北アルプスの花畑 朝日岳ー雪倉岳の間の稜線 秘境の自然に埋没してる感じ。
保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房
すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。
保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。
なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。
第6章 保育の知と身体の惰性 ―保育者11 ・12年目— から
《原点》
毎日、大人の肩の上に乗っている子どもがいた。あるとき、私は、その子を肩に乗せて歩きながら、この子を本当にあるがままにお前は認めているのかと自問自答した。そして、君は口をきかなくとも、肩の上に乗っているだけでも、いまのままで立派に一人前なんだよと言った。そうするとその子は私の肩から下り、私の机の前の回転子に座って、椅子を一回り回転させるたびに私の顔を見て、にこっと笑った。私は子どもとの距離が縮まり、急に親しくなったような気がした。一緒にいる大人が心に思っていることは、それをことばに出すかどうかを問わず、直接に子どもに伝わっていることを私は実感した。
一日の大部分を大人に抱かれて階段を上り下りしたり、歩き回ることを欲する子どもがいた。その子は四歳なのにとても重たく感じられた。私はその子を抱きながら、こうして次第に体重が重くなったら、その子の足は体を支えられなくなり、ますます歩行が困難になるのではないかと心配した。そう考えると、できるだけ歩かせようと試みることになる。その子はそれをいやがって、抱かれて歩くことを強く要求した。あるとき、私は、この子は移動したいときにはいざったり、大人に助けを求めるのだから、一生歩けなくてもかまわないではないかと考えた。そのときから気持ちも軽くなり、抱いたときの重量感も減少した。私だけでなく、何人もの大人がその頃同じようなことを経験していた。ある日、その子は廊下をたった一人で歩いていた。その足は体重を立派に支えていた。
以来、 その子はほとんど自分の足で歩いて移動している。私は母親に私共の気持ちの変化を話すと、母親はすぐに同意して、極端なようだけど、一生歩けなくともいいと覚悟が決まると、何もかもが変化するようですと言った。この十年間に、たくさんの親たちが私に同様のことを語ってくれた。そしてたくさんの子どもたちが、あれこれの能力の増加だけでなく、人間的なふくらみをもって成長する姿を見せてくれている。
子どもに、少しでも上の段階のことができるようにと期待するのは、親の自然の情という人もある。けれども、一人ひとり違う子どものあるがままを認めて、日々を一緒にたのしんで過ごそうと考えはじめると、大人は自分の規準に固執することをやめ、自分自身を変化させることが可能になる。親になること、保育者になるということは、子どもをあるがままに認めるという、子どもとの関係の原点に日々立ちもどることである。原点は、日々新たに子どもにふれることによって、日々発見し直される。すなわち、保育者も子どもも日々成長する。
一日の保育を終えて、何と多くのことをしたかと思う。しかしふり返ってみると、何をしたのか、いちいち思い出せない。しばらく経つ間に、次第にここに記したようなことが思い出されてくる。保育の最中は、ひたすら、出会う子どもの側に身をおいて、そこで必要とされることに応えて動いている。この点で、保育者の生活は、極度に他者のことを考えて動く生活である。普通の生活でも、他人を配慮することは多いが、保育はその極にある行為といえよう。
☆見出し写真の補足
雪倉岳に近づくと雪渓見えてきます。これが花畑に水を供給しています。
保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房
すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。
保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。
なお、津守さんの文章そのものの中に保育者としての視点や微妙な感じ取り方が味わい深く物語られており、長い引用になる。
第6章 保育の知と身体の惰性 ―保育者11 ・12年目— から
《原点》
毎日、大人の肩の上に乗っている子どもがいた。あるとき、私は、その子を肩に乗せて歩きながら、この子を本当にあるがままにお前は認めているのかと自問自答した。そして、君は口をきかなくとも、肩の上に乗っているだけでも、いまのままで立派に一人前なんだよと言った。そうするとその子は私の肩から下り、私の机の前の回転子に座って、椅子を一回り回転させるたびに私の顔を見て、にこっと笑った。私は子どもとの距離が縮まり、急に親しくなったような気がした。一緒にいる大人が心に思っていることは、それをことばに出すかどうかを問わず、直接に子どもに伝わっていることを私は実感した。
一日の大部分を大人に抱かれて階段を上り下りしたり、歩き回ることを欲する子どもがいた。その子は四歳なのにとても重たく感じられた。私はその子を抱きながら、こうして次第に体重が重くなったら、その子の足は体を支えられなくなり、ますます歩行が困難になるのではないかと心配した。そう考えると、できるだけ歩かせようと試みることになる。その子はそれをいやがって、抱かれて歩くことを強く要求した。あるとき、私は、この子は移動したいときにはいざったり、大人に助けを求めるのだから、一生歩けなくてもかまわないではないかと考えた。そのときから気持ちも軽くなり、抱いたときの重量感も減少した。私だけでなく、何人もの大人がその頃同じようなことを経験していた。ある日、その子は廊下をたった一人で歩いていた。その足は体重を立派に支えていた。
以来、 その子はほとんど自分の足で歩いて移動している。私は母親に私共の気持ちの変化を話すと、母親はすぐに同意して、極端なようだけど、一生歩けなくともいいと覚悟が決まると、何もかもが変化するようですと言った。この十年間に、たくさんの親たちが私に同様のことを語ってくれた。そしてたくさんの子どもたちが、あれこれの能力の増加だけでなく、人間的なふくらみをもって成長する姿を見せてくれている。
子どもに、少しでも上の段階のことができるようにと期待するのは、親の自然の情という人もある。けれども、一人ひとり違う子どものあるがままを認めて、日々を一緒にたのしんで過ごそうと考えはじめると、大人は自分の規準に固執することをやめ、自分自身を変化させることが可能になる。親になること、保育者になるということは、子どもをあるがままに認めるという、子どもとの関係の原点に日々立ちもどることである。原点は、日々新たに子どもにふれることによって、日々発見し直される。すなわち、保育者も子どもも日々成長する。
一日の保育を終えて、何と多くのことをしたかと思う。しかしふり返ってみると、何をしたのか、いちいち思い出せない。しばらく経つ間に、次第にここに記したようなことが思い出されてくる。保育の最中は、ひたすら、出会う子どもの側に身をおいて、そこで必要とされることに応えて動いている。この点で、保育者の生活は、極度に他者のことを考えて動く生活である。普通の生活でも、他人を配慮することは多いが、保育はその極にある行為といえよう。
☆見出し写真の補足
雪倉岳に近づくと雪渓見えてきます。これが花畑に水を供給しています。