オレンジな日々

広島在住のシンガーソングライター&ピアニスト
三輪真理(マリ)のブログです。
音楽大好きな日常を綴っています。

オリーブパンフルートプロジェクト

2010-08-30 | ほほ笑みと感謝の会(パレスチナ子供支援)

来る9月3日(金)に開催される、新老人の会の10周年記念講演会&ジャンボリーで、ほほ笑みと感謝の会の会長でもある橋本さんが「オリーブパンフルートプロジェクト」を紹介されることになりました。
立野牧師と中村先生と私も一緒に出演することになり、今日はパンフルートの中村先生と音合わせ。
ご多忙な中村先生の京都出張帰りに広島に立ち寄っていただき、アレンジの相談などをしました。

CD『Peaceful Wind』でもおなじみの「アメイジンググレイス」や「アベベールムコルプス」、「ジュピター」などを合わせました。
「ジュピター」はいただいた譜面がとてもシンプルなものだったので、今回用に再アレンジ。
中村先生の曲解釈を聞きながら、私もそこにアイディアを加えていきます。
今回の私たちの演奏は「希望」というテーマで演奏するので、闇から光へ、地上から広い宇宙へ静かに広がって上がっていくようなイメージで演奏することにしました。
私たちのやりとりを聞いて同席の橋本さんが、いちいち「おっもしろいな~~」とおっしゃって下さることに少し照れました(笑)。
本番でそのイメージが皆さんの心に伝わるといいですけどね。
中村先生よろしくお願いします。

今回の「Peaceful Wind」の演奏では特別に歌もご披露することに。(←関係者の人も読まれてるかな?書いても大丈夫ですよね?)
そういう心の準備は(歌の準備も)してなかったので、ちょっと焦り気味。
ピアノだけじゃなくて歌も練習しなくちゃいけなくなっちゃいました。
頑張ります!!

ほほ笑みと感謝の会の活動も、少しずついろんな人の手を借りて広がっています。
11月にも12月にも「オリーブパンフルートプロジェクト」の紹介をする機会が与えられたそうです。
「平和のために私も何かしたい」と思っている人が、こんなに多いことに感動します。
この世界に「生きているうちに世界の本当の平和を見たい」と思う人は本当に多いのだと思います。

twitterで紹介されていた
『肺がんで死にかけている団塊元東大全共闘頑固親父を
団塊ジュニア・ハゲタカファンド勤務の息子がとことん聞き倒す!
「お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!」
-収録・2008年7月19.20日、箱根千石原温泉みたけ旅館にて-』

1946年生まれの父と1974年生まれの息子のサシの話。
まだ途中だけどかなり面白いです。こちらのブログで全文読めます。本はこちら。

お前の1960年代を、死ぬ前にしゃべっとけ!
加納 明弘,加納 建太
ポット出版

 


映画『借りぐらしのアリエッティ』(ネタバレあり)

2010-08-19 | おすすめ映画

ジブリ映画『借りぐらしのアリエッティ』ようやく観ました。
いいお話でしたね。
少し感想を書いてみたいと思います(ここから先、ネタバレあります)。

心臓に重い病を抱える少年、翔と、小人のアリエッティの出会いと心の触れ合い。
『風の谷のナウシカ』からずっと根底にある、相容れない二つの種族の出会いと別れはジブリ映画に共通するテーマのように思われます。
『崖の上のポニョ』では「人魚姫は人間になって男の子と結ばれました」という新しい人魚姫観を提供したジブリ映画でしたが、今回は「それぞれの存在を知らない状態(あるいは知っていても知らないことにしておく状態)がお互いの幸せ」というまた新しい関わり方を示した感じでしたね。

この地球に(あるいは宇宙に)住む文化や生き方の違う種族たちは、お互いの存在を知り、関わる事によって交流も深めてきたけれど、一方では関わる事によって戦いや殺し合いも生んできました。
お手伝いのハルさんがアリエッティのお母さんを見つけて捕まえてビンに入れてラップをするシーンでは、日本の子供がカブトムシとかを捕まえてビンに入れる姿が重なって、なんとなく心苦しい気分にさせられました。
考えてみたら人間って身勝手ですね・・。

「君らは絶滅する運命の種族なんだ。」という翔の言葉と、
「違うわ。私たちは生き抜いてみせる。」というアリエッティの涙ながらの力強い言葉。
最後に、翔に生きていく希望と勇気を与えたのは、このほかならぬアリエッティでした。
生きていく希望や生きたいという望みを失いかけていた少年は「守りたいもの」を見つけた時に生きる希望を取り戻す。
人って「自分のため」だけでは生きられないんですよね。

1時間半の映画はハラハラドキドキするドラマチックな出来事はそれほど起こらず、もちろんお母さんが捕まるシーンではドキドキさせられましたけど「もう終わったの?」と思うくらいの長さでした。

