得るのは、
①「心理的な音量」が「大きい(強い)」所の、
① 私が(濁音)理事長です。
である。
といふ、ことになるものの、その一方で、
①「私が」強声的になっている。
といふことは、三上先生自身が、認めてゐる。
従って、
(11)(15)(16)(19)により、
(20)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私以外は理事長ではない。
といふ「排他的命題」を「主張」し得るのは、
①「心理的な音量」が「大きい(強い)」所の、
① 私が(濁音)理事長です。
であって、尚且つ、
① 私が(濁音) は、「強声的」であって、尚且つ、
① 私が(濁音)理事長です。
といふ「命題」は、
① 私以外は理事長ではない。
である。といふことを、三上先生は、認めてゐる。
従って、
(20)により、
(21)
① 私が(濁音)理事長です。
② 私は(清音)理事長です。
に於いて、
① 私が(濁音) は、
② 私は(清音) に対する、「心理的な音量差」による「強調形」であって、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
といふことは、三上先生は、「気が付いてはゐなく」とも、「認めて」ゐる。
ところで、
(22)
「ある部分」を「強調する」といふことは、
「その部分」を「他の部分」よりも、「目立たせる」ことである。
然るに、
(23)
「通常の語順」を取らないのであれば、
「その語順」は、「他の語順」よりも、「目立つ」ことになる。
然るに、
(24)
③ Do you wnat what? ではなく、
③ What do you want? である。
然るに、
(25)
例 1 Who do you love?
という文 1 は動詞 love の前に who と you とい二つの名詞がきていて英語の文法 SVO に則っていない。ところが,例えば
例 2 you love who?
という文があったとする。この文は SVO という形になっているので英語の文法に則っている。例 2 を深層構造という。
2.2 wh–移動
例 1 と例 2 とは同じ文の異なる側面を表していると考える。英語には,who,what などの疑問文では疑問詞が表層構造では文の先頭になければならないという性質がある。
つまり,深層構造では文の先頭にはない疑問詞が表層構造では文の先頭に移っているということで,「移動」という変形規則を持っていることになる。これを wh–移動という1。
(生成文法 浅川伸一 2009 年 11 月 10 日)
従って、
(22)~(25)により、
(26)
「通常の語順」を取らないのであれば、
「その語順」は、「他の語順」よりも、「目立つ」ことになる。
といふことからすれば、
③ What do you want?
③ Whom do you love?
に於いて、
③ What
③ Whom
は、「強調形」であるに、違ひない。
然るに、
(27)
前置による強調
動詞についての目的語は、その動詞の後に置かれるのが、漢語における基本構造としての単語の配列のしかたである。また、漢語における介詞は、ほとんど、動詞から発達したものであって、その目的語も、その介詞の後に置かれるのが、通則であるということができる。しかし、古代漢語においては、それらの目的語が疑問詞である場合には、いずれも、その動詞・介詞の前におかれている。このように、漢語としての通常の語順を変えて、目的語の疑問詞を前置することは、疑問文において、その疑問の中心になっている疑問詞を、特に強調したものにちがいない(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、334・5頁)。
従って、
(25)(26)(27)により、
(28)
「生成文法」でいふ「Wh移動」は、「漢文」にも有って、「漢文のWh移動」は、「強調形」である。
従って、
(28)により、
(29)
例へば、
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
といふ「語順」は、「漢文」でいふ「前置による強調」であって、「英語」でいふ「Wh移動」である。
然るに、
(30)
③{A、B}に於いて、
③ 誉A(Aを誉める)。
といふことは、
③ 不誉B(Bを誉めない)。
といふことである。
然るに、
(31)
③{A、B}に於いて、
③ 不誉B(Bを誉めない)。
といふことは、
③ A以外を誉めない。
といふことである。
従って、
(01)(29)(31)により、
(32)
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
のやうな、「Wh移動」は、固より、
③ 排他的命題。
を、その「答へ」として、求めてゐる。
従って、
(32)により、
(33)
③ 排他的命題。
を、その「答へ」として、求めてゐるのであれば、
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
といふ「Wh移動」自体が、
③ 排他的命題。
であることは、「当然」である。
然るに、
(08)により、
(34)
もう一度、書くものの、「漢文」であっても、「日本語」であっても、「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
従って、
(33)(34)により、
(35)
③ 誰毀誰誉(誰を毀り、誰をか誉めん:論語、衛靈公、二五)。
といふ「Wh移動」は、「強調形」であって、「排他的命題」である。
といふ、ことになる。
従って、
(01)~(35)により、
(36)
要するに、「強調形は、排他的命題を、主張する。」
(01)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事長です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(02)
① 理事長は、私です。
② 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② は、対偶(Contraposition)」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 私が理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=②=③ であるため、
① 私が理事長です。
② 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(03)により、
(04)
① 私が理事長です。
② 私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② であるが故に、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
に於いても、
①=② である。
従って、
(04)により、
(05)
① 私が理事長です。
② 理事長は私です。
に於いて、
①=② である。
といふことが、よく知られてゐた。
といふのであれば、その時点で、三上先生は、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
といふことに、気付くべきであった。
といふ、ことになる。
然るに、
(06)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
といふことは、
① 象は、鼻が長い。
② 象は、鼻以外は長くない。
に於いても、当然、
①=② である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 私が理事長です。
② 理事長は私です。
に於いて、
①=② である。
といふことが、よく知られてゐた。
といふのであれば、その時点で、三上先生は、
① 象は鼻が長い。
② 象は鼻以外は長くない。
に於いて、
①=② である。
といふことに、気付くべきであった。
といふ、ことになる。
然るに、
(08)
① 私であるのは、私だけであるため、
① 私以外に、私はゐない。
従って、
(06)(08)により、
(09)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
に於いて、
①=② である。
といふことは、
③ タゴール記念会は、私と、理事長は、「同一人物」である。
といふ、ことである。
然るに、
(10)
3 つぎの相互に導出可能な結果を確立せよ(本文の(16)および(17)を参照)。
∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}┤├ ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、215頁)
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃xFx 1&E
3 (3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fb→a=b 5UE
7(7) Fb A
37(8) Fa&Fb 37&I
137(9) a=b 68MPP
13 (ア) Fb→a=b 79CP
13 (イ) ∀y(Fy→a=y) アUI
13 (ウ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3イ&I
13 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ウEI
1 (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13エEE
(ⅰ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
6(6) Fb&Fb A
6(7) Fb 6&E
26(8) a=b 57MPP
26(9) a=b&a=b 88&I
26(ア) a=b 9&E
26(イ) b=b 8ア=E
2 (ウ) Fb&Fb→b=b 5イCP
2 (エ) ∀y(Fb&Fy→b=y) ウUI
2 (オ) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) エUI
2 (カ) ∃xFx 3EI
2 (キ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) オカ&I
1 (ク)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 12クEE
cf.
「E.J.レモン、論理学初歩」の場合は、「練習問題の解答」が載ってゐません。
然るに、
(12)
① ∀y(Fy)
② ∀x∀y(Fx&Fy)
に於いて、
①=② である。
といふことは、『全称命題は「連言」である。』といふことからすれば、「当り前」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}┤├ ∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
といふ「式」が、「相互に導出可能」でない。
とするならば、その方が、「不思議」である。
然るに、
(14)
それ故、正確に1つのものがFをもつといふことは、つぎのように言うことである。
(16)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y)
さて(16)は、実はより短くすっきりしたつぎの式と相互に導出可能なのである。
(17)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、211頁)
然るに、
(15)
(22)∃x{Ix&Ox&∀y(Iy→x=y)}
― ある人はイリアスを書いた、そしてオデュッセイアを書いた、そしてさらにその人はイリアスを書いたただ1人の人である。最後の節は、
(17)∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
の様式で、その人の一意性(uniqueness)を表現し、従って、確定記述(the definite description)の意味をとらえている。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、213頁改)
従って、
(15)により、
(16)
① 私が理事長です。
① 私以外は理事長ではない。
① 私と理事長は「同一人物」である。
といふ「日本語」は、
① ∃y[私y&理事長y&∀z(理事長z→y=z)]。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(16)により、
(17)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
① タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
① タゴール記念会は、私と理事長は「同一人物」である。
といふ「日本語」は、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(18)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3ス&I
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(18)により、
(19)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(16)~(19)により、
(20)
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(2)小倉氏は私ではない。 従って、
(シ)タゴール記念会の理事長は、小倉氏ではない。
といふ「推論」は、「日本語」としても、「述語論理」としても、「妥当」である。
従って、
(17)(20)により、
(21)
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(2)小倉氏は私ではない。 従って、
(シ)タゴール記念会の理事長は、小倉氏ではない。
といふ「推論」が、「妥当」である以上、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。
③ タゴール記念会は、私と理事長は「同一人物」である。
④ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=②=③=④ である。
といふことを、「否定」することは、出来ない。
然るに、
(22)
題目に最適な名詞を、題目に最適な成分にしながら、題目でない形にすると、いわば逆をつくような格好になって、強声的になるもののようである。
だから、この効果は文の主要な部分においてしか起こらない。
タゴール記念会は、私が理事長です。
において、「私が」の強声的効果がかなり弱まっている。名詞句の内部においては、この効果は全くきえてしまう(三上章、日本語の論理、1963年、109頁)。
然るに、
(23)
題目に最適な名詞を、題目に最適な成分にしながら、題目でない形にすると、いわば逆をつくような格好になって、強声的になるもののようである。
といふ「文章」は、おそらく、一生かかっても、私には、「理解」出来ない。
然るに、
(24)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
然るに、
(01)~(05)により、
(25)
三上先生は、「論理学の基本」である、「対偶(Contraposition)」にさへ、「注意を払はない」。
従って、
(24)(25)により、
(26)
「新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする。」
とは、言ふものの、1963年に、「日本語の論理」を上梓した時点での、三上章先生は、「記号論理学」を知ってゐた。と、言ふことは出来ない。
(01)
(ⅰ)
1 (1)∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y) A
2 (2)∃x∃y(鼻xy&兎y&~象y) A
1 (3) ∀y(鼻ay&長a→ 象y) 1UE
1 (4) 鼻ab&長a→ 象b 3UE
5 (5) ∃y(鼻ay&兎y&~象y) A
6(6) (鼻ab&兎b&~象b) A
6(7) 鼻ab 6&E
6(8) 兎b 6&E
6(9) ~象b 6&E
1 6(ア) ~(鼻ab&長a) 49MTT
1 6(イ) ~鼻ab∨~長a ア、ド・モルガンの法則
1 6(ウ) 鼻ab→~長a イ含意の定義
1 6(エ) ~長a 7ウMPP
1 6(オ) 兎b&鼻ab 78&I
1 6(カ) 兎b&鼻ab&~長a エオ&I
1 6(キ) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) カEI
1 5 (ク) ∃y(兎y&鼻ay&~長a) 56キEE
1 5 (ケ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) クEI
12 (コ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x) 25ケEE
従って、
(01)により、
(02)
(1)∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y)然るに、
(2)∃x∃y(鼻xy&兎y&~象y)従って、
(コ)∃x∃y(兎y&鼻xy&~長x)。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(02)により、
(03)
(1)すべてのxとyについて(xがyの鼻であって、xが長ければ、yは象である)。然るに、
(2) あるxとyについて(xはyの鼻であって、yは兎であってyは象でない)。故に、
(コ) あるxとyについて(yは兎であって、xはyの鼻であってxは長くない)。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(04)
① すべてのxとyについて(xがyの鼻であって、xが長ければ、yは象である)。
② あるxとyについて(yは兎であって、xはyの鼻であってxは長くない)。
といふことは、
① yの鼻が長ければ、yは象である。
② yは兎であって、 yの鼻は長くない。
といふことである。
然るに、
(05)
① yの鼻が長ければ、yは象である。
