今日から8月。
なんだか「あっ」という間に7月が駆け抜けた感じです。
時間が経つのがめっちゃ早いです。
映画ファンデーということで今日は映画を観に行きました。
宮崎駿監督の最新作アニメ『君たちはどう生きるか』です。
このアニメは前情報が全くなくて内容が明かされていないということで話題の映画でした。
まずは感想。
宮崎監督らしいというか、とっても好きだな〜と思える映画でした。
これまでのジブリ映画のいろんなシーンを彷彿させるような場面も盛り込まれてあって、そしてCGではない手描きのアニメにこだわるジブリの良さに溢れた映画だったなと思います。
今日の感想はこれくらいにしておこうかな。
個人的にはポスターに使われている「アオサギ」など鳥が色々出てくるので嬉しかった。
特にインコ。インコLOVEな私にとっては「インコあるある」な場面もたっぷり。
ジブリ映画のキャラクターは、本当にどのキャラクターにも愛すべきところがあって、そこもいいんですよね。
さて私は私の人生とどう向き合っていこうかな、って最後に考えさせられたり。。
機会があればもう1回観たいと思う映画です。
そして、こちらは米津玄師による主題歌「地球儀」
ヨナ抜き和メロの相変わらずの米津節。
『檸檬』のサビと似てるなあ〜とは思いましたが、いい曲ですね。
ということで。
どんな映画かネタバレが気になる人は、
こちらもオススメです。
映画『怪物』を観ました。
「怪物」という言葉と映画のポスター。そのイメージはおどろおどろしくまるでホラー映画のよう。
でも映画を見終わった後の清々しさ、そして切なさ、世界を優しい眼差しで見てみようと思う自分の変化。
これほどの名作はなかなかないかもしれないです。
見終わってしばらく経ちますが、感想を書いてみたいと思います。(後半にネタバレあります)
作品についての解説とあらすじはこちら(HPより)
【転載開始】
『万引き家族』でカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドールに輝いた是枝裕和監督が、「今一番リスペクトしている」と語る脚本家の坂元裕二と初タッグ。坂元は『花束みたいな恋をした』やTVドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」などで圧倒的な人気を博す、新作が待ち望まれる脚本家だ。また音楽は、『ラストエンペラー』や、『レヴェナント:蘇えりし者』など、海外でも第一線で活躍した坂本龍一。映画史上、最も心を躍らせ揺さぶる奇跡のコラボレーションが実現した。
出演は、安藤サクラ、永山瑛太、田中裕子ら変幻自在な演技で観る者を圧倒する実力派と、二人の少年を瑞々しく演じる黒川想矢と柊木陽太。その他、高畑充希、角田晃広、中村獅童など多彩な豪華キャストが集結する。
いったい「怪物」とは何か。登場人物それぞれの視線を通した「怪物」探しの果てに、私たちは何を見るのか。その結末に心揺さぶられる、圧巻のヒューマンドラマ。
「Story」
大きな湖のある郊外の町。
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。
それは、よくある子供同士のケンカに見えた。
しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、
大事になっていく。
そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した―。
【転載終了】
これだけ読むと、なんだかホラーですよね。
でも実は。。。(ここからはネタバレありの感想です)
まずこの映画の脚本は坂元裕二。「花束みたいな恋をした」と紹介されているけど、ある年代にとってはTV「東京ラブストーリー」「カルテット」そして「大豆田とわ子と3人の元夫」の脚本と紹介した方がストライクじゃないかなあ。
まあ、それは置いておいて。
とにかくまず俳優さんがどの人も素晴らしい。
前半のストーリーは、安藤サクラ演じるシングルマザーの麦野早織の目線で描かれる。
近所の雑居ビルで火事があって、それをベランダから眺めるシーンから始まる。親子の日常。
夫亡き後、一人でクリーニング店で働きながら小学5年生の息子を育てる母親。思春期に差し掛かって何を考えているのかわからない息子。水筒に泥水が入っていて、理由を聞くと「実験。」と答えたり、玄関に運動靴が片方なかったり、、モヤモヤの毎日。
そんなある日、顔を怪我して帰ってきて、理由を聞くと「担任の先生に打たれた」と言う息子。
たまりかねて学校へ駆け込む早織。
ところが、学校の対応は薄気味悪い。とおり一遍のことしか言わないうつろな目をした校長。ただ頭を下げて「申し訳ありませんでした」と繰り返す教師たち。永山瑛太演じる新人の担任の保利先生に至っては、教育が行き届いてないんじゃないの?と思ってしまうほどいい加減に見える。
「私が話しているのは『にんげん?』」と詰め寄る早織。
早織目線の世界は「怪物」だらけ。
息子、息子の友達、校長、担任、、さながら学校は怪物の巣窟。
「怪物だーれだ」
というキーワードはこの映画のラスト近くで明らかになる。
映画のストーリーは何度も繰り返す形で描かれる。
キーになるシーンは最初の「火事」のシーン。
この火事のシーンが出てくることによって、見る人の時間を巻き戻す。
何回も巻き戻されて、その時の主役が変わっていく描き方は坂元裕二の真骨頂。
俳優は同じ場面の演技を何度も演じることになり大変だけど、見る側の気持ちは段々と変わっていく。
「え?これってこういう意味だったの?」
映画のラストに向けて、解きほぐされていく「モヤモヤ感」。
私たちって、いかに「自分目線」だけで物事を見ているんだろう、と思う。
「自分目線」の時って、本当に世界は怪物だらけで薄気味悪い。
あの人は、こう思っているんじゃないの?