でもいつもながら微細なところまで丁寧に描かれた背景画や小道具の美しさは格別。
小人の目線で床下や部屋や道具を見ると、こんな感じなんだなあ~ってその気持ちまで伝わってくる絵は、ホントに素晴らしかったです。
花や草など植物の描き方も、植物好きの私にはツボ。
あと、まるで粘度を感じるような水の描き方も独特でしたね。
小人にとって水はサラサラというよりポテッという感じなんですかね?(笑)
『崖の上のポニョ』の中での水や海の描き方にも驚きましたが、ジブリ映画は結構「水」の描き方にこだわりがあるなあと思います。

それと最後に何よりこの日本の古い洋館の姿の素晴らしいこと。
青森にある『盛美園』がモデルになってるそうです。
私はジヴェルニーのモネの庭かな~?と思ったんですけど、そう言えば睡蓮はなかったですね。
こういう美しい日本の建物はずっと残して欲しい、そしてまた現代の建築に生かして欲しいものです。
『盛美園』いつか一度行ってみたいです。

余談ですが、個人的にアリエッティのお父さんは、どっかの『THE!スイカ』のTさんに似てるなあ~と思ったんですけど。
あの道具とか工具を使ってなにかしら作ってるところとか、ね。
Tさんは今や私のバンド活動に欠かせない、コレを作ってくれた人です。
気になった人はぜひ映画館に足を運んでみて下さいね。


8月6日

2010-08-06 | ライブ・コンサート

今日は原爆の日。
英会話教室のHさんが英語で被爆証言をするということで、朝から平和資料館へ。
Hさんの被爆証言を聴くのは2回目。
Hさんは広島を訪れる多くの外国人に正しくヒロシマのことを知ってもらうために退職後英語を勉強されHIP(Hiroshima Interpreters for Peace)というボランティアグループで活動されています。
一緒に聴きに行った教室のリサ先生やクラスメイトと一緒に食事をしながら原爆のこと平和のこと戦争のこと・・いろんなことについて語り合いました。
こういう話を共有できる仲間がいて良かったな~と改めて思います。

広島に住み始めてから『平和』について考える機会は増えました。
熊本に居た頃は年に何回考えただろう・・(苦笑)。
1年のうちに1回しか平和を考えることのなかった人が、3回、5回と「平和」について考える日が増えれば、世界は平和に少し近づくかも・・と思います。

夜は佐伯区民文化センターで開かれた祈り部のピースコンサートへ。
今日のコンサートは、この8・6のために書かれたオリジナル曲を中心に演奏され、音楽に浸りながらいろんなことを思う時間になりました。

平和のこと・・戦争のこと・・核のこと・・

私たちは学校で教えられてきたこと、マスコミによって伝えられてきたことを鵜呑みにするのではなく、いろんな機会を捉えて自分で正しく知るよう努力することが大切ですね。
そして被爆者の方々の長年の体と心の痛みを想像すること。
その痛みを乗り越えて語られた証言を、被爆者でない私たちも次の世代へ語り継いでいくことが必要な時期が来ていると思います。

以下、被爆証言の会で配られた『ヒロシマへようこそ』という説明チラシより転載。
(表面は英語で書かれています)

【転載開始】
ヒロシマへようこそ
平和資料館を見学されて、戦争のおろかさ・平和のありがたさを改めて実感されたことと思います。
しかし、この際につぎの二つの事実も正しくご理解願いたいのです。この事実は長年にわたり多くの人々から誤解されています。私達はあらためてアメリカを非難するつもりはありません。
ただ歴史を正しく伝えて行きたいのです。

(1)アメリカはなぜ日本に原爆を落としたのでしょうか?『戦争を早期に終結させて双方の人命損失を少なくさせるため』と説明されていますが、アメリカは戦争早期終結のためには原爆を落とす必要はなかったのです。

(2)多くのアメリカ人は『アメリカは原爆を落としたが、日本は真珠湾を奇襲攻撃して多くのアメリカ兵を殺したので、お互い様だ』と理解していますが、これは正しい認識ではありません。

(1)原爆投下の必要がなかった理由
日本は原爆投下せずとも降伏せざるを得ない状況にあり、そのことをアメリカは良く知っていたのです。しかしアメリカの大統領トルーマンは原爆使用を強く希望しました。
戦争末期には日本は戦力のほとんどを失い降伏を検討しましたが、『天皇制維持』できるかどうか、最大の気がかりでした。日本への降伏勧告であるポツダム宣言の中に『天皇制維持』を保証すれば日本は降伏勧告に応じたでしょう。
しかしトルーマンは日本が降伏勧告を拒絶するようにし向けて、次の工作をしました。
(1)『天皇制維持』の項目を削除 (2)回答期限を明記せず (3)日本がソ連に依頼した仲介を適当にあしらうようにソ連指示
日本の鈴木首相は、ソ連の仲介を期待しながら待っていたため、『宣言にはノーコメント。我々は戦い続ける』と表明しました。この『ノーコメント』が『黙殺』と報道され、トルーマン大統領はこれを『日本が拒否した』と勝手に解釈して原爆投下の口実を見つけました。

