オレンジな日々

広島在住のシンガーソングライター&ピアニスト
三輪真理(マリ)のブログです。
音楽大好きな日常を綴っています。

宮部みゆき著 『ソロモンの偽証』 全6巻(ネタバレあり)

2022-07-19 | おすすめ本

宮部みゆきの『ソロモンの偽証』文庫本全6巻、読了しました。
ようやく、という感じ。
この映画をDVDで見たのが今年の3月。
その時のレポはこちら(2022年3月12日の日記)。


それから何となく原作も読んでみようかなと思い立ち図書館で、借りては返し借りては返しを繰り返し、やっと文庫本で6巻全部を読み終えました。
ほんとに面白かった。
一気に、という風にはいかなかったけど、読み応えがありました。


当たり前だけど、映画には描かれていない登場人物それぞれの背景や心の動きなども丁寧に描かれていて、宮部さんの文章力にグイグイ引き込まれました。予めストーリーを知っていたので最後のどんでん返しにはそれほどビックリはしなかったけれど、途中の緊張感やハラハラドキドキと読後の爽快感は映画と同様、ほんとに楽しめました。


何より、中学生の自殺という扱ったテーマの重要性や深刻さ、そしてそれを取り巻く大人たちやマスコミの視点など、当事者と外部の人の心のずれなども丁寧に描かれていて、フィクションなのにまるでノンフィクションのように心に迫ってくるものがありました。


ここからはネタバレありで、内容のことに触れてみたいと思います。
この物語は第一部「事件」、第二部「決意」、第三部「法廷」と分かれています。


中学2年生のクリスマスの終業式の早朝、雪の中から同級生の遺体が発見される、という始まりはもちろん映画と同じ。柏木卓也という同級生の死は一旦は屋上からの飛び降り自だ殺と断定されたが、それが実は他殺だという告発状が届いてから事態は一変し、学校、警察、テレビのワイドショーを賑わす事件へと発展していく。
主人公の藤野涼子は3年生の夏休み、中学2年生の時に起きたこの事件の真相を明らかにすべく学校内裁判を思い立ち、真相究明に乗り出す、というストーリー。


物語の場面は、主人公だけでなく登場人物それぞれの視点から描かれ、そこから見える景色、心の動き、気づき、など、どんどん変わっていくのがとっても面白かった。
これは映画ではなかなかできない手法だと思います。


ただ一人、描かれないのは「柏木卓也」の視点。
映画では、大出俊次ら3人組から三宅樹理がイジメを受けているのに助けられない藤野涼子に、
「口先だけの偽善者だ」と柏木卓也が罵るシーンも出てきますが、それは原作にはもともとありません。
柏木卓也がどんな人物で何を考えていたのかは、柏木視点では一切描かれていません。
辛いことがあると「もう死んでしまいたい」と短絡的に思いがちな10代の心。
「死んだら何も言えない」
「死んだらダメだよ」
作者はこんなメッセージを込めてるのかな、とも思いました。


子どもの頃から病弱で人生を達観していた柏木卓也は「人生を無意味」だと感じていて、死に対して強い興味がありました。一方でアル中の父が酔った勢いで奮った暴力で母が死に、その罪の意識で病院で自殺した父を両親に持つ神原和彦は死を背負いながらも養父母の元、明るく前向きに生きていました。
人にはそれぞれその人にしかわからない事情や悩みや苦しみがあります。
人生ってそれぞれが自分の十字架(運命)を自分の背負い方で背負って生きていくものです。


神原に「アル中の人殺しの子供の人生に、前向きに生きて行く価値なんかあるもんか」と罵った柏木。
病弱で両親から腫れ物にさわるように扱われていた柏木には、自分には理解できないその人なりの十字架とその受け止め方があることに気づけなかったのかもしれません。


学校内裁判で大出の弁護人を務めた神原の助手の野田健一が、世の中の何もかもが嫌になり、特に自分の両親が憎くなって手にかけようとしたことを、神原に打ち明けようとしたシーンがあります。
「今まで黙っていたんだけど、、」
その時に神原が「今まで黙ってたことなら、今も言わなくていいよ」とそっと遮るシーン。
「そういう種類の話は、黙ったまんまにして方がいいんだ。しゃべっちゃおうと思うのは気の迷いなんだ」


中学生くらいの時って悩みや本音を打ち明けるのが友だちだって思っているフシがありますね。
確かに悩みを共有することで深いところまでつながりを感じることができるのかもしれない。
だけど一方で、悩みや本音を打ち明けなくてもそばにいてあげられる友だち関係もある。
人生には黙っていた方がいいこともある。
自分の十字架を人にまで背負わせる必要はない。
友だちでいるために何もかもを知らなくてもいいのでしょう。


人は生きていればやがて必ず死にます。
死ぬまで自分の十字架を背負って、生きている幸せを感じながら自分の意思でちゃんと生きたいものです。
そして思う存分生き切った先に「人生の意味」が見いだせたら本望だなと思います。