自分はこんなに頑張っているのに、私の(俺の)気持ちをなんでわかってくれないの?
あの人って、頭おかしいんじゃないの?
周りは敵だらけ、鬼だらけ、怪物だらけ。
でも、、
ほんとは怪物なんていなくて、私が誰かに「怪物」という「レッテル」を貼っているだけと気付かされる。
「人に言えないことは、音楽で言うんだよ」
田中裕子演じる校長の言葉でトロンボーンを吹く湊。
人は誰でも「人に言えないこと」を抱えたまま人生を過ごしている。
「僕たち生まれ変わったの?」
「いや、そのままだ。変わってない。変わってなくて良かった。」
ラストのシーンで流れる坂本龍一の「AQUA」。
緊迫感の続いた映画に、一瞬でホッとする空気を醸し出してくれる。
「あ、この曲知ってる。懐かしい。」
私じゃなくても誰もがそう思うだろう。
坂本龍一がもし生きていたら、そしてもし生きていてこの映画を見たら、どんな感想を持つのかな。
映画を見る前と観た後で、人や世界を見る目が少し変わる映画。
私たちは「理解しよう」という目線を持ちたい。
世界は敵ではない。
理解できないものを遠ざけたり、変えようとしたりしなくてもいい。
早織の目線で始まり、湊の目線で終わる映画。
「何で生まれてきたの?」から「生まれ変わらなくて良かった。」と変わっていく湊のように、
「私は私で良かった。生まれてきて良かった。」と思える優しい世界を作っていきたいと思わされる映画。
まだ観てない方にもオススメです。
Facebookでお知らせを知って、映画『BLUE GIANT』を観に行きました。
2013〜2016年にビッグコミックで連載された漫画のアニメ化で、音楽が上原ひろみ!!
これは行くしかない!!ということで初日に行ってきました。
公式ページはこちら。
すごい迫力で本当に感動でしたーー。
原作は読んでないので、仙台出身の主人公が「世界一のジャズプレーヤーになる」という目標を掲げて成長していく物語、くらいしか認識はなかったんですが、音楽やってる人だったらきっと胸がぐっと熱くなるセリフや場面がいっぱいあるんじゃないかなー。
ラストの演奏は本当に涙もの。。。
ストーリーもさることながら、ライブのシーンが全体の4分の1を占めるということで、ライブシーンの描き方もなかなか素晴らしいなあと思います。
ここからはネタバレ含みます。
原作は音楽の漫画と言っても曲があるわけじゃいので、沢辺雪祈(ゆきのり)が作曲したというJASSのオリジナル曲も原作には音がないわけで、それがどんな曲かで映画の出来不出来が左右されてしまうわけですが、上原ひろみの楽曲がどれも良くて、それがこの映画を一層素晴らしいものにしてると思います。
特に素晴らしいのはソロ演奏場面。
「モーションキャプチャー」というCGの手法で、3人の音とアニメーションに違和感がないように指の動き、サックスや体の動き、スティックやペダルの動きも丁寧に作られているところ。
まるで実際のライブを見ているかのように、自然で迫力のある画が作られているところが本当にすごいなと思います。
そのほかには、ドラムの玉田が全くのド素人から猛練習ですごい演奏をできるまで成長していく過程。
ドラマーの石若駿さんの素人ドラムぶりがこれまた素晴らしい。
そしてピアノレスの宮本大とサックスと玉田のドラムとのデュオ演奏の時の猛烈なソロ。
ここは本当に劇場の大音量で聴いてほしいところです。
ラストの涙ものの演奏は原作にはない映画のオリジナルだそうですが、
病院から「So Blue」にやってきた右手に包帯をした雪祈がアンコールで1曲だけ一緒に演奏するわけですが、そこでの演奏は当然だけど上原ひろみも全て左手だけ演奏しています。それがねえ、、また泣けるわけですよ。左手のみでのピアノソロだけどもちろんちゃんとソロとして成立していて。
ピアノソロ明けのサックスソロに本当泣けます。
本当に3人とも最初で最後の1回きりの演奏を全力で燃やし尽くしているという熱い気持ちが伝わってきますね。
上原ひろみが左手だけでソロ演奏をすることはこの映画以外ではないと思いますから(その必要もないしね)、とっても貴重な演奏シーンだと思います。
そんなわけで、見どころいっぱいの『BLUE GIANT』。
ぜひ公開中に劇場で大画面、大音量でご覧ください。
予告編はこちら。
映画の中で演奏されるJASSのオリジナル曲「N.E.W.」めっちゃカッコいい!!
サントラもおすすめです!!
映画ファンの日、ということで『レジェンド&バタフライ』を観にいきました。
ご存知、木村拓哉と綾瀬はるかによる織田信長と濃姫の物語。
期待以上に面白かったです!!
