オレンジな日々

広島在住のシンガーソングライター&ピアニスト
三輪真理(マリ)のブログです。
音楽大好きな日常を綴っています。

女学院大学で講演しました。

2022-10-18 | 講演会

今日は広島女学院大学の「キリスト教の時間」で講演をさせていただきました。
お話と演奏をお願いします、ということで30分のお時間をいただきました。


大学での講義は以前に文教女子大学で「人生論」という講義をさせていただいて今回が2回目。
「テーマはなんでもいいです」ということだったので、
『タラントを活かして夢を叶える』というタイトルにしました。


タラントって才能のこと。
聖書のたとえ話に「タラントのたとえ」というお話があって、主人が旅に出るのにしもべに財産を預けてそれを管理するよう託す、というお話。
自分の才能がどこにあるのかってなかなかわかりにくいけれど、
「好きで得意で周りの人が喜ぶこと」がつまり「才能」。


才能の井戸は自分の立っているところを掘ってみるとわかる。
案外すぐに手応えを感じること、それが才能。


大事なことはその才能を土に埋めたまま人生を終わらせないこと。
自分の才能を素直に活かせば自分も周りの人も幸せにできる。
と、
そんな話をさせていただきました。




講演と共にお届けした曲は、
1.桜色の季節(とき)
2.天使の翔ぶ街
3.春雷


夢には、大きな夢から小さな夢まで色々あるけれど、
たとえ夢半ばで人生が幕を閉じたとしても、夢を描いて光の方を向いて人生を進んでいく生き方がやっぱりいいと思います。
ある調査によれば、日本人は先進国で一番失敗を恐れる傾向があるそう。
本当にもったい無い。
やってみてダメだとしてもやらないよりはいい。


女性は特に最初から夢を諦めている人が多いけれど、ぜひこれからの学生さんたちには夢をどんどん実現して行って欲しいと思っています。広島からたくさんの世界に羽ばたく起業家や世界を変えるアイディアがどんどん誕生しますように。
お世話になった澤村先生はじめ諸先生方ありがとうございました。



私も私自身の夢の実現に向けてまだまだ頑張ります。



期限付きの人生

2016-09-11 | 講演会

人生を変える人との出会いはそう再々訪れるものではない。
今日はタイの若き成功者にお会いしました。


30代ながら落ち着きと大きな器を感じさせる彼の人柄と話に触れて、この成功までの道のりが一朝一夕のものではなかったことと、そこから得られた多くの洞察と深い人間愛を感じました。
多くの人の心を動かすカリスマ性や魅力を持つ人はこのように一見さりげない人が多いですね。


自分の過去20年余りを振り返ってみました。
好きなことをやるために人生に方向転換を図った20数年前。
生活の基盤と将来への備えを構築した10年間。
そして好きな音楽のスタートラインにようやく立てた日。


すべての出会いとすべての経験に1つとして無駄はなく、会わなかった方が良かった人もモノも1つもなかった日々。
すべての思い出が美しく愛しいものばかりだったと言い切れるのは、きっと今が幸せだからだろうと思います。


「人間とネコ(動物)との違いがわかりますか?
 人間はいつか人生に終わりが来ることを知っているけど、ネコ(動物)は知らないことです」


そうですね。
人間だけがこの命が限りのある期限付きの命だと知っている。
だから苦しみもある。
でもだからこその喜びもある。


この期限付きの人生で、あなたと出会えたこと、この仕事と出会えたこと、広島と出会えたこと、、
すべてが奇跡です。
ありがとう。


#Member of Love

 

鳥たちは群れをなし 水辺に憩う

おだやかに風が吹いてる

争いも闇も無く 光に溢れ

たおやかな時が流れる

 

時は静かに 夢を育てる

生きとし生けるものに 愛を注ぎ続ける

 

朝になれば目覚める 

地球(ほし)の営み

生命(いのち)の歌が聞こえる

今日もこの場所で生きてる

 

I'm a member of love , member of love

 

 

いつか生命(いのち)は宇宙(そら)へと還る

すべての時を止めて 永遠が花開く

 

美しい朝が来て

鳥がさえずり

生命(いのち)の歌が聞こえる

今日もこの場所で生きてる

 

I'm a member of love , member of love・・・



(Pepppermint Leaf 2016年 作詞/作曲 三輪真理)



 


『音楽で平和を作り出す』(広島文教女子大学『人生論』)