中学生のお子さんをお持ちの方や実際に中学生の皆さんにも一度は読んでみて欲しい作品。
「作家生活25年の集大成にして、現代ミステリーの最高峰」と紹介されています。
興味を持たれた方は、ぜひご一読下さい。

 

 

 


谷尻誠さん

2022-05-17 | おすすめ本

去る5月17日、レクト広島T- SITE、蔦屋広島主催の新しいイベント「ヒロッタ!」に行ってきました。
(この記事は時間差で書いてます)
こけら落とし講演のゲストは谷尻誠さん。
広島県三次市出身の43歳。
SUPPOSE DESIGN OFFICE代表の若き建築家で起業家。


最近は『職業=谷尻誠』などの本を出され、テレビ東京の「カンブリア宮殿」などにもご出演。2025年に完成予定のJR広島駅のデザインや設計を手がけるなど、まさにいま飛ぶ鳥を落とす勢いの人です。
たまたまいつものようにオーガニック野菜を買いに行ったレクトで谷尻さんの著書などが平積みされていたコーナーで『CHANGE〜未来を考える、これからの働き方』という本を買って、なかなか面白いと思い、講演会があると知って申し込みをしました。


蔦屋広島2号館のイベントスペースでの講演は満席。やっぱり若い方々が多かったですね。デザインや建築に携わっている人やそういう方面に興味がある人が多かったのでは。
お話は第1部「BOOK×谷尻誠』、第2部「Hiroshima×谷尻誠」というテーマで、斬新なアイディア満載の谷尻さんの考え方や頭の中を深掘りするという内容。


「劣等感を武器にする」という言葉通り、飾り気がなくストレートな谷尻さん。
話し方はミチコーポレーションでぞうさんカフェ&ぞうさん出版の植田ひさしさんにもちょっとにて県北独特のイントネーションで親しみやすい雰囲気です。


「アイディアには価値がないから少しでも早く実行に移す」
「失敗は結果ではなくてプロセス」
「アイディアは『言葉』をツールにして考える」
「本はそれほど読まないが、気になった本の著者には直接会って話を聞く」などなど。
ほんとに目からウロコのフレーズが満載。


そうだなーと思っていてもなかなか実行に移せないことも多い私ですが、人生も半ばを過ぎて残り少ない人生だし、あまり躊躇している余裕もないので、気になったことからどんどん実行に移していくようにしようと思いました。


私自身も、これからの自分の音楽をめぐる活動についてアイディアを巡らせています。
オリジナル曲の楽譜を作って出版したいとか、絵本を作りたいとか、詩集や小説を書きたいとか、ソロやバンドのニューアルバムを作りたいとか、世界のいろんな場所を旅して写真集を作ってみたいとか、やりたいことは次々と浮かびます。


夢は大きく!!
やっぱり動けるうちにもっともっとたくさん動いて、楽しい経験をいっぱいしたいと思います。
谷尻さんの著書はこちら。

 


谷尻さんが講演会で「影響を受けた」とご紹介されていた本。


テレビ出演された「カンブリア宮殿」の動画もこちらで見れます。

 

 

 


村上春樹『女のいない男たち』(ネタバレなし)

2022-01-30 | おすすめ本

映画『ドライブ・マイ・カー』の同名の原作が含まれた村上春樹の短編小説集『女のいない男たち』を読了。
いつもそうだけど、村上春樹の小説を読むと、しばらくは現実と空想の世界の中間くらいに宙ぶらりんに漂う感じになります。
今回もそんな感じ。


でも、映画を観た後にこの小説を読んだので、「木野」や「シェエラザード」のモチーフは『ドライブ・マイ・カー』の映画で使われたこともあり、それほど放り出された感はなかったですね。


それにしても小説って、つくづく自由だなあと思います。
書き方も日記や自伝のように一人称で書く書き方から、誰かから聞いた話として三人称で書く書き方、そしてナレーションが入るような書き方。その書き方の違いは画材や絵の具の違いのようなもので、同じ本の中で同じ人が書いても違う物語だとはっきりと区別することができます。
それでも描き方のタッチというか表現のクセみたいなものはやっぱりその人が出ます。
短編小説集ってそういうことを感じ取れるところが面白いです。


この単行本には最初に「まえがき」があって、それぞれの作品は別々の雑誌に掲載されたものだけれど、ある程度まとまって発表する意図で同時期に書かれたものであること、最後の「女のいない男たち」というタイトル作品は単行本になるときに書き下ろされた作品であることなどが書かれています。


自分の作品の書き方やその経緯などを俯瞰して解説できる村上春樹という人の、作品との向き合い方は本当に尊敬できるというか、こんな風に自分の作品と一線を引いて付き合えるっていいな、と羨ましくなります。


音楽作品でも小説でも絵でも、ひとたびそれが始まると、作品自体が生命をもったものであるかのように成長していくことがあります。作品作りをしている人なら一度はそんな経験をしたことがあるんじゃないかと思います。
まるで自分が何か大きな力で突き動かされ書かされているような。。。
その魔法のような経験を人は「降りてきた」というのかもしれないですけれどね。