② yは兎であって、 yの鼻は長くない。
といふことは、
① 鼻が長いのは象である。
② 兎の鼻は長くない。
といふことである。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
{象、兎、馬}を{変域(domain)}として、
① 鼻が長いのは象である。= ∀x∀y(鼻xy&長x→象y)
② 耳が長いのは兎である。= ∀x∀y(耳xy&長x→兎y)
③ 顔が長いのは馬である。= ∀x∀y(顔xy&長x→馬y)
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(07)
(ⅰ)
1 (1) ∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y) A
1 (2) ∀y(鼻ay&長a→ 象y) 1UE
1 (3) 鼻ab&長a→ 象b 3UE
4 (4) ∃x∃y(~象y&鼻xy&長x) A
5 (5) ∃y(~象y&鼻ay&長a) A
6(6) ~象b&鼻ab&長a A
6(7) 鼻ab&長a 6&E
1 6(8) 象b 37MPP
6(9) ~象b 6&E
1 6(ア) ~象b&象b 89&I
1 5 (イ) ~象b&象b 56アEE
14 (ウ) ~象b&象b 45イEE
1 (エ)~∃x∃y(~象y&鼻xy&長x) 4ウRAA
(ⅱ)
1 (1)~∃x∃y(~象y&鼻xy& 長x) A
2 (2)~∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y) A
2 (3)∃x~∀y(鼻xy&長x→ 象y) 2量化子の関係
2 (4)∃x∃y~(鼻xy&長x→ 象y) 3量化子の関係
5 (5) ∃y~(鼻ay&長a→ 象y) A
6 (6) ~(鼻ab&長a→ 象b) A
7(7) ~(鼻ab&長a)∨ 象b A
7(8) (鼻ab&長a→ 象b) 7含意の定義
67(9) ~(鼻ab&長a→ 象b)&
(鼻ab&長a→ 象b) 68&I
6 (ア) ~{~(鼻ab&長a)∨ 象b} 79RAA
6 (イ) (鼻ab&長a)&~象b ア、ド・モルガンの法則
6 (ウ) ~象b&(鼻ab&長a) イ交換法則
6 (エ) ~象y&鼻xy& 長a ウ結合法則
6 (オ) ∃y(~象y&鼻ay& 長a) エEI
5 (カ) ∃y(~象y&鼻ay& 長a) 56オEE
5 (キ) ∃x∃y(~象y&鼻xy& 長x) カEI
2 (ク) ∃x∃y(~象y&鼻xy& 長x) 25キEE
12 (ケ)~∃x∃y(~象y&鼻xy& 長x)&
∃x∃y(~象y&鼻xy& 長x) 1ク&I
1 (コ)~~∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y) 2ケRAA
1 (サ) ∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y) コDN
従って、
(07)により、
(08)
① ∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y)
② ~∃x∃y(~象y&鼻xy&長x)
に於いて、
①=② である。
然るに、
(09)
① すべてのxとyについて(xがyの鼻であって、xが長ければ、yは象である)。
② あるxとyについて(yが象ではなくて、xがyの鼻であって、xが長い)といふことはない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(09)により、
(10)
① yの鼻が長いのであれば、yは象である。
② yが象でないならば、yの鼻が長い。といふことはない。
に於いて、
①=② である。
従って、
(10)により、
(11)
① 鼻が長いのは象である。
② 象以外の鼻は長くない。
従って、
(08)~(11)により、
(12)
{象、兎、馬}を{変域(domain)}として、
① 鼻が長いのは象である。= ∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y)
② 象以外の鼻は長くない。= ~∃x∃y(~象y&鼻xy&長x)
といふ「2つの等式」に於いて、
①=② である。
従って、
(12)により、
(13)
{象、兎、馬}を「対象」とするならば、
①「鼻が長いのは象である。」といふことは、
②「象以外の鼻は長くない。」といふことと、「同じ」である。
といふことは、「述語論理」としても、「正しい」。
然るに、
(14)
【1】[が][の]
① 連体修飾語を作る。〈・・・・・ノ〉
夏草や兵どもが夢のあと(芭蕉)。
② 体言の代用をする。〈・・・・・のモノ〉
薬は、唐のはめでたし。 [訳]薬は中国のものはすばらしい。
(中村菊一、重点整理 基礎からわかる古典文法、1978年、154頁改)
(14)により、
(15)
① 鼻が長いのは象である。
の 鼻が
は、 の(形式名詞)
に対する、「連体修飾語」である。
従って、
(15)により、
(16)
① 鼻が長いの(名詞)は象である。
② 君が行く道(名詞)は果てしなく遠い。
③ 君の行く道(名詞)は果てしなく遠い。
に於いて、
① 鼻が
② 君が
③ 君の
は、3つとも、「連体修飾語」である。
然るに、
(17)
① 鼻が長いのは象である=∀x∀y(鼻xy&長x→ 象y)。
② 象は鼻が長い =∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
①「鼻が」は「連体修飾語」であるが、
②「鼻が」の「連体修飾語」ではない。
(18)
「歴史的」には、
① 鼻が長いの(名詞)は象である。
といふ「用法」が先にあって、後に、
① 鼻が長い(終止形)。
といふ「用法」が生まれて、その「結果」として、
① 鼻が長い。
② 鼻は長い。
といふ「対立」が、生じることになる。
然るに、
(19)
「結論」だけを書くならば、
① 鼻が(濁音)
② 鼻は(清音)
に於いて、
① の「心理的な音量」の方が、
② の「心理的な音量」よりも「大きく」、それ故、
① は、② に対する「強調形」である。
然るに、
(20)
① AはBであり、A以外はBでない。
といふ「命題」を「排他的命題(Exclusive proposition)」といふ。
然るに、
(21)
「強調形」は、「排他的命題」を「主張」する。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① 鼻が長い=鼻は長く、鼻以外は長くない。
② 鼻は長い=鼻は長い。
といふ、ことになる。
従って、
(22)により、
(23)
① 象は鼻が長い=象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
② 象は鼻は長い=象は鼻は長い。
といふことになり、それ故、
① 象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 象は鼻は長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)}。
といふ「等式」が、成立する。
従って、
(23)により、
(24)
① 象は鼻が長い。といふことはない。
② ~∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(25)
(ⅱ)
1 (1)~∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2)∃x~{象x→∃y(鼻yx&長y)& ∀z(~鼻zx→~長z)} 1量化子の関係
3 (3) ~{象a→∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z)} A
4 (4) ~象a∨∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z) A
4 (5) 象a→∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z) 4含意の定義
34 (6) ~{象a→∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z)}&
{象a→∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z)} 35&I
3 (7) ~{~象a∨∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z)} 46RAA
3 (8)~{~象a∨∃y(鼻ya&長y)}∨~∀z(~鼻za→~長z) 7ド・モルガンの法則
3 (9) {~象a∨∃y(鼻ya&長y)}→~∀z(~鼻za→~長z) 8含意の定義
ア (ア) 象a→∃y(鼻ya&長y) A
ア (イ) {~象a∨∃y(鼻ya&長y)} イ含意の定義
3 ア (ウ) ~∀z(~鼻za→~長z) 9イMPP
3 ア (エ) ∃z~(~鼻za→~長z) ウ量化子の関係
オ (オ) ~(~鼻ca→~長c) A
カ (カ) 鼻ca∨~長c A
カ (キ) ~鼻ca→~長c カ含意の定義
オカ (ク) ~(~鼻ca→~長c)&
(~鼻ca→~長c) オキ&I
オ (ケ) ~(鼻ca∨~長c) カクRAA
オ (コ) ~鼻ca& 長c ケ、ド・モルガンの法則
オ (サ) ∃z(~鼻za& 長z) コEI
3 ア (シ) ∃z(~鼻za& 長z) エオサEE
3 (ス) [象a→∃y(鼻ya&長y)]→∃z(~鼻za& 長z) アシCP
3 (セ)∃x{[象x→∃y(鼻yx&長y)]→∃z(~鼻zx& 長z)} スEI
1 (ソ)∃x{[象x→∃y(鼻yx&長y)]→∃z(~鼻zx& 長z)} 23セEE
(ⅲ)
1 (1) ∃x{[象x→∃y(鼻yx&長y)]→∃z(~鼻zx& 長z)} A
2 (2) [象a→∃y(鼻ya&長y)]→∃z(~鼻za& 長z) A
3 (3) [象a→∃y(鼻ya&長y)] A
23 (4) ∃ z(~鼻za& 長z) 23MPP
5 (5) ~鼻ca& 長c A
6(6) ~鼻ca→~長c A
5 (7) ~鼻ca 5&E
56(8) ~長c 67MPP
5 (9) 長c 5&E
56(ア) ~長c&長c 89&I
5 (イ) ~(~鼻ca→~長c) 6アRAA
5 (ウ) ∃z~(~鼻ca→~長c) イEI
23 (エ) ∃z~(~鼻ca→~長c) 45ウEE
23 (カ) ~∀z(~鼻ca→~長c) エ量化子の関係
2 (キ) [象a→∃y(鼻ya&長y)]→~∀z(~鼻ca→~長c) 3カCP
2 (ク) ~[象a→∃y(鼻ya&長y)]∨~∀z(~鼻ca→~長c) キ含意の定義
2 (ケ) ~{象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻ca→~長c)} ク含意の定義
2 (コ)∃x~{象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻ca→~長c)} ケEI
1 (サ)∃x~{象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻ca→~長c)} 12コEE
1 (シ)~∀x{象a→∃y(鼻ya&長y) & ∀z(~鼻ca→~長c)} サ量化子の関係
従って、
(25)により、
(26)
② ~∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
③ ∃x{[象x→∃y(鼻yx&長y)]→∃z(~鼻zx&長z)}
に於いて、
②=③ である。
従って、
(24)(25)(26)により、
(27)
① 象は鼻が長い。といふことはない。といふことはない。
② ~~∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ~∃x{[象x→∃y(鼻yx&長y)]→∃z(~鼻zx&長z)}。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(27)により、
(28)
「二重否定(DN)」により、
(29)
① 象は鼻が長い。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
③ ~∃x{[象x→∃y(鼻yx&長y)]→∃z(~鼻zx&長z)}。
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(29)により、
(30)
① 象は鼻が長い。
③{xが象であるならば、あるyがxの鼻であって長いならば、あるzはxの鼻以外であって長い。}といふ、そのやうなxは存在しない。
に於いて、
①=③ である。
従って、
(31)
① 象は鼻が長い。
③ 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。
に於いて、
①=③ である。
(01)
「先ほど(令和02年02月13日)」の「記事」でも書いた通り、
(ⅰ)
1(1)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} A
1(2)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 1量化子の関係
1(3)∀x∀y~{(Fx&Fy)&x≠y} 2量化子の関係
1(4) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 3UE
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4UE
1(6) ~(Fa&Fb)∨a=b 5ド・モルガンの法則
1(7) (Fa&Fb)→a=b 6含意の定義
1(8) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 7UI
1(9) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} 8UI
(ⅱ)
1(1) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} A
1(2) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 1UE
1(3) Fa&Fb →a=b 2UE
1(4) ~(Fa&Fb)∨a=b 3含意の定義
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4ド・モルガンの法則
1(6) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 5UI
1(7) ~∃y{(Fa&Fy)&a≠y} 6量化子の関係
1(8)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 7UI
1(9)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 8量化子の関係
従って、
(01)により、
(02)
① ~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}≡2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}≡xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=② である。
従って、
(02)により、
(03)
① ∃xFx&~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}≡1個以上のxがFであって、2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∃xFx& ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}≡1個以上のxがFであって、xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(04)
(ⅱ)
1 (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃xFx 1&E
3 (3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fb→a=b 5UE
7(7) Fb A
37(8) Fa&Fb 37&I
137(9) a=b 68MPP
13 (ア) Fb→a=b 79CP
13 (イ) ∀y(Fy→a=y) アUI
13 (ウ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3イ&I
13 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ウEI
1 (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13エEE
(ⅲ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
6(6) Fb&Fb A
6(7) Fb 6&E
26(8) a=b 57MPP
26(9) a=b&a=b 88&I
26(ア) a=b 9&E
26(イ) b=b 8ア=E
2 (ウ) Fb&Fb→b=b 5イCP
2 (エ) ∀y(Fb&Fy→b=y) ウUI
2 (オ) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) エUI
2 (カ) ∃xFx 3EI
2 (キ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) オカ&I
1 (ク)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 12クEE
従って、
(03)(04)により、
(05)
① ∃xFx&~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} ≡1個以上のxがFであって、2個以上のxがFである。といふことはない。
② ∃xFx& ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y } ≡1個以上のxがFであって、xがFであって、yもFであるならば、xとyは「同じ」である。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ≡あるxはFであり、すべてのyについて、 yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(06)