2014-07-15 | 講演会

今日は広島文教女子大学で『人生論』という授業で演奏と講演をさせていただきました。
タイトルは『音楽で平和を作り出す』。


これから社会に出ていく学生の皆さんに、女性として、人として、広島市民として、そして自分自身としてどういう生き方ができるのか、参考にしてもらえたらいいなというお話をさせていただいたつもりです。
大学で授業なんて生まれて初めてのことでしたが、なんとか無事に終えられてホッとしています。
講義には学生さんを始め、地域の人、そして音楽仲間の友だちも参加してくれました。
皆さんどうもありがとうございました。
講義内容の書き起こしはできませんが、内容をざっと箇条書きにしてみます。


1.子供の頃の自分と音楽との出会い。
2.小・中・高とピアノと音楽を頑張っていた頃のこと。
3.音楽大学への進学を断念して一般の大学に進んだこと。
4.就職、結婚、事業経営と音楽とは離れた生活を送っていたこと。
5.30歳を前に、人生でやり残した「音楽」をチャレンジしてみたくなったこと。
6.バンドデビューを目前にして妊娠、出産。
7.家族や周りの人に支えられながら出産後半年で初ステージ。
8.バンド活動をしていく中での大きな転機。バンド仲間の死。
9.音楽をやる意味と意義。自分の使命について考えたこと。
10. セプテンバーコンサートのこと。
11. ほほ笑みと感謝の会「パレスチナオリーブ・パンフルートプロジェクト」のこと。
12. なぜコンサートを続けるのか。
13. ヒロシマ市民としての役割。
14. 夢を持つことの大切さと私の夢。


以上のような内容を途中に演奏を交えながら話させてもらいました。
  


演奏した曲は以下の通り。
1.天使の翔ぶ街 
2.心の手を繋ごう
3.Peaceful Wind(平和の風)
4.春雷
5.君に出会えて

アンコール
6.故郷


「Peaceful Wind」ではパンフルート演奏家で広島大学物理学の教授でもある中村純先生にわざわざお越しいただき演奏していただきました。広島大学のパンフルート同好会におられて今は文教女子大学におられる庄ゆかり先生にもご一緒に演奏に加わっていただきました。お二人には本当に感謝です。



講演と演奏というプログラムは初めてだったんですが、iPadを使ってスライドを上映しながらお話しさせてもらいました。
資料作成はちょっと大変だったものの、やっぱり写真があって良かったなと思います。


私が一度音楽の道を断念したことは、学生の皆さんにも同じような体験を持つ人もおられたみたいで、自分のこととして重ね合わせながら聞いてもらえたようでした。
夢っていうのは一度諦めたからと言って二度とチャレンジしてはいけないというものではないですよね。またやりたいと思うときがきたら、結婚しても子供がいても、何歳からでも誰に遠慮することなくチャレンジしてみたらいいと思います。


ピアノや楽器は何かに「なる」ために必要だからやることではなく、それ自体とっても楽しいものだし、ぜひ何か演奏できるようになってぜひ人に聞かせてあげて欲しいと思っています。
音楽はきっとそれだけで、平和な気持ちを作り出すもの。
どんな人にとっても音楽や楽器がもっと身近なものになっていくといいなと思います。


このたびの講義にあたってはいろんな方々のご協力をいただきました。
何でも「1人」では実現できないですよね。
支えてくれる人、助けてくれる人、そういった人との繋がりこそ財産だなと思います。


普段のライブではゆっくりお話しすることは少ないので、今回このような機会をいただけてありがたかったです。
自分でも自分の考えをまとめることができて貴重な経験になりました。
広島文教女子大学の岡馬先生、庄先生はじめてお世話になった先生方に心から感謝します。
これからも頑張っていこうと思います。
どうぞよろしくお願いします。



初・大学で授業です!!

2014-07-09 | 講演会

以前にもお知らせしましたが、来週7月15日(火)に文教女子大学で『人生論』という授業』でお話をさせていただくことになっています。
今そのための準備を進めてます。


講演のタイトルは『音楽で平和を作り出す』
音楽への夢を一度は断念した私が、再び音楽をやることになった経緯、そして今自分の音楽活動で大切にしていることを皆さんにお伝えしたいと思っています。