ネタバレありで感想を書いてみたいと思います。
まずは公式サイトの映画紹介文より。
【転載開始】
政略結婚でむずばれた、格好ばかりの織田信長(木村拓哉)と密かに信長暗殺を目論む・濃姫(綾瀬はるか)は、全く気が合わない水と油の関係。ある日濃姫の祖国で内乱が起こり父が命を落とす。自身の存在意義を失い自害しようとする彼女に、再び生きる意味と場所を与えたのは、他でもない信長だった。そんな信長もまた、大軍に攻められ窮地に立たされた時、濃姫にだけは弱音を吐く。自暴自棄になる彼を濃姫はこぶし、二人は桶狭間の激戦を奇跡的に勝ち抜く。これをきっかけに芽生えた絆は更に強くなり、いつしか天下統一が二人の夢となる。しかし、戦さに次ぐ戦さの中で、信長は非常な“魔王”へと変貌してゆく。本当の信長を知る濃姫は、引き止めようと心を砕くが、運命は容赦無く<本能寺>へと向かっていく。<魔王>と恐れられた信長と、<蝶>のように自由を求めた濃姫。激動の30年を共に駆け抜けた二人が見ていた、“本当の夢”とはーー。
【転載終了】
ここからはネタバレ注意です(以下、ネタバレいやな人は読まないでね)。
まず、制作費20億円という巨大な制作費をかけているだけあってセットやロケがすごい。
エキストラの数も半端ない多さ。最近の映画ならCGでやっちゃうだろうなというシーンもかなりリアルに役者さん使ってるなあという印象でした。
殺陣(たて)のシーンもかなり激しかった。京都に迎え入れられた二人がお寺をこっそり抜け出して、町民になりすまして伴天連(バテレン)の音楽に合わせて踊ったり、金平糖を買ったりするほのぼのシーンから一転して、スられた財布と金平糖を取り返しに行った信長と濃姫が貧民たちに刀を抜いてしまうシーンなどは、見ていて痛々しく思えるほど激しいものでした。
それから、比叡山の延暦寺に攻め入った延暦寺の焼き討ち、明智光秀が本能寺に攻め入る本能寺の変、などは炎がこれでもかというくらい使われていて、これもどうやって撮ったのかと不思議に思えるくらい。
馬に乗って走ったり弓を引いたり、役者さんって本当に何でもやるんですね、、と感心したり。
私も一度だけ乗馬を経験したことがありますが、映画の中で役者さんがいとも簡単に馬を乗りこなすんだけど、あんなに走るのは絶対にムリ〜〜と思ってしまいます。
史実に基づいたストーリーながら、オリジナルで印象的だったのは最後の最後のシーン。
本能寺に立て籠った信長がいよいよ終わりかと思われた時、寺から逃げ出して病床の濃姫を迎えに行き、二人で異国の船に乗って海の向こうの地を目指すというシーン。映画「タイタニック」を思わせるビジュアルの美しさにホッとさせられるシーンです。信長が最期に観た一瞬の白昼夢。信長と濃姫の夢を描く独自のストーリーではありますが、このシーンを挟むことで信長と濃姫の非業の死の重苦しさも少し和らいだ印象です。
木村拓哉も綾瀬はるかもそのほかの俳優さんもベテラン揃いで、本当に観ていて入り込める映画でした。
若い頃の織田信長の登場シーンはチャラチャラしていて、「あらあら、やっぱりキムタクだね〜」と思いましたが、それだけに後半の迫真に迫るシーンとの対比が良かった。綾瀬はるかは最初から最後までキリッとして美しかったですね。周りを取り囲む中谷美紀や伊藤英明の演技も良かったし、圧巻だったのは斎藤工の徳川家康。
エンドロールで名前を見て、「え〜〜〜〜!?!?」ってなりました。
特殊メイクで全然わからなかった!!さすがは怪優です。
というわけで、あっという間の3時間。本当に見応えのある映画でした。
戦国時代から安土桃山時代、そして江戸時代。私の中では、日本の歴史の教科書の中にしか存在しない物語だったけれど、その時代にも人は生きて夢を描いて絆を結んで、喜んだり悲しんだり、笑ったり泣いたりしてたんだなとあらためて思います。
その時代を生きた命があって今がある。
多くの人たちの犠牲の上に今の平和な日本があるのだから、この平和に感謝して大切にしていきたい、そして世界中が平和になるように祈り続けたいと改めて思いました。
「我、人に非ず」と言った織田信長だけど、やはり多くの人を率いることができた理由は、やはりその人としてのカリスマ性と魅力だったんだろうと思わされます。
予告動画はこちら。
東映が総力を上げて作ったと思われる映画『レジェンド&バタフライ』。
これはやはり大画面の大迫力で観られることをオススメします。
いや〜〜、映画って本当にいいものですよね。
『Coda コーダ〜あいのうた』をAmazon Prime Video で鑑賞。
2022年アカデミー賞4部門を受賞した作品。
劇場公開の予告編で見たいなあと思ってはいたんですが、公開中は見損なって自宅での映画鑑賞となりました。
ちょっとだけ感想をレポしてみたいと思います。(以下ネタバレあり)
まずは作品紹介。
「家族の中でただひとり耳の聞こえる少女の勇気が、家族やさまざまな問題を力に変えていく姿を描いたヒューマンドラマ。2014年製作のフランス映画「エール!」のリメイク。
海の町でやさしい両親と兄と暮らす高校生のルビー。彼女は家族の中で1人だけ耳が聞こえる。
幼い頃から家族の耳となったルビーは家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。
新学期、合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気づいた顧問の先生は、都会の名門音楽大学の受験を強く勧めるが、 ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられずにいた。
家業の方が大事だと大反対する両親に、ルビーは自分の夢よりも家族の助けを続けることを決意するが……。」