私自身も締め切りや依頼があって曲を作ることもあれば、依頼されなくても自分のペースで降りてきたときに曲を作ることもあります。もちろん基本的には後者が好き。


今は特にすぐアルバムを制作する予定はないけれど、村上さんのようにぼちぼちアルバムを想定して曲作りをしようかなとも思います。こんなふうに本を読んでぼんやりそのことに考えを巡らせているとき何か曲が生まれるかもしれませんね。


 





前野隆司&由佐美加子『無意識がわかれば人生が変わる』

2021-10-28 | おすすめ本

前野隆司さんと由佐美加子さんの対談本『無意識がわかれば人生が変わる』を読みました。
由佐さんは「メンタルモデル」という人間の根幹にある無自覚な信念を4つに分類して初めて紹介した人。
この本は、由佐さんと前野隆司さんという慶應義塾大学で教授をされている方が対談という形で出されたという本です。


由佐さんと天外伺朗さんとの共著『メンタルモデル』は以前に読んだのですが、そのユニークな視点に驚くとともに自分自身と向き合うための手引き書としても有効活用させてもらっています。


人生っていろんな出来事が起こるけれど、結局自分の人生はすべては自分というフィルターで認知されている。
視力2.0と視力0.1の人に見える世界が違うように、フィルターが違えば同じ出来事を体験してもその捉え方は変わり、そこからの動きも変わるので人生は180度違うものになることもある。


今の人生を「生きにくい」と感じる理由は、結局は自分が作り出した「怖れという魔物」と自分が戦い続けているから。魔物から守ろうとして作り上げた城壁はどんどん高くどんどん険しくなって、いつの間にか自分を飲み込んでしまう。
そしてその戦いがどうにも手に負えなくなった時、潜在意識は病気や挫折という形で「それは違う」と教えてくる。


魔物と戦うのはもうやめたほうがいい。
というか、そもそもその魔物は存在しない。


無意識下にプログラミングされたOSの自動制御を止めて、そろそろ自分自身の人生を生きないとね。
由佐さんはそれを「分離から統合へ」というプロセスと紹介されているけれど、統合へ向かう生き方はおそらくとても快適で安心感の漂うものだと思う。


現実は無意識というフィルムが映し出した映画のようなものだと言う人がいる。
現実をなんとかしようと躍起になるのをやめて、無意識に組み込まれたフィルムを取り替えれば現実は変わる。
そんなことを思い出した本でした。


興味ある方は是非ご一読を。

 

 

 


養老孟司『養老先生のさかさま人間学』(ぞうさん出版)

2021-06-10 | おすすめ本

あの「ぞうさん出版」から養老先生の本が出る!!って聞いて、とっても心待ちにしていた本。
早速読み終えました!!


「考えないと楽だけど、楽をするとあとで損しますよ」
「バカの壁」の著者であり解剖学者の養老孟司先生が、自分の頭で考えるための85個の視点を伝授。
身の回りの風景、社会のありかた、心の持ちかた…いろんなことを「さかさま」に見てみよう。子どもから大人まで楽しめる優しい一冊。(Amazon 書籍紹介文より)


さかさまに見る、ってどういうことだろう?

この本は、ほぼ10年間にわたり養老先生が新聞の連載に書かれた文章をまとめた本です。85の視点ということで、85項目に渡ってそれぞれ1つの漢字が当てられ、それに対して著者が見開き2ページの短いエッセイを書くという方法でまとめられています。


耐、草、毒、寛、本、枝、熱、庸、情、流、人、雑、排、明、健、加、、、、


当てはめられた漢字に対しての養老先生の視点がとっても面白い。
猫の「まる」とのやり取りが漫画で途中に挟み込まれているのもCMみたいでホッとできるし、何より読んでいてリズミカルで楽しい。


「本離れ」が叫ばれているけど、こんな本なら紙媒体として手元に置いておいて、時々引っ張り出して読んでみるのにいいと思います。
「今日の一言」って感じで、パッと開いたところを読むっていう読み方もきっといい。


ちなみに、私の今日の一言は「雑」。


「ピカピカ」と「乱雑」

「雑」という文字には、あまり良いイメージがありません。「仕事が雑だ」なんて言いますからね。雑念、乱雑など、どれも良い意味を持つ言葉ではありません。
 雑然としているというのは、整っていない、つまり秩序があるようには見えない、ということです。ここは注意が必要です。自分に見えていないだけなのか、本当にバラバラなのか。
 (中略)
 雑草という言い方がありますが、実はそんな植物はありません。昭和天皇はよくそう言われたようです。植物学的にいうなら、全ての草には、きちんと名前があります。なければ新種です。「あんたが不勉強で草の名前を知らないだけでしょ?」へいかはそういう乱暴な言葉は使われないので「雑草なんてありません」と丁寧に言われたんでしょうね。
 自然界では秩序が生じると、それと同じ量の無秩序がどこかに生じる、ということです。この話は難しいから、またの機会に。(本書41ページより)