① 2個以上のxがFである。といふことはない。
といふことは、
① 1個以下のxがFである。
といふことであある。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 1個以上のxがFであって、1個以下のxがFである。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}≡あるxはFであり、すべてのyについて、yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
①=③ である。
然るに、
(08)
① 1個以上のxがFであって、1個以下のxがFである。
といふことは、
② 正確に1個のxがFである。
といふことである。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 正確に1個のxがFである。
③ ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}≡あるxはFであり、すべてのyについて、yがFであるならば、xとyは「同じ」である。
に於いて、
②=③ である。
従って、
(09)により、
(10)
② 正確に1個のxがFである≡∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(11)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
といふ「論理式」を使って、
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」を書くことが出来る。
然るに、
(12)
① ∀x{Fx→P}
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、そのときに限って、
P=∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]
である。
従って、
(12)により、
(13)
① ∀x{Fx→P}≡すべてのxについて、xがFならば、Pである。
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、
② は、① に対する、「代入例(Substitution instance)」である。
然るに、
(14)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
(xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(12)(13)(14)により、
(15)
① ∀x{Fx→P}≡すべてのxについて、xがFならば、Pである。
の「主語」は、
① Fx であって、
① P=∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]。
の「主語」は、
① Gx である。
従って、
(15)により、
(16)
① ∀x{Fx→P}。
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であるならば、そのときに限って、
② は、① に対する、「代入例(Substitution instance)」であるが故に、
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」には、少なくとも、
① Fx といふ「主語」と、
② Gx といふ「主語」が、有ることになる。
従って、
(16)により、
(17)
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
といふ「論理式」は、「二重主語文」である。
然るに、
(17)により、
(18)
② ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}。
に於いて、
F=T会の会員
G=私
H=理事長
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理式」、すなはち、
② すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「論理式」になって、もちろん、この場合も、「二重主語文」である。
然るに、
(19)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3ス&I
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(19)により、
(20)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(21)
いづれにせよ、
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
従って、
(19)(20)(21)により、
(22)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② である。
従って、
(18)(22)により、
(23)
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② は、「二重主語文」である。
然るに、
(24)
日本文には主語という用語適用すべき対象がてんで存在しないのである。「甲ガ」も「乙ニ」も「丙ヲ」と並んで同じ補語の仲間に踏みとどまっているのである(三上1953b:78)。
(淺山友貴、現代日本語における「は」と「が」の意味と機能、2004年、33頁)
従って、
(23)(24)により、
(25)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
に於いて、
①=② であって、尚且つ、
② といふ「述語論理式」は、「二重主語文」である。
従って、
(25)により、
(26)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
ろいふ「日本語」は、私が見る所としては、「二重主語文」である。
然るに、
(27)
一、總主トハ如何ナル者ゾ
動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「象は體大なり」ノ「象」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲魚皆性あり」ノ「鳥獸蟲魚」、「仁者は命長し」ノ「仁者」、「賣藥は效能薄し」ノ「賣藥」、「慾は限無し」ノ「慾」、「酒は養生に害あり」ノ「酒」、「支那は人口多し」ノ「支那」ノ如キハ、皆、「體大なり」「力強し」等ノ一説話ニ對シテ更ニソノ主語タル性格ヲ有ス。『帝国文学』五巻、五號(帝國文學會明治三十二年)
従って、
(26)(27)により、
(28)
三上先生は、「日本語」には「主語」は無いとされるものの、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」は、私が見る所としては、「二重主語文」であって、
① タゴール記念会は
は、草野淸民先生が所謂、「總主」である。
(01)
① 1個以上のxがFであって、尚且つ、
② 1個以下のxがFである。
といふことは、
③ 正確に1個のxがFである。
といふことである。
然るに、
(02)
① 1個以上のxがFである。
といふことを、記号で書くと、
① ∃x(Fx)
である。
然るに、
(03)
② 1個以下のxがFである。
③ 2個以上のxがFである。
に於いて、
② と ③ は、「矛盾」する。
従って、
(04)
② 1個以下のxがFである。
③ 2個以上のxがFである。といふことはない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(05)
③ 2個以上のxがFである。といふことはない。
といふことを、記号で書くと、
③ ~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}
である。
然るに、
(06)
(ⅲ)
1(1)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} A
1(2)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 1量化子の関係
1(3)∀x∀y~{(Fx&Fy)&x≠y} 2量化子の関係
1(4) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 3UE
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4UE
1(6) ~(Fa&Fb)∨a=b 5ド・モルガンの法則
1(7) (Fa&Fb)→a=b 6含意の定義
1(8) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 7UI
1(9) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} 8UI
(ⅳ)
1(1) ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y} A
1(2) ∀y{(Fa&Fy)→a=y} 1UE
1(3) Fa&Fb →a=b 2UE
1(4) ~(Fa&Fb)∨a=b 3含意の定義
1(5) ~{(Fa&Fb)&a≠b} 4ド・モルガンの法則
1(6) ∀y~{(Fa&Fy)&a≠y} 5UI
1(7) ~∃y{(Fa&Fy)&a≠y} 6量化子の関係
1(8)∀x~∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 7UI
1(9)~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y} 8量化子の関係
従って、
(06)により、
(07)
③ ~∃x∃y{(Fx&Fy)&x≠y}
④ ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
に於いて、
③=④ である。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
③ 2個以上のxがFである。といふことはない。
といふことを、記号で書くと、
③ ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
である。
従って、
(01)(02)(08)により、
(09)
「番号」を付け直すと、
① ∃x(Fx)であって、尚且つ、
② ∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}であるならば、そのときに限って、
③ 正確に1個のxがFである。
従って、
(09)により、
(10)
「番号」を付け直すと、
① 正確に1個のxがFである。
② ∃x(Fx)&∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(11)
(ⅰ)
1 (1)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) A
1 (2)∃xFx 1&E
3 (3) Fa A
1 (4) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 1&E
1 (5) ∀y(Fa&Fy→a=y) 4UE
1 (6) Fa&Fb→a=b 5UE
7(7) Fb A
37(8) Fa&Fb 37&I
137(9) a=b 68MPP
13 (ア) Fb→a=b 79CP
13 (イ) ∀y(Fy→a=y) アUI
13 (ウ) Fa&∀y(Fy→a=y) 3イ&I
13 (エ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} ウEI
1 (オ) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} 13エEE
(ⅱ)
1 (1) ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)} A
2 (2) Fa&∀y(Fy→a=y) A
2 (3) Fa 2&E
2 (4) ∀y(Fy→a=y) 2&E
2 (5) Fb→a=b 4UE
6(6) Fb&Fb A
6(7) Fb 6&E
26(8) a=b 57MPP
26(9) a=b&a=b 88&I
26(ア) a=b 9&E
26(イ) b=b 8ア=E
2 (ウ) Fb&Fb→b=b 5イCP
2 (エ) ∀y(Fb&Fy→b=y) ウUI
2 (オ) ∀x∀y(Fx&Fy→x=y) エUI
2 (カ) ∃xFx 3EI
2 (キ)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) オカ&I
1 (ク)∃xFx&∀x∀y(Fx&Fy→x=y) 12クEE
従って、
(11)により、
(12)
① ∃x(Fx)&∀x∀y{(Fx&Fy)→x=y}
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
①=② である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
① 正確に1個のxがFである。
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
に於いて、
①=② である。
然るに、
(14)
② ∃x{Fx&∀y(Fy→x=y)}
といふ「論理式」を使って、
③ ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}
といふ「論理式」を書くことが出来る。
従って、
(14)により、
(15)
「番号」を付け直すと、
① ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}
といふ「論理式」、すなはち、
① すべてのxについて、xがFであるならば、あるyは、Gであって、その上、xのHであって、すべてのzについて、zがxのHであるならば、yとzは「同一」である。
といふ「論理式」を書くことが出来る。
従って、
(15)により、
(16)
① ∀x{Fx→∃y[Gy&Hyx&∀z(Hzx→y=z)]}
に於いて、
F=T会の会員
G=私
H=理事長
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}
といふ「論理式」、すなはち、
① すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「論理式」を書くことが出来る。
然るに、
(17)
(ⅰ)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事長ya&∀z(理事長za→y=z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事長ba&∀z(理事長za→b=z) A
5 (6) 私b&理事長ba 5&E
5 (7) ∀z(理事長za→b=z) 5&E
5 (8) 理事長ca→b=c 7UE
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事長ca 8クMTT
5 ア (コ) 小倉c&~理事長ca イケ&I
5 ア (サ) ∃z(小倉z&~理事長za) コEI
59 (シ) ∃z(小倉z&~理事長za) 9アサEE
13 9 (ス) ∃z(小倉z&~理事長za) 45シEE
1 9 (セ) T会の会員a→∃z(小倉z&~理事長za) 3ス&I
1 9 (シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)} セUI
1 9 (〃)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。 セUI
従って、
(17)により、
(18)
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」は、「妥当」である。
然るに、
(19)
いづれにせよ、
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、明らかに、「妥当」である。
然るに、
(20)
(1)タゴール記念会は、私の他にも、理事はゐる。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事ではない。
といふ「推論」は、もちろん、「妥当」ではない。
然るに、
(21)
(ⅰ)
1(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]} A
ではなく、
1(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事zx→y=z)]} A
から、
1(1) ∀z(理長zx→y=z)
を取り出して、「否定」すると、
(ⅱ)
1 (1)~∀z(理事zx→y=z) A
1 (2)∃z~(理事zx→y=z) 1量化子の関係
3 (3) ~(理事cx→y=c) A
4(4) ~理事cx∨y=c A
4(5) 理事cx→y=c 4含意の定義
34(6) ~(理事cx→y=c)&
(理事cx→y=c) 35&I
3 (7) ~(~理事cx∨y=c) 46RAA
3 (8) 理事cx&y≠c 7ド・モルガンの法則
3 (9) ∃z(理事zx&y≠z) 8EI
1 (ア) ∃z(理事zx&y≠z) 139EE
(ⅲ)
1 (1) ∃z(理事zx&y≠z) A
2 (2) 理事cx&y≠c A
3(3) 理事cx→y=c A
2 (4) 理事cx 2&E
23(5) y=c 34MPP
3(6) y≠c 2&E
23(7) y=c&y≠c 56&I
2 (8) ~(理事cx→y=c) 37RAA
2 (9)∃z~(理事zx→y=z) 8EI
1 (ア)∃z~(理事zx→y=z) 129EE
1 (イ)~∀z(理事zx→y=z)
従って、
(21)により、
(22)
② ~∀z(理事zx→y=z)
③ ∃z(理事zx&y≠z)
に於いて、
②=③ である。
従って、
(21)(22)により、