(映画.comより転載)
コーダって勝手に音楽用語のCODAマークのことかなと思っていたんですが、Children of Deaf Adult の略で、耳の聞こえない親をもつ子どものことだそう。
主人公のルビーは両親と兄が耳が聞こえず家族で一人だけ耳が聞こえる子ども。
毎朝3時に起きて家族の漁業を手伝いそれから学校へ行くという毎日。
ルビーが住んでいるのが自然が豊富な田舎町で家族の仕事が漁業という映画の設定もちょっと新鮮でした。
家族4人が本当に仲が良くて、クスッと笑える微笑ましいシーンもたくさん。
この映画のルビー以外の家族3人はもともと耳が聞こえない俳優さんから選ばれたそうです。
耳が聞こえないことがオーディションの条件になるって珍しいですね。
なるほど演技も手話も違和感がなくて本当に自然体でした。
お母さん役のマーリー・マトリンは『愛は静けさの中に』で主演女優賞も受賞した女優さん。
お父さん役のトロイ・コッツァーも今回の作品で助演男優賞を受賞。
このマーリーとトロイの2人の演技が、ほんとにコミカルでホロっとさせるとても素晴らしい演技で、家族っていいな〜って思わせてくれました。
アメリカでは、音楽でも映画でも舞台でも身体障害者の人たちがどんどん活躍していて、才能があればどんなことでもチャレンジしていい感じがあります。ラスベガスで観たマイケルジャクソンをオマージュしたシルク・ド・ソレイユの『ONE』とう作品の舞台にも確か義足のダンサーが出演していたと思います。
日本ではまだまだ身体障害者の俳優さんは少ないので、そういう人たちにもっともっとチャンスが開かれるといいですね。
作品の中で、ルビーのコーラスクラスの発表会で、ルビーと同級生のマイルズがデュエットを披露するというハイライトシーンで、途中から無音になるという演出があるのですが、これはルビーの家族の感覚を映画を観ている私たちにも疑似体験させる独特のシーンでした。
無音の演出は『ドライブ・マイ・カー』でもありましたが、光も音が溢れかえった今の時代、結構長い時間の無音の演出は特別な感覚を沸き起こすものだなと思いました。
耳が聞こえない人の気持ちが少しはわかったような気がしました。
人々の多様性を受け入れようというダイバーシティの取り組みはいろんな分野で進んでいます。
人やモノや情報の行き来が増えれば増えるほど、他人やほかの文化を理解することはさらに重要になってきますね。
他人の全ては理解できなくても、わからないことを少しでもわかろうとしたり、人と人は違いがあって当然で嫌ったり恐れたりする必要はないという感覚が持てたら、いろんなことがもっと楽しくなってくるんじゃないかな、と思います。
『Coda コーダ〜あいのうた』の公式サイトはこちら。
今ならAmazon プライムで無料で観られます。(紹介はこちら)
まだ観てない方はぜひ。
映画『ソロモンの偽証』(前・後編)をWOWOWオンデマンドで鑑賞。
2015年の映画で、結構話題になった作品です。
あらすじや見どころはWikipediaにもまとめられているので、簡単に。
この映画は中学2年生のクリスマスの朝、屋上から落ちて亡くなっていたクラスメイトの柏木が、自殺だったのか他殺だったのか、原因は何なのか、他殺だったとしたら真犯人はだれなのか、それを自分たちで学校内裁判をすることによって真相を突き止めようとした物語。
ここからネタバレありで感想を書きます。
以下はネタバレを知りたくない人は読まないでね。
結論から書くと、柏木は自殺。
でもそこには複雑に絡み合う社会の歪みがあった。
学校でのいじめ、いじめっ子の家庭での父親のDV、いじめられる子の悩み、不登校、自殺をほのめかして友情を試そうとする複雑な心理、いじめから友だちを助けられない子の悩み、葛藤、自己嫌悪、、、。
子どもだけでなく大人社会も同じような構図はどこにでもある。
間違いを正して弱い人を助けましょう。
見て見ぬふりはやめましょう。
いじめの現場を目撃しても助けることができない涼子に「どうして助けないの?君はいつもいじめはいけないって言ってるよね。そんなの口先だけの偽善者だ」と罵る柏木の言葉はある意味では正しい。
「僕は死ぬことにしたんだ」と死をほのめかす柏木。
「そんなのはいけない」と自殺を止めようとする神原。
「君はよく生きていられるね。人殺しの息子なのに。」
父親がDVで母を殺しその父も刑務所内で自殺したという過去を持つ、そんな神原の心の痛みをグイグイ突いてくる柏木は本当に性根が悪い。
それでも柏木の自殺を止めようと、柏木の指示通りに指定された電話ボックスから電話をかけ、最後に学校の屋上に来た神原に「もし帰るんなら僕はここから飛び降りるよ」と脅す柏木。
そんな柏木に、神原でなくても「死にたいなら勝手に死ねばいい」と言いたい気持ちになる。
2月24日から始まったロシアとウクライナの戦争はまだ続いている。
ロシアによるウクライナ軍事侵攻と報道される。ロシアがウクライナをいじめている構図。
でもウクライナで起きていたいじめをロシアが止めに入ったんだとしたらどうだろう。
真実はわからない。
人はどこまでが自分の責任なんだろう。
誰かが誰かをいじめ、そしてそのいじめられた誰かがまた誰かをいじめる、いじめの負の連鎖はどうやったら断ち切ることができるんだろう。
「僕を裁いてください。柏木くんを死なせたのは僕です。」と証言した神原に、
「誰もあなたを裁けない」と言った涼子。
何か問題が起きると、人はすぐ「犯人捜し」をしたくなる。
でもそれは必ずしも正しくない。
問題の原因を次から次にモグラ叩きのようにつぶしても次の問題は起きる。
もしかしたらもうその「システム」が機能していないのかもしれない。