ダイエットと部屋の掃除をしている私にピッタリの「お言葉」(笑)。
高校物理で、そういえば「エントロピー」というのがあったよなあ。
ピカピカがいいのか雑がいいのか。
私なんかは雑草が思い思いに生えている草原なんてとっても好き。
養老先生は「自然は答え」だと書かれている。


「問い」を発するのは人間。
学校の問題は「問い」を先生が出して生徒が「答える」。
世の中のことは「答え」を見てから「問い」を発見しなくてはいけない。
上から見たり、横から見たり、下から見たり、ひっくり返して見たり、、、


「あたりまえ」のことも観察すればするほど、示唆に富んだ「答え」だということに気づく。
そうすると、人間は一生「問い」を発見しながら生きることができるんだね。


最後まで読んだ後、もう一回初めに戻って読み直してみたくなる本。
特に7章の福島県立浪江高校での震災後の2012年3月の特別講演「変化するとき」の記録は全ての高校生に読んでほしい。
ぜひオススメです。


ちなみに私の「問い」を歌った曲はこちら。
「スベテハココニアル〜永劫回帰」(三輪真理 w/白鶴山)



聴いていくうちにだんだんエントロピーが拡大していくこの曲の、
無秩序の中にある秩序を発見したあなたはエライ!!



『Retrospective』(三輪真理 w/ 白鶴山)


『西洋音楽の正体〜調と和声の不思議を探る』 (伊藤友計著)

2021-05-07 | おすすめ本

タイトルに惹かれて読んでみたいと思った本。
図書館で借りてみました。


音楽は大好きだけれど音楽大学で勉強したことがあるわけではないので、西洋音楽の体系やその成り立ちなど改めて知ってみたいと思ったからです。
そもそも神に捧げるミサ曲としての意味合いが強かった西洋音楽は、使ってはいけない音や決まりが多く作曲者もさぞかし大変だったことだろうと思います。
でも、禁止されると使ってみたくなるのが人の常。
「禁断の実」をそれとわからないように(解釈を変えて)使ってみたりして。
まあ、昔も今も人は変わらない生き物ですね。


まだこの本を最後まで読めていないんですが、書き留めておきたかったことがあるので少し。
それは「調性」の話。


以前にギタリストの梶原順さんと打ち上げか何かで話していて、曲の調で雰囲気がどれくらい変わるかなんて言うことを色々と話したことがあります。
ピアノを弾くときにいつも思っていたんだけれど、例えばドビュッシーの「月の光」という嬰ハ長調の曲をハ長調にするとなんともつまらない曲になってしまうなあということがありました。
あの独特のキラキラした透明感がなくなって、なんだかどうも「平坦な」曲になってしまう。


バッハは、ベートーベンは、ドビュッシーは、、、、どうやってその曲の調を決定したのか。
作曲家としては興味深いところでした。


そういった興味に参考になるところが書かれていたので転載しておきます。
マッテゾン・ヨハンの『新設のオルケストラ』(1713年)の24の調のあり方からの抜粋だそうです。

【転載開始】(P132~133)

1.Dm(ニ短調) むしろ献身的、穏やか、喜ばしく満足感を与える
2.Gm(ト短調) 優しく、活気づける。満足感を与え、胸を焦がす
3.Am(イ短調) むしろ沈痛で、辛抱強い
4.Em(ホ短調) 哀愁を帯び、困惑し、悲しい
5.C(ハ長調) 屈強で、大胆な性格
6.F(へ長調) 寛容さ、忠実さ、愛
7.D(ニ長調)、むしろ鋭く、頑固
8.G(ト長調) ほのめかすようでいて、雄弁

「これら8つの調がもっともよく知られるものであるが、次の諸調も同じくら有用で快いものである」

9.Cm(ハ短調) 極端に愛らしいが、悲しい
10.  Fm(へ短調) 温和で、感傷的、心配と絶望
11.   B♭(変ロ長調) 気を晴らし、壮大
12.  E♭(変ホ長調) ただ真面目で、悲しげ
13.   A(イ長調) 輝かしくあるが、また同時に痛ましく心を打つ
14.   E(ホ長調) 病的に悲しい。寄る辺なく、絶望的
15.   Bm(ロ短調) 奇妙で、喜びを欠き、憂鬱
16.   F#m(嬰へ短調) 苦悩。しかしより活気がなくなる感じ

「すべてを知ることを望む者は、次の調を加えなければならない」

17.  B(ロ長調) 矛盾していて、硬く、不快で、絶望的

18.  F#(嬰へ長調)   
19.  G#m(嬰ト短調)
20.  B♭m(変ロ短調)
21.   A♭m(変イ短調)
22.  C#m(嬰ハ短調)
23.  C#(嬰ハ長調)
24.  D#m(嬰二短調)

ロ短調以外のこれらの残りの調が生み出す効果についてはまだほとんど知られておらず、後世にゆだねられるべきだろう。

【転載終了】


なるほどね。
ワーグナー(独)(1813-1883)、ドビュッシー(仏)(1862-1918)、やラヴェル(仏)(1892-1932)など、その後の作曲家たちにしても、さぞかし、そのほかのいろんな調の生み出す効果を知りたかっただろうと思います。