(23)
② ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&~∀z(理事zx→y=z)]}
③ ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx& ∃z(理事zx&y≠z)]}
に於いて、すなはち、
② すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事であって、すべてのzについて、zがxの理事であるならば、yとzは「同一」である。といふわけではない。
③ すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事であって、あるzも、xの理事であって、yとzは「同一」ではない。
に於いて、
②=③ である。
然るに、
(24)
(ⅰ)
1 (1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事yx&∃z(理事zx&y≠z)]} A
1 (2) T会の会員a→∃y[私y&理事ya&∃z(理事za&y≠z)] 1UE
3 (3) T会の会員a A
13 (4) ∃y[私y&理事ya&∃z(理事za&y≠z)] 34MPP
5 (5) 私b&理事ba&∃z(理事za&b≠z) A
5 (6) 私b&理事ba 5&E
5 (7) ∃z(理事za&b≠z) 5&E
8 (8) 理事ca&b≠c A
9 (9) ∃z(小倉z&~私z) A
ア (ア) 小倉c&~私c A
ア (イ) 小倉c ア&E
ア (ウ) ~私c ア&E
エ(エ) b=c A
アエ(オ) ~私b ウエ=E
5 (カ) 私b 6&E
5 アエ(キ) ~私b&私b オカ&I
5 ア (ク) b≠c エキRAA
5 ア (ケ) ~理事ca 8クMTT
に於いて、「最後の行」である、
5 ア (ケ) ~理事ca 8クMTT
は、「デタラメ」である。
従って、
(20)~(24)により、
(25)
(1)タゴール記念会は、私の他にも、理事はゐる。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事ではない。
といふ「推論」は、もちろん、「妥当」ではなく、尚且つ、
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事yx&∃z(理事zx&y≠z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」、すなはち、
(1)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事であって、あるzも、xの理事であって、yとzは「同一」ではない。然るに、
(9)あるzは小倉氏であって、zは私ではない。従って、
(シ)すべてのxについて、xがT会の会員であるならば、あるzは小倉氏であって、zはxの理事長ではない。
といふ「推論」も、「妥当」ではない。
従って、
(18)~(25)により、
(26)
(1)タゴール記念会は、私が理事長です。 然るに、
(9)小倉氏は、私ではない。従って、
(シ)タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。
といふ「推論」は、
(1)∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。然るに、
(9)∃z(小倉z&~私z)。従って、
(シ)∀x{T会の会員x→∃z(小倉z&~理事長zx)}。
といふ「推論」に、他ならない。
然るに、
(27)
よく知られているように、「私が理事長です」は語順を変え、
理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
然るに、
(28)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
に於いて、
②=③ は、対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(29)
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
といふことは、
④ 私と理事長は、同一人物である。
といふ、ことである。
従って、
(27)(28)(29)により、
(30)
① 私が理事長です。
② 理事長は、私です。
③ 私以外は理事長ではない。
④ 私と理事長は、同一人物である。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(31)
(1)「タゴール記念会は、私と、その理事長が、同一人物である。」が、
(9)「小倉氏は、私ではない。」とするならば、そのときに限って、
(シ)「タゴール記念会は、小倉氏は、理事長ではない。」
従って、
(26)(30)(31)により、
(32)
① タゴール記念会は、私が理事長です。⇔
① タゴール記念会は、理事長は私です。⇔
① タゴール記念会は、私以外は理事長ではない。⇔
① タゴール記念会は、私と理事長は同一である。⇔
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}⇔
① すべてのxについて、xがタゴール記念会の会員であるならば、あるyは、私であって、その上、xの理事長であって、すべてのzについて、zがxの理事長であるならば、yとzは「同一」である。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(33)
また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
と書いたとしても、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」の、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理的な構造」を、明らかにした。
といふことには、ならない。
従って、
(32)(33)により、
(34)
伝統的論理学を清水滉『論理学』(1916年)で代表させよう。わたしのもっているのが四十三年の第十九冊の一冊で、なお引き続き刊行だろうから、前後かなり多くの読者をもつ論理学書と考えられる。新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
とは言ふものの、三上先生は、例へば、
① タゴール記念会は、私が理事長です。
といふ「日本語」には、
① ∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「論理的な構造」が有る。
といふことを、知らないまま、「三上章、日本語の論理、1963年」を、上梓したことになる。
然るに、
(35)
更に言へば、
② 象は鼻が長い。
といふ「日本語」には、
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
といふ「論理的な構造」が有る。
といふことを、知らないまま、「三上章、象は鼻が長い、1960年」を、上梓したことになる。
然るに、
(36)
② 象は鼻が長い ≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
① タゴール記念会は、私が理事長です≡∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「等式」の、「右辺」を「無視」したまま、「左辺」を論じることは、「正しい」とは、言へないはずである。
従って、
(37)
私としては、「三上章、日本語の論理、1963年」に於ける、そうした点が、不満である。
然るに、
(32)により、
(38)
③ 私はこれがいいです。⇔
③ 私はこれは良く、これ以外は良くない。
③ ∀x{私x→∃y(これy&良いyx)&∀z(良いzx→z=y)}。
といふ「等式」が成立する。
然るに、
(39)
商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、ハとガで意味が反対になることがある。
これはいいです。(不用)
これがいいです。(入用)
ここで異を立てる方にはハを使っているが、述語が同型異議になっている。不用の方はテモイイ、デモイイ(許可)で、入用の方はほめことば(好適)である。つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう(三上章、日本語の論理、1963年、156・7頁)。
然るに、
(40)
③ 商品をいろいろ見せてもらって選択するときに、
③ 私はこれは良く、これ以外は良くない。
といふのであれば、
③ 私は、これを買います。
と言ってゐるのと、「同じ」である。
従って、
(38)(39)(40)により、
(41)
③ 私はこれがいいです。⇔
③ 私はこれは良く、これ以外は良くない。⇔
③ 私は、これを買います。
といふことなのであって、
④ つまり、初めの方は「これはもらわ(有償)なくてもいいです」「これは引っ込めてもらっていいです」などの短絡的表現だろう。
といふ「言ひ方」は、「説明」には、なってゐない。
加へて、
(27)により、
(42)
また、かりに大倉氏が、
タゴール記念会は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念会」を品評するという心持ちの文である。
といふ「言ひ方」も、「説明」には、なってゐない。
然るに、
(43)
新興の記号論理学は、沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照することにする(三上章、日本語の論理、1963年、4頁)。
とは言ふものの、「三上章、日本語の論理、1963年」、並びに、「三上章、象は鼻が長い、1960年」他を、読む限り、三上章先生自身が、「記号論理学」を学んでゐた、「形跡」は無い。
(44)
論理学とは何であるかを知る最善の方法は、実際に幾らくやってみることである(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、3頁)。
といふのは、「論理学とは何であるかを知る最善の方法」は「練習問題を、自分で解いてみる」ことである。
といふ風に、考へたい。
然るに、
(45)
『沢田允茂、現代論理学入門(1962年)』は「現代論理学」の「教科書」ではなく、「解説書」であるため、「練習問題」は、一切、載ってゐない。
従って、
(44)(45)により、
(46)
沢田允茂『現代論理学入門』(1962年)を参照しただけでは、「現代論理学とは何であるかを知る」ことは、ほとんど、出来ない。
従って、
(45)(46)により。
(47)
三上章先生は、1963年に、「論理学」を学ばないまま、「日本語の論理」といふタイトルの書籍を、上梓したことになる。
(48)
① 象は鼻が長い ≡∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
② 私はこれがいいです ≡∀x{私x→∃y(これy&良いyx)&∀z(良いzx→z=y)}。
③ タゴール記念会は、私が理事です≡∀x{T会の会員x→∃y[私y&理事長yx&∀z(理事長zx→y=z)]}。
といふ「等式」が成り立つことを、出来るだけ、多く方に、知ってもらいたい。
(01)
(ⅰ)主語述語(体言・体言)。
(ⅱ)修飾構造(連体修飾語+被修飾語)。
(〃)修飾構造(連用修飾語+被修飾語)。
(ⅲ)補足構造。
(ⅳ)並列構造。
といふ「構造」を、「漢文の基本構造」とする。
cf.
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、281~284頁)。
然るに、
(02)
この内の、
(ⅲ)補足構造。
を除く、
(ⅰ)主語述語(体言・体言)。
(ⅱ)修飾構造(連体修飾語+被修飾語)。
(〃)修飾構造(連用修飾語+被修飾語)。
(ⅳ)並列構造。
に関しては、「漢文」と「日本語」の「語順」は「同じ」である。
従って、
(02)により、
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(04)
① 我非必求丙以下解二中文一法上解乙漢文甲者天=
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}。
に於いて、
① 我{ }⇒{ }我
① 求[ ]⇒[ ]求
① 解( )⇒( )解
① 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行った上、「平仮名」を加へると、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ「訓読」になる。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 我非必求以解中文法解漢文者=
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}⇒
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
に於ける、
① { [ 〔 ( )〕( ) ] }
② { [ 〔 ( )〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
①「漢文(原文)の補足構造」を示してゐて、
①「国語(訓読)の補足構造」を示してゐる。
従って、
(02)(05)により、
(06)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}。
といふ「漢文」を、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ風に「訓読」しても、
(ⅱ)修飾構造(連体修飾語+被修飾語)。
(〃)修飾構造(連用修飾語+被修飾語)。
(ⅲ)補足構造。
は、「変はらない」。
従って、
(02)(06)により、
(07)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}。
といふ「漢文」と、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ「訓読」に於いて、「語順」こそは「異なる」ものの、「基本構造」は、「同じ」である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
「漢文訓読」とは、「漢文(原文)の構造」を「保存」した「形」で行はれる、「漢文(原文)の逐語訳」である。
然るに、
(09)
① 常読漢文=
① 常+読(漢+文)⇒
① 常+(漢+文)読=
① 常に(漢+文)を読む。
(10)
② 我読漢文=
② 我+読(漢+文)⇒
② 我+(漢+文)読=
② 我、(漢+文)を読む。
従って、
(09)(10)により、
(11)
① 常読漢文=常+読(漢+文)。
② 我読漢文=我+読(漢+文)。
に於いて、
① 常 は「連用修飾語(副詞)」であって、
② 我 も「連用修飾語(副詞)」である。
従って、
(11)により、
(12)
② 我読漢文=我、漢文を読む。
といふ「漢文」に於ける、所謂「主語」は、「名詞(体言)」ではなく、「副詞(連用修飾語)」である。
然るに、
(13)
④ 私は、必ずしも、中国語を理解する方法を使って、漢文を理解しようとする者ではありません。
といふ「日本語」を、「グーグル翻訳」で、「英訳」すると、
④ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese writing using the method of understanding Chinese.
然るに、
(14)
④ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese writing using the method of understanding Chinese.⇒
④ I am〔not[necessarily a-person(who【tries『to「understand《Chinese-writing〈using{the- method[of〔understanding(Chinese)〕]}〉》」』】)〕]=
⑤ I 〔[necessarily (【『「《〈{[〔(Chinese)understanding〕of]the-method}using〉Chinese-writing》understand」to』tries】who)a-person〕am]not=
⑤ 私は〔[必ずしも (【『「《〈{[〔(中国語を)理解する〕の]方法を}使って〉漢文を》理解する」ことを』求める】所の)人〕である]ではない。
然るに、
(14)により、
(15)
④ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese writing using the method of understanding Chinese.
から、
④ I am not a person.
だけを取り出した際の「括弧」は、
④ I am(not〔a-person)〕⇒
④ I (〔a-person)am〕not=
④ 私 は(〔者)である〕ではない。
である。
然るに、
(16)
④ 〔 ( ) 〕であれば、「括弧」であるが、
④ ( 〔 ) 〕の場合は、「括弧」ではない。
従って、
(17)
④ I not〔am(a-person)〕.
ではないため、
④ I am(not〔a-person)〕.
といふ「それ」は、「括弧」ではない。
従って、
(07)(17)により、
(18)
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
④ I am〔not[necessarily a-person(who【tries『to「understand《Chinese-writing〈using{the-method[of〔understanding(Chinese)〕]}〉》」』】)〕].
に於いて、両者は、「語順」だけでなく、「補足構造」も、「同じ」ではない。
然るに、
(19)
「訓読論」数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
従って、
(08)(18)(19)により、
(20)
いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである。
といふ「主張」は、「英文・訓読」等に於いては、さうであっても、「漢文・訓読」に於いては、「マチガイ」であって、「正しく」ない。
