ばばの気まぐれ日記

老後の暮らしというものはこういう事だったのかと思う日々
老後を迎えて初めて気が付くことも多い日々

80歳で愚痴だらけ

2024年06月07日 | 雑感

私は高齢ドライバーです。運転できないとなればお医者通いなどがある身には深刻な問題です。とにかく注意深くやっていくしか方法がございません。

80歳を超えるといろいろな体の変化が襲ってきます。

その年齢を迎えてみなければ分からないことも多く。「こんな筈ではなかった」の繰り返しで毎日が過ぎさ

って行きます。

昨夕 娘と3孫がお誕生祝とケーキをもって訪ねてくれました。

思いもかけない事だったので感激しました。連れ合いと暮らしていても、たぶん自分自身が病気持ちだから介護してもらって当たり前のような感覚なのでしょう。症状として身体はどこも具合が悪いのでもなくただ昔に比べてヘモグロビンが低くなって疲れやすいという事だけです。

私は少しお世話のし過ぎではないかと甘やかしすぎているのではないかと時々思います。こちらは決して労わられること等ありません。私の対応が間違っていたように感じます。でも今更づしたらよいのか分かりません。ただお世話をして自分で勝手に疲れて疲労困憊してという悪循環です。連れ合いはそれを当たり前と思っています。だから感謝したり有難いと思う事もないのでしょう!

都合の良い時は「自分は病人だから」と何もしない生活が当たり前のように過ぎ去っていきます。こちらも高齢者ですから(笑)疲労も積み重なり体力も気力も落としています。

昨日は自分でも「これが最後」と決めた引き受けている役員の総会がありました。これが最後と思いながらも事前に緊張するほどの役回りではありませんが、失敗はご迷惑になるのでやはり無事に過ぎ去って欲しいと見えないところで緊張しているようです。いよいよ翌日に迫りめちゃくちゃ投げ捨てたい気持ちになりました。「もう結構です!」気力と体力とやる気が失せてきているようです。これが私の場合の80歳なのですね。

もう何も引き受けたくありません。即辞めたいです。近頃は自分のしたい事だけに参加して生きて行きたいなと真剣に考えるようになりました。

自己中の高齢者ですね(苦笑)でも仕方がありません。体力も気力もすり減っているのですから。

少し鬱状態になっているのでしょう。困りました。

介護の世界でも何も手伝ってくれることはありません。

夫婦二人が元気でいる場合は家庭内ではどちらかに負担が掛かって居るという事に何かしら目を向けて欲しいです。

若い時は何とかなりましたがもうダメです。何もしないでいても家庭の中は快適に整い日に三食が当たり前のように出てきます、羨ましい生活ですね。

あぁ  あたしもそんな生活を享受してみたいものです。

もしかしてこのような理不尽な暮らしを長期に亘り余儀なくされている高齢者は沢山おられるのではないかと思います。どこへ助けを求めたら良いのでしょうか?

自分の遣りたいこと等に気を紛らせて何とかしていてももう限界プチっと切れましたぁ。

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