自身の探究心と発見と作品を発表したくてもそれがなかなか叶わなかった昔の時代。
それに比べると今は本当に自由に音楽を試せる、ありがたい時代ですね。


「調性って何?」という私の疑問と似たような疑問を持っていたと思われる、ピアノの天才フランツ・リストの「無調のバガテル」という面白い曲の音源を張っておきます。





追記ですが、調性を超越した代表格として知られているワーグナーが「トリスタンとイゾルデ」というオペラ曲で用いた「トリスタン和音」が、所謂ハーフディミニッシュという和音として今のポップスに多用されているというのを知って、面白いなあと思いました。
ちなみに、私もよく使ってしまう和音です。


と言うことで、調についてのお話はまだまだ興味深いテーマなので、またいつか続きを書いてみたいと思います。

 




高山羽根子著『首里の馬』(ネタバレあり)

2021-04-08 | おすすめ本

昨年の夏に買って、そのままになっていた高山羽根子さんの『首里の馬』をようやく読了。
第163回芥川賞受賞作。
確かラジオの何かの番組で作家さんの対談があって面白そうと思ってすぐ買ったんでした。
買っただけでチラッと読みかけてましたがじっくり読むチャンスがなく。
半年経った今日やっとページを開き、そこからは一気に読みました。


いや〜いい本でした。
ここからはネタバレありです。


まず文体がリズミカルで描写がとても細かいのが好感が持てました。
沖縄が舞台で、私が沖縄の歴史をあまり知らないこと、具体的な地名や建物の描写なども手伝って、この物語があたかも実在の人物の話かと思えるくらいでした。
史実とファンタジーが入り混じり、まるでどこかで誰かに伝え聞いた体験談のようです。


主人公の未名子(みなこ)、そして順(より)さん、娘の途(みち)さん。そしてカンベ主任、あとはヴァンダ、ギバノ、ポーラという画面越しの人。そして台風の日に突如として現れた宮古馬のヒコーキ。
どの人にもそれぞれ歴史があり、悲しみや孤独を心に抱えながら柔らかく繋がり合っていく物語。


順さんの仕事が民俗学者でいろんな資料をただただ長い間集めているだけということや、未名子の仕事が画面越しの海外のクライアントに日本語でクイズを出すオペレーターだとか、実際にはなさそうでありそうで、どちらともわからないちょっと夢の中に迷い込んだような設定もすっごく面白いです。


沖縄の人は名前がちょっと変わっていることが多いんですが、母娘の名前を繋げると「よりみち」になるところだとか、未名子という漢字だとか、あんまりないかな〜とも思います。
名前なのに「未だ名前がない」って面白いですよね。
馬の名前が「ヒコーキ」というのも作者さんのセンスが楽しいです。


あと、余談ですがかなり面白かったのは、このくだり。
「未名子は、この世界の、あるひとつの場所をみっつの単語で紐づけて示すやり方があることを、しばらく前に知った。・・・・」(本書152ページ)
へえ〜〜、そうなんだ。
ということで早速そういうモノがあるのかなとググってみると、


こんな記事が。
「正確な位置情報が変える世界。」
ここで紹介されている、what3wordsというアプリを使うといいらしいです。


早速、
この本に出てきた「にくじゃが」「まよう」「からし」を入れてみました。
するとココが出てきました。


首里城です。
すごいですねー。


3メートル単位で場所の特定ができるそうで、これは待ち合わせの時に便利ですねー。
なるほど。
それでは、次の6/20のPeppermint Leaf のライブの会場などお知らせしちゃおうかな。
「おうて」「こげちゃ」「くれない」
です。
わかったかな?


ということでブックレビューとはかけ離れてしまいましたが、
こういう「謎解き」みたいな仕掛けのある本ってとっても楽しいですね。


本題に戻って、
私が最後にジーンときたのはこの終わりの文章。


「これから毎日全てのものは変わる。(中略)役に立つかどうかなんて今はわからない。でも、なにか突発的な、爆弾や大嵐、大きくて悲しいできごとによって、この景色が全く変わってしまって、みんなが元どおりにしたくても元の状態が全くわからなくなった時に、この情報がみんなの指針になるかもしれない。まったく全てがなくなってしまったとき、この資料がだれかの困難を救うかもしれないんだと、未名子は思った。」


最近のアニメ映画「鬼滅の刃」や「シン・エヴァンゲリオン:II」を見た時にも思ったんですが、美しく描かれた日本の原風景を見て、この田んぼや畑、桜の花や菜の花、田植え、古い田舎の駅舎、、ができるだけ無くならずにいつまでも残って欲しいなと、つくづく感じます。
それは容易いことではないかもしれませんが。


壊すのは一瞬。
でも作り上げるのは時間がかかる。


「そんなことはないほうがいい、、、」という未名子の思いはそのまま作者の高山さんの思いなのだと思います。
昨日と同じ日常が、何も心配しなくてもあたりまえに続く世界。
そういう世界を望んでもいいのではないか、と思います。