然るに、
(21)
然るに、
(22)
④ 二 五 三 一 四=
④ 二(五[三〔一)〕四]⇒
④ ([〔一)二〕三四]五。
然るに、
(23)
④ 二(五[三〔一)〕四]
に於ける、
④ ( [ 〔 )〕 ]
といふ「それ」は、
④ [ 〔 ( )〕 ]
ではないため、「括弧」ではない。
従って、
(05)(21)(22)(23)により、
(24)
④ 端的看不出這婆子的本事来。
④ 西門慶促忙促急償造不出床来。
といふ「白話文(中国語)」と、
④ 端的に這の婆子の本事を看出し来たらず。
④ 西門慶促忙促急に床を償造し出し来たらず。
といふ「日本語(?)」との間には、「補足構造の一致」は無い。
従って、
(05)(24)により、
(25)
① 我非必求以解中文法解漢文者=
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}⇒
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ「漢文・訓読」と、
④ 端的看不出這婆-子的本-事来=
④ 端的看(不[出〔這婆子的本事)〕来]⇒
④ 端的に([〔這の婆子の本事を)看〕出し来たら]ず。
といふ「白話文・訓読」は、「似て非なるもの」であって、「全然、違ふ」。
然るに、
(26)
話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)。
従って、
(25)(26)により、
(27)
「白話文・訓読」は、固より「無茶」であったが故に、「淘汰」された。と、すべきである。
然るに、
(28)
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文を訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア:漢文)。
然るに、
(29)
「もし強いて白話文を(漢文のやうに)訓読するとたいへん奇妙な日本語になる。」といふことは、
「漢文と中国語は別物です(魚返善雄、漢文入門、1966年、16頁)」といふことに、他ならない。
然るに、
(30)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ。教うるに俗語を以てし、誦するに支那音を以てし、訳するに日本の俗語を以てし、決して和訓廻環の読み方をしてはならぬ。先ず零細な二字三字の短句から始めて、後には纏った書物を読ませる、斯くて支那語が熟達して支那人と同様になつてから、而る後段々と経子史集四部の書を読ませると云う風にすれば破竹の如しだ、是が最良の策だ(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(31)
(倉石)徂徠は、単に唐音を操るといふ様なことに満足せず、漢文を学ぶには先ず支那語からとりかり、支那の俗語をば支那語で暗誦させ、これを日本語の俗語に訳し、決して和訓の顚倒読みをしてはならない、始めは零細な二字三字の句から始めて、遂に纏った書物を読ます、支那語が支那人ほど熟達してから、古い書物を読ませば、破竹の勢いで進歩すると説いたこれは、今日の様に外国語に対する理念が発達した時代から見れば、何の不思議もない「ことであるが、その当時、つとに、かかる意見を吐いたのは、たしかに一世に抜きんでた見識に相違ない(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
従って、
(29)(30)(31)により、
(32)
荻生徂徠先生も、青木正児先生も、倉石武四郎先生も、「漢文を学ぶのであれば、漢文とは別物の、支那語(中国語)を、最初に学ばなければならない。」と言ってゐる。
然るに、
(33)
荻生徂徠は『訳文筌蹄』の凡例において、己の読書要領および教育法のついて次のように宣言している。
余嘗為蒙生定学問之法。先為崎陽之学。教以俗語。通以華音。訳以此方語。絶不作和訓廻環之読。始以零細者。二字三字為句。後使読成書者。崎陽之学既成。乃始得為中華人。而後読経子史集四部書。勢如破竹。是最上乗也。
(勉誠出版、訓読論、2008年、53頁)
然るに、
(34)
「補足構造」が、
余嘗為(蒙生)定(学問之法)。先為(崎陽之学)。教以(俗語)。通以(華音)。訳以(此方語)。絶不〔作(和訓廻環之読)〕。始以(零細者)。二字三字為(句)。後使〔読(成書)〕者。崎陽之学既成。乃始得〔為(中華人)〕。而後読(経子史集四部書)。勢如(破竹)。是最上乗也。
であるならば、「訓読」は、
余嘗て蒙生の為に学問の法を定む。先ず崎陽の学を為す。教ふるに俗語を以てす。通ずるに華を以てす。訳するに此の方語を以てす。絶へて和訓廻環み読を作さず。始め零細の者を以てす。二字三字を句と為す。後に成書を読ま使むる者。崎陽の学既に成る。乃ち始めて中華の人為るを得。而る後子史集四部書を読む。勢い破竹の如し。是れ最上の乗なり。
といったところである。
然るに、
(34)により、
(35)
「漢文を学ぶ」ためには、「先ず崎陽の学を為す(長崎の学問、すなはち、中国語を学ぶ)こと」が「肝要」であるといふのであれば、「荻生徂徠の、中国語の先生」は、「徂徠の、中国語の先生であって、尚且つ、徂徠の、漢文の先生」でなければ、ならない。
然るに、
(36)
過則勿憚改、この「論語」「学而」編の句を、過則レ勿レ憚レ改、と返り点をうち、過テバ則チ改ムルニ憚カレと読むのは、原形の破壊である。コウ ツヱ ホ ダン カイ、と読んでこそその原形である。
として、吉川の議論は次のように続く、
その第一歩として、まず現代中国語を学び、中国語のリズムに慣れよ。なお彼が学んだ中国語音は南方言であって、右の仮名は、岡島冠山の「唐話纂要」享保元年一七一六、による。長崎税関の「通事」通訳官である冠山は、彼〔徂徠〕の弟子であるともに、彼の中国語の教師の一人であった。現在われわれが使う標準語ペキン語を拉丁化ローマ字で表記すれば、「論語」の句は Guò zé wù dàn gǎ〔となる。〕(勉誠出版、「訓読」論、2008年、226頁)
従って、
(35)(36)により、
(37)
長崎税関の「通事」通訳官である冠山は、彼〔徂徠〕の(漢学の)弟子であるともに、彼の中国語の教師の一人であり続けた。
とするならば、「矛盾」する。
従って、
(29)(37)により、
(38)
やはり、「漢文と中国語は別物です(魚返善雄、漢文入門、1966年、16頁)」とするべきであるし、
漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在しない。― 中略 ―、文法的に正しい漢文を習得することは、中国人にとっても簡単ではなかった。「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人も外国人も平等である(加藤徹、白文攻略 漢文法ひとり学び、2013年、8頁・9)。との、ことである。
然るに、
(39)
⑤ 中國以北京語為國語矣。然、若北京語非漢文也。是以、中國語直読法雖盛、中華人民共和國語、不可以書中夏之書審矣。如日本之学生有欲能書漢文者、則宜以括弧学其管到。古、漢文之於日本語、猶古文之於日本語也。故、漢文亦日本語也。学中國語、莫若音読、学漢文、莫若以訓読学之。⇔
⑤ 中國以(北京語)為(國語)矣。然、若(北京語)、非(漢文)也。是以、中國語直読法雖(盛)中華人民共和國語不[可〔以書(中夏之書)〕]審矣。如日本之学生有[欲〔能書(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕。古、漢文之於(日本語)、猶〔古文之於(日本語)〕也。故、漢文亦日本語也。学(中國語)、莫〔若(音読)〕、学(漢文)、莫[若〔以(訓読)学(之)〕]。⇔
⑤ 中國は北京語を以て國語と為せり。然れども、北京語の若きは漢文に非ざるなり。是を以て、中國語直読法は盛んなりと雖も、中華人民共和國語は以て中華の書を書く可から不ること審かなり。如し日本の学生に能く漢文を書かむと欲する者有らば則ち、宜しく括弧を以て其の管到を学ぶべし。古へ、漢文の日本語に於けるや、猶ほ古文の日本語のごときなり。故に、漢文も亦た日本語なり。中國語を学ぶは、音読に若くは莫く、漢文を学ぶは、訓読を以て之を学ぶに若くは莫し。
といふ「拙い漢文」は、「私の作例」であるものの、私自身は、「中国語」が、全くできない。
従って、
(40)
「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人も外国人も平等である といふことは、「本当」である。
然るに、
(41)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた述語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかもたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
従って、
(40)(41)により、
(42)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
2 6 (ア) ∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 58MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
1 6 (エ) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
1 6 (オ) ~鼻ba→~長b エUE
2 6 (カ) ∃y(耳ya&長y) ア&E
キ(キ) 耳ba&長b A
2 6 (ク) ∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ケ) ~耳ba→~長b&耳ba→~鼻ba クUE
2 6 (コ) 耳ba→~鼻ba ケ&E
キ(サ) 耳ba キ&E
2 6 キ(シ) ~鼻ba コサMPP
12 6 キ(ス) ~長b オシMPP
ウ (セ) 長b ウ&E
12 6ウキ(ソ) 長b&~長b シス&I
12 6ウ (タ) 長b&~長b カキソEE
12 6 (チ) 長b&~長b イウタEE
123 (ツ) 長b&~長b 36チEE
12 (テ)~∃x(象x&兎x) 3ツRAA
12 (ト)∀x~(象x&兎x) テ量化子の関係
12 (ナ) ~(象a&兎a) トUE
12 (ニ) ~象a∨~兎a ナ、ド・モルガンの法則
12 (ヌ) ~兎a∨~象a ニ交換法則
12 (ネ) 兎a→~象a ヌ含意の定義
12 (ノ)∀x(兎x→~象x) ネUI
12 (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 ネUI
12 (〃)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。 ネUI
といふ「非日常言語」の「ネイティブライター」が存在しないといふ点に関しては、「漢文といふ人工言語」も、「述語論理といふ人工言語」も、「同じ」である。
従って、
(43)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ。
といふ「言ひ方」は、「述語論理といふ人工言語」を学ぶには、「先ず、英語を学ばなければならない。」と言ってゐるのと、「同じ」であるため、明らかな「マチガイ」である。
(01)
(ⅰ)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)} A
3 (3)∃x(象x&兎x) A
1 (4) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
2 (5) 兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 2UE
6 (6) 象a&兎a A
6 (7) 兎a 6&E
6 (8) 兎a 6&E
1 6 (9) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 47MPP
2 6 (ア) ∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) 58MPP
1 6 (イ) ∃y(鼻ya&長y) 9&E
ウ (ウ) 鼻ba&長b A
1 6 (エ) ∀z(~鼻za→~長z) 9&E
1 6 (オ) ~鼻ba→~長b エUE
2 6 (カ) ∃y(耳ya&長y) ア&E
キ(キ) 耳ba&長b A
2 6 (ク) ∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za) ア&E
2 6 (ケ) ~耳ba→~長b&耳ba→~鼻ba クUE
2 6 (コ) 耳ba→~鼻ba ケ&E
キ(サ) 耳ba キ&E
2 6 キ(シ) ~鼻ba コサMPP
12 6 キ(ス) ~長b オシMPP
ウ (セ) 長b ウ&E
12 6ウキ(ソ) 長b&~長b シス&I
12 6ウ (タ) 長b&~長b カキソEE
12 6 (チ) 長b&~長b イウタEE
123 (ツ) 長b&~長b 36チEE
12 (テ)~∃x(象x&兎x) 3ツRAA
12 (ト)∀x~(象x&兎x) テ量化子の関係
12 (ナ) ~(象a&兎a) トUE
12 (ニ) ~象a∨~兎a ナ、ド・モルガンの法則
12 (ヌ) ~兎a∨~象a ニ交換法則
12 (ネ) 兎a→~象a ヌ含意の定義
12 (ノ)∀x(兎x→~象x) ネUI
12 (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。 ネUI
12 (〃)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。 ネUI
従って、
(01)により、
(02)
1 (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
2 (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)} A
12 (ノ)∀x(兎x→~象x) ネUI
といふ「推論」、すなはち、
(1)象は鼻が長い。然るに、
(2)兎は耳が長いが、兎の耳は鼻ではない。従って、
(3)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。
といふ「推論」は、「妥当」である。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 象は鼻が長い。⇔
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyは、xの鼻であって、長く、すべてのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。
といふ「等式」が、成立する。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1) ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
1 (2) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 1UE
3 (3) ∀z(~鼻za→~長z)→∀y(鼻ya→~長y) A
4(4) ∀z(~鼻za→~長z) A
34(5) ∀y(鼻ya→~長y) 34MPP
34(6) 鼻ba→~長b 5UE
34(7) ~鼻ba∨~長b 6含意の定義
34(8) ~(鼻ba& 長b) 7ド・モルガンの法則
34(9) ∀y~(鼻ya& 長y) 8UI
34(ア) ~∃y(鼻ya& 長y) 9量化子の関係
3 (イ) ∀z(~鼻za→~長z)→~∃y(鼻ya& 長y) 4アCP
3 (ウ) ~∀z(~鼻za→~長z)∨~∃y(鼻ya& 長y) イ含意の定義
3 (エ) ~∃y(鼻ya&長y)∨~∀z(~鼻za→~長z) ウ交換法則
3 (オ) ~{∃y(鼻ya&長y)& ∀z(~鼻za→~長z)} エ、ド・モルガンの法則
13 (カ) ~象a 2オMTT
1 (キ) ∀z(~鼻za→~長z)→∀y(鼻ya→~長y)→~象a 3カCP
1 (ク)∀x{∀z(~鼻zx→~長z)→∀y(鼻yx→~長y)→~象x} キUI
(ⅱ)
1 (1) ∀x{∀z(~鼻zx→~長z)→∀y(鼻yx→~長y)→~象x} A
1 (2) ∀z(~鼻za→~長z)→∀y(鼻ya→~長y)→~象a 1UE
3 (3) 象a A
3 (4) ~~象a 3DN
13 (5) ~{∀z(~鼻za→~長z)→ ∀y(鼻ya→~長y)} 23MTT
6 (6) ~∀z(~鼻za→~長z)∨ ∀y(鼻ya→~長y) A
6 (7) ∀z(~鼻za→~長z)→ ∀y(鼻ya→~長y) 6含意の定義
136 (8) ~{∀z(~鼻za→~長z)→ ∀y(鼻ya→~長y)}&
{∀z(~鼻za→~長z)→ ∀y(鼻ya→~長y)} 57&
13 (9) ~{~∀z(~鼻za→~長z)∨ ∀y(鼻ya→~長y)} 68RAA
13 (ア) ∀z(~鼻za→~長z)&~∀y(鼻ya→~長y) 9ド・モルガンの法則
13 (イ) ~∀y(鼻ya→~長y)&∀z(~鼻za→~長z) ア交換法則
13 (ウ) ~∀y(鼻ya→~長y) イ&E
13 (エ) ∃y~(鼻ya→~長y) ウ量化子の関係
オ (オ) ~(鼻ba→~長b) A
カ(カ) ~鼻ba∨~長b A
カ(キ) 鼻ba→~長b カ含意の定義
オカ(ク) ~(鼻ba→~長b)&
(鼻ba→~長b) オキ&I
オ (ケ) ~(~鼻ba∨~長b) カクRAA
オ (コ) 鼻ba& 長b ケ、ド・モルガンの法則
オ (サ) ∃y(鼻ya& 長y) コEI
13 (シ) ∃y(鼻ya& 長y) エオサEE
13 (ス) ∀z(~鼻za→~長z) イ&E
13 (セ) ∃y(鼻ya& 長y)&∀z(~鼻za→~長z) シス&I
1 (ソ) 象a→∃y(鼻ya& 長y)&∀z(~鼻za→~長z) 3セCP
1 (タ)∀x{象x→∃y(鼻ya& 長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} ソUI
従って、
(04)により、
(05)
① ∀x{象x→∃y(鼻ya& 長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{∀z(~鼻zx→~長z)→∀y(鼻yx→~長y)→~象x}
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(06)
(ⅲ)
1 (1) ∀x(Fx→ Gx) A
2 (2) ∃x(Fx&~Gx) A