おおまかな原稿はできましたが、ここからのツメが肝心。
写真やスライドが全てそろうまでもうひと踏ん張りです。


それにしても・・・


私も音楽歴は40年越え、バンド活動歴14年。
それなりに年月を重ねて来たなあとつくづく。
このブログも2005年にスタートしてからもう10年目。早いものです。


なかなか自分の人生を振り返ってみる機会はなかったので、こうやって振り返ってみることができるのは感謝ですね。
人に出会い、人に支えられ、人に背中を押されてここまで来たと思います。
周りの人がいてくれて今の自分があるんだなっていつも思いますね。


意外に受け身でここまでやってきた私の人生ですが、少しは「積極的」に自分で「切り拓く」ということも来年くらいからはやってみようかと思っています。
人に勧められてとか人に頼まれてではなく、自分から。
自分の心で思ったことを自分から実行に移してみようと思います。


とりあえず、7月15日(火)の文教女子大学の授業。
地域公開講座になっていますので、良かったらぜひお越し下さい。


広島文教女子大学『人生論』
『音楽で平和を作り出す』

日時:7月15日(火)14:50~16:20
出演:三輪真理(シンガーソングライター)、ゲストあり
場所:広島文教女子大学 621教室(広島市安佐北区可部東1丁目2-1)
料金:無料 
問い合わせ:広島文教女子大学 エクステンションセンター
     センター長 岡馬 重充 082-814-3191(内線313)
     メール sokaba@h-bunkyo.ac.jp





 


藤原亮司さん「なぜ戦地報道を続けるのか」@広島文教女子大学『人生論』

2014-05-09 | 講演会

今日は広島文教女子大学の『人生論』という地域公開講座を受講してきました。
今日の講師はジャパンプレス所属でフリージャーナリストの藤原亮司さん
2012年にシリアの内戦取材中にアレッポで命を落とされた山本美香さんと同僚でもあり、その山本さんの活動も交えたお話をお聴きしました。




私たちと何ら変わらないシリアの人々の日常生活。
iPhoneも持ってるしパソコンも扱う。休日には音楽を聴き、家族の団らんがあり、食事やデートを楽しむ。
そんな街がある日を境に戦場になる。
シリアの内戦は2011年に始まった政府軍と反政府軍の戦い。
政府軍は政府に歯向かう者は自国民であっても兵士でも一般市民でも無差別に殺傷する。 
反政府軍の兵士たちは、そんな無差別殺傷が嫌で政府軍を逃げ出した人々がほとんどだそう。


そんな内戦地域は命の保証が無くあまりにも危険なため大手メディアは報道カメラマンを派遣することが出来ない。 藤原さんや山本さんのようなフリージャーナリストたちはそれこそ命がけで戦地に出向く。前線の日常を伝える。そこに住む人、その生活、国を捨てて難民として生活する人々の過酷な日常。 


「知って欲しいんです。戦争は遠く離れたところで起きている特別なことじゃない。そこに住む人は我々と何ら変わらない人々だということ。そこで生きている人がいて生活している人がいるということに、想像力を働かせてほしいのです。」


学生たちは何を感じたろう。
戦争が起きるということがどう言うことかわかっただろうか。


今、世界では至る所で戦争や内戦が起こっており、実は、それはその地の当時者のためではなくその地で戦争や紛争を起こさせてどちらにも武器を輸出して儲けようとする「外の国々」が深く関与しているということは、普通の人はあまり知っていない。
何故戦争が起きるのか、そして何故終わらないのか。
それはイデオロギーの問題でも、宗教の問題でもなく、俗にマッチポンプと言われる戦争仕掛人が戦争を仕掛けていくのが理由。国民はまんまとダマされる。簡単に「正義のために戦おう!!」となる。
そして私たちの国、この愛すべき日本も911のアメリカの自作自演テロをきっかけに起こされたイラク戦争にまんまと加担させられてしまった。


そして日本の国は少しずつ戦争に向かわされている。
それに気付いてる人はいるんだろうか。
気付く人が多ければ戦争は止められる。


【戦争に向かうパターン】

1.仕掛人が政府に圧力をかけて少しずつ国民に増税させて、じりじりと市民にストレスを与えていく。
2.その国の少数民族の人々(日本なら在日朝鮮や在日韓国、アイヌの人々)を特別扱いする。
3.少数民族を優遇しつついかに自分たちが不当な目に合ってるかという不満を募らせる。
4.少数民族の人に武器を与え、反乱を企てさせる。
5.ある日、突然国内で少数派を装った仕掛人によるテロが起こる。
6.多数民族と少数民族との間で紛争が勃発する。
7.仕掛人たちは、どちらの側にも武器を供給する。
8.いよいよ収拾がつかなくなるくらい内戦は激しくなる。
9.戦争を集結させると言う名目で、仕掛人たちの国の武力が徐々に投入される。
10.  戦争終結と同時に国は仕掛人によって植民地化される。