少し先の未来に今を振り返った時、2021年という時はどういう風に語られるんだろう?とたまに思います。
新型コロナという未知の「敵」(?)に振り回された時代。


明日のことがどうなるかわからない、そういう緊張状態だからこそ、何事にも動じない物静かな未名子のような淡々とした生き方に憧れを感じます。
背筋をピンと張って宮古馬に跨る未名子のように、私も「こうであって欲しい未来」を静かにイメージし続けていこうと思えた、そんな小説でした。
興味をもたれた方はぜひご一読をオススメします。

 

 


北野唯我著『天才を殺す凡人』

2020-10-04 | おすすめ本

ヤスくんが図書館から借りてきた本。
一気に読みました。


「あなたは凡人?秀才?それとも天才?」
カバー裏には「公開後瞬く間に30万PVを超えた、大人気ブログ「凡人が、天才を殺すことがある理由。」が物語となって書籍化。」とありました。


「この世界は天才と秀才と凡人でできていて、三者は殺し合うことがある」という作者の理論。
この理論をわかりやすく物語にしたものがこの本です。


この本にはいろんなキャラクターが登場します。
以下【解説】より。


上納アンナ・・・天才。病める天才。
神咲秀一・・・秀才。エリートスーパーマン。
上山・・・秀才。サイレントキラー。
横田・・・凡人。最強の実行者。
青野トオル・・・凡人。共感の神。
ケン・・・天才。すべてを理解する者。


主人公青野トオルの目を通して書かれた物語。
「会社あるある」だなーと思いながら、青野にアドバイスをしていく「ケン」(なんとハチ公)という存在が、この世界の仕組みを語ります。
『夢を叶えるゾウ』に登場するガネーシャとか『嫌われる勇気』に登場する先生のような存在です。


この本の登場人物の9つのキャラクターはこちら。


天才・・・「創造性」に価値を置く人種。しかし「人への共感」「説明力」が弱く、
     「多数決の力」で殺されることも多い。
秀才・・・組織やチームに「再現性」をもたらす天才の相棒。
     ただし天才への「強烈なコンプレックス」があることも。
凡人・・・人々の気持ちを理解し、サービスや会社への「共感を生む力」が強い人。
     ただイノベーションを殺す存在にもなる。
エリートスーパーマン・・・「高い創造性と論理性」を兼ね備えるザ・エリート。
              投資銀行などに存在。共感性はゼロに近い。
最強の実行者・・・何をやってもうまく行く「極めて要領の良い」人物。
         結果多くの人を巻き込める。最も「モテる」存在。
病める天才・・・一発屋のクリエータータイプ。凡人の気持ちを理解する優しさを持つが、   
        「再現性」がなくムラが激しい。
サイレントキラー・・・秀才の亜種。「ロジックと効率」を武器に、ひそかに組織を蝕む。とても厄介な存在。
共感の神・・・凡人タイプの究極進化系。「あまりに共感性が高くて、
       誰が天才かを見極めること」ができる稀有な存在。
すべてを理解する者・・・創造性、再現性、共感性のすべてを兼ね備えた存在。


とっても面白く読めました。
自分がどのタイプかということは置いておいて、この本に書かれてることは、全ての人の中にある「才能」つまり「天才」が「凡人」によって殺されようとしているこの世界に、そろそろ「NO」と言いませんか?ということだと思いました。


作者の北野さんのあとがきにあった言葉。
「私は誰かが新しいことにチャレンジするときに邪魔をしたり、足を引っ張ったりする人や、物に対して猛烈な怒りを感じます。
世の中には、国籍や、職業、生まれなど、「その人のせいではない理由」だけで、足を引っ張られていることがまだまだ山ほどあります。私は小さい頃から、そういう環境やシチュエーションをみると、憤りを感じていました。その背景にあるのは、「人や自分の可能性を信じたい」という未来への執着だと思います。」(本書 P226より抜粋)
本当にそうだなと思います。


この本の初版が出版されたのは2019年の1月。
そして2020年になって世界は大きく変わりました。
どの業界においても、再現性や効率といった「秀才」の得意分野は大きく打撃を受けました。
今までのルールが全く機能しないコロナ禍という特殊な時代において、今こそイノベーション(新しいアイディア)が求められています。


世界が求めている「天才」はあなたの中にいるのかもしれない。
その「天才」を「凡人」のあなたが殺さないで世に出してあげることが大事かな、と思います。


今みんなが薄々感じていることは「未来はどうなっていくんだろう」ということ。
今は、まるで突然戦中下に巻き込まれたようです。
予定調和で予測可能だった明日が、全く予測できないようになってしまった。
今日ふと「今から10年後も世界中の人がマスクをしている世の中になったとしたら」と考えてゾッとしました。「そんなことはイヤだ。」と思っている人たちが日夜、最前線でワクチンや薬やコロナに負けない最強の健康についての研究を重ねています。


私にできることは何?
私は私に生み出せるアイディア(天才)を殺さずに育てて世に出すこと。
そのために自分自身から出てきた言(ことば)をきちんと発すること、だと思いました。