3(3) Fa&~Ga A
3(4) Fa 3&E
3(5) ~Ga 3&E
1 (6) Fa→ Ga 1UE
1 3(7) Ga 46MPP
1 3(8) Fa&~Ga 57&I
12 (9) Fa&~Ga 238EE
1 (ア)~∃x(Fx&~Gx)
(ⅳ)
1 (1) ~∃x(Fx&~Gx) A
2 (2) ~∀x(Fx→ Gx) A
2 (3) ∃x~(Fx→ Gx) 2量化子の関係
4 (4) ~(Fa→ Ga) A
5(5) ~Fa∨ Ga A
5(6) Fa→ Ga 6含意の定義
45(7) ~(Fa→ Ga)&
(Fa→ Ga) 46&I
4 (8) ~(~Fa∨ Ga) 57RAA
4 (9) Fa&~Ga 8ド・モルガンの法則
4 (ア) ∃x(Fx&~Gx) 9EI
2 (イ) ∃x(Fx&~Gx) 34アEE
12 (ウ) ~∃x(Fx&~Gx)&
∃x(Fx&~Gx) 1イ&I
1 (エ)~~∀x(Fx→ Gx) 2ウRAA
1 (オ) ∀x(Fx→ Gx) エDN
従って、
(06)により、
(07)
③ ∀x(Fx→ Gx)
④ ~∃x(Fx&~Gx)
に於いて、
③=④ である。
従って、
(07)により、
(08)
③ ∀x(Fx→ Gx)
④ ~∃x(Fx&~Gx)
に於いて、
x=z
Fx=~鼻zx
Gx=~長z
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
③ ∀z(~鼻zx→~長z)
④ ~∃z(~鼻zx& 長z)
従って、
(09)
③ ∀x(Fx→ Gx)
④ ~∃x(Fx&~Gx)
に於いて、
x=y
Fx=鼻yx
Gx=~長y
といふ「代入(Substitution)」を行ふと、
③ ∀y(鼻yx→~長y)
④ ~∃y(鼻yx& 長y)
従って、
(05)(08)(09)により、
(10)
① ∀x{象x→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
③ ∀x{~∃z(~鼻zx&長z)→~∃y(鼻yx&長y)→~象x}
に於いて、
①=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(11)
(ⅳ)
1 (1) ∀x{~∃z(~鼻zx&長z)→~∃y(鼻yx&長y)→~象x} A
1 (2) ~∃z(~鼻za&長z)→~∃y(鼻ya&長y)→~象a 1UE
3 (3) 象a A
3 (4) ~~象a 3DN
13 (5) ~{~∃z(~鼻za&長z)→~∃y(鼻ya&長y)} 24MPP
6(6) ∃z(~鼻za&長z)∨~∃y(鼻ya&長y) A
6(7) ~∃z(~鼻za&長z)→~∃y(鼻ya&長y) 6含意の定義
136(8) ~{~∃z(~鼻za&長z)→~∃y(鼻ya&長y)}&
{~∃z(~鼻za&長z)→~∃y(鼻ya&長y)} 57&I
13 (9) ~{∃z(~鼻za&長z)∨~∃y(鼻ya&長y)} 68RAA
13 (ア) ~∃z(~鼻za&長z)&∃y(鼻ya&長y) 9ド・モルガンの法則
13 (イ) ∃y(鼻ya&長y)&~∃z(~鼻za&長z) ア交換法則
1 (ウ) 象a→∃y(鼻ya&長y)&~∃z(~鼻za&長z) 3イCP
1 (エ)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)} ウUI
従って、
(10)(11)により、
(12)
「番号」を付け直すと、
① ∀x{象x→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}
② ∀x{~∃z(~鼻zx&長z)→~∃y(鼻yx&長y)→~象x}
③ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}
に於いて、
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
②=③ は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(12)により、
(13)
「番号」を付け直すと、
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}
② ∀x{~∃z(~鼻zx&長z)→~∃y(鼻yx&長y)→~象x}
①=② は、「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(03)(13)により、
(14)
① 象は鼻が長い。⇔
① 象は鼻は長く、鼻以外は長くない。⇔
① ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&~∃z(~鼻zx&長z)}⇔
① すべてのxについて、xが象であるならば、あるyは、xの鼻であって、長く、xの鼻以外で、長いzは存在しない。⇔
② 鼻以外が長くなくて、鼻も長くないならば、象ではない。⇔
② ∀x{~∃z(~鼻zx&長z)→~∃y(鼻yx&長y)→~象x}⇔
② すべてのxについて、xの鼻以外で長いzが存在せず、xの鼻であって長いyが存在しないならば、xは象ではない。
といふ「等式」が、成立する。
(01)
・20世紀の終りか、21世紀の始めの頃に、「N88-日本語BASIC(86)」を使って、
・「漢文の白文(または、訓読)」を「縦書き」で「表示」して、
・「スペース・KEY」他を押すと、
・「漢文の白文(または、訓読)」の横に、
・「訓読(または、漢文の白文)」を表示する「プログラム」を書いて、
・「白文」を「訓読」し、「訓読」を「(日本漢字音で)音読」してゐたことが有ります。
そのため、
(02)
たぶん、その際であったと、思ふのですが、例へば、
① 悪称人之悪者。
といふ「白文」に付く、
① 悪下称二人之悪一者上。
といふ「返り点」、すなはち、
① 下 二 一 上
といふ「返り点」は、
① { ( ) }
といふ「括弧」に「換へ」ることが出来る。
といふことに、気が付きます。
すなはち、
(03)
① 悪下称二人之悪一者上。
ではなく、
① 悪{称(人之悪)者}。
とした際に、
① 悪{ }⇒{ }悪
① 称( )⇒( )称
といふ「移動」を行ふと、
① 悪{称(人之悪)者}。
といふ「語順」は、
② {(人之悪)称者}悪。
といふ「語順」となって、これに対して、「平仮名」を補へば、
② {(人の悪を)称する者を}悪む。
といふ「訓読」になる。
といふことに、気が付きます。
然るに、
(04)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(04)により、
(05)
① 悪称人之悪者。⇔
① 悪{称(人之悪)者}。⇔
②{(人之悪)称者} 悪。⇔
②{(人の悪)称する者を}悪む。⇔
②{(他人の悪いところ)を言ひたてる者}を憎む。
といふ「関係」が成り立つ。
といふことは、
① 悪{称(人之悪)者}。⇔
②{(人の悪)称する者を}悪む。
といふ「漢文・訓読」に於ける、
①{ ( ) }
②{ ( ) }
といふ「括弧」は、それぞれ、
①「漢文の補足構造」を表してゐて、
②「国語の補足構造」を表してゐる。
従って、
(05)により、
(06)
例へば、
③ 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。⇔
③ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。⇔
④ 是以、大學始敎、必〈學者(凡天下之物)即、{[(其已知之理)因、而益(之)極、以〔(乎其極)至〕求]不}莫〉使。⇔
④ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。⇔
④ そのため、大學の敎へを始める際には、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)ついて、{[(その學者がすでに知っているの理に)依って、益々(これを)極め、以て〔(その極点に)至ることを〕求め]ないことが}無いやうに〉させる。
といふ「関係」が成り立つ。
といふことは、
③ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。⇔
④ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「漢文・訓読」に於ける、
③〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
④〈 ( ){ [ ( )( )〔 ( ) 〕 ] } 〉
といふ「括弧」は、それぞれ、
③「漢文の補足構造」を表してゐて、
④「国語の補足構造」を表してゐる。
従って、
(06)により、
(07)
③ 是以大學始敎必使學者即凡天下之物莫不因其已知之理而益極之以求至乎其極。
といふ「漢文(大學伝五章)」に対して、
④ 是以、大學始敎、必使下 學者即二 凡天下之物一、莫上レ 不下 因二 其已知之理一、益々極レ 之、以求上レ 至二 乎其極一。
といふ「返り点」を付けて、
④ 是を以て、大學の始敎は、必ず學者をして凡そ天下の物一に 即二きて、其の已に知るの理一に 因二りて、益々之一を 極二め、以て其の極甲に 至乙るを 求丙め 不丁るを、莫戊から 使己む。
といふ風に、「訓読」したとしても、
③ 是以、大學始敎、必使〈學者即(凡天下之物)、莫{不[因(其已知之理)、而益極(之)、以求〔至(乎其極)〕]}〉。⇔
④ 是を以て、大學の始敎は、必ず〈學者をして(凡そ天下の物に)即きて、{[(其の已に知るの理に)因って、益々(之を)極め、以て〔(其の極に)至るを〕求め]不るを}莫から〉使む。
といふ「漢文・訓読」に於ける、
③「漢文の補足構造」と、
④「訓読の補足構造」は、「不変」である。
従って、
(08)
是に由りて之を観れば(以上の例から考へてみると)、
④「漢文・訓読」といふのは、
③「原文の補足構造」を「保存した形」で行はれる、「漢文の、逐語訳」である。
然るに、
(09)
「語順が異なれば、シンタックスも異なる」が故に、
大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ を、参照)。
従って、
(05)(08)(09)により、
(10)
① 悪称人之悪者。⇔
① 悪{称(人之悪)者}。⇔
②{(人之悪)称者} 悪。⇔
②{(人の悪)称する者を}悪む。⇔
②{(他人の悪いところ)を言ひたてる者}を憎む。
といふ「例文」からも分かるように、「語順が異なれば、シンタックスも異なる。」といふ「信念」は、「誤解」に過ぎない。
然るに、
(11)
① 悪下称二人之悪一者上。
ではなく、仮に、
⑤ 悪下称二者上人之悪一。
であったする。
然るに、
(12)
⑤ 悪称者人之悪。といふ「語順」であれば、
⑤ 悪称者人之悪。⇔ いづくんぞ称するは、人の悪。
といふ「デタラメ」こそが、「正しい」ため、
① 悪称人之悪者。⇔ 人の悪を称する者を悪む。
に対して、
⑤ 悪称者人之悪。⇔ 人の悪を称する者を悪む。
といふ「漢文訓読」は、有り得ない。
然るに、
(13)
⑤ 下 二 上 一
といふ「順番」は、
⑤ 4 2<3>1
といふ「順番」に、相当する。
然るに、
(14)
⑤ 4{2(3[1)]}
に於いて、
⑤ 4{ }⇒{ }4
⑤ 2( )⇒( )2
⑤ 3[ ]⇒[ ]3
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 4{2(3[1)]}⇒
⑤ {([1)2]3}4=
⑤ 1 2 3 4。
といふ「ソート(並び替へ)」が、出来上がる。
然るに、
(15)
⑤ 下 二 上 一
といふ「返り点」は「デタラメ」であり、
⑤{ ( [ ) ] }
といふ「 括弧 」も「デタラメ」である。
然るに、
(16)
従って、
(15)(16)により、
(17)
「白話文(中国語)」を「訓読」しようとすると、
⑤ 下 二 上 一
⑤{ ( [ ) ] }
といふ、「デタラメな返り点(括弧)」が付くことになる。
従って、
(04)(08)(10)(17)により、
(18)
例へば、
⑥ 只‐管要下 纏二 擾上我一。⇔
⑦ ヒタスラ 我ガ ヤツカイニナル。
といふ「中国語・日本語読み」の場合は、
① 悪称人之悪者。⇔
① 悪{称(人之悪)者}。⇔
②{(人之悪)称者} 悪。⇔
②{(人の悪)称する者を}悪む。⇔
②{(他人の悪いところ)を言ひたてる者}を憎む。
といふ「漢文・訓読」とは異なり、
⑦「原文の補足構造」を「保存した形」で行はれる、「中国語の、逐語訳」である。
といふことに、ならない。
然るに、
(19)
話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、平成二二年、三三〇頁)。
従って、
(10)(18)(19)により、
(20)
⑥「語順が異なれば、シンタックスも異なる。」といふことは、
⑦「話し言葉に基づく白話文(中国語)」を「日本語に訳す」場合に於いては、「まさに、そうである」。
然るに、
(21)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ。教うるに俗語を以てし、誦するに支那音を以てし、訳するに日本の俗語を以てし、決して和訓廻環の読み方をしてはならぬ。先ず零細な二字三字の短句から始めて、後には纏った書物を読ませる、斯くて支那語が熟達して支那人と同様になつてから、而る後段々と経子史集四部の書を読ませると云う風にすれば破竹の如しだ、是が最良の策だ(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(22)
(倉石)徂徠は、単に唐音を操るといふ様なことに満足せず、漢文を学ぶには先ず支那語からとりかり、支那の俗語をば支那語で暗誦させ、これを日本語の俗語に訳し、決して和訓の顚倒読みをしてはならない、始めは零細な二字三字の句から始めて、遂に纏った書物を読ます、支那語が支那人ほど熟達してから、古い書物を読ませば、破竹の勢いで進歩すると説いたこれは、今日の様に外国語に対する理念が発達した時代から見れば、何の不思議もないことであるが、その当時、つとに、かかる意見を吐いたのは、たしかに一世に抜きんでた見識に相違ない(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
従って、
(20)(21)(22)により、
(23)
荻生徂徠先生も、青木正児先生も、倉石武四郎先生も、
⑥「語順が異なれば、シンタックスも異なる。」といふことは、
⑦「話し言葉に基づく白話文(中国語)」を「日本語に訳す」場合に於いては、「まさに、そうである」。
といふことに、気付いてはゐなかった。
それ故、
(24)
不幸なことに、そのことに気付かない、彼等(三先生)が、「主流派」になったがために、「大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという。ことになる。
従って、
(01)~(24)により、
(25)
⑧ 中國以北京語為國語矣。然、若北京語非漢文也。是以、中國語直読法雖盛、中華人民共和國語、不可以書中夏之書審矣。如日本之学生有欲能書漢文者、則宜以括弧学其管到。古、漢文之於日本語、猶古文之於日本語也。故、漢文亦日本語也。学中國語、莫若音読、学漢文、莫若以訓読学之。⇔
⑧ 中國以(北京語)為(國語)矣。然、若(北京語)、非(漢文)也。是以、中國語直読法雖(盛)中華人民共和國語不[可〔以書(中夏之書)〕]審矣。如日本之学生有[欲〔能書(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕。古、漢文之於(日本語)、猶〔古文之於(日本語)〕也。故、漢文亦日本語也。学(中國語)、莫〔若(音読)〕、学(漢文)、莫[若〔以(訓読)学(之)〕]。⇔
⑨ 中國(北京語)以(國語)為矣。然、(北京語)若、(漢文)非也。是以、中國語直読法(盛)雖中華人民共和國語[〔以(中夏之書)書〕可]不審矣。如日本之学生[〔能(漢文)書〕欲者]有則宜〔(括弧)以(其管到)学〕。古、漢文之(日本語)於、猶〔古文之(日本語)於〕也。故、漢文亦日本語也。(中國語)学、〔(音読)若〕莫、(漢文)学、[〔(訓読)以(之)学〕若]莫。⇔
⑨ 中國は北京語を以て國語と為せり。然れども、北京語の若きは漢文に非ざるなり。是を以て、中國語直読法は盛んなりと雖も、中華人民共和國語は以て中華の書を書く可から不ること審かなり。如し日本の学生に能く漢文を書かむと欲する者有らば則ち、宜しく『括弧』を以て其の『管到(Scope)』を学ぶべし。古へ、漢文の日本語に於けるや、猶ほ古文の日本語のごときなり。故に、漢文も亦た日本語なり。中國語を学ぶは、音読に若くは莫く、漢文を学ぶは、訓読を以て之を学ぶに若くは莫し。
と、(門外漢である)私は、言ひたい。
―「昨日(令和02年02月09日)の記事」は「散漫」なので、「昨日の記事」を要約します。―
(01)
(34) すべての少年はある少女を愛す。
(34) Every boy loves a certain girl
この文は多義性が含まれていることが知られている。これは、
We detect here an ambiguity: this may mean that
(ⅰ)すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。という意味かも知れないし、あるいは、
(ⅱ)すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。という意味かも知れない。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、127頁と原文)
然るに、
(02)
① すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。
② すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。
対して、「述語論理」であれば、
① ∃x{少女x&∀y(少年y→愛yx)}
② ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)}
である。
(03)
① すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。
② すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。
対して、「漢文」であれば、
① 一人少女為〔全少年所(愛)〕。
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① Every boy loves a certain girl.