まず知ること、関心を持つこと、想像すること、自分の立場でできることがあるか考えること、考え続けること、発信すること、何かに参加してみること。
こうしてそのことに関わってる人の「生の話」を聴くのはとっても重要。


とっても貴重な話を聴くことが出来ました。
藤原さんありがとうございました。
藤原さんは、山本さんとともに戦地取材を続けられていた同じくジャパンプレスの佐藤和孝さんと共に、若手ジャーナリストの活動を支援する「一般財団法人 山本美香記念財団」も作られ、そちらの方でも活動をされているそうです。
私もこれからその活動も応援して行きたいです。


広島文教女子大学の『人生論』では、私も7月15日(火)に授業をさせていただくことになっています。
私はシンガーソングライターという立場でいろんなことをお話しさせていただきたいなと思っています。
ぜひ申し込み不要で、直接大学に来ていただけたらいいみたいです。
ぜひ多くの方に聴きに来ていただきたいなと思っています。宜しくお願いします。

 


東日本大震災支援ルーテルとなりびと報告会

2013-11-24 | 講演会

今日は日本福音ルーテル広島教会で、東日本大震災支援「ルーテルとなりびと」の現地報告会がありました。現地で現在中心になって働いて下さってる野口牧師先生による、ルーテル教会で行ってきた被災地支援のこれまでの報告でした。
今回は仮設住宅の集会所でボランティアの人と被災者の人とが一緒に作られた「つるしびな」の展示もありました。

震災後の被災地の様子については立野牧師先生からもいろいろと聴いてきましたが、また今日の報告でこれまでの3年間の被災地での様子を知ることができました。


報告の中で大川小学校の生徒のお母さんたちの手記をもとにつくられた「ひまわりのおか」という絵本の朗読がありました。108名の生徒のうち生徒74名と先生10名の命が失われた大川小学校。地震で避難した雪の降るグランドから、小高い丘に逃げる途中に津波に飲まれてしまった子供たちと先生たち。その丘にひまわりの種を植えたお母さんたちの思い。絵本の中に登場する実在した子供たちの名前と在りし日の様子、若いお母さんたちの子供たちへの愛に溢れた言葉を聞いてると、涙が溢れて仕方ありませんでした。

ひまわりの おか (いのちのえほん)
松成 真理子
岩崎書店

震災で亡くなった方は今現在で15883人。そして未だに行方不明の方は6434人。
それだけ多くの方が亡くなったということは、かけがえのない家族や友人を亡くした方がそれだけ多くいらっしゃるということ。

被災地は少しずつ復興が進み、福島原発事故後の放射能の汚染区域を除いては、街は一見普通の暮らしを取り戻していってるように見えますが、そこに住む人々の思い出や悲しみとこれからどう向き合っていくのかが、次の課題でもあると思います。

私たちにできることはとにかく被災地を忘れないこと。
改めて思います。
 
私はまだ被災地を訪れることはできていませんが、繰り返し聞いて、語って、祈って、、まずは私の場所でできることを頑張ろうってまた気持ちを新たにしました。

たった1つの命。
たった1回きりの人生。

どんな人にも精一杯輝かせて生きてほしいって思います。
そのためにできることを私も頑張ってやっていこうって思っています。 
 


ヒロシマ・メッセンジャーとして小学校で初授業

2013-10-17 | 講演会

今日はヒロシマ・メッセンジャーとして牛田小学校の4年生の皆さんに授業をしました。
ヒロシマ・メッセンジャーとしては初の派遣でした。

ヒロシマ・メッセンジャーは広島市の海外の姉妹・友好都市を市民により身近に感じ、深く理解してもらうために各都市の記念イベントの企画・立案に参画し、進行役を担う市民ボランティアです。
広島市の6つの海外の姉妹・友好都市ごとに男女2名のヒロシマメッセンジャーがいます。

2013年のヒロシマ・メッセンジャーは以下の通り。

1.ホノルル市 遠井大介(とおいだいすけ)三輪真理(みわまり)
2.ボルゴグラード市 Andrey KALUGIN(アンドレイ・カルーギン) 二上真衣(にかみまい)
3.ハノーバー市 宮原健(みやはらたけし) Claudia FORTAGNE(クラウディア・フォルタニエ)
4.重慶市 菫丹(トウ・タン) 鍛治山幸子(かじやまさちこ)
5.大邱広域市 崔成豪(チェソンホ) 清水仁美(しみずひとみ)
6.モントリオール市 田中秀穂(たなか ひでほ) 岸本優子(きしもと ゆうこ)