学校というシステム、家庭というシステム、企業というシステム、国家というシステム、資本主義というシステム、効率というシステム、競争というシステム、、、。
新しいルールやシステムが求められているのかもしれない。
大きな問題を前にすると人は無力感と怒りを感じてしまう。
大きな山を小さなスコップで掘ってもその山を別の場所に移すことは難しい。
それでも諦めずに掘っていれば仲間ができて、多くの人で掘れば、大きな山でも移動させることができるだろう。
今を生きる私たち。
問題は山積み。
でもその山も諦めずに小さなスコップで少しずつ動かそう。
そうすればいつかスッキリと視界が開け解決策は見つかる。
その日まで偽善者と言われようと、嘘まみれの世界であろうと、諦めずに生きよう。
生き続けて今できることを死ぬまでやり続けよう。
そんなことを感じた映画でした。
映画『ソロモンの偽証』(前・後編)はコチラから視聴できます。
予告編はこちら。
原作は全3巻。文庫本では全6巻。
興味を持たれた方は是非。
濱口竜介監督、西島秀俊、三浦透子主演の映画『ドライブ・マイ・カー』を観てきました。
昨年の8月20日に公開されていた映画なので公開から5ヶ月経って観たことになります。
カンヌ映画祭で脚本賞など4部門を受賞した作品。
作品の予備知識は何もなく映画館で鑑賞しました。本当に心打たれる素晴らしい映画でした。
ここから感想など書いてみたいと思います。(以下ネタバレありです)
まず物語はこんな感じ。(公式サイトより)
【転載開始】
舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛する妻の音(おと)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。
喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。
人を愛する痛みと尊さ、信じることの難しさと強さ、生きることの苦しさと美しさ。最愛の妻を失った男が葛藤の果てに辿りつく先とは――。登場人物が再生へと向かう姿が観る者の魂を震わせる圧巻のラスト20分。誰しもの人生に寄り添う、新たなる傑作が誕生した。
【転載終了】
ストーリーは何のナレーションもなく、まず家福の妻、音の「語り」から始まります。
物語は登場人物の台詞だけで進んでいき、秘密を抱えたままその妻は突然亡くなります。
そして2年後、広島の地での国際演劇祭で「ワーニャ伯父さん」のキャストのオーディションと舞台監督の仕事を任された家福。家福が台詞を覚えるために車の中で聴く、亡くなった妻が吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」の台詞だけが、まるで家福の気持ちを代弁するように流れます。
この演出がすごく面白かったです。
自分の心の声に耳を傾けて来なかった家福が最後に行きつく北海道の地で、やっと自分の心からの言葉を発する。そこまで堪え続けたものを一気に吐き出すように。
このシーンは圧巻でした。
見ている私たちもまるで誰かの運転する車に乗せられているように、主人公と共に絶望から希望へと運ばれていく感じでした。
印象的だったのは、音にこだわり続けたこの映画が最後の最後の一番大事なシーンが、パク・ユリム演じるイ・ユナによる手話で語られること。
映画を見ている私たちも、演劇の舞台を見ている観客も、無音の中でただ流れるテキスト(文字)を読むということで生きる力と希望をもらえる瞬間。(最後にその台詞を紹介します。)
音のある世界から、音がいない世界、そして最後は無音のテキストの世界へ。
音がなくても言葉(テキスト)はある。
そもそも映像と音の世界である「映画という表現」の新しい可能性を見せてもらった感じでしたね。
この映画はカンヌ映画祭で日本人として初めて脚本賞ほか4つの賞を受賞したそうですが、その共同脚本を手がけた大江崇允さんの言葉がとても印象的です。
濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」第74回カンヌ映画祭コンペで脚本賞 独立賞でも3つの栄冠(2021年7月18日 05:01)より
【転載開始】
■共同脚本・大江崇允
19世紀末に誕生した『映画』という芸術は今後、何百年先にも残ることが確定したと僕は思っています。21世紀の文明が情報をアーカイブ化し、昨日生まれた映画の隣に色のない名作映画が並ぶ、なんてことが当たり前になりました。時間が失われた感覚すら覚えます。スマホの向こう側にあらゆるエンターテイメントが残り、遠い未来までなくなることはないでしょう。
図書館の本棚のように綺麗に整った装いですが、しかし畑の作物のようにそれは同じ顔にも見えます。これが現実だと思います。困難な時代と取るか、新しい世界の種が撒かれたと受け止めるのか、それは自分次第だと思います。「ドライブ・マイ・カー」では、ゴドー(神)を待ちながら、同時にアーストロフの台詞のように、数百年後の未来へと奇跡に似た『祈り』を投げています。
それが今の作家にできる、映画という可能性だと僕は考えています。そして、今映画を作ることは百年後にも残ることを想定しなければならないのではないのか、と身が引き締まる思いです。濱口竜介監督、山本晃久プロデューサー。お二人の素敵な企みの仲間になれたことを光栄に思います。ありがとうございました。
【転載終了】
村上春樹の小説はいくつか読みましたが、この『女のいない男たち』という短編集は読んだことがありませんでした。原作では、俳優の家福がある日、愛車の黄色いサーブを運転していて接触事故を起こし、病院の診断で緑内障であることが判明し、修理工場から紹介されたドライバーに車を運転してもらうことになり、そこで亡くなった妻のことを思い出すという設定だそうです。