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
② ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)}
に於いて、
① 「英語」の「意味」は「曖昧」であるが、
② 「漢文」の「意味」は「明確」であり、
②「述語論理」の「意味」は「明確」である。
然るに、
(05)
(ⅱ)
② 少年皆有其所愛少女=
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕⇒
② 少年皆〔其(愛)所少女〕有=
② 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
② 全ての少年に、自分が愛する所の少女がゐる。
(ⅲ)
③ 無少年不愛其少女=
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕]⇒
③ [少年〔(其少女)愛〕不]無=
③ [少年にして〔(其の少女を)愛せ〕ざる]は無し=
③ 少年であって、自分の彼女を愛さない者は存在しない。
然るに、
(06)
(ⅱ)
1 (1)∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)} A
1 (2) 少年a→∃y(少女y& 愛ay) 1UE
1 (3) ∀y(少女y→~愛ay) A
3 (4) 少女b→~愛ab 3UE
3 (5) ~少女b∨~愛ab 含意の定義(Ⅱ)
3 (6) ~(少女b& 愛ab) 5ド・モルガンの法則
3 (7) ∀y~(少女y& 愛ay) 6UI
3 (8) ~∃y(少女y& 愛ay) 7量化子の関係
13 (9) ~少年a 28MTT
1 (ア) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 39CP
1 (イ) (少女b→~愛ab)→~少年a アUE
ウ (ウ) ∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
エ(エ) 少年a&∀y(少女y→~愛ay) A
エ(オ) 少年a エ&E
エ(カ) ~~少年a カDN
1 エ(キ) ~(少女b→~愛ab) イカMTT
エ(ク) ∀y(少女y→~愛ay) エ&E
エ(ケ) (少女b→~愛ab) クUE
1 エ(コ) ~(少女b→~愛ab)&
(少女b→~愛ab) キケ&I
1 ウ (サ) ~(少女b→~愛ab)&
(少女b→~愛ab) ウエコEE
1 (シ)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} ウサRAA
1 (〃){いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年は}存在しない。
(ⅲ)
1 (1)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
1 (2)∀x~{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 1量化子の関係
1 (3) ~{少年a&∀y(少女y→~愛ay)} 2UE
1 (4) ~少年a∨~∀y(少女y→~愛ay) 3ド・モルガンの法則
1 (5) ~∀y(少女y→~愛ay)∨~少年a 4交換法則
1 (6) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 5含意の定義(Ⅱ)
7 (7) 少年a A
7 (8) ~~少年a 7DN
17 (9) ~∀y(少女y→~愛ay) 68MTT
17 (ア) ∃y~(少女y→~愛ay) 9量化子の関係
イ (イ) ~(少女b→~愛ab) A
ウ(ウ) ~少女b∨~愛ab A
ウ(エ) 少女b→~愛ab ウ含意の定義(Ⅱ)
イウ(オ) ~(少女b→~愛ab)&
(少女b→~愛ab) イエ&I
イ (カ) ~(~少女b∨~愛ab) ウオRAA
イ (キ) 少女b& 愛ab カ、ド・モルガンの法則
イ (ク) ∃y(少女y& 愛ay) キEI
17 (ケ) ∃y(少女y& 愛ay) アイクEE
1 (コ) 少年a→∃y(少女y& 愛ay) 7ケCP
1 (サ)∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)} コUI
1 (〃){少年であるならば、彼によって愛される所の少女が存在する}。
(07)
③{少年であって、自分の彼女さえ、愛さない者}は、
③{いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年}に違ひない。
従って、
(05)(06)(07)により、
(08)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕 ={少年であるならば、彼によって愛される所の少女が存在する}。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕] ={いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年}は存在しない。
といふ「漢文」と、
② ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}={少年であるならば、彼によって愛される所の少女が存在する}。
③ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}={いかなる少女をも愛さない少年、そのような少年}は存在しない。
といふ「述語論理」に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(07)(08)により、
(09)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕= ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕= ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「漢文=述語論理」に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(10)
③ 無少年不愛其少女。
といふ「漢文」の「英語への逐語訳」は、
③ No boy doesn't love his girl.
である。
然るに、
(11)
③ No boy doesn't love his girl.
を、「グーグル翻訳」に掛けると、
③ 少年は少女を愛していない。
となって、「二重否定」には、ならない。
然るに、
(12)
しかし18世紀にきわめて人工的・作為的性質の強い規範文法が整備された際、否定呼応という言語現象に無理解な学者たちは、論理学規範を言語という特殊条件を考慮せずに適応し、「否定語を2回使うということは否定の否定を意味し、論理的に肯定である」と主張し、英語の否定呼応を抹殺した(ウィキペディア:二重否定)。
従って、
(11)(12)により、
(13)
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕 = ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」に対して、
③ No boy doesn't love his girl= ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」は、成立しない。
従って、
従って、
(04)(09)(13)により、
(14)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕= ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕= ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」に対して、
② Every boy loves a certain girl= ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}。
③ No boy doesn't love his girl = ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}。
といふ「等式」は、2つとも、成立しない。
従って、
(14)により、
(15)
② ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}
③ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}
といふ「述語論理」を「基準」とする限り、
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕。
といふ「漢文」は、「論理的」であるが、
② Every boy loves a certain girl.
③ No boy doesn't love his girl.
といふ「英語」は、「非論理的」であると、言はざるを得ない。
(01)
(34) すべての少年はある少女を愛す(Every boy loves a certain girl)。
この文は多義性(ambiguity)が含まれていることが知られている。
(ⅰ)すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。という意味かも知れないし、あるいは、
(ⅱ)すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。という意味かも知れない。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、127頁)
然るに、
(02)
① ∃x{Gx&∀y(By→Lyx)}≡あるxは少女であって、すべてのyについて、yが少年であるならば、yはxを愛す。
② ∀x{Bx→∃y(Gy&Lxy)}≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
(E.J.レモン、論理学初歩、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、1973年、128頁を参照)
然るに、
(03)
① ∃x{Gx&∀y(By→Lyx)}≡あるxは少女であって、すべてのyについて、yが少年であるならば、yはxを愛す。
であれば、
① A certain girl is loved by every boy.
である。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① Every boy loves a certain girl.
といふ「英語」は、
① A certain girl is loved by every boy.
といふ「意味」であるかも知れないし、そうではないかも知れない。
といふことになり、それ故、
① Every boy loves a certain girl.
といふ文には、多義性(ambiguity)が含まれている。
(05)
① 一人少女為全少年所愛=
① 一人少女為〔全少年所(愛)〕⇒
① 一人少女〔全少年(愛)所〕為=
① 一人の少女〔全少年の(愛する)所と〕為る=
① 一人の少女は、全ての少年によって、愛される=
① A certain girl is loved by every boy.
(06)
② 少年皆有其所愛少女=
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕⇒
② 少年皆〔其(愛)所少女〕有=
② 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
然るに、
(07)
其 そノ そレ
① 連体修飾語
(ⅱ)〈人を指し、主語と一致する場合〉「自分の」
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、75頁)
従って、
(06)(07)により、
(08)
② 少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り=
② 少年は皆、自分が愛する所の少女がゐる。
然るに、
(09)
② 少年は皆、自分が愛する所の少女がゐる。
といふのであれば、
② すべての少年に対して、彼が愛する(さいわい別々の)少女がみつかりうる。
という「意味」であって、
① すべての少年に愛されるひとりの(非常に幸運な)少女が存在する。
という「意味」ではない。
従って、
(02)(09)により、
(10)
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕≡少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
といふ「漢文訓読」は、
② ∀x{Bx→∃y(Gy&Lxy)}≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(04)(10)により、
(11)
① Every boy loves a certain girl.
② 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
といふ「①英語」と「②漢文」に於いて、
① の「意味」は「曖昧」であるが、
② の「意味」は「明確」である。
然るに、
(12)
(ⅲ)
1 (1)∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)} A
1 (2) 少年a→∃y(少女y& 愛ay) 1UE
1 (3) ∀y(少女y→~愛ay) A
3(4) 少女b→~愛ab 3UE
3(5) ~少女b∨~愛ab 含意の定義(Ⅱ)
3(6) ~(少女b& 愛ab) 5ド・モルガンの法則
3(7) ∀y~(少女y& 愛ay) 6UI
3(8) ~∃y(少女y& 愛ay) 7量化子の関係
13(9) ~少年a 28MTT
1 (ア) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 39CP
1 (イ)∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} アUI
従って、
(11)(12)により、
(13)
② ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)} ≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
③ ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x}≡すべてのxと、すべてのyについて、yが少女であるならば、xがyを愛さないならば、xは少年ではない。
に於いて、
②=③ は「対偶(Contraposition)」である。
然るに、
(14)
③ すべてのxと、すべてのyについて、yが少女であるならば、xがyを愛さないならば、xは少年ではない。
といふことは、
③ いかなる少女であっても愛さないのであれば、そのやうなxは少年ではない。
といふことである。
然るに、
(15)
③ いかなる少女であっても愛さないのであれば、そのやうなxは少年ではない。
といふことは、
③ いかなる少女であっても愛さない少年は、存在しない。
といふことである。
然るに、
(16)
(ⅲ)
1 (1) ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} A
1 (2) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 1UE
1 (3) (少女b→~愛ab)→~少年a 2UE
4 (4) ∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
5(5) 少年a&∀y(少女y→~愛ay) A
5(6) 少年a 5&E
5(7) ~~少年a 6DN
5(8) ∀y(少女y→~愛ay) 5&E
5(9) (少女b→~愛ab) 8UE
1 5(ア) ~(少女b→~愛ab) 37MTT
1 5(イ) (少女b→~愛ab)&
~(少女b→~愛ab) 9ア&I
14 (ウ) ~(少女b→~愛ab) 45イEE
1 (エ)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 4ウRAA
(ⅳ)
1(1)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
1(2)∀x~{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 1量化子の関係
1(3) ~{少年a&∀y(少女y→~愛ay)} 2UE
1(4) ~少年a∨~∀y(少女y→~愛ay) 3ド・モルガンの法則
1(5) ~∀y(少女y→~愛ay)∨~少年a 4交換法則
1(6) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 5含意の定義(Ⅱ)
1(7)∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} 6UI
従って、
(16)により、
(17)
③ ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x}
④ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}
に於いて、
③=④ である。
従って、
(13)(17)により、
(18)
「番号」を付け直すと、
① ∀x{少年x→∃y(少女y&愛xy)}
② ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x}
③ ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}
に於いて、
①=②=③ である。
従って、
(18)により、
(19)
① すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
② すべてのxと、すべてのyについて、yが少女であるならば、xはyを愛さないならば、xは少年ではない。
③ xが少年であって、すべてのyについて、yが少女であるならば、xはyを愛さない。といふ、そのやうなxは存在しない。
に於いて、
①=②=③ である。
然るに。
(20)
③ xが少年であって、すべてのyについて、yが少女であるならば、xはyを愛さない。といふ、そのやうなxは存在しない。
といふ「命題」は、
③ 無少年不愛其少女者=
③ 無[少年不〔愛(其少女)〕者]⇒
③ [少年〔(其少女)愛〕不者]無=
③ [少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し=
③ 少年であって、自分の彼女を愛さない者はゐない。
といふ「意味」である。
従って、
(10)(20)により、
(21)
「番号」を付け直すと、
① 少年皆有〔其所(愛)少女〕 ≡少年皆〔其の(愛する)所の少女〕有り。
② 無[少年不〔愛(其少女)〕者]≡[少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し。
といふ「漢文訓読」は、
① ∀x{少年x→∃y(少女y& 愛xy)}≡すべてのxについて、xが少年であるならば、あるyは少女であって、xはyを愛す。
② ~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)}≡xが少年であって、いかなるyであっても、yが少女であるならば、xはyを愛さない。といふ、そのやうなxは存在しない。
といふ「述語論理」に相当し、
①=② である。
然るに、
(22)
「他の記事(3日前)」でも書いたやうに、
② 無不我好者=
② 無〔不(我好)者〕⇒
② 〔(我を好か)ざる者〕無し=
② 誰もが皆、我のことを好きである(Everybody likes me)。
並びに、
② 我無事不知=
② 我無〔事不(知)〕⇒
② 我〔事(知)不〕無=
② 我に〔事として(知ら)ざるは〕無し=
② 私には、知らない事が無い(どんな事でも知ってゐる)。
に対して、
② Nobody don't like me=誰もが皆、我のことを好きではない。
② I don't know nothing=僕は何も知らない。
といふ「英語」は、何故か、「二重否定(double negative)」にはならない。
従って、
(22)により、
(23)
② 無[少年不〔愛(其少女)〕]。
といふ「漢文」に対する、
② No boy doesn't love his girl.