各都市のメッセンジャーの皆さんは姉妹友好都市の記念イベントの企画や進行の他、今日のように公民館や学校で担当都市の紹介等をするお仕事があるそうで、今日はその1つ。
メッセンジャーの中には経験者の方もおられますが、ホノルル市担当の遠井さんと私はともに今年が初めてのメッセンジャー。

小学4年生の子供たちにわかりやすく説明するのって、ちょっと難しかったのですが、それなりに子供たちも楽しく聞いてくれて良かったです。遠井さん作成のパワーポイントに助けられました(笑)。

終わってから全員で記念撮影。

皆さまお疲れさまでした。

さて、ホノルル市担当の私たちのメインイベントのホノルルの日の記念イベント『HONOLULU DAY』はいよいよ11月9日(土)。今年初めての試みもありいろいろと準備を重ねています。
 (クリックで拡大します)

ホノルル市在住の八代高校の先輩のIさんにもご協力いただいたり、ホノルル広島県人会元会長のウェイン・ミヤオ氏にもご出演いただけることになったり、ご縁がご縁を生んでなにやら大掛かりなことになってきています。

英会話教室のクラスメイトのMさんが「やってみない?」とすすめて下さったことがきっかけでやることになった1年間のボランティアですが、せっかくなのでしっかり頑張りたいと思います。

HONOLULU DAYの詳細はこちら(広島市のホームページ)。
沢山の方のご来場をお待ちしております。


となりびと活動報告会

2011-11-24 | 講演会

東日本大震災支援の『ルーテル支援センターとなりびと』の活動報告会が日本福音ルーテルシオン教会徳山チャペルと三原教会で開かれました。

6ヶ月間、被災地でさまざまな人的、物質的支援をしてこられた立野泰博牧師のお話と、現地専従スタッフとして今も働いておられる佐藤文敬さんのお話でした。
お二人の口から聞く現地の被災のありさまや日々の支援活動の実態は、とても生々しく、涙なくしては聞けない内容も数多くありました。
命の尊さや仕事や家や家族のあることのありがたさを改めて感じます。
当たり前に目の前にあって何の特別な感情も抱かずに送っているこの暮らしそのものが、本当にかけがえのない大切なものだと改めて気付かされました。

教会の女性会では被災地に雑巾を縫って送ったり、メッセージカードを送ったり、被災地の方のアルバムを洗ってお返しするボランティアなどをしていますが、そういうささやかな活動も被災者の皆さんの暮らしを応援する助けになったり、心の支えになってることを知れたのは嬉しかったですね。

被災地での支援活動も第一期の緊急支援が終わり、これからは第二期に入るそうです。

これから被災者の人たちに必要とされるのは仕事と家、そしてコミュニティ作り。
村ごと町ごと無くなってしまった場所にどうやって新しい町づくりをしていくのか。
東日本の復興は日本の復興。
これからも自分ごととして関わっていきたいと思います。


(現地専従スタッフの佐藤さん)


(ルーテルとなりびとの今後の活動)

現地で実際にボランティアとして働きに行くことはできませんが、後方支援という形で今後も協力していきたい思っています。


  君の瞼に 光が虹を描く 
  窓辺のカーテン揺れて 君の後れ毛も揺れる
  君の寝息が まるで歌ってるようで
  思わず口づけしたくなる そんなやさしい朝だよ

  何気ない日常 何もない毎日
  そんな当たり前が 
  幸せだって気付いたんだ

  いつまでも君を いつまでも守るよ
  君の全て愛することが僕の幸せ

  (Peppermint Leaf『やさしい朝』マリ作詞・作曲より)

 


『ルーテル支援センターとなりびと』活動報告会のお知らせ

2011-11-22 | 講演会

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
昨日はなんと広島でも地震がありましたね。
その時間は仕事のミーティングが始まるところでしたが、来てた人が早速帰ろうとしていました(汗)。
あのまま本格的なのが来てたらと思うと、ゾッとします。

