北アルプスの花畑 雪倉岳山頂に到着。白い稜線が白馬岳まで続いています。
保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房
すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。
保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。
なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。
第7章 保育の知と身体の惰性 ―保育者の地平— から
《記憶された時間》
一月中旬のある日、昨年幼稚部を卒業して特殊学級にいったM子が、母親と父親と妹と一緒に訪ねてきた。室内で他の子と遊んでいた私の前に突然あらわれたM子が、以前よりも背丈が伸びたように思えて、一瞬、私は戸惑った。M子も私を見て、すぐには親しさを示さなかった。じきに母親が「つもりせんせい。おぼえているでしょう」とM子に声をかけたが、M子は私を覚えているかどうか分からないほど、何の反応も示さなかった。父親が私に笑いかけて挨拶した。
そのとき、突然、工事場で、ブーンという金属音がした。M子はケラケラ笑う。私も、何だかM子と笑うのがうれしくて、心から笑った。何度も一緒に笑った。また、ブーンと音がしたとき、M子は、「ブーンだって、おなら」と言ってまた笑う。もう笑うことしかない世界みたいだった。寒さも、シーソーに乗っている現実の感覚もこえて、ただこの子と笑いあう世界だけがあった。
底が抜けた笑いの世界には、未来の心配もなく、過去の痛みもない。現実のあらゆる枠がとり払われたところに、もう一つの別の世界がある。広く深い世界が一面にひろがったような感覚に浸って、その時が過ぎ去るのが残念に思えてくる。現在に存在すること自体に価値のある、共有された子どもの世界である。こうして笑っている最中に、M子は突然「ここきたことある」と言った。私と一緒に、ただひたすらに笑いあったとき、これは以前に体験したのと同じ世界だと再認した。
1年半前に、私はM子と一緒に、周囲を忘れてひたすらに遊んだ類似の体験が何度もあった。その最初は夏のことだったが、砂場で他の子どもに砂をかけられ、M子は私の後にかくれてキャーキャー声を立てて逃げまわり、おもしろく三十分くらいをともに過ごした。一週間後にまた砂場でM子に出会ったとき、私はおだんごですと言って砂を差し出した。M子は「うんこのおだんごです。おしっこです」と言う。M子はその当時家を引っ越してから、便所がこわくなり、排泄のことで親子ともに悩んでいた。そのうちにM子は皿に砂を盛って私に差し出し、私が受けとろうとすると、その砂を私にかけて笑った。私が皿を差し出すと、すぐにその皿の砂を私にかけてケラケラ笑う。私もやり返したりやられたり、それを繰り返して一緒に笑いあった。
子どもが生きる時間は、大人が予定に従って活動を進めてゆくときの、順序を追って一様に流れる直線的時間とは別の次元にある。それは過去や未来の東縛から解き放たれて、人が自分らしく生きることのできる根源的時間である。直線時間と対比するならば、瞬間の一点を深く掘り下げたところにあらわれる、無時間的時間ともいえる。その中で人は真に能動的になり創造的になる。
普段、直線時間の枠に縛られて生活している大人は、子どもをもその中にはめこもうとする。子どもはそれにある程度従うのだが、子どもの生活の本領は、直線時間ではなく、根源的時間の中にある。大人は、最初は努力を要するのだが、子どもの生活に参与することによって、子どもの時間を共有して体験することができる。ここに記したように、この過程は徐々に進行し、突然、双方が互いに相手に対して開かれる。そのとき、子どもは自分の世界を生きはじめ、大人も、自分自身の底に、子どもの世界があったことに気づく。
子どもの生きる根源的時間は、子どものいるところ、どこにもある。私共が心を開いて子どもの時間にふれて生きはじめるとき、保育者となるのではないかと思う。
《この頃の日記より》
子どもと心を通わせた記憶は、保育者には長い年月、心に留まっているが、子どもにも同様であることをいろいろの機会に私共は気づかされる。あんな場面をこの子は覚えていたのかと驚くこともある。保育者は、現実の場で子どもと忙しくやりとりする、その最中に、深いところで子どもと心を通わせ合っている。その記憶がいつまでも互いに生きる力となっている。
〇見出し写真の補足
気がつけば白い花崗岩の路になっており、稜線は次の世界に入ってきたようです。