といふ「英文」も、「二重否定」にはならない。
従って、
(11)(23)により、
(24)
① 少年皆有〔其所(愛)少女〕。
② 無[少年不〔愛(其少女)〕]。
といふ「漢文」と、
① Every boy loves a certain girl.
② No boy doesn't love his girl.
といふ「英語」に於いて、
①「漢文」の「意味」は「明確」であるが、
①「英語」の「意味」は「曖昧」であり、
②「漢文」では、正しく、 「二重否定」になるが、
②「英語」では、間違って、「二重否定」にならない。
従って、
(24)により、
(25)
是に由りて之を観れば(以上の例から考へてみると)、「英語」は、「漢文訓読」よりも「非論理的な言語」であると、言はざるを得ない。
然るに、
(26)
漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在しない。― 中略 ―、文法的に正しい漢文を習得することは、中国人にとっても簡単ではなかった。「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人の外国人も平等である(加藤徹、白文攻略 漢文法ひとり学び、2013年、8頁・9)。
然るに、
(27)
「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人の外国人も平等である。
といふことは、「現代中国語(普通話)」を知ってゐても、そのことが、「漢文」を理解する上での、「アドバンテージ」にはならない。
といふことに、他ならない。
然るに、
(28)
「支那の言語や文字を研究するのに、漢文と支那語の様な区別を設けてゐるのは、世界中、日本だけで、支那はもとより、ヨーロッパやアメリカで支那学を研究するにも、そんな意味のない区別など夢にも考へてゐない。西洋人が支那のことを研究するには、何よりも先き、支那の現代の言葉を学び、現代人の書く文章を読み、それから次第に順序を追うて、古い言葉で書いた書物を読んで、支那民族の文化の深淵を理解する。アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである(勉誠出版、「訓読」論、2008年、57頁)。
従って、
(27)(28)により、
(29)
「加藤先生の言説」と「倉石先生の言説」は、「矛盾」する。
然るに、
(30)
私自身は、「現代中国語」は、全く分からないため、「英語」は、「漢文訓読」よりも「非論理的な言語」であるとしても、「現代中国語」と比較した際にどうなのか。
といふことは、私には分からない。
(31)
「語順が異なれば、シンタックスも異なる」が故に、「大学に入っても、一般に中国文学科では訓読法を指導しない。漢文つまり古典中国語も現代中国語で発音してしまうのが通例で、訓読法なぞ時代遅れの古臭い方法だと蔑む雰囲気さえ濃厚だという(古田島洋介、日本近代史を学ぶための、文語文入門、2013年、はじめに ⅳ)
然るに、
(32)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(32)により、
(33)
例へば、
① 無少年不愛其少女者=
① 無下少年不レ愛二其少女一者上=
① 無[少年不〔愛(其少女)〕者]⇒
② [少年〔(其少女)愛〕不者]無=
② [少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し。
といふ「漢文訓読」が「可能」であるといふ「事実」は、
① 無[少年不〔愛(其少女)〕者]。
といふ「漢文の補足構造」と、
② [少年にして〔(其の少女を)愛さ〕ざる者]無し。
といふ「国語の補足構造」とに於いて、両者のそれが、両方とも、
①[ 〔 ( ) 〕 ]
②[ 〔 ( ) 〕 ]
といふ風に、「共通」である。
といふことを、示してゐる。
従って、
(31)(32)(33)により、
(34)
「語順が異なれば、シンタックスも異なる」といふのは、「誤解」に過ぎない。
加へて、
(35)
(ⅲ)
1 (1) ∀x{∀y(少女y→~愛xy)→~少年x} A
1 (2) ∀y(少女y→~愛ay)→~少年a 1UE
1 (3) (少女b→~愛ab)→~少年a 2UE
4 (4) ∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} A
5(5) 少年a&∀y(少女y→~愛ay) A
5(6) 少年a 5&E
5(7) ~~少年a 6DN
5(8) ∀y(少女y→~愛ay) 5&E
5(9) (少女b→~愛ab) 8UE
1 5(ア) ~(少女b→~愛ab) 37MTT
1 5(イ) (少女b→~愛ab)&
~(少女b→~愛ab) 9ア&I
14 (ウ) ~(少女b→~愛ab) 45イEE
1 (エ)~∃x{少年x&∀y(少女y→~愛xy)} 4ウRAA
といふ「計算」に於いて、
③ ~愛xy≡xはyを愛さない。
といふ風に、「読む」といふことは、
③ ~愛xy=
③ ~レ愛二xy一=
③ ~〔愛(xy)〕⇒
③ 〔(xy)愛〕~=
③ 〔(xはyを)愛さ〕ない。
といふ風に、「訓読」をしてゐる。
然るに、
(26)により、
(36)
「述語論理」だけでなく、固より、「漢文」も「人工言語」である。
従って、
(28)(34)(35)(36)により、
(37)
「アメリカの大学で支那のことを研究する学生は、最初の年に現代語学現代文学を学び、次の年に歴史の書物を読み経書を習ふさうである。」
とは言ふものの、私自身は、「漢文」を独学する上で、その前に、「現代中国語」を学ぶ必要があるとは、全く、思ってはゐない。
(01)
(ⅰ)
1 (1) ((P→Q)→P)→P A
2 (2) ~P A
12 (3) ~((P→Q)→ P) 12MTT
4 (4) ~((P→Q)&~P) A
4 (5) (P→Q)→ P 4含意の定義(Ⅰ)
124 (6) ~((P→Q)→ P)&
((P→Q)→ P) 35&E
12 (7) (P→Q)&~P 46RA
12 (8) P→Q 7&E
12 (9) ~P∨Q 8含意の定義(Ⅱ)
ア (ア) ~P A
ア (イ) ~P∨(~P&Q) ア∨I
ウ(ウ) Q A
12 (エ) ~P 7&E
12 ウ(オ) (~P&Q) ウエ&I
12 ウ(カ) ~P∨(~P&Q) オ∨I
12 (キ) ~P∨(~P&Q) 9アイウカ∨E
1 (ク)~P→(~P∨(~P&Q)) 2キCP
1 (ケ)Pでないならば(Pでないか(PでなくてQである))。
(ⅱ)
1 (1) (P∨ (P&~Q))→P A
2 (2) ~P A
12 (3)~(P∨ (P&~Q)) 12MTT
12 (4) ~P&~(P&~Q) 3ド・モルガンの法則
12 (5) ~P 4&E
12 (6) ~(P&~Q) 4&E
12 (7) ~P∨ Q 6ド・モルガンの法則
8 (8) ~P A
128 (9) (~P&~P) 58&I
128 (ア)(~P&~P)∨(~P&Q) 9∨I
イ (イ) Q A
12 イ (ウ) ~P&Q 5イ&I
12 イ (エ)(~P&~P)∨(~P&Q) ウ∨I
12 (オ)(~P&~P)∨(~P&Q) 78アイエ∨E(分配法則を証明した。)
カ (カ) ~P&~P A
カ (キ) ~P カ&E
カ (ク) ~P∨(~P&Q) キ∨I
ケ(ケ) (~P&Q) A
ケ(コ) ~P∨(~P&Q) ケ∨I
12 (サ) ~P∨(~P&Q) オカクケコ∨E
1 (シ) ~P→(~P∨(~P&Q)) 1サCP
1 (ス)Pでないならば(Pでないか(PでなくてQである))。
従って、
(01)により、
(02)
①((P→Q)→P)→P
② (P∨(P&~Q))→P
③ ~P→(~P∨(~P&Q))
①=③ は「対偶(Contraposition)」であり、
②=③ も「対偶(Contraposition)」である。
従って、
(02)により、
(03)
①((P→Q)→P)→P
② (P∨(P&~Q))→P
に於いて、それぞれの「対偶」が「同じ」であるが故に、
①=② である。
従って、
(02)(03)により、
(04)
①((P→Q)→P)→P
② (P∨(P&~Q))→P
③ ~P→(~P∨(~P&Q))
に於いて、
①=②=③ である。
然るに、
(05)
(ⅲ)
1 (1)~P→(~P∨(~P&Q)) A
2(2)~P A
12(3) ~P∨(~P&Q) 12MPP
12(4) P→(~P&Q) 3含意の定義(Ⅱ)
1 (5)~P→( P→(~P&Q)) 24CP
(ⅳ)
1 (1)~P→( P→(~P&Q)) A
2(2)~P A
12(3) P→(~P&Q) 12MPP
12(4) ~P∨(~P&Q) 3含意の定義(Ⅱ)
1 (5)~P→(~P∨(~P&Q)) 24CP
従って、
(05)により、
(06)
③ ~P→(~P∨(~P&Q))
④ ~P→( P→(~P&Q))
に於いて、
③=④ である。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
①((P→Q)→P)→P
② (P∨(P&~Q))→P
③ ~P→(~P∨(~P&Q))
④ ~P→( P→(~P&Q))
に於いて、
①=②=③=④ である。
従って、
(07)により、
(08)
「日本語」で言ふと、
①((PならばQ)ならばP)ならばPである。
② (Pであるか(PであってQでない))ならばPである。
③ Pでないならば(Pでないか(PでなくてQである))。
④ Pでないならば(Pならば、(PでなくてQである))。
に於いて、
①=②=③=④ である。
然るに、
(09)
② (Pであるか(PであってQでない))ならばPである。
③ Pでないならば(Pでないか(PでなくてQである))。
に関しては、「当然」であるが、
①((PならばQ)ならばP)ならばPである。
④ Pでないならば(Pならば、(PでなくてQである))。
に関しては、特に、
④ Pでないならば、Pならば、
といふのは、「変」である。
然るに、
(08)により、
(10)
①((PならばQ)ならばP)ならばPである。
④ Pでないならば(Pならば、(PでなくてQである))。
とは、すなはち、
② (Pであるか(PであってQでない))ならばPである。
③ Pでないならば(Pでないか(PでなくてQである))。
であって、尚且つ、「この2つ(②と③)」は、「変」ではないのだから、「他の2つ(①と④)」も、「変」であるとは、言へない。
然るに、
(11)
①((P→Q)→P)→P
② (P∨(P&~Q))→P
③ ~P→(~P∨(~P&Q))
④ ~P→( P→(~P&Q))
に於いて、
① を「パースの法則」といふ。
従って、
(04)(07)(10)(11)により、
(12)
②(Pであるか(PであってQでない))ならばPである。
③ Pでないならば(Pでないか(PでなくてQである))。
といふ「2つ」と「等価」である所の、「パースの法則」は、必ずしも、「変」であるとは、言へない。