車の運転シーンが多いこの映画の撮影に、もともと予定されていたのは韓国ロケだったそうですが、コロナで困難になり映画の舞台が広島に変更されたそうです。広島のロケ地、知ってるところがたくさん出てきてちょっと嬉しい気持ちにもなりました。
『ワーニャ伯父さん』や『ゴドーを待ちながら』などの戯曲がこの映画に盛り込まれていることも、今の混沌とした時代を反映しているなと思いますが、これらも読んだことなかったので読んでみたくなりました。
ということで、最後にこの時代へのメッセージのような、
『ワーニャ伯父さん』の中で語られるソーニャの台詞を転載します。
【転載開始】
ソーニャの台詞より
「でも、仕方がないわ、生きていかなければ!(間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長いはてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてそのときが来たら、素直に死んでいきましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなに辛い一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。すると神様は、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るいすばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい!と思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ。わたし、ほんとにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの……。ほっと息がつけるんだわ。」
【転載終了】
ほんと、そうですね。
不条理なことやどうしようもないことや手に負えないようなことも多いこの時代。
私たちも、このコロナの時代さえも、いつかなつかしくほほえましく振り返る時を思って、泣きながら笑いながら生きていきたいものです。
いい映画をありがとうございました。
先日、急に思い立って映画『竜とそばかすの姫』を観てきました。
『時をかける少女』『サマーウォーズ』などで有名な細田守監督作品。
「良かった」とか「それほどでも」とかいろんな評判はありましたが、劇場で観たいなと思って観てきました。
以下は感想です。
ネタバレ注意です。
以下は公式サイトのストーリーより。
【転載開始】
自然豊かな高知の村に住む17歳の女子高校生・すずは、幼い頃に母を事故で亡くし、父と二人暮らし。
母と一緒に歌うことが何よりも大好きだったすずは、その死をきっかけに歌うことができなくなっていた。
曲を作ることだけが生きる糧となっていたある日、親友に誘われ、全世界で50億人以上が集うインターネット上の仮想世界<U(ユー)>に参加することに。<U>では、「As(アズ)」と呼ばれる自分の分身を作り、まったく別の人生を生きることができる。歌えないはずのすずだったが、「ベル」と名付けたAsとしては自然と歌うことができた。ベルの歌は瞬く間に話題となり、歌姫として世界中の人気者になっていく。
数億のAsが集うベルの大規模コンサートの日。突如、轟音とともにベルの前に現れたのは、「竜」と呼ばれる謎の存在だった。乱暴で傲慢な竜によりコンサートは無茶苦茶に。そんな竜が抱える大きな傷の秘密を知りたいと近づくベル。一方、竜もまた、ベルの優しい歌声に少しずつ心を開いていく。
やがて世界中で巻き起こる、竜の正体探し(アンベイル)。
<U>の秩序を乱すものとして、正義を名乗るAsたちは竜を執拗に追いかけ始める。<U>と現実世界の双方で誹謗中傷があふれ、竜を二つの世界から排除しようという動きが加速する中、ベルは竜を探し出しその心を救いたいと願うが――。
現実世界の片隅に生きるすずの声は、たった一人の「誰か」に届くのか。
二つの世界がひとつになる時、奇跡が生まれる。
もうひとつの現実。もうひとりの自分。もう、ひとりじゃない。
【転載終了】
主人公のすずは高知県の田舎に住んでいるんだけれど、友人のヒロちゃんがネットに強くてすずを< U >の世界に誘うところなんて、全国の田舎に住む引っ込み思案な女子たちに勇気を与える設定。
コロナ禍でリアルに人と人とが繋がれる機会が遮断されてしまっている今の時代、< U >というアプリは、本当にあってもいいよねと思うようなアプリですね。
<U >の中で歌う自由とアイデンティティーを取り戻したBellと、同じく< U >の中で強さを追求していく竜。
竜の城で二人が向き合うシーンはさながらディズニーの「美女と野獣」のシーンそのもの。
美女と野獣の主人公もベルだから、もちろん監督もそれを意識して作ったんでしょうけど。
母親を亡くして歌えなくなった鈴と、同じく母親を亡くして幼い弟を父親の暴力から守るために強くなりたいと願った竜こと恵。そして妻を亡くしたあと娘との会話が途絶えそれでも娘を信じて見守る鈴の父と、同じく妻を亡くして子どもを厳しく育てることで責任を果たそうとする恵の父。
虐待を知って助けに来た鈴に手をあげようとした時に、立ち向かう鈴に恐れを覚えて逃げ出す恵の父親の姿は、新しい時代の変化についていけない現代の大人の姿にも思えます。
今の時代って、変化が早くて大人も子どもも生きにくい時代。
でもひとりじゃない、心は繋がっているから、共に闘おう、生きのびよう、という細田監督の力強いメッセージを感じました。
