今はすっかり廃れてしまったような言葉ですが、晦日蕎麦という言葉をご存知でしょうか?
M子さんはある地方都市の商家に生まれました。昔の商家では慣習として月の終わりの日は使用人も忙しく晦日に安くて手ごろな店屋物のお蕎麦を振舞い新しい月を迎えるという事だったようです。
大晦日は今でも「年越し蕎麦」として今でも伝わっていますが月の終わりの晦日のお蕎麦という事は今は廃れてしまいましたね。
実はM子さんは晦日には70歳で古希を迎えております。
M子さんが子供だった頃は子供たちの楽しみと言えば美味しいものを食べるという事、そのチャンスは兄弟姉妹たちの誕生日に特別なお料理やケーキなどが食べられるという事が楽しみの一つだったように思い出します。
M子さんの誕生日は月末31日でした。
どうしても外せないこの行事にM子さんはつき合わされてしまいます。他の兄弟姉妹たちの誕生日にはチラシ寿司だったり、すき焼だったり一味違った料理が期待できたのですが、何故かM子さんの誕生日だけはいつでもお蕎麦だったのです。(トッピングはエビだったり天ぷらだたり卵がのっていたり、いろいろと豪華でしたが)
これって・・江戸時代からの商家の風習だったわけですから、どうしようもなかったことですが、子供心に「月末の忙しい時に生まれるもんじゃないなぁ・・・」と幾度も感じたことがありました。
M子さんが結婚してからはどのようにお誕生日を過ごしていたか?分かりませんが・・・
お誕生日は誰でも特別の思いがあって祝って欲しいものですね。
今回病院で誕生日(しかも古稀)を迎えることになったM子さんを思うに何か悲しい気持ちになりました。
M子さんはもう生きて居たくないかもしれません。しかしもともと体が丈夫ですから難病以外は内臓などもピンシャンしています。生きていてくれるから仕事の合間を縫って会いに行こうと私も元気でいなければという気持ちになります。
見えないところでまわりの家族たちへ見えないメッセージを送り続けています、何かと貢献をしています。
「本人は楽しみなんて何もなく辛い」とは思いますが、もう少し頑張っていただきましょう。
次はいつ逢いに行けるかな?
気が付いたことですが、難病に倒れてからどんどん髪の毛が真っ白になっていたのですが、最近M子さんの髪の毛が黒くなってきました、どうしてでしょうね?何が起きているのでしょうか?
私の場合は妹が1月6日なので、二人ともお正月といっしょくたにされ、お年玉をもらうだけでした。
お店も休みだし(まぁ、当時はケーキを食べる習慣もないので)ケーキで祝ってもらったことは一度もありません。プレゼントもお年玉なので貰ったことがありません。
学校もお休みだし友達も祝ってくれないし(笑)まったく何という日に生まれたのだろう!と・・・
確か高校生くらいの時に、母の弟がケーキを買ってくれました。それはそれは嬉しかったのを覚えています。
M子さん何を思っていらっしゃるのでしょう。意思表示がほとんど出来ないのは、ご本人にとってもまわりにとっても想像もし難い辛いことですね。
母は1月1日でお正月生まれもなんとなく過ぎてしまうと言ってました。
M子さんは辛いですし、こちらもかなり辛いです。目で反応を見て理解しているという事です。