トルーマンが原爆を落としたかった理由
(a) 『原爆投下によって日本が降伏した』というシナリオにしたい。
  ソ連参戦予定の8月8日以前に勝負をつけたい。
(b)今後ソビエトに対してアメリカを優位にするためのデモンストレーションとなる。
(c)巨額の費用を投じて完成した原爆の性能を確認したい。

(2)日本の真珠湾攻撃とアメリカの原爆投下は同罪ではありません。
真珠湾攻撃
(a) 日本は軍需目標のみを攻撃しました。(米側死者2,388人、うち民間人48人)
(b) 奇襲は戦法の一つです。日本は攻撃前に宣戦布告するつもりでしたが事務手続きの不手際のためできなかったのです。一方アメリカは日本の攻撃を予知していました。この経緯は映画『トラ・トラ・トラ』にも描かれています。
原爆投下
(a) 目的は一般の人をできるだけ多く、残酷に殺傷することでした。日本政府に降伏を決断させるためとは言え、残虐行為です。死者14万人(1945年末)(ほとんど一般人)
(b) アメリカ空軍はたびたび偵察機を飛来させたので広島市民は敵機飛来に慣れて避難しなくなりました。これは広島市民の殺傷の効果を上げるための作戦でした。

【転載終了】

最後にTwitterにとても興味深い記事が紹介されていたのでご紹介。
核の恐ろしさ、特に低線量被爆、体内被爆の恐ろしさはあまり知られていません。
核による被害は核兵器だけではなく原子力発電も同じです。

『58年間ヒバクシャを診てきた~アメリカと日本が隠していること』

ぜひ読んでみて下さい。
核はいらない。戦争はいらない。
あらためて思います。


オリーブの語る言葉

2010-08-04 | ほほ笑みと感謝の会(パレスチナ子供支援)

8月3日から8月5日のルーテルこどもキャンプ。
全国から広島に集まった約50人の小学5、6年生に、平和のことを考えてもらう3日間。
20世紀から21世紀の狭間に生まれた10歳から12歳の子どもたち。
この3日間で何を感じ取ってくれるのでしょうか。

今日は平和大通りのオリーブの木の下で、パレスチナで切り倒されたオリーブの木から作ったパンフルートと歌で演奏をしました。

広島に原爆が落ちたちょうど同じ頃、パレスチナの地に落ちたオリーブ。
そして、原爆で何もかもなくなった広島に小豆島から届けられたオリーブ。
どちらもそれぞれの場所で大きな樹になりました。
ところがパレスチナのオリーブは紛争で切り倒されてしまいました。
でも今日、そのオリーブは楽器として甦り、広島で平和の言葉を語りました。

子どもたちの心にどんな言葉が聴こえたのか、訊いてみたいなと思います。

この模様は明日(8月5日)のお昼前(11時45分~)のRCCニュースで少し流れるそうです。
もしお時間があればテレビのチャンネルを合わせて下さいね。

65年前の今日、8月4日。
2日後の運命を知らない活気で、広島は満ちていました。
それを思うと胸が苦しくなります。

戦争中とはいっても子供たちは夏休み。
学徒動員や建物疎開のない子どもたちは川で泳いだり、魚釣りをしたり、夏を満喫していたんでしょう。
原爆を落とすために(その被害がどれくらいかを正確に知るために)、8月6日まで広島には一発の空襲も落とされなかったと言います。
つまり「戦争を終わらせるために落とした」という大義名分は、ただの口実。
実は1944年の9月に英米間で、最初の原爆はヨーロッパではなく日本に投下されることが決まっていたそうです。1945年の5月、候補地は人口の多い17都市の中から京都、広島、小倉、新潟が選ばれ、ここに空襲することを禁止。そして最終目的地は7月25日に広島、小倉、新潟、長崎にしぼられ、原爆を落とす命令が出たのは8月3日。

そして広島は悪夢の8月6日を迎えます・・・。

何も知らなかった広島の人々・・。

被爆者の人たちが被爆体験を話したがらない理由は、その体験があまりにもむごいから。
私が初めて原爆の恐ろしさを知ったのは、小学校の修学旅行の長崎の原爆資料館。生まれて初めて資料館を訪れた日は、その遺品や写真を見て気分が悪くて吐きそうになりました。。
写真を見ただけでもそうなのに、それを実体験した子どもたちがどんな気持ちになるのか、想像に難くありません。

その時代の子どもたちは今65歳以上のお年寄りになり、家族を持ち、それぞれ平和な広島で生活をされています。
思い出したくない日々。
だけど忘れてはいけない日々。
どんなにか苦しかっただろうと思います。

だけど21世紀の子供たちへ伝えて欲しい。
戦争のない世界を創る尊さを。
正しい戦争なんてない。聖戦なんてない。
この地球上から無くなってもいいいのちなんて1つもない。

オリーブのパンフルートのように語って欲しい。
もう二度と私たちが間違えることのないように。