被災地仙台で日本福音ルーテル教会が関わっている『ルーテル支援センターとなりびと』で中心となって働いて下さっている立野泰博牧師のお話を思い出しました。
ご自分も被災されたある方が、復興ボランティアの方々と仕事をされている時に余震があり・・その時に思わず口に出された言葉に立野牧師は大きなショックを受けたそうです。
彼女は揺れの中、身を縮めて泣きながら、こう叫ばれたのだそうです。
「もう許して下さいーー!!」

彼女は津波の中、ご自身と子供さんは一命を取りとめたそうなんですが、子供さんと仲の良かったお友だち親子は津波で流されてしまったそうです。
それを見ながら何も出来なかったご自身を申し訳なかったと責め続け、そんなこともあり復興ボランティアのお仕事を率先してされているそうなのでした。

彼女の心の痛み、被災地の皆さんの心の痛み。
生活はすぐに元通りになっても傷ついた心はすぐには元通りにならない。

それでも楽しいことには笑い、日常の小さなことに楽しみを見つけながら生きてほしい。
名前も知らない人のことですが、お友だち親子の方の分まで楽しく人生を生き続けて下さったらと思いました。

そんな『ルーテル支援センターとなりびと』での活動報告会が徳山と三原で開かれます。
ルーテル教会西教区女性会の主催ですが、お話はどなたでも聴いていただくことは出来ます。
お時間のある方はどうぞお出かけ下さい。

『となりびと活動報告とマンドリンの調べ』
日時:11月23日(祝)10:00オープン、10:30スタート
ゲスト:立野泰博牧師、佐藤文敬氏(現地スタッフ)、高橋和彦(マンドリン演奏)
場所:日本福音ルーテルシオン教会、徳山礼拝所
   (周南市秋月1−1−11 Tel 0834-28-1327)

『被災地に立つとなりびと』
日時:11月24日(木)10:00オープン、10:30スタート
ゲスト:立野泰博牧師
場所:日本福音ルーテル三原教会
   (三原市宮沖3−8−18 Tel 0848-62-2518)

お問い合わせはどちらも会場まで。私も会場にいます。
私のブログを見たと言って下さいね。


Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ、バカであれ。)

2011-10-06 | 講演会

Appleの創業者であるスティーブ・ジョブス氏が亡くなられました。
偉大な人の死に、謹んで哀悼の意を表します。
1995年ジョブス氏50才の時の、スタンフォード大学での卒業式の伝説のスピーチです。

【スピーチを書きおこしたテキスト版】

~ジョブズが壇上にあがり学生たちの拍手~

<ジョブズ氏>
ありがとう。
この世界最高峰の大学の卒業式にお招きいただき、大変光栄です。
実を言うと、、、私は大学を中退したので大学の卒業式に出席するのはこれが初めてです。
(学生たちから軽く笑いがおこり、ジョブズもにっこりとする)

今日、私は3つの話を皆さんに紹介します。
大したことはない、ただ3つの話だけです。

最初の話は「点を繋げること」です。
私はリード大学を6ヶ月で中退し、そして正式に退学するまで18ヶ月ほど学校をうろついていました。中退した理由は、、、?それは私が生まれる前にまで遡ります。

私の生みの親は未婚の大学院生だったので、私を養子に出すことにしました。母は大学を卒業した人が親になるべきだと望んでいたので、ある弁護士の夫婦に預けるという話になりました。しかし、私が生まれる直前、弁護士夫婦が女の子を希望したので養子の話は無しになりました。

そこで養子縁組の順番待ちをしていた別の夫婦に電話がきました。
「期待していなかった男の子がいます、引き受けてもらえますか?」と聞かれ、「もちろん」と夫婦は答えました。

それで生みの母親が知ったのですが、その夫婦の奥さんは大学中退で夫の方は高校すら中退でした。そのため母は養子の書類へのサインを拒否しました。しかし、最終的には息子を立派に大学生にしてもらうことを条件に書類にサインしました。これが私の人生のスタートでした。

17年後、私は無事に大学生になりました。
しかし世間知らずな私は、とても学費の高い大学を選んだので、両親の給料がすべて私の授業料へと消えていきました。その半年後、私はそこに価値を感じなくなりました。私は人生の目標がありませんでしたが、大学が導いてくれるとも思えませんでした。私は親が必死で稼いだお金を垂れ流すだけだったのです。なので、大学を退学することにしました。それでも大丈夫だと信じて。

その時はとても怖かったのですが、今考えれば最良の選択でした。
その瞬間から、私は必修の授業に出る必要がなくなったので、もっと私の興味をひく授業に潜り込むようになりました。

