濱口竜介監督、西島秀俊、三浦透子主演の映画『ドライブ・マイ・カー』を観てきました。
昨年の8月20日に公開されていた映画なので公開から5ヶ月経って観たことになります。
カンヌ映画祭で脚本賞など4部門を受賞した作品。
作品の予備知識は何もなく映画館で鑑賞しました。本当に心打たれる素晴らしい映画でした。
ここから感想など書いてみたいと思います。(以下ネタバレありです)
まず物語はこんな感じ。(公式サイトより)
【転載開始】
舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛する妻の音(おと)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。
喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。
人を愛する痛みと尊さ、信じることの難しさと強さ、生きることの苦しさと美しさ。最愛の妻を失った男が葛藤の果てに辿りつく先とは――。登場人物が再生へと向かう姿が観る者の魂を震わせる圧巻のラスト20分。誰しもの人生に寄り添う、新たなる傑作が誕生した。
【転載終了】
ストーリーは何のナレーションもなく、まず家福の妻、音の「語り」から始まります。
物語は登場人物の台詞だけで進んでいき、秘密を抱えたままその妻は突然亡くなります。
そして2年後、広島の地での国際演劇祭で「ワーニャ伯父さん」のキャストのオーディションと舞台監督の仕事を任された家福。家福が台詞を覚えるために車の中で聴く、亡くなった妻が吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」の台詞だけが、まるで家福の気持ちを代弁するように流れます。
この演出がすごく面白かったです。
自分の心の声に耳を傾けて来なかった家福が最後に行きつく北海道の地で、やっと自分の心からの言葉を発する。そこまで堪え続けたものを一気に吐き出すように。
このシーンは圧巻でした。
見ている私たちもまるで誰かの運転する車に乗せられているように、主人公と共に絶望から希望へと運ばれていく感じでした。
印象的だったのは、音にこだわり続けたこの映画が最後の最後の一番大事なシーンが、パク・ユリム演じるイ・ユナによる手話で語られること。
映画を見ている私たちも、演劇の舞台を見ている観客も、無音の中でただ流れるテキスト(文字)を読むということで生きる力と希望をもらえる瞬間。(最後にその台詞を紹介します。)
音のある世界から、音がいない世界、そして最後は無音のテキストの世界へ。
音がなくても言葉(テキスト)はある。
そもそも映像と音の世界である「映画という表現」の新しい可能性を見せてもらった感じでしたね。
この映画はカンヌ映画祭で日本人として初めて脚本賞ほか4つの賞を受賞したそうですが、その共同脚本を手がけた大江崇允さんの言葉がとても印象的です。
濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」第74回カンヌ映画祭コンペで脚本賞 独立賞でも3つの栄冠(2021年7月18日 05:01)より
【転載開始】
■共同脚本・大江崇允
19世紀末に誕生した『映画』という芸術は今後、何百年先にも残ることが確定したと僕は思っています。21世紀の文明が情報をアーカイブ化し、昨日生まれた映画の隣に色のない名作映画が並ぶ、なんてことが当たり前になりました。時間が失われた感覚すら覚えます。スマホの向こう側にあらゆるエンターテイメントが残り、遠い未来までなくなることはないでしょう。
図書館の本棚のように綺麗に整った装いですが、しかし畑の作物のようにそれは同じ顔にも見えます。これが現実だと思います。困難な時代と取るか、新しい世界の種が撒かれたと受け止めるのか、それは自分次第だと思います。「ドライブ・マイ・カー」では、ゴドー(神)を待ちながら、同時にアーストロフの台詞のように、数百年後の未来へと奇跡に似た『祈り』を投げています。
それが今の作家にできる、映画という可能性だと僕は考えています。そして、今映画を作ることは百年後にも残ることを想定しなければならないのではないのか、と身が引き締まる思いです。濱口竜介監督、山本晃久プロデューサー。お二人の素敵な企みの仲間になれたことを光栄に思います。ありがとうございました。
【転載終了】
村上春樹の小説はいくつか読みましたが、この『女のいない男たち』という短編集は読んだことがありませんでした。原作では、俳優の家福がある日、愛車の黄色いサーブを運転していて接触事故を起こし、病院の診断で緑内障であることが判明し、修理工場から紹介されたドライバーに車を運転してもらうことになり、そこで亡くなった妻のことを思い出すという設定だそうです。
車の運転シーンが多いこの映画の撮影に、もともと予定されていたのは韓国ロケだったそうですが、コロナで困難になり映画の舞台が広島に変更されたそうです。広島のロケ地、知ってるところがたくさん出てきてちょっと嬉しい気持ちにもなりました。
『ワーニャ伯父さん』や『ゴドーを待ちながら』などの戯曲がこの映画に盛り込まれていることも、今の混沌とした時代を反映しているなと思いますが、これらも読んだことなかったので読んでみたくなりました。
ということで、最後にこの時代へのメッセージのような、
『ワーニャ伯父さん』の中で語られるソーニャの台詞を転載します。
【転載開始】
ソーニャの台詞より
「でも、仕方がないわ、生きていかなければ!(間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長いはてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてそのときが来たら、素直に死んでいきましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなに辛い一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。すると神様は、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るいすばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい!と思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ。わたし、ほんとにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの……。ほっと息がつけるんだわ。」
【転載終了】
ほんと、そうですね。
不条理なことやどうしようもないことや手に負えないようなことも多いこの時代。
私たちも、このコロナの時代さえも、いつかなつかしくほほえましく振り返る時を思って、泣きながら笑いながら生きていきたいものです。
いい映画をありがとうございました。