偉い人が言った、ビジネス書で学んだ、成功者が語った、友人たちの間で流行った、鎧のようにまとった借り物の言葉。そんな言葉ばっかりのSNS。
そんな中で自分自身の心をさらけ出す本心(本当の言(ことば))を発するのは少し怖い。どうしてか?
「本当の言」は無防備で打たれ弱くて、傷ついた過去があって、そうなって欲しいと心から信じたのに思うようにいかなかった経験があるから。


だけど私も、勇気をもって本当の言、本当の音を発する自分でありたい。
この本を読んでそう思いました。


人生はいつ終わるか誰にもわからない。
どんなに傷ついても、本心じゃないと、ヒリヒリするような真実じゃないと生きている意味がないしね。


最後にケンの言葉を転載します。

「おめ、こんなことないか? 夜中に、めちゃくちゃ面白いことを思いついて見て、メモった。明日すぐに発表してみようと思う。ワクワクする。だども、翌朝見直して見たら急に『全然筋が悪そう』に見える。結果、昨日の自分がなんかバカみたいで恥ずかしく思い、メモを削除する。・・(中略)実際、この時のプロセスってのは、頭の中で、天才→秀才→凡人の三者が、順番にポコポコ出てきているんや。君の中にいる『天才』が思いついたアイディアを、社会的な基準やロジックで『良いか悪いか』を判断するのが、秀才や。そして最後に『恥ずかしい』とか『周りからどう思われるか』と感情で判断する。結果、やっぱりやめとこう、と凡人が出てきてしまう」


「んだ。つまりな、たしかに世の中には天才中の天才がいる。彼らと君が同じ土俵で戦ったら勝てるわけない。それは事実や。やけどな、それと『君の中にも少なからず、天才がいる』。これは全く別の話や。そして人は『才能があるか、ないか』だけにフォーカスしようとする。だどもな、才能を活かせないのは、才能があるかないかより前に『ストッパーとなる存在』を取り除くことのほうがはるかに大事なんや。これが『本当の自分になる』ための方法論なんや」


今日から私もまた「本当の自分になる」旅を始めようと思います。

 


村上春樹 『一人称単数』 (ネタバレあり)

2020-08-05 | おすすめ本

昨日はライブ動画の撮影があり、楽しくもちょっぴり緊張の一日だった。。
その後はちょっと息抜きに本屋へ。
本屋さんに足を運ぶのもの久しぶり。
今日買った2冊は村上春樹の短編小説集『一人称単数』と高山羽根子著で今年の芥川賞受賞作の『首里の馬』。
まずは村上春樹、早速読みました。


ちょっとだけ感想を書いてみようかなと思います。
ここからはネタバレありです。


村上春樹の小説は3年前に『騎士団長殺し』を読んでから3年ぶり。
村上節ともいうようなリズミカルな文体と細やかな描写は短編でも如何なく発揮され、こちらをあっという間に物語の中に引き込んでしまう。
この感じが実に心地いい。小説ってこうじゃなくちゃね!!


実際には『文學界』という雑誌に2018年7月号から寄稿された7作に、書き下ろし一作を加えた8つの短編小説集なので、1つ1つの物語にはあまり関連性は見られない。
でも小説なのか随筆(エッセイ)なのか曖昧とした感じとか、事実のようでどこかしらファンタジーな感じとか、やっぱり村上春樹は独特だなーと思わされる。


どの物語もとっても好きだけれど、中でも一番心惹かれたのは、
『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』
主人公の「僕」が大学生の頃に書いた、架空のレコード批評。
1955年に亡くなったサックス奏者のチャーリーパーカーが、人知れず闘病生活を送っていて60年代になってボサノヴァに興味を持ち、アントニオ・カルロス・ジョビンと共演した録音テープが見つかったという設定で書いた架空のレコード批評から始まるこの物語。


物語の後半で、チャーリー・パーカーが「僕」の夢の中に現れ、実に『コルコヴァド』を演奏するシーンの、それはそれは美しい描写。


「その音楽をいったいどのように表現すればいいのだろう。バードが僕ひとりのために夢の中で演奏してくれた音楽は、あとから振り返ると、音の流れというよりはむしろ瞬間的で全体的な照射に近いものであったように思える。その音楽が存在していたことを僕はありありと思い出せる。しかしその音楽の内容を再現することはできない。時間に沿ってたどることもできない。曼荼羅の図柄を言葉で説明することができないのと同じように。僕に言えるのは、それは魂の深いところにある核心にまで届く音楽だったということだ。それを聞く前と聞いた後では、自分のからの仕組みが少しばかり違って感じられるような音楽──そういう音楽が世界には確かに存在するのだ。」
(本文65ページより転載)


主人公の「僕」が夢の中で聞いたその音楽を、あたかも私自身も知ってるような気さえしてくる。
音楽もない、映像もない、文字だけでこれだけの感覚を人の心に呼び起こせることができる文章ってあるんだなあ〜って感心します。