素敵な話ばかりではありません。
私には寮が無かったので、友達の部屋の床で寝ていました。コーラの空き瓶をお店に返して5セントを稼ぎ、食費の足しにしたり、日曜日にはヒンズー教会の夕食を食べるために、11Kmも歩いたりしました。最高の食事でした。

中退して私が興味をもったものは、後に非常に価値のあるものとなりました。
ひとつ例を挙げましょう。
当時のリード大学には国内最高のカリグラフィの授業がありました。
キャンパス内のポスターやラベルまで全て美しいカリグラフィがなされていました。
私は中退しており必修の授業に出る必要がなかったため、技法を学ぶためカリグラフィの授業に出ることにしました。
そこでセリフとサンセリフ書体、文字間の調整、すばらしいタイポグラフィなどを学びました。それは美しく、歴史的で、科学では捉えられない繊細さがありました。それに私は魅力を感じたのです。

そんなことは私の人生に役に立つとは思っていませんでしたが、10年後に最初のマッキントッシュを作る時になってそれらが蘇ったのです。

そのノウハウを活かし、Macは美しい活字を扱える世界初のコンピューターになったのです。大学でカリグラフィの授業に巡り会っていなければ、Macに沢 山のフォントや美しい字間調整を搭載することはなかったでしょう。そしてWindowsはMacの単なるコピーですから、それらの機能を持つパソコンはなかったことになります。大学を中退していなければ、カリグラフィの授業に出会わなかったでしょうし、美しい活字を搭載したコンピューターも現れなったで しょう。

もちろん、その出来事の繋がりを大学時代には予想してはいませんでした。しかし10年後に振り返ると、実にはっきりとしているのです。
点と点の繋がりは予測できません。後で振り返って、点の繋がりに気付くのです。

今やっていることがどこかに繋がると信じてください。何かを信じてください。あなたの根性、運命、業、何でも構いません。その点がどこかに繋がると信じていれば、他の人と違う道を歩いてても自信を持って歩き通せるからです。それが人生に違いをもたらします。

2つめの話は、「愛と喪失」です。

若いうちに愛する仕事が見つかったのは幸運でした。20歳のとき、両親のガレージで友人とApple社を始めました。私たちは懸命に働き、たった2 人だけだった会社が4000人の従業員と20億ドルを誇る大企業に成長したのです。我々は最初のマッキントッシュを創立の9年後に発売し、次の年に私は30歳になりました。

そこで私はクビになりました。
自分が始めた会社をクビになったんです!

私はAppleの成長にしたがって、有能だと思った人物を招き、重役に置いたのです。初めは上手くいきましたが、将来へのビジョンが食い違い、分裂するようになりました。その時に取締役会が彼の味方についたのです。そして30歳でクビです。とても有名な失業でした。

人生の焦点だったものが消え、絶望しました。はじめの数ヶ月は途方に暮れました。この分野の先人たちの期待に添えず渡されたバトンを落としてしまっ たと感じました。私はデビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしたことを詫びようとしました。私の失業は有名だったので、シリコンバレーから逃げようかとも思いました。

しかし徐々にあることに気が付きました。自分の仕事をまだ好きだったのです。
Appleを退職しても、その愛は少しも変わりませんでした。
追い出されはしましたが、まだ愛していたのです。だから再出発することにしました。

その時は分かりませんでしたが、Appleからの追放は人生で最良の出来事でした。成功者としての重圧が初心者の気軽さに変わりました。
自信は失いましたが、最もクリエイティブな人生へ導かれました。
5年間のうちにNeXT社とPixar社を立ち上げ、そして後に妻となる素晴らしい女性に出会いました。

Pixarは世界初のCGアニメである「Toy Story」で成功し、世界最高のアニメスタジオとなりました。そして意外なことに、AppleがNeXTを買収したのです!私はAppleに戻り、 NeXTで培った技術はApple再建を支えることになりました。そしてロリーンと私は幸せな家庭を築いています。
ずっとAppleにいたのなら、絶対にどれも起こらなかったでしょう。とても苦い薬でしたが、私には必要だったんでしょうね。
時にはレンガで殴られたような苦しみに遭うことがありますが、自分を見失わないでください。
私は自分の行いを愛していたからこそ止まることなく続けられました。

あなたも愛せるものを見つけましょう。仕事にも恋愛にも言えることです。仕事は人生の重要な位置を占めます。それに満足したければ、自分の仕事が最 高だと思うことです。そして最高の仕事をするには、その仕事を愛しましょう。まだ見つかっていないのなら、探し続けましょう。安易に落ち着かないでください。その時はピンと来るものです。あなたのハートは分かっています。そして良き人間関係のように、長く付き合うほど心地良くなります。ですから探し続けましょう!落ち着くことなく。