アンベイルされたBellが高校生のすずの姿で歌い出すシーン。
自分の容姿に自信がないのでお友達のルカちゃんの姿を借りて< As >の容姿を作っていたすずが、ありのままの姿で歌い出す、そして次第に< U >の住人たちも一緒にラララと歌い出すシーンは圧巻でしたが、ここでは3000人の応募された「ラララ」の歌をエンジニアさんが1ヶ月かけてミックスされたそうです。
気が遠くなりそうな作業。。。(汗)
「ラララ地獄」と言われてましたが(笑)、、、一生分の「ラララ」を聞いた気分だったでしょうね。
すずとBell役はシンガーソングライターの中村佳穂。そしてヒロちゃん役にはYOASOBIのikuraこと幾田りら。そのほか森山良子や清水ミチコ、坂本冬美、岩崎良美などなど、声優としてのキャスティングにミュージシャンが多く起用されていたのも面白かったです。
アニメーションの自由度を感じるなあー。
そしてメインテーマはKing Gnuの常田大希。
この人はとにかく本当に多才です。
こちらにメインテーマを貼っておきます。
映像の美しさもほんと素晴らしかった。
ぜひもう一度観たいです。
ここのところすっかり映画づいてます。
三浦春馬の主演映画『天外者(てんがらもん)』を見に行きました。
幕末から明治にかけて、日本の経済の基礎を築いたと言われる五代友厚について描かれた映画。
NHKの朝ドラ『あさが来た』でディーン・フジオカが演じて一躍有名になった「五代さま」といえば知る人も多いはず。
その五代友厚について描かれ、主演の三浦春馬の遺作にもなった映画。
公開からずっと見たいと思っていました。
脚本は史実を基にしたフィクションではありますが、本当に素晴らしい映画でした。
ここからネタバレありです。
まずは映画『天外者』公式ホームページ、イントロダクションより。
【転載開始】
「激動の幕末から明治初期、日本の未来のために駆け抜けた男がいた ——
五代友厚(ごだいともあつ)武士の魂と商人の才を持つこの男、薩摩藩士から明治政府役人を経て実業家となり、今日に続く商都大阪の基礎を作り上げた。東の渋沢栄一、西の五代友厚とも評される功績を挙げながらも、長らく歴史に埋もれていた。近年、多くの人の研究により、その真価が再認識される。
「名もいらぬ、実もいらぬ、ただ未来のために」とひたすら大いなる目標に向かったその志と熱い思いが、時代を超えて今、解き放たれる。
圧倒的な熱量で生き抜いた五代友厚を演じるのは主演・三浦春馬。大胆な発想と行動力、そして冷静且、緻密さと優しさを持つ、このミステリアスでさえある人物像をかつて見たことのない迫力と重厚な演技で体現した。
取り囲む盟友の坂本龍馬を三浦翔平。豪傑なエネルギーで演じ、新しい龍馬像を切り開いた。
龍馬と共に現れ後に三菱財閥を築く岩崎弥太郎を、愛嬌たっぷりの西川貴教。
そして初代内閣総理大臣となる伊藤博文の若かりし頃を、フレッシュな森永悠希。
意表を突くキャスティングが、その斬新さと俳優陣の息のあった演技で魅せた。更に五代友厚の両親として、生瀬勝久と筒井真理子が脇を固め、薩摩の上級武家の品位と葛藤を表す。一方、五代友厚の繊細さや優しさを引き出したのが、遊女はる役の森川葵。自由な未来を夢見る。はかなくも強いその姿は、現代を生きる女性の象徴でもある。また五代友厚の志のよき理解者が、蓮佛美沙子演じる妻・豊子。取り巻く女性達もまた、時代の渦の中で五代友厚に重ねた己の人生を全うする。
豪華キャストに日本の歴史を鮮やかに彩る偉人・傑物達を絶妙に配役、かつ“扇の要=五代友厚”に、三浦春馬を据えることで、“予測不能なドラマの連続で今も眩しく輝き続ける”五代友厚の熱過ぎる人生を、近代日本の夜明けと共に、瑞々しく壮大な青春群像劇として描き、満を持して世に贈り出す。」
【転載終了】
監督の田中光敏氏の「すでにたくさんの俳優さんが演じてきた幕末という時代を、今僕たちが描くなら、新鮮な若々しいエネルギーで描きたかった」という思いを形にした新しいキャスティング。とっても魅力的だったと思います。
特に五代、龍馬、弥太郎、利助がすき焼き鍋を囲みながら夢を語るシーンなどとっても良いシーンでしたね。
あのすき焼き肉は絶対美味しかったはず!!(笑)
京都撮影所のセット、衣装、キャストの方々の役作りも素晴らしく、それぞれが個性的で魅力的な人物像に仕上がってました。
本映画のプロジェクトは2013年に始まったそうで、製作総指揮の廣田稔さんが代表を務める「五代友厚プロジェクト」のメンバーの皆さんの夢が実現した形での映画公開。
新型コロナ、主演俳優三浦春馬さんの急死、など数々の困難が襲ってくる中でも、夢を諦めなかったプロジェクトの皆さんの想いは、五代友厚の遺志をただ後世に残したいという一心だったことだろうと思います。
五代友厚の言葉「誰もが夢を見られる世界」の実現は、今の日本にこそ必要な目標だと思います。
最後にパンフレットに紹介された「上に立つ者の心得」を書き留めておきます。
これは後に内閣総理大臣になり早稲田大学を築いた大隈重信に宛てて出された手紙の中に記された言葉だそうです。
(原口泉(鹿児島県立図書館長・志學館大学教授))
「上に立つ者の心得」
一、愚説愚論だろうときちんと最後まで聞いてあげること。
二、自分より地位の低いものが自分と同じ意見なら、
その人の意見として採用すること。手柄は部下に譲ること。
三、頭にきても怒気怒声を発しないこと。
四、事務上の決断は部下の話が煮詰まってからすること。
五、自分が嫌がっている人にも積極的に交際を広めること。
このような懐の深いリーダーたちによって今の日本の礎が築かれたことを思い起こし、私たちも今それぞれの仕事や立場で、日本人としての誇りを持って世界に役立っていきたいものですね。私も頑張ろう!!