作曲とかレコーディングとか、ジャケット作成とか、右脳を酷使する日々だったので、脳内の言語野とイメージ野が刺激されるこの感覚が脳内マッサージみたいで気持ちいい〜。


もう一つ好きだった物語は『クリーム』。
ここでは主人公の「僕」が予備校に通っていた頃、ある女の子から招待されたピアノの発表会の会場に出向くも、その場所は門が閉まっていて人っ子一人いなくて、僕は途方に暮れてしまう。
仕方なく座っていた公園の四阿(あずまや)のベンチで突然現れた老人に言われた言葉。


「中心がいくつもある円や」


「ええか、きみは自分ひとりだけの力で想像せなならん。しっかりと智恵をしぼって思い浮かべるのや。中心がいくつもあり、しかも外周を持たない円を。そういう血のにじむような真剣な努力があり、そこで初めてそれがどういうもんかだんだんに見えてくるのや」


「きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。わからんことをわかるようにするためにある。それがそのまま人生のクリームになるんや。それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや。」
(本文より抜粋)

人生ではたまに、何故そうなったのか答えの出ない、説明のつかない出来事が起きる。
そういう問題に出くわした時、私たちの頭はしばし固まってしまう。
だけど。
それはきっと「しょうもないつまらんこと」なのかもと思う。
それは新型コロナであり、オリンピックの延期であり、豪雨災害であり、ありとあらゆる不条理なことであり。
そういう出来事に出くわした時にこの物語を思い出したい。


私が考えたい「むずかしいこと」は何か?
人生のクリームをいつか味わえる日に向けて、私は私の頭で考えていかなくちゃね。


あ、あと『謝肉祭』という物語の中で使われた、ルビンシュタイン演奏のシューマンの「謝肉祭」のYou Tube動画をチェックしたら、「『一人称単数』からきました」というコメントが何件かあって、やっぱり本を読んで曲を聴いてみたくなった人っているのね〜と感心。もちろん、私もその一人です。


また聴きたくなるかもしれないので、ここにも紹介しておきます。



さて。
またそろそろ新曲を書こう!!



苫米地英人 『新・福音書〜禁断の自己改造プログラム』

2020-03-03 | おすすめ本

新型コロナの感染拡大でいろんなイベントが中止になったり落ち着かなかったり。
それならいっそ日頃できないことをしようと断捨離を始めました。
そうすると今まで自分や夫が買ったけど読んでなかった本がドッサリ出てきて、読みたい本が山積みに。
そんな理由で手に取った、苫米地英人博士の『新・福音書〜禁断の自己改造プログラム』、読了しました。


この本はハッキリ言って、スゴイかも。
これを実践して私自身が「改造」できたら、ホントに凄かったということになりますね。


まず苫米地博士がこの本の中で言ってるのが、
「奴隷の人生を今すぐやめなさい」ということ。
夜寝ているときに突然、不幸感に襲われることがあるとしたら、それは「奴隷の人生」を生きているということ。「奴隷の人生」とは「他人または社会の価値観に基づいて理想を追求し、それに沿ってつくりあげた人生」のこと。そんな人生を生きてたら、死ぬときに後悔しますよ、ということです。


他人の目を通して理想の自分像をつくりあげ、そこに「なりたい自分」を重ねることは、もうやめにしませんか?
社会が当たり前の価値観としている「競争に勝つこと=幸せをつかむこと」という洗脳から、そろそろ脱出しませんか?
自分が本当に望む自分とはどんな自分なのかを、自分の心で感じ、自分の頭で考え、自分で発見しようではありませんか。そうして他者に洗脳された「自我」を書き換え、「幸せ」というゴールが見出せれば、自ずとそこに向かうプロセスそのものを「幸せ」に感じるはず。嬉々として、日々を生きることができます。
(本書プロローグ 7ページより抜粋)


本の中では、自分の「なりたい自分」を発見し、その自分への「内部表現の書き換え方」が丁寧に書かれています。人間の脳を徹底的に研究し、オウム信者の脱洗脳プログラムにも大きく貢献された苫米地博士の自己洗脳のための方法論と言ったところでしょうか?
逆腹式呼吸という呼吸法を利用しての瞑想とイメージング、そして未来と自分自身を自由に操れる「自由意志の獲得」。
1回ではなかなか理解できませんが、何度も読んでトライしてみようと思います。


ここをお読みの皆さんも「私の人生、こんなはずじゃなかった」と思っている人もいるかもしれませんね。
そんな方にはぜひこの本をオススメします。


この本が書かれたのは2007年。
そこから4年後の2011年に3・11の東日本大震災が起こり、自然災害に襲われ続けた平成が終わり、令和の時代に突入。そして2020年の今、中国の武漢から始まって世界を脅かす新型コロナウィルス騒ぎであらゆる日常活動や経済活動がストップ。
順風満帆に見えた自分の人生が、足元から崩れ落ちているような危機感に襲われている人ももしかしたら多いかもしれません。


今こそ「自分の人生を生きる」ことを決心することが必要。
もし苦しいことや悲しいことがあっても、死ぬときに「この人生ならもう一度最初から生きてもいいな」と思えるような後悔のない人生を、あなたも生きられるといいですね。


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紙の本の方が良い人はこちら。