3つ目は『死』についての話です。

17歳の時に、こんな言葉に出会いました。
「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」。

その言葉に感銘を受けて以来33年間、私は毎朝、鏡の中の自分に問いかけています。「今日で死ぬとしたら、今日は本当にすべきことをするか?」と。その答えが何日も「NO」のままなら、何かを変える必要があると気付きます。

「すぐに死ぬ」と覚悟することは、人生で大きな決断をする時に大きな自信となります。なぜなら、ほとんど全てのものは、周囲からの期待、プライド、 失敗や恥をかくことへの恐怖などで、そういったものは死に直面すると消え去るからです。そこに残るのは、本当に必要なものだけです。死を覚悟して生きていれば、「何かを失うこと」という心配をせずに済みます。あなたは初めから裸なのです。素直に自分の心に従えば良いのです。

私は1年前、ガンを宣告されました。
朝7時半に受けたスキャン、膵臓にはっきりと腫瘍が写っていました。私は「膵臓」が何なのかも知りませんでした。医者からは治療不可能なタイプの腫瘍だと聞かされ、3~6ヶ月の余命を宣告されました。

医者は「家に帰って、やり残したことを片付けろ」とアドバイスしました。つまり「死ぬ準備をせよ」という意味です。つまり「子供たちに全てを伝えろ」ということです。今後10年で言うつもりだったことを数ヶ月のうちに言えということです。つまり、家族に負担が残らぬよう全てにケリを付けておけということです。つまり、「さよならを言っておけ」ということです。その宣告を抱えて1日過ごしました。

その日の夜、カメラを飲む検査を受けました。腸から膵臓へ針を通し、腫瘍細胞を採取する検査です。私は鎮静剤が効いていたのですが、そばにいた妻の話によると腫瘍を検査した医師たちが叫びだしたそうです。その腫瘍が手術で治せる非常に稀なケースだからでした。
私は手術を受け、おかげで今は元気です。これが私の最も死に近づいた経験です。
今後、数十年は勘弁願いたいですね。

それを通して、死がただの概念だった頃より、確信をもって言えることがあります。「誰も死にたくはない」ということです。天国に行きたい人でもそのために死のうとはしない。

しかし、死はすべての人の終着点であり、誰ものがれたことはないし、今後もそうあるべきである。

なぜなら、死は生命の最大の発明なのだから。死は古き者を消し去り、新しき者への道をつくる。ここでの「新しき者」は君たちのことです。
しかしそう遠くないうちに君たちも「古き者」となり消えてゆきます。
大袈裟ですみません、しかし紛れもない事実です。

あなたの時間は限られています。無駄に他人の人生を生きないこと。
ドグマに囚われないでください。それは他人の考え方に付き合った結果にすぎません。他人の雑音で心の声がかき消されないようにしてください。そして最も大事なのは自分の直感に従う勇気を持つことです。直感とはあなたの本当に求めることを分かっているものです。それ以外は二の次です。

私の若い頃、「全地球カタログ」という素晴らしい本がありました。私の世代のバイブルです。スチュワート・ブランドという人によってこの近くのメンロパークにて制作されました。彼の詩的なタッチが紙面に命を吹き込んでいました。1960年代後半のことで、パソコンもない時代です。全てがタイプライターやハサミ、ポラロイドなどで作られていました。Googleが生まれる35年も前の、文庫版Googleといったものです。

理想主義的で素晴らしいツールや偉大な信念に溢れていました。
スチュワートのチームはいくつかの刊行を重ねた後、一通りのネタが出尽くしたところで最終巻を出しました。1970年代中盤のことで私は君たちの年齢でした。

最終巻の裏表紙には早朝の田舎道の写真がありました。
冒険好きならヒッチハイクなどで目にするような光景です。
その下にはこんな言葉がありました。

「Stay hungry, stay foolish」(貪欲であれ、バカであれ)
それが彼らの別れの言葉でした。

「Stay hungry, stay foolish」(貪欲であれ、バカであれ)
私も常々そうありたいと思っています。

そして今、新たな人生を踏み出す君たちにも、そう願っています。

「Stay hungry, stay foolish」(貪欲であれ、バカであれ)

ご清聴、ありがとう。

(了)