保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房
すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。
保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。
なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。
第7章 保育の知と身体の惰性 ―保育者の地平— から
《記憶された時間》
一月中旬のある日、昨年幼稚部を卒業して特殊学級にいったM子が、母親と父親と妹と一緒に訪ねてきた。室内で他の子と遊んでいた私の前に突然あらわれたM子が、以前よりも背丈が伸びたように思えて、一瞬、私は戸惑った。M子も私を見て、すぐには親しさを示さなかった。じきに母親が「つもりせんせい。おぼえているでしょう」とM子に声をかけたが、M子は私を覚えているかどうか分からないほど、何の反応も示さなかった。父親が私に笑いかけて挨拶した。
そのとき、突然、工事場で、ブーンという金属音がした。M子はケラケラ笑う。私も、何だかM子と笑うのがうれしくて、心から笑った。何度も一緒に笑った。また、ブーンと音がしたとき、M子は、「ブーンだって、おなら」と言ってまた笑う。もう笑うことしかない世界みたいだった。寒さも、シーソーに乗っている現実の感覚もこえて、ただこの子と笑いあう世界だけがあった。
底が抜けた笑いの世界には、未来の心配もなく、過去の痛みもない。現実のあらゆる枠がとり払われたところに、もう一つの別の世界がある。広く深い世界が一面にひろがったような感覚に浸って、その時が過ぎ去るのが残念に思えてくる。現在に存在すること自体に価値のある、共有された子どもの世界である。こうして笑っている最中に、M子は突然「ここきたことある」と言った。私と一緒に、ただひたすらに笑いあったとき、これは以前に体験したのと同じ世界だと再認した。
1年半前に、私はM子と一緒に、周囲を忘れてひたすらに遊んだ類似の体験が何度もあった。その最初は夏のことだったが、砂場で他の子どもに砂をかけられ、M子は私の後にかくれてキャーキャー声を立てて逃げまわり、おもしろく三十分くらいをともに過ごした。一週間後にまた砂場でM子に出会ったとき、私はおだんごですと言って砂を差し出した。M子は「うんこのおだんごです。おしっこです」と言う。M子はその当時家を引っ越してから、便所がこわくなり、排泄のことで親子ともに悩んでいた。そのうちにM子は皿に砂を盛って私に差し出し、私が受けとろうとすると、その砂を私にかけて笑った。私が皿を差し出すと、すぐにその皿の砂を私にかけてケラケラ笑う。私もやり返したりやられたり、それを繰り返して一緒に笑いあった。
子どもが生きる時間は、大人が予定に従って活動を進めてゆくときの、順序を追って一様に流れる直線的時間とは別の次元にある。それは過去や未来の東縛から解き放たれて、人が自分らしく生きることのできる根源的時間である。直線時間と対比するならば、瞬間の一点を深く掘り下げたところにあらわれる、無時間的時間ともいえる。その中で人は真に能動的になり創造的になる。
普段、直線時間の枠に縛られて生活している大人は、子どもをもその中にはめこもうとする。子どもはそれにある程度従うのだが、子どもの生活の本領は、直線時間ではなく、根源的時間の中にある。大人は、最初は努力を要するのだが、子どもの生活に参与することによって、子どもの時間を共有して体験することができる。ここに記したように、この過程は徐々に進行し、突然、双方が互いに相手に対して開かれる。そのとき、子どもは自分の世界を生きはじめ、大人も、自分自身の底に、子どもの世界があったことに気づく。
子どもの生きる根源的時間は、子どものいるところ、どこにもある。私共が心を開いて子どもの時間にふれて生きはじめるとき、保育者となるのではないかと思う。
《この頃の日記より》
子どもと心を通わせた記憶は、保育者には長い年月、心に留まっているが、子どもにも同様であることをいろいろの機会に私共は気づかされる。あんな場面をこの子は覚えていたのかと驚くこともある。保育者は、現実の場で子どもと忙しくやりとりする、その最中に、深いところで子どもと心を通わせ合っている。その記憶がいつまでも互いに生きる力となっている。
〇見出し写真の補足
気がつけば白い花崗岩の路になっており、稜線は次の世界に入ってきたようです。