旅の雑誌だけではなく週刊誌の旅情報にもミャンマーの人気がかなり高いとの記事がある。どうしてそれ程の人気なのか私には容易に理解出来ない。
私が仕事で初めてミャンマーに行ったのは1989年の7月の事だった。国名がビルマからミャンマーに変ったばかりの時だった。本来はその前年の1988年の5月に行く予定だったが、取引先から断りのテレックスを受取った。ビザを取得し、全ての準備を整えてた後だったが「現在はお出で頂くのに適しておりません。出張の時期を一年延ばして頂けないか」と記してあるだけだった。二、三日してラングーン大学の学生がビルマの民主化を求めて大規模なデモを行っているとのニュースに接した。それが軍との争いになり死者まで出したと知ったのはかなり経ってからだった。報道管制が敷かれており、外国のメディアは入国を許されていなかった。
当時のビルマは全てを軍事政権が支配していた。言論は極度に制限され、外国とかかわるとの理由で貿易にまで口を出していた。取引先のテレックスは共同で使われているもので、ラングーン(現ヤンゴン)には2台しか設置されていなかった。いわば公衆テレックスであるので秘密など守れるものではなかった。その上、自国の軍が秘している事柄を外国に知らせることなど出来なかった。
翌年に国名がビルマからミャンマーに変ったばかりの国に行った。空港では入国手続きに驚くほどの時間がかかり、空港の職員(実際は軍人)にボールペン、ライター、それにカメラ迄せびられた。国営のホテルでは、バスタブにお湯を貯めても錆びたお湯しか出ず、浴槽に入っても自分の足先が錆で見えなかった。備えられていた石鹸は泡が出ず、ザラザラしていた。次回からは日本から石鹸をはじめとする日用品を持って行った。だが、食事までは持ってはいけなかった。この国には7回行っているが、一度も商談が成立しなかった。絶対に行きたくない国の一番目がビルマ(ミャンマー)で二番目がラオスである。
昨年に撮った日本民家園の写真である。コロナの影響で自由に写真を撮りに行けない。ご容赦願いたい。前回(10月25日付、#293)の日本民家園は17-40㎜の超広角レンズで撮ったものであるが、今回は私が標準レンズと位置付けている24-105㎜のレンズで撮ったものである。同じ構図でもレンズにより感じが全く違う。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。
奥に見えるのは新築なった古民家。残せるところは全てを残して完全に修復した。材木だけは以前のものを使っても、壁だけは無理のようであった。仕方のないことだ。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。
水車小屋に面している通路。この道を歩くだけでも心が癒される。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f8、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。
私が仕事で初めてミャンマーに行ったのは1989年の7月の事だった。国名がビルマからミャンマーに変ったばかりの時だった。本来はその前年の1988年の5月に行く予定だったが、取引先から断りのテレックスを受取った。ビザを取得し、全ての準備を整えてた後だったが「現在はお出で頂くのに適しておりません。出張の時期を一年延ばして頂けないか」と記してあるだけだった。二、三日してラングーン大学の学生がビルマの民主化を求めて大規模なデモを行っているとのニュースに接した。それが軍との争いになり死者まで出したと知ったのはかなり経ってからだった。報道管制が敷かれており、外国のメディアは入国を許されていなかった。
当時のビルマは全てを軍事政権が支配していた。言論は極度に制限され、外国とかかわるとの理由で貿易にまで口を出していた。取引先のテレックスは共同で使われているもので、ラングーン(現ヤンゴン)には2台しか設置されていなかった。いわば公衆テレックスであるので秘密など守れるものではなかった。その上、自国の軍が秘している事柄を外国に知らせることなど出来なかった。
翌年に国名がビルマからミャンマーに変ったばかりの国に行った。空港では入国手続きに驚くほどの時間がかかり、空港の職員(実際は軍人)にボールペン、ライター、それにカメラ迄せびられた。国営のホテルでは、バスタブにお湯を貯めても錆びたお湯しか出ず、浴槽に入っても自分の足先が錆で見えなかった。備えられていた石鹸は泡が出ず、ザラザラしていた。次回からは日本から石鹸をはじめとする日用品を持って行った。だが、食事までは持ってはいけなかった。この国には7回行っているが、一度も商談が成立しなかった。絶対に行きたくない国の一番目がビルマ(ミャンマー)で二番目がラオスである。
昨年に撮った日本民家園の写真である。コロナの影響で自由に写真を撮りに行けない。ご容赦願いたい。前回(10月25日付、#293)の日本民家園は17-40㎜の超広角レンズで撮ったものであるが、今回は私が標準レンズと位置付けている24-105㎜のレンズで撮ったものである。同じ構図でもレンズにより感じが全く違う。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。
奥に見えるのは新築なった古民家。残せるところは全てを残して完全に修復した。材木だけは以前のものを使っても、壁だけは無理のようであった。仕方のないことだ。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/50秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/20秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。
水車小屋に面している通路。この道を歩くだけでも心が癒される。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:200、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f11、 1/40秒、 露出補正:-1、 ISO:100、 WB:オート。

キヤノンEOS5DMkⅣにEF24-105mm、4Lを装着。 f8、 1/25秒、 露出補正:-1、 ISO:400、 WB:オート。