いま全ての日本人に見て欲しい映画。
良い映画をありがとうございました。
予告はこちら。
お正月が明けて、ちょっと時間があったのでWOWOWで録りためていた映画を観ています。
2016年の公開作品『メッセージ』。
卵か煎餅を立てたような宇宙船のシーンが印象的な映画ポスター。
内容は全然知らなかったんですが、とっても興味深い映画でした。
以下はWikipediaあらすじ(ネタバレあり)です。
【転載開始】
世界各地に謎の宇宙船が現れ、言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)、物理学者のイアン・ドネリー(ジェレミー・レナー)、アメリカ軍大佐のウェバー(フォレスト・ウィテカー)たちが調査を始める。
ルイーズとイアンはウェバーらが指揮する宿営地に加わる。そこでの任務は宇宙船の中にいる2体の地球外生命体「ヘプタポッド」の飛来の目的を探ることだった。試行錯誤の末、墨を吹き付けたようにして描かれるヘプタポッドの文字言語の解読がはじまる。並行して、ルイーズは病で死ぬ娘とその母としての自分が登場する光景のフラッシュバックに悩まされる。過去の記憶のように感じられるが、彼女は娘を持ったことがない。
結論を急ぐ政府の要請にルイーズはヘプタポッドの目的を彼らの文字で尋ねると、 『人類に「武器=道具」を与えるために地球に来た』と解釈の出来る返答があった。これを脅威と見なした中国軍は通信回線を閉じ、ヘプタポッドとの戦争の準備を始めてしまう。
ルイーズとイアンは慌ててヘプタポッドと再度対面に向かうが、異星人を脅威と見なした一部将校が、宇宙船に爆弾を仕込み、対面の間で爆発しヘプタポッド対人類の戦端を開いてしまう。異星人の重力コントロールで助かったルイーズとイアンは、ヘプタポッドが最後に残した複雑で巨大なメッセージから、『世界中の協力により、人類にヘプタポッドの何かがもたらせる』と解読するが、もはや世界の研究者との通信回線は途切れてしまい、ヘプタポッドとの戦争が始まる寸前になっていた。
ルイーズは上空から落とされたカプセル状のものに乗り、一人円盤に乗り込んだ。そこでヘプタポッドは地球に来た本当の理由を知る。彼らは3000年後に人類から助けられるため、贈り物をするのだという。ルイーズはヘプタポッドが時間を超越していること、そしてフラッシュバックしていた光景は自身の未来であることも知る。
ルイーズはヘプタポッドの言語を学ぶにつれ、ヘプタポッドのように未来を認識することができるようになっていた。開戦が迫る中、ルイーズは中国軍のシャン上将に電話して説得を試みる。誰も知らないはずの妻の死ぬ間際のメッセージを伝えられたシャン上将は説得に応じ、戦争は食い止められ、再び世界の研究者との通信回線がつながった。世界が一つなったことを察したヘプタポッドの宇宙船は煙のように次々と空に消えていった。ルイーズはヘプタポッドが去った後、パーティー会場でシャン上将と初対面し、彼の説得に必要な携帯電話の番号と妻のメッセージを得るのであった。
撤退する宿営地の脇でイアンがルイーズに結婚を申し込む。その後イアンとの破局や、生まれる娘が早逝する運命を避けられないと知りながらルイーズはプロポーズを受け入れる。
【転載終了】
言語学者である主人公ルイーズはヘプタポッドという宇宙船にいる知的生命体の言語を学ぶうちに、その言語の思考体系になっていく。ヘプタポッドの世界には時制がないので、意識の中で時間を行き来することができる、つまり未来がわかるようになったという設定が面白い。
私たちは知らず知らずのうちに、使っている言語によってその言語の持つ時間の制約に縛られて生きているのかもしれないですね。
脳が程よくマッサージされたようで楽しい映画でした。
SFドラマということですが、もし未来を知っていても人はその運命を受け入れるのか、というような人の心がテーマのような映画にも思えました。
未来を知っていることと知らないこと、どちらが幸せなんでしょう?
前に見た『TENET』といいこの『メッセージ』といい、時間がという概念がキーワードになった映画はいっぱいあります。3次元で生きている私たちにとって時間を自由に行き来したいという願望は永遠のテーマなのかもしれないですね。
もしもタイムトラベルができるようになったら、どの時代に行きたいですか?